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ありふれた話 ~追放された錬金術師は、神スキル【物質創造】で辺境に楽園を築きます。今さら戻ってこいと言われても以下略  作者: 槇村 a.k.a. ゆきむらちひろ
第五章 世界の真理を垣間見て

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38:長くて短い猶予

「――我らが主、魔王様の復活に、その力を貸してはもらえまいか」


 強大過ぎる魔族の男・シルゼリウが、僕に差し出した手。

 それは白く、細く、傷ひとつない、汚れなど知らないかのように美しい。だが僕にはそれが、この世界を覆い尽くすほどの巨大な闇の入り口、底なしの深淵へ招いているかのように見えた。


 周囲の時間が止まったかのような静寂が、僕たちを包んでいた。

 地面には、あれほど暴れ回っていた魔竜ヴァルガスが、シルゼリウに首筋を抑えられている。たったそれだけで、彼は借りてきた猫のように大人しくなっていた。その光景が、目の前の銀髪の男の異質さを、何よりも雄弁に物語っている。


 人間族を裏切り、魔王復活に加担するか。

 それとも、人間族として生き、彼らと敵対するか。

 突きつけられた選択は、あまりにも重い。


 僕の脳裏には、先ほど邪竜の魂を通じて見た記憶――数百年前の光景が、まざまざと焼き付いている。


 平穏に暮らしていた魔族たち。笑顔。文化。

 そして、それを一方的に蹂躙する人間族の軍勢。

 『聖戦』という名の下に行われた、虐殺と略奪。


 数百年も前の出来事だ。寿命の長い魔族ならばともかく、人間族にはその当時を生きた者は当然おらず、全員が亡くなっている。邪竜の魂の記憶が本当に起きたことなのかどうかなど、確かめようがないのだ。


 だが、もし、あの記憶が真実ならば。

 僕たちが信じてきた『正義』とは、一体何だったのか。歴史とは、勝者によって都合よく書き換えられた虚構に過ぎなかったのか。


 僕の心は激しく揺れ動いていた。

 人間族の歴史に義がないかもしれない、ということは理解できた。

 けれど、だからといって「はいそうですか」と魔族の手を取れるほど、僕の心は割り切れていない。僕には守るべき村があり、これまで培ってきた人間としての人生がある。マルコさんのような善き友人も、村を訪れた王国騎士団副団長のバルトロさんのような誇り高き騎士もいるのだ。


「……ふむ。即答は求めませんよ、錬金術師殿」


 僕の葛藤を見透かすように、シルゼリウはゆっくりと口を開いた。

 その整った顔立ちには、静かな笑みが浮かんでいる。


「これまでの常識を根底から覆す事実を突きつけられ、混乱するのは無理もありません。我々としても、無理強いをしてあなたの才能を損なうことは本意ではない」


 彼は、差し出していた手をすっと引いた。

 その仕草ひとつにも、洗練された貴族のような優雅さがある。


「我々魔族は、あなたたち人間から見れば、気の遠くなるような時間を生きています。数日や数ヶ月など、瞬きするほどの時間でしかありません。故に、答えを出す期限も、そう急く必要はございません。季節が巡るのを待つように、ゆっくりとお考えになればよろしい」


 猶予。

 その言葉に、僕は肺の中に溜まっていた熱い空気を吐き出した。

 今すぐに決断を迫られるわけではない。

 その事実に、わずかに安堵した。


「ただし」


 続く彼の言葉が、その安堵を一瞬にして氷漬けにした。

 シルゼリウの切れ長の紫色の瞳が、すうっ、と細められる。

 そこから放たれたのは、ヴァルガスが放っていたような、肌を焼くような明確な殺気ではない。もっと冷たく、静かで、そして絶対的な『理』としての警告だった。


「どちらの道を選ばれるのも、あなたの自由です。人間族として生きることを選ばれたとしても、我々はそれを尊重しましょう。……ですが、もし我々の行く手を阻み、敵対するというのであれば」


 彼は言葉を区切り。まるで明日の天気の話でもするかのように、淡々と、しかし決定的な事実として告げた。


「その時は、容赦はいたしません。この村も、あなたの大切な人々も、そしてあなた自身も。我々の計画の障害となるならば、排除せざるを得ません」


 背筋が凍った。

 脅しではない。

 彼は、ただ事実を述べているだけだ。


 まるで、庭の手入れをする庭師が、美しい花を咲かせるために雑草を抜くように。彼にとって僕たちの排除は、感情すら挟まない事務的な処理、あるいは合理的な『整地』に過ぎないのだと、直感的に理解させられた。

 ヴァルガスのような暴力的な破壊よりも、この男の冷徹な合理性の方が、遥かに恐ろしい。


「……排除、ですか」

「ええ、残念なことですが。私としても、あなたのような稀有な才能を失うのは避けたい。個人的には、種の絶滅に値するほどの損失だと思っています」


 僕は、どうにか声を絞り出す。

 すると、シルゼリウは鋭い雰囲気を霧散させ、困ったように眉を下げた。


「しかし。時間があるといって、先送りにされ続けても困ります。我々が人間族に対して何か具体的な行動を起こす必要が生じる、ということもあるでしょう。そういった時には、悠長に待ってはいられませんので。有無を言わさず答えを出していただくことになりますがね」


 シルゼリウは、肩をすくめてみせる。

 つまり、状況が変われば、猶予は即座に消滅するということだ。

 今の僕に拒否権はない。力の差は、歴然としているのだから。


「さて、と」


 シルゼリウは、話は終わったとばかりに、視線を僕の後方――古代の祭壇へと向けた。


「挨拶も済みましたし。そろそろ、ヴァルガス様の目的を果たさせていただきましょうか」


 地面に組み伏せられていたヴァルガスが、拘束を解かれ、低く唸り声を上げながら立ち上がる。彼は憎々しげに僕を睨みつけたが、シルゼリウの手前、攻撃はしてこなかった。


「フン…! 余計な手間をかけさせおって。とっとと終わらせるぞ」


 二人の魔族は、足並みを揃えて祭壇の前へと歩み寄った。

 そこには、ギデオン村長たちが三十五年間、命を懸けて守り続け、先代、先々代の守り人たちが築き上げてきた『邪竜の封印』が施されている。


(封印を……解くつもりか)


 僕は、反射的に身構えてしまう。

 止めるべき、だとは思う。

 しかし、魔族と人間族による諍いを知り、さらに自分とシルゼリウとの実力差を体感してしまった今では、頭でも身体でも動くことを躊躇してしまう。


(そもそも、封印が解けるのか?)


 あの複雑怪奇な多重封印構造は、そう簡単に解けるものじゃない。僕の【物質創造】でさえ、外側からの解析に手こずったほどだ。大地の龍脈と複雑に絡み合い、幾重にも張り巡らされた術式。無理やり破壊しようとすれば、暴走した魔力が逆流し、この村一帯を吹き飛ばしかねない。


「……ギデオンさん、ゼノンさん。下がっていてください」


 僕は、村長たちを庇うように前に出た。万が一、封印破壊の余波が生じれば、僕が【物質創造】で防壁を作って防ぐしかない。


 だが。シルゼリウの行動は、僕の予想――いや、魔術というものの概念そのものを、遥かに超えていた。


 パチン。


 シルゼリウが、わずかに腕を動かす。

 指を鳴らすような、乾いた軽い音が、静寂の森に響いた。


 その瞬間。

 祭壇に刻まれていた、歴史の重みを感じさせる魔法陣が動きを止めた。

 光を放つことも、抵抗することもなく、スゥ……と霧散したのだ。

 まるで、最初からそこに何もなかったかのように。


 複雑に絡み合っていた術式。マナの流れ。物理的な結合。

 それらが、一瞬にして『解かれた』。


「な……!?」

「ば、馬鹿な……」


 僕の後ろで、ギデオン村長とゼノンさんが驚愕の声を漏らした。

 絶句、としか言いようがない。

 ゼノンさんの、震える声が聞こえる。


「あの封印は……当時の宮廷魔術師団が総力を挙げて構築し、五十年、歴代の守り人が魔力を注ぎ続けて維持してきた国宝級の結界じゃぞ。それを、詠唱破棄どころか、魔力の波動すら感じさせずに……」


 僕もまた、戦慄していた。

 これは、ヴァルガスの『破壊』とは次元が違う。

 ヴァルガスが持つ力の本質が『断つ』ことだとすれば、シルゼリウが見せたのは『解く』力。いや、もっと高次元な、魔法構造への完全な『理解』と『操作』。


 言うなれば、僕の【物質創造】は物理法則への介入。対して彼の魔法は、世界の法則そのものを編集する管理者権限 (アドミニストレーター) を行使しているようなものだ。


 格が、違いすぎる。


「おや、驚かれましたか?」


 シルゼリウは、僕たちの驚愕の表情を見て、楽しそうに目を細めた。


「なに、五十年という歳月で封印そのものが随分と弱まっていましたからね。私程度でも、なんとかなって幸いでした」


 謙遜して見せている。だが、それが真っ赤な嘘であることは明白だ。

 封印が弱まっていたのは事実だろう。僕もそれを感じていた。しかしそれでも、人間族の最強クラスによる封印だ。「なんとかなった」で済ませられるモノではない。


 封印が解かれた祭壇の中心から、黒い霧が立ち上った。

 その霧は、不気味に渦を巻きながら色濃さを増していく。

 空中で収束し、やがて、ひとつの形を成していく。


 僕は、身構えた。

 伝承にあるような、巨大で禍々しい竜が現れるのか。

 それとも、怨念の塊のような何かが飛び出してくるのか。


 だが、霧が晴れた後に現れたのは。

 僕の想像とは全く異なる姿だった。


「……え?」


 そこにいたのは、体長一メートルほどの、小さな黒い竜だった。

 邪悪さなど微塵も感じさせない、むしろ神聖ささえ漂う、小さな命の塊。

 まだ幼い子供のような姿。翼は小さく、鱗は柔らかそうだ。瞳は閉じられ、意識はないように見える。だが、その胸は静かに上下し、確かな生命の鼓動を刻んでいた。


「……おお……!」


 ヴァルガスが、感極まった声を上げた。

 あの冷酷な魔竜が、その場に膝をつき、震える手で、小さな黒竜をそっと抱き上げたのだ。


「よく戻った……! 我が半身よ……!」


 その声には、深い愛情と、永い時を経た再会の喜びが溢れていた。

 彼は、愛おしそうに黒竜の頭を撫で、自身の額を押し当てる。その目からは大粒の涙がこぼれ落ち、小さな黒竜の頬を濡らしていた。


「……魂の損傷は激しいですが、核は無事です。魔界の深層で休ませれば、いずれ元の姿に戻るでしょう」


 シルゼリウが、静かに告げる。

 彼の言葉にヴァルガスはただ、感極まったようにうなずくだけだった。


 その光景を見て、僕は言葉を失った。

 彼らは、ただの破壊者ではない。彼らには彼らの、深い愛情と絆がある。

 ヴァルガスにとって、この邪竜は、単なる力の源ではなく、かけがえのない片割れ、魂の兄弟だったのだ。


 魔族にも、心がある。愛がある。

 そんな当たり前の事実を、僕はまざまざと見せつけられた気がした。


 僕たち人間族と、彼ら魔族。

 相容れない敵同士のはずなのに、根底にある『大切なものを想う心』は、何も変わらないのではないか。

 そんな思いが、僕の胸を去来する。


 だが、感傷に浸っている場合ではなかった。

 シルゼリウが、こちらに向き直ったからだ。


「さて。最大の目的は達しましたが……これでお別れ、というわけにもいきません」


 彼は、ヴァルガスの腕の中で眠る黒竜に触れ。

 その身体から、小さな光の球を取り出した。

 そして、ニッコリと笑って、僕に言った。


「錬金術師殿。あなたに、ひとつ『プレゼント』を置いていきましょう。我々との、連絡手段としてね」



 -つづく-

次回、第39話。「黒き竜と小さな同居人」。

魔族も人間も、この世界に生きるひとつのモノに過ぎないということか。


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