35:守り人の独白
エルフ族が残した石板に刻まれた、衝撃の真実。それを知ったことによって、僕たちの戦いはこれまでの意味から大きく変わってしまった。
一夜が明けて、ヴァルガスが再びこの村を訪れるまであと三日。決戦を前にして、村全体は静かで、しかし、張り詰めた緊張感に包まれていた。
その日の早朝。ギデオン村長は、馬の扱いが巧みな若者をひとり、王都への使者として送り出した。
「援軍が間に合うとは、到底思えませぬ。しかし、この事態を王家に報告せぬわけにはまいりません」
馬を駆る若者の背中を見送りながら、村長は厳しい表情で僕に語る。
「我らが守ってきたこの封印の地が、魔王軍四天王に狙われている。この事実は、我らにこの地の監視を命じた王家にとっても決して無視できぬはず。我々がここで敗れたとしても、彼らが次なる一手――あるいは、我々を見捨てたことへの後悔の一手――を打つための、布石にはなりましょう」
その言葉には、自らの命を賭してでも次代へと繋がんとする、元騎士団長としての悲壮な覚悟が滲んでいた。
使者を見送った後、僕は、ギデオン村長とゼノンさんと共に、ヴァルガスの真の目的地である場所へと向かった。
村の敷地からやや離れた場所にある、古代の祭壇である。
「……ここじゃ」
ギデオン村長が、足を止めた。そこは奇しくも、僕が初めてルナと出会った、あの呪いの茨があった場所にほど近い、森の深部だった。
目の前に現れたのは、苔むした巨大な石が円形に並べられた、古代の祭祀場のような場所だった。中央には、ひときわ大きな一枚岩の祭壇が鎮座しており、その表面には、風化してほとんど読み取れなくなった、複雑な魔法陣の跡が刻まれている。
ここが、邪竜の魂を封じ込めた、封印の要。
周囲の空気は、澄んでいるようで、どこか重い。大地そのものが、何か巨大な存在を必死に押さえつけているかのような、悲鳴にも似た圧力を感じた。
「……ギデオンさん」
僕は、ずっと気になっていたことがあった。
王家は二つの竜の存在を知っていただろう。しかしそれは、騎士や魔術師たちといった現場で動く人間には詳しい情報を与えられていないようだった。
どんな思惑があったのだろう。
祭壇を見つめながら、僕はギデオン村長に尋ねた。
「あなた方が王家からこの地を守るように命じられた、その経緯を、教えていただけませんか? 僕たちは、敵のすべてを知る必要があります。そして、あなた方が、何を、どのようにして守ってきたのかも」
僕の問い掛けに、ギデオンさんはゆっくりと頷いた。
彼は祭壇のそばにある倒木に腰を下ろす。しばし遠い目をして、少しずつ、ギデオンさんは過去を語り始めた。それは僕が知らなかった、この『忘れられた村』の、もうひとつの物語だった。
「アルト様。あなた様は、我々がいつからこの村にいるとお思いかな?」
「え? 五十年前の、邪竜討伐の時から、ずっと……?」
「いいや、違う。このエルダ村に『呪いの監視』という任に就いた者として、我々は三代目にあたる」
「……三代目?」
村長が静かに言葉を紡ぐ。
想像していたことは違う事実に、僕は驚いた。
「初代は、今から約五十年前。邪竜アズ=ダハーカとの死闘を繰り広げた、英雄たちその人じゃった。当時の勇者、大魔術師、そして我が騎士団の先代団長や騎士たち。彼らは、邪竜の魂が『呪い』という形でこの地に留まったことを突き止め、その魂が完全に消滅するまで、この地を監視することを決めた」
彼ら初代の守り人たちは、この地に村の体裁を整え、監視者たちのための生活基盤を築いた。それが、エルダ村の始まりだった。彼らは、約十年の間、この地で静かに暮らしながら、封印が揺らぐことのないよう、見守り続けたのだという。
「そして、初代の方々が老齢を迎え、引退される時期に合わせて交代したのが、二代目の者たちじゃ。彼らは初代の意思を引き継ぎ、この村に赴任した。当初の計画では、この任は五年から十年ごとに、王国騎士団と宮廷魔術師団から選抜された者が、交代で務めることになっておった」
しかし、その計画は、なぜか実行されなかった。
二代目の者たちが五年ほど務めた後、この村にやって来たのが、ギデオン村長たち、三代目の守り人だった。
「我々がこの村に赴任したのは、今から約三十五年前。当時はワシも、バルガスも、若いとは言えなかったが、まだ現役で血気盛んな頃だった」
ギデオン村長は、懐かしむように、そしてどこか苦々しげに、そう言った。
「我々も、先代たちと同じように、五年、長くとも十年で、王都へ帰還できるものと、そう思っておった」
しかし、彼らに交代の命令が下されることはなかった。
五年が過ぎ、十年が過ぎ、十五年が過ぎても、王都から交代の指令は来なかった。それどころか、こちらから定時報告を行うばかりで、王都からの連絡そのものが途絶えた。伺いを直接立てても、対応どころか反応さえしてもらえなくなった。彼らは、忘れ去られたのだ。
何のために、ここにいるのか。
守るべき『呪い』とは一体何なのか。
その詳細も知らされないまま、ただ、この辺境の地で、無為な時間を過ごすことだけを強いられた。
「若者たちは、次々と村を去っていった。騎士団の任務を放棄しての逃亡、と言うべきものだが、ワシには彼らを止めることが出来なかった。この土地に未来などないことは明らかだったしの。残ったのはワシらのような、もはや帰る場所も、行くあても失った、老いぼれだけじゃった」
まるで自嘲するかのように、ギデオン村長は言う。
ゼノンさんもまた、悔しそうに言葉を挟んできた。
「我々は、腐っていった。国に尽くした忠義の果てがこれか、と。誇りも希望もすべて失い、ただ死を待つだけの日々。……アルト様。あなた様がこの村に来られる前の、我々の姿が、それじゃ」
僕は、言葉を失った。
僕が初めてこの村に来た時に感じた、あの重苦しい絶望の空気。それは邪竜の呪いだけが原因ではなかった。国に見捨てられ、忘れ去られた守り人たちの、三十五年という長すぎる年月の、絶望そのものだったのだ。
「……なぜ、あなた方は、交代させられなかったんですか?」
「分からん。その理由は、我々にも知らされておらん。王都に出向いて直接聞こうとしても、何も答えは得られなかった。知らぬところで王都に大きな政変でもあったのか。あるいは、我々の存在そのものが、王家の記録から抹消されてしまったのか……。今となっては、確かめようもない」
ギデオン村長は語りながら、力なく首を振る。
しかし僕は、その理由の一端を、石板の記述から推測していた。
石板には、魔王とエルフ族の関係について記されていた。それは人間族にとって、『不都合な真実』といっていいもの。魔族と言う絶対的な悪と、それを討伐する人間族という図式が崩れてしまう。
もし、王家の中枢がその真実を知っていたとしたら?
魔王の復活が単なる悪の再来ではなく、世界のバランスを保つための、ある種の摂理であることを知っていたとしたら?
彼らは、邪竜の封印を守りたかっただけではないのかもしれない。
『監視』という名目で、人をこの地に縛り付け、魔族と、そして世界の真実に関わるこの場所から、すべての目を逸らさせようとしていたのではないか。
ギデオン村長たちが忘れ去られたのは、おそらく単なる手違いではない。
意図的に『隔離』されたのだ。世界の秘密を、自然消滅させるために。
僕はその仮説を、今はまだ胸の内に留めておくことにした。
彼らに、これ以上の絶望を与える必要はない。
「……辛い話を、させてしまいましたね」
「いや、いいんじゃ」
ギデオン村長は立ち上がると、静かにたたずむ祭壇の縁をそっと撫でた。
「アルト様。あなた様のおかげで、ワシらは思い出した。自分たちが何のためにここにいるのかを。腐り果てていた我々に、再び『守り人』としての誇りを、思い出させてくださった」
彼は、僕の方に向き直る。
その目には、元騎士団長としての力強い光を宿していた。
「我らが三十五年もの間、守り抜いたこの封印。そして、この村。魔族の好きにはさせませぬ。この命に代えても。あなた様と、ルナ様と、そして、我らがようやく見つけたこの楽園を、守り抜いてみせましょう」
彼の言葉に、ゼノンさんも、強く頷いた。
僕は、胸が熱くなった。
彼らはもう、未来を見失った老人ではない。
長き絶望の時を経て、再び立ち上がった、誇り高き『守護者』だ。
僕は、祭壇を見据えた。
ここが、決戦の地。
僕たちの敵は、二匹の竜。
この祭壇の下に眠る、ヴァルガスの半身。
そして、ヴァルガス自身。
「……ギデオンさん、ゼノンさん。ひとつ、試してみたいことがあります」
僕は、祭壇にそっと手を触れた。
そして、密かに考えていたことを提案する。
「この封印の魔法陣。僕の力で『解析』し、『強化』できるかもしれません」
僕の【物質創造】が影響を及ぼすのは、物質だけでない。魔法という形のない、情報の構造そのものにも干渉することができる。
もし、この封印の力をコントロールできるのなら。
それは、ヴァルガスに対する最強の切り札となりうるはずだ。
残された時間は、あと三日。
僕は、この地に刻まれた英雄たちの想いと、ギデオン村長たちが繋いできた三十五年という時の重みを、噛みしめる。そして、それらを僕の力へと変えるべく、全神経を、この忘れられた封印へと集中させた。
戦いはもう、始まっている。
-つづく-
次回、第36話。「混沌の記憶」。
誰も知らない邪竜の一端に触れるアルト。そして……。
◇ ◇ ◇
次回更新は明日、1月17日になります。
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