30:世界樹の涙
視点:三人称
破壊の奔流が、戦場を支配していた。
魔竜と化したヴァルガスの『繋がりを断つ』という理不尽な力。それを前にして、アルトが【物質創造】で生み出す防御は砂上の楼閣と化していた。守るべき仲間たちは次々と倒れ、奥の手を出したルナでさえも、その生命力を削りながら辛うじて終末の劫火に耐えているに過ぎない。
そして、ヴァルガスの巨大な魔竜の尻尾が、無防備なアルトを粉砕せんと迫る。
焦燥。無力感。
かつて勇者パーティーに追放された日の悪夢が、アルトの脳裏をよぎる。
また、守れないのか。
しかし、今の彼は、あの頃の彼ではなかった。
絶望の淵で、彼の思考は、逆に極限まで研ぎ澄まされる。
(防御がダメなら……! 攻撃そのものを消し去ればいい……!)
尻尾がアルトに命中する寸前、ほんの刹那。
アルトは、防御壁を創造することをやめた。
代わりに、彼の意識は、ヴァルガスの尻尾そのものへと向けられる。
「【物質創造】――『強制分解 (フォース・デコンストラクション) 』!」
アルトの魔力が奔る。
ヴァルガスの能力が『斬る』力だとすれば、アルトのそれは『解く』力。
魔竜の尻尾を構成する鱗や筋肉の『繋がり』に直接干渉する。
ガキン、と金属が軋むような異音が響く。
ヴァルガスの尻尾の先端部分が、不自然にぐにゃりと折れ曲がった。
叩き潰さんとしたその勢いが、完全に失われる。
完全に分解するには至らなかった。
だが直撃だけは、かろうじて避けることができた。
「……ほう? 面白い。我が肉体に、直接干渉してくるとはな」
ヴァルガスは初めて、アルトの力に純粋な興味を示した。
だが、その余裕の表情はすぐに冷酷なものへと戻る。
「その小細工で、いつまで保つ?」
ヴァルガスは、尻尾での攻撃をやめて引っ込めた。
だが息つく暇も与えずに、今度はその両腕の鉤爪で連続攻撃を仕掛け始める。
右の爪、左の爪、そして再び右。
アルトを襲う必殺の一撃一撃。
それらが叩きつけられるたびに、オリハルコンの壁は粉々にされていく。
アルトはその猛攻を紙一重で見切っていた。
その都度、ヴァルガスの爪の『繋がり』を断片的に分解する。
必死に攻撃を凌ぎ続け、どうにか命を繋ぎ留めている。
それはもはや、戦いというよりも曲芸に近い離れ業だった。
一瞬でも判断を誤れば、即死。
凄まじい集中力が、彼の精神を猛烈な勢いで削り取っていく。
「アルト! 無茶です! そのような力の使い方、あなたの精神が持ちません!」
ルナの悲痛な叫びが聞こえる。
彼女の言う通りだった。アルトの視界は、既に赤く点滅し始めていた。酷使される脳が悲鳴を上げ、今にも焼き切れそうになっている。
だが、アルトは攻撃を防ぐので精一杯だった。彼がヴァルガスに釘付けにされている間に、終末の劫火は、ついにルナの『世界樹の守護』を打ち破る。
「きゃあああっ!」
防御魔法が砕け散り、黒い炎の余波がルナの身体を襲う。
彼女は、見張り台から地面へと、力なく墜落していった。
「ルナ!」
アルトの意識が一瞬、彼女へと逸れた。
その致命的な隙を、ヴァルガスが見逃すはずがない。
「――終わりだ」
ヴァルガスの鉤爪が妖しく光を放つ。
今度こそ、アルトの心臓を捉えんとばかりに。
その瞬間。
墜落したはずのルナが、最後の力を振り絞り。
アルトの前に転移し、姿を現す。
そして、アルトを庇うように、その華奢な身体を広げた。
「アルトに、手出しはさせません!」
ルナのその行動は、あまりに無謀。
自殺行為に等しかった。
しかし。
ヴァルガスの鉤爪は、ルナの身体に触れる寸前でピタリと停止した。
彼の意思で、攻撃を止めたのだ。
「……ほう。エルフの姫自らが、盾となるか。面白い」
ヴァルガスは、値踏みするようにルナを見下ろす。
ルナは、もう立っているのがやっとの状態だった。
魔力は尽きかけ、その口の端からは血が流れている。
だがその瞳の光は、決して消えてはいなかった。
(……もう、これしかない)
ルナは、覚悟を決めた。
胸元でかろうじて輝きを保っているペンダントを、固く握りしめる。
――『世界樹の涙』。
これはエルフ王家に伝わる、最後の切り札。
自らの魂を対価とすることで、大精霊樹の力を一時的に解放し、神に匹敵する奇跡を顕現させる、禁断の秘宝。
使えば、自分の命はないだろう。
だがアルトを、この村を、守れるのなら。
「……我が魂を喰らい、古の力を、今ここに!」
ルナがその心身を代償にして、禁断の詠唱を始めようとした。
その時。
「――それは、させん」
ヴァルガスの巨大な身体が、瞬間移動のごとき速さでルナの目の前へと迫る。
その動きは、ほんのわずか、ルナの注意を呪文詠唱から逸らさせる。
次の瞬間。ルナの身体は、巨大化したヴァルガスの大きな手に掴み取られた。
優しく、しかし、抗うことのできない力での捕縛。
彼女の手から『世界樹の涙』がこぼれ落ち、ヴァルガスの手に収まる。
「この『世界樹の涙』は、我が主、魔王様の復活に必要な大事な『鍵』。こんな所で、お前に消費させるわけにはいかんのでな」
ヴァルガスは、こともなげにそう言った。
片手でルナを拘束し、もう片方の手で『世界樹の涙』を掲げてみせる。
「それに、エルフ王国の末裔たるお前自身もだ。お前には、鍵を起動させるための『巫女』になってもらう。傷つけるわけにはいかん」
絶望的な事実が、明かされた。
ヴァルガスの真の目的は、村の破壊ではなかった。
主たる魔王の復活に必要な、ルナと、彼女が持つ秘宝の確保だったのだ。
そして、その目的は今、完全に達成されてしまった。
ヴァルガスは、捕らえたルナを小脇に抱える。
目的は達したと、彼はひとまず撤退することに決めたようだった。
だが去り際に、改めてアルトに悪魔の選択を突きつける。
「錬金術師。お前のその『創造』の力もまた、魔王様の復活の儀式に必要な『動力炉』となる。我々の元に降るというのなら、この村の虫けらどもは見逃してやろう」
「……なんだと?」
「魔王様が復活なされた暁には、この世界は我ら魔族のものとなる。愚かなる人間どもには、相応の報復が行われるだろう。だが、その際も、我々に敵対せぬ限り、ひっそりと生き繋いでいくことは、許してやるやもしれん」
ヴァルガスの紅蓮の瞳が、アルトの心の奥底を射抜く。
「決断せよ。お前の判断次第で、お前が背にかばう、その哀れな村の者どもの未来が決まるのだ」
-つづく-
次回、第31話。「慟哭」。
力を得ても、やはり世界は残酷で。
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