26:忍び寄る魔の手
勇者パーティーが王都へと連行されてからしばらく。
エルダ村には、束の間の平穏が戻っていた。
あの激しい戦いの傷跡は、僕の【物質創造】と村人たちの尽力によって、数日のうちにすっかり元通りになった。壊された家々は以前よりも頑丈に建て直され、荒らされた畑には再び青々とした作物が芽吹き始めている。村人たちの心に残った不安も、温泉の癒やしと、日々の穏やかな営みの中で、少しずつ和らいでいるようだった。
だが、僕の心の中は晴れなかった。
偽りの聖女・セラフィナが残した言葉。この村を狙う敵対勢力としての態度。そして、彼女が去り際に放った、底知れぬ邪悪な気配。
あれは勇者パーティーのような、人間の個人的な憎悪や欲望とは次元が違う。もっと根源的で、世界そのものを脅かすような、巨大な悪意の奔流だった。
「……アルト。また、難しい顔をしていますよ」
夜、僕が自室で村の防衛計画図を睨んでいると、ルナが温かいハーブティーを淹れてきてくれた。その透き通るような香りが、張り詰めていた僕の神経を少しだけ和らげてくれる。
「あぁ、ありがとう。どうしても、あの女のことが気になって……」
「えぇ、分かります。私も、時々思い出すのです。あの禍々しい気配は……50年前に私の故郷を滅ぼした、邪竜のそれに、とてもよく似ていました」
ルナの表情が、悲しげに曇る。
彼女の言葉は、僕の懸念が杞憂ではないことを裏付けていた。セラフィナは、おそらく邪竜と同等、あるいはそれ以上の力を持つ存在。そして、そんな化け物である偽聖女が、「主君」と仰ぐ存在がいる。
(魔王……)
その言葉が、現実味を帯びて僕の頭の中に響く。
遥か昔に封印されたという話は知っている。
それでも、御伽噺の中の存在だと思っていた。
だが、神の力である【物質創造】や、伝説のエルフの姫などが実在するこの世界。強大な悪意を持つ存在がいないと、どうして言い切れるだろうか。そもそも勇者パーティーの結成が、より強大な存在に対抗するために成されたものだ。しかも国王主導によって。明言はされていなくても、魔王の復活を予期していたのかもしれない。
「……もっと、村の守りを固めないと」
僕は羊皮紙の上に、新たな防衛設備のアイデアを書き込んでいく。
村を囲む、オリハルコンを混ぜ込んだ強化防壁。
侵入者を自動で感知し、迎撃する自律思考型ゴーレム。
ルナの精霊魔法を利用した、広範囲の探知結界。
考えれば考えるほど、やるべきことは山積みだった。
そんな僕の焦りを、ルナは静かに見つめている。
「アルト。警戒を怠らないことは大切です。ですが、あまり根を詰めすぎてはいけません。あなたが倒れてしまっては、元も子もないのですから」
彼女はそっと、僕の手に自分の手を重ねた。
その温もりが、僕のささくれだった心を優しく包み込んでくれる。
「……ありがとう、ルナ。君がいてくれて、本当に助かるよ」
僕たちの楽園は、まだ脆弱だ。
だが、僕たちは一人じゃない。頼りになる仲間、そして村人たちと力を合わせれば、どんな脅威だって乗り越えられるはずだ。
僕は、そう信じようとしていた。
その脅威が、想像を超える速さと規模で迫っているとも知らずに。
◇ ◇ ◇
変化を最初に察知したのは、村で最も鋭敏な五感を持つ、猫獣人のミミだった。
ある日の夕暮れ時。僕の作業小屋へ、ミミが慌てた様子で飛び込んできた。
「アル兄! 大変だニャ! 森の向こうから、すっごいたくさんの、キモチワルイ奴らがこっちに向かってきてる!」
彼女いわく。村の子供たちと広場で遊んでいると、あらぬ方向から奇妙な音が聞こえてきた。それはやがて、地平線の彼方から響いてくる無数の不快な羽音と、大地を揺るがすような低い地響きになった。そして、今まで嗅いだことのない、吐き気を催すような濃密な「死」の匂いが、彼女の鼻に突き刺さってきたという。
ミミは血相を変えて子供たちをまとめ、それぞれの家へと追いやった。そして一目散に僕のもとへ飛んできたというわけだ。
そんな話を彼女から聞いているうちに。
村の見張り台から、けたたましい警鐘が鳴り響いた。
カン! カン! カン! カン!
それは、僕が設定した中でも緊急レベルが高いもの。
なにかの襲来を知らせる合図だった。
「アルト! 村になにかが!」
「無事ですかアルト!」
緊急の警鐘が聞こえるなり、ギドさんとルナも作業小屋に駆け込んできた。
何が起きたのかはまだ分からない。現状確認をしなければと、僕たちは揃って見張り台へ向かい駆け出す。
「なんだこれは……」
見張り台へと上がった僕たちは、目の前に広がる光景に息を呑む。
西の空が、黒く、染まっていた。
夕焼けの美しい茜色を覆い隠すように、羽を持つ魔物の群れが飛んでいる。ガーゴイル、ハーピー、ワイバーン……。その数は、千や二千ではきかないだろう。まるで黒い津波のように、おびただしい数のそれらが押し寄せてきていた。
そして、地上。
地平線の彼方から、大地を埋め尽くすほどの魔物たちが、大軍団をなして進軍していた。ゴブリンやオークといった低級な魔物だけではない。その中にはサイクロプスのような巨人族や、キメラのような合成魔獣の姿も見える。その統率された動きは、彼らが単なる野生の魔物の群れではなく、明確な意志を持った「軍隊」であることを示していた。
その軍勢の中心に、ひときわ存在感を放つ影がいた。
それは、漆黒の鎧を身にまとった騎士だった。
背からは蝙蝠のような巨大な翼が生え。
手には禍々しいオーラを放つ巨大な魔剣が握られている。
その姿から放たれる圧倒的な威圧感と、絶望的なまでに強大な魔力。
見渡す限りの魔物の群れよりも、ただそのひとりに畏怖を覚えてしまう。
(……間違いない。あれがセラフィナの言っていた……!)
「……魔王軍四天王、『黒翼』のヴァルガス……」
僕の隣で、ルナが、震える声でその名を呟いた。
恐ろしい存在を見たとばかりに、彼女の顔からは血の気が失せている。
「我が一族の古文書に記されていました。数百年前に魔王と共に封印された、最強の四人の魔族のひとり。その力は、単身でひとつの国を滅ぼすに等しいと……」
四天王。
その言葉の重みが、僕の肩にずっしりと圧し掛かる。
セラフィナも、おそらくそのひとりなのだろう。つまり、僕たちはこの短期間に二度も、国家転覆級の化け物と対峙することになったのだ。
「……面白い。相手にとって、不足はねえじゃねえか」
僕の隣で、ギドさんが不敵な笑みを浮かべて言った。その瞳は恐怖ではなく、強大な敵と相まみえることへの喜びに燃えていた。職人として、なにより戦士として、血をたぎらせている。
だが、状況は絶望的だった。
敵の数は、おそらく万を超えるだろう。
対する僕たちの戦力は、元騎士とはいえ老いた村人たちと、僕が作ったゴーレム部隊が百体ほど。あまりにも戦力差がありすぎる。
村に、恐怖と絶望の空気が広がり始めた。見張り台の下では、村人たちが空を覆う魔物の群れを見上げ、顔を青ざめさせている。
「なんて数だ……」
「神よ……我々を見捨てたもうたか……」
あまりの状況に嘆く声が聞こえる。
さらに、子供たちの泣き声があちこちから聞こえ始めた。
誰が見ても絶望。
そんな空気を、僕は一喝して断ち切る。
「下を向くな!」
僕は腹の底から叫んだ。
見張り台の上から、村人たち全員に聞こえるように。
僕の声に、村人たちが、はっとしたように顔を上げる。
「顔を上げろ、エルダ村の仲間たち! 苦難に挑みもせず朽ちるつもりか!」
僕は、拳を固く握りしめた。村人たちの不安げな視線を握り潰すように。
「僕たちは、死んだ大地を蘇らせた! 枯れた井戸に、生命の水を満たした! どんな絶望も、僕たちはこの手で乗り越えてきたはずだ!」
村人たちの瞳に、かすかな光が戻り始める。
不安を湛えたざわめきが、じょじょに小さくなっていく。
「敵の数が多いだと? 関係ない! 僕たちの村にはミスリルでできた壁がある! 疲れを知らないゴーレムの兵士がいる! そして、伝説のドワーフが鍛えた、最強の武具がある!」
「そうだ!」と、ギドさんが力強く相槌を打つ。
「何より、僕たちには、この楽園を自分たちの手で守り抜くという揺るぎない覚悟がある!」
僕は、村人たち一人ひとりの顔を見渡しながら、続けた。
「いいか、みんな! 僕たちが作ったこの村を、僕は絶対に守る! だから、信じてくれ! 僕たちの力を! 僕たちの絆を!」
僕の魂からの叫びは、村人たちの心に、再び火を灯した。
彼らの瞳から、恐怖の色が消える。
入れ替わるようにして、戦う者としての決意の光が宿った。
「「「おおおおおっ!!」」」
大地を揺るがすような、雄叫びが上がった。
彼らはもはや、単なる農民や老人の集団ではなかった。
自らの故郷を守るために、絶望的な敵に立ち向かうことを決意した者たち。
『楽園の守護者』の雄叫びだった。
彼らの咆哮を背中で受けながら、身を翻す。
改めて、迫りくる魔物の群れに目を向けた。
絶望、としか言いようがなかった。
地平線の彼方で揺らめく、陽炎のようなもの。それらはすべて幻などではなく、獅子と肉体を持つ魔物なのだ。それは瞬く間に輪郭を帯び、明確な「質量」と「悪意」を持って、僕たちの楽園へと迫ってくる。
夕焼けの美しい茜色が、おびただしい数の羽虫に食い荒らされるかのように、黒く、汚く、塗りつぶされていく。
ガーゴイルの群れが空を覆い尽くし、その鉤爪から石化の呪いを撒き散らす。
ハーピーが妖しい女顔で甲高い奇声を上げ、耳にした者の正気を削り取る。
小型のワイバーンなどが滑空し、毒の息吹が吐きながら声を上げる。
空からの侵略者たちはまるで太陽を喰らってしまったかのように、僕たちの頭上に絶望という名の分厚い暗雲を作り出した。
空だけではない。地上もそうだ。
もはや「軍勢」などという生易しいものではなかった。
大地そのものが悪夢となってこちらへ押し寄せてくるかのような、おぞましい「氾濫」だった。
先陣を切るのは、無数のゴブリンとオーク。緑と豚色をまとった汚らしい肉の津波だ。涎を垂らし、血走った眼で、ただ略奪と破壊のためだけに突進してくる。村の外に拡張していた畑が侵され、僕たちが丹精込めて育てた作物が無残に踏み潰されていく。農作物の悲しい声が聞こえたような気がした。
そんな魔物たちの群れを後方から押し出すように、さらに巨大な絶望が続く。
一つ目の巨人、サイクロプスが、その巨体で大地を揺るがしながら歩いていた。魔物の津波をある程度せき止めていた最外周の柵が、手にした巨大な棍棒の一撃でまるで小枝のように粉砕される。
さらにやっかいな魔物、キメラも群れを成していた。獅子の頭、山羊の胴体、蛇の尾を持つ合成魔獣が、三つの口から炎と氷と雷を同時に吐き出す。それはリリアが放っていた強大魔法に勝るとも劣らない、純粋な破壊の奔流だった。
キチチチチ、と耳障りな音を立てて地中から現れるのは巨大な蟻の魔物、ソルジャーアントの軍団。僕たちが築いた防御壁の死角である「地下」から、この楽園を食い破ろうとその大顎を蠢かせている。
腐臭が、鼻をつく。
血と、泥と、そして純粋な悪意が混じり合った、吐き気を催すような匂い。
断末魔の叫びが、耳を塞ぐ。
魔物たちの野蛮な雄叫びと、おぞましい鳴き声が、不協和音となって支配する。
恐怖が、村人たちの心を再び蝕み始めた。
先ほどまでの勇ましい雄叫びは、聞こえない。おびただしい魔物の群れすべてが、自分たちへと向かってくる。そう理解した村人たちは言葉を失い、顔を青ざめさせていた。
足が震え、武器を取り落としそうになる若者。
腰を抜かし、その場にへたり込んでしまう老人。
母親にしがみつき、ただ泣きじゃくる子供たち。
これが、現実。
僕たちが築き上げてきた、ささやかで、温かい楽園。それが圧倒的な暴力の前に、いとも容易く、無慈悲に、蹂躙されようとしている。
そして、その絶望の軍勢の中心にいる、すべての元凶たる存在。
魔王軍四天王、『黒翼』のヴァルガスが、ゆっくりと近づいていた。
彼がその禍々しい魔剣を、僕たちの村へと向けた。
ただそれだけで。
僕たちの周囲の空気が、凍てついた。
生命そのものが、拒絶する。
魂が、恐怖に震える。
あれはこの世界の理から外れた、絶対的な「死」の化身だと。
魂から分からせられそうになる。
ああ、ダメだ。
勝てない。
僕たちのちっぽけな抵抗など、この巨大な絶望の前では嵐の前の塵に同じ。
誰もが、そう思った。
僕でさえも、その圧倒的な力の差に一瞬、心が折れそうになった。
僕たちの楽園は今日、終わるのだ。
そんな抗いがたい運命の宣告が、僕たちの頭上に、静かに、しかし残酷なまでに、下されようとしていた。
……本当に?
僕は、村のみんなに言ったばかりじゃないか。
『苦難に挑みもせず朽ちるつもりか』と。
そんなこと、冗談じゃない。
僕は、仲間たちに向き直った。
「ギドさん! 村の男たちを率いて城壁の上へ! 弓と投石機の準備を!」
「おう、任せとけ!」
「ミミ! 君はその五感で敵の動きを探り、僕に逐一報告してくれ! 特に空からの攻撃に注意を!」
「分かったニャ、アル兄!」
「ルナ。君は、僕のそばにいてくれ。君の癒しの力と精霊魔法が、この戦いの鍵になる」
「はい、アルト。どこまでも、あなたと共に!」
そして僕は、村全体に配置された百体のゴーレム部隊に、一斉に命令を下した。
『――これより、エルダ村防衛戦を開始する。目標、侵入者すべて。一匹たりとも、村に入れさせるな』
ゴーレムたちの頭部で赤い戦闘の光が、一斉に、そして力強く輝いた。
地平線の彼方にいた敵の軍勢が、ついに村の目前まで迫ってきた。
先陣を切るゴブリンやオークたちが、野蛮な雄叫びを上げながら僕たちの村の柵へと殺到する。
戦いの火蓋は切られた。
僕たちの楽園の存亡を懸けた、初めての防衛戦。僕はこの村に来てから最も長く、そして最も過酷な一日になることを予感していた。
忍び寄る魔の手は、もはや影ではない。
それは、僕たちのすべてを飲み込もうとする魔物の津波となって、僕たちの目の前に迫っていた。
-つづく-
次回、第27話。「楽園防衛戦、開戦」。
愛する村を守る。その想いは、どれだけ魔物が迫ろうと揺るがない。
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