25:去りゆく過去と不穏な影
偽りの聖女・セラフィナが、まるで陽炎のように姿を消した後。戦いの興奮が冷めやらぬ中、村人たちは呆然と立ち尽くし、目の前に広がる光景を信じられないといった表情で見つめていた。
守ると誓った楽園に刻まれた、初めての戦いの傷跡。それらを思うよりも先に、まず僕は仲間たちの無事を確認すべく駆け寄った。
「ルナ! ギドさん! 怪我はないですか!?」
「ええ、私は大丈夫です。アルトこそ、足の怪我は……」
ルナが、僕の足元にしゃがみ込み、心配そうに僕の足に触れる。リリアの雷魔法で痺れていた足は、彼女の癒しの力で、もうほとんど痛みを感じなくなっていた。
「ワシも問題ないわい! アレクの小僧、なかなか骨があったが、このギド様の敵ではなかったわ!」
ギドさんは戦斧を肩に担ぎ、自慢の髭を撫でながら豪快に笑った。その顔には、心地よい疲労の色が浮かんでいる。
村長であるギデオンさんや、共に戦ってくれたお爺さんたちや若い人たちにも、幸いなことに大きな怪我を負った者はいなかった。僕が事前に配っておいた、ギドさん謹製のミスリル製の防具が、彼らを守ってくれたのだ。
皆の無事を確認し、僕は安堵のため息をついた。
「アル兄ーっ! ルナ姉ーっ!」
村の奥から、小さな影が猛スピードで飛び出してきた。
ミミだ。
彼女はずっと、僕たちの戦いを、避難した家の陰で息を殺しながら見守っていたのだろう。その琥珀色の瞳は、涙でいっぱいだった。
ミミは、僕とルナに同時に抱きつくと、わんわんと声を上げて泣きじゃくった。
「うわーん! 怖かったニャー! みんな、死んじゃうかと思ったニャー!」
「大丈夫だよ、ミミ。もう、全部終わったから」
僕はその小さな身体を優しく抱きしめ、彼女の頭を撫でてやった。ルナも、ミミの背中を優しくさすっている。
この温かい感触。
この守るべき日常。
それを失わずに済んだことに、僕は心の底から感謝した。
さて。
当面の問題は、捕虜となった勇者パーティーの三人だ。
彼らはゴーレムによって捕縛され、完全に無力化された。今はミスリル製の特殊な枷で拘束され、広場の中央に座らされている。しかし、その態度は敗者のそれとは程遠かっいものだ。
「離せ! この俺を、いつまでこんなもので縛り付けておくつもりだ!」
「そうよ! セラフィナ様が、必ず私たちを助けに来てくださるわ! その時こそ、あなたたちの終わりよ!」
アレクは憎悪に満ちた目で僕たちを睨みつけ、喚き散らしている。リリアも同じように、ヒステリックに叫んでいた。ダインは、憎々し気に睨みつけてくるだけだったけど、どうにもこちらの話に聞く耳を貸すとは思えない。
どうやら彼らの精神は、まだセラフィナの「魅了」と「洗脳」に深く囚われているようだった。正常な会話ができる状態ではない。
「どうしますか、アルト様。この者たちを」
ギデオンさんが、厳しい表情で僕に尋ねてくる。
村人たちの中には、「このまま処刑してしまえ」と過激なことを言う者もいた。彼らにとって、勇者パーティーは、自分たちの平和を脅かした許しがたい侵略者でしかない。その気持ちも、分からなくはない。
僕は、しばらく考えた後。決断した。
「……彼らを、王都に突き出します」
「王都に?」
「はい。彼らは国の英雄ではありますが、この村を襲撃した犯罪者です。正式な手続きに則って、王国騎士団に身柄を引き渡すべきです」
僕の提案に、ギデオンさんは頷いた。
「それが、最も穏便なやり方かもしれませぬな。よろしい。ならば、このギデオンが、王都へ参りましょう。元騎士団長の誼で、話も通しやすいはずです。事情を説明し、彼らを引き取りに来る部隊を、こちらへ要請してまいります」
こうして、勇者パーティーの処遇は、ひとまず決まった。
◇ ◇ ◇
ギデオンさんが王都へ向かい、戻ってくるまで、およそ十数日はかかる。その間、僕たちは捕虜である彼らを、村の一番頑丈な空き家に軟禁状態で保護することになった。
罪人とはいえ、僕たちには彼らを虐待するような趣味はない。食事も、寝床も、きちんと与えた。食事は、僕たちの村で採れた、生命力に満ちた作物。そして身体の汚れを落とすために、毎日一度、『エルフの癒し湯』に入れることも許可した。
この「温情」が、予想外の結果をもたらすことになる。
僕たちの村の食材と温泉水は、ルナの精霊魔法と僕の能力による聖水が作り出したもの。それには「浄化」の力が宿っている。セラフィナが彼らにかけた邪悪な「魅了」の呪いは、その浄化の力を毎日取り入れていくうちに、少しずつ、しかし確実に、その効力を失っていったのだ。
軟禁生活が始まって五日ほど経った頃。あれほど喚き散らしていたアレクたちが、まるで憑き物が落ちたかのように、静かになった。彼らは、ただ黙って窓の外を眺めたり、ぼんやりと天井を見上げたりして、一日を過ごすようになった。
そして、七日目の朝。
見張りをしていた村人を通じて、彼らからひとつの要請があった。
「アルトと、話をさせて欲しい」
僕は、その要請を受け入れることにした。
ルナとギドさんに同席してもらい、僕は彼らが軟禁されている家を訪れた。
部屋の中央に座るアレク、リリア、ダインの三人に、以前のような憎悪の表情はない。どこか気まずそうで、そして憔悴しきった、複雑な表情をしていた。
最初に口を開いたのは、アレクだった。
「……アルト。まずは、礼を言う。あの忌々しい女……セラフィナの呪縛から、俺たちを解いてくれたのは、お前たちの村の食事と、あの温泉のおかげらしいな」
その口調はまだどこか棘々しい。
けれど、以前のような傲慢さは消えていた。
「俺たちは、どうかしていた。あの女に救われたと思った瞬間から、俺たちの心は、あいつに操られていたんだ」
アレクは、ぽつりぽつりと語り始めた。僕を追放してからたどったという、自分たちの凋落ぶりを。
装備が劣化し、補給が続かず、仲間割れ寸前だったこと。
ダンジョンで全滅しかけ、心身ともに限界だったこと。
そんな絶望の淵で、セラフィナという「聖女」に救いを求めてしまったこと。
そして、彼女の甘い言葉に唆され、自分たちの不幸の原因がすべて「アルトの裏切り」にあるのだと思い込み、憎しみを募らせていったこと。
「……すべて、俺の弱さが原因だ」
アレクは、自嘲するように言った。
「俺は、お前を追放したことが間違いだったと、心のどこかで気づいていた。お前がいなければ、俺たちは先に進めないと。だが、それを認めることは、俺の勇者としてのプライドが許さなかった。だから、俺は自分の過ちから目を背け、お前を憎むことで、自分を正当化しようとしたんだ」
アレクの告白に、リリアとダインも続いた。
「私も……アレクの判断がすべて正しいと、盲信していたわ。あなたのこと、便利な道具としか見ていなかった。ごめんなさい……」
「俺もだ。お前が稼ぐ分配金が、気に食わなかった。それだけだ。あんたの本当の価値を、俺はまったく見ていなかった。……悪かった」
三者三様の、謝罪の言葉。
その言葉に、嘘は感じられなかった。
ルナとギドさんは、そんな彼らを、厳しい目で見つめている。
けれど同時に、どこか同情的な目を向けてもいた。
僕は、黙って彼らの言葉を聞いていた。
胸の中に、様々な感情が渦巻く。
憎しみ、怒り、悲しみ。そして、ほんの少しの、憐れみ。
「……謝罪はする」
アレクは、顔を上げて、僕の目をまっすぐに見た。
「だが、許してもらおうとは思っていない。俺たちが、お前をぞんざいに扱っていたという事実は、変わらないからな。……それに、正直に言うと。お前のことが気に入らない、という気持ちも、まだ少しは残っている」
あまりに、悪びれない物言いだった。
ルナとギドさんが、思わずといった感じで顔をしかめている。
しかし、僕は。
そのアレクらしい、扱いにくくて、不器用でプライドの高い言葉に。
思わず、ふっ、と苦笑してしまった。
「……あぁ。君らしいな、アレク」
僕の反応が意外だったのか。
アレクは、きょとんとした顔をした。
勇者と呼ばれる者としては、幼ささえ感じられて。思わず笑みがこぼれる。
僕たちの間の凍りついていた空気が、ほんの少しだけ、溶けたような気がした。
話し合いは、それで終わった。
彼らは再び軟禁状態に戻り、僕たちは家を出た。
「なんじゃ、あの小僧は。謝るんだか喧嘩を売ってるんだか分からんわい!」
「えぇ。アルトにしてきたことは許せません。けれど、彼らもまた、魔族の被害者なのかもしれませんね……」
ギドさんが、納得いかないというように不満を漏らす。
その隣で、ルナは複雑な心境そのままな表情をして呟く。
両隣のそんなふたりを見て、なぜか当事者である僕が、勇者パーティーをかばうようにギドさんとルナをなだめている、という妙な構図になっていた。
「まぁまぁ、ふたりとも。あれが、彼らなりの誠意なんだよ、きっと」
そんなことを言っている自分に、僕は、なぜだか笑ってしまいそうだった。過去のしがらみは、もう僕の中で、それほど大きなものではなくなっているのかもしれない。
◇ ◇ ◇
さらに数日が過ぎて。
王都から、ギデオン村長が帰ってきた。
彼の後ろには、僕も見知った顔があった。
王国騎士団副団長、バルトロ・グレイウォールその人だ。彼は精鋭の騎士たちを十数名引き連れていた。
「アルト殿! 無事であったか!」
バルトロさんは、僕の姿を見ると心から安堵した表情を浮かべた。ギデオンさんから事情を聞いた彼は、勇者パーティーほどの相手を捕縛したとなれば相応の実力者が必要だろうと、自ら出向いてきてくれたのだ。
しかし、勇者パーティーが軟禁されている家に案内すると、彼らのあまりに大人しい様子を見て面食らったような顔をしていた。
こうして、勇者パーティーの三人は、正式に王国騎士団に引き渡されることになった。彼らは王都で正式な裁判にかけられ、その罪を償うことになるだろう。
村の入口で、僕は、彼らが馬車で連行されるのを見送ろうとする。
もう、彼らと会うこともないかもしれない。
最後に、僕は、アレクに声をかけた。
「アレク」
「……なんだ」
「一緒にいた時の僕は、まだ、自分の力の本当の価値を把握しきれていなかった。それが、君たちから見て『実力不足』に見えたのなら。追放という判断も仕方なかったのかもしれない」
僕の言葉に、アレクはただ、唇を噛み締めていた。彼は何も言おうとしない。
「でも、ひとつだけ。僕は、君たちを許さない、と決めていることがある」
「……なんだと?」
思わぬ言葉だったんだろう。アレクは、僕に顔を向けてくる。
僕は、少しだけ意地の悪い笑みを浮かべた。
「僕の素材ポーチを、奪っただろう? あれの底の方に、僕が孤児院にいた頃から大事にしていた、とっておきの干し肉を隠していたんだ。いつか、みんなで食べようと思って。……あれを食べられなかったことだけは、未だに未練が残っている。だから、そのことだけは絶対に許せない」
僕の、あまりに子供じみた「許せない理由」。
アレクは一瞬、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしたが。
やがて、ぷっ、と吹き出した。
そして、腹を抱えて、大声で笑い始めた。
その笑い声につられるように。ダインも、リリアも、声を上げて笑っていた。
「はは、はははは! 本当に、お前は……お人好しだな、アルト!」
アレクは、涙を浮かべながら笑っている。
「確かに、食い物の恨みは怖いよな!」
「えっ。もしかして私がまとめて恨まれる感じ? でもだって、確かに奪ったのは私だったけど! あのポーチはパーティーの共有財産だったじゃない! なによアンタたちその目は!」
ダインがニヤリと笑いながら、混ぜっ返すように言う。
例のポーチに手を出したリリアは、慌てた様子で弁明を始めた。
そんな彼女に、僕たちは一斉にツッコミの視線を向ける。
最後に。
アレクは、僕に向かって、不敵な笑みを浮かべた。
「……じゃあな、アルト。罪を償って、自由が許されたら、お前の干し肉を弁償しに来てやる。それまでせいぜい、俺たちへの恨みを忘れずに待っていろ」
それは、彼なりの再会の約束だったのかもしれない。
馬車は、ゆっくりと走り出した。
去りゆく彼らを見送りながら、僕の心は、不思議と晴れやかだった。
長かった僕の過去が、わだかまりが、ようやく終わりを告げたのだ。
しかし、まだ、僕たちは平穏を約束されたわけではない。
セラフィナという、未知の存在。
彼女が言っていた、「主君の復活」。
底知れぬ脅威は、まだ去っていない。
それは、この世界全体を巻き込む、巨大な災厄の始まりを予感させていた。
◇ ◇ ◇
その頃、遥か北方の古代遺跡。
永い封印から目覚めた、魔王軍四天王のひとり、ヴァルガスが、漆黒の玉座から立ち上がっていた。彼の持つ水晶が不気味な光を放ち、エルダ村の方角を指し示している。
「……セラフィナの奴、少し遊びすぎたようだな。だが、まぁいいだろう。獲物の居場所も、その力も、把握できた」
彼の背後には、底知れぬ闇が広がっていた。
その闇の中から、無数の魔物の軍勢が姿を現す。
「これより、我が自ら、出向くとしよう」
去りゆく過去の影と入れ替わるように。
不穏な影と、より巨大な脅威が、エルダ村に迫ろうとしていた。
-つづく-
次回、第26話。「忍び寄る魔の手」。
エルダ村に迫る新たな脅威。それは……。
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