24:偽りの聖女
視点:三人称
「……あなたは、何者ですかな?」
ギデオンは、聖女セラフィナの前に立ち、静かに問いかけた。
その手には、古びてはいるが王国の騎士隊長の証が刻まれた長剣が握られている。彼の両脇を固めるのは、かつて彼の右腕として活躍した剣士・バルガスと、宮廷魔術師団の顧問も務めた老魔術師・ゼノン。三人の老兵が放つオーラは、穏やかだが、少しの隙も見せない鋼のようなものだった。
ギデオンは長年、騎士団長として国の教会とも強い連携を保ってきた。聖職者の階級や、彼らが放つ神聖なオーラの質については、本職の者以外では誰よりも詳しい自負がある。
目の前の「聖女」を名乗る女の身なりは、確かに高位の聖職者のそれだ。しかし、彼女から感じる力は、どこか異質だった。清らかで温かい神聖力とは似て非なる、甘く、そして人の心を惑わすような、妖しい気配。
「もし、あなたが教会関係者であるならば、お名前と所属をお聞かせ願いたい。そして、何の目的で勇者殿を唆し、この村を襲わせたのか。その理由をお聞かせ願おうか」
ギデオンの問いに、セラフィナは、ただ優雅に微笑むだけだった。
「あらあら、怖いお顔。わたくしはただ、道に迷った子羊たちを正しき道へと導いているだけですわ」
彼女がそう言った瞬間。
ギデオンたちは、脳内に直接響くような、甘い囁きを聞いた。
(さぁ、武器をお捨てなさい。あなた方の戦いは、もう終わりました。このわたくしにすべてを委ねれば、あなた方は永遠の安らぎを得られるのです……)
それは、抗うことが難しい心地よい誘惑。疲れた身体を投げ出し、すべてをこの聖女に委ねてしまいたい。そんな抗いがたい衝動が、心の奥底から湧き上がってくる。
バルガスとゼノンの膝が、がくりと折れそうになる。
しかし、ギデオンだけは、その場でぐっと踏みとどまった。
「ぐっ! 妖術か……! 者ども、気をしっかり持て!」
ギデオンの叱咤の声にふたりは、はっと我に返る。
彼らを正気に戻したのは、長年培ってきた元騎士団としての強靭な精神力。そして、彼らが手にしていたギド謹製の武具が放つ、微弱ながらも神聖なオーラだった。アルトがオリハルコンを混ぜ込んで作ったそれらの武具は、邪悪な精神干渉に対する、強力な耐性を持っていたのだ。
「あら?」
セラフィナは、自らの『魅了のオーラ』が、いとも簡単に阻まれたことに驚く。常に笑みを浮かべていた彼女の表情が、初めて別種の色を見せた。
『魅了のオーラ』。
彼女のその力は、並の精神力を持つ人間ならば、視線を合わせただけで虜にできる。そのはずだった。こんな衰えた老人たちに、抵抗できるはずがない。
「貴様……! 我々に、何をしようとした!」
ギデオンが、剣の切っ先をセラフィナに向け、戦闘態勢に入る。
「あら、わたくしが何をしたと仰るのかしら?」
セラフィナは、瞬時にいつもの余裕のある笑みに戻ると、飄々とした態度で肩をすくめた。
その態度が、ギデオンの怒りに火をつける。
「ぬかせ!」
次の瞬間、ギデオンの姿が消えた。
老人とは思えない、爆発的な踏み込み。
彼は一気にセラフィナの懐まで潜り込んだ。
聖女の気づき、視線の動きさえ置いてきぼりにして、必殺の剣を振るう。
騎士団秘伝の奥義『閃光一閃』。
威力も、速さも、勇者アレクに勝るとも劣らない、完璧な斬撃。
しかし、その刃がセラフィナの喉元を捉える寸前で、ピタリと止まった。
セラフィナが、白くか細い指先を、剣の腹に触れさせただけ。
ただそれだけ。
「残念でしたわね?」
ギデオンの渾身の一撃は、聖女のたった一本の指に止められた。まるで分厚い壁に阻まれたかのように、完全にその勢いを殺されてしまった。
しかし、ギデオンは怯まない。
「一度で斬れぬのなら、斬れるまで!」
彼は一度後ろへ跳ぶと、今度は盟友たちと共に波状攻撃を仕掛けた。
バルガスが、ギデオンの死角を補うように、右側面から鋭い突きを繰り出す。
ゼノンが、セラフィナの足元に重力魔法を展開し、動きを封じようとする。
そしてギデオンが、再び正面から渾身の斬撃を叩き込む。
三人の老練な元騎士たちが、その経験のすべてを注ぎ込んだ三位一体の攻撃を繰り出す。何度も何度も、手を変え品を変え、聖女の命を奪うべく襲い掛かる。
だがそれでも、セラフィナは崩れなかった。
彼女は微笑みを浮かべたまま、その場から一歩も動かない。
バルガスの突きは、見えない障壁に弾かれる。
ゼノンの魔法は、彼女に届く前に霧散する。
ギデオンの剣は、またしても彼女の指先一つで止められてしまう。
まるで大人が子供の遊びに付き合っているかのような、圧倒的な力の差。
(化け物め……!)
ギデオンの背筋に、冷たい汗が流れる。
この女は、人間ではない。
今まで対峙してきたどんな魔物とも違う。まるで次元の異なる存在だ。
「ギデオンさん!」
彼らの背後から声が聞こえる。
アルトだ。
見れば、勇者パーティーの三人はゴーレムたちによって無力化され、捕縛されている。戦いの趨勢は、もう決していた。
そう、決しているはず。普通に考えるのであれば。
だが、ギデオンは気を緩めることが出来ずにいる。
目の前にいる自称聖女、セラフィナ。
彼女ひとりの方が、勇者パーティーの面々などよりも厄介だと感じていた。
セラフィナは、ギデオンたちのもとへ駆けつけるアルトの姿を認めると、ふっと笑みを深めた。そして、大きく後ろへと跳躍する。
「……思ったよりも、彼らは持ちませんでしたね。まあ、良いでしょう」
彼女は、捕らえられたアレクたちを一瞥し、興味を失ったかのように呟いた。
「勇者の魂を堕とし、聖剣を穢す、という目的は果たせたでしょう。それに、あなた方の村の戦力も、おおよそ把握できましたから。今回は、これくらいにしておいて差し上げますわ」
その言葉は、明確な撤退宣言だった。そして、彼女がここに現れた目的が、アルトたちの想像を遥かに超える、邪悪なものであることを示唆していた。
「またお会いするかと思いますわ。その時まで、ごきげんよう」
セラフィナは優雅に一礼する。
まるで舞台女優がカーテンコールに応えるかのように。
「逃がすか!」
ギデオンは言葉よりも速く、突進し、斬りかかった。
躊躇いも容赦もない、命を奪わんとする斬撃一閃。
しかし、彼の剣がセラフィナを捉えることはなかった。
彼女の身体が、まるで陽炎のように揺らめく。
やがてその姿は黒い霧となって、その場から掻き消えてしまった。
後に残ったのは、彼女が発していた甘く、邪悪な香りの残滓。
そして不気味なほどの静寂だけだった。
戦いは、終わった。
アルトたちは、侵略者を退け、村を守り抜いた。
しかし、勝利の歓声は、誰の口からも上がらなかった。
村の人々の胸に去来していたのは、安堵ではない。
これから始まるであろう、本当の戦いへの静かな予感。
そして、底知れぬ脅威に対する、重苦しい緊張感だけだった。
アルトたちの楽園に初めて刻まれた、深い戦いの傷跡。
それは穏やかな日々の終わりを、残酷なまでに告げていた。
-つづく-
次回、第25話。「去りゆく過去と不穏な影」。
すべての転機は、あの追放だった。
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