1-1 始まりの雨(1)
「はぁ、はぁ」
空が暗く、まだ肌寒い時間帯に一人の少女が森を走っていた。フードを深々とかぶり、表情まではわからなかったが、息遣いを見るに急いでいるのは明白だった。けもの道に慣れていないのか、石に躓いては立ち上がるを何度も繰り返していた。
朝日が昇り始め、葉につく雫が光り輝く。その光景は、今の彼女の心のうちとは対照的に、とても美しいモノであった。
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まぶしいーー少女はそう思うと同時に、目を開けた。雀の鳴き声と、風が木々の葉を揺らす音が聴こえてくる。窓を開けて、新鮮な空気を取り込み深呼吸ーーこれが少女の毎日のルーティンだった。
「姉さん?」
ふと後ろを振り返ると、いつもならいるはずの少女の姉が、今日は見当たらなかった。少女は服を着替えて寝癖を直し、リビングを目指して歩み始めた。
コンコンッーー少女が廊下に出たと同時に、玄関の扉をたたく音が聴こえた。
「は~い」
少女は、小走りで玄関へと向かい扉を開いた。そこには、フードを深々とかぶり、息を切らしながら膝に手をつく赤毛の少女がいた。
「だ、大丈夫ですか?」
「はぁ、はぁ、はぁ」
赤毛の少女は、口を動かそうと頑張るも声が出ないようだった。
「と、とりあえず中に入ってください」
少女は、赤毛の少女を家の中に迎え入れ、息を整えてもらうことにした。その後、すぐさまお茶を沸かして、赤毛の少女に手渡した。
「ふぅ~、お茶ありがとうございますっス」
赤毛の少女の語尾に動揺しながらも、呼吸が落ち着いたようで、一安心する少女だった。
「早速申し訳ないんスけど、ルミさんって今いますっスか?」
ルミ、それは少女の姉の名前だ。少女は、姉のルミと二人でここに住んでいるようだった。
「えっと、姉は今出かけているようで…」
「そっスか…」
赤毛の少女は、うつむくと黙り込んでしまった。二人の間に、静寂な時間が訪れる。
・・・!!?--それから数秒後、少女が突然椅子から立ち上がった。
「ど、どうしたんスか?」
「姉さんだ。ごめん、ちょっと待っててください」
そう言うと、少女は家を飛び出した。少女の目には、森の中から歩いてくる姉ことルミの姿が映っていた。
「姉さ~ん」
「レイン!どうしたの?こんなに朝早く」
「それはこっちのセリフだよ~」
少女は、姉の元まで走っていった。
「あぁ、ごめんね?ちょっと用事があってさ」
ルミは、手を合わせて舌をだしながら、今にも「テヘッ☆」といいそうな雰囲気でそう言った。
「も~、それより、姉さんに会いたいって人が来てるよ」
「え?私に?」
ルミは、手を組んで「う~ん、う~ん」と言わんばかりの雰囲気で数秒間悩んでいたようだったが、突然納得したかのように手のひらをこぶしで叩いた。
「成程成程…よし!今日の朝食、二人でとってきて」
「え?」
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どうしてこうなったのだろうかーーと、道中少女はずっと考えていた。
かたや見覚えのない歩きなれた道を歩き、かたや昨日初めて通った道を歩む。二人の足取りの違いは明白だったが、それを表情から見て取ることはできなかった。
「え~と、そのぉ…」
何か話題を出そうとするも、人と話すのが久しぶりであったのか、少女はオドオドしているようだった。赤毛の少女も、声は届いているようだが少女のほうを振り向くことはなかった。
「あっ、そのぉ…」
目の前を二頭のシカが横切った。大きさを見るに、親子のようだ。話の入りにはもってこいだったのだが…結果はお察しの通りであった。
それから数分、二人は目的の獲物がいる森へと到着した。
「あの」
「はいッ」
聞いたこともないような甲高い声が、静寂な森にこだまする。急に赤毛の少女から話しかけられ、裏返った声で返事をしてしまった少女は、赤面してその場にうずくまってしまった。
「ご、ごめんなさいっス」
赤毛の少女は、腰をかがめて少女に手を差し伸べながらそう言った。
「い、いえ…自分でへましてるだけなので…」
少女は、手を取り立ち上がる。埃のついたズボンを手で払いのけると、一息吐く。そして、何か吹っ切れたか、両手で自分の頬を叩いた。
「ね、名前教えて」
「ど、どうしたっスか?…急に」
「あ、私のほうから言わないとだよね!私の名前はレイン・ドゥーベル、よろしくね」
少女の口調と雰囲気が、先刻までとは打って変わって、二人の距離が無理やりググっと近づけたられたような気がした。
「あ、あたしは、フィーメル…っス」
「フィーメルって言うのね!名前教えてくれてありが…とう?」
少女ことレインは、またしてもその場にうずくまってしまった。先ほどの自分が、自分自身も知らない一面のような気がして、なぜそんなことを言ったんだろうかーーと、ふと思ってしまい、恥ずかしくて穴にも埋まりたい気分になっていた。
「え~と…フィーメルさん…ごめんなさい!!」
レインは、立ち上がるとすぐさま謝罪とともに頭を下げた。まだ上がった体温は下がり切ってはいないようだったが、とにかくこの雰囲気を脱したかったのか、とにかくすぐに謝ろうという考えだった。
クスクスッーーと、少ししてフィーメルの笑いをこらえる声が聞こえてきた。レインがフィーメルのほうを見ると、片方の手で口元に手を当てて、もう片方の手で涙をぬぐう姿が見えた。
「敬語かそうじゃないか、どっちっスかーークスクスッーー」
「うぐっ…」
「ふ~、フィーメルでいいっスよ」
「え?」
「だ・か・ら、フィーメルでいいって言ってるっスよ、レイン」
フィーメルの顔は、フードに隠れてしっかりとは見えなかったが、頬が赤らんでいるようだった。レインもレインで、名前を呼ばれたことがうれしくて、石像のごとくその場に固まってしまった。
数秒間沈黙が続いたが、二人は深呼吸をして息を整える。
「改めて、私はレイン」
「あたしは、フィーメルっス。よろしくお願いしますっス!」
「よろしくね、フィーメル」
ほんの数時間前出会ったばかりの二人、いたって普通の自己紹介であれど、仲を深めるきっかけとしては充分であった。
それから二人は、今の目的を改めて再確認することにした。
「それで、これからあたしたちはどうすればいいんスか?」
「え~と、姉さんは朝食をとってきてって話だっから…山菜とか?」
「そ~すね…正直あたし、そこら辺の知識ないんで何もできなさそうなんスけど…」
フィーメルは、しょんぼりと肩を落としてうつむいてしまった。慰めようにも、こういう場面に出くわしたことのないレインは何て言えばよいのかわからなかった。かういうレインも今までほとんど家から出ずにいたため、フィーメルと同じはずだったのだが…。
「これ食べられるよ。あ、それ毒あるから採っちゃダメね」
「…」
レインは、まるで普段から行っているかのような手さばきで山菜やキノコを採取していった。フィーメルはぽかんとしながらも、その後をついていった。
「ふ~こんなものかな」
「す…凄いっス!!レインは博識っス!!」
「そ、そんなことないよ。私はただ本を読んで知っただけで…」
レインは、照れながら頬を指でかいていた。この雰囲気から早く脱したいと思い、何とか話題を変えようかと思考を巡らせていると、山積みにされた山菜やキノコなどが目に入った。
「ん~でも、やっぱり肉も欲しくない?」
「そ、それもそっスね…と言ってもあたし、狩りもしたことないっスよ」
「それは私も同じだよ~」
山菜採取は、本から得た知識を使えば楽に終わらせることができた。もちろん、狩りについてもある程度の知識は持ち合わせているが、圧倒的に経験が足りない。もちろん狩りの道具なんて持ってきているはずもなく…。
「角兎ならいけるかなぁ、でも危険性がないと言ったら噓になるしなぁ」
レインは、身に覚えのない知識をフルで活用してどの動物を狩るかを考えていると…ぽつぽつ、と数滴の雫がレインの肩を濡らした。