1章 3
大海原に漕ぎ出でる。
離れ行く大陸に手を振り、見送りをする者たちと別れを惜しむ。
大陸に居留するヤズマ皇国の役人や居合わせた旅人たちはもちろん、王国から来た役人や商人の一部は船には乗らずに残る。
アマーリエ様とトネリ様が来た時の対応を任されているのだ。
始めは緊張気味に乗っていた者たちも、楽しそうに船を歩き回り、海面を眺め思い思いに語り合う。
しかし緊張が解け、リラックスするとどうやら揺れを感じやすくなるようだ。
皇国側の面々は船旅に慣れている者が多くさほど揺れを感じないようだが、王国側の面々は船が初めての者が大半であり船酔いをする者も多かった。
他聞に漏れず青白い顔をしているリサさんを部屋で休ませ、私は船内を散策する。
甲板の手すりにもたれながら、遠くを見つめるサミュエル様の姿が見えた。
憂いを帯びた瞳が、長いまつげで陰りを見せる。
疲れているような、どこかやつれているようでもあり、心配になり声をかける。
「サミュエル様、如何なされました?お加減が悪いのですか?」
ゆっくり近づくと、サミュエル様はこちらを見て柔らかく微笑んだ。
「テレーゼさん。
ご心配ありがとうございます。体調は大丈夫ですよ。」
アーモンドアイの瞳に輝きが戻る。
本当は大丈夫では無いけれども、心配させまいと取り繕っただけなのだろうか。
口には出さなかったが顔には出ていたようで、サミュエル様が言葉を続ける。
「皇国での任を果たせるのか、王国はどうなっているのかと思案していただけですから。
テレーゼさんは、問題なく過ごせていますか?船酔いはしていませんか?」
「えぇ、おかげさまで快適に過ごせております。
皇国での生活に不安もありますが、アヤメさんもいらっしゃいますから。」
「お二人は本当に仲良くなられましたね。うらやましいくらいですよ。」
はたから見ていると、サミュエル様はトネリ様となら立場も人柄も知識の面でも良い友人になりそうだなと思っていたが、二人はまだそこまで親しく離れていないようだ。
「サミュエル様こそ、国を問わず多くの人々に慕われていらっしゃるではないですか。
とても素晴らしいことですわ。
私、他国の方々と円滑ににコミュニケーションが取れませんもの。」
言葉の壁は共通語を使うことで乗り越えられても、生活や文化が違う人々に交ざるのは躊躇する。
特に国や階級により女性の扱いが異なるので、慎重になってしまうのだ。
「まぁ、これは留学の経験が生きているのかもしれませんね。
僕としては、テレーゼさんとも親しくなりたいのですけれど。」
さらっと付け加えられた一言に、思わず聞き返す。
サミュエル様は照れたように鷲鼻を人差し指でかいてから、向き直る。
「男女ともに出席を求められる時には、階級的にテレーゼさんにお願いすることになります。
そのためにも、よりお互いを知合えたら良いなと。
皇国ではよろしくお願いしますね、テレーゼさん。」
差し出された手に、おずおずと手を伸ばす。
優しく手を持たれ、甲に触れるか触れないかの口づけをされた。
思わず息が止まりそうになるが、これは王国式の挨拶でもある。
男性貴族が女性貴族に行うことは珍しことではない。
皇国で共に任を果たすために、戦友として仲良くしていきたいということなのか。
純粋に好意を持たれているのか。
真意がつかめず、思わずサミュエル様を凝視してしまう。
そのような戸惑いなどどこ吹く風。
サミュエル様は悠然としており、ますます真意を計りかねることとなった。
収まらない動揺を感じ取ったのか、サミュエル様は手を離してふと笑みを漏らす。
「そういえば、アヤメさんの話していた持衰に会ってきましたよ。」
話題が変わったことに、ほっとする。
空気が緩むのを感じた。
「彼は、もう持衰を何度も経験しているから安心してほしい、と。
自分が暮らす十分な財産はあれども、子孫のためにもっと蓄えたいのだと話していました。
昔のように航海に失敗しても殺されたりしないから、稼げる職業ととらえているようですね。
長年持衰を務めていても、航海中に会いに来る外国人は初めてだと驚いていました。」
アヤメさんから教えてもらった持衰に、さっそく会いに行き話をしてきたサミュエル様。
責任者としてお忙しいだろうに、いつの間に会ってきたのだろうか。
面白そうに話す姿に、知的好奇心が旺盛なサミュエル様らしさを感じた。
「そうでしたか。でも、ご家族は心配でしょうね。
失敗の責を問われて処刑されることは無くても、船旅は危険が多いですから。」
「ご家族は船霊という船の神に祈りをささげるそうですよ。」
家族を思う気持ちはどこの国でも、いつの時代も変わらない。
出国時に無事を祈ってくれた家族や友人たちのことをもいだす。
サミュエル様は楽しそうに語る。
「我が国は海が無いので分かりませんが、周辺国に留学した際に船乗りの信じる迷信を聞いたことがあります。
口笛を吹いてはいけない、マストに馬蹄を固定する、右足から船に乗る。
そして航海中に髪や爪を切らない。これは少し、持衰と似てますね。」
「全く異なる文化ではなく、少し類する点があるのですね。」
王国と皇国。そして前世の記憶の日本と皇国。
似ていないようで似ている。似ているようで似ていない。
相違点もあれば共通点もある。
共通点を見つけて親しくなり、相違点を楽しみながら関係を築いていきたい。
「遠い国同士ではありますが、王国と皇国は理解し合えると信じています。」
サミュエル様の真摯な眼差しは、使命感に燃えていた。