1 旅に出ましょうか
青い空の下、小鳥のさえずりが森から聞こえてくる。民家からは鶏の鳴き声が聞こえ、子供達が戯れながらそれを世話する。草地では再び仕入れた羊が放されている。新たな畑は耕され、農婦たちはしゃべりながら手を動かす。いつも通りの日常が戻ってきた。
街の真ん中に兵士達が詰めて物々しい雰囲気が漂っていたが、人々はそれに慣れていった。
ダンジョンができて数日。メディナの人々は最早普通の生活を取り戻している。
どうしようか、と悩んでいるのは国の上層部達だ。
「なんか平和だね」
「そうね」
ユリシーズとドロシーは連れ立って歩いている。落ち着いているなあ、とドロシーはユリシーズの顔を見て思う。ダンジョンから戻ってきてからの様子を見守るため、ドロシーはユリシーズとなるべく一緒に過ごすようにしていた。
もっと動揺するものではないかと思うのだ。だが、ユリシーズにそれはない。自分の体が異性に変化するなど、すんなり受け入れられるものではないと考えられるのだが。
お風呂とか困らなかったのかしら……
ドロシーの頭には疑問が浮かんでいるのだが、ユリシーズは普段通り、なんなら普段以上に落ち着いているので、尋ねる機会を失ってしまった。
「ユリシーズ様! 結婚してくれ!」
「しねえよ、バーカ!」
これを見るのも何度目か。ユリシーズが女性になってから、若干正気を失った領民がユリシーズに求婚してくる。それをユリシーズが間髪入れずに一蹴する。
「何考えてんだ。中身一個も変わってないってのに」
ふん、とユリシーズは鼻を鳴らす。冷めた目で睥睨する様も、麗しく見える。
「ユリシーズ様、お菓子でもどうだい」
「ありがとう」
老齢の婦人たちの様子は変わらない。相変わらず、みんなの孫扱いだ。
ユリシーズ達は彼の祖父の墓参りにやって来た。
「お祖父様、あのダンジョンで亡くなったの?」
「多分ね。生前、メディナの旧城を探索しに行って、そのまま亡くなったんだろう」
「お一人で行かれたのかしら」
「そんなことはないと思うけど、今となってはわからないな」
「陛下は何か仰ってました?」
「まだ話してないな」
「そう……」
この親子は未だ意思疎通が測れていない。これにはさすがにドロシーもおかしいと思っている。だが、ずっと不満を抱えていたはずのユリシーズからはそれが消え去って見える。
「あのダンジョンで出会ったのは、祖父さんの亡霊……そのものではなくて、それを模したものじゃないかと思っている」
「そう……」
そのユリシーズの言は推測ではなく願望だろうとドロシーは思った。
「あなたどうやって倒したの?」
もう何度目かわからない疑問を投げかけるが、ユリシーズは答えない。明らかに気まずそうな顔をして、ふい、と顔を背けている。
「なんで答えてくれないの? どんな無茶をしたのよ」
ドロシーが顔を覗き込むが、ユリシーズはそれに合わせてぐるーっと顔を背けていく。
「もう~~~」
答えてくれないので、ドロシーはいつもモヤモヤしつつ引き下がるしかない。
ドロシーはダンジョンなんてなくなってしまえとずっと思っているが、それが簡単には叶わないことはもうわかってしまった。
ユリシーズの手首に見慣れない腕輪がはまっている。あのダンジョンで再会した時からそれは彼の腕にはまり続けている。華奢の見た目のそれは腕から簡単にすっぽ抜けそうな余裕のあるサイズ感だ。いつでも簡単に外せそうなのに、あの日からユリシーズがその腕輪を外したところを見たことがない。ドロシーはその腕輪に得体のしれないものを感じていた。
「それ、外さないの?」
「ん? これ?」
ドロシーに指差されて、ユリシーズは腕輪を眺める。
「まあ、そんなに邪魔にならないし」
「え~~邪魔に見えるのに」
気になるドロシーに対して、ユリシーズはまったく気にした様子がない。
「まあ、いいじゃん。これのことは」
「……」
ユリシーズは受け流す。ドロシーは流されて不満だ。そして二人は帰路に就く。
帰り道、ユリシーズがドロシーの手を握ってきた。ドロシーは何も言わずにそれを受け入れる。
こういうところも変わった、とドロシーは思う。ダンジョンに入る前は、ユリシーズからのドロシーへの接触はもっと少なかった。それが、自然と触れてくるようになった。
どういう心境の変化? とドロシーは疑問に思っているのだが、どう切り込んでいいか悩んでいる。触れ合いが嫌なわけでもないので、拒否はしない。
なんで女の子になってからそういうことするの? 女の子になったから?
ドロシーはその疑問を口にしてしまっていいのか、どう昇華させていいのか、と思い悩んでいる。
「ねえ、ユリ」
ドロシーは嫌なわけではないと態度で示すために手をぎゅっと握り返しながら話しかける。
「私とイチャイチャしたいの?」
「……うん」
聞けば素直にうなずいてくる。結婚しないって言ったくせに。
「好きだよ」
掠めるようなキスをされた。男の子の時にはしなかったくせに。




