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「どうしてすぐに動かなかったの!」
ドロシーが悲鳴をあげたのを聞いた気がする。ユリシーズが振った杖の効果で、彼女の真横に魔物を移動させてしまった。
ユリシーズはバツが悪く、粛々と彼女のお説教を聞く気でいた。
「あんな風にぼんやりしてたら、ただ攻撃をそのまま受けかねないじゃない! すぐに、逃げるとか、防御するとかしなきゃ!」
彼女の説教の内容は、ユリシーズを責めるものではなく、どちらかと言えば心配が高じてといったものだった。あの時、ユリシーズは咄嗟にもう一つの杖でもう一体の魔物の動きは止めたが、残るもう一体に対してはすぐに動けていなかった。そこを怒られているのだ。
もっと責めてくれてもいいのに、とユリシーズは思う。だが、ドロシーは己の安全よりもユリシーズの身を案じている。か弱い女性を守るのは一人の男として当然だと、ユリシーズはもちろんそういう教育を受けているので、彼自身もそうしたいとは思っている。
だが、ドロシーはユリシーズにそれをさせない。彼女が自分自身をか弱いとも思っていないし、むしろ一臣下としてユリシーズを守ろうとしてくるのだ。
不甲斐ない、と改めて思わされる。
小さな不満はまた澱のようにユリシーズの内に溜まっていく。それを外に出せることもなく、今は批判を受け止めなければと、ただ叱責を聞く。
「ユリシーズ! 手を!」
手? と疑問が浮かぶ。ドロシーはユリシーズの返事を待たず、彼の手を取る。
「これからは、この状態で移動しましょう! こうしておけば、あの杖を使っても一緒に動けるわ!」
ドロシーはギュッとユリシーズの手を握る。ユリシーズはそれをぽかん、と見た。
ドロシーと手をつないで、ダンジョンを歩く?
それは現実的ではない提案に思えたが、ドロシーの目を見れば本気の色をしていた。
「ドロシー。これはさすがに」
「何?」
ドロシーの返事の勢いに圧を感じる。この状態はさすがに回避したいとユリシーズは頭をひねる。これがのどかな田舎道やにぎやかな街並みでなら、この状況も受け入れられる。だが、ここは危険を伴うダンジョンなのだ。互いに動きが制限されて、より一層危険が増すというものだ。
どうにも、彼女は頭に血が上ってしまって、合理性を欠いている。
「ドロシー。落ち着いてくれ」
「落ち着いてるわよ!」
「いい加減にしてください!」
大きな声で主張するドロシーの声に被せて大声を出したのは、ケントだった。
「それじゃあ、ユリシーズ様は逃げることすらできませんよ。ユリシーズ様をお守りしたいなら、その提案は下の下です!」
ケントの指摘は辛辣だった。
「ドロシー様は、ユリシーズ様を幼児か何かだと思ってるんですか? すでに成人されている一人前の男性ですよ⁉ この方の助けがあったとはいえ、ここまでダンジョンを踏破されてるんです!」
ケントの指摘はドロシーがユリシーズを頼りない男だと扱うことに異を唱えるものだった。
「いくら心配しているからって、一人の男性を何もできないさせない扱いをするのは不当です。端で見ていたって気持ちのいいもんじゃない! 少しはこの方の能をお認めになられては?」
ケントはユリシーズに同情的であった。ユリシーズの脳裏に、フーゴとした会話が思い起こされる。
嫌われをやるのは難しい。無能を数年単位でやるだけの胆力がいる……
わずかにだが、ユリシーズは後ろから撃たれた気分になった。
「……ごめんなさい」
ドロシーの声から勢いがなくなった。強く握られていた手は緩み、するっと解けた。
ドロシーを指摘していたケントがぐるっと向きを変えてユリシーズを見てきた。その眼付きの険しさにユリシーズは背筋を伸ばす。
「ユリシーズ様も、もっと強く反論してください。そんな優しい言い方じゃあ、誰も本気にしてくれませんよ! 不満ももっと小出しにするべきです! そんなだから、いきなり婚約破棄だなんて言い出すくらいに爆発するんでしょう!」
「あ、はい」
ユリシーズはケントの叱責に素直にうなずくのだった。
「そろそろ、いいですかー?」
デビーがのんびりと声をかけてくる。
「口論はその辺で終わってください。見てください、この扉」
デビーが目の前の扉を示す。
「明らかに大物が出るって感じの扉でしょう」
重厚で飾りのある大きな扉だった。明らかにただ事ではないことがこれから起きる。そう思わせる。
「開けまーす」
デビーは平然と、力を抜いた自然体のままでその扉を開けた。




