第4章 サヴァン症候群
第4章 サヴァン症候群
そしてその1ケ月後の事である。
だが、私の娘の田中綾が、実に、不思議な場面を見たと、この私に言ったのだ。
「お父さん、今日、とても不思議な事があったの。聞いてくれる?」
「何があったのや?」
「今日、私、お昼の時間に食堂で、お昼ご飯を食べに行こうと思って、小銭入れを持って教室で席を立ったら、運の悪い事に小銭入れのチャックが開いていて、小銭がバラバラとこぼれたのよ。で、しゃがんで小銭を集めたら、890円も拾ったし、この値段があれば、お昼のうどんぐらいは、食べれるから、まあいいか、と思って、給食室へ行こうとしたらね」
「で、綾ちゃんは、いくら持っていたか、知ってたんかい?」
「そんな、小銭の細かい金額まで知っている訳無いでしょう」
「そりゃ、そうだなあ」
「そしたら、神尾雄一奇術部部長が、私より数列、席が横に離れているのに、私の三列後ろの机の下に、あと50円玉が落ちているよ、って言うのよ。そんなとこ、見える筈も無いのに不思議だなあと思って、まあ、黙されたつもりで見てみたら、確かに50円玉は落ちていた。まるで超能力者のようにね、ズバリ、当たったのよ」
「それは、不思議な話だあ。人間に、超能力はあるとは、未だ証明されていないからね。お父さんも調べてみるよ」と、そう返事はしたものの、私にも答えが出ない。
そこで、内科・心療内科・神経科の看板を出している鈴木隆正医師に会って聞いてみた。
こう言う事は、あり得るのか、と。
鈴木医師は、
「うーん、これは難しい問題だなあ。確かに君の娘さんが言うように、それが、本当ならまるで超能力者のようだが、現在の医学や科学では、人間の超能力は証明されていない。ただし、唯一の可能性が無い事もないのだが……果たして、それが当てはまるのかどうかは、専門の大学教授クラスで無いと無理だろうねえ」
「そうか。そうだろうな。超能力者なんてこの世にはいないだろうからね」
「ところで、その不思議な能力を持っていたのは、誰なんだい?」
「ほら、私の家の隣に住んでいる、1年以上も前に交通事故に遭ってから、急激に成績が伸びた、あの神尾雄一君で、奇術部の部長でもあり、最近の『地獄の学園祭事件』でも随分、注目され調べられた人間だよ」
「ああ、そう言えば、君も前に聞いて来た事があったね。まあ、あの時は、私も、極ありきたりの回答をしたのだが」
「ですが、娘の綾が面白い事を言うんです」
「どう、言ったのだ」
「鈴木先生は知っておられるかどうかは分かりませんが、私の母方の祖父は、作家の故高木彬光氏の創作した名探偵の神津恭介のモデルでもあったので、娘自体も、名探偵気取りでしてね。
私は、名探偵の曾孫だといつも言っており、今回の『地獄の学園祭事件』事件の謎を解く、と言ってきかないのです」
「で?」
「もしかしたら、あれだけの予知力と言うか、超能力があるならば、『地獄の学園祭事件』の真犯人は、神尾雄一奇術部長かもしれない、と、こう言ったんです。
つまり、金属ピン2本の金属疲労がピークに達するように、ワザと何度も何度も練習を繰り返したのでは、とね……どうですか?」
「うーん、それだけでは、単なる偶然だなあ?もう、あと一つか二つ、似たような事が確認できれば、思い当たる事も無いのだが?しかし、今、私が、フト、思いついた病名は、生まれつきの頭脳の状態であって、交通事故で頭を打ったからと言って、突如、出現する事は医学界では報告されていないのだが……」
「先生は、何か、思い当たる事があるんですね」
「まあ、漠然とだがね」
「分かりました、娘に、もう少し調べさせます」
「それは、良いが、娘さん、来年、大学受験じゃないのかね?」
「大丈夫です。某国立大学に既に高校から推薦を貰っており、無試験で進学が確定していますから」
「そうか、それなら、神尾雄一奇術部長の調査もできるなあ……」
「ただし、この私でもどうしても理解出来ない事があります。仮に、娘の推理が合っていたとして、どうして恋人の上戸久美を殺す必要があったのでしょうか?その動機が分かりませんが」
「万一、私の感が当たれば、実は、相手は誰でも良かったのだよ」
「そうなんですか?」
この話を娘の綾にしたところ、即、食いついて来た。
「やはり私の推理にも一理あったのね。
謎は全て解けたのよ。
ひいじいちゃんの名にかけて、この秘密を解いてみせるわ!」
さて、世界史の授業も、高校3年2学期の終わり頃にさしかかっている。
担任の先生が、ナチス・ドイツ時代の話をしていた。話題は、アンネの日記から派生した、アウシュヴィッツ強制収容所の事に及んで、
「ところで、アウシュビッツ強制収容所には、通称「死の天使」と呼ばれた極悪人がいたそうですが?誰だったのです」と、生徒らに質問した。
「そこまでは、教科書に載っていない。確か、参考書には載っていた筈だが?」
すると、突然、神尾雄一が手を上げて、ポツリと、
「世界史の参考書の、332ページに詳しく載っていますよ」と、言ったと言うのだ。
如何に、頭が良くなったとは言え、教科書では無い、ただの参考書のページ数まで一発で当てられるのか?」
不思議に思って、私の娘の綾も、参考書のページを確認してみたところ、ビンゴである。更に、超人的な頭脳になっているではないか?
この前の、50円玉発見時とは、また、違った意味での能力である。ただ聞いた話では、18世紀のヨーロッパには、百科事典を全部、覚えていた人間もいたそうだが……。
早速、この話を鈴木隆正医師にしてみると、
「君は、江戸川乱歩賞受賞の推理小説の首藤瓜於著の『脳男』を読んだ事があるかね?」
「いや、生田斗真出演の映画『脳男』は、レンタルビデオで見た事がありますが」
「小説中では、ハッキリ書かれていないが、主人公の『脳男』は、自閉症スペクトラムの最も極端な例、サヴァン症候群でないかと類推される内容となっているのだ。
これが、その、症状の例だよ」
と、鈴木医師は、難しそうな医学書を私に取り出して見せてくれた。
何と、そのサヴァン症候群の例として、例えば、数十本入ったマッチ箱から、マッチが床に落ちた時に、瞬時に、落ちたマッチの本数を当てた例が載っていたのだ。
娘の綾が、50円玉を落として、遠く離れた距離から、ズバリ50円玉を当てのと凄く似ているではないか?」
「では、先生は、神尾雄一は、サヴァン症候群と言う訳ですか?」
「いや、そうとも言えない残念な事が一つある」
「それは」
「後天的影響で、サヴァン症候群になった例は医学的には一切報告されていないのだ。
先ほどの『脳男』でも、主人公は、既に、生まれて小さい時から、色々の実験材料にされているからなあ。
で、この前、交通事故に遭って運び込まれた病院に、私の後輩がいるので、こっそりと聞いて見ると、神尾雄一は左脳を強打しているのだが、最近の脳医学では、サヴァン症候群は、どうも左脳にその原因があるらしいのだ。
でも、生まれながらの、サヴァン症候群ではない。また、他人との意思疎通も如何なる障害も起きていない。つまり、通常知られているサヴァン症候群でも無いのだ。
映画、シン・ゴジラや、シン・エヴァンゲリオンにちなんで、シン・サヴァン症候群と私は名付けたのだが……」
「では、動機はどうなんです。何故、恋人の上戸久美を殺す必要があったのですか?」
「万一、シン・サヴァン症候群の仮説が当たっているとすれば、動機は全く関係無いのだ」
「どうしてです?」
「いわゆる、昨年の交通事故により良心が、全く欠如してしまったからだよ。つまり、誰を殺しても、一切の良心の呵責が起きないのだろう。だから、あの「地獄のギロチン」も作る事が出来たのだろうなあ……。
つまり、神尾雄一は、誰を殺しても良かったのだよ。
あの小説の『脳男』のようにね」