その七 宴のあと
「そなたは、マイヤール大王国の名門貴族にして、大陸一の資産家ダンドロ公爵家の長子なのだぞ。そなたと結婚し、ダンドロ公爵家と姻戚関係を結びたいと考えている者は、王家以外にもごまんといるはずだ。
そなたが知らないだけで、アンジェリア様の何倍、いや何十倍もの縁談が舞い込んでいるかもしれない。そなたも十五歳になったことだし、いずれはウォルト王子と結婚する身なのだということを知らしめるため、王家も動き出したのだろう。
ウォルト王子自身も、いろいろな意味でそなたに執着しているようだしな!」
「えーっ?! そんなにたくさんの縁談があるなら、ウォルト様なんか、なおさらお断りですよ~!」
お父様もお母様も何にも言ってくれないから、全然知らなかったわ!
大陸中から、縁談が押し寄せているなんて――。
えっ? ということは、もしかして――。
「あの……、つかぬ事をうかがいますが……、ライナルト様も、その……、わたしに結婚を申し込まれた方のお一人だったりしますか?」
「いや……、それはない……。わたしには……、すでに婚約者がいるので――」
「はあ、そうなのですか……」
ちょっと残念……、なんてね!
ライナルト王子の性格や趣味は知らないけど、わたしの名前を間違えないだけでも、ウォルト様よりはずっとましな気がする……。そうかあ、婚約者がいるのか……。
まあ、それは当然よね。確か、王族年鑑とかによると、ライナルト・マヌエル・ビンツス様って、今年二十歳ぐらいだったはずだもの。
「わたしはないが、もしかすると――、エグモントは、名乗りを上げているかもしれぬな」
「エグモントっていうのは、エグモント・ヨエル・ビンツス様。エーベル王国の第二王子ですね? ライナルト様の弟で、今年、確か十五歳になる……」
「そなたは、王族年鑑を丸覚えしているのか?!」
「必要に応じて――です。ダンドロ公爵家の当主にとって、姻戚関係にある家の情報は、非常に重要なものなのです。ですから、もっと細かいことも知っておりますよ。
エグモント様は、現在の王妃であるエドラ様のお子様で、亡くなられた前の王妃クリスティアーネ様のお子様であるライナルト様にとっては、腹違いの弟ということになりますよね?
兄弟仲は悪くない。ライナルト様は、すでに立太子の儀もすませ、それに異論を唱える家臣もいない。今うかがったところでは、すでに婚約者もおられる――、王家は安泰のはずですが?」
「うむ。安泰のはずだったな、少し前までは――」
安泰のはずだった? 少し前までは?
そのとき、ドアを叩く音とチェルシーの声が聞こえてきた。
どうやら、食事の片付けに来たらしい。
わたしは、ライナルト王子が使ったミニチュアの食器を、大急ぎで手巾に包んで、王子と一緒にポケットの中に押し込んだ。
何食わぬ顔でチェルシーを呼び入れ、食後のデザートをいただいていると、自然と今日、王宮で起きた騒動の話になった。
「びっくりしましたよ! 控えの間で、ほかのお屋敷の侍女たちと、お祝いのお菓子をいただきながらおしゃべりをしておりましたら、突然、侍従殿が駆け込んできて、お嬢様が倒れたから来てくれと言うのですもの――。
まあ、よく聞けば、お嬢様は、気分を悪くされて王子様が倒れられたのを見て、悲鳴を上げただけとわかり、安心したのでございますけどね。
でね、わたし、介抱しようとしてお嬢様に近づいたとき、あることに気づいてしまったんでございますよ――」
チェルシーは、片付けの手をとめて、わたしの方を見ると悪戯っぽく笑った。
「ほんの、ほんの微かにですが、例の『三色カビの灰色チーズ』の臭いがいたしました。お嬢様のドレスの襞に隠されたポケットの辺りから――。
濃厚な香水の香りに混じって、たぶん、嗅いだことがない者には、ぴんとこないぐらいのほのかなものでしたけど、間違いなくあのチーズの臭いがしていました。
王子様のように繊細な方が、突然あの臭いを嗅がされたら、間違いなく気絶するでしょうねぇ……」
「それで――、チェルシー、あなたは何が言いたいの?」
チェルシーは、わたしの問いには答えず、再びテーブルの片付けを始めた。
ようやく、全ての食器類をワゴンに移し、テーブルの上を拭き終わると、チェルシーはわたしの顔を真正面から見つめながら言った。
「お嬢様、わたしはこちらで働くようになって十年になります。お屋敷の皆様に良くしていただいて、いつも楽しく働いております。そればかりか、わたしがこちらに侍女として雇っていただけたことで、実家の靴屋の評判も上がり、両親も兄夫婦もたいそう感謝しています。
わたしは、お嬢様に、いずれは女公爵様となって、マイヤール大王国を陰から牛耳っていただきたいと思っているのです。お嬢様は、そういう器のお方ですからね。
王子様は、お嬢様のお力を恐れ、ご自分のお妃にして王宮の奥に閉じ込め、この国を自分の思い通りに動かそうと考えていらっしゃるに違いありません。
お嬢様、どうか、マイヤール大王国の明るい未来のために、どんな手を使っても、王子様の求婚をはねのけてくださいませ!
わたしは、そのためなら、どんなご命令にでも従います。『三色カビの灰色チーズ』を王子様の鼻の穴に詰めろと言われたら、命をかけてやり遂げます。ですから、お願いです! ご自身に危険が及ぶようなことは、どうぞお止めになってください!」
「チェルシー……」
チェルシーは真摯な目をして、わたしにひしと抱きついた。
ありがとう、チェルシー……。でも、わたし、別にウォルト様の鼻の穴に、「三色カビの灰色チーズ」を詰めてなんかいないし、ウォルト様が倒れる原因を作ったのも、わたし以外の人なのだけどね――。
ライナルト様! ポケットを揺すって笑い転げるのはやめてください! チェルシーに気づかれちゃいますよ!
わたしは、寝室に、就寝前に飲む薬草茶の支度をしておくようチェルシーに頼み、一人で浴室へ向かった。
浴室には、すでにアリーが、拭き布や夜着の準備をして待っていた。
「アリー、ちょっと待っていて! ポケットの中の雑記帳を寝室に置いてくるから」
わたしはそう言って、寝室につながる扉を開けて、一度浴室を出た。
手巾に包んだ物とライナルト王子をポケットから取り出して、そっと枕の下に隠した。
「ちょっとの間、我慢しくださいね。後で、ライナルト様にも湯船を用意いたしますわ」
「わかった、待っておる――。湯船かぁ……、楽しみだな」
わたしは、浴室に戻り、窮屈なドレスを大胆に脱ぎ捨てた。
ようやく、強烈な香水の香りからも解放されたわ!
脱いだドレスを片付けながら、アリーが、ちょっとしかめっ面をしているのは、香水の強い香りのせいよね?
さすがに、「三色カビの灰色チーズ」の臭いも、もう消えた……と思うわ。
「お嬢様! 雑記帳を入れるポケットなのですから、カメムシとか食べかけの干し肉とか屋敷森でつんだ変なキノコとか、絶対に入れないでくださいね!」
ふ~ん……、そういう臭いがしているのね……。
と言うか……、公爵令嬢がドレスのポケットにそんなもの入れませんてば!
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