その六 銀鏡の乙女の力
「わたしたちは、闇色の魔法に対抗するために、『三色カビの灰色チーズ』を手に入れなければなりません!」
「へっ?!」
わたしの言葉に、すぐさま反応したチェルシーは、露骨に嫌な顔をした。
あの強烈な臭いを思い出させちゃったわね、ごめんなさい!
「エドラ王妃のことですもの、リーヌスがニーランデル島に逃げてしまったことぐらい、闇色の魔法を遣って、すぐに突き止めたと思うのです。
だとしたら、わたしをウォルト様と結婚させようとしたときと同じように、夢を通して脅しをかけたり怖がらせたりして、秘密を知ったリーヌスを帰国させるはずでしょう?
でも、エドラ王妃は、そうしなかった――。いや、したくてもできなかった――」
わたしが、そこまで話すと、ニヤリと笑いながらハーマン先生が言った。
「リーヌスが、チーズ倉に住み込んでいたからですね。倉の中には、おそらく『三色カビの灰色チーズ』もたくさん貯蔵されているのでしょう。それで、王妃様はリーヌスの夢に忍び込むことができなかったわけです」
「先生、なぜ、エドラ王妃は、『三色カビの灰色チーズ』の臭いを、それほど嫌うのですか? まあ、あの臭いが好きだという人は、あまりいないとは思いますが――」
「書物によれば、闇色の魔法を編み出したグルージャの人々は、牧畜とは無縁な暮らしを続けていました。臭いを嫌って、牛や山羊の乳を飲むこともなかったそうです。
王妃様に憑依、いや転生したのは、おそらくそういう者の一人でしょう。だから、『三色カビの灰色チーズ』の臭いが染みついたウォルト様やリーヌスには、魔力を及ぼすことができなかったのではないでしょうか?」
わたしたちの話をきょとんとした顔で聞いていたリーヌスは、慌てて自分のマントの裾やフードの臭いをかぎ始めた。
その様子を見て、テーブルの上のライナルト王子が、楽しそうに笑った。
久しぶりに耳にする、明るく屈託のない笑い声だった。
その声を聞くと、わたしも何だか勇気が湧いてきた。エドラ王妃になんか負けるものですか! 必ず、ライナルト王子の呪いを解いてみせるわよ!
「まずは、『三色カビの灰色チーズ』を使って、島を守る香りの壁を作り、闇色の魔法を完全に退けましょう。つきましては、ジェルヴェーズ様、わたしにあなたのお力を貸していただけますか?」
「もちろんですわ、先生。島のチーズ倉にある『三色カビの灰色チーズ』は、一つ残らず先生に提供いたします。足りなければ、王都にある商会の倉庫のチーズも運んできましょう。人手が必要でしたら、家臣達をお使いください。マルセルに頼めば、もっとたくさんの人間を集めることもできますわ」
マルセルやフレッド達三人が、真剣な表情で力強くうなずいた。
チェルシーは、いつの間にか取り出した手巾で、しっかり鼻を押さえていた。
「ありがとうございます。公爵家のお力はもちろんですが、何よりもジェルヴェーズ様自身のお力が必要なのです」
「どういうことでしょう?」
先生は、ライナルト王子の方をちらりと見てから、小さな声で遠慮がちに言った。
「わたしは、灰色の魔法の遣い手です。最大限の魔力を発動するためには、ぜひ『銀鏡の乙女』の秘めたる力をお借りしたいのです。」
「ええっ?!」
わたしだけでなく、ライナルト王子までもが驚きの声を上げた。
わたしは、ライナルト王子の婚約者になる「銀鏡の乙女」なんじゃないの?!
ほかの灰色の魔法の遣い手に、力を貸すことなんてできるの?!
いや、もしかして、ライナルト王子じゃなくて、ハーマン先生の婚約者になれってことかしら? まあ、この世界を救うためには、それしかないと言うのなら……。
「あっ……、すみません。言葉が足りませんでした。ジェルヴェーズ様が、わたしの婚約者になるとかそういうことではありません……。魔法の効果を高めるお手伝いをしていただくだけです。たぶん、わたしの魔法が上手く働くように、祈っていただければ十分だと思うのですが――」
ああ、驚いた……。思わず「はぁっ」と、大きな溜息をついてしまった……。
わたしの溜息に、ライナルト様の小さな溜息が重なった。
ハーマン先生が、申し訳なさそうな顔で話を続けた。
「長らく生きて参りましたが、初めて出会った『銀鏡の乙女』が、ジェルヴェーズ様なのです。どのような効果があるのかわかりませんが、わたしの魔法が思いどおり働くように願いを込め、わたしのそばで祈っていてください」
「わかりましたわ、先生! 全力でお手伝いさせていただきます! この世界のために、そしてライナルト様のために!」
ハーマン先生はヨッヘムを連れて、マルセルやリーヌスと共にチーズ倉へ向かった。倉に貯蔵してある「三色カビの灰色チーズ」の発酵具合を確かめると言っていた。
わたしは、ライナルト王子をポケットに戻し、宿の裏に止めておいた馬車で、フレッド達と一緒に準備のために別邸へ戻った。
小半時後、わたしたちは服装を整えチーズ倉の入り口に集合した。
* * *
全員が、髪も顔も布で覆いかろうじて目だけが見えるという、誰が誰やらよくわからない格好で、チーズ倉の前に並んでいた。
わたしのポケットの中にいるライナルト王子も、小さな布で鼻と口元は覆っている。
「『さんしょくかびどはいいろちいず』は、しっかりはっこうがすすんでいばした。りょうぼじゅうぶんでふ。ここどだかでぃわでぃ、ばほうじんをかいておきばした。そこでぃ、ちいずをだらべてください」
<訳・『三色カビの灰色チーズ』は、しっかり発酵が進んでいました。量も十分です。ここの中庭に、魔方陣を描いておきました。そこに、チーズを並べてください>
鼻を押さえているために、今ひとつわかりにくい先生の指示を何とか聞き取り、みんなで息を止めながら、交代でチーズを倉から運び出した。
中庭は建物で囲まれているので、外へ漏れ出す臭いはわずかだと思うが、これだけ並べれば、誰かが臭いに気づくかもしれない。急がなくちゃ!
わたしたちは、無言で(当然だけど!)一生懸命チーズを並べた。
「ありがとうございばした。これでじゅんびはととどいばした。じぇるう゛ぇーずさば、ばほうじんどばんだかでぃきてください。わたしのかたでぃてをどせて、わたしのばほうがただしくはつどうすることをひたすらいどってください。ほかのびださんは、ばほうじんからはだれてびばぼっていてください」
<訳・ありがとうございました。これで準備は整いました。ジェルヴェーズ様、魔方陣の真ん中に来てください。わたしの肩に手を載せて、わたしの魔法が正しく発動することをひたすら祈ってください。ほかの皆さんは、魔方陣から離れて見守っていてください」
わたしは、魔方陣の中に踏み込み、ひざまずいている先生の前に立った。
そして、両手を伸ばし、先生の肩の上に置いた。
先生は、右手を胸に当て何事かを念じながら、左手を陣の中央の地面に押し当てた。見る間に、魔方陣とそこに置かれたチーズが輝きだした。
溢れ出た光は、巨大な竜巻となってわたしたちを包み込んだ。
先生の体から溢れ出た魔力が、指先からわたしの体の中に入り、体の中を駆け巡りながらさらに大きな力となって、光の竜巻に吸い込まれていった。
竜巻はどんどん勢いを増し、天へと伸び上がっていく。
気が遠くなりそうになるわたしを、ポケットの中のライナルト王子が励ましてくれていた。
(ジェルヴェーズ! ひたすら祈り続けるんだ! 魔力の高まりを恐れるな!)
わたしは、その言葉にうなずきながら、懸命にこの世界の安寧を祈った。
竜巻がふくれあがり、中に溜まっていた魔力が勢いよく外へ飛び出した。
魔力が作った臭いの膜が、島全体を覆う様子が目に浮かんだ。
それでも、まだまだ魔力の勢いは止まず、膜は大陸へと伸び広がっていった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
予定通り完結しそうですが、どんどん恋愛風味は薄くなり……。
ラストスパートで、何とか盛り返せるよう頑張ります。




