その四 宿屋の食堂にて
ハーマン先生の魔法は、考えていたよりもずっと簡単でさりげないものだった。
先生は、右手を手袋に左手を化粧箱に置き、目を閉じて呪文を唱えた。
先生の手から流れ出した何かが、それぞれの内に溜まり、やがて手袋と化粧箱は眩しく発光した。
その光が弱まり消えると、ハーマン先生は瞼を開け静かに言った。
「これで、二つの品は繋がりました。どこに運ぼうと、それぞれが出入り口となり、手袋と化粧箱の間を、誰でも移動することができます。
ただし、エーベル王国内でこれを使うのは、今は危険な気がします。王妃様の闇色の魔法が、どのような影響を与えるかわかりませんので――」
「ヨッヘムをエーベル王国へ直接飛ばせないのは、そのためですか?」
「ええ。エーベル王国の魔法は、白色も黒色もエーベル王国の繁栄と安全を目的として遣われるものです。だから、王国を離れてしまうと、遣い手の魔力は弱まると考えられています。
ご存じのように、灰色は個人的な目的で遣われる特殊な魔法ですから、エーベル王国を離れることで、魔力が弱まる恐れはありません。
しかし、闇色は、まだ魔法の正体がはっきりしません。どこまでどんな力を及ぼすことができるのか――、残念ながら、わたしにもよくわからないのです」
話を続けながら先生は、布鞄から取り出した、小さな布袋に手袋を入れた。
そして、布袋の口に通してある細い革紐を、ヨッヘムの首に掛けた。
「あとは、公爵様の書状を入れれば準備は整います。明日の夜明けまでには、ヨッヘムは、ニーランデル島に到着できるでしょう。おおっ! ようやくライナルト様がお目覚めになったようだ!」
ピンクッションにもたれかかっていたライナルト王子が、小さな呻き声を漏らして、ゆっくりと目を開いた。
王子は、わたしの部屋に戻ってきていたことがわからず、一瞬戸惑った顔をしたが、怪鳥になってしまったヨッヘムに気づくと、勢いよく起き上がり叫んだ。
「ヨッヘム……、お、おまえ、どうしてその姿に?!」
先生が、わたしたちの計画について話すと、ライナルト王子は、ヨッヘムに乗って自分もニーランデル島へ渡りたいと言い出した。
先生は、すぐさまライナルト王子の申し出を断った。
「お気持ちはわかりますが、ライナルト様を同行するというのは危険過ぎます。夜の飛行になりますし、かなりの速さで移動しますので――。どうかこちらのお邸で、おとなしくヨッヘムからの連絡をお待ちになってください」
ライナルト王子は、何か言いたそうに口を動かしていたが、しばらくするとあきらめがついたのか、悔しそうにハーマン先生に言った。
「残念ですが、確かに先生がおっしゃるとおりです……。ついに、この小さな体が役立つときが来たかと思ったのですが……」
「ライナルト様がいくら小さくても、乗せて飛ぶとなれば、この大きさのヨッヘムには、けっこうな負担になります。人目に付かぬように素早く飛んでいくためには、少しでも身軽な方が良いのです」
そうです、そうです、と言うように、ヨッヘムが何度も首を縦に振った。
やがて、ノックの音がして、書状を手にしたお父様が、モーリッツを連れて戻ってきた。
ちょっと気味悪そうにしながら、モーリッツは、ヨッヘムの首から下がった布袋に折りたたんだ書状を入れた。
「それでは、ヨッヘム、頼んだよ! ニーランデル島に着いたら、人の姿になって公爵様の別邸を訪ね書状を届けるのだ。あとは、あちらの家令殿の指示に従えばよい。わかったな?」
「ゲウオォォォ―ッ!」
先生の問いかけに、奇声を上げて答えると、モーリッツが開け放った窓から、ヨッヘムは勢いよく飛び立っていった。
小さな黒い鳥影は、あっという間に点になり、暮れ始めた空の彼方に消えてしまった。
お父様は、モーリッツに命じて、化粧箱を逗留客用の部屋へ運ばせた。
そして、ハーマン先生とライナルト王子にも、その部屋を使って欲しいと言った。
どんなに小さくても、男の人を娘の部屋に泊まらせるわけにはいかないってことね。
まあ、すでにライナルト王子は、わたしの寝室に何泊かしているのだけど、訊かれないから、それは秘密!
どうやら、お父様は、本気でエーベル王国の問題に首を突っ込むことにしたらしい。
大王国の公爵としての矜持は、寛容でおおらかなお父様にもないわけではない。
ハーマン先生の魔法の出入り口を知って、商売に利用できそうだとでも考えたのかしら? それも、否定できないけれどね――。
「さあ、では、まずは晩餐です。食事の前に家臣たちを集めて、わたしからお二人のことを紹介しましょう。妻も家臣たちも飲み込みが早いので、ライナルト様や先生に必要なことを思いついて、すぐにも動き出すでしょう。何も心配はいりません」
お父様の言葉を受けて、モーリッツは、挨拶をして(そこらへんは、急いでいてもおろそかにしないのよね!)、慌ただしく部屋を出ると、家臣を集めに行った。
そして、邸にいた全ての家臣と、お母様や妹たちが晩餐室に集められ、我が家の賓客として、ライナルト王子とハーマン先生が、お父様から紹介された。
もちろん、彼らがここにいることになったいきさつも簡単に説明された。
初めて彼らを見た者は、絶対に驚いていると思うのだけど、誰も声を上げない。
モーリッツに睨まれて、摘まみ出されたくはないものね――。
こうして、わたしのポケットの中の秘密は、ダンドロ公爵家全体の秘密になった。
そして、わたしたちは、ヨッヘムからの連絡を待って眠れない一夜を過ごした……。
* * *
今、わたしは、再びポケットの中にライナルト王子を隠し、ハーマン先生やフレッド達と一緒に、大陸からの観光客を装い、ニーランデル島の宿屋の食堂にいる。
今朝方、手袋を使って、別邸の若い下僕が、化粧箱から飛び出してきた。
ヨッヘムが無事に別邸に到着し、お父様の書状が、家令のジョエルの手に渡ったことを伝えに来たのだった。
わたしたちは、下僕と一緒に化粧箱を使って、急いで島の別邸にやって来た。
書状を読んだジョエルは、船着き場の案内所兼口入れ屋で所長を務めるマルセル(もちろん、うちの家臣!)に、最近エーベル王国からの船で島へ来た人物で、気になる者がいないか問い合わせてくれたそうだ。
マルセルには、思い当たる人物がいたようで、その人物を連れてヨッヘムと一緒に、この食堂に来ることになっている。
みんなで朝食をとりながら、マルセル達が来るのを待っていると、食堂の扉をきしませて三人連れの男達が入ってきた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
やっぱり、「ファンタジー」だったなあ、これは――と思う今日この頃です。
どこまでいっても、恋愛風味は薄味です……。




