その七 最も良い出口
「うわぁっ!」
「きゃああぁぁーっ!」
わたしは、ふんわりした物の上に、ドスンと腰から着地した。
急いで左手を広げてみると、ライナルト王子が顔をしかめながら、手のひらの上でもそもそと動いた。
良かった……、王子を握りつぶしたり、洞窟内に放り投げたりしてなくて……。
ええっと、ここはどこかしら? わたしの体を受け止めている、このふわふわっとしたものは……。
毛足の長い黒い敷物? 敷物じゃないわね、しっかりした弾力があるもの……。
右の方には、さらにふかふかしたものがついていて、先の方の毛は白くて……。
「ひゃああぁぁーっ!」
わたしは、寝そべった大きなクロギツネの背に、どっかりと腰を下ろしていた。
慌てて立ち上がり、パッと飛び退くと、首を振り振りクロギツネが起き上がった。
「ああ驚いた! 突然、ものすごい勢いで飛び出してくるから、思わず素に戻って受け止めてしまったじゃないですか……」
人の言葉で愚痴をこぼしながら、その場でくるりと一回転すると、クロギツネはたちまち黒い髪の若者に変身した。
そして、おもむろにわたしの前でひざまずくと、金色の瞳をきらきらと輝かせながら挨拶した。
「失礼いたしました。お怪我はありませんか? ええっと……、ジェルヴェーズ様、ですよね? お目にかかれて光栄です、ヨッヘムと申します!」
これが、ヨッヘム――。
ライナルト王子が話していた通り、人の姿になっても、尾だけはそのまま残されていて、今もゆっくりと揺れながら床を撫でている。
良かった! 思った通り、あの小箱は、魔法の力でわたしたちをハーマン先生のもとへ運んでくれたんだわ!
ヨッヘムの後ろには、草花の綿毛のようにほわほわとした灰色の髪に、丸い瓶底のような眼鏡を載せた小柄な男の人が、小鳥の巣箱を抱えて立っていた。
この人が、ハーマン先生――。
もしかして、あの巣箱が、こちら側の「出入り口」なのかしら?
「は、初めまして……。マイヤール大王国より参りました、ダンドロ公爵家の娘、ジェルヴェーズ・ニコレット・ダンドロと申します。
ヨッヘムさん、ハーマン先生、お、お二人のことは、ライナルト様から伺っております。どうぞ、よろしくお願いいたします」
「ようこそおいでくださりました、ジェルヴェーズ様! 灰色の魔法の遣い手、ルトガー・ハーマンと申します。
そして――、ご無事で何よりです、ライナルト様! ずっと、ずっと、あなたの身を案じておりました……。こ、このようなお姿になられて……」
ハーマン先生は、少し目を潤ませながら、わたしの左手からライナルト王子を受け取り、テーブルの上に置かれたビロードのピンクッションにそっと座らせた。
ライナルト王子は、ちょっと照れくさそうな顔になり、ハーマン先生に言った。
「大げさですよ、ハーマン先生。会えなかったのは、ほんの五日ほどの間ではありませんか。確かに――、わたしはこんな姿にされ、どういうわけかマイヤール大王国まで運ばれてしまいました」
ライナルト王子は、西の塔でのエグモント王子やエドラ王妃とのやりとりを、ハーマン先生に詳しく話した。
先生は、エドラ王妃の言動について聞いても、特に驚く様子はなかった。
やはり、こうなることをある程度予測していて、準備をしていたようだ。
「恐ろしい目に遭いましたが、このジェルヴェーズ嬢と出会えたおかげで、なんの不自由もなく過ごせましたし、こうして先生やヨッヘムとも再会することができました。
わたしはなぜ、彼女のポケットへ運ばれたのでしょうか? まさか、偶然ということはありませんよね?」
先生は、テーブルに巣箱を置き、わたしに椅子を勧めると、自分は安楽椅子に腰を下ろした。
ヨッヘムは、「お茶の支度をします」と先生に断って、部屋を出て行った。
「ライナルト様、詳しいことをお伝えせずにいて、申し訳ありませんでした。こんなにも早く、王妃様が動き出すとは思ってもいなかったものですから――。
エグモント様からお話を伺い、二人で万が一に備えていたのが功を奏し、間一髪あなたを逃すことができました。もし、何もしていなかったら、わたしたちは、もう二度と会うことができなかったかもしれません」
「やはり、エグモントは先生と通じていたのですね。わたしが押し込まれた袋も、先生が用意されたのですか?」
「はい。計画では、あの袋を離宮とつなげるつもりでした。しかし、その機会を得ぬうちに、今回のようなことになってしまったのです。エグモント様は、ぎりぎりのところで、自分の白色の魔法で用意できる最も良い出口を袋につなげたのです」
「最も良い出口――ですか?」
最も良い出口? それが、わたしのドレスのポケット――ってどういうこと?
ライナルト王子も、訳がわからないという顔で、わたしの方を見た。
「おそらく、ライナルト様を袋に入れた後、エグモント様は、袋にこう命じたのでしょう。『この世界の平和を守るために、兄上を最良の場所へ導け!』と――。
エグモント様の魔法は、国を富ませ、平和を築き、人々を明るい未来へ導く白色の魔法です。正しく魔法が働いたのなら、ライナルト様は、自分にとって、この世界で最も安全で、希望がある場所へ案内されたと思うのですが、いかがでしょうか?」
ハーマン先生は、そう言うと、ライナルト王子とわたしに穏やかな笑顔を向けた。
わたしのドレスのポケットが、ライナルト王子にとって、この世界で最も安全で希望がある場所だったというの――。
そんなことは……、だって、わたしときたら……。
「先生、残念ですが、白色の魔法は……、正しく働かなかったのかもしれませんわ」
「ジェルヴェーズ様、それは、どういうことですか?」
「それは……、何も知らなかったとはいえ、わたしは、突然ドレスのポケットに現われたライナルト様を、妖精ではないからと屑入れに捨てようとしたり、ウォルト様の婚約宣言を阻止する企みに巻き込んだりしてしまったのですもの。
不安と絶望を抱えていらしたライナルト様に、さんざん失礼なことをして――」
わたしの言葉を遮るように、ライナルト王子の明るい笑い声が部屋に響き渡った。
「ハハハッ! そんなことはない、ジェルヴェーズ! わたしは、そなたのもとに来て、ちんまりした島国にいてはわからなかったであろう、大陸一の資産家の真の力を、この目で見この耳で聞き知ることができた――。
そして、マイヤール大王国を陰から支えるダンドロ公爵家の後継者であるそなたと、知己になることができたのだ。それに、そなたはわたしの呪いを解いて、エーベル王国へ帰れるよう力を貸すと言ってくれたではないか。どれほど、心強く思ったか――。
先生、これ以上良い出口があったとは思えません! エグモントの白色の魔法は、正しく働き、間違いなくわたしを救ってくれました」
そう語るライナルト王子の小さな体は、見たこともない神秘的な光に包まれて、きらきらと妖しく輝いていた。
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