その五 託された小箱
「男は、その箱の中から現われたようだった。まあ、夢の中での話なのだが……」
ウォルト様はそう言って、テーブルの上の小箱を指さした。
箱の表面には、螺鈿細工が施され、小さな真珠がちりばめられていた。
小ぶりだが、とても手の込んだ造りで、たいそう高価な品物のように見えた。
「わたしの誕生日を祝って、ちんまりした島国……、あ、いや、エーベル王国の王家から贈られたものだ。螺鈿細工には、特産の夜煌貝が使われていて、暗い部屋の中でうっすら金色に光る。なかなか貴重な物だそうだ」
「ああ、それなら――、我が家にも同じような細工の飾り棚がございますわ。亡きお婆様からわたしに譲られた化粧箱にも、夜煌貝が使われていたような――。どちらも、エーベル王国に嫁がれたアンジェリア様から贈られた物だそうです」
「や、夜煌貝の……飾り棚に、化粧箱……、そ、そうか……、さ、さすが、ダンドロ公爵家だな……、ふ、ふう~」
ウォルト様は、大きく息を吐き出すと、天井を見上げながらソファに寄りかかった。
暗闇の中で星を撒いたように輝く巨大な飾り棚や、小さな引き出しの一つ一つにまで細工を施した化粧箱を想像しているのだろう……。
ウフフフ……、実物は、あなたの想像を超えてますよ!
しばらくの間、ウォルト様は、ぼうっとしていたが、ようやく話の途中だったことを思い出したようで、わたしが欠伸を一つかみ殺したとき、ガバッと身を起こした。
「そ、それで、そ、その小箱なのだが……、そ、そなたに託すことにした!」
「えっ?! なぜ、わたしに? それは、エーベル王国からの贈り物ですよね?」
「そうだ、大切な贈り物だ。だがな、夢に現われたローブの男は、こう言ったのだ。
『ダンドロ公爵家のジェルヴェーズ様に、この小箱をお預けください。さすれば、あなた様がジェルヴェーズ様と結婚されなくとも、王家もこの国も滅びることはございません。あなた様も路頭に迷うことはありません!なんびとも、マイヤール大王国に仇なすことはできません!』と――。だ・か・ら……、そなたにこれを託―す!」
またまた宣言されちゃいました!
今回は、「婚約」ではなくて、「この件依託」宣言!
言い終わると、再びウォルト様は、ソファに思い切り寄りかかった。
伝えるべきことを無事に伝え終えたせいか、とても満足そうな顔をしていた。
わたしが、「承知いたしました!」と言って、小箱を持って退出するのを待っている感じ――。
「ウォルト様、夢でわたしとの結婚をウォルト様に命じた黒い服の女は、本当にもう二度と現われないのでしょうか?」
「少なくとも、あれ以来夢を見てもいないし、女にも会ってはいない。それに、灰色のローブの男が、『あなた様を悩ませていた女は、三色カビの灰色チーズの臭いが苦手なのです。あの臭いを恐れて、もう現われることはないと思いますが、もしまた現われたら、この小瓶の蓋をお開けなさい』と言って、小さな瓶を一つ置いていった。小瓶には、わたしの鼻に貼り付いた臭いのもととなる物が入っているらしい。
夢の中での出来事なのに、なぜか朝目覚めると枕元に小瓶があったのだ。不思議なことだよな。小瓶は、今も寝室にある。取ってこさせようか? そなたも臭いを嗅いでみるか?」
「えっ?! いえっ、結構です!」
「三色カビの灰色チーズ」の臭いなんて、こんなところで嗅ぎたくないわ!
それにしても、ウォルト様ったら、王子としてあまりに無防備よね。
普通は、本当に小瓶があった時点で、灰色のローブの男は夢ではなくて、本当に寝室に現われたのだと考えると思うのだけど――。
わたしは、ウォルト様に挨拶し、急いで小箱を受け取り退出した。
控えの間で待っていたチェルシーに小箱を渡すと、不思議そうな顔をした。
「まあ、素敵な螺鈿細工の箱だこと! お嬢様、断罪されるどころか、贈り物をいただいてしまったのですか? どういうことでしょう?」
「わたしにもよくわからないわ! ただ、もう二度とウォルト様は、わたしに婚約を迫らないということだけは確かなようよ。そんな感じのことを仰っていたから――」
「ウフフ……、ようやくウォルト様も、お嬢様は凡庸な自分が御することのできる相手ではないと、おわかりになったのですね! これは、いままでお嬢様を悩ませてきたことへの、お詫びのお品でしょうか? もしかして、この箱の中に――」
チェルシーが、箱を包んでいた布を取りのけ、箱を開けてみようとしていた。
「だめよ、チェルシー! その小箱を開けないで!」
わたしの叫びに驚いて、チェルシーは手を止めた。
わたしは、チェルシーの手から小箱を取りかえし、布にくるみ直して抱えた。
「ウォルト様を疑うわけではないけれど、何か仕掛けがあるかもしれないわ。え~っと、例えば、びっくり箱のような――ね。まずは屋敷に戻り、お父様のお帰りを待って、この小箱の扱いをご相談することにしましょう」
わたしたちは、ウォルト様が用意してくださった馬車に乗り込んだ。
わたしのポケットの中で、すべての話を聞いていたはずのライナルト王子は、馬車に揺られている間も、身動きせずじっとしていた。
* * *
屋敷では、いつものようにフレッドとネリーが出迎えてくれた。
二人とも、飛びつかんばかりの勢いで、馬車から降りるわたしに駆け寄ってきた。
「お嬢様、お帰りなさいませ! ご無事に戻られて安心いたしました!」
「旦那様も、すでにお戻りでございます! チェルシー、お務めご苦労であった!」
二人とも、うっすら涙ぐんでいる――。
危険物扱いされて、小箱を奪い取られては困るので、わたしは包みをしっかり抱え、二人をねぎらいながら屋敷の玄関へ向かった。
筆頭家令のモーリッツが、お父様が待つ居間へ、わたしを案内した。
妹たちは、お母様や侍女たちから、刺繍の手ほどきを受けているそうだ。
わたしがお父様とゆっくりお話できるよう、お母様が考えてくださったらしい。
チェルシーも、アリーやフレッドと一緒に、家臣たちの休憩室へ引き上げた。
居間では、すでにお父様がお茶を召し上がっていらして、わたしが椅子に腰を下ろすと、モーリッツがすぐにわたしの分を用意してくれた。
そして、それがすむとモーリッツも素早く退出し、お父様とわたしは二人きりになった。
「さて、ジェルヴェーズ。ウォルト様のご用件は、どのようなものだったのかな? おまえが大事そうに抱えているその包みの中身は何かな? まさか、マイヤール大王国の存亡に関わるような重要な品物ではないだろうね――。
フフフ……まあ、よい。まずは、お茶をゆっくり味わいなさい。メルセンヌ地方の丘陵地で収穫した最高級の新茶だよ。今年も、相当な高値で取引されるだろうね」
口元に笑みを浮かべ、優しくわたしに語りかけるお父様――。
でも、わたしとよく似た減紫色の瞳がけっして笑っていないことに、わたしはとっくに気づいていた……。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
第三章も残り半分。よろしくお願いいたします。




