その四 夜ごとの悪夢
「ウォルト様からのお召し――、ですか?」
「ああ、そうだよ。誕生日の宴でお倒れになって、その日は、何も喉を通らぬほど弱っておられたようだが、今はすっかり回復されたとのことだ。
とにかく、一刻も早く伝えたいことがあると仰って、おまえを待っておられるそうだ。先ほど訪ねてきた使いの侍従が申していた」
「いったい、何をお伝えになりたいのでしょうか?」
「わからぬ。昼過ぎにはお迎えの馬車がくるそうだから、きちんと準備をしておきなさい。お見舞いの花束は、すでに頼んであるから忘れずに持って行くのだよ」
「わかりましたわ、お父様」
わたしは、お母様や家臣たちと一緒に、王宮へ出仕されるお父様を見送った。
「三色カビの灰色チーズ」の臭いの威力は、相当なものね。
ライナルト王子が、臭いを含んだつむじ風を的確に命中させたということかしら?
あの臭いが鼻にこびりついてしまっては、確かに何も口にしたくなくなるわよね。
「お嬢様、まずは、わたしの親戚がいるメルセンヌ地方へ逃れましょう!」
「とりあえず必要なものは、荷箱にまとめてございます!」
「馬の手綱をとるのは十年ぶりですが、フレッドが御者を務めますぞ!」
自室へ戻ると、いつもの三人がすでに旅支度をすませて待っていた。
へっ? どうしてわたしが、こんなに大きな荷箱と一緒に、フレッドが御する危うげな馬車に乗って、とんでもない田舎のメルセンヌ地方まで行かなくちゃならないの?
ま、ま、ま、まさか――。
「わたしは、何があろうとお嬢様について参ります。処刑台だろうが地獄だろうが!」
「メルセンヌ地方には、ダンドロ家とゆかりのある修道院もございます。そちらに駆け込み、王家に対し恭順の意をお示しになるのが得策かと――」
「最後はフレッドが盾となり、お嬢様を捕縛者の手から必ずお逃がし申す!」
どういう話し合いがあったのかはわからないけれど、わたしが罪を犯して、そのために王宮へ呼び出された――、ということになったらしい、三人の間では……。
たぶんチェルシーが、「三色カビの灰色チーズ」のことを二人に話して、わたしがチーズをウォルト様の鼻の穴に押し込み、ウォルト様を気絶させたという推論を披露したのだろう。もう! そこまではやっていませんってば!
「三人とも落ち着きなさい! わたしは、王家から罪に問われるような真似はしていません……、たぶん……。だから、慌てて逃げ出す必要はないの! ウォルト様からのお召しは、何か違うご用件だと思うわ」
「お、お嬢様、で、でも、あのチーズの臭いは――」
「しっ、しぃーっ! 余計なことは言わないで、チェルシー! 言ったでしょ! あれは、屋敷森でヘビ避けに使っただけよ、それだけ!」
チェルシーを黙らせ、残りの二人に荷箱を片付けるように言い、わたしは三人を急いで部屋から追い出した。
さっきから、ドレスのポケットがもぞもぞと動いている。
案の定、扉を閉めてソファに腰を下ろすと、ライナルト王子が笑いながらポケットから出てきた。
「フフフ……、そなたの家臣たちは、ずいぶんと手際が良いな! わたしも、もし機会があれば、あの者たちのように、ひたすら尽くしてくれる家臣を召し抱えよう!」
「あるじ思いなのは確かなのですけれど、ちょっと思い込みが激しいというか、面倒くさいというか……。そんなことより、ライナルト様、これでうまくすれば、ウォルト様の真意を確認することができそうですね!」
「ああ、今回の呼び出しも婚約宣言のためかもしれないが、とりあえずその前に、ウォルト王子の考えを上手く聞き出すことだな――」
慎ましやかな印象の少し暗い青色のドレスに着替え、ポケットにライナルト王子を忍ばせ、わたしは王宮へ向かう準備を整えた。
そして、花束を抱えたチェルシーを引き連れ、お迎えの馬車に乗り込んだ。
* * *
王宮へ到着すると、ウォルト様付きの侍従が、小さな客間へ案内してくれた。
そこは、薄い緑色を基調とした落ち着いた雰囲気の部屋で、窓の外では若葉に包まれた木々が揺れていた。
しばらくすると、侍従と共にひっそりとウォルト様が現われた。
「ジェルヴェーズ……、今日は、よく来てくれた。どうしても、そなたに伝えておきたいことがあって、そなたの都合も聞かず呼び出してしまった。許してくれ」
あら? きょうのウォルト様ったら、わたしの名前も間違えないし、なんだか落ち着いている感じだわ。「おまえ」じゃなくて、「そなた」だし――。
どうしたのかしら?
「ウォルト様、体調はもうよろしいのですか?」
「ああ、心配ない。誕生祝いの宴の日に、そなたが渡してくれた花束から、潰れたカメムシとふやけた干し肉と腐りかけたキノコを混ぜたような臭いが漂ってきて、それを吸ったために気を失ってしまったのだ。体のどこかが悪かったわけではない」
「……!」
「それに、その臭いを嗅いだおかげで、妙な夢から自由になることができた。以前よりも、体調は良くなったような気がする」
ウォルト様にソファを勧められ、わたしはテーブルを挟んでウォルト様と向き合う形で腰掛けた。テーブルの上には、いつの間にか小さな美しい箱が置かれていた。
「実はだな、ジェルヴェーズ、この二ヶ月ほど、わたしは、ずっとおかしな夢に悩まされていたのだ。毎夜眠りにつくとまもなく、夢の中に黒い服を着た怪しげな女が現われて、わたしにこう言うのだ。
『ウォルトよ、ジェルヴェーズと一刻も早く結婚するのだ! それが叶わねば、王家は没落し、王は王位を追われることになるであろう。おまえも王太子という身分を失い路頭に迷うことになる。この運命から逃れたければ、ジェルヴェーズ・ニコレット・ダンドロをおまえの妻にするしかない。急ぐのだ、ウォルトよ!』
夢占に詳しい者に、人から聞いた話を装って夢の意味を尋ねてみたが、それは、予知夢のようなものかもしれない言われた。
わたしは、小癪で小生意気なそなたに執着を感じているわけではなかったが、とにかく王家の没落を回避するために、必ずそなたとの婚約を成立させねばならないと考えるようになったのだ」
ちょっと待って! ウォルト様は、夢で怖い女の人に脅かされたから、特別好きでもないけど、わたしと婚約しようとしたってこと?! 王家や自分の身を守るために?! 何よ、それ~!
「だがな、あの臭いを吸った晩、突然あの女が夢に現われなくなったのだ。そして、代わりに灰色のローブを着た小柄な男が現われた――。
年齢はよくわからなかった。草花の綿毛のようにほわほわとした灰色の髪に、丸い瓶底のような眼鏡を載せた男で――」
ええっ?! 小柄で、ほわほわした灰色の髪に、丸い瓶底のような眼鏡……。
その男の人というのは、もしかして――。
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