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小癪な公爵令嬢は、ポケットの中に小さくて大きな秘密を隠している  作者: 有理守
第二章 灰色の兄と白い弟と黒い王妃 ~ライナルト王子の話~
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その三 ハーマン師  

 グレーニング湖畔の離宮での暮らしは、思っていたよりも快適なものだった。


 わたしの世話係として、ヴェンデルがそのままついてきていたし、離宮の管理を任されている、専任の侍従や侍女たちも感じの良い者ばかりだったからだ。

 そして、いつの間にか荷馬車に紛れ込んでいたクリスタも、わたしと一緒に離宮の新しい住人となった。


 離宮から少し離れた場所には、そこそこに開けた村があって、必要な物資などはそこから手に入れることができた。

 王都からは遠い土地だったが、生活に不便さを感じることはなかった。


 離宮に来て十日が過ぎ、そこでの暮らしにも慣れた頃、あの人は突然やってきた。


 丁寧に刈り込まれた芝草の上で、クリスタを撫でながら、ぼんやりと空を見上げていたとき、離宮を囲む森の上空に小さな黒い点が現われた。

 黒い点は見る間に大きくなり、それが巨大な黒い鳥であるとわかったときには、鳥は芝草の端に着地していた。

 わたしは、クリスタを抱くと、慌てて立ち上がった。


 鳥の首にしがみつくようにして、その背中に乗っていた人物は、少し危なっかしい足取りで芝草の上に降り立つと、鳥の頭をポンポンと二回叩いて何か呟いた。

 鳥はたちまち、人の肩に乗るほどの大きさになり空へと飛び立っていった。

 

 鳥から降りた人物は、小柄な男だった。年齢はよくわからなかった。

 草花の綿毛のようにほわほわとした灰色の髪に、丸い瓶底のような眼鏡を載せ、にこにこしながらわたしを見下ろしていた。


「ライナルト様でございますな? 遅くなって申し訳ございません。陛下より、あなた様に魔法を教えるよう命じられました、ルトガー・ハーマンでございます」


 彼は、わたしの前にひざまずくと、笑顔のまま頭を下げながら言った。

 生成りのシャツに、吊り紐がついた細かい格子柄のパンツ――、魔法省のもったいぶった遣い手たちとは全く違う、村人と見間違うような格好をしていた。


「ええっと……、よ、よろしくお願いいたします。ハ、ハーマン先生……」

「ミャーオ!」


 嬉しそうに一声鳴くと、クリスタはわたしの腕から飛び降りて、ハーマン先生の足元にすり寄った。

そして、ハーマン先生を見上げ、もう一度「ミャーオ!」と鳴いた。

 ハーマン先生は、驚いた顔でクリスタを見ていたが、「おおっ!」と小さく叫ぶとクリスタの前で平伏した。 クリスタは満足そうに、芝草の縁の植え込みに潜り込んだ。


 わたしは、先生を玄関ホールに案内し、執事のオイゲンを呼んで紹介した。

 先生の荷物は、肩からかけた古い小さな布鞄一つだけだった。


 その日の晩餐は、ハーマン先生の歓迎会となった。

 魔法以外の学問を見てくださる、元王立学校の教師であるボーリンガー先生、ダンスやマナーなど、王族として身につけておくべき技能や振る舞いを教えてくださる、元侍従のハールトーク先生が同席した。


 ハーマン先生は、昼間とは全く違う、きちんとした服装で晩餐に現われた。

 あの小さな布鞄に、どうやってこんな服を入れてきたのだろう?

 オイゲンまでもが、しきりに首を傾げているところを見ると、こちらが用意したものではないらしい。だとしたら、何らかの魔法を使ったのだろうか?

 わたしは、早く先生の指導を受けてみたいと思うようになっていた。


 * * *


「ライナルト様。まずは、あなたの魔力を見せていただきましょうか。この部屋は、あなたが魔法を学ぶための部屋ですから、魔力を発動したからといって、魔法省が騒ぎたてることはありません。よっぽどおかしなことをしでかさない限り、無視してくれます。安心して、魔力を行使してください」


 ハーマン先生の講義は、到着した翌日から始まった。

 離宮の中にある、石壁をむき出しにした簡素な部屋が、魔法を学ぶ場所だった。

 調度品も小さなテーブル以外は、すべて片付けられていた。


 急に魔力を見せろと言われて、わたしは困ってしまった。

 この前は、魔法を見たことがないらしいヴェンデルを、驚かせ楽しませたいと思って、思いつくままにリンゴを変身させた。

 ハーマン先生は、何を見たいのだろう? 何を見せたら喜ぶだろうか?

 わたしは、ポケットから屋敷森で拾った木の実を一つ取り出した。


 両手で木の実を包み、念を込めて息を吹きかけた。

 木の実は、わたしの手からテーブルの上に転がりおり、くるくる回ったり、ぴょんぴょん跳びはねたりし、まるで中に何か生き物がいるかのように激しく動き回った。

 ハーマン先生は、面白そうに眺めていたが、やがて、ポンポンと二回手を叩いた。

 木の実は、ぴたりと動きを止め、コロンとテーブルの上に転がった。


「なかなか可愛らしい魔法でした。十分に、わたしを楽しませてくれましたよ。では、この木の実を、ドラゴンに変身させることはできますか?」


 ドラゴンか――。わたしは、ドラゴンを思い浮かべようとしたが、パッとその姿を想像することができなかった。

 うまく想像することができないと、木の実に魔力を伝えることも難しかった。

 この前は、リンゴをたやすくヒキガエルや青い鳥に変えることができたのに――。


「先生、できません……」


 テーブルの上の木の実を見つめたまま、わたしは、あきらめてそう言った。

 すると、ハーマン先生が、再びポンと手を叩いた。


 木の実は、淡い霧に包まれたかと思うと、小さなドラゴンに変身していた。

 ドラゴンは、ときどき炎を吐きながら、からかうようにわたしの周りを飛び回った。

 やがて、ゆっくりテーブルの上に降りたが、先生が手を叩くとともに、もとの木の実に戻った。


「魔法を上手く使うためには、この世界のことをよく知らねばなりません。実際に見たり聞いたり味わったりできないことは、本をお読みなさい。詳しく知る人から話を聞いてもいい。そうやって、あなたの中にこの世界を取り込んでいくのです。あなたの中にあるこの世界が、豊かで大きなものなれば、あなたの魔法も豊かで大きなものになるはずです」

「……」


 五歳だったわたしには、ハーマン先生の言葉はよく理解できなかった。

 でも、いろいろなことを知ることが、大切なのだということはわかった。

 わたしにとっての「世界」は、まだとても狭いものだったし、知らないことだらけだった。


 本を読み、人と話すためには、文字や言葉を学ばなくてはならない。

 どこかへ出かけるためには、丈夫な体が必要だし、馬に乗れた方が便利だ。

 この世界をよく知るために、わたしが学ばなければならないことはたくさんあった。


 わたしは、懸命に学び、貪欲に知識や技能を身につけた。

 

 そして、いつしか、王宮へ戻ることや王になることよりも、世界を知り、魔法の遣い手として一人前になることを夢見るようになっていた。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

今夜、働く異世界令嬢の短編をひとつ投稿する予定です。

そちらも覗いていただけると嬉しいです。

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