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第八十三話 「邪魔者」

 《イリスフィア視点》


 助けて、ユーリ兄ぃ……!


 ──イリス!逃げなさい!!

 ──イリス!来ちゃだめ!!


 パパとママが魔獣に剣を向ける。

 大きな魔獣。

 すでにパパとママは血だらけで、ほとんど身動きが取れない。


 私が助けなきゃいけないのに。

 足が動かない。

 石のように固まって私はそれを呆然と眺めるしかできない。


 嫌、やめて。パパ。ママ。


 魔獣は私の愛する二人を簡単に食い殺してしまう。

 夥しい量の血が私の足元まで迫る。


 喉を鳴らし、口に両親の肉片を残したまま。

 魔獣は私にゆっくりと詰め寄る。

 その並んだ牙が、丸のみせんとする大きな顎が私の目前まで迫った。


「──イリス。イリス?」

「──ッ!!」


 ママの声で体を震わせて目を覚ました。

 冷たい岩に背を預けている間にウトウトしてしまったらしい。


(……最悪の夢だよ……)


 冷や汗を拭って震えるように息を吐く。


「うなされていたけど……大丈夫?」

「……平気。ちょっと変な夢を見ただけ」


 そう。

 変な夢を見ただけ。

 アレは未来なんかじゃない。

 自分に言い聞かせながら杖を握りしめて、静かな森を睨み続けた。


 大きな岩の割れ目。

 森の中で見つけた避難場所に私たちは身を隠していた。

 岩盤がポッコリと隆起したような岩は落ち葉や枯れ木にすっぽりと覆われていた。

 そこに皆で身を縮めて息を潜めている。

 すでに5日。

 少しずつ移動をしていたけれどこれ以上は動けない。


 村にはお年寄りも多くいた。

 村長もここに居る。

 皆疲れ果てて、これ以上は村から距離を開けることはできない。


 人数は私を含めて8名ほど。

 多くはない。

 だけど私とママ以外は家族とはぐれてしまったお爺さんお婆さんばかりだ。


「サーシャちゃん。イリスちゃん。ワシらはもういい。置いていきなさい」

「そうじゃ。どうせ見捨てられた老いぼれ達に過ぎん」

「……それは言わない約束ですよ?それに今更です。私もあんまり早く動けませんから」


 魔獣から逃げている最中に私は足を捻っていたらしい。

 日が経つにつれて痛みがひどくなり、今や右足は地面に突くことすら痛くて出来ない。


(こんな時までおっちょこちょいなんて……嫌だなぁもう……)


 添え木こそしてはいるけれど、私もママに肩を貸してもらえなくちゃ動けない。

 手持ちのおやつもとっくに食べきって2日は魔法で作った水以外は口にしていない。


 魔法で作った水は確かに喉を潤して少しだけ空腹を癒すことが出来る。

 でもそれは自分で自分の血を飲んでいるようなもの。

 いつかは尽きて、体は干からびる。


「ママ」

「なぁに?」


 柔らかな返事。

 こんなことを言うのは気が引けるが、言わなくちゃ言けない。


「ママはまだ動ける。身のこなしも良い。森を抜ければママだけでも助かるから」

「……イリス。私はあなたの母親よ?子供置いて逃げるなんて出来ると思う?」

「……だよね。私のママだもん」


 再び静かになる森。

 魔獣の気配はなく、不気味な風が足元を這うように流れて行く。


「ねぇイリス?」

「うん?」

「夢の話。もう一度聞かせてくれる?」

「それは、ユーリ兄ぃの?」

「そう。あの子がどんな風にあなたの瞳に映ったのか聞きたいわ」


 ママの言葉の端に"最期に"と聞こえた気がした。


 目を伏せる。

 これを伝えていいのかな。

 けど、話すだけなら良いかもしれない。

 所詮夢の話。

 状況は今とかけ離れてしまっているから。

 もしかしたら私は読み違えているかもしれない。


 私の予知夢は完璧じゃない。

 誰かが見せている幻影だから、外れる時もある。

 今回もそうかもしれない。

 そう思っている。


「……ユーリ兄ぃはね。空から降ってくるの」


 私は声を潜めながら、その夢の中身を語る。

 出来る限り鮮明に、目に映った限りを言葉にした。


 私が見た景色は青空の下。

 私と、ママとパパ。

 黒いモヤモヤした恐ろしい何かに追い回されて追い詰められた。


 ママもパパも昔の装備をつけてた。

 私は学院のローブじゃなくて白い毛皮のローブを着てた。


 もうどうしようもない状況で、私たちは皆で死を覚悟していた。

 けど、そこにユーリ兄ぃが空から降ってくる。

 光る翼と、白いローブと三角帽子。

 あと、ユーリ兄ぃと同じ色の魔石が付いた真っ白な杖。


 私たちに背中を向けたユーリ兄ぃは「ただいま」って一言だけ言うの。


 それから大きな音のする魔法。

 たった一発でその恐ろしい何かを粉々に砕いてユーリ兄ぃは笑う。


 パパと同じ風に伸ばした長い髪。

 紫色の優しい眼。

 ママと同じくらいの背丈があってね。

 笑うとママと同じところに笑窪が出来るの。


 それからユーリ兄ぃのお友達がその後ろから顔を見せる。


 銀色の髪のエル。

 とても強い剣士で、ユーリ兄ぃをここまで守ってくれた人。


 赤色の髪のシエナ。

 ちょっと怖い女の人。でもとっても優しくて強くて恥ずかしがりの人。


 皆仲良しで、ユーリ兄ぃも友達の事を信頼して背中を任せてた。


「……そこで目が覚めるの。幸せな夢。ずっとずっと待ち続けてるの」

「そう……そうなら幸せね」

「うん……」


 でも、状況が違いすぎている。

 見ての通り場所は森の中。

 青空の下ということは、少なくとも私たちは森を抜けなければならないということ。

 そして私の服。

 学院のローブでは無かった。

 白いローブはかつてユーリ兄ぃが着ていた物だ。

 そして何より、パパがここに居ない。


 言葉にしてしまえば浮かぶ焦り。

 私は選択を間違えたんじゃないだろうか……。


 もしかしたら、あの時ママの言うことを聞いてすぐにパパの所に行っておけば?

 いいえ。そもそもわかっているなら、パパに怒られてでも家に引き留めるべきだったんじゃ……。

 もっと言えば、更にその前から首都ロッズにでも逃げ込んでいれば……。


(駄目よイリス!後悔禁止!今ある状況を何とかするのが先決!)


 頭を振って意識を集中させる。

 疲れなんてもうとっくに限界を超えてる。

 ママも元冒険者とはいえ現役では無い。

 ここまでの緊張状態をもうそれほどは続けられない。


 何とか。

 何とか状況を打開しないと。


 魔獣の姿は見えない。

 奴らは体が大きい。

 だから呼吸音も大きい。

 ゴーゴーハーハーと静かな森ならはっきりと聞こえる。

 だが今は聞こえない。

 魔獣は魔物。野生の生き物の一種。

 だから息を潜めるなんて芸当はしない。


 今ならば移動が出来るかもしれない。

 問題はどこへ向かうか。


 ユーリ兄ぃに残したパンくずはもう無い。

 これ以上村から離れるのは逆に救援を遅れさせることになりかねない。


 かと言って村へと戻る道には魔獣が待ち構えているはず。

 むざむざ奴らの胃袋に飛び込むなんてありえない選択。


(……村はずれの街道から、南の集落へ抜けられるかも……)


 すでに壊滅した集落ではあるが、それでも岩の割れ目より疲れを癒せる。

 それにたしかロッズからの調査団が再調査のために物資を置いて行ったはず。

 今なら何だって役に立つ。

 動けるようになれば、ぐるりと迂回してイングリットの村に戻れる。

 警護団と合流さえできれば、まだ生き残る目はある。


「……ママ、あのね──」

「おーい!!!」


 ママにその考えを打ち明けようとしたとき。

 外から声がした。

 聞きなれた声。

 誰よりも信頼している父の声。


 バッとそちらに目線を向ける。

 金髪の長い髪に、眼鏡をかけた男性の姿。

 警護団の鎧を着たその人物。


 こちらに気づいた様子がない彼が声を張り上げて私たちを探している。


 パパ!!

 そう声にしようとした。

 だけど声は音にならずに喉につっかえた。


 おかしい。

 何かがおかしい。

 すぐ様にママを見れば、ママもギリギリのところでその違和感に気づいていた。

 ビリビリと張りつめた空気でその男を睨みつけながら飛び出しそうになるのを堪えていた。


「……()()()()()()()


 小さく、消え入るような声でそう言って短剣に手をかけた。


「おーい!!誰かいないのか!!返事してくれぇ!!!」


 尚も大声でソイツは私たちに呼びかける。

 無警戒で、そしてバカ正直に。


 そうだ。

 パパがそんなことをするはずがない。

 パパだって元冒険者だ。

 強い魔物がどこにいるのかわからない森の中で大声なんか出すわけがない。

 臆病で、慎重なパパならばもっと姿を隠しながら動く。

 それこそ私たちが見つけられないほどに完璧に。

 そして何よりも。


「誰も居ないのかぁ!!もう魔物は居ないぞ!!誰かぁ!!」


 ──サーシャにはいつも助けられているよ。

 ──イリスはサーシャに似たな。きっと綺麗になる。


 何気ない日常の会話。

 パパであるならば、私たちの名を叫ぶはず。


 あれはパパじゃない。

 あれは、敵だ。


 ギリリと杖を握るてに力が籠る。

 ママは老人たちに身振り手振りで声を抑えるように指示を出している。

 皆一様に手で口を覆った。

 しんと静まり返った森。

 その静けさが重くのしかかる。


「……おかしいな。この辺に居ると思ったんだが……もう逃げちまったかな」


 後ろ髪をかきながらその人物は呟く。

 そうした先で籠手に後ろ髪が絡みついた。

 金属で補強したそれに引っかかった髪の毛を彼は乱暴に引きちぎってため息を吐く。


(なんてお粗末……一瞬でもパパだなんて思ったのが恥ずかし──)


 そう思った時だ。

 岩に身を潜めたその少し手前で杖が岩にぶつかってしまった。


 カツン──。


 硬質な音が森に響く。

 そして先端に装着しておいた小筒がカランと音を立てて地面に落ちた。


「お?」


(ああああああああああああああああああ!!!!!)


 慌てて拾い上げて、またそれが手から零れ落ちる。


 カランコツン、コロコロコツン。


 何度も音が森に響いてしまった。

 青ざめた顔でママを見れば、ママも青ざめた顔でこちらを見た。


 何やってんのイリス!!

 わざとじゃないよ!!


 口パクでのやり取り。

 後ろの老人たちもあきらめたのか何人かが神に祈りを捧げ始めた。


「見ぃつけた……!」


 そんな声が聞こえたときには私たちは岩陰から飛び出した。


「走って!はやく!!」


 大蟹の盾を構えてそいつの前に立ちはだかる。

 どうせ私は動けない。

 囮にでもなんにでもなってやる!


 老人たちは足を引きずるように、それでも大急ぎで逃げ始めた。

 それを背中で見送ったママが短剣を抜き放ち私の前に躍り出る。


「……おいおい、愛しのパパが来てやったのになんで剣を抜いてんの。怖いなぁ」

「下がりなさい!それ以上近づくなら容赦しない!!」


 ママがそう言って脅すが、あいつは意に介していない。

 ヘラヘラとパパの顔のそいつはパパの声で笑う。


「へへ。うっかり者が居てくれて助かった。危うく見逃すところだった」


 でもこうして近くで見てよくわかった。

 瞳の色が違う。

 やっぱり偽物だ。


「……変化の魔術。あなた、耳長族ね」

「へぇ。物知りな奴がいるなぁ。半分は正解だ」


 その男はにやりと笑って私を見た。

 パパの顔ならば絶対に見せないひどく下卑た顔。

 まるで獲物を見つけた獣のように吊り上がった頬で笑うのだ。

 そして足を止めずにこちらに近寄る。


「来るな!」


 杖を奴に向ける。

 それでも止まらない。

 そしてこちらに手を伸ばす。

 明らかに敵意のあるその腕。


 動いたのは同時だった。


 ママが短剣を振った。

 何のためらいもなくソイツの手首から先を切り飛ばす。

 そして私の杖が火を噴く。


 ズパァン!!


 炸裂音が森に響き、ママも咄嗟に耳をふさいだ。

 パパの顔をしたソイツはまるで木の葉みたいに吹き飛んだ。

 見間違えでなければ、飛礫はソイツの顔を半分ほどえぐっている。


(こ、殺してしまった……)


 そんな気はなかったなんてことは言わない。

 けど私には覚悟が足りていなかった。

 魔獣や魔物であればどうも思わない。

 でも人に向かって撃つことまでは考えて心構えをして無かった。


 動揺を押し殺すようにしてフッフッと短く連続で息を吐く。

 手が震えて泣き出しそうになるのを堪えた。


 強い反動で杖を落としそうになりながらすぐ様に小筒を取り換える。

 震える手で払い落した煙の上がる小筒が足元で転がる。


「……イリス……」


 ママは依然としてその男を見ながら短剣を握りしめていた。

 だが、構えを解いていない。

 腰を下ろして逆手に構えた刃は降ろされていない。

 そしてようやっと視界がそれを捉えた。


 周りに飛び散った血痕。

 そしてママの剣にこびりついた血糊の色がおかしい。

 本来赤色であるはずのそれは毒々しい青色をしている。


「……あっは!痛いねぇ」


 そしてその声。

 男は半身を起こしてこちらを見ていた。


「……ヒッ……」

「……化け物め……」


 私が悲鳴を上げ、ママがジリジリと後ろに下がって距離を開ける。


 その男は間違いなく死んでいるはずの傷を負っている。

 小筒を打ち込んだ時に見た光景のまま、顔が半分無くなっているのだから。

 そしてそこから流れ出している血は見間違いようもなく青い。

 魔物と同じ色の血がそいつに流れている。


「人じゃない……ッ!」

「そうとも。変化の術は正解。だけどあたいは耳長じゃない。人ですらない」


 ゆっくりと立ちあがるその男は徐々に顔が溶けて行く。

 煙を上げブクブクと膨れ上がる肉塊が傷をふさぎ、手首と顔の部分が再生される。

 まるで再起(リブート)の魔術を使った時のように。

 でもそれよりもはるかに禍々しく、不気味だった。


 そして形が定まった先。

 ソイツは見たことのない女の顔になっていた。

 背丈も随分と低くなった。

 変化の魔術で変えることが出来るのは精々顔だとか体の一部だけ。

 でもこいつは体格から声までを変えている。


 青白く、まるで死人のような肌の女。

 腐ったように濁った眼。

 黄土色の瞳は左右で別々に動いた後にこちらを見据えた。

 髪の色は色あせた金色。

 白髪というにはくすんでいて、金色というには輝きがない。


「初めまして。あんたらには何にも恨みはないが、《微笑》の頼みだ。ここで死んでくれ」


 再生したての右手の指をパチンとその女は鳴らした。

 途端に辺りに黒い靄が立ち込めはじめる。

 背筋が凍り、今にも震えてそこに蹲ってしまいそうになるほどの恐ろしい気配。


 何も言わずともママと一緒になって後退する。


 ズルズルと這い出すようにゆっくりと赤黒い巨躯がそこに現れた。

 最初は虚ろだった死という概念そのもの。

 それが魔獣へと姿を変えて行く。


「イリス!!走って!!!」


 ママに肩を貸されて2人で走った。


「ははは!追いかけっこだ!……行け。食い殺せ」


 その女の声で魔獣はこちらへ向かって飛び掛かってくる。

 あの巨躯でありながら森の樹々を縫うようにしてあっという間に距離を詰めてきた。


「この──ッ!!!」


 振り向きざまに杖をそいつに向け、即座に魔法を放った。

 硬く鋭い魔物の殻は高速で飛散し、魔獣の眼に突き刺さって視界を奪う。


 ──ゴァアアアアアアァァァァ!!!!!!


 大音響の魔獣の咆哮が後ろで響く。

 一瞬だけ出来た隙をついてママが風の魔法で周囲の樹の幹を切り裂いた。

 樹々が一斉に魔獣へと倒れ掛かっていく。


「これで少し時間を稼げた。急ぐわよ!」


 一切足を止めずにその場から離れる。


「ママ、あいつさっき魔獣に命令してた……」

「いまは逃げることだけ考えるの!」


 ママに一喝されながら痛む足を動かして必死で距離を離す。


 もしかしてあの女が魔獣に指示して村を襲った張本人なんじゃ?

 だとしたらあいつを倒すことが出来れば魔獣は少なくとも群れになることは無いんじゃ……?


 そうは考えてみた。

 しかしまずい。

 音を立てすぎてしまった。

 私たちの荒い息に混じってゴーゴーハーハーと森から呼吸の音が聞こえ始める。

 魔獣の群れがこちらに迫ってきている。


「ママ」

「何!?」


 息を切らしながらママは私を運ぶ。

 もう老人たちの姿は見えない。

 手助けも得られない。


 玉のような汗をかきながら、ママは必死で森を抜けて行く。

 最近鍛錬のために素振りをしたりやめたりを繰り返したママ。

 痩せなきゃといっておやつを我慢した次の日に倍食べてしまうママ。

 きっとそういう平穏な日々をママは後悔している。

 もっと痩せとけばよかったとか。

 もっと鍛えておけばよかったとか。

 きっとそう思っている。


 私もだ。

 もっと備えることが出来たはず。

 幼心のままにカッコいい兄に会える素敵な夢だと思っていた。

 こんなに辛い現実になって返ってくるなんて思いもしなかった。


「……私を」

「置いていくなんて絶対しない!絶対よ!今度言ったら引っぱたくから!!!」


 樹の根に足を取られてよろめきながらもママは私を怒鳴りつける。


 ……考えたら、わかることじゃない。

 それでもママは私を離さない。

 分かってる。

 きっと私もママの立場なら同じことをする。


 でもね。

 もっと平坦な視点で考えてもみてほしい。

 元冒険者の盗賊で、まだ体が元気に動く女の人。

 足をくじいて魔術も使えない魔術師見習の女の子。

 両方が一緒に逃げたところで生き残るのは難しい。

 でも、例えば。

 動けない方が食べられている間であればそうでもない。


 そしてきっと……


「!!!」


 3発目。


 森の木の奥から現れた魔獣に向けて撃ちだした。

 もうすでに私たちは魔獣に囲まれているらしい。

 炸裂音と飛礫が頭半分吹き飛ばしたところでこの魔獣は死なない。

 パパから聞いている。

 頭両方を潰してもまだ動くような化け物なのだから。

 だから私たちに許された選択肢は逃げることだけ。


 撃った反動で私とママが吹き飛ぶ。

 先は坂道。

 斜面を転がり、のたうち回ったさきでやっと止まる。


「イリス!!!」

「行ってママ!!私はいいから!!!」


 離れてしまった手。

 でももう私はこの手をママには向けない。

 だって。

 ママが私だったらきっと同じことをするから。


 地面に座り込んだまま杖の先端を交換する。

 最後の小筒。

 私の最後の武器。


「行って!!!!」


 震えそうになる体を押さえつけてもう一度言葉にする。

 私は嘘が得意みたい。

 こんな時でもちゃんと本心を言わなくて済んでいる。


 足音、そして獣の唸り声。

 顔を上げれば転げ落ちた坂道の上に魔獣が2頭。


(あ、失敗したんだ、私)


 そう悟った。

 何時何処で何を失敗したか、答え合わせは出来ない。


 けれどパパとも合流できず、ママだけでも逃がすことも出来ず。

 結果として、ユーリ兄ぃに誓ったことを成すことも出来なかった。


(馬鹿だなぁ私。なんでも自分で出来るって思い込んでた)


 カチンとはまり込んだ小筒。

 杖の先を見つめる。


 人の頭を吹き飛ばすだけの威力があるんだよね。これ。


 ──イリス!イリスフィアぁ!!!


 ママの声。

 金切り声を上げて私の名を呼んでくれる。


 いつも怒られてばっかりで。怒らせてばっかりで。

 最後もこうやって怒られている。


「ママ。ごめんね。私。あんまり良い子じゃなかったね」


 最後にママに振り返った。

 地面に伏した彼女は、もがくようにして私の方へと手を伸ばしている。


 時間がゆっくりと流れている。

 魔獣の動きも、その毛並みを揺らしながら坂からこちらへと飛び掛かってくる。


 きっと痛いだろう。

 あんな鋭い牙や爪で引き裂かれたらきっと痛い。

 私なら泣き叫ぶ。

 痛い。

 助けて。なんて。

 そう叫んでしまう。


 だってまだ10歳にもなってないんだもの。

 きっとママみたいに綺麗になれたと思う。

 あぁ、もったいないなぁ。

 もったいない。


 自分の杖を見る。

 きつく結びつけた薄い革の先には人の身など簡単に打ち砕く魔道具がいつでも飛び出せるようになっている。


 これなら多分、1発で楽に逝ける。

 そう考えてしまう。


(馬鹿だなぁ。私……本当に……)


 そうして魔獣がすぐそばまで迫った。


「わああああああああああ!!!!!!!!!!」


 後ろからドッと衝撃が走る。

 そのまま体が浮き上がり、魔獣の腹のしたを抜けた。


「ママ!!??」


 ママが私に飛びついてそのまま引き倒したのだった。

 そして私の手から杖を奪い取って魔力を通す。


 ズパァン!!


 最後の小筒が火を噴いた。

 魔獣の横っ腹を飛礫が抉っていく。


「こんな物を自分に向けるなんてあんた馬鹿よ!!!」


 そしてバシンと平手打ちを貰う。

 ヒリヒリと燃えるような熱い痛みが頬に残る。


 ママはそのまま私を担ぎ上げて飛び込むように樹々の間へと走った。


「ママ……背中が……!」


 ママの背中は血塗れだった。

 装備がザックリと切り裂かれ、赤い鮮血が滴っている。

 魔獣の爪が掠っていた。


「イリスが走らないなら私が走るわ!!私はまだ!まだ死にたくない!!」


 泣きながら私を離すことなくママは足を動かした。

 もう疲れ果てているその体のどこにこんな力が残ってたのかは知らない。

 でもママは確かに。

 とても身軽だった。


「私は生きて居たいんだから!デニスと!イリスと!ユリウスと!!家族で!!」


 森が弾け飛ぶ。

 魔獣が2頭。

 叫び声を上げてこちら目掛けて走ってくる。


「舐めるな……!《脱兎》の逃げ足を!」


 グンとママは身を捻る。

 樹の側面を蹴り、急制動をかけて魔獣へ向かう。


「舐めるなぁああああああ!!!!!!」


 人を1人抱えてママは跳んだ。

 空中で魔獣の牙と爪を躱して、そのまま岩の上に着地する。


 背後では目標を失った魔獣がそのまま樹に体をぶつけている。

 魔獣を、翻弄している。


「逃げてやる……逃げてやるわ。大陸の果てだろうと逃げ切ってやる……その先に、あの人が……!」


 息を切らしながら足を止めずに森を走る。

 枝を潜り、茂みを越えて走る。


 背後にはもう魔獣が迫っている。

 ママの体力も限界だ。

 もう、捕まる。


 ママがバランスを崩した。

 足がもつれ、私たちはまた地面を転がる。


「あぐッ……!」


 苦し気に呻くママ。

 すでに彼女の背中から足先までが真っ赤だった。


「ママ!!!」


 すぐに駆け寄った先に魔獣の火炎が放たれた。


「だあああああ!!!!」


 ローブを翻した。

 最後の私の切り札をここで使う。

 魔力を通せば、今までとくらべものにならないほどの魔力を持っていかれる。

 薄い泡の幕のような魔術が展開された。

 防護用の魔術術式。

 かつて《灰魔》と呼ばれる魔術師が作った身を守るための魔術。


「ううぅぅッ!!!!!」


 灼熱が周りを焼いていく。

 身を焦がすほどの強烈な赤い光。

 薄い防護壁の先では燃え盛る死が渦巻いている。


 お願い。

 もう少しだけ。

 もう少しだけ……!


 魔力枯渇が起こる。

 指先がひび割れてそこから血が噴き出し、視界の隅の前髪が枯れるように白んでいく。


「イリス……」


 ママが小さくそう声を漏らす。

 縋るように、守るように彼女が体を起こして私を庇う。


 もっと魔力があれば。

 私が兄であればこのくらいなんとか出来たのに……!

 もっと。

 もっと!!


 体が崩れるような痛みが走る。

 指先が壊死し始めて、感覚がなくなっていく。

 意識が閉じそうになる。


 そして突然ゴゥと火が晴れた。

 防護魔術がそこで焼き切れて、学院のローブが煙を上げる。


 風が吹き抜けていく。

 熱気に当てられて思考がぼんやりとしてしまう。

 ママは大丈夫。ちゃんと生きてる。

 アンジーさんの防護術式はちゃんと私たちのピンチを救ってくれた、

 でも何が起こったのかわからない。


 炎がやんだ。

 でもなんで?

 魔獣が手を抜いた?

 そんな事あるの?


 安堵しながら見た先。

 煙る視界に黒い影が浮かび上がる。


「なんとか間に合ったようですね。随分遅れてしまったので半ば諦めていました」


 柔らかな、穏やかな女性の声。


「素晴らしい献身の姿です。母を庇う娘。娘を庇う母。美しきその姿こそ、我が剣を振るう理由に相応しい」


 黒衣の女性。

 頭の先からつま先まで真っ黒で、傍らには重そうな旅行鞄。

 肩越しに振り替えるその顔に目はなく。

 ただ服と同じ黒色の布が巻きつられていた。

 修道女。

 ディーヌ孤児院や首都ロッズの教会に居るという神に仕える女性がそこに立っていた。


 ただ、普通では無いことはすぐに分かった。


 炎で燃えた服の袖や裾の内側。

 堅牢な黒鉄の甲冑があらわになっている。

 その手には細い剣が握られていた。

 白塗りの杖のように細身の真っすぐに伸びた刃が光を返す。


 そしてさらに彼女の後ろ。

 2頭いた魔獣。

 火を吐き出した姿のままに動きを止めて、崩れて行くところだった。

 それらは直線的な軌道で分割されていてズルリと滑り落ちていく。


()()()!?あの魔獣2体を!?)


「イングリットの村の方ですね?ある不届き者の頼みであなた方を助けることとなりました。ユナスと言います」


 そういいながら彼女はカバンを私たちの方へ向けて蹴って寄越した。


「中に治療用のスクロールが入っています。どれかは私ではわかりません。適宜使ってくださいませ。私はそこの邪魔者を斬ります」


 そう言って彼女が剣を向けた先にさっきの女が茂みから姿を現した。

 わずかに引きつった顔で笑うその女は明らかに動揺していた。


「なんでさ?なんでお前がこんな片田舎に居んのさ。聖堂はどうした聖堂は!お前の仕事は守護だろう!!」

「あぁ、魔物が何か言っているようですが聞こえないですね。耳だけは確かなつもりでしたが……」


 ヒュンと剣を小さく振り鞘に納める。

 そうすればその剣は盲目の人が使う白杖に見える。


(……仕込み剣。じゃあこの人は……)


「魔物は神の敵。祈りを忘れた命の成れの果て。魔物で形作るお前は神の敵以外の何者でもない。言葉は人を惑わし、姿は眼を腐らせるでしょう。汚らわしい邪なる者。私が斬らずして誰が斬りましょうか」


 杖を正面に掲げるように構えた彼女。そうしてまるで祈りのように頭を垂れた。

 足を肩ほどに開き、腰を落とした独特の構え。

 鞘に入れたままに剣を構える神速の剣技。


「魔獣であれ魔物であれ。ことごとくを肉塊に返しましょう。どうぞ。いらしてください」


 そしてピタリと動きを止めた。

 誰も動けなくなる。

 本能がそれを知らせてくれた。


 動けば、斬られる。


「《宵ノ剣》。シスターユナスがお相手いたします」

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