第八十二話 「傷だらけの故郷」
夜明けを前に、俺たちは風になっていた。
早馬は既に息を切らし、それでも俺たちを乗せてかけて行く。
日が昇り切らぬ平原は森へと景色を変え、いつか通った石畳の街道が眼下を過ぎて行く。
「ユリウス。無理はしないでくれ。ここからが本番だぞ」
「うるさい!!一瞬でも早く村に着くんだ!!」
心は既に放たれたように村を捉えている。
一晩中風の向きを操り、常に追い風になるように操作していた。
時に地面の形を変えて真っすぐ走れる道を作り。
ただただ故郷へめがけてひたすらに馬を走らせた。
おかげで予定よりもかなり早く村へと足を進めることが出来た。
徐々に見えてくる。
故郷の景色。
懐かしき、幼少の思い出が脳裏をかすめる。
「──見えた!ユリウス!前に敵!あと人影!!」
「進路そのまま!エル!先に行く!!」
零れ落ちるように横にロールしながら馬から離れた。
すぐに星雲の憧憬に火を入れた。
風を巻き上げた俺の体が心に追いつく。
今ならば俺は誰よりも早く飛べる。
ドウッと景色を置き去りにして加速する。
魔力の消費?
寝ずの疲労?
知ったことか。
俺はユリウス・エバーラウンズ。
今だけは最強の《魔道士》だ。
森の樹々の先。
マントをつけた軽鎧の警護団たちの背中が見えた。
そしてその奥に、あの魔獣。
大きな体躯の血色の魔獣が爪を振り上げている。
「させるかぁあああああ!!!!」
最大出力の雷轟の射手が瞬く。
先端をくぼませたホローポイント弾頭が魔獣の肩を吹き飛ばした。
──ゴアアアアアアア!!!!
魔獣の咆哮と共にいくつもの黒い炎の弾がこちらを狙う。
「穿つ!!!!」
座標指定からの魔術を貫通する氷の弾頭がそれらを叩き落とす。
何本も放たれた氷の槍を魔獣は大きく横に避けた。
「エル!!!」
「任せて!!!」
炎の残滓を抜けたエルディンがそこへと走り込む。
すでに抜き放たれた一対の精霊剣が縦横無尽に駆け巡り、魔獣のそっ首を刎ねた。
「どどめ!!!!」
シエナが馬から跳んだ。
彼女手を掴んで、そのまま魔獣の方へと彼女を飛ばす。
「龍落せしは我が炎!!!」
二股の首の付け根にシエナが炎の槍を深々と突き立てる。
爆発しながら肉を焼くその一撃に、魔獣はゆっくりと体を倒した。
それを視界の隅に置きながら、俺はもう一度杖を構える。
森から出てきたもう一匹の魔獣がこちらへとまっすぐに駆けてくる。
魔力を練る。
ちょうどいい。
ひとつ、無残な的になってもらおう。
杖の先端。
光を放つ魔石の正面に一発の弾丸が生成される。
形状はホローポイント。
内部に炎の魔法を込めた、対魔獣用炸裂弾頭。
レイムゥたちを助けた時に放った強化魔法のかかった状態の雷轟の射手。
イメージとしては、所謂マグナム弾。
「緋影纏う雷轟の射手!」
強烈な反動を伴いながら、紅い弾頭はまっすぐに魔獣に飛んだ。
ドッと額に穴を穿ったそれは、そのまま爆発を起こす。
肉片すら残さないという確かな殺意もと。一片も残さずに爆散せしめた。
濛々と上がる煙。
それを背景に振り返る。
「怪我人はいませんか!!少しなら治療魔術の心得があります!!」
声高に呼びかけた。
誰しもが安堵の表情でそこに腰を下ろしている。
そのなかに、彼が居た
「ユリウス?お前ユリウスか!!」
額に包帯を巻いた彼。
しゃがれ声で、お世辞にもあまり頭の良くない彼は俺を覚えていてくれた。
「ルドーさん!!」
「ユリウス!!おぉおおお!!皆!デニスの所の息子が帰ってきたぞ!!!」
歓声が上がる。
それを聞きながら俺はルドーの元へと駆け寄る。
「父さまは!!父は無事ですか!!??俺の家族は!!??」
「あ、あぁ……それだが……」
途端に彼は表情を暗くする。
俺もそれにつられてしまう。
やめてくれ。
間に合わなかったなんて、言わないでくれ。
「こっちだ。ついてきてくれ。お仲間も一緒に頼む」
---
「デカくなったなぁ。それにデニスにも似てきたじゃねぇか。えぇ?」
通されたのは村の北側。
農園が広がるあたりだった。
畑は燃え尽き、家にも火の手が上がったのか黒い煙が細く立ち上っている。
そんな通りにはいくつも仮設のテントが張られていた。
怪我人や、行き場をなくした人々。
すでに息絶えた警護団装備の剣士なんかが安置されていた。
「……」
嫌な光景が思い浮かぶ。
すまない。
なんて言われて、物言わぬ家族3人との再会だけは嫌だ。
「……ユリウス」
シエナが俺のローブの裾をそっと掴む。
「大丈夫です。大丈夫」
そう言って彼女の手をギュッと握りしめた。
まぁ、強がりだ。
だけどこうしてでも居なければ平静を保っていられない。
今にも泣き出してしまいそうだ。
「……襲撃から5日。ロッズからの早馬隊は駆け付けてくれたが、戦力としては足りない。まだ魔獣たちを駆除しきれないでいる」
ルドーが現状をそう語る。
「その魔獣は?見たところさっき倒したのは逸れだろう?本隊がいるはずだ」
「あぁ。ほかの奴らは群れで村の裏にある森をウロウロしてる。おかげで俺たちは手が出せない……だってのに……」
エルディンの問いかけにルドーはそう答えた。
そして彼はテントの前で足を止める。
その入口には折れたロングソードと血塗れの軽鎧とマントが転がっていた。
「入るぞ!」
バサリと無遠慮に開け放たれた垂れ幕の向こう。
地面に敷かれただけの毛布の上に蹲る男性が居た。
包帯だらけで、魔力枯渇を起こしているのか真っ白に変色した頭髪。
だがその面影はしっかりと残っている。
少し無精ひげの生えた彼。
元は金髪だった長い髪を後ろで束ねた姿。
割れてしまった眼鏡をかけた横顔。
ゆっくりと振り向いた彼が俺をその眼に捉える。
右眼を覆うように巻かれた包帯。
だが残った左眼が。俺と同じ色の紫の瞳が即座に涙で潤む。
「ユ、……ユーリ……?ユーリ!!!!」
「父さま!!!」
立ち上がろうとした彼はすぐに体勢を崩した。
転びそうになるデニスを抱きかかえるようにすれば、彼の体は見た目よりもはるかにボロボロだった。
右足は膝より下がかろうじて繋がっているだけのひどい傷。
左側の脇腹は大きく裂けて、包帯の上からでも血がべっとりと手ににじむ。
彼の右眼も、深く抉られている。
だがそんな重症でも彼は俺を強く抱きしめた。
縋るように、泣きつくようにして俺の父が迎えてくれた。
「何処に行ってたんだ!心配させて……!お前という息子は本当に。本当に!!」
「ごめんなさい父さま……」
自然と涙がこぼれてくる。
あぁ、こんなにも。
父親というのはこんなにも暖かく、重たい物だったのか。
久しくわからなかった。
随分と長く家を空けてしまったのだと実感する。
「すまないユーリ!!サーシャを!!イリスとサーシャを見失った!私が付いていながら守ることが出来なかった!!許してくれ。許してくれ!お前は待っていてくれと、そう言ってくれたのに!!」
泣きじゃくりながら彼は俺にそう謝罪の言葉を述べる。
しかし彼は突然ガクンと体を俺に預けて気を失った。
あまりにも突然だったばかりに俺も死んでしまったのだと思って大慌てで回復魔法をかけた。
「父さま!?父さま!!!???」
「大丈夫だユリウス。彼は死んでない。気を失っただけだ」
「無理もねぇ。制止も聞かずにたった一人で森へ何度も突撃したんだ。魔獣に返り討ちにされても生きて帰ってきたのが奇跡だぜ。まったく」
傷だらけのデニスに引き続き回復魔法をかけながら、ひとまずは寝床に横たわらせた。
深く眉間に皺をよせていたデニスの表情であったが、最初の悲壮感は幾分か和らいだ。
「……」
さて。
故郷にも無事に帰れて、父親にもなんとか再会できた。
「ルドーさん。被害状況等。教えてもらえますか?」
「聞いてどうするんだ」
だったら次は何をするかって?
決まってるじゃないか。
「家族を。生存者を助けに行きます」
テントを後にして周りを見渡す。
「……悪いけどよ、そいつは無茶だ。見ての通り村はこのありさまだ」
懐かしい景色は改めて見れば変わり果てていた。
村長の家は半壊。
それでもなお、作戦本部として無事な警護団たちが集まって衛兵たちとやり取りを交わしている。
だが数が少ない。
多く見ても10人ほどだ。
手負いの者を合わせても15人。
とてもじゃないが救助隊は出せない。
「森には村に押し寄せた魔獣がウヨウヨしてる。警護団の生き残りはあれっぽち。頼りのデニスも瀕死の重傷。守護統括のアレキサンドルス殿は王都に釘付け。首都ロッズからの援軍は、先遣隊の話なら早くてもあと3日かかる」
「2日ね。キース衛兵長が出るならもう少し早いわ」
それをシエナが補足する。
「ロッズの守りだもの。それくらいは出来る。けどもそれでもまだ遅いわ。現に間に合ってない」
「……あー、ユリウス?この可愛い子誰?恋人?」
「シエナ・ゼルジア・ドラゴンロッドお嬢様です」
「ドラゴンロッド!?領主様のとこのドラ娘……」
しまったと思ったのかルドーはパっと自分の口をふさいだ。
まぁ、しっかりと聞こえてしまっている。だが彼女はそれを無視した。
いまはそんなどうでもいいことに構っている暇はないというのは共通認識だ。
「ユリウス。ボクは衛兵たちとここの防衛について話してくる。ルドーさんも、今はあなたが指揮官という考えでいいかな?」
「あ、あぁ、指揮官代理兼村長代理。なんでもござれだ」
「ユリウス。君は少し休んでてくれ。くれぐれも単独で動かないように!」
……おおう。
見透かされてしまっている。
「……わかった。俺は村を見てくるよ」
「私も行く」
いったんは2手に分かれた。
ゆっくりと、すっかり踏み荒らされてしまった田舎の道を歩く。
逃げ惑う村人たちの足跡と、魔獣の爪痕。
悲鳴と咆哮がありありと耳に届いた。
「ここの通り、よく母さまが買い物で使ってました。月に一度商人が村に来て、村長の家で寄り合い市を開くんです。冬になれば雪で覆われて近所の人たちみんなで雪かきをしました」
後ろを歩くシエナはただ同じものを見た。
彼女と俺の足音だけが襲撃された村に小さく響く。
「そこの畑では父さまが芋を植えてました。父さまは土魔法の扱いが上手でした。地面を叩くだけモコモコーって。ふっくらと耕されるんです。魔法が使えなかった俺には本当に凄技でした。いまだったら同じことが出来ますけど」
そうして通った先。
石を積み上げて作られた柵が見えた。
大きく崩れた部分からその敷地内に入る。
「ここは?」
「……俺の家です」
彼女の問いにそっと答えて、駆け出しそうになる足を抑え込んで玄関に踏み入る。
鍵は掛かっていない。
夕飯の片づけも終わっていないし、デニスのために用意したであろうスープも鍋に入ったままだ。
ただ、夏の陽気にやられてすでに虫が集っている。
荒らされてはいない。
だが、住人は居ない。
ただ主が不在の家がそこにあるだけだ。
「……あそこの釜土」
シエナにそれを指で指示した。
「俺が初めて魔法を使ったのはあの釜土の前でした。すごくちっぽけな炎でしたが、今でもはっきり覚えています。イリスをあやす両親の前で初めて魔法が使えて、家族みんなで大喜びしてくれました」
「……ユリウスの始まった家……」
「はい。俺の人生はここで始まりました。どこにでもある、些細で大切な幸せを俺はここで与えられた……本当に、何でもない……当たり前の……ッ家族を……!!!」
息が荒れる。
握りしめた拳に悔しさと炎がにじみ出る。
視界が歪む。
分かってる。
まだ決まっていない。
だがこの荒れ果てた村の有り様を目にすればどうしても。
どうしてもその悲劇的な結末が思考の端から消えない。
はぁーと深く息を吐く。
零れかけた涙を拭ってリビングの長椅子に腰かける。
俺の知らないうちにすっかり年季の入ってしまった椅子を撫でた。
いけない。
考えすぎてはいけない。
不幸な思考はその先に不幸を招くものだ。
それよりもどうやって生存者を救助するかを考えなくてはいけない。
問題は彼らがどこに逃げたかだ。
おそらくは村の裏手の森。
だが闇雲に探しても魔獣に襲われてこちらがやられるだけだ。
狼煙も何もない所を見るに、魔獣に追い込まれて身動きが取れなくなっている可能性が高い。
頭を冷やし。血を回せ。
父さまなら。
デニスならきっとそうしていい考えを浮かばせるはずだ。
……今回はまぁ、彼も必死だった。
ならば俺がなおさら冷静にならなくては。
頭はクールで心はホット。
そういう男でなくてはならない。
「……ふむ」
「……ふむ?」
脚を組み腕を組み。
俺が考える横でシエナも同じように椅子に座り、腕と足を組んだ。
まぁこのポーズは彼女の師匠であるロレスの専売特許だ。
今はそれを真似させてもらう。
必要なのは彼女のような冷静な思考と忍耐力だ。
不安に押しつぶされないように、そして救助をすこしでも早く行える策を思案する。
「……」
しかし、まだ平常心が足りない。
そこで懐から木箱を出した。
ザビー皇国の薬師バンテスからもらったそれ。
本来は師匠の墓前に供えるつもりのそれを一本咥えた。
「あんた、タバコなんて吸うの?」
「火は付けませんよ。格好つけてるだけです」
そう答えてもう一度深くため息を吐く。
生前。
1箱だけタバコを買ったことがあった。
匂いも煙も好きでは無かったが、人前で大きくため息を吐くのにちょうどよかった。
だが現実は面倒だった。
時代はまさに分煙真っ盛り。
やれ喫煙室がどうだとか。
やれ歩きたばこがどうだとか。
意外と制約が多く付きまとった。
そのうえ狭い喫煙所に鮨詰めされたあげく、タバコミュニケーションだとかなんとかと。
好きでもない上司の詰まらないイジリという名の暴言に突き合わされる始末。
結局吸いきれずに半分以上残して人に渡してしまった。
だが、深呼吸は大事だ。
あと不思議と何か咥えていると集中力が上がる気がする。
メジャーリーガーがガムを噛みながらバットを振る理由がわかる気がした。
そういうわけでタバコを咥えたままぼんやりとそのまま家を見回す。
あの日出ていった家は、家具の配置こそ変わっていないがいろんなものが変わってた。
あそこのカーペットには確か焦げ目があったと思ったが、いまは花柄の可愛いものに変わっている。
階段近くの壁には傷がある。
均等に真っすぐに掘られたその傷。
小さい文字で"イリス3歳"とかかれて始まったそれは今年までの彼女の成長が刻まれていた。
キッチンの鍋も見たことないものが揃っている。
きっとサーシャが買いそろえたのだろう。銅で出来た新しそうなピカピカの鍋が並んでいる。
そして我が家の主であるデニスの鎧。
昔着ていた彼のボロボロの鎧が暖炉の近くに掛けられていた。
埃をかぶって、幾多の傷を残したそれはいわば家族を守った戦士のトロフィーだ。
「……」
そこからゆっくりと視線を横にずらせば、彼女の赤い髪が視界に入る。
「……」
机に寄りかかり、頬杖をついてそのままシエナの横顔をぼんやりと見つめる。
「……」
「……」
俺の視線にとうに気付いたシエナは少しだけ頬を染めた。
徐々に落ち着きが無くなってきて、指先で髪の毛をクリクリと弄り始める。
「なによ」
「……可愛いなと……」
ボッと顔を真っ赤にした彼女が拳を振り上げた。
まぁ殴られても良い。
きっと今ならいい刺激になる。
だから視線をそらさないでいると、彼女は拳を振り上げたまま更に顔を赤くした。
はわはわと唇を震わせたあとに勢いがなくなっていき、拳はゆっくりと降ろされた。
「あ、ありが……と……」
「いえ、いつも思ってましたので」
「……うぅぅ……」
彼女はフードで顔を隠した。
それでもその髪の毛と同じほどに真っ赤な耳と頬は隠しきれていない。
「何で家で女口説いてんのよあんたは……」
それは俺も不思議に思う。
やっぱり心がニュートラルになったからだろうか。
落ち込むと落ち着くのちょうど間くらいの意識でいるせいだろう。
まぁそんな思考を半分ほど行いながらも。
引き続き照れに照れる彼女を見つめた。
ぼんやりと、そしてぽかんと開いた口の端からタバコがポロリと落ちてしまう。
そのまま焦点が彼女の後ろに見える村の景色に集約される。
「……ん!?」
「ひぁう!?」
そこでガタと身を乗り出した。
ちょうどシエナの体に覆いかぶさるほどに動いてしまったものだから。
俺の下で彼女は小さく悲鳴をあげた。
「……何だアレ」
しかし俺はそれが気になって仕方がなかった。
おかしい。
あまりにも不自然なそれ。
地面に転がっている物がようやく目に入り、椅子から立ち上がってしゃがみ込む。
「な、何よ。ただのパンくずじゃない」
そう。
ただのパンくず。
何の変哲もない黒パンのカスだ。
指先ほどに千切られたそれが玄関先の地面に転がっている。
「……虫が死んでるんです」
シエナにそう告げると彼女もはぁ?と声を上げながら隣に腰を下ろした。
パンの周囲には蟻のような虫が輪を作るようにして息絶えていた。
後ろの鍋に目をやる。
すでに異臭を放つその腐った鍋には羽虫が集っている。
しかし目の前のパンくずは虫に食われずに残っている。
パンくずをつまみ上げ、匂いを嗅げば薬品の匂いがした。
「虫退治用の毒餌がしみ込んでます」
「ふーん。でもそんなに変なものじゃないんじゃない?」
物自体は確かに変では無い。
パンくずもどこにでもある。
殺虫剤も薬師から買えばそれほど苦労せずに手に入る。
問題はなぜこの二つが組み合わされた状態でここに落ちているかだ。
偶然か?
まぁそういう風に虫退治する方法も無いわけでは無い。
だがなぜかこれが引っかかる。
こういう時は目的、手段、手札だ。
まず、このパンと殺虫剤は手札。
何処にでもあって誰にでも使えて安価な素材。
何者かが、何らかの意図をもってこれらを残した。
つぎに手段。
きっとこのパンくずを残すことが手段そのものだ。
そうなれば虫を殺すのが目的ではないはず。
(……パンくずを残すのは何故だ。何が目的だ)
スッと視線を上げる。
その先に同じように虫が周りに死んでいるパンくずが落ちていた。
更にその先にももう1つ。
もっと先にももう1つ。
虫が輪になって死んでいるそのパンくずはおかげで見えやすい目印になっていた。
「そうか。目印か」
即座に立ち上がってパンくずを追う。
家の裏までそれは続き、2人分の足跡と一緒に村の裏手。
かつて俺が魔法を練習した森の方へと続いていた。
「何よユリウス。なんかあったの?」
「……ヘンゼルとグレーテル」
「何それ?誰?」
「小さい頃に読んだ絵本です。森で捨てられた子供たちが家に帰るためにこっそりと道にパンくずを落としてそれを辿って帰るお話です。このパンくずはまるっきりその童話そのものです」
毒がどうとかという細かい設定はあったかなんて思い出せない。
だがその童話ではパンくずは森の鳥たちが食べてしまって家に帰れずに森を彷徨うという話だ。
しかし現にパンくずは虫にも鳥にも食べられずにそこに転がっている。
点々と。そして途切れることなく。
サーシャであればもっと別の方法を使うし、もっと言えばすぐにでもデニスとの合流を考えただろう。
だがデニスとサーシャは会っていない。
一度でも合流していればデニスが最愛の妻を見失うわけがない。
であれば何らかの理由があって合流を諦めた。
そしてサーシャに同行するその者が逃げた際にこのパンくずを道しるべとして残した。
そう考えるのが自然に思えた。
とても偶然には思えない。
「ユリウス」
後ろから声をかけられた。
エルディンがこちらへと小走りで駆け寄ってくる。
「状況は?」
「最悪……ではない。幸いにもこの村の反応は早かったらしい。魔獣が暴れる直前に大きな野犬の遠吠えがこの村で響いて、それで村人全員がすぐに飛び起きて訓練通りに避難を開始したそうだ。魔獣の咆哮が聞こえたのはさらにそのあとだ」
「……遠吠え……この村で遠吠えが?」
それこそあり得ない。
この村では野犬はとくに危険視されている魔物だ。
それが警護団の監視を掻い潜ってさらに遠吠えまで?
絶対に無い。
「何かあったの?」
「ヘンゼル?とグレテル?だって」
「ヘンゼルとグレーテル?」
「あとパンくずよ」
「はい?」
考え込む俺の隣で彼らは互いに小首をかしげている。
「……遠吠え……」
もう一度視線を開けた先。
家の二階の窓が眼に入る。
締め切られた窓は俺の部屋の窓。
「……」
そこからさらに半周。
開け放たれた窓がある。
二階の、俺が居る時は空き部屋だった部屋。
「この家は?」
「ユリウスの家よ。エバーラウンズ家」
「中に人は?」
「いないわ」
「そっか……」
彼らの会話を耳にしながら再び家に戻り階段を上がる。
開け放たれた小部屋。
元々空き部屋だったその部屋に俺は押し入る。
女の子の部屋なのはすぐに分かった。
柄の入った敷物。
可愛らしいぬいぐるみ。
そして脱ぎ散らかされた下着。
それと重たげな木箱。
乱雑に開けられたその箱にはキスマークの付いた伝票が着いてた。
イリスへと短く書かれたそれだ。
更に木箱の中には魔術学院の生徒たちが着る緑のラインが入った黒いコートがあった。
それを脇目に見ながら窓へと駆け寄る。
村の一望を見渡せるその場であれば、大声を出せば村中に届くか?
いや、まだ足りない。
それだけでは村人全員が飛び起きるほどの音響など……。
ガサリと足元で音がした。
紙が落ちている。
クルリと巻かれて筒状になったソレを拾い上げて広げれば魔法陣が描かれていた。
スクロール。
魔術の詠唱を文字にすることで詠唱を省略して魔術を起動する魔法陣。
更にそれを紙に描くことで携行性を高めた魔道具だ。
炎なんかを生み出すと時折これ自体も燃えてしまうため少々扱いが難しい。
「「なんでこんな物が……?」」
ふとシエナと声がダブってしまった。
彼女の方を見ると先ほどの木箱の中から紐のような物をつまみ上げていた。
「何それ」
「な、なんでもないわ!!」
また赤面しながら彼女はそれを木箱に叩き込んだ。
手早く蓋を閉めてため息を吐いている。
なんだろう。
まぁいまはスクロールが優先だ。
しかし魔法陣を見ただけでそれを読解できるほどの知識はない。
所詮は我流の魔道。
こういうちゃんとした魔術は専門外だ。
「ユリウス。何かあったかい?」
「これが何かわかるか?」
上がってきたエルディンにスクロールを見せた。
彼も首をかしげてそれをジロジロとみるばかり。
「……魔力の残滓があるから、このスクロールは使用済みってことくらいかな。使ってみたら?」
「使い方は?」
「魔力を通すだけだ。君なら余裕だよ」
机の上に広げてそれに魔力を通す。
ほんのわずかな量で魔法陣は起動した。
「……なにも起きないぞ?」
──なにも起きないぞ?
魔法陣が声を返した。
しかも数段大きな音で。
「たぶん、拡声のスクロールだね。音を拾って大きくするだけの魔術術式だよ」
「……じゃあこれで遠吠えを?」
誰がなんて明確だ。
「ユリウス。薬学の本がある。栞が挟んである場所に虫退治の毒について書いてあるわ」
「じゃああのパンくずを残したのは……」
警護団よりも早く魔獣の接近を察知してそれを最も効率よく村民に知らしめた人物。
あの先に居るのは……。
──ズパァン……──!!
空に炸裂音が響いた。
聞いたことのあるその音を俺が聞き違えるはずがない。
「雷轟の射手の炸裂音です!」
「君以外にその魔法を使える人が!?」
──ズパァン……──!!
──ゴァアアアアアアァァァァ!!!
もう一発聞こえてくる。
そして魔獣の咆哮。
戦っている。
魔獣と、誰かが。
すでに体半分窓から乗り出していた。
まだ反響が残るその音を辿れば、村の裏手にある森から聞こえていた。
「エル!シエナ!パンくずを辿って来てくれ!俺は先に行く!!」
「待てってユリウス!!」
「うわぁ!!??バカバカバカバカ!!!!」
窓から身を乗り出して、星雲の憧憬を起動すべく飛び上がるが。
加速寸前でエルディンにローブの首根っこをとっ捕まえられた。
おかげで落ちそうになって窓にしがみ付く羽目になる。
というか、落ちた。
思いっきり尻もちをついてしまった。
いってぇじゃねぇのエル……。
下が草の生えた柔らかい地面じゃなかったら痛いですまないぞ……。
尻を摩って立ち上がるころには彼らはドタドタと階下へ降りてくる。
「危ないじゃないかエル!何すんだよ!」
「君が"先に行く"って飛び出すのが悪い!君がやっているのはあれと同じだ!!」
そうエルディンが指さす先を見やる。
「離せ!離してくれルドー!!」
「無茶言うな!!今お前を行かせたらそれこそ見殺しじゃねぇか!!」
満身創痍のはずのデニスが、剣を杖替わりにして足を引きずりながら駆けだそうとしているところだった。
ルドーが必死に留めているが、彼の方が力負けしている。
あの細いデニスの体のどこにそんな力があったのか……。
だが遠目に見てもデニスの顔色は悪い。死相が出ていると言っても良い。
あんな状態で魔獣と戦うなど、無茶も良い所だ。
「頭を使うんだユリウス。1人だけじゃたとえボクでも魔獣の群れには勝てない。力を合わせるんだ。君はこの中で唯一回復魔法が使える。お父上を治したら一緒に森へ来てくれ。戦力は1人でも多い方が良い。ボクとシエナが先行する。生き残りは見つけ次第保護するよ」
ローブを投げ出し、少しでも身軽になったエルディンがそういう。
俺は無言のままエルディンへ、そしてシエナへと視線を投げる。
俺が危険な目にあうのは良い。
だが……。
「仲間を危険な目に合わせるわけにはいかない。って顔だねユリウス。でもボクも君を危険にさらした。その責任はとるよ。先に行く」
「……わかった、頼む」
タッとエルディンは先に駆け出した。
しかしシエナはしばらくそこに居た。
ただ、息も絶え絶えなデニスにジッと目線を向けている。
「……ほんと、親子って感じよね」
そしてフッと笑う。
どこか嬉しそうに。どこか寂しそうに。
「ユリウス!少しだけ待っておいてあげるから!おじさまと一緒に来なさいよね!」
「ま、待ってシエナ!」
駆けだそうとした彼女を呼び止めた。
本来彼女があうべきではない危険が待ち構えている。
本当は行ってほしくなどない。
彼女を危ない目に合わせるのだけは本当に嫌だ。
……だが、いま頼れるのはエルディンとシエナだけだ。
「……気を付けて。すぐに追いつきます」
「えぇ。はやくね」
彼女が駆け出すと同時。
俺はデニスの所へと足を運んだ。
今はエルディン達を信じる。
だが必ず加勢しなくては。
そのために、俺が居まするべきことを全力でやる。
「父さま!ルドーさん!!」
「おぉ!ユリウス!デニスを止めてくれ!こんな怪我で無茶したら……」
「すみませんルドーさん。ちょっと下がってもらって」
「んえ?あ、あぁ。はい」
苦悶の表情を浮かべるデニスのすぐそばにしゃがみ込む。
「回復魔法を使います。父さまはそのまま動かないで」
「……ユーリ……なのか……?」
「そうですよ?覚えてないんですか?ちゃんと再会の抱擁もしたのに」
「……ははは。夢かと……思っていたよ」
そう笑うデニス。
改めて見ればとにかくひどい傷だ。
特に足がひどい。
右膝より下は魔獣に食らいつかれたのか骨も筋もズタズタだ。
細かい傷こそ治せたが、ここまで深い傷を治せるかどうか……。
いや。治す。
今までさんざんこの回復魔法を使ってきたんだ。
せめて彼が立って歩けるまでには……。
腕を捲り、息を吸い込む。
杖をかざし、手をあてがって全神経を集中する。
緑色の癒しの光が徐々に金色の粒子を纏い始める。
一つ一つの細胞を繋ぎ合わせるように、魔力の流れを修復していく。
ジリジリと魔力を研ぎ澄ませ、少しずつ傷を治す。
骨は繋がった。
筋も無事な部分は良し。
あと筋肉繊維と血管。
「……くぅ……」
額を汗が流れた。
傷が深すぎる。
とてもじゃないが俺の回復魔法ではふさぎきれない。
せめてロレスの使う魔術が俺にも使えれば……。
「もういい。ユーリ」
「いいえ!!父さまの足は俺が──」
「いや、もう十分だ」
デニスの声。
先ほどまでの息も絶え絶えな声ではない。
まだ疲れが残るその音色に、いつもの知性ある芯の強さが戻っている。
そして顔を上げれば、彼の髪にわずかに色が戻っていた。
魔力が回復している。
「詠唱無しでこれだけ治療できるとは。流石は私の息子だ」
彼はそう言って俺の頬を撫でる。
マメだらけの、ガサガサでゴツゴツの手。
幼い頃に何度も頭を撫でてくれた手を彼はそのまま杖に伸ばす。
「ユーリ。そのまま続けていておくれ。──我らの母にして、大いなる大地の女神よ」
デニスが詠唱を開始する。
癒しの光がゴウと辺りを明るく染め上げる。
ただ押し付けるばかりだった魔力の流れが調律され、整えられていく。
「我らが傷つき倒れし時、汝のその深き慈悲を此処に──」
それは、俺がこの世界で最初に見た魔術。
優しく暖かな光の波が俺の手から、そしてデニスの手から放たれる。
「──再起」
ザァとデニスの傷を魔術の光が撫でて行く。
右目の傷が塞がり、瞳には光が。
脇腹の傷も既に跡形もない。
そして目の前には片方だけブーツを履いていない彼の素足が戻った。
「……すごい」
魔術は熟練度でその威力を増す。
ただの炎矢でもその貫通力や飛距離は使い手の腕次第だ。
そしてこの再起の魔術も。
下級治療魔術でロレスの使った慈光の再起を上回っている。
デニスの魔術師としての腕前はロレスに匹敵するということになる。
「すごいのはユーリだ。あれだけの魔力をよく練れたね。杖も良い物を持っている。それに……大きくなったな。ユーリ」
彼は目に涙をためて、彼は俺の肩に手を置く。
ただただ成長したことを認めてくれただけだというのに。
その優しい声色に俺はまた目頭を熱くしている。
「……さぁ。傷も治った。私はイリスとサーシャを助けに行くがどうする?ユーリ」
そう言ってデニスは立ち上がろうとするが「おっと」と声を上げて崩れ落ちそうになる。
その体をすぐに支えれば、デニスは力強く俺の肩に腕を回し踏みこたえた。
「俺も行きます。それに今の父さまを1人で出すのは不安ですから」
「言うようになっ……いや、昔からか」
小さく笑いながら彼が額に巻かれた包帯を外し、眼鏡を指で押し上げる。
割れてしまったレンズの奥。
キッと開かれた彼の紫色の瞳に闘志が戻った。
まだ髪が一部白んでいて魔力は枯渇寸前の彼である。
だが、テントの中で蹲っていた弱々しいあの面影はない。
「ルドー!」
「お、おう?」
「協力してくれるか?」
「……しゃーねぇなぁ!昔馴染みだ!なんでも言ってくれ!」
「じゃあ、靴。あと鎧と盾を貸してくれ」
「……え?」
「時間がない。急いでくれ」
「え?装備だけ?お、俺は?」
「「はやく!!!」」
マゴマゴしているルドーに向けて2人分の怒号が飛んだ。
大慌てで装備を外す端から強奪してデニスがそれを手際よく身に着けて行く。
「ユリウス。魔獣と戦ったことは」
「あります。どれほど恐ろしい奴かもよく知ってます」
「よし、なら良い」
デニスが俺をそう呼ぶとき。
それはある種、彼の本気モードの時だ。
「すでに俺の仲間が先行してます」
「強いのか」
「剣士が2人。一緒に翼竜を倒したこともあります。手練れです」
「結構。戦力として申し分はない」
「他に増援は?」
「無い。魔獣全部は相手にしない。音のした方角へ向かい、生存者を救出して速やかに離脱する」
パチンと肩当の金具が子気味よく音を立てた。
俺の幼い頃から良く知る村と家族の守護者がそこに現れる。
「足の速い剣士が2人。盾持ちの騎士が1人。そして腕の立つ《魔道士》が1人。電撃戦には理想的なパーティだ。……サーシャとイリスを迎えに行こう」
「はい!!」
ヘンゼルとグレーテルの童話。
細かい設定までは覚えていない。
なにぶん生前のまだ小学生の頃に読んだ絵本だ。
だが幼心に覚えている。
妹が兄を救う話。
物語の結末は、妹のグレーテルが魔女を殺し兄のヘンゼルと共に家へと帰るものだ。
悲しいが彼らの母親は死亡して父親のみに迎えられるものとなる。
そうはさせない。そのためにここまで大急ぎで帰ってきたんだ……!
パンくずを辿った先にサーシャとイリスフィアが居る。
何が何でも間に合わせてみせる。
3度目の炸裂音が響く森。
暗がりに魔獣が潜むであろうその場所へ俺たちはひるむことなく突撃した。




