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第八十一話 「秘匿事項第一項」

「君のせいじゃない。ボクのせいだ」


 エルディンの声。

 だが、その手紙から眼を離すことが出来ない。


 イングリットの村が。

 故郷が魔獣に襲撃されている。

 それは、村が壊滅的な被害を受けている事実。


 血色の魔獣(ハーベスタ)の脅威は良く知っている。

 1体でも強力なA+ランクの魔物だ。

 翼竜よりも強いとされるそれが、群れで襲ってくる。

 そんなもの。

 イングリットの村の守りで耐えきれるわけがない。

 アリアー大陸での冒険者ランクは精々B。

 各大陸でもっとも魔物が弱いとされているその国の片田舎。

 そこを自衛している警護団などたやすく皆殺しにされる。


「……こうなるって……知ってたのか」


 食いしばった歯の隙間からそれが漏れた。

 言うべきでは無かったが、どうしてもそれを聞かなければならなかった。


「ザビー皇国でテオドールを撃退した時には、予測がついていた」


 あぁ。

 エル、お前という奴は。

 嘘でも知らなかったと言うべきだったよ。

 もう抑えは効かない。


 立ち上がり、勢いのまま彼の肩を掴んで本棚に叩きつけた。


「何で黙ってた!!!あの時点で行先を変えていれば今頃は故郷に着いて居たはずだろ!!??」

「皆の安全のためだ!それに《微笑》はセドリックを使った!魂蝕龍(ジア・ナジャ)がアリアー大陸に出現するかもしれなかったんだ!」

「それでもだ!!俺たちで戦えば勝つ見込みもあった!!これじゃまるで見殺しじゃないか!!!」

「ボクに仲間を地獄へ送れと言いたいのか!!!!魔獣と魂蝕龍(ジア・ナジャ)の同時攻撃だぞ!!??」


 剣にこそ手をかけてなどいない。

 だが、彼の剣幕に思わず怯んだ。

 仲間を何度も失った彼のその言葉の重みに耐えかねた。


「……それに、仮に君の故郷に向かったとしても。今度はイーレ様の故郷が消えてなくなる。どちらか救える方を救うしか無かったんだ」


 彼のその伏せられた視線が俺の故郷がどうなったのかを物語る。

 勇者の力を持っても救えないと断じられた小さな村の結末。

 考えるだけ辛い。


 手を離し、数歩後ずさって踵を返した。


「ユリウス。ユリウス!何処に行くんだ!!」


 そんなもの決まっている。

 故郷へ。

 家族の待つイングリットの村に決まっている。

 まだ生きてる。

 絶対生きてる。


 よろめきながら階段を駆け下りる。

 数段踏み外して転がり落ちたが、それでも扉へと駆け寄った。

 なんどもドアノブを捻る。

 鍵は掛かっていない。

 建付けが悪いことなど忘れて乱暴にドアを打ち破ろうとした。


 そこではたと冷静になる。


 どうやってアリアー大陸まで行く?


 陸路?

 そもそも陸続きじゃない。

 ここはディティス列島帯の中心地だ。

 海のど真ん中だぞ。


 では船?

 ここまでの航路を考えれば、少なくともひと月と半分は掛かる。

 到底間に合わない。


 空ならば?

 岩琉鳥(ガルダ)を使えば航続距離を稼げる。

 ギリギリまで粘って、途中で乗り捨てて。

 星雲の憧憬(ネビュラ)で飛べばなんとかアリアー大陸に届く。

 そうすれば7日ほどでたどり着けるが……。


 駄目だ。

 比較的に小さいとは言えどアリアーも大陸だ。

 陸路で早馬を乗り継いでも、国港アルディースからイングリットの村まで丸1月かかる。

 到底間に合わない。


「く……クソぉ……ッ!!」


 間に合わない。

 助けにいけない。

 ほぼ星の裏側に居るようなものだ。

 例え地中を土魔法でぶち抜いて行ったとしても、間に合わない。


 家族に、もう会えないかもしれない。


 不安が募る。

 もしかしたらデニスであれば魔獣を退けることが出来るのでは?

 アレキサンドルスが機転を利かせて援軍と共に討伐するのでは?

 もしかしたら村の人ごとすでに避難が完了しているかもしれない。


 そういった希望的観測も、いまは思考から滑り落ちて行く。


 襲撃を受けたと報告書にはあった。

 であれば、村には魔獣が押し入ったのだろう。


 ……嫌な想像ばかりで胸が押しつぶされそうだ。


「……予定通りなら、君は今年の冬には故郷へ帰ることが出来た。そこからは、君の元の暮らしが始まる」


 エルディンの声。

 俺の後ろで彼はそう語り掛ける。


「君の事だ。きっと親孝行を沢山する良い子だったのだろう。家族も君を愛しているはずだ。父親と母親。あと妹も居ると言っていたね。無事に君を家族に会わせてあげたい。こんなことになってしまったけど、それだけはボクの本心だ」

「……もう、無理だ。無理だよエル……どれだけ考えても無理だ。イングリットの村に。父さま達の所へ行っても間に合わない」


 諦めたくなどない。

 どうしてもそういう奇跡的なビジョンは思い浮かばない。

 代わりに無残な村の景色がありありと浮かぶばかりだ。


 だがエルディンの手は俺の肩を叩き、そしてドアノブに手をかける。


「そんなことはない。君の故郷だぞ?見捨てるなんて選択肢は最初から無かったさ」


 ガンと蹴られた扉は小さく音を立てながら開いた。

 簡単に、軽々と。


「顔を上げてくれ、ユリウス。ボクが君に秘密を打ち明けたのは君を追い詰めるためじゃない」


 視線の先。

 エルディンは身を屈めて待っていた。

 手をこちらに差し出し、小さく微笑んで。


「どうか任せてくれないか。ボクは君に故郷へ送り届けると約束した。そして旅の中で君は幾度もボクに奇跡を示した。今度はボクの番だ。勇者として君に奇跡を示す。すぐにでもイングリットの村へ行こう」

「……でも、どうやって」

「ちゃんと手段はあるさ!君が救ったイーレ様が教えてくれた!ボクは今までの旅で何個もそれを集めてきたんだから!」


 泣き出しそうな俺に彼は明るく語り掛ける。

 それは励ましであると同時に、彼の自信に満ちた言葉。


「今こそヴィーレムの絵画の出番だ!」


 ---


 それからすぐに行動を起こした。

 エルディンはザルバたちの事と次第を伝えに行った。

 これから単独行動をすることも。


 俺は部屋へと急いだ。

 荷物もそうだが、大切な仲間を置いていくわけにはいかない。

 彼女も俺と同郷なのだ。

 スヤスヤと寝息を立てているところ申し訳ないが、叩き起こさせてもらう。


「シエナ!シエナ!!起きて!!今すぐ!!」

「何!?敵!?」


 部屋に入ると同時に彼女に大声で呼びかけた。

 飛び起きた彼女は即座に剣を抜き放ち、ベットに立ち上がって構えて見せた。

 流石《赤角》。

 常在戦場の心構えは完璧だ。

 だが、今はそれを褒めている場合ではない。


「大急ぎでここを発ちます。すぐに出ますよ」

「……んえ?でもまだお風呂も入ってないんだけど」

「良いからはやく!ほら!荷物持って!!」


 若干寝ぼけている彼女。

 荷物を放り投げれば、彼女はそれを抱えてまたウトウトし始める。


「あぁもう!!」


 帽子。ローブ。カバンに杖。

 それらを手早く身に付けた。


 そして窓を開け放ち、杖を構える。


 放つのは雷轟の射手(トリガー)

 弾頭を生成せずに、炸裂音だけを特大の音量で轟かせた。

 さながら目覚ましバズーカ。

 ご近所の方々には申し訳ないが、今は急いでいる。


「ひゃあ!??え!?何!!??」

「おはようございます!!!!!行きますよ!!」


 眼を真ん丸に見開いた彼女の手を引っ張って部屋から出た。

 小走りで進めば、さっきの音はなんだ!?と衛兵たちが走っていく。


「何よ!?何事なの!?説明しなさいよ!!」

「イングリットの村が魔獣に襲撃されました。そこへ急行します」

「イング……あんたの故郷じゃない!?」

「だから行くんです!大急ぎで!!」

「ま、間に合うわけない!!どれだけ距離があると思ってんの!?」

「わかってます!!!」


 俺も先ほどまではそう思っていた。

 でも今は違う。

 エルディンが語ってくれたそれを思い出す。


 ベルガー大陸から旅を続ける最中、エルディンは風景画を買い込むことがあった。

 特に眺めることなどせず、すぐに大事に梱包してギルドの本部へと送っていた。

 それこそがヴィーレムの絵画。

 俺の杖、三眼の守護女神(トリアード)の前の持主にして、希代の魔術師。

 絵画魔術師ヴィーレムが残した魔道具だ。

 異端者として処刑されたはずの彼の作品をエルディンが集めていた。

 そしてそこにあるのだという。

 時空を繋ぐ絵画の中に、ディーヌ孤児院を描いた絵画が。


「エル!呼んできたぞ!」


 食堂の扉を乱暴に開け放って中に入る。

 そこにはすでにザルバやアルフリードと話すエルディンが居た。


「──ということなんだ。悪いけど船旅はキャンセルだ。ボク達はアリアー大陸に急行する」

「ではせめて岩琉鳥(ガルダ)を出そう。さすればより早く着けるはずだ」

「お気持ちだけ受け取るよザルバ。すぐにでも出発する。国王陛下には上手に伝えてくれ」


 そう言って彼はザルバたちに背を向ける。

 俺とシエナに向き直った彼。

 その表情は決心のついた顔だった。


「シエナ、ユリウスから大まかな事情は聴いたね?」

「……えぇ」

「じゃあ良い。すぐに出よう」

「悪い!少しだけ!」


 時間が無いのは百も承知で彼らの方に駆け寄った。

 そして騎士礼節の最敬礼で、彼らに頭を下げる。


「《剣将》ザルバ。《絶剣》アルフリード。ここまでの護衛。心から感謝します。貴殿らの力添えはとても心強かった。こんな急な別れで申し訳ないですが、俺たちはいきます。どうかご健勝を」

「……最後まで貴殿と旅を共にしたかったぞ《魔道士》ユリウス。アレクの孫よ。……堅物なのはあ奴譲りよな。行きなさい。何かあれば手紙を寄越すがいい。岩琉鳥(ガルダ)に乗って馳せ参じよう」

「お前は杯を交わした。お前の呼び声に俺たち獣人族はいつでも応えるぜ。困ったら頼れ。外でも追放者仲間に声をかけといてやらぁ」


 双方に笑みをこぼしながら、そう言ってくれる。

 それにもう一度頭を下げて礼を言った後、駆け足で食堂を後にした。


「……惜しいのぅ、アレクの孫にしておくには実に惜しい」

「婿養子にでも迎える気かよ」

「引く手あまたであろうな。アレは。デニスの面影もある。将来大物になるぞ?お前も尻尾を振る準備をしておけ」

「はぁ?アイツに?冗談は顔だけにしとけよおっさん。……お前()?おいどういう事だ?お前まさか!おいおっさん!おい!!」


 ---


 王城を飛び出し、街の中をかけて行く。

 石造りの綺麗な街並みは今は眺めている余裕がない。

 息を切らしながら走る。


「何処へ向かうのよ!」

「ギルドだ!ここからならギルド本部へ直通で行ける!!」


 人混みをかき分けながらエルディンを先頭にそこを目指す。


「君がいない間ボクは方々に手を回していた。この街のギルドに本部へ続く絵画を送り、少しでも早く援軍を送り込めるように仲間を向かわせていた。仮にボクが居なくなっても君を故郷へ送り届けられるように準備はしていたさ!」

「だから……!なんでそういう事言わないんだよ!」

「ボクの敵に悟られないようにするためだ。アイツらは何処に情報網があるかまだ不鮮明だ。水夫の多い船の上であまり手の内を話すわけにはいかなくてね。君個人を暗殺される可能性だってあった」


 話ながらの会話。

 すでに剣士組が先行し、俺は徐々に遅れ始めていた。


「ユリウス!はやく!」

「わ、わかってます!!」


 運動不足なわけでは無い。

 日夜魔物と、もしくは来るべき兄弟子との戦いを想定してトレーニングは積んでいる。

 だがそれでも彼ら剣士の身体能力にはまだ追いつかない。

 天性の才能の差と、与えられた祝福の差を思い知らされる。


 市場で大きな籠を抱えた鱗の民たちの間をすり抜ける。


「こらー!!危ないではないか!!」

「ごめんなさーい!!」


 柵を飛び越え、その下のベンチでいちゃついているカップルの間を割って走る。


「え!?何!?」

「お幸せにー!」


 裏路地を抜ける際、小さな子供が悪漢に財布を奪われそうになっていた。


「邪魔!!」


 シエナが悪漢を蹴り。


「ごめんねー」


 エルディンが背後から背中を突き飛ばし。


「はい終了」


 仕上げに俺が土魔法で縛り上げた。

 通り魔にやられたようなその悪漢はキョトンとした顔で地面に横たわった。


「あとで衛兵よんでねー!」


 それだけ言い残して角を曲がる。


 ──ありがとー!


 小さく聞こえる御礼を耳にしながら、その先のギルドへと飛び込んだ。

 バンと開け放たれるスイングドア。

 シエナの蹴りが打ち込またそれは無残にも片側が千切れて床を転がった。


「あああ!ごめん!!ちょっと急ぎなんだ!後で弁償するからほっといて!」


 エルディンが必死で取り繕う後ろにやっと追いついた。

 息が上がるのを整えながら皆でカウンターに向かう。


 カウンターの受付嬢も眼を真ん丸にしていた。

 給仕の内の何人かは敵襲かと身構えて机の下に逃げ込んでいる。


「なんの御用でしょうか。ここはギルドです。騒ぎとなるようでしたら腕づくで排除します」


 気の強そうな眼鏡の受付嬢がそう啖呵を切る。

 無機質なガラスの奥の眼は鋭くこちらを見据えている。

 おそらく腕が立つのだろう。

 コンパクトに構えられた徒手空拳には一切の隙がない。


「ギルドマスターからのご助力願いたい。アンリエッタさん」

「……勇者様でしたか。荷物は届いています。ですが扉は静かに開閉してください」


 ギッとシエナを睨みつけるアンリエッタ。

 しかしシエナはものともせずに堂々としていた。

 腰に手を当て、ふんぞり返ってそこに居る。


「では、冒険者符形を。登録が無ければこの場で登録しますが?」

「要らないわ」

「お願いします」


 それぞれが出した符形に彼女は素早く目を通す。

 そして物の数秒で符形はこちらに帰ってきた。


「《銀の勇者》エルディン・リバーテール様。《赤角》シエナ様。《魔道士》ユリウス・エバーラウンズ様。3名での利用ですね。しかし勇者さま。こちらの方々は部外者です。ギルド本部への転移は許可されていません」

「構わない。緊急事態なんだ。今すぐに通してくれ」

「……」


 再びジロリとこちらを見る彼女。

 しばらくの沈黙の後。


「アシュリー。店を頼みます。……ではどうぞ。ゲストルームへご案内します」


 と口にし、カウンターの奥。

 カーテンに仕切られた店のバックヤードへと俺たちを招いた。


 廊下を進み、裏口から出て外付けの階段を上った先。

 二階の、業務用の倉庫のような場所へと通された。

 壁紙も張られた貴族の屋敷風の部屋は人の気配がなく、家具はすべて埃が被っていた。

 しかし中にはお洒落なガーデンテーブルと椅子が1セットある。

 そして厳重に梱包された荷物がひとつ。

 おそらくあれが絵画だろう。


「これがゲストルーム?」

「……質素ですね」


 思わずそう口にしてしまう。

 掃除も行き届いていないし、飾り気などはない。


「ギルドで言うゲストとは、すなわち勇者様の仲間である思っていただければ」

「いつ来るともしれない伝説の存在のためにこうやって部屋を用意してくれてるだけありがたいってことだよ」


 アンリエッタの説明にエルディンが補足し、そして荷物に手をかけた。


「お2人にお願い申し上げます」


 アンリエッタがこちらに向き直り、その眼鏡越しに俺とシエナを見据える。


「これより先はギルドの最重要機密。秘匿事項第一項である"異端魔術"への接触行為となります。これはギルドの存続そのものに関わる重要事項です。もし秘匿が暴かれるようなことになれば、我々ギルドはあなた方も、あなた方に関わった者も。家族も。全てを消し去らねばならなくなります。これは脅迫などでは無く警告です。お忘れなきよう」


 深々とアンリエッタは頭を下げ、そして部屋を後にする。


「アンリエッタさん。絵画は後で本部に届けておいて欲しい」

「……かしこまりました」


 扉が閉まる寸前のやり取り。

 そして俺たち3人だけになった部屋は辺りの音を一切通さずにシンと静まり返った。


「防音か……」

「それだけじゃない。防弾。防刃。対魔術用防護術式。ギルドのゲストルームは勇者の最後の砦として機能するだけの強固なつくりになっている。外からこの中の会話を聞くことは出来ないし、中を透視することも出来ない。完全なブラックボックスさ」

「そんなものが街ごとにあるなんて、ギルドはすごいな」

「流石に全部じゃないよ。せいぜい本部直営が限界さ。……さぁ、御開帳だ」


 バサリと最後の包み紙が取り去られた。


「これが、ヴィーレムの絵画……」


 ギルドの最重要機密。

 異端の魔術師が残した勇者の切り札。

 絵画魔術。


 現れたのは額縁に入れられてすらいない油絵のキャンバス。

 大きさは畳半分ほどだろうか。

 古ぼけた油絵具の匂いが鼻につく。


 描かれているのはどこかはわからないが、テラスからの眺めのようだ。

 大きく切り立った、空を覆うような崖。

 そして街を見下ろすような景色。


 それが叩きつけるような荒々しいタッチで描かれていた。

 一見すればカラフルな色使いではあるが、影の中に赤いインクが細く垂れて居たり。

 空の青のインクの影にどす黒い緑色が隠れていたり。

 どこか薄気味悪い。

 狂気の様な、執着の様な物を感じる絵だった。


「……気味が悪い絵ね……」


 シエナも同じ感想を持ったらしい。

 しかし不思議と目を惹きつけられるような絵だ。

 思わず2人そろってジロジロと前かがみで覗き込んでしまう。


「なぁエルこれのどこが魔術なんだ?魔法陣も何も見当たらないけど」

「あぁ、それはこうやって使うんだよ」


 エルディンが俺とシエナの背中を突き飛ばした。

 前かがみだった2人はそのまま思いっきり絵画に向かって手を伸ばす。


 キャンバスを突き破ってしまう。

 そう思って焦ったのもつかの間。

 今度は別の衝撃が視界に入る。


 ドップリと、腕が絵画に飲み込まれた。

 まるで水面に手を漬けたように波紋を立てて絵画に腕が肘ほどまで飲み込まれている。


「「うわああ!!???」」


 そのまま絵画に引き込まれる。

 何の抵抗も出来ぬままに絵具の水面に体ごとのみ込まれた先は魔力と風の渦の中だった。

 ぐちゃぐちゃに引っ張られて間延びした景色の洪水。

 ビビットな、サイケデリックな色合いで描かれた風景画が群れを成して通り過ぎて行く。

 光と影。でも太陽も月も無いその空間を真っ逆さまに落ちて行く。


 俺もシエナも声すら上げることが出来なかった。

 ひっくり返った視界の先。

 四角くぽっかり空いた穴からエルディンがそこへ飛び込んでくる。


「ユリウス!間違っても飛ぶなよ!何処に飛ばされるかわからなくなる!」

「こんな中で飛べるか!!」


 シエナのローブの裾を何とか掴みながらきりもみ状態で落ちて行く。


「ユリウス!あれ!!」


 シエナの指さす先にエルディンが飛び込んできたような四角い穴が開いていた。

 出口だ。


 スポーンと見事に飛び込んだ先。

 まるで投げ出されるように重力が元に戻った。


 小さく悲鳴を上げながら俺が床に落ち、そしてその上にシエナが落ちる。

 冷たい石材の床。

 そして上からの温かく柔らかい感触。


「シエナ、無事ですか?」

「ご、ごめんなさいユリウス。すぐ退くから!」


 ズバッと彼女は横に受け身を取った。

 残念。

 もう少し触れ合いを楽しんでいたかったが……。


「どいてユリウス!!!」


 今度はエルディンの膝を顔面に貰った。

 うん。

 それは要らない。


「ぐおおおおおぉぉぉぉ……!!」


 悶絶しながら冷たい床を転げまわる。


 ……ん?冷たい床?


「起きてユリウス。時間がない。次のジャンプだ」

「ここはどこだよエル」

「ギルドマスターのプライベートテラスだ」


 さっと見渡せば、光あふれる開放的な空間だった。

 黒い艶のある床材は化石のような物も見て取れる。

 大きなベッドに、獣の頭が着いたカーペット。

 明らかに富豪が住んでいるであろうその部屋からの窓の景色は絵画のそれそのものだった。


「アリアー大陸。王都アレスティナのギルド本部へようこそ。だがゆっくりはしていられない。ついてきてくれ2人とも」


 足早に進むエルディンの跡にシエナに引っ張り起こされながらついて行く。

 正面の扉を潜った先に女性が居た。

 ギルドの受付嬢が着るような給仕服を少しだけ質素にした礼服を着込む髪の長い女性。

 金髪の彼女はすぐに振り向いてエルディンに微笑みかけた。


「エルディン様!お帰りに……だ、だれですかあなた達は!!」

「落ち着いて、スザンナ。ボクの友人だよ」

「邪魔するわよ」

「どうもー」


 小さくお辞儀しながら彼女の脇を通り過ぎる。

 スザンナと呼ばれた彼女はそのままポカンとそこに立ち尽くした。


 それを無視してさらに扉を潜る。

 何やら貴重品が沢山置かれたようなその部屋。

 剣や鎧。他にも杖やスクロールと呼ばれる紙に書かれた魔法陣など。

 雑貨屋と呼んでも差し支えないほどの品ぞろえがずらりと出迎えた。


「あ、ここにある物は絶対触らないでね。王都アレスティナの宝物庫だから」

「は?」

「あれ?知らない?ギルド本部は王城アレイシアの中にあるんだよ?」

「いやそうじゃなくて!」

「いいから早く。こっちだよ」


 その一角に、先ほど見た絵画と同じタッチの物がいっぱい飾られていた。

 ガラスケースに入れられたそれはヴィーレムの絵画だ。


「しまった鍵が……開けといてくれって言ったのに」

「開ければ良いのか?」


 サッと腰のナイフを抜き放つ。


「いや、そんな刃物じゃこのケースは破れないって」

「破るのは無理だろうな」


 ナイフの柄の所のキャップを外せばピッキングツールが現れる。

 盗賊のナイフ。

 実家から持ってきて、いま唯一手元にある母からの贈り物だ。


 鍵穴にあてがい、少し弄ればそのケースのロックは簡単に開錠出来た。

 物の数秒だ。

 ……もしかして本当に盗賊や追剥の方に才能があるのかもしれない。


「ほい」

「……そのナイフ、魔道具なのか?」

「さぁ?母さまから譲ってもらったものだから詳しくは知らないな」

「あとで君の家族のことも聞かせてくれ」

「エルディンもユリウスも。話してる暇があるわけ?」

「「そうだった!」」


 シエナに言われて大慌てでガラスケースから絵画を取り出す。


 今度の絵画は白い石造りの教会のような建物の絵だ。

 冬の凍えるような空気感が絵から漂ってくる。

 枯れ木の色使い。

 空の色。

 確かにアリアー大陸の空の色がそこにある。


「行くよ!」

「えぇ!」

「おっしゃ!」


 次々に絵画に飛び込み、またその部屋に静けさが戻る。


 風、魔力の渦。

 そしてその先の出口。

 2回目ともなれば、それほど驚かないようになった。

 ただ、底知れぬ気持ち悪さのような物が胸を掠めた。

 味わったことのある、腹の底から湧き上がる嫌悪感。

 テオドールの気配。


 杖を握る手に力が入る。

 もし、もし村を襲撃している奴らの中にテオドールがいたら。

 そういう考えがジワリと浮かぶ。


 倒せるだろうか。

 殺せるだろうか。

 今の俺に、家族と仲間を助けることが出来るだろうか。

 ……間に合うだろうか……。


 ──大丈夫。そのために描いた道だから。


 耳元で風に混じって声が聞こえた。

 振り向いた先、白金の杖に添えられた二本の左手の幻影が見えた。

 それはすっと、見送るように景色に溶けた。

 ただ別れを惜しむように三眼の守護女神(トリアード)の魔石に光が明滅する。


「出口だ!」


 エルディンの声。

 そして再び投げ出された先。

 絵画に描かれた白亜の教会がそびえ立った。

 そして懐かしい空気と空。


 転がった先の地面の匂いと、見上げた鼻先を掠める風の色。


「……アリアー……本当に、帰ってきてたのか……」


 くるりと、シエナと一緒に見渡す。

 彼女も眼を丸くしていた。

 後ろを振り返れば小高い丘の下。

 広大に広がる平原が見える。

 レッド平原。

 俺とシエナが過ごした街を囲む懐かしい景色。


 いつかエルディンが一年かかる道のりを二か月で帰ってきたことがあった。

 これを使ったのであれば、納得のいく話だ。


「アリアー大陸北西の街、ディーヌ。ボクの故郷だ。ここからは早馬で平原を横断する。魔物も出るけど、休まずに走れば明日の夜にはイングリットの村にたどり着けるはずだ。急ごう」


 そこからはまた早かった。

 まるで用意されていたかのように支度が整っていた。

 迎えてくれたのはドラゴンロッド家の衛兵たち。


「シエナ様。おかえりなさいませ」

「また立派になられましたね。領主様がみたら卒倒しそうだ」

「誉め言葉ということにしといてあげるわ!」


 早馬を引き連れた彼らから、シエナはふんだくるように馬を受領した。


「ん?ユリウス君?ユリウス君だね!!」

「おお!無事だったか!覚えてるか?お嬢様の誕生会の時に一緒に居た!」

「もちろんです!お2人とも元気そうで!!」

「……イングリットの村に行くんだね」

「はい……」

「そうか。急ぐと良い。今朝のことだが、救援の狼煙が上がっていた。少なくとも生存者はまだかなりいるようだ」

「ほ、本当ですか!?」

「村の警護団が現場判断で動いたらしい。すでに避難を開始しているということだよ」


 希望の知らせだった。

 生存者がいる。

 それもかなり。

 しかも警護団が先に動いた。

 であるならば。それを指揮している人物はすぐにでも思い浮かんだ。


 父さま……!!


 胸が熱くなる。

 まだ生きている。

 俺の家族が。

 手遅れになんかなっていなかった!


「ユリウス!!」


 シエナの後ろに乗せてもらって早馬に跨る。

 エルディンは彼の相馬だという白い馬に飛び乗った。


「……行くわよ、ユリウス。飛ばすからしっかりつかまってて」

「はい。お願いします。……シエナも、巻き込んでしまってすみません」

「フン!今更よ!!」


 景気よく馬の腹に踵をぶつけ、風を切って走り始める。

 徐々に傾き始めた夕日が、いつかのように平原を黄金に染め上げる。


「ユリウス。シエナ。そのまま聞いてくれ」


 並走するエルディンはまっすぐに地平の向こうを見つめる。


「これがボクに出来る最大速力での移動だ。君達との旅の間、なんとか用意できた道筋。でもここから先はどうなるかわからない。だからごめん。大した力にはなれなかった」


 悔し気に表情をゆがめる彼を見つめた。

 手綱を握る彼の籠手がギリリと音を立てている。


「恨んでくれ。殴っても、石を投げても構わない。結局君達を危険な目に合わせてしまっている。無能な勇者だ」

「反省会はあとだ!ここまで連れてきてくれたなら十分すぎるほど有能だろ!俺はもう腹をくくったぞエル!!」

「そうよ!まずは村に着いてから泣き言言いなさい!……来るわ!魔物よ!!」


 平原の陽光の元、こちらに走りくる魔物の姿があった。

 小茶野犬(レッサーハウンド)の群れ。

 今となっては懐かしいその魔物が行く手を阻む。


「シエナ!進路そのまま!!行くぞエル!!道を開く!!手を貸せ!」

「ユリウス……あぁ。あぁ!行くとも!!」


 馬の背から飛び上がって星雲の憧憬(ネビュラ)を起動する。

 熱輪が瞬き、高度を上げて杖を掲げる。


 それと同時にエルディンも馬から飛び降りた。

 地を蹴った瞬間に彼は銀色の風となる。


 早馬よりもさらに早く、影すらもぶっちぎって勇者が舞う。

 すぐそばに迫った魔物に光り輝く翠と蒼の閃光が襲い掛かる。


「今は止まるな!!走れ!!」


 遠くに見える魔物の群れも今ならば射程範囲だ。


 薙ぎ払う。

 ここまで来たのなら俺たちは止まっていられない。

 もうすぐだ。

 もうすぐこの旅も終わりを告げる。


 だが、そうであるならば。神様。

 どうか、大団円を。

 家族と仲間。

 誰しもが無事に、笑って迎えられるエンディングを用意して居てくれないか。


拡散弾頭(フレシェット)!!」


 炸裂音が轟く。

 俺は帰ってきたのだと知らせたい。

 どうか雷轟よ。

 家族の元へと届けてくれ。


 俺は、いまここにたどり着いたのだと。

 あとほんのちょっと待っていてくれと。


「よし!」


 エルディンが剣を収め、その後ろから駆け寄る馬に勢いのまま飛び乗る。


「……!ユリウス!空を!!」


 夜へと移り行く空に、一筋のほうき星が流れて行く。

 燃えるように、七色の光を纏いながらそれは夜空を駆ける。


「あれは吉兆だ!空の雫の落ちる時、見上げたものには幸運がもたらされる!ついてるぞユリウス!」


 魔物を蹴散らして、速度は緩めずに平原を駆ける。

 信じよう。

 家族は無事だと。


 流れ星に祈りながら、故郷へ向けて馬を飛ばす。

 豊穣の女神アレイシアよ。

 どうか俺の家族を守りたまえ。

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