第七話「街道とコガクゥの村」
魔術師の弟子になるべくコガクゥの村へ旅立ってちょうど6日。
家族とろくに挨拶出来なかったことが心残りであった。
デニスやサーシャ、イリスにいってきますぐらい言いたかったなと時おり思う。
イリスにあっては次に会うのは最低でも5年後。
お兄ちゃんと呼んでくれないかもしれない。
それどころか「あなた誰?」と言われるかも。
…だったら少し、いや、かなり寂しい…
しかし気持ちの切り替えというもの大事なことである。
ひとまずは新しい生活に向けての一歩を踏み出すことが出来たのだ。
うん、切り替えた。
道中の旅は順調で真新しい発見にあふれていた。
さしあたっては異世界の旅には付き物の魔物の襲撃について話そう。
魔物に襲われた回数は今のところ1回だけ。
コガクゥの村へ続く道はその先の首都ロッズに続いている。
この国の由緒正しき貴族ドラゴンロッド一族に与えられた街で、この一帯の貿易の拠点となっている。
ちなみに、この国の王が住む街を王都。王に仕える貴族が統治する街が首都。それ以外の小さな集落は○○の村といった感じで呼ばれる。
今進んでいるこの道は首都を目指す商人キャラバンが時折行き来する大きな街道で、馬車2台がすれ違っても全く問題ない程度には森が切り開かれている。
地面もここだけ草が生えておらず、人の行き来が多いことを表していた。
「そこに石畳があるだろう。今でこそ土に埋もれてしまっているが、もともとこの道は初代ドラゴンロッド卿の威光を持って作られた由緒正しき街道なのだ。」
とアレクは自慢げに言う。
そういえば初めて会った時もドラゴンロッド卿が何たらと言っていたなぁと思いだす。
「ドラゴンロッド家は神々の時代から続く名のある貴族でな。本家は王都の守護に当たっていて、分家がこのドラゴンロッド領を統治することとなった。そこでイングリッドの村を含めた南西地方を統括する任を受けることになったのが…。」
「お爺様ということですね。」
「そうだとも。」
フンーと鼻を鳴らしながらアレクは言った。実に誇らしそうだ。
とまぁ、それだけ由緒正しき街道は要所要所で関所があり、鎧兜に皆おそろいの紅いマフラーを巻いた兵士たちが警備をしていた。
マフラーには家紋が刻んだあった。
翼をもった胴の長い竜が杖に絡みつくような形の文様で、ドラゴンロッド卿の家紋なのだそうだ。
つまり彼らは私兵ということだ
ドラゴンロッドという貴族の権威が伺える。
関所に警備と人の手がかなり入っていることもあって、この道で魔物が出てくることはめったにないそうだ。
とはいえ全くでないわけでもないのが現実。
先ほども野犬に襲われたが、こちらの野犬はいつも見ている野犬に比べて一回り程小さく耳が長い。
また、体毛も垂れた長い耳も黒ではなく赤茶色であった。
祖父が言うにはあれは小茶野犬という魔物で、厳密には野犬とは別の種族になるらしい。場合によっては人に懐き、王都では家畜として飼うこともあるのだとか。
いつもイングリットの村で見かける野犬はその上位種になるらしく。正式な名前は黒衣の野犬。野犬系の魔物の中でも特にずる賢く、獰猛な種族だった。そりゃ警護団も組織されますわ。
そんな野犬たちをアレクはまるで木の葉のように散らした。
戦い方は豪快というほかなかった。
雄たけびを上げながら彼は腰の大剣を抜き放ち、向かってくる野犬は皆殺し。
無駄のない動きから繰り出される必殺の一撃は、中型犬程度の大きさの野犬など真っ二つだ。
時には背後からとびかかれる時もあったが、左手だけを剣から離して殴り飛ばす。
地面に転がったそれをすかさずその丸太のような足で踏みつぶすのだ。
俺以外の小さい子供が見たらトラウマものだろうに…。
全て倒し切ったあたりでアレクは野犬の死体を街道の脇のくぼ地に投げ入れた。
何やら火でも焚いた後なのか、地面は黒く焦げていた。
そしてそこに魔法で火をつけた。
炎はすぐに燃え上がり、肉の焼ける匂いが鼻を突く。
「街道に限らず殺した魔物を食わないのなら必ず燃やさねばならんぞ。」
「なぜです?」
「魔物の死体は次の魔物を呼ぶ。魔物の死体は魔物にとっても貴重な餌だ。」
「共食いするんですか。」
「奴らも生き物だからな。まぁ生き物と言えない物も中にはいる。ここよりも魔力濃度の濃い場所では死体に精霊が宿り、アンデッドモンスターとして再び動き出すこともある。人間も例外ではない。」
「だから燃やすんですね。」
「最低限の処置だ。土地によっては骨になるまで燃やし、土に埋めねばならないところもある。」
魔物というのは想像していたよりもずっと恐ろしいものだと思った。
例え死体になってもよみがえり、再び人を襲うのなら当然の処置だろう。
殺したら、燃やす。
俺、覚えた。
あとわかったことは、この世界の魔物の定義はかなりざっくりとしているということ。
魔物とは人間を捕食する力をもった生物のことを言うらしい。
だったら虎とかライオンも魔物の類になってしまうのではないだろうか。
叶うなら一度連れてきて、冒険者たちに見せてみたいものだ。
「あれも魔物だ。名前を粘精霊という」
地面に転がっている死体を指さしアレクに聞いた。
既に肉体は朽ちて腐臭が漂うそれはドロドロのゼリーのような魔物だった。
「剣や拳が利きにくいが魔法に弱い。魔法が使えなくても、大きな石をぶつけたりして衝撃を加えたら体が飛び散ってそのまま死んでしまうこともある。」
とのこと、つまりは弱いのだ。
おそらくゲーム序盤で出てくるあのプルプル魔物の立ち位置だろう。
「あれはどうやって人間を食べるんです?」
「目や口や鼻から体の中に入り込んで徐々に溶かして食べるのだ。人間を取り込んだ粘精霊は屍粘死霊となって厄介な上位モンスターになる」
なんと、体の内側から捕食する系魔物か。えげつねぇ…。
と思ったところで閃いた。
アレが居るはずだ。
「服や鎧だけを溶かす粘精霊は居ますか!?」
「追剥粘精霊のことか?この辺りにはいないな。東大陸の遺跡群の中には時々現れると聞いたことがあるがな。」
「居るんですね!?」
いるんだ!そんな夢のような魔物が!
ゆくゆくはそこへ出向いてみたい。
あわよくば女の子と一緒に。
ヌヘヘヘ。
ネチャっとした笑みを浮かべそうになる頬を両手で押さえながら茂みを見るとこちらを見ている生物が居た。
まるで鹿のようなの生き物だが、角がすごい。
アンモナイトみたいなグルグル巻きの角が左右に2本ずつ、計4本生えた生き物だった。
ジッとこちらを見てはいるが、襲ってくる気配は無い。
「お爺様、あれは魔物ですか?」
「いいや、あれは魔物じゃない」
「名前はなんというんですか?」
「あー…、さぁな。魔物以外の生き物はよくわからん。捕まえて食ってみるか?」
「え、遠慮しておきます…。」
どうやらアレクは魔物以外の生物には無頓着なようだ。
おそらくは魔物と戦ううちに名前と特性を覚えたのであろう。
特段勉強したわけではなさそうだが、敵の手の内が知れているのと知らないのでは全くの別物だ。
某死にゲーでも初見殺しのモンスターは結構いる。
この世界も同じぐらいそうなのだろう。
経験という立派な知識なので、俺は敬意を表しますとも。
流石は百戦錬磨のアレキサンドルス。
我が家の当主はまさに年の功だ。
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しばらく行くと風景が変わった。
森に入ったのだ。
空気はしっとりと冷たく、街道の石畳は端の方が苔むしている。
いままで拓けていた土地は背の高く幹の太い木々が生い茂り、上を見上げればその枝葉が空を塞いでいた。
お陰でまだ昼だというのに太陽の光はそれほど届いてはいなかった。
しかし暗くはない。
先ほどから続く街道の石畳の脇に灯篭のようなものが一定間隔で置かれている。
そのなかには輝照石が埋め込まれていて、周辺を明るく照らしている。
旅の導き手とはよく言ったものだ。
さて、先ほどからこの道行きはだいぶ賑やかになっていた。
森に入る前に、脇道からキャラバンが合流してきたのだ。
前世での知識では、キャラバンとは砂漠を行く商人の団体だったか。
こちらでもその認識でだいたいあっているらしく、いま一緒に街道を進んでいるには馬の背に山ほど荷物をのせた商人の集団だ。
人数にして20人前後。
女子供も居れば、傭兵のような者。魔術師のような者。姿は様々だった。
とくに目を引いたのが今アレクに話しかけている人物である。
馬の背から馬車の上にいるアレクに声をかけたのはこのキャラバンの長で、クアトゥと名乗った。
アレクのことを知っているようで「もしかしてあの"剣豪"アレキサンドルス様!?。お会いできて光栄だ!」と話しかけてきたのだ。
見た目で言えば30そこそこの細身の男性だ。
長旅なのか継ぎはぎだらけのローブを来ており、長く色素の薄い金髪を右半分だけドレッドヘアにして編み上げている。
ああいう民族っぽい髪型はこの辺じゃあまり見ない。
髪型もそうなのだが見るべきは彼の耳だ。
彼の耳はシュッと長く横に延び、先が普通の人間に比べて明らかにとがっている。
エルフだ。
絶対エルフだ。
いつかは会えると思っていたのでちょっと興奮が隠せない。
やっぱり異世界と言ったら異種族だよね。
エルフ、ドワーフ、ドラゴニュート、etc。
イングリットの村には人間しか居なかったからあまり意識していなかったけど、やっぱり実際に見ると全然違う。
ワクワクが止まらない。
鼻息を荒くしながら幌の間から見ていると。
「ねーねー。」
と後ろから服の裾を引っ張られた。
真っ白のローブを着て、パッと見はてるてる坊主のような格好の人物。
クアトゥと同じ色の髪をした少女。
いや、幼女だ。
確か、ククゥという名前だった。
キャラバンと合流した際に、彼女の母親と一緒に馬車への同乗をアレクが引き受けたのだ。
理由はククゥの母親のお腹だ。
ぽっこりと大きい。妊婦さんなのである。
「パパのお耳が気になるの?」
彼女はそう言いながら首をかしげた。
上目使い、首かしげ、金髪のふんわりウェーブショートヘア
んー!あざとい!!
120点!!!
「耳の長い人を見るのが初めてでして。ちょっと気になってしまいました。」
「パパのお耳カッコいいよね!ククゥも大きくなったらシャキーンってなるんだよ!」
「そうですか、それは今から楽しみですね。」
ククゥが成長した姿を想像する。
青い空と緑の草原。
風に揺れるウェーブがかった白金の髪。
そこからのぞく白い肌と長い耳。
飾り気の無い薄手の白いワンピース。麦わら帽子。
いいじゃないですか。
今から楽しみです。
しかし…
母親のほうへと目をやる。
愛しそうにお腹を撫でる彼女は間違いなく人族だ。
髪は茶髪で耳も短い。
「ククゥはハーフなんですか?」
「はーふ?」
あー、通じないのか。
何て言うのが当たり障りないかな。
混血とかいうと怒られそうなんだよなぁ。
「間の子ってわかる?」
「あ!それならわかるよ!パパは耳長でママは人族だよ!」
なるほど。
やはりエルフ。
そして異種族間でも子をなす事ができる。
愛の溢れる世界じゃないか。
素晴らしい。
決して邪な気持ちは無い。
ごめん、嘘ついた。
「ちなみにおいくつ?」
「10歳!」
わーい、年上だー。
見た目は俺より少し幼いくらいの幼女なのに…。
とりとめの無い会話はしばらく続いた。
ククゥ達が海を越えて旅をし、大陸南東部の山脈を迂回してここまで来たこと。
南東部は海に面していて、色鮮やかな魚と大きな船がたくさんあったこと。
山脈の中程には"色の無い森"という場所があり、そこでお化けがたくさん出たこと。
それらを護衛の冒険者達がしっかり撃退してカッコ良かったこと。
彼女の冒険譚は彼女自身が眠るまで語られた。
大陸の東側の話、海。色の無い森。
いつかは行ってみたいものだ。
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その日の夕方。
西日が木の隙間から姿を消し、輝照石の明かりがより一層強くなった頃。
ククゥ達とは村の入り口で一度別れることとなった。
村に入る前に売るものと売らないものをいったん分けるのだとか。
間違って私物を売ってしまうことも何回かあったらしい。
「パパがこれあげるって!乗せてくれたお礼!」
ククゥが手渡してくれたのは動物の皮で出来たカードのようなものだった。
長い耳を持つ女性のレリーフが埋め込まれていて、裏にはクアトゥ商会とかかれている。
「ほぅ、商人符形とな。」
俺の手のなかのそれを覗き込みながらアレクは言った。
「アレキサンドルス様とお会いできたのも何かの縁。もしご入り用でしたらそちらの符形をお持ちください。お安くいたします。」
「馬車に乗せただけで随分と気前が良いな。」
「いえいえ。アレキサンドルス様がご愛顧してくだされば私どもの商会にも箔がつくというものです。」
なるほど。いわば会員証だ。
王宮騎士御用達の商人キャラバンと名が売れれば、仕入れも値引きも強気で出きるということか。
クアトゥ、めざといな。
「ユーリ。また会おうね!」
元気に手をふるククゥ見送られながら俺たちはコガクゥの村へ入った。
コガクゥの村。
巨大な木々を避けるように曲がりくねった街道を中心に建物が立ち並ぶ村だ。
びっしりと苔むした木は樹齢何年か想像もつかぬほど太く、そしてネジくれたような樹皮をしている。
そんな大樹が村のあちこちに生え、その根元に家が立っている。
家の作りはどれも大樹の根に形を合わせたようで、見方によっては巨大なキノコに見えなくもない。
また、大樹の間隔が近いところでは太いロープが渡されて吊り橋がかかっていた。
大樹の枝の先にも建物が建っているからその連絡通路となっているようだった。
一度上に行った視線を街道に戻す。
気づけば馬車は村を進み、その中心へと来ていた。
村の造りが街道中心ということもあってか、この通りは市場になっていて活気が溢れている。
とにかく人、人、人だ。
喧騒というのか、いろんな声が聞こえてくる。
商人が客引きをする声。
高すぎると値切る声。
どこに眼をつけてんだという怒鳴り声。
奥様方の騒がしい笑い声。
時おり馬車に向かって籠をかざしながら、「新鮮な果実はどうだい!」と並走してくる若者もいた。
そして視界に入る人模様も様々だ。
通りを行き交うのは人間だけじゃない。
長耳はもちろんのこと。
トカゲのような顔をしたもの。
頭に獣耳が生え、尻尾があるもの。
羽の生えたもの。
身長の割に横幅が大きな髭もじゃのもの。
ただ行き交う人を見るだけでもウキウキする。
いかつい鎧を着込んだ大男。
酔いつぶれた若者とそれをシメシメと漁る老人。
怪しげな眼付きで路地の前で客を引く女。
いかにも駆け出しといった風の3人組の冒険者。
「コガクゥの村は首都への中継地。ここは冒険者や商人の溜まり場から村となった歴史がある。」
大通りの喧騒に負けぬようにアレクは声を張って言う。
「相変わらず、首都や王都と勝るとも劣らぬ活気のある村だ。馬車の乗り合い場も冒険者ギルドも混雑しておろうな。」
「ギルドがあるんですか!?」
思わず聞き返した。
ギルド。
やはり冒険者というものが職業としてあるなら存在するであろう施設。
想像だが、ギルドに登録すれば依頼を受けることが出きるのだろう。
そして最初はキノコの採集から始まるはず。
「お爺様。僕ギルドに行ってみたいです!」
「気持ちはわかるがそれは明日だ。」
えええー
ここまで来てそりゃないぜ、じっちゃん。
「まずはこの村の魔術師と顔を合わせるのが先だろう。目的を忘れたわけではあるまい?」
おっと、そうだった。
魔術師の弟子のなるためにここまできたのだ。
いかんいかん、目前のファンタジーな景色に惑わされるところだった。
「そういえば、魔術師さんはなんという名前なんです?」
「ネィダ・タッカーという女だ。」
女!
女魔術師!
やっぱりそうきたか!
我が家の当主様はわかってらしゃる!
「美人ですか?」
「美の感覚とは人それぞれだ。」
え。
なんだか、はぐらかされてしまった。
「ここで馬車降りるぞ。支度なさい。」
その声と同時に馬車が止まった。
町の停馬所についたのである。
---
森の中をしばらく歩く。
まん丸に膨れ上がったリュックが容赦なく肩に食い込むのが正直キツいが、アレクには持たせたくなかった。
彼は我が家の当主であり、師匠となる魔術師ネィダの知り合いだ。
そんな人物を荷物持ちにしてしまうほど俺は子供ではない。
体的にはまだ4歳だが…。
「…本当に持たんで良いのか?」
十数歩先を行くアレクが時おり振り返る。
「ぼ、僕、は、…エバーラウンズの長男です。自分の荷物くらいは…ハァハァ…自分で持てます。」
息も絶え絶えだ。
足もふらつくし、アレクの歩幅には到底追い付けない。
だが負けない。
何事も第一印象で全てが決まる。
それは面接も営業も接客もだ。
首都で有名な祖父のコネで弟子になる。
というだけではちゃんと修行をつけて貰えないかもしれない。
俺だってちゃんと魔法を学びたい。
しっかり魔法を、そして魔術を使えるようになればもしかしたら王宮魔術師になれるかもしれない。
それは文句無しに安定した職業はずだ。
ならばきっちり弟子として扱って貰わなければならない。
心配そうに見ているアレクにやっと追いつく。
アレクだって四六時中一緒というわけにもいかないのだ。
保護者が居ないところで好き勝手する教員などよく聞く話じゃないか。
"アレクの孫と言うのにその程度か"
などと言われて見放されることもあり得る。
なら、自分1人で最低限度のことを1人でこなすことのできる根性ありそうな4歳児と見て貰わねば。
彼に気難しいと言わせるのだから、それくらいの心構えで臨もう。
「そうか、ネィダの家はもうすぐだ。頑張れよ。」
「ハイ!」
リュック背負い直し、次の木を過ぎたところでそれが見えてきた。
村外れの大きな木にそれはあった。
枝からは金の刺繍が入った巨大な赤い布が垂れ幕のようにかかっていて風に吹かれて揺れていた。
木の根元には通りの物と比べれば少し大きなキノコハウスが居を構えている。
その辺までならここまで見てきたコガクゥの家々とさほど変わらない。
一番特徴的なのは木の上半分を覆うように透明な膜が張られていることだ。
シャボン玉のようなそれは、フラスコの中に木の床と机と本棚とをボトルシップの要領で入れ込んだような施設を内包していた。
枝を介さないで作られた中2階にも見える。
いったいどういう原理の構造物なんだ。
あれも魔法なのか?
建物に見とれていると、その間にアレクはまっすぐにその建物に向かった。
根元のキノコハウスの前で俺とアレクは足を止めた。
玄関の扉には獅子の顔を形取ったノックレバーがついている。
建物もレンガ造りだったり、花壇があったりと他の家よりも数段豪華な造りに見える。
やはり王宮魔術師はお金持ちなのだろうか。
「アレキサンドルス・エバーラウンズである!ネィダ・タッカーに
用あって参った!」
ノックレバーをガンガンと2回鳴らしたあとアレクは声高に叫んだ。
森中に聞こえそうな大声だ。
中の人に聞こえてないということはないだろう。
しばらくして玄関の扉が内側から解錠される音が聞こえ、中から人が出てきた。
濡れたように黒く艶のある髪を肩ほどの長さで切り揃えた人物で、白い詰め襟みたいな服を着ている。
肌は白く、そして瞳は深い青色をしていた。
中性的な顔つきで、見た目だけで性別はわからないがかなり美人だ。
年は人間なら10代前半。
人間でないなら話は違うが。
その人物は驚いたように俺とアレクの顔を向後に見たあと口を開いた。
「アレキサンドルス様。よくぞお越しくださいました。師匠に代わり、ご挨拶申し上げます。」
あ、彼だ
声を聞いてそう思った。
玄関から出てきた彼は男性だ。
声変わりしたての中学生みたいな声している。
ということは、彼の話からしてもネィダ・タッカーでは無いらしい。
「しかしながら師匠は多忙の身です。いかに王都防衛の大英雄たるあなた様でも、容易にお通しは出来ません。」
彼の青い瞳は寸分とぶれずにアレクを見つめていた。
無表情であったが、まったく引く気は無いといった姿勢だ。
それを予想していたと言わんばかりにアレクは懐から古い手紙を取り出した。
油が染み込んだ黄ばんだ紙には刻印とネィダのサインがあった。
「その師匠よりの召還状だ。困ったときはいつでも来いと書いてある。」
それを見た黒髪の彼はしばし考えたあと、ではこちらへと。と扉を開け家へと招き入れた。
家に入ると輝照石の光が温かく迎えてくれた。
石造りの床に大樹の根をそのまま壁として利用した部屋だ。
入ってすぐがダイニングキッチンなのはこの世界の定番らしい。
しかし俺たちが次に足を運んだのは扉にはいってすぐ左にあった階段であった。
大樹の太い幹を半周ぐるっと回るそれは手すりなどなく、支柱もない。
木の板が大樹の樹皮からひょこっと出ているだけの造り。
これでアレクが乗ってもびくともしないのだからコガクゥの建築技術は相当高い。
その階段を登りきった先に彼女がいた。
黒のレディーススーツを来たご婦人だ。
メガネをかけ、にこやかな笑みで軽く頭を下げる。
黒髪の彼も頭を下げた。
少し白髪の混ざった黒髪を後ろに撫で付け、蝶の羽の形をしたブローチを着けている。
いかにも品のある立ち振舞いに王宮魔術師という所作を感じた。
思い描いていた美人魔術師の師匠とは少し違うが、どうやらこの人がネィダらしい。
「初めましてネィダ様。」
俺はすぐに教わった簡易騎士礼で挨拶をする。
旅の途中にアレクに習っておいたものだ。
「イングリットの村から参りました。ユリウスと…」
「あぁ、違うんです違うんです。」
彼女は慌てて挨拶を遮った。
「私はシーミィという薬師です。ネィダはあちらですわ。」
なんと人違い。
小恥ずかしい思いをしながらスミマセンと謝り、あちらと示された方向へ向き直る。
そして俺は停止した。
行動が、思考が、時間が。
ピシリと止まる。
ソファーに深く腰かけて貧乏ゆすりをしている人物が目線の先にいた。
明らかにふてくされた表情のその人は。
その…。
一言で言えば…。
─オークだった。
脱色と染色を繰り返したようなバサバサの茶髪。
マツ○デラックスもかくやという体型で、麻のズボンとダボついたシャツを着たオーク族がそこにいた。
「え」
思わず口から声が転がりでた。
何かの冗談なのではないか?
「あ"?」
オークが鳴いた。
苛立ちを一切隠そうともしない鳴き声だ。
何に不機嫌なのか想像できない。
腹でも減ってるのか。
本当にコレが俺の師匠になる人物なのか?
「ネィダ。相変わらずだな貴様は。」
アレクが声をかけた。
それにチッと舌打ちで返す。
あぁそうか、コレがネィダなのか。
俺は思い描いた王宮魔術師を思い出していた
不死の秘術を体得した、美人の超腕利き魔術師。
そんな妄想はオーク族によって完膚なきまで破壊された。
第一印象で全てが決まった瞬間であった。
人物紹介
クアトゥ 長耳 クアトゥ商会の会長。330歳 人族の妻は三人目。
ククゥ 長耳 クアトゥの娘 10歳 好きなタイプは尖った人。