第七十三話 「人の膿」
陣風が舞う。
砂埃を巻き上げ、戦士たちの雄たけびを運ぶように。
神聖なる大樹の前の広間は血みどろの戦いが繰り広げられていた。
同族同士で、自らの選んだ主導者を頂きに飾るため。
次世代の幸せを、自分の子供たち。さらにその先の子供たちのために。
最初はそういう希望のための争い。
だが今ここにあるのは殺し合い。
ただ居ない方が都合がよい者を消すための。
「叔父上……!」
元々やぐらだった丸太の山。
セドリックの馬鹿力によって吹き飛ばされたそれに族長のオージェイルは下敷きにされている。
それを小さなフジが必死で引っ張りだそうとしていた。
オージェイルほどの筋骨隆々な獣人族であれば可能性はあっただろう。
だが、彼はまだ小柄だ。
その小さな手では、族長を助けることは出来ない。
「フジ!」
「ユリウス……」
涙目でオージェイルの手を引っ張る彼。
苦し気に顔をゆがめたオージェイルは顔が青白く、生気が無い。
圧迫死しかけている。
周りを見渡す。
手を貸してくれる人などいない。
あのジルフリーデも、そこで倒れている。
息があるのは確認したがこちらも助けるだけの余裕がない。
思うことは1つだけだ。
魔法が使えさえすれば。
(言ってる場合じゃねぇだろ……!)
すぐに転がっている丸太を拾い上げる。
「フジ!テコの原理だ。力を貸せ!!」
「ぐすっ……わかった!」
丸太を差し込んで、何とか持ち上げる。
わずかでも隙間を作れば、きっとオージェイルは自力で抜け出せる。
そう思いたい。
「……放っておきなさい、ユリウス」
「族長!起きてたのならさっさと出てこい!!」
オージェイルの弱々しい声。
浅く、そしてゆっくりと息をする彼はもしかしたら内蔵を痛めているのかもしれない。
何であろうと時間が無いというのに、そんなことを言うのだ。
1の2の3でフジと思いっきり丸太に体重をかける。
本当にわずかに動きこそしたが、それでも揺れたぐらいのものだ。
ほぼほぼ効果がない。
「……これは、神罰だ。妻も娘も守れず、君のような子供にひどい仕打ちをした私への罰だ。このまま私は、天に還る」
あぁもう。
そういうのやめろよ。
フジだって泣いているじゃないか。
「これでやっと、妻の元へ行ける……」
スッと、今際のように彼は目を閉じた。
そこに蹴りをぶち込む。
裸足だ。
そこまで痛くないはず。
族長も「え?今蹴った?この雰囲気で?」みたいな顔する。
ますます頭にくる。
「ふざけんな!!何が神罰だ!何が妻の元へだ!!てめぇ!勝手に諦めてんじゃねぇぞコラ!!」
体全身の力を丸太にかける。
力んで震える手が何度も滑るものだから、そのたびに丸太をかけなおす。
「罰を与えるのは神様じゃない!!あんたが会うべきは死者じゃない!!あんたは俺が裁く!そんで、そんで!!!」
ギギギと、やぐらが動く。
少しだけ隙間が出来る。
「あんたはイーレを迎えてやるんだ!!生きて娘を抱き締めてやれ!!それまで死ぬな!!馬鹿垂れ!!!」
自分の死をあっさりと受け入れてしまう自分が言えたことじゃない。
だが、イーレの事を思えば腹の底からそんな説教が口を突いた。
「あの子はあんたに会うために旅をしてきたんだ!!あんたはどうだっていいがイーレが報われないのは我慢ならねぇ!!!
一緒に旅して、ご飯を食べて。
時に笑って、時に泣いて。時に怒られた。
今でこそ俺より背が高く、言葉も達者な彼女だが最初は文字通り孤独だった。
あの小さな体で、必死で走って逃げてきたイーレ。
故郷に帰る。
俺と同じ旅の理由。
その帰った先で、父親は内輪揉めで死んでましたなんて。
そんなバッドエンドは、俺が認めない。
俺はハッピーエンドこそが至高と信じてやまない男なのだ。
「だから、だから頑張れ!!フジ!!もう一回だ!!」
「はい!!」
玉のような汗をかきながら、目一杯力を籠める。
もしこれが魔法であればもう島ごと持ち上げるくらいの力みようだ。
本当に、もっとムキムキになるまで鍛えておけばよかった。
マジカルとフィジカルはセットだが比例はしない。
肉体強化の魔法も研究しよう。
全部が終わったらな。
「……放っておきなさい、フジ。オージェイルはそれでいい」
背後からの声。
ゆっくりと後ろに振り返り、フジとオージェイルの前に立ちはだかるように身構えた。
ケーシーだ。
右眼の所が紫色にぷっくりと腫れ、前歯が折れた彼がそこに居る。
周りには10名弱の手下。
どれも手負いだが、武装した戦士たちばかりだ。
「……手を貸してくれる……という雰囲気ではなさそうだな」
「当然です。私はそこの愚か者を殺し、神樹を打ち倒すのです。裏切り者と、フジと一緒にね」
「フジはあんたの子供だろ!!」
「今は!私の子供ではない!実の父を案ずるならまだしも!その敵であるオージェイルに手を貸すような不届き者など!私の息子ではない!!!」
敵意むき出しの声は当然フジにも届いた。
彼は小さく悲鳴を上げた。
ポロポロと涙するフジを後ろに隠すようにして一歩前にでる。
「良くしてやったのに!育ててやったのに、この裏切り!親不孝者め!!泣いて済むと思っているのか!!誰のために今日まで苦心してきたと思っている!!真に父を思うのであれば、お前はすぐにでも腹を切って死ねばよいのだ!!お前なんぞいなければ良かったんだ!!!!」
次第に泣きじゃくるフジの頭に手を置く。
頭を撫で、大丈夫と。リップサインを送る。
「……てめぇ」
低く、唸るように声が出る。
握りしめた拳の内側に炎が宿る。
「親に死ねって言われた子供の気持ち。少しでも想像したことがあるのか……ッ!」
怒りが言葉になる。
言葉は殺意に。
それは相手にも伝わる。
ギリリと歯を噛み締める。
「なんでこの子があんな大それたことをしたと思ってる。なんでこの子があんたの悪事を暴いたと思ってる!凶行を止めたのも企みを暴いたのも!父親のあんたのためだろうが!!!!」
「知らん!!そんなことは一度も指示しておらんわ!!」
だめだ。
話にならない。
いったい何が彼を変えてしまったのかは知らない。
だが、駄目だ。
アレはすでにフジを育てたケーシーではない。
自らの悪行に取りつかれ、手段と目的を見失った獣に過ぎない。
「ぐぉああぁあああ!!!!腕が!!!腕がぁあああ!!!!」
突如そんな叫び声がその場に響いた。
セドリックだ。
彼は間違いなく気を失っていたはず。
そちらに目線だけやる。
「な、なんだよアレ……」
背筋が凍り付き、そんな言葉が口から洩れた。
セドリックが、喰われている。
何かはわからない。
ただ、セドリックに纏わりついていたグニグニの鎧が右腕から形を成した。
巨大な蛭の様に蠢いたそれが、無事だった彼の左腕を丸っと飲み込んでいる。
「ガブリエラ!!!ガブリエラァ!!!なんだこれはぁ!!ヒッ!ぎぃやあああああ!!!」
左腕を食いちぎったその肉塊は今度セドリックの腹に喰いつき、喰い破る。
ガブリエラ!ガブリエラ!と彼の錯乱した悲痛な叫びがその場に満ちる。
「やれやれ、やっと魔獣核が芽吹きましたか。もう少し早く芽吹くと思っていましたのに……」
「お前、セドリックに何をした!!」
「用無しを有効活用するだけです。全ては我らが彼女の意思。そう、貴方の死も。殺せ!」
ケーシーの合図で、戦士たちは一斉に襲い掛かる。
族長と俺、そして実の息子であるフジを亡き者にするべく。
魔力を練る。
炎はすぐに消えてしまう。
武器は無い。
身軽な獣人族にインファイトは望めない。
啖呵を切ったが、勝ち目が無い……ッ
「逃げなさいユリウス!」
「やかましい!!」
オージェイルに一喝する。
丸太を振り上げて、槍のように構えた。
重いそれは到底武器としては扱えない。
だが、このまま黙ってやられるわけにはいかない。
八方ふさがりだが、なんとかフジだけでも……!
驚くほどに息のあった同時攻撃。
そんなに練習したのかい?と尋ねたくなるような剣の冴えが襲い掛かる。
思わず腕で顔を覆った。
どうしようもない。
そう思った。
「……言ったろ?何かあったら、ボクが駆け付けるって」
風に乗って、声が聞こえた。
色を付けるなら銀色の、優し気な青年の声。
吹き付ける風と、激しい剣撃の音。
屈強な戦士の総攻撃を、たった1人で受け止めた人物が居た。
あぁ、こいつは本当に。
本当にいつも登場が遅い。
すぐ行くー。と言いながら、毎回30分そこら平気で遅刻する親しい仲のよう。
銀色の髪に、麻のローブ。
髪と同じ色の銀色の軽鎧。
右手には翡翠の。
左手には蒼水の。
1対の精霊剣が握られ、それらが攻撃の一切を漏らさずに受け止めた。
「おせぇよ!」
「ハハハ!!待たせたなぁ!!!」
《銀の勇者》エルディン・リバーテール。
何処からやってきたのか、彼は俺たちの窮地に突然現れた。
そして見事なまでに見せ場をかっさらっていったのだ。
チクショウ。
ちょっとカッコいじゃないか。
「このっ……」
「動くな」
先ほどとは打って変わった殺気の籠った声をエルディンが発する。
戦士全員が真っ青に顔色を変えた。
「悪いけど、ボクは今最高に機嫌が悪い。一歩でも動けば首を落とすぞ」
グンと力を入れた瞬間に戦士たちの握っていた武器がスライスされた。
そのまま力なく彼らはその場にへたり込む。
誰しもが戦意喪失し、虚ろな目でそこに膝を突いた。
腰が引け、我先にと逃げて行く。
……正面から見てなかったけど、よほど怖かったのだろう。
「でも、どうやってきたんだ?」
「あれに乗ってきたんだよ」
彼が上を指さす。
開けた空から大きな始祖鳥の群れがバサバサと降りてくる。
10羽ほどの翼竜と同規模の大きさの鳥だ。
物資と、そして黄色のマントをつけた鎧姿の人々。
レオスグローブ家の衛兵たちだ。
「君を連れ去った岩琉鳥だ。チャーターするのに時間がかかっちゃって」
「そうなん──どぅ!!!???」
上から何かが降ってきてぶつかる。
人ほどの大きさの、というか、人。
視界をふさぐ赤色の髪。
こんなの、一発で誰かわかってしまう。
相変わらず熱烈だことだ。
受け止めることも出来ずにそのまま引き倒された。
おおかた岩琉鳥の着陸が待てなかったのだろう。
せっかちな君だ。
「……そんなに会いたかったんですか?」
「バカ!!!鳥なんかに攫われてんじゃないわよ!!!」
シエナである。
一瞬殴ろうと拳を構えたが、彼女はそれを振り下ろさなかった。
まぁ、わかっていただけたなら幸いだ。
こっちは体中痣だらけなのだ。
「あ、あんた……また傷だらけに……」
「えぇ、その上処刑されるところでした」
「誰にやられたの!!!」
スッと指をさす。
ボコボコと悲鳴を上げながら立ち上がる肉塊があった。
「あああああああああああ!!!ガブリエラァアアアアアアアアア!!!!」
「……アイツ……セドリック!?」
セドリックだが、もはや原型をとどめていない。
まるでバイオなゲームのラスボスのように膨れ上がり、爪や牙なんかが生えている。
「──ッ!しまった!!」
そこでようやく気が付いた。
セドリックの足元にまだジルフリーデが居る。
体を起こし、襲い掛かるセドリックに気づくが、間に合わない。
振り落とされる棘だらけの腕。
ここから助けにはいけない。
だが、その合間を黒い閃光が駆け抜けた。
残像を残しながらジルフリーデそっくりの戦士が間に割って入り、その一撃を刀で受け止める。
身構えず、直立不動。手首を返しただけの刃であの巨体を彼は止めた。
「……アルフリード……!」
「よう!姉上!何やら愉快なことになってるが、息災か?」
ニカッとアルフリードは笑う。
攻撃を受け流し、ジルフリーデを小脇に抱えひとっ飛びにこちらに下がる。
「お前、どの面さげて……!」
「ケガが直ったら相手してやるよ」
ゆっくりと彼女を降ろし、フゥと息を吐くアルフリード。
その隣にシエナが剣を抜いて歩み出た。
双方ともに、セドリックを睨んでいる。
「……私の獲物よ。ユリウスの借り、100倍にして返してやるわ」
「そりゃこっちの台詞だ。姉上を痛めつけた落とし前をつけさせる」
《赤角》と《絶剣》が並び立つ。
もはや化け物に変貌しつつあるセドリックに興味すら持たない。
あるのは、自身の仲間を傷つけられたことに対する報復のみ。
「「ぶっ殺す!!!!」」
剣士2人が同時に走り込んだ。
得体も知れない相手に一切怯まずに、剣を奮う。
「いやぁ……大変だったんだよ?シエナをおとなしくさせるの」
「心中は察するよ」
あっさりと族長を救助したエルディン。
あれだけ苦労してわずかに動いただけの丸太の山から族長を引っ張り出して抱えている。
「……かたじけない」
「色々聞きたいけど、まずは安全の確保が優先だ。勇者の仲間をいたぶった代償は高くつくからね」
「……心得ておく」
「そこの小さいのもこっちね。ユリウス。ボクはいったん後退する。すぐ戻るからまた攫われたら駄目だよ」
「ユーリ!!」
最後の岩琉鳥の背から、飛び跳ねるように彼女が降りてくる。
俺に駆け寄ろうとした勢いが、徐々にゆっくりになる。
エルディンがソッと族長を降ろす。
地べたに座ったオージェイルは、顔を上げ、そしてその姿をようやく見た。
「……父上……」
「イーディルン!!」
「父上ぇええええ!!」
泣き出しながら彼女は父の元へと走った。
長い長い、大陸を横断する旅の果てに、彼女たちはついに再会を果たした。
きつく、本当にきつくイーディルンを抱きしめるオージェイル。
互いに大粒の涙をながし、何度も無事を確かめ合いながら名前を呼ぶ。
「「……」」
感動の再開。
エルディンと一緒になって拳を突き合わせた。
そう。
このために俺たちは旅をしていた。
離れ離れになった親子を会わせてあげるために。
「……良し。無事なものは避難誘導を!怪我人には優先して手を貸してあげて!誰一人見捨てるな!」
「「「ハッ!!」」」
レオスグローブ家の衛兵にエルディンが檄を飛ばす。
背筋を伸ばした衛兵たちは迅速に行動に移る。
「ユリウス。ボクはイーディルンとオージェイルを避難させてすぐ戻る」
「わかった」
タッと走り出すエルディン。
だが、最後まで彼はアイツから眼を離さなかった。
すでに魔物になりつつあるセドリック。
シエナとアルフリードが抑え込んではいるが、仕留めきれる感じがしない。
切り伏せた傷はすぐさまに再生してしまう。
そのたびにセドリックの体は膨れ上がる。
まるで腫瘍のようにブクブクと。
「ユリウス」
「ロレスさん!」
ゆったりとした所作でロレスが隣に立つ。
自慢の槍とそして俺の杖を携えた彼女。
左手には顔がボコボコになったケーシーを引きずっていた。
「忘れ物だ」
杖が手に戻る。
あとは帽子とローブだが、それは獣人族の里のどこかだ。
「あの魔獣核というのはただの攻撃では潰せない。その中心にある物を壊さねば止まらん」
「詳しいですね?」
「コイツに聞いた」
ペンと投げられたケーシー。
屈強な獣人族である彼も、ロレスにかかればその辺の子供と同じであった。
小さく呻き声を上げた彼は完全に無力化されていた。
……どうやら、全身を脱臼させられているらしい。
「ケーシーが諸悪の根源です。色々と調べることもあります」
「あぁ、だが後片付けが先だ。聖域では魔道士に出る幕はない。休んでいろ」
スッと歩みだすロレス。
それと同時に俺の頭にポンと手を置き、さらりと髪を撫でた。
「……無事で良かった」
小さく言ったロレス。
「……無事なもんですか」
「あぁ。仇は取る」
ギュウと彼女の槍を握る手に力が入る。
最強の槍遣いが戦闘態勢に入った。
あぁ、やっと助かったのだと。
仲間は見捨てずにここに来てくれたと。
そう安堵したら再び涙がこぼれてしまった。
この数日間。
本当に長かった。
今ここで泣き崩れてしまいそうだった。
それを堪える。
まだ終わっていない。
彼女の言う通り。後片付けがまだだ。
ロレスは槍を横に真っすぐ構えた。
そのまま頃合いを見計らうようにまっすぐにセドリックへ向かう。
スラァと銀の槍が緩やかに風を切る。
「……ん?」
「え?」
ロレスがピタリとあしを止めた。
何やら様子が変だ。
「がああああああああああああああああ!!!!!!」
「じぇやああああああああああああああ!!!!!」
似たもの同士の剣士2人が渾身の一撃を肉塊に叩き込む。
だが今までのものと音が違う。
ガキィンと硬質な、鎧のような音が発せられる。
剣が通らない。
「チッ!!!」
「クソ!どうなってやがる……」
シエナとアルフリードが飛びのいた。
この聖域では魔力がせき止められている。
彼らも壊撃を使うことが出来ていない。
純粋な剣による一撃がアレに通らなくなってしまった。
──ズクンッ
地面から大きく、脈拍が伝わってくる。
──ズクンッ
「シエナ!下がれ!何か来るぞ!!」
ロレスが声を上げる。
呼ばれた犬の如く、シエナはロレスの場所まで後退した。
ズザーと砂煙を上げながら足を止め、真正面に剣を構えなおす。
「なんだってんだ。あれ」
「わからずに斬ってたんですか……」
俺の隣に上からシュタッっと降りてきたアルフリード。
あの距離をひとっ飛びに下がる。
皆身構えたまま、中心のソレを凝視した。
大きく毒々しい色の肉塊が脈動しながら膨らんでいる。
うっ血したような赤と紫の大きな肉の塊。
それは大地から生えた腫瘍のように見える。
そして、繭のようにも見えた。
──ズクンッ
足の裏に感じる気味の悪いその振動が徐々に大きくなる。
「……ヒヒヒヒヒヒヒ。キヒヒヒヒ」
足元でそんな気味の悪い声がする。
「……ケーシー」
「終わりだぁ。何もかも終わりだ。ざまぁないなぁ。ヒヒヒ。ヒヒヒヒ」
錯乱した彼は、眼の焦点が合っていない。
口の端から泡を吹き、青白い顔のままヒヒヒと笑う。
「……彼を頼む。一応、俺の恩人の父だ」
「ハッ!」
レオスグローブ家の衛兵に彼を任せ、向き直る。
背後から小走りでエルディンも駆け寄ってきた。
「見たことあるか?アレ」
「……あぁ。ある」
ブツッと繭の頂点に内側から何かが爪を立てた。
ひどい悪臭が辺りに漂い、ドロドロと腐った液体が地面を汚す。
「……すまない、ユリウス。ボクは君にいくつも謝らないといけなくなった」
勢いよく、そこから腕が生えてくる。
筋張り、鱗のある赤黒い腕。
鋭い爪が生えた5本の指が、地面を掴む。
「君を巻き込みたくなかった。けど、ちょっと遅かったみたいだ」
更に翼。
細く、だが巨大な4本の翼。
表面が解け落ちたように筋繊維がむき出しの翼が風に揺れてバサリと音をたてる。
「……教えろよ。エルディン、今は目の前の事に集中しろ」
「わかってる。けどユリウス。あれはボクが倒さなきゃいけない存在なんだ」
次に出たのは、頭だ。
角のある龍の頭。
眼はなく、だらしなく開けられた顎には牙が並びそしてだらりと長い舌が垂れる。
不完全に変成を遂げた巨大な龍。
生まれながらに解け落ちた皮膚のまま、それが繭を突き破り姿を現す。
「古き時代。魔栄期のさらに前。最初の勇者が打ち倒した邪龍の力の断片。この世に存在するだけで厄災を振りまく滅亡の種子。魔獣核。宿主に選んだ者の望む形の魔物になり、すべてを飲み込む魔獣の長」
その場に居た全員が首を上へと向けた。
到底元が人間であったなどと信じられないほどの巨躯。
腐り、痛み、崩れゆくその血肉が高々と持ち上がる。
──アアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァ!!!!!!
咆哮。産声。断末魔。
どれとも取れず、どれとも受け取ることの出来る怨嗟の絶叫。
人の声によく似たその大音響が聖域に滅びが来たのだと告げる。
「魂蝕龍。ボクがコイツをここで目にするのは、5回目だ」
---
《怨念の独白》
ガキの頃から何だって出来た。
何だって手に入り、何だって思う通りにさせた。
うるさい爺さんのお小言を聞き、使用人を痛めつけ。
気に入らない奴は従妹に押し付けて野犬の餌にした。
剣術も、魔術も。
真面目にやるなんて馬鹿げてる。
どいつもこいつも俺より弱いのだから。
かったるい鍛錬などくだらないと言い捨てて、好き勝手に暮らした。
それを当主も望み。その通りに生きろと宣った。
だが、屋敷では窮屈な思いをした。
礼節?帝王学?資産術?
どれもゴミだ。食器ほどにも役に立たない。
そのうえクソみたいな権力争いに首を突っ込むのもあほらしい。
おかげで兄が家の庭で泡を吹いて死んだ。
姉もよくわからない金持ちの子を孕み、デカくなっていく腹を睨みながら毎晩泣いていた。
父親の背中に剣を突き立てて、母親から有り金奪って逃げる方がよっぽどスッキリした。
家をでて冒険者になった。陳腐な魔物を狩る日々は退屈そのものだった。
だが、翼竜を狩る間だけ俺は俺で居られた。
理不尽に強く、気高く。美しい魔物。
死闘の果てに得られる充足感。
屋敷に居たのでは到底味わえないそれに酔いしれた。
依頼を受けずとも何度も翼竜の縄張りに足を踏み入れた。
いつしか《竜殺し》などと呼ばれるようになったが、気分が良かった。
しばらくして、虫の息だった父親が死んだと知らせを受けた。
貴族の在り方がどうだと言われ、仲間から引きはがされながら騎士になった。
まっぴらごめんだったが、3倍の給金であれば文句はなかった。
弱い上級騎士共を黙らせて、勲章をもぎ取って地位を得た。
金も、女も、酒も。
好きなだけ手に入る。
家に付きまとわれるのは嫌だったが、そこまでは順調だった。
最初に躓いたのはあの黒い髪のガキ。
アリアーから魔術の修行に来た7歳のガキに負けた。
魔術でなく、剣で。
生まれて初めて地面に伏し、砂利を噛み締めた。
初めて味わった屈辱だった。
それが先代の王の眼に止まった。
アドニス家の血筋は名誉と血筋を何よりも愛でた。
そこからすれば俺はひどく邪魔者だったらしい。
地位を奪われ、王都から離れた首都の衛兵長となった。
厄介払いだったのだろう。
荷物1つで護衛もなく雪原に投げ出されたあの日の寒さは今も覚えている。
だが、ソーディアの暮らしはまぁ悪くなかった。
人外のゴミどもを痛めつけ、金を奪い取る。
その金で手下に酒を飲ませ、大笑いする日々。
好き勝手する俺に好き勝手な連中がついて回った。
どいつもこいつも救いようのないクズばかりだった。
そして、首都ソーディア近郊の村。
ラソディス。
そこでアイツと出会った。
ユリウス・ヴォイジャー。
偉そうな王族女を連れたガキ。
思えば、あそこで殺しておけば良かった。
あぁ。
そうだ。
殺しておかなくちゃいけなかった。
アイツに逃げられ、手下たちを奪われ。
俺は街で笑い物にされた。
2度目の屈辱。
そこで復讐を誓った。
俺を笑ったものを黙らせ、罪を擦り付けて手配書を作った。
そしたら《赤角》と《魔葬》なんて厄介者と戦うはめになった。
ユリウス。ユリウス。と喧しく聞きまわる《赤角》。
出来たばかりの手配書を突き付けた瞬間奴は剣を抜いた。
言葉の通じない野蛮人だ。
《魔葬》はもっとひどかった。
尋常でない強さと魔術で街を破壊した。
古い名の冒険者が生きているなどとは思いもしなかった。
3度目の屈辱。
おかげで首都ソーディアの衛兵は壊滅。
街の防御は甚大な被害を受けた。
そしてそこから上の連中が取ったのは蜥蜴の尻尾切り。
衛兵長である俺に責任をおっかぶせて騎士連中は温い飯を笑いながら食うことを選んだ。
残った手下も、涙ながらに俺の名を呼びながら処刑台でその命を終えた。
恨み節ではなく助けてくれと俺を求める声。
必ず一矢報いてくれとそう言い残して皆あっさりと死んでいった。
だから、殺した。
騎士連中も、王族の近衛も全員。
ソーディアの鎧付きは皆殺しにした。
もう帰る場所もない。
可愛がってやった手下も居ない。
俺は1人だ。
お前のせいで。
殺してやる。
お前だけはどんな姿になっても必ず殺してやる。
肉を削ぎ、骨を砕き。
内臓を抉りだし。
泣いて命乞いをするお前を、仲間の死体の上で首を落としてやる。
ガキだろうと何だろうと関係ない。
家柄など知ったことではない。
キングソード。
エバーラウンズ。
古い古い因縁など、この恨みの前では塵にも等しい。
だが負けた。
同じ相手に。2度も3度も追い詰めた先で負けた。
弱らせても誰かが庇い、魔法を奪っても奴は歪まない。
地べたを這いつくばって、砂利を噛み締めても牙を剥く。
俺がくだらないと言い捨てた鍛錬の果てについに聖域の常識を覆した。
誤算だった。
俺はお前が憎い。
何もかも持たないくせに立っていられるお前が憎い。
何も持たないくせに人と歩むお前が憎い。
俺のすべてを奪ったお前が憎い。
だから俺は望んだ。
彼女に望んだ。
最後の望み。
俺が俺でなくなるのを承知で望みを言った。
──聞き届けたわ。私の可愛いセドリック。
意識が閉じる、
暗闇が来る。
だが、喜んで身を沈めよう。
ユリウス・エバーラウンズ。
あのヘラヘラした魔道士を殺せるなら。
剣も斧も鎧ももう要らない。
心も、命すらも必要ない。
竜のように強く、気高く、理不尽に、残虐で居られるならば。




