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第七十話 「小さな勇気に手を引かれ」

※注意 虫の描写がまたあります。 苦手な方はご注意ください。

 同じような日が過ぎた。

 日が高いうちは代わる代わる獣人族に罵声を浴びせられた。

 食事は投げ込まれるし、暴力は振るわれるし。

 やり返すことも、逃げ出すことも出来なかった。

 かと言って回復魔法も使えない。

 当然夜になれば嫌がらせのように松明で明々と照らされた。

 ムシムシ大行進である。

 思い出すのも嫌だ。


 すでに心も体力も擦り切れたユリウスは、局部だけ寝床用の布で隠して床に伏していた。

 眼は虚ろ。

 バッタが頬を這ってもすでにピクリともしなくなっていた。


 パトラッシー。

 僕もう眠いんだ。


 バシャア!


 頭から水を掛けられて目が覚めた。

 塩水だ。

 眼にも傷にも沁みて激痛が走る。


 もう声も枯れ果て、涙ながらに気を失った俺は気が付いたら朝を迎えたらしい。

 体はクタクタだ。

 流石は大自然ディティスの聖域。

 虫たちも大いなる自然の加護を受けてかどれも立派だったね。

 おかげで擦り傷まみれの切り傷まみれ。

 心はトラウマを抱えたわ。

 絶対焼き払ってやる。

 この島ごと火の海にしてやる……。


 そんな恨みを込めて顔を上げる。


「ハーロー?ユリウス・ヴォイジャー?」


 ヴゥオイジュァアー。

 とわざとゆっくりとバカにして愉快気に笑う男がそこに立っている。

 塩水をぶちまけてきたのもこいつだ。

 本当に人をいたぶる術だけはわきまえている男だ。


「……」


 セドリックだ。

 まぁ、こんな風に人をいたぶるのが趣味なのはこいつくらいだ。


「可哀そうになぁ。可哀そうになぁ。見てるだけで、ククク。涙が出るぜぇ?」


 言葉と裏腹?

 もう少しそのにやけ面を隠してから物を言ったらどうなんだ。


 だが、言い返しもせずにスッと視線をそらした。

 もう良い。

 見ているのも疲れた。


「……どっか行け」


 それだけ言った。


「そうはいかねぇなぁ。俺様はな?お前を檻から出しに来たんだぜ?」


 その言葉に図らずも顔を上げてしまった。

 パッと、希望を湛えた顔でセドリックを見てしまった。


「……なぁーんちって?ぶははははははは!!!」


 大笑いのセドリック。

 本当に、腹の底から愉快そうに笑うのだ。


「あーおもしれぇ。やっぱこうじゃねぇと。これだからやめられないよなぁ?」

「……」

「何をしている?セドリック殿」


 ついぞ聞かなかった声が聞こえた。

 涙を堪えた俺の瞳がその毛並みを捉える。

 茶色と錆色の2色の毛並み。

 鍛えられた歴戦の肉体。

 そしてその翡翠石のような色の鋭い眼つき。


 獣人族の族長であった。


「……これは族長」


 セドリックは騎士礼節で恭しく頭を下げた。

 弱者をいたぶって、笑みが止まらないその顔をわきまえた騎士として繕った。


「罪人とはいえ、ほどほどにせよと言っておいたはずだ」

「滅相も無い。ただちょっと話をしていただけですよぉ」


 なぁ?


 ジロリと視線でそう語り掛けてくる。

 俺はそれからも目線を反らした。


「《魔道士》ユリウス。貴様の噂は聞いている。ベルガー大陸を騒がせた大罪人とも。そして我が盟友。スヴェトラバ嬢の窮地を救った英雄ともな」


 その言葉で体を起こした。

 動くのを嫌がった体に喝を入れて族長に向き直り、背を正す。


「お、俺……はっ!獣人族に危害を加えて……ませんっ!」


 ガラガラの声で、必死で彼に訴えかけた。

 この時しかない。

 今しかない。

 俺の無罪を主張できる機会はここしか!


「俺はイーレを!イーディルンをここまで連れて帰ってきました!!もうそこまで来てます!仲間が彼女を連れてここへ向かっているんです!!イーディルンは無事です!信じてください!!どうか!!」


 牢にしがみ付いて、涙ながらに訴えた。

 だが。


「やかましい!!!!」


 俺の懇願はその一吠えで黙らされた。

 その気迫からわかった。

 本当はこの族長も、怒りを抑えているのだ。

 彼も俺を真に罪人として扱おうとしている。

 だが、彼の中の長としての威厳か何かがそれを留めている。

 そうでなければ、俺の細い首など簡単に引きちぎられているだろう。


 鋭い眼光が俺を射抜く。

 眉間に浮かび上がった血管と、わずかに荒くなった息。

 そして逆立った毛並み。

 俺はそれ以上、自身の無罪を叫ぶだけの胆力が残っていなかった。


「……貴様の言い分もわからなくはない。だが我が娘を慰み者にしたという事実をケーシーは揃え、セドリック殿というベルガー王家の生き証人もいる。貴様の罪状はぬぐえない」

「じゃあなんでぇ……」

「顔を見に来たのだ。娘に手をかけた下衆がどれほどの者かと思っただけのこと」


 その言葉に力を失った。

 ズルリと、牢にすがりながらも膝が崩れ落ちた。

 力なくその場にペタンと座り込んでしまった。


「……セドリック殿」

「はぁい」

「処刑は予定通り、明日の正午執り行う。貴殿は斧の名手と聞いた。うち漏らすまい」

「えぇえぇ。首を落とすのは。えぇ。得意です」

「罪人ユリウス。せめてもの慈悲だ。貴殿の血肉は神の下へ還そう。神樹への供物として捧げるとする。光栄に思うがいい。話はこれで終わりだ」


 楽しそうに言葉を返すセドリック。

 それに若干眉をひそめながらもスッと背中を向けた族長。


「イーディルンは!!!!」


 その背中に叫んだ。

 振り向かずとも良い。

 聞こえてほしい。

 届いてほしい。


「イーディルンは9歳になります!もう俺よりも背が高いです!好きな物はお肉全般!嫌いなものは雨と大蛙!魔法は使えないけど料理が出来る活発な、心優しい女の子です!お洒落が好きで!首飾りや耳飾りを何個も何個も買いました!足が速くて!耳が良くて!毛並みも綺麗です!!あなたにそっくりな!!!」


 一息で彼女の事を言い上げる。

 最後は喉がもたなくてゲホゲホと咽た。

 吐き気も混ざり、ひどく息が荒れた。


「何度も……何度も彼女に助けられた。イーレは。あなたの娘は、ちゃんと無事に帰ってきます……」

「……証左が無い。族長として耳を貸すわけにはいかん。予定は変わらない」


 そういって族長は少しだけその場に立ち止まった後。


「……あの娘の母の事は聞いたか?」


 と短く問うた。


「雨の崖で不幸があったと」


 俺はそれだけ短く答えた。

 しかし族長は何も返さなかった。

 振り返らずに牢を後にした。


「残念だったなぁ。お涙頂戴の展開は無しだ」

「……お前にはわからないさ」


 久しぶりに憎まれ口を叩くことが出来た。

 それに苛立たし気に牢に蹴りをいれてからセドリックもその場を離れる。


 あぁ。

 駄目だったか。

 ぶっちゃけ情に訴えかける作戦だった。

 なに!?そこまで知っているとは!本当にお前は娘を連れて来たのか!?

 というような感じで無罪を勝ち取るつもりだった。


 ……でもまぁ、死ぬにしても。

 イーレとの旅は伝えておきたかった。

 もっと沢山語りたかったが、及第点だ。


 あの族長も父親だ。

 俺も父さまを待たせている身。

 遥か水平の先に居る子供の事を思えば、夜は俺が思っているよりも長かっただろう。

 だから、聞かせてあげたかった。


 少しでも早く。

 愛する娘の無事を。

 罪人の口からでも聞かされたならば、心動くだろうと思った。

 甘い考えだったかもしれないがそれでいい。

 そうすべきと思ったことはした。


 また力なく床に転がって、眼を閉じる。


 はぁ。

 せめて魔法が使えればなぁ……。

 ……虫は嫌だなぁ……。


 ---


 《処刑予定日の夜明け前》


 聖域の長。獣人族。オージェイル。

 眼を悪くしながらも、彼は60年間、この里にて無敗。

 多くの族長候補を腕っぷしでねじ伏せてきた。


 そんな彼は、自宅の部屋で胡坐をかき、瞑想をしていた。

 罪人の放った一言。

 あの日。

 愛する妻を失った雨の日の事が頭から離れないのである。


 ──エイール!!エイール!!


 嵐の森。

 聖域の警護に出た弟ケーシーや剣士ジルに里へ戻るようにと伝言を頼んだ。

 そしてまだ3歳になるかどうかの愛娘イーディルンを連れた妻は崖の下で発見された。

 息絶えてなお、幼い娘を庇った彼女。


 ──足を滑らせたのでしょう……かわいそうに……


 ケーシーの声。

 里の誰もがエイールの死を悲しみ、喪に服した。

 オージェイルの眼は、その悲しみで流した涙により光を失ったのだと言われている。

 しかし、オージェイル本人はそれを自らへの罰だととらえていた。

 愛する者から眼を離し、族長としての立場を取ってしまった自分への神からの報い。


「お呼びですか。叔父上」


 そんな族長の元にある獣人族の少年が族長の家に呼び出された。

 両親にも、姉にも黙って、ばれないようにひっそりと来いと言いつけられた彼。

 彼はそれを完璧に遂行した。


「あぁ、フジ。来てくれたか」


 族長にそう呼ばれた少年。

 名前をフジ。

 ケーシーの末の息子で、同じように灰色の毛並みの獣人族である。


「お読みものでしょうか?それとも、お手紙ですか?父上から手配書をお借りしてきましょうか?」

「ははは。どちらでもないさ」


 フジは族長の眼であった。

 読み書きや算数が出来る獣人族はこの村では少ない。

 人に教えることが出来るほどに達者なものは、村を出たことがあるケーシーくらいだった。


「お前の眼に、あのユリウスはどのように映った?」

「……」


 フジは右目を手で覆った。

 そして左目が、灰色に近い青色の瞳がほのかに光を湛えて夕日の色へと変わる。


「……嘘を言っている者ではないです。彼は善の為に悪を成す人族に見えました」

「であるか」


 族長は耳の後ろを掻いた。

 迷ったり悩むときに族長はその仕草をし、そして困ったときにはこのフジに意見を求めた。


 フジの左目は魔眼。嘘を見抜き、真実を示すもう1つの選ばれた眼であった。


「……フジよ」


 思い至った族長はフジを見る。


「ここは1つ。このオージェイルと。その命、賭けてはみぬか?」


 フジは表情一つ変えずに族長を見据えた。

 彼は従順な獣人族だ。

 我が弱く、いうことをなんでも聞く子であるがゆえに他人に良いように使われてしまう。

 そんな彼に族長のオージェイルは眼をかけた。

 彼の屈託のなく、損得も無い意見は時折族長という立場を外して考える場合に有用であった。


「お前ならどちらに賭ける?お前の父、ケーシーの連れてきたあの男と罪人のどちらに?」


 少しだけフジの耳が動く。

 考えるわずかな間だけ眉間に皺が寄ったフジ。

 しかし、その後彼はすぐさまにどちらに賭けるかを決めた。


「……で、あるか。ならばフジ。これよりは我が独り言。たとえお前がその通り動いても我はお前を一切庇わぬ。心して聞きなさい」

「はい、叔父上」


 フジは従順な獣人族である。

 それ故に、どんなことでも素直に遂行する。

 それがたとえ自身の危険であってもだ。

 黙ってその独り言を聞き届けた。

 一字一句聞き逃さずに。


「わかりました。行ってまいります」

「武運を」


 フジは直ぐに行動を起こした。風のように村長の家を抜け出してそこへ走る。


「あぁ、我らが大いなる父神ディトーンよ」


 物陰に隠れながらフジは小さく祈る。


「弱く、惑う我ら森の民を導きたまえ。悪しき者たちから我らを守りたまえ」


 罪人の悲鳴が聞こえる。

 半狂乱のその男は今日も森の虫たちからの洗礼を受けている。


「……」


 フジは迷わずに音もなく走った。

 彼の賭けは、その賽は。


 間もなく投げられる。


---


 《セドリック視点》


「……チッ……」


 半裸のままに体を起こす。


 処刑の日。

 まもなく夜明け。

 待ちに待った日だというのに不機嫌だ。

 どうにも疼きが収まらない。

 ケーシーに言って用意させた年頃の女を抱いたものの、まるで疼きが止まらないのだ。

 獣人族とはいえ体の構造は人族とさほど変わらない。

 獣臭さだけは消えやしないが、それでも上物の女だ。

 肉付きもよく、胸もあり。良い声で啼く。

 だがどれだけその体を貪っても、この腹の下に渦巻く渇望は癒えなかった。


 まるでアリアーに居るという幻惑の亡者(セイレーン)にでも魅入られたかのよう。


「セドリック様?」

「寝てろブスが」


 口汚く罵れば、その女は客人用のテントから出ていった。

 止める気など無い。

 無礼だと斬りかかる気も無い。

 ただただむなしさが募る。

 こんなこと、今まで一度もなかった。


「……ウゥッ!!」


 一瞬、あのガブリエラの顔が脳裏に浮かんだ。

 激しい頭痛と喉の渇きと吐き気が同時に襲い来る。

 身をよじり、敷かれた毛布に構わず吐瀉する。


「なんだってんだ……糞……」


 あぁ、頭にくる。

 これが彼女の魅了魔術だとでもいうのか。

 もっと頭の悪い魔術だと思っていた。

 単純に惚れさせるだけの魔術だと。


 これはまるで脳みそを素手で弄られて操られてしまうようだ。


 ──ウフフ。


 耳元で彼女の笑い声が聞こえた気がした。

 途端に腰が抜ける。

 気味の悪さと、そして首筋を這う怖気。

 嫌悪感。

 だが一番は自身へ向けられた。

 あの一瞬で愚息がいきり立ち、そしてそのまま精を吐き出して果ててしまった。


 あぁ、糞。

 最悪だ。

 何だってんだ糞が。


 そう思いながら水魔法で洗い流そうとするも、ここでは魔法が使えない事を思い出す。

 神気と言ったか。

 古臭い神々の使った力の断片がこの場所に染みついて、魔力をはじき出しているのだ。

 忌々しい。

 魔道士にこそ有用だが、こうなっては不便だ。

 獣人族が魔法を諦めた理由もわかる。


「チッ」


 毛布で乱雑に秘部を拭い去る。

 苛立たしさが募り続ける。

 こういうときはユリウスをいぶりに行くに限る。


 テントを出た。

 半裸のままで、裸足で檻へと向かう。


 森の虫の責め苦はこの村ではかなりの重罪へと課せられる罰。

 獣人族たちはその悲鳴を聞いて己の罪を振り返り、律するのだという。

 実にくだらない。

 だが、発想は良い。

 虫に体を苛まれてそのまま気が狂って死ぬ奴もいるのは愉快だ。


 しかしやけに静かだ。


 ついに死んだか?

 それは残念だ。

 俺が首を刎ねられないのはとても心残り。

 死刑台で、人外共のさらし者にされて惨めに命乞いをするバカの姿が見られないのは口惜しい。


 そう思って足早に牢へと続く階段を上る。

 だがやはりおかしい。

 松明が無い。

 樹々の陰に入った牢の中は暗く、良く見えない。


「……ユリウス・ヴォイジャー?どうだ?虫さんたちと仲良く眠れる新居の心地は?」


 軽口を奴に投げかける。

 剣に手をかけながら、牢の前に立つ。


 背後ではゆっくりと朝日が昇る。

 東からの日差しが。樹々の間を突き抜けて暗い牢を照らす。


「ユリウスはここには居ませんよ?」


 暗い牢から声が返ってきた。

 ユリウスの声ではない。

 もっと歳の低いガキの声。


 陽光がその子供を照らす。

 牢の鍵を手に、開け放たれた檻の中にいる灰色の毛並みのガキ。

 それがポツネンと立っていた。


「な……何をしてやがる……」

「彼を逃がしました」


 あっさりとそのガキは答える。

 手先で牢の鍵を弄びならが、こちらに眼すらも向けずに言う。


「鍵の場所も、監視の目も全部頭に入ってましたから。簡単でした。それに父上の。いいえ、あなたの思う通りになるのは()()()()()


 ゆっくりと、ガキはこちらに向き直る。


「聞こえているのでしょう?コソコソと。醜いあなたの影も臭いも隠しきれやしない」


 ガキの眼は左目が光っていた。

 燃えるような夕日色の光が俺の後ろを睨みつけている。


 ──あぁ!あぁああ!!その灰色!!!灰色!!!!!


 怒り狂ったガブリエラの声が聞こえる。

 頭の中でギャーギャーと喚き散らすその声に耳をふさいだ。

 それでも聞こえるのだからたちが悪い。


「セドリック殿!!これはいったい!!??」

「ケーシー!!ユリウスが逃げた!てめぇんとこの馬鹿が逃がしやがった!!!」


 痛む頭を抱えながら、後ろに来たケーシーに怒鳴りつける。


「おぉ。フジ……お前はなんてことをしてくれたんだ……!!」

「すみません、父上。夜にやかましかったので」

「クソガキ!!!」


 獣人族のガキを蹴り飛ばして、牢に背を向ける。


「罪人が逃げた!!族長の娘を攫った重罪人が逃げたぞ!!!!」


 夜が開けたばかりの集落に怒号が響く。

 すぐさまに獣人族の戦士たちが招集された。


「ケーシー!!手兵を寄越せ!!罪人狩りだ!!!!」


 ---


 《数刻前。ユリウス視点》


「いやああああ!!!もういやだあああああ!!!」


 この晩も俺はたっぷりの虫にたかられていた。

 この夜の虫は特にひどかった、

 噛んでくるのだ。

 それも手のひらサイズに大きい虫なのだから、肉だって千切れる。

 まるで啄まれるようにして皮膚をちょっとずつ食いちぎられている。


 体力の続く限りのたうちまわっていたが、疲れ果てた。

 ろくに食事もとれず。

 蹴られ、殴られ、罵倒され。

 肉体も精神もボロボロ。


 ただうずくまって、嘆きながら体をちょっとずつ削られている。

 もう限界で気が狂いそうだった。


「出してくれ!!もう悪いことしないから!!誰かああ!!!」


 返事などない。

 無実の罪でありながらも赦しを請うた。


「あああああ!がああああああ!!!」


 獣のように体を捩る。

 手あたり次第に体についた虫共をむしり取っては握りつぶして殺した。

 生理的嫌悪よりも痛みに対する憎悪の方が強くなっていた。

 だが数は減らない。

 増える一方だ。


星を焼く大炎魔霊(バーン・グラッド)!!答えてくれ!!なぁおい!!」


 何度も何度も詠唱を試みるが、魔力は吹き上がらない。

 裏切られたか。見捨てられたか。

 ただただそういう孤独だけが胸を染めていく。

 怒りではなく、哀しさが叫びに替わる。


「エル!イーレ!!ロレスさん!!ザルバさん!アルフリード!誰でもいい!!答えてくれ!!ここから出してくれ!!」


 近くに来ているわけがない。

 彼らはまだ海の向こうだ。

 それでも叫ばずにいられなかった。

 頼りになる仲間の名前を。


「……シエナ……ッ!」


 最後に、一番会いたい人の名を振り絞るように口にした。


 虫たちに集られたまま、再び床に倒れるようにうずくまる。

 もうこの痛みからは惨めさからは逃れられないのだと嫌でも理解させられる。

 ただただ、良いように嬲られる体を丸めるしかできなかった。


 神にさえ祈った。

 俺は特定の神様を信仰などはしていない。

 だが、祈らずにはいられなかった。

 どうか救いをと。

 自らの行いを振り返る余裕もなく。

 縋りつくように指を組んで、食いしばるように目を閉じた。


 そんな時だった。

 カチャンと鍵が外れる音がした。

 反射的に顔を上げる。

 松明を掲げた人影が牢の前に立ち、その扉を開け放っていた。


「出て。早く」


 転がるようにして牢から俺は飛び出した。

 階段を落ちながら虫を払い、地面に横たわる。


「こっち」


 手早くナイフで縄を切られて、そのまま近くのテントまで引きずられた。


 また乱暴されると思い身を縮めた。

 虫に食われるよりはマシとは言え、怖かった。


「見て」


 グイと顔を声の主に無理やり向けられる。

 神様にも見える彼は灰色の毛並みの少年だった。


「聞いて。僕はフジ。今から君の代わりになる」


 彼はすさまじく簡素な言葉で続ける。


「今から日が昇って、正午になるまでに君が無実だという証左を集めて。そして戻ってきて。それまでは僕が君になる」

「ど、どうやって!?何をどう集めたらいい!?」

「それは君が考えて、逃げても良い。この聖域から逃げられるならそうした方が良い」

「……フジはどうなる!?」

「君の代わりに死ぬ」


 あっさりと彼は言った。


「あの斧を持った戦士は君を殺したがってる。だったら腹いせに僕を殺すだろう」

「だ、駄目だ!」

「じゃあ今から牢にもどるかい?鍵はある。今なら無かったことにも出来る」


 言葉を紡げなかった。

 体中の傷が、折れた心がNOと叫ぶ。

 それも出来ない。したくない。


「それでいい。君は強くない。けど気高い。僕の眼が教えてくれている。イーディルンが無事なことも教えてくれている。それを族長もほんのちょっとだけ信じたいと思ってるから、これは君の勝機だ」


 怯え切って、震える傷だらけの俺の背中をフジは優しく摩った。


「……ごめんなさい。こんな目に合わせて。許してとは言わない。君をここまで追い込んだのは僕の父上だ。でもここで父上を止めないともっとひどいことになる。獣人族の里はすぐに滅びてしまう。君はここで死んじゃいけない」

「……」

「じゃあ、僕は牢に戻るから。上手にやってね。信じてる」

「な、なんで、どうしてフジは……」

「……あぁそうか、こういったら君は信じてくれるんだね」


 フジの眼が夕日のように輝いている。

 俺の好きなその色は左目だけだ。

 イーレと同じ、魔眼を使っている事だけが分かった。


「そっちの方がね。()()()と思ったからだよ」


 息をのんだ。

 面白いと思った事を成す。

 師匠の。ネィダの教えだ。


「さぁ行って。もうすぐアイツが来る。君は見つかっちゃいけない。ここからまっすぐ行って川に出るんだ。近くに洞窟があるからまずはそこで体勢を立て直して。父上たちの眼を覚ましてやってね。魔道士さん」

「……絶対、絶対戻ってくるから!!」

「うん」


 テントを飛び出す。

 傷だらけのまま。

 全裸のまま。

 わずかに残った夜闇に紛れながら、疲れ果てた体にもう一度立ち上がってくれと祈りを込めて。


 ──罪人が逃げた!!族長の娘を攫った重罪人が逃げたぞ!!!!


 日が昇ると同時にセドリックの声が響き渡る。

 思っていたよりもはるかに速い発見。

 だが、それでも一瞬のチャンス。

 無駄にしてなる物か。

 必死で足を動かした。


 全裸のままに集落を走り抜ける。

 いろいろ心配になることもあるだろうが、問題ない。

 画面的には絶対に正面に向いている葉っぱが謎の技術で息子を隠してくれている。


(川!川!川!!)


 フジに言われた場所をとにかく目指した。

 その間にも辺りは明るく、そして騒がしくなる。

 鳴り響く指笛や、戦士たちの大声が聞こえてくる。


 集落から外れて森に走り込む。


「グゥゥッ!!!」


 傷だらけの体にビシビシと当たる植物の葉が容赦なく痛みを与える。

 だが足は止めない。

 山の走り方は心得ている。

 数日間、衛兵や盗賊の眼を掻い潜った現役指名手配犯はこの程度では止まらないのだ。


 しばらく走ったあたり。

 川など一向に見えてこないことに焦りを感じながら一度、息を吐いた。

 樹に手をついてぜーぜーと酸素を吸い上げる。

 うっそうとまとわりつく茂みを走るのは慣れているとはいえ疲れることは疲れる。


 回復魔法……。


 やはり使えない。

 魔力が形にならず、つっかえているようだった。


「クソ……」


 どうにもならない。

 荷物も無いのだ。

 手当ても出来ない。

 いったいこの先どうしろというのだ。

 無罪の証左など、どこでどうやって集めろと。


 天を仰いだ。

 青々と空をふさぐ森の木だけが俺を見ている。

 コガクゥの森を思い出しはするが、あの場所ほど魔力が潤ってはいない。

 あぁ、遥かなるアリアー。

 恋しさがひたすら募る。


 やっと息が整った頃にふと、何かの音を捉えた。

 草木が揺れて、風が走るような音が遠くから近づいて来る。

 そしてそれに混ざって、獣の息遣いと足音。


 木の陰に身を寄せて、様子を伺う。

 追っ手なのは分かり切っているが、場合による。

 もしかしたら、確率は低いがレオスグローブの衛兵たちかもしれない。

 だとしたら保護してもらえるとも考えた。

 全裸の少年が傷だらけで「助けてぇえええ!!」って泣きついて来たらとりあえず保護するだろ。

 そうでなければ何が衛兵だ。

 ……でもキングソード家の衛兵だったら駄目かもしれない。


 そんな希望はどれも当たらなかった。


 樹の向こうに現れたのは大きな野犬であった。

 明らかにディティスの魔物分布には含まれていない魔物。

 そしてシエナが最も忌み嫌う系統の野犬。

 黒衣の野犬(ダークハウンド)

 俺も苦手な魔物であった。

 左胸の古傷の辺りがキュウっと締め付けられるような感覚を覚える。

 アリアーが恋しいとは思ったが、それは全く恋しいとは思っていないぞ。


 だが、野生ではないらしい。

 轡がされていて、手綱も付いていた。

 何よりもその背に人がまたがっている。

 3騎ほどの騎兵隊。しかも野犬小隊だ。

 黒塗りローブを着こんだそれらがキョロキョロと辺りを見渡している。


(マジかよ……)


 弱り目に祟り目だ。

 しかし乗っている人物たちは随分と小柄に見える。

 女性……いや、小人だろうか。顔こそフードで全く見えない。

 小人族というのは聞いたことが無いが、ホビットというの概念もある。

 もしかしたらこの世界にも違う名前でいるかもしれない。


 彼らは野犬の背の上からハンドサインだけで会話をしている。

 隠密のプロ集団のようだ。

 セドリック辺りが引き込んだのだろうか。

 どっちにしても会話の内容も聞き取れなければ、今後の展開も読めない。


(……ここはそっと逃げますか……)


 後ずさりを開始する。

 繰り返しになるが、魔法は使えない。

 攻撃魔法も同様だ。

 憧れたディティスの聖域。さぞ素敵なところだと思ったのにどんどん嫌いになってしまう。


 ──パキィ!


 ……小枝を踏んずけてしまった。

 超初歩的なミスがありありと森に響く。

 当然野犬騎兵たちもこちらに気が付いたが、すでに全力ダッシュを始めたあとだった。


「居たぞ!!!」

「追え!!!」


 若々しい声が後ろで聞こえる。

 もしかして騎兵隊のメンバーは同世代だろうか?

 だがそんなことはどうでもいい。

 とにかく少しでも距離を開ける。


 野犬に森の中で追われてみろ。

 30秒と持たない。

 平原ですらあれだけ大変だったのだから今はさらに大ピンチだ。


「……嘘嘘嘘!?嘘だろ!!??」


 開けたその光景に狼狽えた。

 確かに川があった。

 だがこれはどう見ても滝だ。

 崖になったその向かい側からゴウゴウと水が流れ落ちている。

 かなりの高さ。

 星雲の憧憬(ネビュラ)があったとしても足がすくむ。


 前、後ろ。

 前、後ろと荒い息をしながら見比べる。

 後門の狼。前門の滝!

 どっちを選んでも絶体絶命だ。


 今にも野犬たちの息遣いが聞こえてくる。

 もう迷っている暇はない。


 なぁに。

 大丈夫だユリウス。

 映画でもお決まりのパターン。

 日曜日の8時ごろの番組でもよくあるじゃないか。

 水落は生存フラグ。


 腹をくくれ!ユリウス!!


「3……」


 グッと身構える。


「2……!!」


 一歩足を踏み出す。

 すぐ後ろには騎兵が剣を抜いて迫っていた。


「1ッ!!!」


 ダンと地面を強く蹴った。

 背中の表面をわずかに冷たい切先が撫でる感覚と、ふわりと胃の中身が浮き上がる浮遊感が襲い掛かる。


「わああああああああああああああいきゃんふらああああああ!!!!」


 自由への跳躍。

 太陽の真ん中へ。

 そして、真っ逆さまに滝へと落ちた。

 あぁ、ついていない。

 まったくもってついていないぞ。ユリウス。

 今のうちに宝くじを買っておけば、もしかしたら当たるかもしれない。

 それぐらいには不運だった。

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