第六十九話 「森の洗礼」
※注意 虫の描写があります。苦手な方はご注意ください。
青い海と緑の島々を見渡す絶景。
快適な空の旅をあなたに。
ディティス空運をご利用の皆様に快適なフライトをお届けいたします。
などというアナウンスも無い。
ただただ目が回るような高度を風を切って進んでいく。
『ドナドナド~ナ~。魔道士乗~せ~て~』
思わず歌がほとばしる。
今は誰も止める者は居ない。
歌いたい放題だとも。
『ドナドナド~ナ~。帽子が揺~れ~る~』
この高度だ。
雲の上ですよ?
たとえこのよくわからない鳥を叩き落としたとしても危険だ。
どこに落ちるかわからないし、空中で襲われたら流石に対応できない。
せめて杖があればとも思うが、あったところでこの怪鳥はどうにもならないかもしれない。
夕飯時を襲わなくても良かったんじゃないんですかねぇ。
おかげでシエナの特製野菜スープもお預けだ。
見上げる先。
なんというのだろうか。
始祖鳥?だったか。
生前に絵本で読んだことがある。
そういう巨大な鳥。
茶色い羽毛で胴体を覆われ、翼の先は緑と赤の照り返しがある綺麗な羽。
色の濃い黄色の分厚いくちばし。
思わず先生だなんて呼んでしまいそうなそれはしゃくれてスコップのよう。
コイツが昨日、夜闇の中から俺に襲い掛かってきた木の枝の正体だった。
枝だと思っていたのはこの鳥さんの足だったらしい。
それが俺を鷲掴みにして夜通し飛んでいた。
始祖鳥掴み?まぁどうでもいいか。
ひとまず握りつぶされたりするような心配はなさそうだ。
ガッチリと離してはくれないが、それでも一応気遣ってくれているのか爪は立てていない。
心優しい鳥さんなのかもしれない。
「おーい、どこまで行くんだよー。行先ぐらい教えろよー」
何度目かわからないほどに呼びかけたが当然返事はない。
「アー!!何処行く!?何処行く!?アー!!」
体を横に揺らしながら出来る限り鳥っぽい声を出した。
ノーリアクション。
困った。
必殺のペッポー君ボイスも形無しだ。
でもまぁ、何となくあそこへ向かうんだろうなというのは察しがついていた。
先ほどからこの鳥さんはある島へと一直線に向かって飛んでいた。
「……あれが聖域か?」
帽子を押さえながらそちらを見た。
前方には巨大な樹がそびえ立つ島が見えていた。
そのもう少し手前の目立つ島はおそらく王都ディティシオン。
立派な城塞と港。それからお城が見えている。
立地からしたらあの島が聖域ヤルムン島。
であれば見えているあの樹が神樹ということになる。
「ヘイ!Tori?あれが目的地かい?」
すみません。よくわかりません。か。
などと思っていたら、突然鳥は高度を下げた。
そのまま一気に大きな樹のある島へと向かっていった。
まるで落っこちていくような速さのままに島へと突入する。
樹々の隙間から簡素な集落などが見えたが、あまりの速さでどれほどの規模かはわからない。
しばらくして鳥は減速を始めた。
何やら人だかりが出来たそこに鳥は降り立つ。
周りはみな尻尾や耳があるものばかり。
民族的な露出がある衣装をまとった彼らは誰しもが背が高く、鍛えられていた。
そこにいるのは全員が獣人族だ。
「イデッ!」
その中心で鳥にポイと放られるように落とされた。
もう少し丁寧に送ってほしい。
ロレスですら縄を切るときは抱きかかえてソッと地面に下ろしてくれたというのに。
体を起こそうとしたところに大人5人かかりでとびかかられた。
手足をそのまま押さえつけられ、地面に縫い付けられる。
「だぁああ!!痛い!痛いって!!抵抗しないからもっと優しく!!」
「黙れこの変質者!!」
変質者?
まだ何もしてませんよ!?
まだね?
「イーディルン様を返せ!」「人攫いめ!神の裁きを受けろ!」「よくも族長の娘を!!」
口々にありもしない罪状を投げかけられる。
反論したかったが、あっという間に手足を縛られて布を噛まされた。
その人垣をかき分けて、一際目立つ獣人族が俺の前に立った。
茶色とさび色の2色の毛並み。
縞模様の尻尾。
イーレにそっくりな、髪色の獣人族の男性だ。人族なら30代後半くらいか。
鍛え抜かれた体には歴戦の傷が刻まれ、右目の上からも傷がある。
目が悪いのだろうか。
1人で歩いてはいるものの、両目ともに白濁している。
「ケーシー。この者か?」
「はい族長!この者がイーディルン様を攫った張本人です。ベルガー王政の使者からタレコミがありました。手配書もこちらに!」
ケーシーと呼ばれたその男。
尻尾も耳もグレーで、先っちょだけ白色の彼は紙切れを持っていた。
持っている手配書はベルガー大陸で俺が指名手配されていた時の物だ。
名前の欄にはユリウス・ヴォイジャーと記されている。
「んんんん!!!んんんんんんん!!!」
「申し開きの機会など無い!即刻処刑を!」
「……牢に入れておけ。刑は私が決める」
「しかし族長!!こやつはイーディルン様を!」
「族長はこの私だ!!!」
ゴァ!と。
短く、しかし大きな叫びが轟いた。
まるでシエナの上げる鬨の声の如く耳に響く。
辺りの獣人族たちは皆委縮し、ケーシーと呼ばれる側近のような男も耳を垂らして尻尾を隠した。
「だが、報いは受けさせよう。ようこそ人族の魔術師よ。歓迎する」
ドカと後頭部を殴られる。
流石は武闘派種族の獣人族だ。
恐ろしく早い手刀。
しっかり見逃したわ。
「……盛大にな」
遠ざかっていく景色の向こう。
何人もの足元のサンダルばかりを目にしながら、意識を失った。
---
目が覚めた。
記憶は連続している。
手刀で気を失った後だ。
周りに敵がいないとも限らない。
すぐには眼を開けないままに気配を探る。
同時に体のチェックだ。
何やら雑に木で組まれた床に寝かされているらしい。
手は、動かない。縛られている。
足は、動く。だがやけに風通しが良い。
……ん?この感じはまさか?
ゆっくりと眼を開ける。
まだ日は高い。
だから、その光景は直ぐに目に入った
「スッポンポンじゃないか!!!???」
重ね着はしなくても良いかもしれないが、せめてパンツくらいは残してほしかった。
ものの見事にひん剥かれている。
ユリウスのユリウスが寒そうに震えていた。
まだ季節が夏で良かった。
飛び起きるようにして体を起こす。
今いる場所は牢屋か。
樹に吊るされた鳥かごみたいなそれ。
樹を組み合わせ、蔦できつく結ばれたそれ。
強固ではあるが、あまりにもお粗末だ。
というか、かごに入れるならあの鳥さんの方だろうに。
俺を入れるなら客人用のベットがある部屋だ。
美女など添えてくれればなお良い。
耳長の美女か、赤髪の美女でビジョビジョしてほしい。
まぁ余裕も出てきた。
こんな牢であれば魔法を使えばチョロく脱出できる。
そういう意味合いでホッとしたのだ。
「随分と元気じゃねぇか」
牢の扉に両腕をだらりと入れこんで笑う男がいた。
放置されて伸びた黒い髪を後ろに束ねたお侍ヘア。
赤黒い照りを返す鎧に、青色の褪せたマント。
こけた頬と無精ひげが愉快そうに上に吊り上がる。
「えぇ?ユリウス・ヴォイジャー?」
「セドリック……!!」
ほとほと縁がある。
「こんなところで会えるなんて、俺たちは何か、見えない糸で結ばれてるのかもなぁ?会いたかったぜクソガキ」
「こっちは願い下げだ!!しつこく追ってきやがって!!」
「ひゃっはっはっは!!当然だ!てめぇを殺せるなら地の果てだって追いかけてやるぜ……」
逆光の彼の顔には殺気がありありと浮かび上がっている。
「まぁいいや、挨拶も済んだししばらくはお前には手を出さない。精々おとなしくしてろよ」
「……いいのか?眼を離したら消えちまうぜ?黒いアレのようにな!」
「出来るならやってみろよ。魔術師」
「魔道士だ!」
魔力を回す。
まずは腕の縄を焼き切る。
「……え?」
炎が出ない。
……炎が出ない!?
「どうしたよ《魔道士》。お得意の炎が使えなくて焦ったか?」
あぁそうだとも。
魔術を失ったあの日と同様の焦燥が胸を渦巻く。
だが理由がわからない。
魔封じの結界は見当たらない。
魔力も万全だ。
だが火花どころか煙すら出ない。
風も水も土も、魔法は俺に応えなかった。
「な、何をした!!」
「何も?そのお利口さんな頭で考えるんだな。お前の処刑は3日後だ」
「処刑……そんな!なんで!?」
「お前が族長の娘を攫って奴隷として売り払ったことになってるからだよ。単純だよなぁ獣人族。所詮は人外。頭の中が空っぽだ。あんな手配書一枚でコロッと信じちまう。気高い戦士ってなぁ扱いやすいぜ」
クククとセドリックは笑う。
「可愛い可愛い愛娘を慰み者にされ、無残にも殺された族長はお前を罪人として迎え入れた。これから処刑までの間、きつーいつらーい責め苦があるんだとさ。楽しみにしとけよ。ユリウス・ヴォイジャー」
高笑いと一緒にセドリックは牢の前から姿を消した。
どうやら足場が用意してあるようで、そこから降りていった。
そこからしばらくは手の縄と格闘した。
強固でとても解ける要素がない。
弱った。
魔法が使えないユリウスなど、ただの13歳の子供だ。
いやただの子供の方がまだ強いかもしれない。
ひとまず魔法についてはどうにもならないということが分かった。
この辺りには魔力が無い。
魔法とは自身の魔力と周囲の魔力を同調して操るもの。
逆に言えば周りに魔力が無ければ使えない。
かわりに魔力とは違う何かが空間を支配している。
どこかで感じたことのあるそれは魔力を通さず、完全に遮断していた。
まずいなぁ。
ものすごくまずい。
いやぁ参った。
どうしようか。
まずい…まずい…。
牢屋の中。
狭い2畳ほどの空間。
その中をウロウロ。
ウロウロウロ。
とりあえず寝床として敷かれた粗末な布の上でウロウロ。
おそらくトイレであろう床に空いた拳大の穴を覗き込みながらウロウロ。
どこかの網目から抜け出せないかとウロウロ。
「だめだぁあああ!」
考え込む間に日が暮れはじめ、すでにオレンジの光が辺りを照らしている。
そのうちどうにもならなくて床に大の字に転がった。
腕を広げられないから人の字か?
驚くほど無力。
魔法が使えないだけでこんなにも無力だった。
と、何やら足音が聞こえ始めた。
ガバリと体を起こす。
灰色の毛並みに先端が白色の耳。
ケーシーと呼ばれた男とよく似た色合いの女性獣人族。
無駄なお肉の無いその体はすらりとモデル体型で、しかし胸だけはたわわに実っていた。
それらを獣の革でできた布面積の狭い民族衣装で囲っていた。
骨を削ったようなアクセサリーなんかも揺れている。
その脇には同じような毛並みの少年が付いてきた。
親子だろうか、兄弟だろうか。
その少年がカギを開け、女性のほうが食事を抱えて牢に入ってきた。
チャンスだ!
情状酌量のチャンスだ!!
靴を舐めます!!!
「誤解です!俺は正義の魔道士で人攫いなんか!!」
「下がれこの変質者!!!」
思いっきり顔面を蹴り飛ばされた。
憎しみの籠ったそのフリーキックは俺を壁まで吹き飛ばすには十分すぎる威力があった。
強か体をぶつけてゲホゲホとせき込んでいるところに食事の乗ったトレイを投げつけられた。
当然ながらその中身は派手にぶちまけられて床に散らばった。
「神の裁きを受けるがいい!汚らしい魔術師め!!」
ドMの皆さまが大好きなゴミを見るような視線で見下される。
そのまま彼女たちは牢の扉を乱暴に締めて去って行く。
「……」
去り際に少年の口が小さく動いた。
ごめんなさい。か。
俺はユリウス・エバーラウンズ。
そういうところもきっちり見逃さない。
「あぁあ……せっかくの飯が……」
鼻血を拭いながら、ちょっと強がって床の食事を食べられるところだけかき集める。
米粒1つには7人の神様が宿る。
これだけの量であればもっと沢山神様がいただろうに。
俺はご飯を無駄にはしない。
神様見てる?
良い子でしょう?
みみっちいとか言わないで。
壁に寄りかかって、拾い上げた食事を口にする。
うん。
味は悪くない。
流石はディティス列島帯産のお野菜に穀物。
香草の香り高く、炊きあげられたそれはいつぞや食べたディティス流炊き込みご飯だ。
具材としてはかなり質素ではあるが。
(しかしまぁ)
零れた汁物でベタベタの体を見る。
水の魔法が恋しい。
風の魔法が恋しい。
何をするにしても魔法便りの旅を送ってきたのだ。
突然それを取り上げられるのは辛い。
魔道士ユリウスは囚われの身。
こんな木でできただけの檻なんぞ。
雷轟の射手で一撃なのに今は手の縄すら解くことが出来ない。
状況は良くない。
最悪ではないが、それでも良くない。
装備無し。
仲間無し。
下着も無し。
財布も無し。
魔法も無し。
そして時間も無い。
なんなら時間が無いのが一番深刻だった。
仲間の到着はどんなに最速で来たとしても10日は先のはずだ。
船の状態を考えれば最低でももう一度補給をしなければならない。
であれば、2週間。
とてもじゃないが俺の処刑まで間に合わない。
(……焦っても仕方ないのはわかってるんだけどなぁ)
そのまま眼を閉じた。
なんだか疲れてしまった。
ならば眠る。
幸いにすぐに殺されるわけではない。
死刑囚なのだ。
最低でも3日は時間がある。
眠って英気を養う。
皆、どうしてるだろうか。
シエナは気が動転して居なければ良いが。
あの子はカッとなると見境が無い。
それが頼りになる時もあるが、仇になるときもある。
イーレとエルが居るから大丈夫だろう。
いざとなればロレスが殴ってでも止めるだろう。
そんなことを思いながら寝息を立て始めた。
今思えば、ここで少しでも眠っていて良かったと思う。
この日の夜は今考えても身の毛がよだつ。
……おそらく、長い魔道士人生で一番恐ろしい夜だと思う。
---
ギチギチ。
カチカチ。
硬質な、すこし軽さのある音でふと意識が戻った。
眠ってからそれなりに時間が経ったらしい。
うっすらと開いた瞼の先。
牢屋の扉にいつの間にか松明が掲げられていた。
輝照石ですらないのかと内心呆れながら、首筋か痒くて手をやった。
チクりと、何か尖ったものが振れた
「?」
それはポロリと手のひらの中に転がった。
「なんだこ……」
眼にして一瞬固まった。
それは非常に立派なバッタだった。
手のひらよりも大きな、嫌にとげとげしい緑色のバッタ。
「ヒッ!!!」
手をブンと振り払ってそれを払い落とした。
だが体中から同じようなチクチクを感じる。
まさか。
立ち上がった俺は恐る恐る自分の体を見た。
そして固まる。
体中に虫が張り付いていた。
さっきのバッタに、よくわからない甲虫。
他にも大きな蛾や、あと明らかに黒いアイツの仲間。
どれも、まぁ立派なこと。
「ぎゃあああああああああああああああ!!!」
のたうち回ってそれを払い落とす。
虫!!
虫は無理!!!
デカイのとかマジで無理!!!
「特にお前!!!!!!」
ベシンとバッタを床に叩きつけた。
仮面なライダーは良い。
どれもカッコいい。
高く飛び上がる必殺キックなどは大好物だ。
だがこいつは違う。
突然跳ねてこちらに飛びついて来る謎の習性も駄目!
もげてなお動き回る足も駄目!
その面も!なんか妙に肉感がある腹も駄目!
全部駄目だ!!!
バタバタと牢の中を逃げ回る。
悲鳴をあげ、出来る限り虫を蹴り出したりしながら。
だが無限沸き。
ほとんど意味が無い。
こいつらが来た理由を考える。
松明に惹かれているんだ!
あれを消さなくては!
必死で縛られたままの手を伸ばすが、絶妙に届かない。
あとほんの5センチ程度が絶対的に遠い。
ゴキリと肩が鳴った。
眼から火が出せそうなほどの痛み。
脱臼したかもしれない。
だが、おかげで松明に手が届いた。
掴めこそしなかったが、下に落ちたそれ。
灯りは明らかに遠ざかった。
これでなんとか。
「なってない!!!???」
背中やお尻にわらわらと群がる虫たち。
魔物でないだけ命の心配はないが、それでも精神衛生上はどうにもならない。
再びのたうち回って虫たちを散らすが、こいつらは執拗に俺に群がってくる。
なんでだ!?
そう思ってふと昼間にぶちまけられた食事の中身を思い出した。
独特の香味がするスープ。
それがぶちまけられてそのまま体についている。
腕の匂いを嗅ぐ。
ほのかに甘く、香り高いスパイスの匂いが染みついている。
その目前に再びバッタが飛びついてきた。
パカリと開いた横開きの顎からチロチロと舌のような物が俺の皮膚を這っている。
あぁ、なるほどね。
この匂いに釣られてきちゃったわけか。
ははは。
はははは……。
ぎやああああああああああああああああ!!!!!!
うわああああああああああああああああああああ!!!!!
夜のディティスの森に、魔道士の悲鳴。
罪人の悲痛な叫びは朝になるまで。
いつまでも鳴りやまなかった。
---
《セドリック視点》
──誰かあああああああああああああああああああああ!!!
無様な悲鳴が聞こえる。
あまりにも愉快で、手にした酌が口まで運べない。
「米を醸造してつくった酒。お気に召しませんかな?」
「いいや?ちょっと虫の音が心地よく聞こえてなぁ」
「大罪人へは重罰が必要です。虫の責め苦は我ら獣人族の中では最大の罰です。酒の当てには極上かと」
「悪くねぇ」
ケーシーの家で酒と夕飯を馳走になっている。
族長の家の敷地内に併設された比較的にマシな家。
靴を脱いで上がる形のその家は書物に溢れていた。
食事の内容も、里の者の食事と比べれば格段に豪華だ。
いい暮らしをしているらしい。
「だが、生温いな。俺なら直接鞭でも何でもぶち込んでやるところだ」
本人の罪などどうでもいい。
罪人というのは、いわば傷つけても良い人種。
罪を悔いさせるために罰を与えるのが本懐であるが、俺たちは人間だ。
常に娯楽を求める生きもの。
酒であり、歌であり、女であり、戦いであり、悲鳴であり。
そして他者を傷つけるというのも立派な娯楽となる。
そのためであれば本懐を蔑ろにすることなど、些末なことだ。
「……セドリック様は、何日寝ずにいられますかな?」
「あ?」
ケーシーは何やら意味ありげに指先で果実を転がしていた。
「睡眠とは、体の休息だけでなく心の整理の役割もあると言います。もし、檻の中。昼は私の手下に、夜は森の虫たちに嬲られて休むことも眠ることも出来なければ、その者の心はどうなるでしょう?」
「どうってそりゃお前……」
ぶちゅり。
そういう音をたてて、熟れた果実がつぶれた。
ドロドロと中身を吐き出し、醜く崩れていく。
互いに口の端が吊り上がる。
あぁ、こいつはもしかしたら俺を越える悪人かもしれない。
「お気に召してもらえましたかな?私はあの魔術師の心を。あなたは魔術師の首を。ともに刈り取ろうではありませんか」
「えげつねぇ……お前が族長になったらこの里は終わりだな」
「はっはっは。それは誉め言葉ですよ。セドリック様」
ドブドブとケーシーは酒を注ぐ。
零れることなど気にも留めずになみなみと。
「さぁ!処刑までの3日。今までの恨みを晴らすべく存分に楽しみましょう」
酒の入った杯をケーシーが掲げる。
俺もそれに倣った。
「我々の悲願の為に。そしてガブリエラ様のために」
---
《ユリウス視点》
「誰かー。出してくださいー。中じゃなくて外。外に出してー」
一夜明けた。
夜通し虫と格闘したこともあってクタクタのヘトヘト。
結局ほとんど眠ることも出来なかったうえに夕飯もお預けだ。
シエナの野菜スープを腹いっぱい食べていたとは言え、流石に空腹だった。
牢の扉の真ん前でうつ伏せで元気なくダラダラと文句を言っている。
叫び続けて喉はカラカラ。
せめて水くらいは好きに飲ませてくれればいいのに。
相変わらず魔法は使えない。
基本の魔法はもちろんの事。
回復魔法も使えなかった。
今は本当に役立たずのユリウスである。
「……」
「……」
ふと目をやると昨日来た灰色の毛並みの少年が階段から耳と目だけだしてこちらを見ていた。
隠れているつもりなのだろうか。
可愛らしいお耳がピンとこちらに向いている。
オズオズと、彼は顔を出す。
陽光に照らされた彼が、日の届かない俺の様子を伺っている。
イーレもそうだが、彼もそこそこ幼い。
イーレが今9歳だから、彼は7歳くらいだろうか。
丸みのある耳と尻尾とその垂れた眼つきは内向的そうな印象を受ける。
あと服装だ。
確かに露出が高い。
半ズボンとサンダルしか身に着けていない。
俺がショタコンだったらちょっと刺激が強かったかもしれない。
「……」
タッと意を決して彼がこちらに来る。
手には何やら沢山のものを抱えていた。
「体拭いて」
そう言って投げ込まれるひんやりとした濡れタオル。
「飲んで」
鞣した革で作られたひょうたん型の水筒。
「食べて」
欠けた黒パン。
矢継ぎ早に、家からとりあえず取ってきたような物をそのまま差し出される。
「……いいのか?」
「良い」
とても淡泊な口調の彼。
伏目がちな灰色の毛並みの彼は、その間もキョロキョロと周りを見渡す。
「ありがとう。名前は?」
「言えない」
「そっか」
まぁ罪人に名前を覚えられ、変な言いふらしを食らっても厄介だろう。
かと言って施しを躊躇わずに行える彼。
慈悲深く、そして賢い子のようだ。
「では、ありがたく」
水筒の栓を抜いた。
普通の水。
ほのかに土の匂いがするそれは、おそらく川から汲まれてきた清水だ。
ガラガラの喉に流し込み、ついでに頭にバシャリとかけた。
そしてサッと体を拭く。
汗だったり、虫の体液だったり。
ベトベトの体を拭えば幾分か心が晴れた。
ふぅ。と一息ついて黒パンを齧る。
なんの変哲もない黒パンだ。
パサパサでゴワゴワの食べなれた平凡な食事。
それを水と一緒に流し込んでいく。
毒を警戒しろって?
毒喰らわば皿までというじゃないか。
ハラペコな俺は食べ物を大事にする男なのだ。
檻の向こうから彼はちらちらとこちらを見てくる。
「んまい」
そう伝えれば少しだけ彼は頬を緩めた。
「……イーディルン様を殺したって本当?」
「そんなわけないだろ……って信じてもらえないか」
自嘲気味に笑って視線を落とした。
すでにここでは俺は変質者で通っている。
まだ魔術師と呼ばれた方が良い。
「……嘘、ついてないね。君」
その言葉に顔を上げた。
体操座りの彼が膝小僧に顎を乗せてこちらに向き直っていた。
「複雑……。君みたいな変な人初めてみた。何者なの?」
「変って……」
彼の左眼がほのかに光っている。
イーレのような、まるで星を湛えるかの如き光。
ただこの少年の色は青でなく橙だ。
彼は魔眼を使っている。
「……嘘がわかる眼?」
「うん」
「じゃ、じゃあさ!俺が無実だってみんなに言ってくれよ!仲間と離れ離れで困ってるんだ!」
檻に手をかけて詰めよれば、彼はサッと体を離した。
立ち上がって逃げるように距離を置く。
「……それは出来ない。君を牢屋に入れているのは──」
「何をしている!!」
牢に続く階段を同じ毛並みの男が駆け上がってくる。
ケーシーだ。
少年を後ろに下がらせたあとに流れるように檻に蹴りを入れる。
「汚らわしい魔術師!私の息子まで毒牙にかけようというのか!!」
「俺は女の子にしか興味ねぇです!!」
もう一発蹴りを入れられた。
うん。今のは俺が悪かった。
「父上?」
「ルビー!フジをしっかり見ておきなさいとあれほど言っておいただろう!」
ルビーと呼ばれたのは先日俺にご飯と蹴りをくれたお姉ちゃんだ。
その名前、覚えたぞ。
などと思っているうちに、ケーシーの後ろからワラワラと獣人族が牢に集まってくる。
屈強な男獣人族ばかり。
中にはセドリックも居る。
……嫌な予感がする。
「セドリック殿。先のお話、本当ですかな?」
「あぁ。コイツは族長の娘どころか、我らがベルガー王国第7王女様まで手にかけた極悪人だ」
笑いを抑えられないようなセドリックの口調。
その演技じみたやり取りに、徐々に扉から距離を置く。
逃げ場などはない。
「フジ。施しの事は族長に黙っておいてあげよう。だから下がって居なさい。そして2度と牢に近づいてはいけない。いいね?」
「……はい、父上」
フジと呼ばれたその子はシュンと耳を垂らし、尻尾を隠すような仕草をとった。
一瞬だけ俺をみた彼に、俺はウインクをかます。
大丈夫だよ、ありがとう。とメッセージを込めて。
なるほど。
あの子はケーシーの息子ってわけね。
いやぁ、あんたに似なくて良かったよ。
本当に。
「反省の色が全く見えないですね。これだから人族は」
「あー。ケーシー?」
「これは失礼セドリック殿。訂正いたします。これだから魔術師は」
「魔道士です」
即座に言い直す。
違いの分からない大人はこれだから困る。
しかし、飛んできたのは叱責の言葉ではなく石だった。
ガツンと当たった石で額を切り、細く血が垂れる。
カチャンと鍵が開く。
そして彼らが狭い檻の中に入ってくる。
「重罪人にはそれ相応の罰を。わかっておられますね?」
バキバキと指を鳴らす獣人族たち。
この後の展開はまぁ、ちょっと省略だ。
簡単に言うと半殺しにされた。
単純な暴力と痛みによる蹂躙。
筋肉自慢の獣人族の大人が、複数人で寄ってたかって殴ること蹴ること。
ホッとしたのは、男を犯す男がここに居なかったことくらいか。
口の中を切り、眼が開かぬほど殴られたがユリウスの貞操は守られた。
……だがまぁ、辛いわなぁ。うん。
痛いし、辛い。
弱音も吐かず命乞いもしなかった俺を褒めてほしい。
喋る余力も無かったと言えばそうなるが、とにかく歯を食いしばって耐えた。
彼らが居なくなった牢で、俺は人知れず泣いた。
こっちの世界も、良い事ばっかりではないなと改めて思い知らされたよ。




