第六十二話 「船旅と星空」
大船に乗ったつもりでいるが良い。
《剣将》ザルバ・シグ・レオスグローブはそう言う。
彼についてはエルディンも詳しく知っていた。
ザルバと祖父アレキサンドルスは共に剣を競った敵同士であったという。
30年ほど前までディティスとアリアーは敵対国であった。
その最前線で《剣将》と《剣豪》は何度も剣を交えた。
互いに1歩も引かぬ攻防は3年にも及び、両国ともに戦力は疲弊しきり泥沼の戦いとなっていた。
このままでは互いに国を守る力をすり減らし続け共倒れになると悟った2人の剣士はどちらからともなく剣を降ろした。
そして他の兵士たちを下がらせ、剣以外の方法で決着をつけることとしたのだ。
酒の飲み合いである。
両陣営に運び込まれた士気高揚のための酒を戦場のど真ん中にありったけ集め、最強の剣士2人を幹事とした大宴会が開かれる運びとなったのだ。
アレキサンドルスの酒豪伝説はここを起源としているらしく、樽1つ抱えあがて一息に飲み干す彼の姿を称える声は多い。
当然勝負なのだから、ザルバも同じことをした。
呑んで食って歌って。
戦いの鬱憤を晴らす宴は7日に及び、1人、また1人と酔いつぶれていき。
最後に残った《剣豪》と《剣将》が互いに引き分けを認めて戦いの幕を引いたのだ。
以降、彼ら2人は無二の親友となった。
一時はザルバの娘をデニスの妻とする話が上がるほどだったそうだ。
「まぁ、ワシらも若かったものよ」
船の船長室でザルバは懐かし気にそう語った。
艶のある木製の机とそれと揃いの椅子に腰かけて、葉巻を指先で転がしながら目を細めて彼は言う。
すでにザビー皇国を出航した船は海原にあり、進路はナック島へと向けられている。
作りの良い船長室では臙脂色の絨毯が敷かれており、壁には何やら角の生えた鹿のような生き物の剥製が飾られている。
中央には座り心地の良いソファーが置かれ、俺とエルディンはそこで腰かけている。
ゆったりと揺れる船内は静かではあるものの、時折床の下から喚き散らす声が聞こえてくる。
それを上からザルバがドンと足踏みして黙らせる。
下に居るのはアルフリードだ。
狼藉を働いた彼を待っていたのは隔離室であった。
船旅である以上、例えば流行り病であったり例えば裏切り者が出たりと言った時にその部屋は活躍する。
どの船にも必ずその部屋があるのだという。
彼はそこへ放り込まれた。
「……改めて、アルフリードの無礼を詫びよう。すまなかった」
「いえ、理由は聞きましたので。ザルバ様が頭を下げるようなことじゃないですよ」
「ユリウスは控えめだなぁ。ボクなら船首に括りつけてさらし者にするけど」
「鬼かお前は」
まぁ、その気持ちはわからなくもない。
俺は彼の八つ当たりに付き合わされたのだ。
《絶剣》アルフリード。
獣人族1の戦士である彼は負け知らずであった。
生まれつき持った気性の粗さと天武の才で聖域の守護を族長から任された栄えある騎士。
……であると同時に、増長した暴れん坊でもあった。
誰もが彼を畏怖し、逆らうものなど居らず。
彼が20になるまで暴力と酒と女に浸る日々だったのだという。
そんな困ったちゃんにも年貢の納め時が来た。
《剣豪》アレキサンドルスとの邂逅である。
先のとおり、ザルバと友になったアレキサンドルス。
ディティスに招かれた彼は聖域への巡礼を許され、アリアーとディティスの親交を祈りに世界樹への謁見を国王から認められた。
だがそれに食って掛かったのがアルフリードであった。
当時の彼は獣人族こそ最強の種族だと豪語しており、人族を見下していた。
矮小で脆い人族が聖域に足を踏み入れることを彼自身が拒んだのだ。
そして当然の如くアルフリードは剣を抜きアレキサンドルスに斬りかかった。
勝負は一瞬で付いた。
たった一太刀でアレキサンドルスがアルフリードを切り伏せたのだ。
力に酔い、酒に酔い、己に酔っていたアルフリード。
その剣は掠ることすらなく《剣豪》に叩き折られたのだという。
胸の傷はその時の物で、肩の刺青は追放者の烙印でもあるのだ。
以降彼は酒を断ち、聖域の守護を離れ剣士としての修行に没頭したのだとか。
その後、幾つかの武勲をたてたアルフリードを国が王国近衛兵として抱え込んだ。
ザルバとつるむようになるにしても、彼はやはり戦いを挑み負けたのだという。
そんな彼が、憎き《剣豪》の孫に会うにあたり何故剣士でないのかと突っかかってきたのが今回のソレだ。
悪かったなぁアルフリード。
俺に剣の才能は無いのだ。
魔道最高。
ビバ魔法。
「奴は筋は良いのだが、頭に血が上りやすい。攻撃が単調になり読み合いの果てに負ける。それを制御できるようになればもうちっとはマシなのだがなぁ」
クククと笑うザルバ。
零れた笑みで見えた彼の白い歯は獲物が育つのを待っているかのよう。
その口ぶりからして、アルフリードが《剣将》に勝つのはまだまだ先のようだ。
「……おっと。つい思い出話が長引いてしまった。年を取るといかんな」
そう言いながら彼は引き出しから地図を出しながら席をソファーへと移った。
「お望み通り、ディティスにある一番古い地図を持ってきた。だがこれで良いのか?エルディン」
「えぇ。ボクが欲しいのは聖域の情報ですから」
お偉いさん同士の対談が目前で行われる。
潮の流れや風の向きの統計的なデータや、地形の変化など。
古い地名を交えて彼らは情報のやり取りをしている。
「あ、もし退屈そうなら甲板に上がってなよ。こっちの話はボクがまとめとくから」
「ん?じゃあ、そうさせてもらうわ」
さっぱりわからなくてあくびをしていたところだ。
お言葉に甘えて退室する。
去り際に
「昔の自分たちを見ているようだ」
と笑いながらザルバが口にしていた。
《剣将》と《剣豪》。
どちらが頭を使うタイプかは名前から想像がつく。
(そんなに似ているのかなぁ)
正直、アレキサンドルスと俺はあまり似ていない気がする。
あんなにデカイ男にはなれないし、ムキムキになれる気もしない。
デニスのように魔法と剣を巧みに操れるようになれれば、とは思う。
そんなことを考えながら階段を上がり、甲板にでると強い風が出迎えた。
初夏のディティス列島帯には北向きの強い季節風が吹く。
大小、あわせて48の島々から成るディティス列島帯は今まさに大航海シーズンだ。
アリアー大陸、ベルガー大陸、テルス大陸と3つある大陸全てに面しているこのディティスという国はいまが最盛期。
暖かな日差しと安定した気候によって多くの船が一様に北を目指すのだ。
最終到着地点である国港ディーテールはこの時期に合わせて巨大な浮島が出現する。
大魔道ダン・クロム・エシュテンバッハが作り出したという島丸々1つを港にした街なのだという。
大魔道の作った島。
いつか行ってみたいが、俺たちの目的地はもう少し手前。
ディティス列島帯の北に位置する聖域と呼ばれる島だ。
列島の中で3番目に大きいその島は獣人族の里があり、世界樹と呼ばれる神木があるらしい。
島の名前はヤルムン。
つまりはイーレの生まれ故郷だ。
現在は最初の経由地ナック島に向けて順調に船は進んでいる。
そこにディティス列島帯の国港ディーティベルを目指す航海は穏やかそのもの。
予定通りでは明後日には島に着き、入国手続きと補給を済ませて次の島へと向かうらしい。
そしてヤルムン島最寄りの港のある島。本土ディティス島。王都のある島がひとまずの目的地だ。
そこからは現地のガイドを雇って小舟で島々を渡り、聖域を目指すことになる。
「ユーリ!鳥がいっぱい!船もいっぱい!」
「危ないですよイーレ。もう少し下がって」
故郷へ向けての船旅の中、船の手すりに掴まったイーレは飛び跳ねながら海を眺めている。
青い空と白い雲。
風を切る帆船と並走するように海鳥が飛び、ミャアミャアと鳴き声を上げている。
初夏の陽気が暖かく降り注ぎ少々暑いが、絶え間なく吹く北向きの風が心地よい。
どこまでも続くように見える澄んだ青い海。
海のいたるところに形の違う帆船が浮いており、皆一様に北を目指している。
さらにその奥にはポツポツと浮かんだ島々。
ちゃんとした航海が初めてな俺としても新鮮だ。
海風の香り、揺れる船と水夫たちの掛け声。
ゴロゴロと音をたてて転がっていく小さな樽にざるに網のかけられた荷物たち。
まさに思い描いていた心の弾む海の冒険だ。
ちなみに今乗っているのはディティス王家所有のこの"グレート・エリザベス号"。
美しい女性の彫刻を船主に頂いた作りの綺麗な帆船だ。
白波をたてて滑るように海を征く船の乗り心地は最高だ。
「絶好の船旅日和ですね。風が気持ちいい!」
まさに快適な船旅だ。
イーレは言わずもがなだが、故郷が近づくにつれて嬉しそうにはしゃいでいる。
ロレスもフードを外して、樽に座って風に吹かれている。
それぞれにこの船旅を楽しんでいた。
……シエナはそうでもないようだが。
視線を落とした先でシエナが船酔いでダウンしていた。
苦しそうに顔をゆがめ、時折近くの桶にゲーゲーと吐きに行くのを繰り返している。
とっくの昔に胃の中のものなど吐き終えているであろう彼女は全くの無言でそこに横になっていた。
や無茶しやがって……。
「シエナ、無理?」
「無理ですね。俺が見とくからイーレはロレスさんと一緒に居て」
「わかった」
テテテテと足音をさせながらイーレは小走りでロレスの元へ向かった。
それを見送って、シエナの背中をさする。
「……海、嫌い……」
苦し気に短く言うと、また催したらしくて口元を抑えて立ち上がる彼女。
しかしふらついて、その場にうずくまってしまう。
そこからの俺の動きは速かった。
まず彼女が倒れないようにすぐさま左側から肩を貸し、上体を支える。
空いている右手に土魔法で桶を生成して彼女の正面に差し入れる。
そこから間髪入れずに、彼女の綺麗な髪に吐しゃ物がかからぬようにさっとかき上げた。
完璧なアシストを瞬時に行った後、彼女は目前の桶に吐き出した。
「おえぇ……」
それなりにソフトな表現と音でお送りいたしております。
画面的にはキラキラ加工だったり、虹色だったりするだろう液体が派手にぶちまけられる。
いや、汚くない。
臭くないし、もらいゲロもしないぞ!
彼女だって苦しい思いをしているのだ。
それを俺が支えてやらなくてどうする。
俺はユリウス・エバーラウンズ。
意外と尽くすタイプの男なのだ。
少々飛び散ったところで何でもない。
業界によってはご褒美だ。
「……ごめんなさい、ユリウス」
「気にしないでください。とりあえず日陰に行きましょう」
足元すらもおぼつかない彼女を支えて、ひとまずは日の当たらないところへと避難した。
移動するあいだも何度かこみあげてきていたようだがまずは移動を成功させた。
複数個桶を生成しておいて、彼女を横に寝かせて膝を貸す。
「ローブ、外しますよ」
「わかった……」
この陽気に厚手の毛皮のローブは流石に不相応だ。
風通しも悪い。
いつもは頑なに脱ごうとしないそれを彼女から引きはがす。
思いのほかローブは重かった。
内側に皮の鎧が仕込んであり、補強されている。
シェリーが施したのであろう改造は実用性も高い。
このローブは防寒着でもあり、防具でもあった。
……あ。
そしてそこで、やっと気づいた。
このローブは俺が昔着ていたものだった。
サーシャの作った野犬のローブ。
白い野犬の毛皮を使った手作りのローブは首都ロッズに置いてきた。
いつかシエナの役に立てばと思ってシェリーに預けていたのだった。
随分と形が変わってしまっていたし、表面はひどく汚れていたから全然気が付かなかった。
内側にある白いファーの部分がそれを物語る。
(ロッズから、ずっと着てくれていたのか……)
砂漠でも彼女はこれを脱がなかった。
ロレスもローブを脱ぐことは少ないから、もしかしたら彼女のリスペクトなのかもしれないと思っていた。
いつか彼女にそのローブを脱がないのかと聞いたことがあった。
彼女はただ「そういう事よ」としか答えなかったが……。
(そういう事かぁぁぁ)
顔が真っ赤になるのを感じながら彼女に回復魔法をかける。
荒く苦しそうに息をする彼女の額に手を当て、魔力を回せば手元に柔らかな緑の光が灯る。
「ど、どうです?効果ありますか?」
「……うん、ありがと」
消え入りそうな声でシエナは言う。
多少は彼女の表情が楽になったのが見えた。
効果がある。
だったら……。
「シエナ、すぐに戻ります。ちょっとだけ、ちょっとだけ我慢しててくださいね」
丸めた彼女のローブを枕替わりにして俺は部屋へと荷物を取りに走った。
ボロボロのローブ。灰色の三角帽子。そして杖。
完全装備のマジカルユリウスに変身して駆け足で彼女の元に戻って再び膝を貸す。
先ほどと同じように彼女の額に手を当てて回復魔法を使う。
杖があった方が回復効果が高いのはすでに立証済みだ。
同じ量の魔力でも杖有りの方が効率も良く威力もある。
もっと。
もっと強くだ。
たかだか船酔いくらい。回復魔法で押し返す!
手元の光が緑から金色に変わりつつあるのを見ながら、俺は魔法に専念した。
航海の始まりこそシエナは元気だった。
だがしばらくして徐々に徐々に顔色をかえ、一晩明けてからはこのありさまだ。
「なんで船が苦手って言わなかったんです?酔い止めの用意だって出来たかもしれないのに」
現にバンテスの店で買い物した時にも船酔いようの薬を目にしていた。
時間が無かったとはいえ、用意できないことも無かったはずだ。
「……あんたが居たら、要らないわ」
「俺は万能薬じゃないんですがねぇ……」
「いいのよ。こうして居られるから良い」
荒い息でうなされる様にして彼女は言う。
それはそれで嬉しい言葉ではある。
「もし俺が超スケベで弱ったシエナを襲うような奴だったらどうするんです?」
今も少し開けたシャツの奥だとか、悩まし気に上下する腹部だとかをジロジロとみている俺だ。
申し訳ないが、ユリウス・エバーラウンズだって年頃の男子。
いつまでも紳士で居られるとは限らない。
今にも息子がテント設営に動き出してしまいそうだ。
「もしかしたら手が滑って胸とか触るかもしれませんよ?」
「……別にいいわよ」
……え。
良いの?
「……ユリウスなら、良い……」
彼女の顔に視線を落とす。
潤んだ瞳は伏せられ、頬が赤い。
ちらと眼が合った。
本当に一瞬だけ交わった視線は直ぐにいじらしく反らされた。
え。
良いんですか。
この状況で。
彼女の胸を見る。
普段つけている革の胸当ても外された薄いシャツの向こうでは柔らかな丘が2つ。
呼吸に合わせてゆっくりと上下している。
歳相応に程よく実った瑞々しい果実。
手を伸ばせば触れることの出来るそれを、良いと言われてしまった。
思わず唾を飲み込む。
「では1つ失礼しまして」
スルリと抵抗なく、吸い込まれるように左手が伸びた。
男の夢。
永遠の憧れ。
ひらがな4文字。
あと一瞬でその柔肌に触れるところまで来た。
かざした手のひらにシエナの温もりが帰ってくる。
震える手が、指先が。
いま大いなる一歩を。
「や、やっぱダメ!」
期待と裏腹に鋭い拳が俺の顎下を打ち抜いた。
パカーンと打ち上げられて目前に星が散る。
「あああああああ!!!顎が!!!俺のあががががああああ」
激痛が襲う顎を抑えながらのたうち回った。
シエナを乗せた膝を動かさないよう努力したのだから誰か褒めてほしい。
それにしてもひどい!
そんな誘うような表情で男の純情を弄ぶなんて!
アジアの純情だよ!?
何となくこうなってホッとしている俺が居るのも事実だけども!
顔を伏せたままのシエナを恨めしく睨む。
いや、この場合は逆恨みになるのか?
誘われた俺が悪いのか?
男の子は辛いよなのか……
右手を彼女の額に。
左手を自分の手に当てながらまた回復魔法を使う。
「……それでも止めないのね」
「これが無償の愛という奴です。めちゃくちゃ痛かったんですからね!?」
「悪かったわよ」
「もう冗談で誘惑するのは無しですから。俺だって男です。次はもう足腰立たないくらいにグッチュングッチュンにしてやりますから!!脅しじゃないですよ!!」
「……わかった……」
誘った側が顔真っ赤にしてどうすんのさ。
言っているこっちが恥ずかしくなるわ。
「……ねぇ」
「なんです?」
ちょっとだけムッとした口調で彼女に返す。
「……何でもない」
そう言って彼女は目を閉じた。
寝てしまったのか、狸寝入りなのか。
まぁ、それほど重要ではない。
彼女の顔色が良く、ほのかに満足げに笑みを湛えているのが大事だ。
回復魔法を止めて、ただただシエナの頭を撫でながら。
緩やかな風に身を任せて青い空を眺めた。
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その後も航海は穏やかだった。
あっという間に時間は過ぎて食事の時間。
船で出される食事は1日2回。
朝と夕方。
それ以外は樽に入れてある果実を適時食べてよいというもの。
結局この日は1日彼女のそばに居る。
首都ロッズでの日々が懐かしい。
夕食の席ではアルフリードも一緒に食事をとった。
まだ顔を合わせれば威嚇されてしまうが、ひとまずは剣を抜かないでいてくれている。
ボサボサの髪と疲れた顔が隔離室の居心地の悪さを物語る。
「……何よ」
「あ?んだよ」
「何よ!?」
「んだコラ!!」
「シエナ!ストップ!ストップ!!」
互いに船の旅に機嫌を悪くしている者同士の一触即発を何とか回避する。
《絶剣》と《赤角》。
世紀のタイトルマッチをこんな狭い船のなかでされたらたまったものではない。
食堂の長い机の一角の椅子を引き、彼女を座らせる。
机に並んだ食事は豪華さよりも品目を重視に組み立てられた献立だ。
小分けにされた皿に上品に盛り付けられた料理はフランス料理的な余白を意識したそれ。
量こそあまり多くはないが、どれも食欲をそそる見た目と香り。
流石は王国所有の帆船と言うべきか。
厨房もあり、腕の良い料理人が常駐している。
全員が着席したころにザルバが神への祈りを始めた。
「おぉ、我らが偉大なる父。生命と知恵の神ディトーンよ。あなたのもたらした恵に感謝し──」
祈りの言葉は違えども、アリアーと同じように神に祈る習慣がある様子。
指を組みながら神への感謝を口にするザルバの隣では、意外にもアルフリードも同じように祈りを捧げていた。
「獣人族はディトーン様の子。祈り欠かさない」
「イーレはお祈りしないの?」
「神様は心の中にも居る。イーレも毎日お祈りしてる。だから大丈夫」
そう言いながら彼女はさっさと食事を始めた。
ロレスに至っては給仕に火酒を頼んでいる。
自由かよ……。
食事が始まれば食堂はさらに賑やかさを増した。
ここに居るのは何も俺たちだけではない。
広い食堂は開け放たれて、交代で水夫や給仕が食事をするのだ。
「ん」
「はい」
出されたシエナの手に卓上の塩を渡す。
上品な味付けではあるが、彼女にとっては少し薄味らしい。
「ユリウス」
「あ。ソーダですね」
火酒が到着したロレスにそう言われてささっとソーダを作って渡す。
「リミルの実は無いのでそこは勘弁してくださいね」
「よくわかったな」
「長い付き合いじゃないですか」
ついでにカランと氷をプレゼントだ。
彼女がハイボールが好きなのはよく知っている。
「ん」
「はいはい」
頬を差し出すシエナの口周りをナプキンで拭う。
本当なら貴族らしく上品な食事を心がけてほしいところだが、まだ旅の途中。
剣士シエナは豪快にご飯を食べているくらいがちょうどいい。
肉にドカとフォークを突き立てて食べるところなど昔のままだ。
「……よくわかるな」
「長い付き合いですので」
「甘やかすと付け上がるぞ」
「それくらい元気な方がシエナらしいです」
「そうか」
フッと小さく笑った後にロレスはハイボールをあおった。
「ロレス、それ美味しいの?」
興味津々と言った表情のシエナにロレスはグラスをそのまま渡した。
チビリと舌で舐めたシエナはさらに恐る恐るといった感じでグラスを傾ける。
「……!!??」
「辛いぞ」
「先に言いなさいよ!!」
火酒はようはウイスキー。
しかも度数40度越えだ。
割っているとはいえ辛口。
まだまだシエナには早かったようだ。
派手に咽ているシエナからグラスを取り上げたロレスはまたひと口それをあおる。
僅かに上がった頬が美味いと物語っている。
「どこが美味しいんだか……」
「……いつかシエナにも良さわかる時が来ます」
「なんであんたが得意気なのよ」
「発案者ですので!」
「あんたアレが飲めるの?」
「当然です」
本当は既に酒を飲むことの出来る年齢を迎えているのだが、どうにも日本人の頃の常識が抜けきらない。
お酒は二十歳になってから。
あぁ、早く飲みたい……。
「ユリウス、ボクはコーラが飲みたいな」
「あれば俺だって作るやい」
「何よこーらって」
「甘いソーダです。香料で味と香りと色が付いてて……とにかく美味しいやつです」
「私もそっちが良い」
「イーレはロレスと同じやつが良い」
「飲むか?」
「いいの?」
「冗談だ」
賑やかな団欒の時は穏やかに過ぎていった。
---
場所を移して甲板。
夕飯を食べ終わり、大分調子を取り戻したシエナはロレスに倣って樽に腰かけていた。
片膝を上げて沈む夕日を眺めながらリンゴを齧る彼女。
海を染める夕日に溶けてしまいそうな赤い髪が風に揺れている。
すでに見え始めた星々に負けない輝きを放つそれは思わず見惚れてしまう。
「……」
物憂げに海を見つめる彼女の視線を辿った。
水平線の近くにうっすらと影を落とす陸地がある。
俺たちが帰るべき場所。アリアー大陸だ。
「ユリウス」
呼ばれて振り返るとシエナがこちらに手を向けていた。
模擬剣を寄越せと、無言で言う。
彼女はとうの昔に自分で模擬剣を作れるようになっている。
まぁ、寄越せと言うなら作るのが俺だ。
俺は尽くすタイプの以下略。
「はい」
「あんたのも」
「俺のも?」
ポンポンと2本。
同じ模擬剣を作って片方を彼女に手渡す。
いつかと同じようにブンと一振りした彼女は小さくうなずいた。
「まぁまぁね」
樽からヒョイと降りながら彼女は模擬剣を構えた。
俺もスッと、自然に構える。
特に力むでもなく彼女はスイと剣を振り上げ、軽い踏み込みと同時にスイと振り下ろした。
全くブレない剣筋はまっすぐに打ち込まれ、俺がそれを受ける。
カツン
子気味の良い音が響く。
剣術の初歩の初歩。
打ち込み稽古だ。
幼い頃は力いっぱいにやっていたが、ある程度上達してくると正しい剣の振り方を確認するという意味合いも含まれていることを知った。
彼女は今それをやっている。
縦、横。
上、下。
カツンカツンと、乾いた軽い音が甲板に響く。
分かりやすい剣の動きにゆっくりと合わせて一歩一歩と下がっていく。
甲板の端までついたら、今度は俺は打ち込む。
それの繰り返し。
「ねぇ、ユリウス」
「なんです?」
「……勉強って何?」
カッっとすこし強めに撃ち込まれたところでシエナの動きが止まる。
彼女はその剣筋と同じくまっすぐこちらを見ている。
これは意味を聞いているのではないな。
きっと求めているのは、何故勉強をするかだ。
「人生を豊かに、実りのある物にするための修行。それが勉強です」
「それって剣より大事なの?強さよりも必要?」
剣を払って彼女の問いに応えれば。
再び彼女は打ち込みを再開して問うてくる。
カツン。カツンと軽い剣撃が続く。
「難しいですね。でも知識も力になります。教養は手段を増やし、礼節は人間関係を円滑にします。強さと同じくらいに必要です」
「……ふーん」
再び船の端まで来て、俺が打ち込みに回る。
「なんでそんなことを?」
「……別に!」
シャっと模擬剣を払われた。
突然打ち込み稽古から模擬戦へと様変わりする。
「旅が終わったら何をしようかなって考えただけよ!」
鋭い大上段からの振り下ろし。
その軌道に合わせて剣を振り、シエナの剣筋を受け流す。
「じゃあ、一緒に魔法を学びませんか?」
「魔法?」
「そうです!」
青雲の憧憬を起動して、加速した踏み込みのまま彼女と剣を交える。
「シエナには素質があります。今は剣術を、落ち着いたら魔法を勉強すれば鬼に金棒です」
「なによそれ!」
楽し気に弾む声のままに、シエナはブンと模擬剣を横に薙いだ。
後ろに飛び退いて回避した先で彼女が鋭く踏み込んで再びつばぜり合いになる。
すでに後ろが無く、彼女に押されたまま背中が船の手すりに当たる。
「私に出来ると思う?」
「出来ますよ、シエナなら」
素質があるのは本当だ。
彼女は魔術の修行の中で偶発的にも突き立てる炎の槍を発現させている。
それは《赤角》の代表魔術でもあり、近接戦闘における強いアドバンテージ。
無詠唱で迅速に至近距離から放たれるそれはセドリックすらも打ち取っている。
「青雲の憧憬だってきっと!」
もうとっくに模擬戦の勝負は着いているが、彼女はグイグイと押してくる。
剣越しに、彼女の顔が近づく。
見とれてしまうほどに生き生きとしたシエナの眼がこちらを見据えている。
「そう、そうね」
フッと彼女が力を抜いた。
前につんのめって彼女に激突しそうになる。
それをシエナが軽く抱き止めてくれた。
「……考えといてあげる」
そのままギュッと短く抱きしめられた。
どさくさ紛れに彼女にセクハラされている。
悪い気はしない。むしろ嬉しいまである。
やりかえすチャンスだ!
と思ったが、一瞬で彼女は身を離した。
さすが《赤角》
蝶のように舞い、蜂のようにステップ……。
クルクルと踊るように距離を取り、後ろ手に、ちょっと前かがみでこちらを見る。
「良い運動になったわ。ありがとう、魔道士さん?」
「こちらこそ、《赤角》さん。相変わらずお強いことで」
「当然よ」
フフンと彼女は笑う。
元気に、そして嬉しそうに。
「じゃあ、また明日。ユリウス」
「えぇ、また明日。シエナ」
どこか名残惜しそうな彼女と言葉を交わす。
模擬剣を小脇に抱えたまま、軽い足取りでシエナは自身の部屋へと戻っていった。
俺はそれを見送って、その場に腰を下ろした。
模擬剣に魔力を送り、分解した砂が風に吹かれて消えていく。
きらきらと、星屑のようなそれを目で追った。
空には満天の星。
そして、いつか彼女と見た星雲。
ベルガー大陸で見えなかったそれを、ここで見ることが出来た。
アリアー大陸に、故郷に近づいてきた証拠だ。
「……旅が終わった後か」
家に帰った後の事。
考えたことが無かったなぁ。
まだ冒険者としても、魔道士としても無名の俺。
有名なのは祖父アレキサンドルスばかり。
まぁ、本来人攫いに巻き込まれただけのユリウス少年だ。
人生的にはいろいろやらかしてきているが、履歴書に書けることではないだろう。
ただ、小さな夢はあった。
青雲の憧憬だ。
いつかこれで大陸中を飛び回りたいと思っている。
そしてシエナが示してくれた先に、星雲の向こうに行ってみたい。
(旅の果ては遠いなぁ)
輝ける道行は空の彼方。
今は実直に進むしかない。
だが、そろそろ独学では限界だ。
これ以上、魔法についての研鑽はあまり進まないだろう。
(クロム魔術学院に行ってみるのも、ありかも?)
まぁそれもまだまだ先の話だ。
まずは故郷に帰ることが最優先だ。
いつか届くと言われた星々を見上げなら、しばらく風に吹かれた。
ディティス列島帯は目と鼻の先だ。




