閑話 「イリスの進路」
《デニス視点》
イングリットの村から東へ行った森の先。
北上すると左手に山、右手に海の見える街道は山脈をぐるりと周り首都ロッズへ続く。
首都ロッズへ向かうのであれば、こちらのルートは若干だけ遠回りになる。
しかし今私たちが向かっているのは海の近くにある港町だ。
国港アルベールのほど近くにある小さな街。
漁港ケルダ。
漁港でありながら商業街として機能する街だ。
アリアー大陸からヒョコッとでた魚の尾のような地形の半島をそのまま使った街。
街道を挟んで山側に商業街、山には坑道が通っていて鍛冶が盛んだ。
海側に漁港がある。複雑な海流が運ぶ新鮮な魚介類はロッズの料理人も買い出しに出るほど。
街道沿いは市場になっていてにぎわいを見せる。
初代ドラゴンロッド卿が築いたとされる石畳の街道には今日も多くの馬車が行きかう。
冒険者も、旅人も。
村と比べればかなり都会に見える。
王都や首都と比べるべくもないが、それでもまとまった買い物もできる。
イングリットの村から巣立った子供たちは大概がこの街へと足を運ぶ。
例えば、ベルガー大陸へ渡るための中継ぎとして。
例えば、ギルドで登録をして冒険者となるため。
例えば、首都ロッズへ至るための足掛かりとして。
旅立ちの支度をするには、うってつけだ。
「えーっと。帽子と杖はコガクゥの村で買うから、ナイフとカバンと。あと……」
馬の背に乗る私の眼前。
メモと睨めっこしながら独り言を言う少女が居た。
サーシャ譲りの翡翠色の瞳に、月の色のような柔らかい金髪。
イリスフィア・エバーラウンズ。
私の娘。イリス。
我が家の第二子は来年には10歳となる。
「イリス。しっかり捕まってないとまた落ちるよ」
「もう、さっきはちょっと手が滑っただけ──ひゃあ!」
「ほうら。いわんこっちゃない」
彼女はそそっかしい子だ。
若い頃のサーシャに似ている。
いつも何かにキョロキョロと目線を走らせる割には足元がお留守だ。
「急がなくても魔術学院は逃げないさ」
「そうだけど。せっかくのパパの休みなんだから少しでも早く終わらせてデートしたいの!」
「ははは。サーシャが聞いたら妬くだろうな」
「もうすぐパパももっと忙しくなるし、今のうちに沢山甘えといてあげる!」
ポスンと私に背中を預けるイリス。
女の子は父親を嫌う者だと周りから聞かされていただけあって少し安心している。
だが、それも彼女の言う通りもうすぐ終わる。
彼女にはあまり手をかけていられなくなってしまう。
私はもうすぐ父アレキサンドルスの後を継ぎ、南西領域の守護統括の任に就く。
おそらくは家に帰ることも難しくなるだろう。
そのことをイリスはすんなりと聞き入れた。
いっそサーシャのようにぐずってくれた方が幾分か嬉しかったかもしれない。
我が家の子供たちは聞き分けが良すぎるところがある。
幸いにも娘の10歳の誕生日だけは何とか祝ってあげられそうだ。
息子、ユリウスの祝いが出来ていない分せめてイリスのだけはと腹に決めていた。
今日もその誕生祝いの為にこのケルダまで買い出しに来たのだ。
(しかし、かなり高くついたな……)
10歳の誕生日を祝う。
それは私たちのような平民の家では特別な意味を持つ。
この10年を無事に育ってくれた我が子への最大限の感謝を伝える日なのだ。
出来うる限りの贅と趣向を凝らした盛大が宴が開かれる。
……はずだった。
しかしイリスフィアはそのために貯めていたお金を全てあることに費やすと言い始めた。
クロム魔術学院への入学である。
それはこのケルダにある学校への入学を決めてすぐの事であった。
クロム魔術学院の名をどこで知り得たのかは知らないが、彼女が突然言い出したのだ。
それに私もサーシャも困惑した。
大魔道ダン・クロム・エシュテンバッハの名を頂く魔術の中心地。
貴族がこぞって入学させたがるその学院は名門校であることは間違いない。
種族も家柄も全く重視しない校風であるがゆえに、卒業生たちはみな実力のある著名人だ。
たしか、先々代のドラゴンロッド卿もそこの出身であったか。
王都アレスティナに居る《聖女》と呼ばれる王宮魔術師もたしかそうだったはず。
魔術の素養があり、入学を許されるのならばそれを逃さない理由は無い。
平民の出であるならまさに鱗鶏が翼竜を産んだこととなる。
だがそれは遥か遠く、海の向こうのさらに向こう。
テルス大陸にあるのだ。
知らない土地ではないとはいえ、ここから行けばベルガー大陸を経由して半年。
新しい国港アルテールが開いても3か月はかかる。
彼女をそんなところに出すのは私たちとしては不安以外の何物でもない。
ユリウスのことがどうしても脳裏によぎる。
すでに彼が家を出て10年が経とうとしている。
息子のことを信じてはいるが最後の手紙から2年は音沙汰がない。
サーシャと約束した以上、あまり口にも顔にも出してはいない。
それでも心配するというのが親だ。
だがイリスはその不安をわかった上で入学の準備を進めていたのだ。
いつの間にか彼女は魔術学院と手紙でやり取りをして。
あろうことか推薦枠をもぎ取っていたのだ。
入学金は半額。その後の活躍次第では返金。
そしてテルス大陸までの護衛もどこからか見つけてきていた。
今日はその顔合わせも兼ねている。
彼女は私たちの考えうるであろう入学拒否の理由を全て潰していたのだ。
入学金は確かに彼女自身の貯蓄と誕生祝い用のお金を使えば賄える。
もとよりイリスの為の金だ。使う分には良い。
テルス大陸への経路である国港アルテールは来年の春には出来上がる。
目的地までの最短経路だ。
彼女の言う護衛は二つ名持ちの魔女なのだという。
実力としてはこれから見定めるが、おそらくは優秀だろう。
送ってもらった精製鉱石を見ればその実力は直ぐに測れる。
腕の良い魔術師だ。
そうなれば、私たちは反対する理由を見出すのは感情論だけになってしまう。
尚更イリスを説得することは困難になる。
彼女の意志は魔法金属よりも固く、この星よりも重い。
「私の将来に必ず役に立つことなの!ユーリ兄ぃの助けにだってなるわ!絶対魔術学院に行く。絶対だから!止めるんだったらお爺様だって倒していくんだから!」
言いだしたら聞かないところは彼女の祖父。アレキサンドルスの血筋だ。
結局折れたのは私とサーシャだった。
「お、来たな?デニス!こっちだ!」
馬小屋の前で手を振る女性が居た。
四つ腕の魔族の女性で、傍らには2歳になる彼女の息子がいる。
「ルカさん!うわぁ!?」
手を振ろうとして落馬しかけたイリス。
私が服の裾を掴んで宙ぶらりんの彼女をルカが抱き止める。
「元気にしていたか?相変わらずそそっかしいなぁイリスは」
そう言いながら再開の抱擁を交わす2人。
ルカとはあの赤黒い魔物。血色の魔獣との戦い以降も何度か会っていた。
首都ロッズにて挙式を上げたルカとモーリスはこの街に居を構えた。
その頃にはルカのお腹も大きくなっていたものだから、サーシャが放っておかなかった。
引っ越しの手伝いに私とルドーを駆り出して家財道具の運び入れをしたのが懐かしい。
「こんにちはルドルス。またちょっと大きくなったね」
馬を下りる私の横でイリスがルカの息子、ルドルスの頭を撫でる。
耳長族の血が強く出た彼は髪の色以外はモーリスに似ている。
すでに剣の形をしたぬいぐるみを持っているところを見るとルカと同じく剣士を志すかもしれない。
彼の名前はアレキサンドルスから取ったのだという。
《剣豪》に憧れる人々は子供に似た名前を付けがちだ。
アレックスなどは最たる例だろう。
「元気そうだな、ルカ。何よりだ」
「そっちも変わらないな。ところでちゃんとアレ持ってきたか?」
「あぁ、言われた通り持ってきたが……」
「よし、じゃあ酒場に行くぞ。善は急げだ」
馬を繋ぎながら彼女と話す。
ルカから私に宛てられた手紙に書かれていたものは私の胸当ての内側にある。
最近などは魔物の数も増えてきたこともあり、お守り替わりだ。
ルドルスを抱きかかえたルカ。
その隣には最近の出来事を楽しそうに話すイリス。
一歩後ろを私が歩くようにして街を進む。
街の活気は私が若い頃見た時とそう変わらない。
人の数も、馬車の数も。
だがその内容はだいぶ違う。
かつては冒険者たちを乗せていた馬車から降りてくるのはドラゴンロッドの衛兵たちばかり。
領主殿が辺境の村や集落にも衛兵たちを常駐させるようになった。
市場の品ぞろえも違う。
国港アルベールの航路上に現れた龍の影響で漁に出れないためか魚が少ない。
替わりに武器や鎧などの装備品や傷薬などの消耗品が目立つ。
どれもあの血色の魔獣を警戒してのことだった。
ギルドからの情報には小まめに眼をやっているが、習性も生息域も定かではない。
父上ですらあの魔物を知らないというのだ。
まさに突如現れた魔獣。
一度は対峙しそして逃げられたとはいえ勝った。
だがそれは《剣豪》と共にあったが故のこと。
私一人でアレを倒せるかは、微妙だ。
ルドー達と協力したとしても被害は0にならないだろう。
あの魔物はしぶとい。
頭を潰してまだ動き回るなど生物と言えるかも怪しい。
もし仮にそんな魔物が大挙して押し寄せてくれば……。
「パパ?」
娘の声でハッと我に返る。
気が付けばすでにギルドの酒場の前まで来ていた。
「あ、あぁ。すまない。ちょっと考え事をしてた」
「もう、ぼーっとしてると転んじゃうよ?」
そう言いながらギルドの酒場入口の小さな階段で躓くイリス。
すぐにルカの腕がこけないようにとイリスの服を掴む。
「お前が一番気を付けなきゃいけないだろ……」
「うぅ。かたじけないー」
父上の真似をしながらイリスたちは酒場へと進む。
いかんいかん。
あまり悲観的になってはいけない。
すでに私は騎士という立場に身を置きつつあるのだ。
そのために知識も経験もそれなりに積んできている。
いざというときのために訓練も欠かしていない。
あの偉大な背中を越えられずとも、与えられた役割くらいは果たさねばならない。
領主殿も衛兵をイングリットの村に常駐させてくれている。
必要以上に不安視するのは私の悪いところだ。
(またサーシャに叱られるな)
酒場のスイングドアを押しのけて店の中を見渡す。
客のまばらな店の中はこじんまりとしている。
店主の趣味の古いランプやほこりの被った杖。
何が書いてあるのかさっぱりわからない本。
どこぞの城の絵画。
ゴタゴタとした店内は客が使うところ以外はあまり手入れが行き届いていない。
(変わらないな。この店は)
懐かしい光景に考え事で凝り固まった頭が少し和らいだ。
20年近く前の内装とそれほど変わっていない。
ルドーと喧嘩して穴をあけた壁の跡も残っている。
壁の板が一か所だけ色が違うのがそれだ。
私と彼はここで初めて出会った。
まだ若かった私は彼と殴り合いのけんかをした。
突っかかったのはルドーだったか私だったか。
もはや覚えていないが、思い出の地でもある。
冒険者を辞め、サーシャとイングリットの村に家を構える際は驚いたものだ。
青あざを作った者同士が村の代表者と新しく赴任する警護団員なのだから。
その後もいがみ合いこそしたが、気づけばソリが合う者同士だった。
今となっては無二の親友である。
不思議な縁というものもあったものだ。
「おう!いらっしゃい!久しぶりじゃねぇかデニス!えぇ!?」
カウンターから声をかけてくる男性がいた。
髭もじゃで中肉の人族の男性。
私にとっても顔なじみなこの店の店主だ。
本来なら彼は裏に引っ込んでタバコでも吹かしながら足を組んでふんぞり返っているはず。
「マスター、生きてたんですね。女将さんは?」
「腰を痛めて難儀してるよ。奢ってやるから再起の魔術使ってやってくれ」
自然とカウンターに寄りかかりながら会話を交わす。
ここに最後に来たのは十年以上前の事なのに、つい昨日もこうしていたかのように体が動くのだ。
「今日は何しに来た?またサーシャと喧嘩でもしたのか?」
「まさか、夫婦間は今も良好。今日は娘とデートだよ」
「娘ぇ?」
マスターが身を乗り出して私の後ろに目をやる。
給仕に飲み物を頼むイリスがすでに机に付いていた。
ルカは膝の上にルドルスを乗せてあやしている。
「驚いたな、あんなデカイ子供がいたのか」
「イリスは2人目。長男はもっと大きいさ」
「なるほどねぇ、そりゃ俺の頭も寂しくなるわけだ。お前も気を付けろよ」
「ははは。念入りに風呂に入らないといけないな」
そんな冗談を言いつつ、ルカにもってこいと言われていたそれを彼に出した。
「ん?なんでぃ。符形なんぞ出して」
「息子の符形だ。もう10年、会っていない」
「……家出か?」
「いや、行方不明だ」
「そうか、災難だな……」
カウンターに置かれた符形を2人揃ってマジマジと見つめた。
すでにだいぶ擦り切れたソレをマスターは手に取った。
裏、そして表と眼をやる。
「だいぶ更新が止まってるな。一応最新の状態にしておいてやるが……ん?」
そう言って彼は一度動きを止めた。
「……ユリウス。ユリウス……。そうか、ユリウスか!ユリウス・エバーラウンズはお前の息子か!?」
「そ、そうだが」
「そうかそうか!こうしちゃいられねぇ!おおい母ちゃん!!符形の更新てなどうやるんだ!?」
母ちゃん母ちゃんと裏へマスターが駆け込んでいく。
なにかそんなに面白いことでもあるのだろうか。
最近村の警護と魔獣の事ばかりに気を取られていたからいまいちピンとこない。
「どうぞ」
そんな私の目の前にコトリとグラスが置かれた。
火酒と氷の入ったグラスだ。
「いや、私は頼んでいないが」
「あちらのお客様からです」
給仕がにこやかに手で示す方向を見る。
同じくカウンター席の端。
そこには魔女が居た。
いつから居たのだろうか。
あんな目立つ格好の女が要れば流石に私といえども気づくはず。
なんというか、全体的に破廉恥だ。
魔女と言うのは儀式で人を呪ったりするような後ろめたい者が多い。
あの三角帽子も本来は自身の、あるいは周囲の目線を遮るために被るものだ。
しかし口元だけが見えるその出で立ちはむしろ魔女の色香を増している。
服装もやはり破廉恥。
着ている丈の短いワンピースは太ももギリギリ。
上の方もその豊満な胸が零れそうになっている。
少しでも動けば下着が見えるような丈の服装でカウンター席に脚を組んで座っている彼女。
私の視線に気づいてか、淡い紫色の長い髪を手櫛でさらりと払いながらこちらに向き直る。
「ハァイ。素敵なあなた」
そう言って魔女は自身のグラスをこちらに掲げる。
水滴の付いたグラスが傾けられ、氷が音をたてる。
「よろしければ一杯、ご一緒して下さる?」
帽子の鍔に隠された化粧の濃い女がそう言いながらグラスに口をつける。
酒を飲むのではなく、グラスに口づけをするような所作。
薄いガラスの縁にくっきりと彼女のキスマークがついている。
「……所帯のある身です。あまりご希望には添えないかと」
「そう、真面目なお父上ですのね。彼にそっくりで可愛いわ」
妖艶な笑みで答えながら、彼女は再びグラスを傾けた。
それを見ながら私も酒をチビりと口付けた。
毒は入っていない。
「用心深いのねぇ。英雄の息子は随分と慎重派なご様子」
「昔、貴方のような美人に痛い目を見せられましたのでね」
「うふふ、誉め言葉だと思って受け取るわ」
彼女はそう言って帽子を脱ぎカウンターにふわりと置いた。
眼尻を強調した化粧の女は、男を誘惑する目を私に向けた。
「初めまして、イリスのお父上様。私はアンジェリーナ。縁あって、ご息女の魔術学院までの護衛を引き受けることになった女ですわ」
「護衛?」
ちらりとイリスの方を見る。
イリスはリコミルクを片手にこちらを見ていた。
そして小刻みに頷いている。
「素性が知りたければこちらをどうぞ?」
胸元から彼女は冒険者符形を取り出し、カウンターを滑らせる。
ほのかに人肌を感じるような温度のそれをブンと一振りしてから私は眼を通した。
アンジェリーナ
魔族 魔術師
冒険者ランク A
《色魔》
(二つ名持……しかしこの名前は……)
《色魔》と言えば耳に聞こえるのは2つの意味がある。
肉欲に従順な、男垂らしの妖艶な魔女。
ルドーなんかがこぞって探し回っていた所謂ヤれる女と言われる奴だ。
そしてもう1つ。
それは魔石生成の第一人者の二つ名だ。
これはサーシャから聞いた。
かつてテルス大陸に魔石を作ることの出来る女がいたと。
彼女の魔石生成は技術となり、作り出された作品は後に輝照石と名を変えて今の世に普及している。
〇魔とつく二つ名は天才的な魔術師に贈られる名前でもある。
「大層な二つ名だな」
「えぇ、もっとも私はその二代目ですけども」
頬杖を突きながら、彼女はじろじろと私を見ている。
頭の先からつま先まで。
そして悩ましい声で息を吐く。
「……なにか?」
「この親あってあの息子あり。と思って。そっくりですのねあなた」
渡されたときと同じように符形を滑らせて彼女へと返す。
「で?私護衛として合格かしら?魔術学院は母校でもあるの。お役に立てると思うけれど?」
「親としては、考えざるを得ないな」
眼鏡をずらして目頭を押さえた。
信頼云々はいったん置いておこう。
実力もあるだろう。
しかしいかん。
いかにイリスの選んだ人物とは言え破廉恥が過ぎる。
もし娘がその服装を真似したらと考えれば、素直には首を縦に降れない。
いや、そんな貞操教育は行っていない。
彼女は父上も認める立派な淑女だ。
だがサーシャの娘でもあるイリスは少々突拍子の無いことをする。
夢がどうだかと言いだすところも。
魔術学院に入りたいと言いだすことも
アンジェリーナのような女を護衛として連れてくるのも。
正直何が起こるかもはや見当がつかない。
「……イリス」
「なに?パパ?」
「この女性とはどこで?」
「月に一度の寄り合い市だけど。家にも来た事あるよ?」
ねーと言いあうアンジェリーナとイリス。
「サーシャ……奥様とも、いろいろ興味深いお話で盛り上がったこともあったかしら」
「もう結構」
今度は頭を抱えた。
そういえば新しい輝照石のランプが玄関に吊るしてあったか。
もしかしてあれもこの魔女の作品なのだろうか……。
「魔術学院の筆記試験を受けさせてくれたのもアンジーさんだよ?」
「……なぜパパに教えなかったの」
「ママには言ったよ?聞いてない?」
サーシャ……。
君と言う妻は……。
グイと火酒を飲み干して息を吐く。
こうなったら勢いだ。
「お前に足りないのは勢いだ」とは父上にも散々言われた。
「アンジェリーナさん」
「アンジーとお呼びになって?」
「……アンジーさん。あなたを護衛にする分には文句はない。だが解せないのはあなたの動機だ。なぜイリスの護衛を引き受ける?満足な報酬も用意できていないはず」
「あぁ、そのことでしたら。私、金で動くような貧相な体じゃありませんのよ?」
くねりと体を捩るアンジェリーナ。
そしてそれを真似するイリス。
もうすでに影響が出始めている。
「私もイリスと同じ。あなたの息子さんを心配している女の1人に過ぎませんわ?」
「ユリウスを?」
そう言ったところにマスターが帰ってきた。
フラフラと、冒険者符形を見つめながらだ。
「……更新できなかったか」
マスターに声をかける。
もし、息子が旅先で不幸に会っていたら符形はきっと変わっていない。
「あぁ、こっちは駄目だった。だがこっちだ」
彼が差し出したのは2枚の符形だった。
ひとつは私が持ってきたボロボロの符形。
そしてもう1つは真新しいものだ。
机の上のそれを皆で覗き込む。
ルカもイリスもアンジーも、皆一様に符形の文字を目で追った。
「時間がかかった理由が分かったぜ。こりゃ大物だ」
「な?な?持ってきてよかっただろう?」
ルカがバシバシと私の背中を叩く。
まずは息子が。
ユリウスが生きている事に安堵した。
新しい符形にはいくつかの記載があった。
ユリウス・エバーラウンズ
ユリウス・ヴォイジャー
人族 魔道士
冒険者ランク B
どうやら息子は旅先で偽名を使っていたらしい。
二つの符形の情報がまぜこぜになっている。
「へぇ、ユリウス。随分名を上げたのね」
嬉しそうに微笑むアンジーの視線の先には二つ名の欄がある。
そこに関しては私も眼を丸くした。
本来二つ名は1つでも付けば冒険者としては1人前だ。
《魔道士》《大口》《鳴動》《炎豪》
彼に付いた二つ名は符形に記載されてるだけでも4つある。
何か大きなきっかけがあって急に名が売れ始めた冒険者が時折なるという多重記載。
ユリウスの符形にはそれが起こっていた。
「……なにかの間違いじゃないよな?」
「まぁ、名前も2つ載ってるから別物かもしれねぇけどさ。噂はうちでも耳にするぜ?ユリウスって変わった魔術師があっちこっちで人助けしてるって」
マスターは腕を組みながら答えた。
「お前さんの息子だろ?いいじゃねぇか。元気に活躍してるって証拠だ」
たしかに。
これ以上に彼の活躍を雄弁に語る物も無い。
とくにこの《炎豪》というのが良い。
きっと父上の《剣豪》と準えてつけられたのだろう。
彼は確かにアレキサンドルスの孫で、私の息子だ。
「ユーリ兄ぃ、元気にしてる?」
「あぁ。大活躍だ」
短くイリスに返す。
そうしておかなければ声が震えそうだった。
「……良いものを見ましたわ。護衛の件。断られても勝手について行きますのでそのつもりで」
そのままカウンターに飲み残しと小銭を置くとアンジーは立ち上がる。
「よろしくおねがいします!」
その背中にイリスが声を投げた。
アンジーはしゃなりと歩きながら後ろ手にひらひらと手を振り店を後にした。
「ルカ、ありがとう。おかげで息子に会えた」
「まだ会ってないだろ。そういうのはユリウスをしっかり抱きしめてから言いなよ」
「あぁ、そうだな。だが、ありがとう」
ルカに頭を下げる。
彼女は照れ臭そうに後ろ髪を掻いた。
本当は怖くて見れなかった。
更新しても、何の変化も無いんじゃないか。
もしかしたらすでに死亡が確認されているんじゃないかと。
不安だった。
だがそれも、いまは安堵と変わっている。
息子は、ユリウスは元気にやっている。
それが分かっただけでも十分だ。
「うん!パパも元気が出たところで。甘いもの食べたくない?」
「あー、そうだね。たまには悪くないかもね」
「海沿いにお洒落なお菓子屋さんが出来たんだって!ルカさんも行こう!」
「あぁ、悪い。そろそろ旦那が帰ってくるから家に戻る。二人で行ってきな?」
「えー。残念……」
そういいながらもチラっと私を見るイリス。
この子はそのように返事されるのがわかっていたらしい。
賢い子だ。
誰に似たのだか。
思わず呆れて笑みが零れてしまう。
「パパと2人で行こうか」
「うん!」
マスターとルカに会釈し、店を出る。
女将さんへの施術はまた今度だ。
スイングドアを押せば、青い空から暖かな日差しが眼に飛び込んでくる。
「買い出しも終わらせないとな。パパの休みが終わってしまう」
「それは大丈夫!おかし食べた後に全速力でやっちゃうから!」
「頼もしいな。流石は私の娘だ」
繋いだ手を振りながら街を行く。
「今度はママとユーリ兄ぃも連れてこようね!」
「……あぁ。そうしようね」
イリスが魔術学院に旅立つまであと1年。
早く帰ってこい、ユリウス。
皆がお前を待っているぞ。
立派になったお前の姿を、私に見せてほしい。
もう少し先の家族団欒を夢見て胸を小さく弾ませながら、イリスと歩いた。




