第五十五話 「港町と魔術」
ザビー皇国城壁内。
国港ベルディース。
初夏の近づくこの街。
まもなく季節風が吹き、船の往来が盛んとなるこの街はごった返している。
船乗り、冒険者、商人、衛兵、漁師。
様々な種族が行きかう港街は今日も人混みであふれている。
ザビー皇国が避難民の受け入れを行うようになって以降、連日お祭りのような喧騒がある。
大きな魚を目の前で解体しながらそれを売る漁師。
筋肉隆々の四つ腕の魔族たちが樽を運ぶ「どいたどいたぁ!」という張り上げた声。
新鮮なディティス産の果実を氷水に浮かべた果実屋の女将は店番そっちのけで客と話し込んでいる。
行きかう人々を見れば、獣人族もちらほら見れた。
他にも鱗の民や、三眼の魔族に砂漠の長耳族。
あれはアーネスト?じゃないな。そっくりだけど別人だ。記憶にあるより毛並みが黒い。
腰に反りのある分厚い剣を備えた人狼族が人族の子供を抱えてのしのしと歩いていく。
子連れの狼とはこのことか。
多種多様な種族が街を行きかうその光景は故郷アリアーを訪仏させる。
ふと目を横に見やれば、これまた様々な船が港に寄港している。
漁師町、兼商業街、兼国港。このベルディースの広い波止場には大小さまざまな船が行きかうのだ。
そこに見える大きな帆船にはすでに人がギュウギュウ詰めに乗せられている。
向かうはディティス列島帯、海の向こうにかすかに見える最西端のナック島。
岬に立つ魔術師数名が詠唱を唱えれば船がゆっくりと波止場から離れていく。
風の魔術を使って風向きに関わらず船を沖へと押し出すのだ。
沖合に出てから帆を広げれば船は徐々に速度を増し、白波を立てながら海を往く。
本来ならばあの船に乗りたいところではあったが、そこはザビー皇国にも事情がある。
順番抜かしをする権利は俺たちには無い。
しかしそれでもコッソリと船に乗る順番を早めてくれていたようで来月にはこの国から出航できる。
それまでの間はしばらくお休みだ。
この国に着いてから3日ほど。
城壁の外でこそあんな物騒な事件があったとはいえ、内側ではひとまず平和と言ったところか。
余所者がこれだけ流れているというのに、大きな騒ぎは無い。
スリや盗みみたいなゴタゴタが尽きないようではあるが、暴動などは起きていない。
衛兵が常に目を光らせているのもそうなのだろうが、避難民の待遇にそれがあった。
ギルドの酒場が無料で開放されているのだ。
メニューこそ炊き出し用の簡素なスープや塩で焼いただけの串焼き、黒パンばかりであるが避難民には優先して配給されている。
それは内紛時の飢餓から得られた教訓なのだという。
腹さえ膨れていれば意外と人々はおとなしくなるものだ。
単純ではあるが、重要なことだ。
この国の台所事情はディティス列島帯に強く影響を受けている。
穀物や肉などは衛兵と一緒に常に補充され続けているようだ。
すぐそこでもギルドの給仕が屋台を出して配給をしている。
大鍋で煮込まれた料理を目当てに行列が出来ていた。
「えーっと。薬師のお店は……」
石作の漁港を歩く人物がいた。
灰色のくたびれた三角帽子に、赤い差し色の入った白色のローブ。
金の髪を後ろでまとめた紫の瞳の13歳の少年。
そう。俺です。
ユリウス・エバーラウンズです。
今日はザビー皇国の港町にお邪魔しております。
いやぁ、やはり異国というのはいつでもなんでも新鮮に見えて良い。
旅人冥利に尽きるというものだ。
買い物籠一杯の食材を抱えながら俺は今その人混みを歩いている。
探すのは衛兵長ヒューイから教えてもらった薬師バンテスの店。
海に面した通りにある赤い扉の店で看板には薬草と薬瓶の模様が描かれているのだという。
知る人ぞ知る名店といった感じのその店であれば、熱さましが手に入るはずだ。
用意してもらった宿はオーシャンビューのロイヤルスイート。
貴族のお忍びで使われるようなその宿にはプライベートビーチがあったのだ。
本来は観賞用。海は魔物も多く危険だ。
しかし、しかしである。
ティーンエイジャーが大半を占める俺たちのパーティー。
とくに遊びたい盛りのシエナとイーレは歯止めがきかなかった。
まだ暦の上では春、水温も低いというのに下着一丁で海に飛び込んでしまったのだ。
いや、素晴らしい光景だっただろう。
穏やかな日差し、白い砂浜。
水と戯れるうら若き乙女たち。
生足魅惑の人魚姫。
マジで見たかった。
この世界にビデオカメラが無いことがここまで悔やまれた日は無い。
皇帝陛下とのお茶会が無ければ絶対にこっちを優先していた。
エルディンと共に皇帝陛下との昔話に花を咲かせ、帰ってきた頃には遅かった。
そしてその晩のうちにシエナは熱を出したのだ。
彼女はガッツリ風邪をひいてしまった。
ちなみにイーレはケロッとしていた。
今日もエルディンと共にギルドへ出向いているだろう。
ということで俺は朝一から熱さましを求めて買い出しに出てるのだ。
魔術を使えば風邪が治るかと言えばそうでもないのが厄介なところだが、仕方がない。
買い物などヒューイさんをパシってしまえば良いのにって?
ショッピングも立派な娯楽の1つだ。
異国の市場の珍しい物品に触れる機会をそう簡単に手放すっかってんですよ。
とくに寝込んでいるのはシエナだ。
良いところを見せるチャンスというもの。
こういうのは献身的な看病こそが肝心だ。
(お、あったあった)
聞いた通りの赤い扉に看板。バンテスの店だ。
確かに軒を連ねたほかの店と比べればはるかに小さく、あまり繁盛しているようには見えない。
まるで田舎のタバコ屋だ。
旅に供えて薬を買い漁る人も多いこの街で全くその姿が無いというのも珍しい。
定休日か?
あ、違う。中にちゃんと人がいる。
「こんちわー」
ガチャリとドアノブをひねれば扉に着いた鈴かちりんと音を鳴らす。
狭い。
めちゃくちゃ狭い店だ。
カウンターがある以外は壁面は全て薬棚。
薬草に良くわからない干物がみっちりと並んでいる。
その店主は人族の男だ。
初老の男は黒髪に白髪が混じっている。
三角眼の面倒臭さを前面に押し出したやる気の無さげな顔。
某ジャンプが得意な配管工みたいなヒゲ。
オーバーオールを来た彼がカウンターで今もゴリゴリと薬を調合している。
「……らっしゃ……?」
「?」
そんな彼、バンテスが顔を上げてそのまま目を丸くした。
思わずこちらも首をかしげる。
顔に何かついてただろうか。
もしかしてまた《沈黙》のユースティスに間違えられて?
違うな。バンテスは俺の帽子を見ている。
「……灰色の三角帽子。驚いたな、ネィダの弟子かお前」
「師匠をご存じなんです?」
「あぁ、良く知ってるよ。この街じゃいろいろ有名だったからな。元気か?アイツ」
「えっと……」
---
「……そうか、あいつは死んだか」
「はい。俺が最後を看取りました。遺体も天に還しました」
「弟子に送ってもらえたならあいつも報われただろうな。……不愛想な奴だったが、悪人じゃなかったんだがな」
紙袋に熱さましや傷に効く軟膏を入れながら彼は言う。
寂し気に、懐かし気に。
「師匠は、この街でどんなことを?」
「すごいことからくだらないことまで。色々だ」
彼は半笑いで続ける。
「俺がガキの頃、あいつはしょっちゅう王宮から抜け出して遊び歩いてたな。近所の子供なんかと連れ立って空に浮かぶ泡なんかをポコポコだして相手してくれてたもんだ。他にも裏路地でひたすら猫を追って歩き回ったりなんかしてたか。見るたびムスッとしてたから仕事がうまく行ってなかったのかもな」
おそらくそれは違う。
ネィダ師匠がふてくされたような顔をしているのはいつものことだ。
そう言う顔つきだから誤解されやすいだけ。
俺も最初はオークだなんだと心の中で馬鹿にしたものだ。
「船を沖へ送る魔術を広めたのもネィダだ。あれのおかげでこの街の船は風の加護があるって評判だ。他にも王宮を守ったでっけぇ泡の壁なんかもあいつの魔術らしいじゃないか。あれで居てお前さんの師匠は腕の良い妙な魔術師だったよ」
「師匠には誉め言葉ですね。普通って言葉が嫌いな人でしたから」
「あぁ。そう言えばそうだな。ネィダは魔女の癖に黒いものを好まなかった。魔女と言えば黒装飾だと昔からのしきたりだったのを赤だの黄色だの派手な色を好んでた。帽子もちょうどお前さんみたいな灰色のくたびれた帽子だったよ。」
確かに師匠の装備は魔女というには鮮やかな色が多かった。
シャツも妙ながらの物が多かったし、レインコートも黄色一色だった。
エロ魔女アンジーですら黒揃えだったのだから、やはり変わり者だったのだろう。
「まだ時間あるか?」
「えぇ、まぁ」
「昔馴染みの弟子だ。良いものやるから少し待ってろ」
支払いを終わらせたところで彼はそう言う。
背中を向けたあとにカウンターに幾つかの道具と乾燥させた葉っぱを用意した。
それを茶色い小さな紙に慣れた手つきで巻き込んでいく。
「タバコ、ですか?」
「あぁ。親父の代の時にネィダが買いに来てたものだ。もうこんなもん吸う奴はほとんどいなくなっちまったが記念にやるよ。アイツはパイプで吸ってたが、持ってないだろ」
彼はそう言って数本のタバコを木箱に詰めて手渡してくれた。
「お前さんが吸ってもいいし、墓参りに行くことがあったら供えてやってくれないか。国の裏切り者なんて言われてるが、この港を支えているのはネィダの魔術だ。みんなあいつに感謝してる。よろしく伝えてくれ」
「弟子として鼻が高いです。師匠も喜びます」
「そう言えば、お前さん名前は?まさかネィダの倅じゃないだろうな」
「ユリウスと言います。血のつながりはありませんよ」
「そうか。また来い。ネィダの弟子なら大歓迎だ」
店主に手を振りながら店を後にする。
今も大きな帆船が帆を畳んだままゆっくりと後ろ向きで入港してくる。
波止場にはいつかコガクゥの村で見たシャボン玉の壁の小型版が展開され、それが緩衝材のように働いている。
ネィダの残した魔術。
それがこの街に息づいている。
(師匠。みんなあなたに感謝してるそうですよ)
空を見上げながらそう思った。
俺に魔道を説いた変わり者の魔道士の生き様に触れることが出来た。
やはり彼女は偉大な師匠だ。
気分を良くしながら俺は宿へと急いだ。
身内を褒められるは自身が褒められることよりも誇らしく感じてしまう。
俺はそういう喜びのストライクゾーンが広い男でもあった。
---
「ただいまー」
声を小さくしながら宿の扉を開ける。
周辺には衛兵が詰めてくれているから侵入者の心配はない。
眠っている者たちへの細やかな心配りだ。
大きな窓から海を臨める豪華なつくりの宿。
一応冒険者用の設備として、装備品を掛けられるフックが壁に備え付けられている。
釜土を備えた台所もある。
おまけに氷室まで。氷が無いからすぐには使えないが、長期滞在用なのだろう。
リビングには大きなソファーがある。
ネィダの研究室にあったソファーにそっくりなそれ。
おそらくはここから取り寄せたのだろう。
座り心地の良い革張りのソファーではロレスが寝息を立てていた。
仰向けに寝転がり、鎧姿のまま足を投げ出して眠る彼女。ローブまでそのままだ。
(疲れが出てきたのかな)
最初こそ彼女は率先して夜通し見張りを続けてくれることもあった。
しかし最近はもっぱら俺かエルディンだ。
いつもなら眼を瞑っているだけで何かあればカッと目を見開くような時でも、今日のように眠っている事が増えた。
仲間を信頼して、安心して眠っているのであればそれでいい。
孤高の戦士といった面持ちであった彼女の寝顔はどこか穏やかだ。
誰かさんみたいに風邪をひいてはいけないので俺のローブを彼女にかける。
本当であれば胸当てくらいは外してあげたいところだが、以前やったら投げ飛ばされたので今日はやらない。
師弟揃って寝起きが怖いのだ。
見たところ、まだイーレとエルディンは帰ってきていない様子。
絵画がどうのこうのと言っていたから、しばらくは露天商通りから帰ってこないだろう。
エルディンは絵画の収集癖がある。意外な趣味だ。
もしかしたら貴族辺りが手放したお目当ての絵画が転がっているかもしれない。
家財道具を売って金に換えるのなら商業街のここが一番だ。
何よりベルガー通貨の方がディティス通貨より価値が高い。
ここで物を売って向こうで換金すれば幾分か足しになるのだ。
(ま、静かなのは嫌いじゃないから。しばらくはこのままでいいか)
いったん荷物を置いて氷室に入る。
せっかくなので設備は有効に使いたい。
ようは一気に温度を冷やせばよいのだ。
杖を片手に魔力を練る。
(よいしょーぃ)
ブンと一振りすればあっという間に氷室の内側が霜だらけになる。
水の上級魔術、瞬間凍結を真似してみた。
意外と何とでもなる物だ。
本来は8節ほどの長ったらしい詠唱を要する魔術。
たしか元アッパーブレイクのケイトも使えたはずだ。
強烈な冷気で敵を芯から凍てつかせる魔法であるが、唱えるものはあまり多くない。
水の上級魔法であるならば、押寄せる大波の方がメジャーだ。
マイナーな魔術にロマンを感じるのは俺のめんどくさい性だ。
主人公機よりも量産機が好きな諸兄は僕と握手。
出来上がった氷室に荷物を運び入れる。
本当は大きな氷も作っておきたいところだが、音が気になるので止めておこう。
ひとまずはシエナの容態を見ねば。
出かける前はまだ大丈夫そうであったが、今はどうかわからない。
熱があるのは確かなので、氷水と濡れタオルを用意して静かに部屋に入る。
一瞬着替え中なのでは無いかと脳裏をよぎったが、それならばいっそ殴られよう。
俺だって年頃の男の子だ。女の裸に興味を持つのは至極当然。
しかしそんなラッキーな展開などは無かった。
朝見た時とそれほど変わらぬ寝相でシエナはベットで苦しそうに寝息を立てていた。
ホッとしたような残念なような……。
(熱は下がってなさそうだな……)
枕元に桶を置き、固く絞った濡れタオルを彼女の額に乗せる。
「……」
うっすらとシエナの眼が開く。
しまった、起こしてしまったか。
「ごめん、起こしましたか?」
「良いわよ。起きてたから」
気だるそうに体を起こすシエナ。
声色はいつもよりも弱弱しく元気が無い。
熱っぽい顔は赤く、汗をかいた肌に髪の毛が張り付いている。
「薬を買ってきました。飲めます?何か食べれそうなら食事を用意しますけど」
「……薬だけでいい」
頭痛もするのか、彼女は頭に手を添えながらそう言う。
薬を取り出して、水とコップを魔法で作り出す。
魔法を使えばその場に居ながら準備が出来る。
便利なものだ。
まぁここまで自在に操れるようになるのもそれ相応の才能、ないし鍛錬が居るわけだが。
ちな俺は鍛錬派。
「どうぞ」
「ん」
短いやり取りのままに彼女は熱さましを口に運ぶ。
オブラートのような、口に入れると溶けてしまう紙に包まれた薬。
小さい頃に俺も飲んだことがあるが、アレはすこぶる苦い。
慣れてしまえばサッと飲めるがうっかり味わおうものならしばらくは他の味など感じられぬほどに苦いのだ。
シエナもそれを知っていたのだろう。
ゴクリと水で流しこむ。
「ん」
「はい」
お水のお替りだ。
これまた短いやりとり。
ポチャンと音を立てて空のコップが水で満たされ、それをシエナが飲み干していく。
何か言われるでもなく、俺がコップを受け取ると彼女はもう一度横になった。
「……ふむ」
そのまま彼女の額に手を当てる。
熱は依然高いが、それよりも気になることがあったので魔法に頼ることにした。
手元に小さく緑色の光が灯る。
回復魔法だ。
これも少しずつ精度が上がってきている。
痛みを緩和したり、体力を戻したり。
再起の魔術の再現までもう少しだ。
「……なんでわかったの?」
「頭痛のことです?見ていればわかりましたよ」
頭を抱える所作をして、おなかが痛いと考える人もそうはいないだろう。
自身の身に置き換えれば何となくわかる。
「少しは楽になりましたか?」
「……うん。ありがと」
「海はもう少し温かくなってからにしましょうね。次は俺も一緒に行きますから」
「……しばらくはいい……」
もそりと顔を毛布で隠してしまうシエナ。
ははは。恥ずかしがりおってからに。憂い奴め。
多少は顔色が良くなったようにも見える。やはり回復魔法は覚えておいて損はない。
魔術が使えれば上級治療魔術も使えたかもしれないのに、実に惜しい。
「じゃあ、何かあったら呼んでくださいね。今日はしっかり休むんですよ」
一声かけて席を立つ。
とりあえずはこれで大丈夫だろう。
堰も無いようだし、熱以外に目立った症状はない。
あとはしっかり食事をとればすぐに治るはずだ。
流石に麦粥ばかりというのも芸が無い。
今回はプリンもありだと思って既に卵を用意してある。
うどんも作ろうと思えば作れる。
ふふふ。俺様の準備は万端なのだ。
そう思いながら台所へ向かおうとしたところでツンと袖が突っ張った。
見やれば毛布からちょこっとだけでたシエナの手が俺の袖をつまんでいる。
「……傍にいて……」
毛布に口元を隠したまま熱で潤んだ赤い瞳だけがこちらを見ながら小さくそう言うのだ。
胸を打ち抜かれてしまった。
雷轟の射手よりも痛烈に、そして正確に彼女の視線は俺のハートに風穴を開けた。
鼓動が早まり、顔が熱くなるのを感じる。
「は、はひ……」
返事もろくに出来ぬまま、ベットのすぐそばにある椅子を手探りで手繰り寄せて腰を下ろした。
いまだにシエナは袖をつまんだままだ。
その指先の意地らしいこと。
シエナがこんなにもしおらしいことなどあっただろうか。
いや、思いつく限りは彼女の狂暴で……もとい、元気で活発な場面しか想像できない。
だが今の彼女はどうだ。
潤む瞳、高揚した頬、すこし上ずった吐息。毛布から恥ずかし気にこちらを見る目線。
俺の庇護心に直接訴える彼女の言葉。
落ち着け。
落ち着けユリウス。
よく見るんだ。
弱っているとはいえそこに居るのは《赤角》と名のある女剣士だ。
うん。いつもより3割、いや5割増しに可愛く見える。
駄目だ、落ち着ける要素が見当たらない!
いかん!!このままでは弱っている彼女に、その言葉を理由に手を出してしまう!!
脳の裏ではダークユリウスがコソコソと言う。
「今なら怒られないどころかウェルカムなんじゃないのか?」
「一緒にベットで汗をかいてしまおうや」
「抱け!抱けーッ!」
やめろやめるんだユリウス!!
お前は律儀な男だ!堅物な、そして硬派な男のはずだ!!
うおおおお!!静まれ!!静まれ我がうちに眠る悪霊たちよおお!!!
「……手、貸して」
葛藤に揺れる視界の向こうでシエナが小さく言う。
そしてそっと俺の手を取る。
ゆっくりとシエナの手に俺の腕が持ち上げられる。
普段よりも数段は暖かい彼女の細い指。
捲れた毛布の隙間から、熱を持った彼女の体温がふわりと漂う。
息をのんだ。
フラフラと彼女に導かれるままに俺の手はそこにたどり着いた。
シエナのおでこだ。
「……おでこですか」
「他にどこがあるのよ……」
いや、胸とか。
「……再起、かけて」
「あ、はい」
回復魔法は彼女にとっては再起の魔術とさほど変わらない。
もう一度手元に緑色の淡い光が灯る。
「……しばらく、そこに居て……」
言い終わるかどうかの内にシエナは寝息を立て始めた。
寝苦しそうな息遣いから、穏やかな安らかな呼吸。
……あぁ、痛み止め替わりか。
なーんだ。
ふーん。
いや、わかってたし。
そんなことだろうと思ってましたけど。
変な期待とかしてないし。
葛藤とかなかったし。
いいよー。俺は君の役に立てればそれはそれで満足さ。
えぇ、心を込めて回復魔法かけさせていただきますとも。
痛み止めと同価値の治療魔道士というのも悪くありませんとも。
えぇ。えぇ。
(まぁでも……)
少しだけ手を動かす。
怒られない程度に彼女の額を撫でる。
細いながらも芯のある彼女の髪が小さく音をたてる。
起きたりはしない。
ただ、まだ幼さの面影が残る綺麗なシエナの寝顔がそこにある。
うん。
少なくとも、ここに居てくれと彼女が望むのであれば俺はここに居よう。
この特等席に居れるならば、痛み止め替わりも悪くないかもしれない。
---
《エルディン視点》
4枚。
4枚だ。
「ではエルディン様。アリアー国、王都アレスティナのギルドマスター宛てにお預かりしました」
「おねがいします」
「します!」
ギルドのカウンターで荷物を預ける。
厳重に包されたその木箱はこれからアリアーにあるギルドの総本山に送られる。
今後のボクの活動拠点になるところだ。
今から設備を整えておくに越したことは無い。
カウンターに王貨を並べる。
この通貨を使うのももうすぐ終わりだ。
船で向こうに渡れば今の手持ちを全てディティス通貨に換金するのだから。
しかし、出国は来月。
旅路としては少々遅い。
焦るほどでは無いと言え、時間が無いボクは少し不満だ。
確かめなければならないこともかなり増えた。
ユリウスと別れた後は忙しくなりそうだ。
楽しみでもあり、面倒でもある。
「エル。難しい顔してる。絵画たりない?」
横に居る彼女が声をかけてくる。
言葉こそまだ拙い部分があるが、イーレ様はかなり大きくなった。
年齢で言えばまだ8歳だが、もうボクとそれほど変わらない程に背が高い。
もうすぐユリウスを追い抜くだろう。
……ちょっと彼が不憫だ。
「あればあるだけ買うよ。もう少し探してみます」
ギルドを後にし、通りへ出る。
お昼を回ったこの露店通りはいまがピークだ。
少しでも荷物を軽くして金に換えようとする避難民。
そしてそこから買い叩いて安く家財を増やす街の人々。
一歩踏み出すのも躊躇われるほどに人がごった返してゾロゾロと動き続けている。
そんな場所を彼女と進む。
4枚。
この街で見つけたヴィーレムの絵画は全部で4枚。
今までの旅で見つけた物も合わせたらすでに9枚。
あれだけ世界中探して見つからなかった絵画が、ここにきて突然数を増やした。
今までなかった現象だ。
『はぐれるなよエル。この人混みだ。縁を辿るのも容易ではない』
『はい、イーディルン様。何でしたら手を繋ぎますか?』
『貴様。子ども扱いするな』
精霊語での会話。
相変わらず精霊語でのイーレ様の口調のギャップが呑み込めない。
もっと言えば彼女はロレスをリスペクトしている。
口調はキツくなる一方だ。
「お!銀髪のお兄ちゃん!」
露天商に声をかけられる。
でっぷりと太った露天商だ。
何やら派手な服を着ている分からして避難民ではなく本職なのだろう。
「何か?」
「絵画を集めてるのってあんただろ?うちのも見てってくれよー。いい品ばっかりだよー?」
「はぁ」
確かに、見る分には立派な絵画が並んでいる。
しかしどこぞの貴族を描いた肖像画ばかり。
大方お見合いなんかに使ったものの処分品だろう。
「悪いけど、ボクが探してるのは風景画だから。さらば」
引き留める商人を無視して足を進める。
人混みの中で立ち止まっているイーレ様に追いつく。
「お待たせしまし……?」
しかし彼女は一点をジッと見ていた。
見ればこの通りに着いたばかりの貴族が荷ほどきをしている。
その中に数点、風景画があった。
彼女の右目が青く煌めく。
虚空に浮かぶ星々を湛えたその眼は見えない物を見る。
つまりは魔眼だ。
魔眼は偶発的に人に宿る純然たる魔力の結晶。
ある物は魔力の流れを色で判別でき、ある物は数秒先の未来を見抜く。
といってもそれらは50人に1人程度の割り合いでザラに居る。
効果もそれほど有益ではない。
使いこなせずに居れば、脳をやられまいと眼帯で目を隠すばかりの人生となる。
(まぁそれくらいはボクでも見れるけども)
しかし彼女のそれは特別だ。
"星眼"
後に《星眼》のイーディルンと呼ばれる彼女に宿った星の行く末を見る眼。
古から選ばれた者に受け継がれるその魔眼には、縁や運命といったものが映るのだという。
彼女が言うには縁とは交錯する運命の流れの事をいうらしい。
それは空気中を漂う色のついた煙のように見え、強く結びついた縁であるほど鮮やかに輝いて見えるのだとか。
『ありますか?』
『いや、無いな。どれもただの絵だ』
彼女曰く、ヴィーレムの絵画には縁の渦が現れるのだという。
時空をゆがめて土地を繋げる絵には様々な縁が巻き込まれてその残滓がのこるのだ。
とかなんとか。
『これ以上は無理だ。眼が痛い』
右目を抑えながら彼女は言う。
力のある魔眼は魔力の消費が激しく、体にも負担がかかる。
まだ幼い彼女の体では長時間の使用は危険だ。
『今日はいったん戻りましょう』
『あぁ、だが、あまり時間が無いのだ。エル』
彼女がポツリと言う。
『……ロレスの件だ。今日も彼女の縁が薄れていた。時無くしの終わりが彼女に近づいている』
『そうですね……。眠りも深くなっているようですし』
時無くし。
種族関係なくかかるという呪いとも祝福とも言われる症状。
ロレスは時無くしだった。
人族でありながら、時に置いて行かれて彼女は今まで歩んできた。
100年以上前に首都に住む住人を皆殺しにした魔女。
《魔葬》と呼ばれたその人は正真正銘ロレス本人だ。
そして時無くしには、一時的な不老不死には終わりがある。
誰にも知られぬまま、看取られぬままに静かに魂だけが死に絶えるのだ。
彼女にはその終わりが迫っていた。
『未熟なこの体が憎い。姉上のように《両魔眼》であれば星を越えてでも彼女の至るべき場所を探し出せるのに……』
彼女、イーディルンはユリウスと旅をする中で彼女の縁を辿った。
龍人族の残した遺跡にロレスと所縁のある人物が居たらしい。
その縁は恐ろしいほどに暗く、哀しく、そして愛にあふれた縁であったのだという。
彼女が絵画探しを買って出たのはそのためだ。
時無くしの終わりは遅らせることも逃れることもできない。
救われることないロレスの終わりに、せめて彼女が最期を遂げるにふさわしい場所を探しているのだという。
当然それが絵画に描かれているとは限らないが、それでも良いと魔眼を使ってくれていた。
『まだ時間はあります。終わりまでの時間を穏やかなものにするのも大事なことです』
『……わかっている』
わかっている。
彼女はもう一度呟いて歩き出す。
彼女もユリウスと似ている。
見えてしまったものだから、知ってしまったものだから。
見捨てられないのだ。
本来、時無くしは死期を悟った野良猫のようにふらりと姿を消す。
そしてある日、道のはずれで虚ろな目で死んでいるのを誰かが見つけるのだ。
それを少しでもイーディルンは温かみのある、報いのある物にしたいと望んでいる。
旅を共にした仲間のために。
あまりにも重い罪を背負ったロレスのために。
---
その後もなんだかんだで絵画を探しながら歩いた。
少々時間を食ってしまったが、まだ空が赤くなる前に宿に着いた。
「ん?」
ロレスが宿の外に居た。
珍しく鎧とフードを脱ぎ、麻のシャツにズボンと動きやすそうな服。
ユリウスの好きそうな長い髪を束ねたポニーテール姿。
そんな彼女が庭先でバリバリにハードな逆立ち腕立て伏せをしている。
うっすらと割れた腹筋が美しい。
「ロレス、眠くない?」
「あぁ」
駆け寄るイーレ様に返事をしながらヒョイと腕立てをやめて地面に脚を降ろす。
靴も履かず、芝生の上を裸足でロレスは歩いた。
「お留守番ありがとうございます。おかげで成果は上々ですよ」
「そうか」
シエナが熱を出したこともあって、彼女には留守番を頼んでいた。
まぁユリウスが帰ってくるまでの間だけだ。
彼がシエナの看病をしたがることはわかり切っている。
それはそれとして何故ロレスが外に?
「なにかありました?」
「洗濯をした」
そう言われれば、後ろでは彼女が着ている鎧やローブが吊るされて風に揺れている。
本当に珍しい。
彼女があれらを外すときなど、風呂に入る時くらいのもの。
眠る時すら外さないのに。
「……それだけ?」
「それだけだ」
それ以外に何があるんだというような顔。
いや、まぁたしかに何もないんだろうけど。
《魔葬》が武装解除して表で筋トレしてたら何事だってなるよ。
少なくともボクが今そうなってる。
「ロレス。稽古できる?イーレもっと強くなりたい」
「……夕飯までだぞ」
「あ、イーレ様!海に入っちゃダメですからね!」
「わかってる!」
木剣を持って彼女らは浜辺へと走って行った。
「……青春だねぇ」
「うわ!ビックリした!」
ユリウスだ。
何やら腕を組んで、足音もなく隣に来ていた。
彼にそんな特技があったとは驚きだ。
「シエナはいいのかい?熱にひどくうなされてたはずだけど」
「とりあえず熱は下がった。献身的な看病のおかげだわな」
うんうんと彼は頷く。
魔力枯渇、とは言わないが少々疲弊しているようだ。
髪の毛がボサつき、眼の下にクマがうっすら出ている。
「……まさか、今までずっと回復魔法を!?」
「そのまさかよ!」
「信じられない……」
彼の魔力が人より多いとは知っていた。
しかし半日も回復魔法を連続しようするのは並大抵ではない。
王宮魔術師ですら再起の魔術を長く使えて10分かそこらが限界のはずだ。
それでケロリとしてロレスのうなじを見つめる彼。
もしかしてユリウスは魔王か何かなんじゃないだろうか……。
彼が敵じゃなくて良かったと思う。
ロレスもそうだが彼の魔術、いや魔法は脅威だ。
剣や拳とほぼ同じ挙動で詠唱もなく魔物を即死に至らしめるだけの威力がある。
さらに最近は座標を指定して目標の真上や目前から至近距離で打てるようになっている。
下手をすれば《魔葬》よりも手に負えない。
彼ならば本拠地に乗り込むまでもなく国1つ滅ぼせてしまう可能性がある。
「でもシエナを完治までは持っていけなかった。まだまだ修行が足りないわ。大魔道までの道は遠いよ」
「そ、そうだね……」
本来、治療魔術は体の代謝を底上げするものであるから風邪や毒には効果が薄い。
詠唱によっては手足の欠損をも治すことはできるが病への効果はそれほど高くない。
彼はそれを治療ではなく、治癒へと昇華させつつある。
知ってか知らずか、もし実現し普及したらこの世界の死亡率が劇的に改善する。
それでも彼は自身をまだまだだというのだ。
「ユリウスー。今日の夕飯なに?」
「そうですねぇ。消化の良いものと、それから──」
シエナがローブを肩にかけて歩き回っている。
赤みがだいぶ引いた顔にはすでに元気を取り戻したあのツンとした雰囲気が戻っている。
ヴィーレムの絵画。
《星眼》のイーディルン。
《魔葬》のロレス。
《赤角》のシエナ。
そしてユリウス・エバーラウンズ。
ボクの周りには、奇跡が満ち溢れている。
……そろそろ、彼には打ち明けるべきかもしれない。
今後とも彼とは、ユリウスとは友人でありたいがそれ以上に仲間として信頼している。
彼を故郷まで送り届けたら、もう一度ボクと一緒に来てくれないか打診してみるか。
彼ならきっと、いい返事をしてくれるはずだ。




