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第五十三話 「道のり、そして自覚」

 出発の朝。


 ミラージゥでの滞在を終え、ここからは乗合馬車が各村へと出ている。

 あとはその馬車を乗り継ぎながら進めば、半年ほどでザビー皇国だ。


 つまり、やっとこの長い旅は折り返し地点に来たということになる。


 星々はまだ空高くにあり、朝日など地平線の下だ。

 そんな朝早く、俺は目が覚めたものだからコッソリと抜け出してここに来た。


 ミラージゥの西側出入口。

 そこに居る彼に挨拶をしに来たのだ。

 まぁ、この街の中であれば彼に会うというのはどこに居ても叶う。

 彼はそれほどに大きい体をしている。


 灰白龍(ユグ・マラク)

 岩のような灰色の体表をした巨大な龍は、今日も寝息を立てていた。

 何百年。

 もしくは何千年と眠り続けている彼。

 最初こそ怖かったものの、今となっては彼の顔の真ん前に立っている。


 流石に触るのは気が引けた。

 なにやらシエナ達は顔の上に乗って飛び回ったと聞いたが、よくできたものだ…。


 そんな彼の所に何故来たのかというと、彼の二つ名に由来するものだ。

 "地平の主""大地を司る五大龍"。

 そして"帰りを待つ者"。


 彼は誰かを此処で待ち続けているらしい。

 それは神であるとも、番の竜であるとも、死であるとも。

 また、彼にお祈りをすると無事に帰るべきところに帰れるというご利益があるのだとか。

 俺の目当てはそれだ。

 旅の果てにあるべきところに帰れるようにと拝みに来たのだ。


 家を出たのが4歳のころ。

 既に8年も実家に帰っていない。

 手紙のやり取りこそすれど、いま両親がどんな顔でいるのかも知らない。

 もしかしたら3人目の兄弟が出来ているかもしれないが、いったん置いておこう。


 周囲に誰も居ないのを確認して、ソッと華貨を投げる。

 キンッと固い音で龍の皮膚から弾かれて砂に刺さる硬貨。つまりお賽銭。

 そして二礼二拍一礼をし、彼に頭を下げた」

 たぶん、祈りの形としてはこの世界であれば間違っている。

 しかしこうするのがやはりしっくり来る。

 俺はそういうこだわりの強い男なのだ。


(どうか、どうか皆で無事に故郷に帰れますように…!)


 俺1人では意味が無い。

 誰が欠けても駄目だ。


 イーレを無事に送り届けた後に、皆でアリアーへ帰るのだ。


(どうか無事に故郷に帰れますように!故郷に帰れますように!)


 頭の中で早口で唱える。

 流れ星じゃないって?

 分かってるさ。

 それでもそうした方が願いが届きそうだった。


「…よし!」


 バッと顔を上げる。

 大きな金色の瞳がこちらをじっと見ている。


「え!?」


 瞬きした時には、それは消えた。

 びっくりした。

 一瞬灰白龍(ユグ・マラク)がこちらを見ていたような気がしてしまった。

 二度見三度見しても、最初に見た時と同じように彼は寝息を立てている。

 当然瞼も開いていない。


 …気のせいだよな。


 お祈りを済ませたので彼に背を向ける。


 …気のせいだよな?


 バッと振り返る。

 やはり瞼は開いていない。


 …気のせいだよな!?


 足を進めながら逆達磨さんが転んだをしながら、ゆっくりと離れていく。


 …気のせいだよな…?


 気のせいということにしよう。

 念のためもう一回振り向きながら、街の中に入り速足で宿に戻った。


 ---


 それからは、ひたすら東へ。

 東へ東へ。


 砂漠は荒野に変わっていく。

 サビー皇国までの間にはいくつも街や村がある。


 それらを経由しながら東への旅。


 小さな出来事はいくつもあった。


 イーレが女の子の日を迎えて、馬車から俺だけ蹴り出されたこととがある。

 …エルディーヌは良いのかよ。

 その日はロレスが赤パンを調達した。

 ディティス出身のイーレは赤パンが初めてだったらしく、目をキラキラさせながらそれを頬張った。


 シエナが靴にこだわり始めたり。

「かかとがある靴の方が蹴った時に痛そうでしょ?」

 とは彼女の言葉。

 理由はちょっと暴力的であるが、悪くはない。

 おかげでただでさえすらりとしていた身長がさらに高く見える。


「どう?強そう?」

「ますます綺麗になりましたね。」

「そ、そういうのじゃないから…。でもありがと。」


 うん。とても良いと思います。

 一度くらいなら尻を踏まれてみたいかもしれない。


 《銀の勇者》のうわさを聞きつけて冒険者集団が合流してきたこともあった。

 10数人の魔族を主とした人族以外の集団だ。

 彼等はどうやらエルディンが打倒ベルガー王政を掲げているのだと聞き及んだらしい。


「我らが魔族の自由の為!ともに戦いたく!!」


 トラ顔の魔族が騎士礼節の最敬礼で首を垂れるものの、彼はその誘いを蹴った。

 それはそうだ、彼は国盗りなど掲げてはいないのだから。

 数分の問答の後、彼らは勘違いであったと肩を落としながら帰って行った。


「…彼らとはここで会う予定じゃなかったんだけどなぁ…。」


 と小さく言うエルディンの姿が少しだけ嬉しそうであった。


 ---


 ある日のこと。


 荒野はやがて草の生い茂る平原に変わりつつある頃に、商人キャラバンと合流した。

 特に何か仕事を請け負ったわけでは無い。

 ただ同じ道行きの中で自然と会話するようになった。

 彼等は巻き角の魔族の一団だった。

 ヤギのような動物や、仔馬など。

 家畜となる生き物を売りに高原から降りて来たらしい。

 中には鱗鶏(リザッキー)も居た。

 ひな鳥のそれは少々不細工ながらもちゃんとひよこの姿で籠の中で動き回っている。


「イーレ。商品だから手を出しちゃダメだよ?」

「わかってる。イーレそんなに子供じゃない。」


 そうですか。

 所でずっと目で追ってるし、尻尾もフリフリと動いていますよ?

 獲物を狙う猫の仕草なのですが、大丈夫ですかね?


 彼女はの言葉には舌足らず感が無くなってきた。

 服も幾度か買い替え、今では俺とそれほど変わらない身長になった。

 これが獣人族の成長期か。もう少しで追い抜かれるだろう。

 沢山ご飯を食べるようになったのも頷ける。


「西の方は例の血色の魔獣(ハーベスタ)がウロウロするようになったらしい。おかげで翼竜が住処を追われて街まで降りて来たりで大騒ぎになってる。大きな街に匿ってもらおうにも人族以外は門前払い。かなりの人数が難民になってベルガーから出て行ってるって話だ。」


 巻き角の髭の立派な魔族の男性が馬車の御者席からそう話す。

 会話しているのはエルディンだ。

 彼は地図を片手にその情報を書き込んでいる。


「やはり皆テルス大陸に?」

「金のあるやつはそうだが、大概は南部の紛争地帯に紛れ込むだろうよ。知り合いの商人もそっちに金の匂いがするって行っちまった。」

「戦争需要ですね…。ここに居るということはあなたもそちらに?」

「まさか。あんな危なっかしいとこ行けるかよ。ガキも女房も居るんだ。上手に金貯めてアリアー辺りにトンズラするさ。」

「それが良い。王都アレスティナの辺りは《剣豪》アレキサンドルス様が控えていると聞きます。行かれるならそちらが安全でしょう。」

「おー。良い事聞いたぜ。金が溜まり次第そっちに行くとするよ。《銀の勇者》様は耳が早くて良いな。」


 ワハハと笑う彼。

 彼の言う家族もこの集団の中に居た。

 シエナと追いかけっこしながらグルグルと馬車の周りを駆け回る双子の姉妹。

 馬車に乗せられた家畜たちに藁を与える長男らしき青年と、その母親。

 皆角のある家族だ。

 護衛もいる。

 金属の補強の入った皮の鎧を着た同じく角のある男性が二人。

 彼等は鉄仮面をつけていて、大きな剣を背中に背負っている。

 背が高く屈強なその護衛達は最初こそ左右に分かれて周りを見張っていた。

 しかし今は後方で揃ってひたすらロレスを口説いている。


 綺麗な花が咲いてるからあんたのために取ってくる!だとか。

 見てくれこの筋肉!河猪の首だって引きちぎれちまうんだぜ!だとか。


 気持ちはわかる。

 ロレスは顔こそ隠してはいるが、綺麗な顔立ちだ。

 その愁いのある瞳は、守ってやらねばという男心を下の方から指でくすぐってくれる。

 まぁ彼女自身この中で実質最強戦力なのだが、それは別の話。

 今は男性からの彼女見た時の話だ。


「なぁ、あんたも見たところ腕が良い戦士なんだろう?実は二つ名があるんじゃないのか?」

「俺たちもあるんだ!人呼んで《太腕》のダラースと《骨太》ダルド!すげぇだろ!」


 …まぁ、二つ名はその人の人となりを表すというし。

 あながち間違ってないのだろう。彼らはとにかくムキムキだ。


 彼等は胸を張って、あるいは力こぶを見せつけながら彼らは言う。


「…そうか。」


 ロレスは興味なさそうに、そして鬱陶しそうに言った。

 しかし彼らは気を引こうとまだまだ食い下がる。


「おうお前ら!!!ちゃんと仕事しねぇか!!!それにそこに居るのは《魔葬》のロレスだぞ。お前らが逆立ちしても釣り合う相手じゃねぇんだぞ!」


 御者席からそんな怒鳴り声がしてやっと彼らはワタワタと持ち場に戻っていった。


「…。」

「モテますね。ロレスさん。」

「見ていたなら助けろ。槍を振り回すところだった。」


 深くため息を吐きながらロレスは言う。

 大人の静けさの中にある妖艶な容姿とその強さが彼女の魅力だ。

 ただ、そういう人間らしいところもちょっと見てみたい。

 顔を真っ赤にしながら槍を振り上げるロレスも良いと思った。

 …その先に皆殺しという結果があるにしても。


「…ん?」

「魔物か。」


 視界の隅にそれが映った。すでにロレスも気が付いていたようである。

 草原を突っ切ってこちらに走ってくる影が3つ。


 しかし先に対応に動いたは護衛ではなくシエナだった。

 本職の2人がまだ剣すら抜いていないのにもかかわらず彼女は射られた矢のように魔物へ駆けていく。


 いつでも援護出来るように杖を構えたが、遠巻きに見る分にはそれは必要なさそうだ。

 身を翻して踊るようにシエナが魔物に襲い掛かる。


「…野犬だな。」

「みたいですね。おそらく小茶野犬(レッサーハウンド)です。」


 それは彼女の嫌いな魔物だった。

 首都ロッズ周辺にも出没する小型の魔物。

 まさに中型犬というそれだが、人を襲うことに変わりはない。


 かつて彼女はその魔物に襲われた。

 どうやらシエナはまだ根に持っているらしい。

 そもそも、あの時の頭は黒衣の野犬(ダークハウンド)

 八つ当たりに近い所業ではあるが…。


 などと思っている間に彼女は討伐を終えて帰ってきた。

 べっとりと返り血がローブについているが、バサリと翻せば雨粒のように落ちて行く。


「お疲れ様です。シエ─。」


 彼女を労いたかったのに、横からドンと2人の人影が通り過ぎて行った。

 ダラースとダルドの2人だった。


「《赤角》!!あんた《赤角》だな!!」

「いやぁ!すっげぇ!!あんなに早い剣初めて見たぜ!!」

「あんたよく見ると可愛いな!」

「どうだい!こんど組まないか?」


 興奮気味の2人に囲まれてシエナは不機嫌そうである。

 このままでは彼女の拳がKOを2つ取りかねない。


 そしてこっちも不機嫌だ。

 何さ何さ、人を突き飛ばして女の子囲っちゃって。

 そりゃシエナはカッコいいよ?

 強いよ?可愛いよ?

 わかる、褒めたい気持ちはよーくわかる。

 でも未成年の彼女をそうやって囲っちゃうのって良くなくない?

 というか俺が気に入らない。


「はいごめんなさいねー。」


 大男2人の隙間から体をねじ込んでシエナと彼らの間に割って入った。


「悪いんだけど、そう言うのはジャーマネ通してくれる?これからザギンでリリイベなのよね。ケツカッチンだからこの辺で。アディオスミアミーゴ。」


 グイグイとシエナを彼らから引き離しながら早口でまくし立てた。

 当然何一つ伝わっていないがどうでもいい。

 よし、誰も血を流さずに終わったぞ。

 俺に感謝するんだな護衛諸君。


「…あんた、それ何語?」

「業界用語です。詳しくはググって下さい。」

「ググ…?何でもいいけど。どうしたの?」

「いえ。ちょっとムッとしたもので。」


 改めて言うと恥ずかしい。

 冷静になってみれば、他の男が彼女に言い寄ったから嫉妬してしまったのだ。

 おおう。

 俺ってばそんなに情熱的なことするタイプだっただろうか…。


「ムッとしたんだ…。」


 その声に顔を上げるとシエナの頬がわずかに赤い。

 それを見て俺も赤くなる。


 いや、違う。

 そういう甘酸っぱい感じが欲しかったわけじゃない。

 欲しくないかと言われれば欲しい。

 だけどもっとこう、保護者的な感じにしたかったのだ。


「ふーん、そうなんだ。ふーん。」


 嬉し気に口に端を緩ませながらシエナは踵を返して馬車を追った。

 時折スキップを見せる彼女。

 赤い髪とローブが機嫌よさげに弾む。


「ユーリ。シエナのお婿さんなればいいのに。」


 イーレからの意外な攻撃に動揺しながら、道を進んだ。


 ---


 またある日。


 大きな河を渡った先で、野宿する一行。

 既に寝静まった彼らの中でゴソゴソと動く人影が二つあった。


 俺とエルディンである。

 ミラージゥの街で手に入れた醤油の小瓶。

 そして、川沿いの漁村で手に入れた魚の干物。

 カチコチで、水に浸して一晩せねば食べられぬそれをと他にいくつかの食材を抱えて野営地から抜け出す。


 ほどほどに離れたところで荷物を降ろして輝照石を灯した。


「…ついに、ついにこの日が来たね、ユリウス。」

「あぁ、エル。待ちわびたぜ。」


 先日の補充で上等な小麦粉が手に入った。

 それと塩と水を皮袋に入れて日がな一日捏ねていた。

 ついにその労力が報われる時が来たのだ。


 まずは土魔法で大きな釜を作る。

 そして練った小麦を切るための調理台とまな板。

 全部石製であるが、使えれば問題ない。


 俺は鍋に水を張り、それを沸騰させにかかる。

 エルディンはその間に練った小麦を愛剣シルビアで細く切っていく。


『─────!?───!!!』(なんで私で切ってんの!?信じらんない!!!)

「我慢してシルビア!大義の為なんだ!」


 何やら異議申し立てがあったようだが、容赦なく小麦が切られていく。

 打ち粉をまぶされたそれは均一に切り出され、麺になっていく。


 その間に俺は魚の干物を調理していく。

 河でとれた魚を干したもので、これはその背中の部分に当たる。

 固い木片のようなそれをナイフで薄く丁寧に削り出した。

 湧かせてお湯にサッと潜らせれば、芳醇な香りが漂いお湯が黄金色に染まる。

 素晴らしい出汁だ。


「出来たよ。」

「はいよ!」


 打ちあがった麺を受け取りながら、彼に言葉を返す。

 それでは食材も揃ったし、タイトルコール行ってみようか。


「「ユーリィ数分クッキングー!!!!」」


 イエーイ!ドンドンパフパフー!

 と全て口で言いながら、頭の中では礼のBGMが鳴り響く。


「それではユリウス先生。今日のお料理は何ですか?」

「今日は、お夜食にピッタリなあっさりかけうどんを作っていきたいと思いますー!」


 誰も居ない虚空に向かって笑顔を振りまく2人。

 はた目から見たら不気味だろうが、久しぶりの日本食が目前にあるのだ。

 どうかしばらくお付き合い願う。


「食材はこちらですね、うどん、鰹節、それからディティス産の濃い口醤油です。」

「ユリウス先生。お料理のポイントは何ですか?」

「たっぷりのお水で麺をゆでることですかねぇ。あとこのお醤油はとっても濃いので2~3倍に薄めて使ってあげるとちょうどよいですね。」


 などと言いながら宣言通り沸かしておいたたっぷりのお湯に麺を投入していく。

 小鍋に取った出汁を濾して醤油を混ぜれば、香り立つ醤油出汁が出来上がる。


「「…。」」


 一瞬の沈黙。

 ふたりで揃って生唾を飲んだ。

 分かっている。

 このうどんはおそらく、この世界で1番旨いうどんになる。


 ザっと湯切りをし、作っておいたどんぶりに麺を盛る。

 輝照石の明かりに照らされる、ツルツルシコシコの出来立てうどん。

 それに出汁をかければ、豊かな香りの湯気が昇りたち、麺は金色の光を返した。


 二つのどんぶりが、目前に並ぶ。

 うどん。

 ただのかけうどん。

 店で食えば300円としない日本食文化の歴史が詰まった逸品がいま。

 異世界に居る俺たちの前に降り立った。

 ネギも揚げ玉も何もないただの素うどんだ。


「…どうぞ。」

「いただきます!」


 エルディンが箸を手に合掌する。

 そしてどんぶりを持ち上げて、まずは出汁を啜った。


 どこまでもシンプルなその味わい。

 きっと旨いのだろう。

 言わなくてもわかる。

 くしゃくしゃに真ん中に寄りつつも、笑顔の顔から「あ"ー…っ!」と声が漏れている。

 そして麺を箸で高く引き上げた後にズゾゾゾゾと啜る。

 この世界に麺という概念は無い。

 マカロニのような物はあってもここまで長い練った小麦は無い。

 当然、麺を啜るという食事法すらも懐かしいのだ。


 エルディンは麺を咀嚼した。

 あえてそれほど噛まずに彼はゴクリとそれを食道に落としていく。

 丸一日練ったうどんのコシを喉で味わったのだ。


「…君に会えてよかった。」


 彼とがっしりと握手を交わす。

 短い言葉。

 だがそれだけで十分だ。


 そうして彼は名残惜しそうにうどんを味わっていく。


「では、伸びないうちに俺も…。」


 といいつつ出汁をひと口。

 旨い。

 狙い通りの魚の豊かな旨味香る醤油出汁。

 さっぱりとキレのあるそれはそれだけゆえに素材のうまみが際立つ。

 さぁ、ではうどんの食感を味わわせてもらいましょうか!


「…あんたたち、こんな夜中に何してんの?」


 バッとエルディンと振り向いた。

 シエナだ。

 《赤角》がそこに立っている。

 眠そうな目をこすって、寝間着姿の彼女が背後に立っている。


「…何それ。」


 ズイとどんぶりの中を覗き込まれる。

 まずい、奪われる!


 おいエルディンずるいぞお前だけなにかき込んでやがる!!

 出汁まで飲み切っちゃってさ!

 ご馳走様?

 お粗末様でした!!


「良い匂い。あんたが作ったの?」

「えぇ、まぁ…。」

「へぇ…。」


 ─キュウウウゥゥ。


 彼女のお腹から小さくそれが聞こえる。

 まぁ、わかる。


「…食べます?」


 シエナは小さく頷いた。

 仕方ない。

 これを見られてしまった以上、きっとそうなると思った。

 予備のうどんは無いが、彼女が望むなら俺はこれを譲ろう。


「何?この棒で食べるの?」

「フォーク作りましょうか?」

「良いわよ。」


 そう言って箸を握った。

 持つのではなく握った。

 逆手持ちで、箸を持ったばかりの子供のようにどんぶりに口を当てながら運んでいく。

 実際箸を持つのは初めてなのだから使い方をとやかく言ってはいけない。


 当然彼女はナイフとフォークの食事しかしていないのだから箸で食べる必要はないのだが…。


 チュルチュルと彼女の口に吸い込まれていくうどん。

 俺のうどん。

 一日中捏ね続けたうどん。

 さらば、うどん。

 ほろりと涙が頬を伝った気になってしまう。


「…。」


 むぐむぐとそれを食べるシエナ。


「…いかがです?」

「美味しいけど、食べずらいわね。長いし。」


 意外にも彼女の口にはこの日本食の味付けが合うようだった。

 そしてもう一口。

 そもそも彼女は食事マナーはあまりいい方ではない。

 皿を持って食べるということにもあまり抵抗が無いのだ。


 半分程食べ進めたところで、彼女は「ん。」と頬をこちらに差し出した。

 ハンカチは無いのでローブでサッと拭う。


 いかん、いつかの癖で普通に対応してしまった。


「…美味しかったわ。ありがとう。」

「いえ、お粗末様でした。」


 完食してしまった彼女は寝床に帰るでもなく、そこにポヘッと座り込んだ。

 どうしたのだろうか。

 お腹が膨れて眠くなったのだろうか。


「…今度、何か作る時。私も混ぜてよ。」

「え、なんでです?」

「…料理の練習。したいし…。」

「いいんじゃない?仲間は多い方が良いよ。」


 エルディンはそう言う。

 彼の言う仲間とは共犯者のことだ。

 夜食という罪を背負うものを彼は誘う。


「でもタイトルコールは皆でしようね。」

「何それ。」


 こうして夜食同好会は結成されてしまった。


 …それはそれとして、俺もうどんが食べたかった…。

 よし、また作ろう。

 食材が揃えば次はラーメンも作ってみよう。


 あくなき探求心が燃え上がるのであった。


 ※シエナのどんぶりに残ったスープはユリウスが美味しくいただきました。


 ---


 さらに東へと向かうさなか。

 小さな村での一幕。


 ある寒い夜の事。


 それなりに南下し、雪も散見されるようになったこの辺り。

 ギルドも無いような村だったので、宿も無かった。


 馬小屋のような粗末な小屋を村長から借り受けて俺たちは一晩をそこで越すことにした。

 隙間風が吹き、建付けの悪い扉がカタカタと音を立てる。


「…。」


 不思議と寝付けないでいる俺はローブに包まっていた。

 寒いは寒いが、長旅で鍛えられてどこでも寝れる精神の前では少々役不足だ。

 ということは寒さが原因では無い。


 心臓がいつもより強めに脈を打つ。

 考えれば考えるだけ、ドキドキする。


 ローブから香る優しい匂いの残滓が昼間の出来事が気のせいでは無かったと語る。

 では何が起こったのか。

 説明しよう。


 今日の日中は風が強く日が出ていた。

 まぁ魔法を使えばなんてことないが、洗濯日和だったのだ。

 今日の洗濯当番はシエナ。

 皆一様に役割がある以上、彼女にも割り振られている。

 時折俺が替っているが、それはいったん置いておこう。


 俺はこの時三角帽子もローブも彼女に渡していた。

 これらは水洗いには向かないが、定期的に日干ししてやればふんわりと仕上がる。

 しばらく着っぱなしだったので臭いもついているから風も通す方が良い。

 そう思って「よろしくお願いしますね。」と彼女に渡した。


「干すだけでしょ?」

「そうですね。」

「楽勝だわ。」


 フフンと胸を張る彼女。

 しかし一瞬だけ彼女はそのローブと帽子に目線を落とした。

 俺はそれを見逃さない。

 ユリウス・エバーラウンズは見逃さないのだ。

 でもこの時だけが見逃した方が良かったかもしれない。


 しばらくして靴下を洗いに出すのを忘れていた俺は再び洗い場を訪れた。


 そしてそれを目撃した。


 何やら辺りをキョロキョロと見回すシエナ。

 ローブと帽子以外は少々雑ながらも洗濯日もに吊るされて風を受けている。


「…。」


 無言のままに帽子を見つめた後に、本来頭に被るべきそれを仮面のように顔に押し当てた。

 深呼吸しているようで、帽子がペコペコとへこんだり膨らんだりを繰り返している。


 そしてそのまま彼女は帽子を自身の頭に乗せると、今度はローブを抱きしめにかかった。

 襟辺りに顔を埋めて、顔を赤らめながらクンカクンカスーハースーハー…。


 そのままヘタンとその場に座りこんで、引き続きローブを堪能している。

 赤らめた頬のままに、蕩け切った薄ら笑いが張り付いている。


「へひひ…。」


 かなり興奮しているものと見て取れた。


 以降も俺のローブと帽子でエンジョイするシエナ。

 結局、見てはいけないものを視てしまった気になって俺はソッとその場を立ち去ることにしたのだ。


(…あれって、そういう事だよな。)


 思い返す。

 胸が高鳴る。

 繰り返し。


 少しだけ体を起こしてシエナの方に目線を送る。

 彼女はイーレを抱っこしてぐっすり眠っている。

 そのイーレはがっちりとホールドされているから寝苦しそうな顔をしているが…。


(…あれってそういう事だよな。)


 ローブに顔を埋める。

 干した洗濯物の良い匂いに混じってシエナの匂いがほのかに漂ってくる。


 …シエナは俺のことが好きなのではなかろうか。


 俺の中で、自意識過剰の俺が語り掛けてくる。

 俺は自身の感情にブレーキをかけているつもりだ。

 止まり切れていない場面もままあったが、それでもブレーキをかけている。


 勘違いだったらどうしよう。

 そもそも俺は彼女に釣り合うような身分じゃない。

 相手は貴族。しかも4大貴族のトラゴンロッド家令嬢だ。

 幼馴染とは言えども、恋仲に発展するような事は。

 …結構覚えがある。


(好きになっても良いのかな…。)


 良い悪いではない。

 俺はとうの昔に彼女に惚れている。

 その自覚はある。

 だが、好きにならないようにと思っている自分が居る。


 彼女が俺のことを何とも思っていなかった時を恐れている俺が居る。

 勘違いして嫌われて、傷ついてしまうことを極端に恐れている自分が居る。


 もしかしたら、あれは本当に見間違いで。

 ちょっと寒かったから着てみただけ。とか…。


 …さすがに苦しいだろ。


「…ユ…リウス…。」


 突然シエナに呼ばれてビクリと体を震わせた。


 何だ寝言か。

 紛らわしい。


「…ユリウス…。」

「なんですかシエナ。」


 小声で返事をする。

 シエナは特に何も言わずに満足げな顔を浮かべて再び寝息を立てた。

 いや、可愛いかよ。


 イングリットの村に着けばこの旅も終わり。

 まだまだ中盤戦だというのに終わった先の事を考えて寂しさが胸にジワリとこみ上げる。


 ごろりと天井を見上げる。

 すかすかの天井の隙間からは星が少しだけ見える。


 ─旅の果てに愛に見えよ。息子よ。


 ゴルド氏の言葉。

 愛が何かなんてわからない。

 けど、この気持ちはわかる。

 人生2度目。精神年齢44歳を前にして初めての気持ち。


 多分そうだ。

 このどうしようもないほど、真面目に悩んでしまう甘酸っぱい胸の疼き。


 多分俺は、シエナに恋をしてしまっている。

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