第五十話 「俺の旅」
旅と言えば、色々な景色を思い浮かべる。
晴れ渡る空に緑の草原と羊の群れだったり。
落ちる夕日が眩しいどこまでも続く荒野だったり。
うっそうと茂った草木が生い茂る密林だったり。
なんなら火が噴き出す溶岩地帯だったり。
様々だ。
RPG系の旅するゲームをプレイしていれば、それらは容易に思い浮かぶ。
ここもそんな景色のひとつだろう。
砂漠だ。
照りつける太陽が肌を焦がし、吹き付ける風が砂を巻き上げる。
過酷と言う言葉がまさにピッタリな土地に俺は居る。
ユリウス・エバーラウンズ。11歳の秋。
まだまだ幼さ抜けやらぬ俺はいま、砂漠で杖を構えていた。
辺りには砂しかないような所で俺はソイツの殺気を肌で感じている。
三角帽子の下で一滴、汗が垂れる。
肌を伝い、顎の先から垂れ落ちたその雫がポタリ。と砂に落ちた。
とたんに足元がズズズと小刻みに揺れる。
音に敏感なソイツは汗の落ちるわずかな音を聞き逃さなかったのだ。
「─ッ!!」
杖に魔力を送り、起動するのは飛翔魔法星雲の憧憬。
砂を巻き上げ、横っ飛びにその場を離れればソイツが姿を現す。
大口砂蛙。
見上げるほどに巨大な砂漠の砂に生きる蛙の魔物。
砂漠地帯においてはBランク相当の魔物ではあるが、手ごわい相手だ。
土魔法への耐性が高く、硬質化させた手招く砂塵の緊縛もレジストしてしまう。
そして奴自身も土魔法を使うのだ。
ドシンと地面に足を突けば、そこから俺目掛けて地面が牙を剥く。
中級魔法の地を駆る牙。
砂でできた鋭い槍が幾重にも襲い掛かる。
「この!!!」
そこに雷轟の射手を叩き込む。
槍を蹴散らしながら弾頭はまっすぐに魔物の頭を捕らえる。
しかし致命傷にならない。
着弾寸前にレジストによって弾頭を脆くされて威力が下がる。
さて、ここまでは普通のユリウス。
ここからが、マグマなんです。
杖に魔力を回す。
新しい旅の相棒、顔すら知らぬ過去の友人からの贈り物。
白銀の杖に、紫の三連水晶。
その姿から、俺はこの杖に"三眼の守護女神"と名付けた。
なぜ女神なのか。そっちの方がカッコいいからだ。
空中に3つの氷の弾頭が現れる。
それらは俺の手元ではなく魔物の頭上を散り囲むように出現した。
魔術ではない。これも魔法だ。
詠唱も必要なければ、どの本にもその呪文は載っていない。
杖を振り下ろせば、氷で作られた弾頭を撃鉄が叩く。
3発の氷の弾頭はものの見事に魔物を貫きそのまま地面に縫い付けた。
穿つ雷轟の射手。
新しく開発した対レジスト用の攻撃魔法。
三眼の守護女神を用いた超繊細かつ高度な魔力操作が可能にした新兵器。
レジストが難しい氷の弾頭を使用するとともに、発射位置を敵に接近させることが出来るようになった。
しっかりと座標を指定してやれば離れた位置からでもそこを起点として射撃できる。
俺の魔力が届くところまで。という制限はあるが今のところ不便が無い。
どうやら相当魔力範囲が広がっているらしい。
俺も成長期ということだ。
将来有望である。
「フッ!!!!」
振り向きざまに穿つ雷轟の射手。
地面から飛び出してきた別の蛙の魔物の脳天をぶち抜く。
「なんの!!」
岩の上からとびかかってきた魔物に狙い定めて吹っ飛ばす。
まさに無双。
俺がしたかったのはこういう余裕のある旅だ。
どんな強い魔物が出てきても杖一振りでホホイホイ。
あぁ、これぞ主人公。
…と思っていたのだが…。
「やった!私が一番多く倒したわ!!」
「…。」
「良く見てシエナ。向こうにも山があるから一番はロレスだよ。」
この人たちは、なんというか規格外だ。
俺もそこそこ腕の立つ魔道士でいると思っている。
しかし、しかしだよ諸君。
この現実を見たまえ。
俺が3匹の魔物を狩っている間に、彼らが10数匹を一瞬で亡き者にしている。
剣士はずるい。
ヒュンって剣振ったらズバッて切れてシュババババのドカーンだ。
誇張でなくそんな感じ。
とてもじゃないが、勝てる気がしない。
冒険者のほとんどが杖と本では無く武器を手にする理由はそこにある。
ようは手っ取り早いのだ。
剣を振る。斬る。相手は死ぬ。
しかし魔法は違う。
魔力を練る。狙いを定める。レジスト対策する。放つ。当たる。レジストされなければ相手は死ぬ。
魔術であればこれに長ったらしい詠唱が入る。
もちろん詠唱無しで魔術を使う者もいるにはいるが、大半はそれだ。
剣士達も魔術を学ぶものもいる。しかしそれは治療魔術が目当てだ。
剣で戦う彼らにとって、魔術も魔法も所詮は便利ツールであり戦いの武器にはならない。
皆魔法が使えるのだから、特別魔術師を雇う必要は薄い。
あくまでも昔の習わしだったり、パーティの意向によるものが大きい。
一部の魔法が有効な敵を除けば、魔術師はもはやお荷物だ。
…もしや、ここから追放系な展開になるんじゃあるまいな。
俺嫌だよ?みんなに冷たい目で「この無駄飯食いがっ!」みたいに言われるの…。
「ユリウスー!」
シエナが呼びかけてくれる。
「もう燃やしていいわよー!」
…ゴミ処理係、としてね…。
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…気を取り直そう。
旅と言えば、食事もその醍醐味といえよう。
旅先で目にする異色の食材たち。
普段食べなれないその味わいゆえにどれも新鮮に感じる。
例えばアリアー名産、野犬のグリル。
少し筋の有る肉は癖が無く、香辛料の香り次第でどこまでも美味しくいただける。
…若干色味がエグイが気にしない。なんで魔物って血が青いんだろう。
例えばベルガー名産の河猪の煮込み。
トロトロになるまで煮込まれた肉のうまみと油を吸った野菜のコクが絶品だ。
…これは血抜きをしっかりしないと獣臭さがあふれ出してヤバいので気を付けようね。
しかし料理だけが食事ではない。
旅につきものなのがそう、焚火だ。
満天の星の元、文明の灯りから隔絶された闇夜に灯される揺らぐ灯り。
砂漠の夜は冷える。
これで暖を取りながら眠ることだって多々あるのだ。
そんな焚火に豪快に食材投げ入れた料理というのも乙な物だ。
いつぞや食べた魚の素焼きは絶品だった。
今でも思い出しただけであの素朴な旨味によだれが出てくる。
よし!では本日の調理に目を向けてみよう!!!
うん、素晴らしい香りだ。
捌きたて新鮮な肉がバチバチと音を立て焼けている。
…美味しそうか、と言われれば、そうではない。
ズルンと皮の剥かれたそれは、見た目そのままの巨大な蛙の脚。
端の方では魔物特有の青い血が滴っている。
先ほど香り、と表現したがそれはちょっと訂正しよう。
えも言えぬ生臭さが煙に混じって漂ってくるのだ。
曰く、砂漠地帯の魔物で一番旨い。らしい。
語るのは魔物料理研究の第一人者エルディン氏だ。
この砂漠地帯の魔物たちは毒を持つ魔物が多くいる。
サソリの様な魔物。
蛇のような魔物。
蜂のような魔物。
などなど。
食べられなくはないが、わずかでも毒が残っていれば当然影響が出る。
安全に食べられる魔物は限られてくるのだ。
それがこのデカイ蛙。大口砂蛙である。
数も居て、比較的狩りやすく。そして一匹倒せば実入りが大きい。
この辺りの主食なのだそうだが…。
ちらりと皆の様子を伺う。
エルディンは地図を見ながら片手間にナイフで取り分けたそれをかじっている。
ロレスはまるでそこが料亭なのでは無いかと見まがうほどに上品に食べている。
シエナは…、うん、そこに赤い髪の獣が居るだけだ。肉に食らいついている。
あの姿も嫌いではないがベンジャミンの名誉のためにちょっとだけぼかしておこう。
まぁ食べ方に違いはあれど、皆ムシャムシャと食べている。
ただ唯一俺の隣で小さく膝を抱えているイーレを除いて。
「ううう…。」
彼女は小さく切り分けた大口砂蛙の肉を恐る恐る口に運ぶ。
そしてそれをゆっくりと、まるで芋虫をかじる芸人のような顔で噛み締める。
「うぅぅっ!!」
今にも泣きそうな声で彼女は肉を噛み締めている。
「…イーレ、蛙、嫌ぁぁ…。」
好き嫌いしては大きくなれませんよ?とは追い打ちをかけない。
彼女は頑張ってそれを胃に収めようとしているのだ。
「…俺も…!」
火から降ろされた蛙の脚に歯を立てる。
生前、蛙の肉は鶏肉にそっくりだから意外と旨い。
などと聞いた覚えがある。
「ふぅぐ…ッ!!」
誰だそんなことを言ったのは、全然鶏肉などでは無い。
なんというかグニッとしている。
柔らかく、しかし弾力のあるその肉は噛めども噛めども飲み込めない。
1噛みごとにジワリと生臭さがあふれ出し、鼻孔の中で大暴れしてくれる。
食えなくはない。だが決して美味しくない。
もっと香辛料だとか、そういうもので臭みを消す必要がある。
あと、弱火でじっくりと火を入れて余分な脂も落とすべきだ。
「食べないの?もらうわよ。」
シエナがひょいと肉をつまみ上げながら頬張る。
グニグニと口の中で暫し噛んだ後に喉を鳴らしてそれを飲み込んだ。
「…美味しいです?」
「美味しくないわ。」
彼女はあっさりと言った。
「でも、食べないと力が出ないもの。いざというときに動けないなんて剣士の名折れだわ。」
当然じゃない。
彼女はそう続けながら火にかかっている肉をナイフで適当に削いでいく。
それを聞いてハッとした。
そうだ。
いざというときがあるかもしれないのだ。
俺はすっかりどこかで油断していた。
エルディン、ロレス、シエナ。
腕の立つ戦士たちに囲まれて、楽な旅をしていて失念にしていた。
何が起こるかわからないのが旅なのだ。
それは良い事も悪いことも。
なんなら最悪の出来事だって起こりえる。
それに対して、俺はなんと軟弱な発想をしていたのだろうか。
えり好みをして、危うくそんな事態を引き起こしてしまうところだったのではないだろうか。
「ありがとうございます。シエナ。目が覚めました。」
「へ?」
「いただきます!!」
俺は勢いをつけて蛙の肉に食らいついた。
あのクマさんも言ってたじゃないか。
砂漠では貴重なたんぱく源です。と。
「ふぅぐぉ…ごっほげっほぉ…!」
盛大に咽ながら、肉を腹に詰め込んでいった。
まずい食事…否、口に合わない食事も醍醐味だ。
…町に着いたら、ハンバーグ作りたいなぁ…。
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旅と言えば、寝る前の静かな時間もまた良い。
旅先の宿で眠るときはいつも次の日を思い浮かべるものだ。
明日はどんな一日になるかな。
次はどの街に行こうかな。
風来ならばそんな行く当ての無い旅もきっと楽しい。
また、お酒を嗜むのも良いだろう。
おすすめは火酒をドラゴンロッド印のソーダで割ったハイボール。
リミルの実をキュッと絞れば、火酒の香りの後から果実のさわやかさが口いっぱいに広がる。
揺らぐ輝照石の光を眺めながら、静かに1人で物思いに浸るのも良い。
可能であるならばゆったりと湯につかるのも良い。
この世界では浴槽のあるご家庭は一部の上流階級に限られている。
しかし魔法を使えばチョチョイのチョイチョーイだ。
旅先でも豪華な露天風呂が楽しめるというもの。
そう、露天風呂。
露天風呂なのだよ。
砂漠のど真ん中に掘られた露天風呂。
満天の星の下、一応プライバシーを考慮して柵も設置した。
現在は女性陣一行が生まれたままの姿で湯あみを楽しんでいる。
覗くだろう、男なら!!
エレノアの時は事情が事情であったため断腸の思いでそれをしなかった。
だが彼女たちにはそのような事情が無い。
ヘタレであると自覚はあるが、視覚情報くらいは入手してもバチは当たるまい。
まぁ女の裸が見たいだけならば、そういう店に行けばよい。
この世界にも当然の如く夜の店は存在する。
しかもそういう法律が無いものだから金さえ払えば可能性は無限大だ。
それが良いお客様は金貨を握ってそちらへ行っていただきたい。
「だが俺は違う!!!」
岩の上で拳を握りしめて俺は言った。
いかんいかん。
隠密任務なのだ。
声を上げてはならない。
エルディンは今2本の愛剣たちと何やらか会議をしている模様。
あいつはいいよなぁ。エルディーヌになれば女湯に合法で行けるのだから。
しかし、覗きにこそ美学があるのだ。
こそこそそろりと彼女たちの間合いに近づき、頂きをそして秘所を拝むのだ。
そして達成感と背徳感を抱きながら己を愛すのだ。
軽蔑したいものは軽蔑するがいい!
石を投げたくば投げろ!
だが俺には使命がある!
男性として生まれた以上、男性としての夢を叶えねばならない!!
ユリウスの体もきっと望んでいる!
己の精を吐き出したいのだと!!!
そうだろう息子よ!! \イエスボス!/
では参ろうか!!!!
男の夢の園!!
女湯へ!!
とは言えども、何も考えずに突撃するほど俺は愚かではない。
彼女たちは歴戦の戦士。
気配1つで悟られてしまう可能性だってある。
なのでここを陣取ったのだ。
小高い岩の上。
彼女たちの居る場所からは少々遠い。
耳をすませば声がわずかに聞こえてくるほどの距離。
しかし目を凝らせばその秘湯を視認することが出来る。
そして俺にはこれがある!!
観測魔法!!
ただ遠くを見るだけの魔法がこんなところで役に立つとは思わなかったぜ…。
何でも作ってみる物である。
さて、ぶっちゃけイーレのボディにはあまり興味が無い。
お子様大好きな大きなお友達につきましてはどうか今日はお引き取り願いたい。
ということは残すところシエナとロレスだ。
…話は変わるが、イチゴショートケーキのイチゴをいつ食べるか、という問題があるだろう。
俺は最後に残す派なのだ。
よって、今回のイチゴはロレスのボディ!!
廃都ラウンズでハグしてくれた時の感動はいまも忘れられない。
ということは?
先に頂くべき甘ーいケーキの部分は?
シエナであろう!
刮目させていただく!
ドラゴンロッド家の令嬢のその玉の様なお肌をな!!!
水玉レンズを覗き込む。
荒い鼻息で曇ることのないその水晶体の先を拝む。
…。
スッと、頭に昇っていた血が下がっていく。
高揚していた胸の高鳴りは一転し、自身の愚かさを思い知らせるように静かになった。
光景としては、とても素晴らしい眺めだ。
ロレスは髪をまとめ上げて両肘を湯舟の縁にかけてくつろいでいる。
イーレは耳を抑えて縮こまり、その上からシエナが湯をかけて髪を洗っている。
実に、実に理想的な入浴風景が広がっているのだ。
しかし、俺が目にしたシエナの体は少し想像と違っていた。
シエナの体は、傷だらけだった。
刃物で付いた傷だけでなく魔物の爪や牙で出来たであろう古傷が至る所に刻まれていた。
綺麗で小ぶりな、まだまだ成長中といった胸のふくらみにも。
うっすらと腹筋の隆起が見て取るれるお腹にも。
しなやかに伸びた健康的な太ももにも。
何故それほどまでに傷だらけなのか。
ロレスとの修業?組み手であんな風な傷はつかない。
傷つけたのは、他でもない。俺だ。
俺が攫われてから、彼女はずっと俺を探して旅をしていた。
俺のために体を張って彼女はここまで来たのだ。
そして俺を見つけたその後も前衛を買って出てくれている。
その中で付いた傷なのだ。
彼女には付かなくていい傷だった。
シエナは本来剣士でも、ましてや冒険者でもない。
お嬢様なのだ。
シエナ・ゼルジア・ドラゴンロッド。
世界4大貴族に名を連ねる大貴族の令嬢。
首都に住む皆に愛される赤髪の少女。
俺が、その彼女を此処まで連れてきてしまった。
辛い思いをしなくていいはずの彼女を、こんなところまで連れ出してしまった。
俺が弱いばっかりに…。
俺は岩から転がり落ちる様にしてその場を去った。
既に敷かれた寝床に走り、飛び込んで毛布に隠れた
そして三角帽子を顔に押し付けるようにして叫んだ。
なんと、なんと醜悪なんだ。
何が愛しいだ。なにが好ましいだ。
俺はあんないたいけな少女に、まだ13になるかという少女にあれほどの苦痛を背負わせてしまった。
嫁入り前の少女に、深い傷跡を残してしまった。
自責の念が胸を押しつぶす。
「ど、どうしたのさユリウス!?」
エルディンが心配して声をかけてくれる。
「俺は汚い!!弱い!!最低の屑だ!!!」
彼を突き飛ばすようにして俺は砂漠へと走った。
そうでもしないと、頭がどうにかなりそうだ。
…もうどうにかなっているかもしれない。
逃げ出すようにして、俺は息が切れるまで走った。
勝手に興奮して勝手に冷静になってこの様だ。
本当にどうしようもない。
---
旅と言えば、雄大な自然を前にちっぽけな自分を見つめなおす機会が訪れる時がある。
それは悠久の時を経て見上げるほど大きくなった樹木を見たときだったり。
風と砂が作り出した大自然の彫刻群をみたときであったり。
空と水平線が溶け合う美しい水面の大地を目の当たりにした時だったり。
海の底から現れた巨大な龍が船を飲み込んでいくときであったり。
きっかけは様々だ。
旅をして人生観が変わりました!なんて声も聴く。
いまも目の前にそういう美しい自然の景色がある。
満天の星々が煌めく夜空と、その光に照らされた砂の大地。
昼間は灼熱のこの砂漠は夜になれば遮蔽物のない天然のプラネタリウムとなる。
地平線には昇ったばかりの月、そして遥か遠くに山の陰。
風に運ばれた砂たちが星の光を反射してまるで氷の粒のようにサラサラと流れていく。
星は良い。
どの世界にも大概ある大スペクタクルだ。
宇宙丸ごと違うのだろうから、この世界に俺が知っている星座は無い。
ただ科学文明から解き放たれた夜闇にてその神秘的な光を届けてくれる。
アレガデ・ネブアルタ・イルベガ。
そんな呪文を唱えることすらできない遠い場所に俺は来ていた。
そもそも距離という概念でつながっているのかも不明瞭だ。
場所はともかくとして。
その美しい世界を前にして、ちっぽけな自分に打ちひしがれることもある。
この大自然を前にしてちっぽけな悩みなんて吹っ飛んじまったよ!だと?
誰が言ったのか。
笑わせてくれる。
そんな風にはならない。
この世界では自然と人間は密接につながっている。
それは魔法の大原則にして魔道の基礎。
弱肉強食だとかいう植物連鎖も然りだ。
弱ければ魔物に喰われ、強ければ魔物を食って生き延びる。
熾烈な生存競争の中で俺たちは生きているのだ。
悩みとは自然の中にあり、命とは自然の中にある。
吹っ飛ぶならそいつはこの法則の外に居るのだ。
「…何やってんだろ。俺…。」
砂から突き出た岩の上で転がり、空を見上げながら呟いた。
赤茶色の岩の上は風に曝されていてまっ平だ。
冷たい風が三角帽子を揺らし、まだ熱を持った岩が背中を温めてくれる。
誰にも心配かけなくていい大人になろうと誓った。
俺を想ってくれる人に、少しでも安心してもらうために。
胸張って、ちゃんとした人生を送るのだと。
だが現実は違う。
結局誰かに助けられないと俺は何度も死んでいる。
野犬の時はキース衛兵長が助けてくれただけ。
アレックスの時はロレスが助けてくれただけ。
アッパーブレイクの時はバーングラッドが。
セドリックの時もシエナが。
助けてくれただけ。
俺は何もできていない。
結局あの日のまま。
冬のイングリットでずぶ濡れで家に帰った俺のままだ。
誰も安心させることもできず。
一人前などと胸を張って言えることなど何1つない。
弱虫の半端者だ。
こんな俺が、どうやってあの努力家のシエナに顔向けできようか。
─これで対等ね!!
彼女が指導係として俺を認めてくれた日を思い出す。
「対等なんかじゃないよ…。」
ごろりと寝返りを打った時だ。
顔のすぐ横にしゃがみ込んだ脚がある。
素足にブーツをはいた、健康的な脚線美。
その奥にはうっすらとスジの浮かぶ白い薄布が見えている。
「何がよ?」
視線だけ移動させて見上げる。
青空をバックにシエナが俺のすぐ横にしゃがみ込んでいた。
すぐに飛びのいた。
一瞬素敵な光景が見えたが、今の俺にそれをまじまじと見るだけの根性が無い。
ヘタレと言うてくれるな。俺はラッキースケベに不慣れなのだ。
そこに居たのはまさに風呂上がりですと言った格好のシエナ。
就寝用の柔らかいシャツを上に着ているが、下は下着らしい。
いわゆる裸シャツ。
その上から白い毛皮のローブを羽織っているだけの姿である。
俺はと言うと先ほどの彼女の問いに「いやぁ、そのぉ。」と煮え切らない返事を返すばかり。
彼女はふーん。と小さく言った後に同じ岩の上にしゃがみ込んだ。
ペタンとお尻を地面に下ろして片膝を抱く姿勢。
そして、ポンポンと岩を叩く。
なんだこれ。
どう…。
隣に座れと?
もう一度彼女は、今度はちょっと強めに岩を叩いた。
「はやく。」
シエナが俺を急かす。
俺はすごすごとその場に腰を下ろした。
すっと、彼女の抱える膝を見る。
星の照らす彼女の素肌は、真っ白にきめ細やかな絹のよう。
しかしその滑らかな表面にも、痛々しい傷が残っている。
すぐに目を逸らしてしまった。
「あぁもう!!!」
彼女は何かに怒ったようで、俺の顔を両側から手で挟んでグイと自身に向けた。
赤い瞳が、整った顔が視界の正面に強制スライドする。
…あの、いま首からグギリってすんごい音がですね…。
「はやく!」
「…えっと?」
「喋れって言ってんの!なんかあったんでしょ!」
いや、はやく。
しか言ってないじゃないですかお嬢様。
「…いえ、その…。」
「言えない事なの!?」
「…何と申しますか…。」
ギッと彼女の吊り上がった眼がこちらを睨む。
顔を固定されても視線は動く。
俺の視線は何もない虚空を求めてあっちこっちへと泳ぎ続けた。
「むぐぐ。」
そのたびに彼女の手に力が入る。
やめて…。
お顔潰れちゃう…。
「ひ、ひえなの、ひふはをひはほへ…。」
「見たのね。」
「ふぁい…。」
彼女の顔が歪む。
あぁ、終わった。
後は万力にかけられたように潰されるだけだ。
「…。」
しかしシエナはパッと手を離した。
そして手早くローブの襟元を正した後に、両膝を抱えて足を隠した。
「…見られたくなかった…。」
ポツリと零す彼女。
その姿に再び自責の念が胸を締め上げる。
今度は下心など見せぬようにと念入りにギリギリと。
甘んじて受けねば。
俺はそれだけのことをしてしまったのだ。
何なら本当に顔面をぐちゃぐちゃにされても文句は言えまい。
「ご、ごめん…。」
「良いわよ。別に。」
そう言って彼女は俺に手を伸ばす。
特に勢いはなく、ただゆっくりと。
そしてその手は漂うに俺の左肩にたどり着き、すっと胸の古傷をなぞった。
「…あんたにも、付けちゃったし。」
顔を俺に向けぬままに彼女は続ける。
少しだけ頬が赤いのは、この星明りの下では俺でなければ気づくまい。
「あんた言ったわよね。もっと我儘に生きろって。」
確かに言った。
当時の彼女は、抑圧の末に皆に暴力を振るい嫌われ者になろうとしていたのだ。
「あんたの傷は私の弱さ。でもこの傷は自分で歩んでついた傷だもの。我儘を突き通した先の私がこの姿なら、悪くない。」
そう言いながら彼女は腕を捲る。
当然そこにも多数の切り傷がある。
彼女はその傷たちを愛しそうに撫でた。
あの頃のどこか脆く不安定な彼女の面影はもう無かった。
彼女は自らの生き方を、あり方を自分で決めて歩けるようになり、その道を歩いていた。
「…シエナは変わりましたね。俺はさっぱりで…。」
俺は同じように膝を抱えながら言った。
今しがた自分を顧みたばっかりだ。
シエナとは対等で居られない。
「何を悩んでるか知らないけど、変わることがそんなに大事なわけ?」
彼女はそう言って俺の苦悩に右フックをかました。
スカーンと脳内に響いたその言葉に思わず目を丸くした。
彼女は何を当然なことを、と言うように続ける
「変わんない事が良い事だってあるじゃない。私知ってるんだから。ユリウスが旅先でお節介焼いて何人も何人も人助けしてること。それ、あんたの良いとこじゃない。」
彼女は語るのは、俺の冒険譚。
亡き者とされた王国の姫を沈む船から救い臣下の元へ送り届けた話。
衛兵に囲まれた魔族と耳長族の夫婦を助けた話。
さらにその衛兵数十人を相手にアジュール台地で大立ち回りした話。
無茶した冒険者パーティを大魔術を使って守った話。
このベルガー大陸に来てからの俺の旅を身振り手振りを交えて彼女は嬉しげに語った。
「どこで、それを…。」
言いふらしたつもりはない。それに幾分か脚色されている。
まだ彼女にも、イーレのこと以外は知らせていない。
話す機会が無かったこともあるが、それ以上にどれも胸を張って言えるような内容では無かったからだ。
毎度ギリギリで、泥だらけで、偶々助かったような物ばかりなのだ。
「ネムレスの村よ。そこで噂好きの紳士に会ったの。あんたの事聞き込んでたら大当たりだったわ。」
ミスター・Z…!!
今度お会いした時はアリアー産の最高級の紅茶を差し入れしよう…!
「アレキサンドルス様にも堂々と報告できるじゃない。胸張んなさいよ。」
…そうだろうか。
だが彼女の言う通り、アレクであれば大笑いしながら「流石は俺の孫だ!」と言ってくれそうな気がする。
「…そうですね。シエナの言う通りです。」
「それに結構変わったじゃない。背は伸びたし、"俺"なんて言うし。あと髪も伸ばしてるし。」
彼女は俺の束ねた髪をクニクニと手で弄る。
いじらしい笑顔がそこにあり、こちらも徐々に胸のつっかえが解れてくる。
「…戻した方が良いですかね?」
「…良いわよそのままで。男らしくなったし、あんたの髪の色嫌いじゃないし…。」
急に恥ずかしくなったのか、彼女は手を引っ込めた。
そう言う顔をしないでほしい。
嬉しくなると同時に、また勘違いしてしまうと釘を刺さねばならない。
「…元気でた?」
「えぇ。おかげさまで。」
「そ、良かった。」
彼女は先に立ち上がり、ポンポンと自身に付いた砂をはらった。
月明かりに照らされた赤い髪がサラサラと音を立てて光を返す。
「帰るわよユリウス。」
そうして彼女はサクサクと足音を立てながら歩き始める。
俺はその背中を見つめた。
ちょっとだけ、待ってみる。
それは細やかな意地悪だ。
「…はやく!」
「今行きます!」
呼んでくれた。
ただそれだけのことが嬉しかった。
本当は怖かった。
彼女を、傷つけてしまったことが。
そしてそれが原因で彼女に嫌われてしまうことが。
自分を盾にすることなど厭わない。
傷ついても大切な物を守れるならばそれでいい。
だが、自分のために大切な誰かが傷ついてしまうのは我慢ならない。
俺はそういう、臆病な男なのだ。
立ち上がって駆け出す。
1歩シエナの後ろを歩く。
彼女はすこし足並みを遅らせて隣に来てくれる。
「…何よニヤニヤと。」
「いいえ?」
自然と笑みが零れる。
旅と言えば、良い事も悪いこともある。
嬉しいことも悲しいことも。
落ち込むことも、ご飯が美味しくないことも、自己嫌悪に陥ることも。
様々だ。
雨に打たれることもあれば、虹を見つけることもある。
では、今日を振り返ればどうだっただろうか。
こんな俺と歩幅を合わせてくれる。
隣を歩いてくれる人がいる。
満足げなシエナの横顔を見て居られる。
それが嬉しい。
今日はそんな感じの、どちらかと言えば良い事のあった日であった。
旅は続く。
砂漠の耳長族の里ミラージゥはまだ先だ。




