閑話 「想い人」
ユリウスが遺跡に足を踏み入れた同日のお話
《レイムゥ視点》
月夜の首都ベルティス。
降り続いた雪に覆われたこの街はいま騒乱のど真ん中にある。
その中心地、ベルスティナ王城。
王族の居住スペースにある渡り廊下で会話が交わされている。
「…片付いた?」
「みてぇだな。まったく。性懲りもない…。」
弓を下げながら私は口を開いた。
首都ベルティスにあるベルティアナ城。
王族の住まうこの城に私とアーネストは居た。
揃いの王族親衛隊の鎧を着込み、今宵も悪を叩くのだ。
…まぁ今そこに転がってる奴らは所詮雇われでしょうけども。
「しかし、鎧ってのは窮屈でいけねぇ。身軽なコートが恋しいぜ…。」
「防具に気を遣うのは当然でしょ?この鎧だって軽い方なんだから。」
「…王族に雇われたのが運の尽きかねぇ…。」
「牢獄にぶち込まれた時でしょ。首が繋がってるんだから文句言わない。」
私とこいつはエラと名乗る女に雇われた。
反逆罪の末に斬首されるところを彼女に助けられたのだ。
以降、昼は諜報活動、夜は身辺警護と忙しい日々を送っている。
…アーネストに至っては昼の首都では目立ちすぎるので役に立たないけども。
往来断絶中のこの首都ベルティスに、なぜか暗殺者が入り込むのだ。
抜け道が用意されている。
それも、誰かが人為的にこの暗殺者たちを招いている。
断続的に襲い来るそれらは、すでに第4王子を手にかけていた。
なので私たちの雇い主の正体はすぐに分かった。
警護の対象もその第7王妃の寝室周辺だ。
彼女は生死不明のまま葬儀が執り行われようとしていたところに突然舞い戻った。
彼女を信仰する者たちは葬儀の取り締まりである大臣を吊るしあげ、処刑台に送った。
本来ならばそれで終わるはずの騒動は、ついに王族暗殺へと進展し始めた。
現ベルガー国王が病に伏せっている今、当然といえば当然だが。
王位継承の争いは完全に泥沼化している。
「おう、生きてるな。雇い主の名前を吐いたら楽にしてやるぜ。」
アーネストは襲ってきた暗殺集団の生き残りを尋問し始めた。
かろうじて息のある者の襟首をつかんで持ち上げる。
黒色の粗末なフード付きの軽鎧。
一応、揃いの格好であるということは、やはり何らかの組織が王族暗殺を企てている。
私も私でそこで息絶えている暗殺者たちの素性を調べた。
人族、耳長族、魔族、魔族…。
「…子供ばかりじゃない…。」
ユリウスと同じか少し大きいくらいの子供たち。
何度か襲ってきているそれらはいつもそうだった。
趣味の悪いことだ。
身寄りのない子供たちに殺しを覚えさせて使い捨てにしている。
紛れもなく屑がやる方法に反吐が出る。
「…た…。」
「た?」
珍しく生き残りが口を割りそうだ。
周りを警戒しつつ、アーネストの方に意識をやる。
「…た、す…て…。妹…が…。」
「…チッ…そう言う手合いかよ。」
アーネストは生き残りを締め上げる手から力を抜いた。
「…アーネスト!!」
ヒュンと風を切る音が聞こえた。
アーネストが身を屈めたが遅かった。
矢は彼にこそ当たらなかったが、生き残りの眉間を正確に射抜いた。
外に暗殺者の仲間…いや、始末屋が居る。
「クソ!せっかくの手掛かりがよぉ!」
「体を起こさないで!!耳長の弓だわ!!」
既に息絶えた彼の眉間に刺さった矢を見る。
独特の捻りが加わった矢の羽飾りは耳長族特有の遠矢だ。
「弦の音は聞こえた!?」
「さっぱりだ!匂いもしねぇ…。」
…この王城の中を射抜ける場所は限られてる。
しかもすでに一射浴びせられたというのに気配を感じなかった。
「…腕は確かみたいね。」
壁に身を隠しながら肩当を外してそっと柵からのぞかせてみる。
カツンと音を立てて肩当は手から弾かれた。
…やはり腕は良い。けども慣れてはいない。おそらく相手はこいつらと同じ…。
息絶えてしまった幼い暗殺者たちを見やる。
彼らの事を考えればいくらでも悲しい生い立ちは想像できた。
「どうするよレイムゥ。」
「決まってるでしょ。とっ捕まえて情報を吐かせるのよ。」
「だな。で、作戦は?」
「…目の前に屋根の上を飛び回れる屈強な戦士がいるでしょ。」
「あぁ、俺だな。」
「そしてここに腕の立つ弓兵が1人。」
「お前だな。」
「じゃあ後は簡単よね?」
「…俺が囮ってことじゃねぇか…。」
「ごちゃごちゃ言わない!」
「へぇへぇ。俺に当ててくれるなよ!!」
彼は一息に渡り廊下から飛び出した。
途端に一射、矢が飛んできたが狙いを外した。
急な動きに対応できていない。
やはり実戦慣れはしていないようだ。
(…3回の射撃から位置を割り出せば…。)
身を屈めながら走る。
すぐそばの窓まで来ると、屋根の上を疾走するアーネストが見えた。
月明かりに鎧を煌めかせながら、積もった雪をもろともせずに彼は駆ける。
その彼をさらに矢が襲った。
隻眼の彼はそれを見切って急転換し、一度屋根から降りた後に再び別のルートから走る。
(さすがね。射手の位置にもう勘づいてる。)
一直線に向かう彼の先には教会の鐘塔がある。
そしてそこから移動する人影を私の眼は捉えた。
「…見えた!」
すぐさま走り出した。
彼ほどの脚力は無いにしても、奴を追い詰めるには私も姿をさらした方が良い。
2方向から迫る脅威に同時に対応できるだけの経験は無いと踏んでいた。
屋根に飛び降り、矢を射る。
当たらなくともよい。
注意を引きさえすれば。
始末屋の背中を私の放った矢が掠めた。
足を止めたそいつには遠目からも焦りが見て取れた。
他の暗殺者とそう変わらない背丈。
同じような黒いローブで素顔こそ見えないが、やはり子供か。
─ウォオオオオオォォォ!!!
アーネストの遠吠えが響く。
彼は本当に追い込むのが上手い。
あえて回り込むように走り、遠吠えで自分の位置を知らせることで相手に圧力をかけている。
認めるのは悔しいが、相方としては申し分ない。
走るうちに次第に彼我との距離は詰まった。
すでにはっきりと始末屋の姿を視認できる。
(月夜の襲撃が裏目に出たようね。)
始末屋は矢を番えたが、私とアーネストのどちらに矢を射るか一瞬迷った。
その隙を見逃すはずもない。
即座に一射、私は奴に矢を放った。
その矢は寸での所で身をひねって避けられた。
しかしフードを射抜いた。
顔があらわになるのを恐れてか、始末屋は手で顔を隠そうとする。
アーネストが奴の背後に追いついた。
大きく広げた手のひらによる一撃。
獣の爪を思わせる抉る打撃が始末屋を襲う。
「─ッ!!」
「うそでしょ!?」
しかし始末屋はあろうことか屋根から体勢を崩したまま飛び降りた。
地面は遥か下。
雪があるとはいえ石畳の街道に叩きつけられたら即死だ。
だが決して考え無しの事でも、足を滑らせたわけでもないようだ。
建物から突き出たベルガー国の紋章が入った垂れ幕にナイフを突き立てながら減速させている。
最後に下にあった荷車にドシャアと派手な音を立てて始末屋は落ちた。
仰向けのままピクリとも動かない。
「…死んだかな。」
始末屋から眼を離さずにアーネストは言う。
「…確かめに行くわ。あなたはもしもの事があるから王室に戻って。」
「あいよ。」
アーネストを背中で見送った。
この高さから落ちたのならば確かに死んでいるかもしれない。
だが、生きているならば貴重な糸口だ。
文字通り、裏で糸を引いてエラの事を殺そうとしている奴に繋がっているはず。
私は一瞬も眼を離さないようにしながら、下へと降りた。
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建物の陰に隠れながら始末屋の落ちた荷車へと向かう。
首都全域には夜間外出禁止令が出ているから、もし私以外の人物が居れば全て敵だ。
相変わらず始末屋はピクリとも動かない。
仰向けのまま、だらんと四肢を放っている。
細身のナイフと口にくわえて距離をつめる。
もし、至近距離で奇襲されたときの対抗策だ。
咄嗟の時は鞘から抜くよりもこちらの方が早い。
他に始末屋の仲間が居ないとも限らない。
ジリジリと円を描くように始末屋へと歩み寄った。
手から転がった弓を蹴飛ばし、ようやく始末屋の顔を拝む。
柔らかなウェーブのかかった金髪の少女。
おそらく、長耳族と人族の間の子だろう。
まだ年端の行かないあどけなさの残る横顔。
なにより先がとがった耳がそれを語る。
長いわけでもなく、ただ尖っただけの耳は半端者の証だった。
(息は、してるわね)
半分空いた口からはわずかに白い息が細く吐き出されている。
仲間が居る可能性がある以上、このままここで尋問するわけにもいかない。
一先ずは建物の陰に移動を…。
「…うっ…。」
始末屋が呻き声を上げた。
すぐ様に弓を番えて荷車に駆け上がる。
ローブの端を踏みつけて身動きを封じる。
「…ユー…リィ…。」
誰かの名前を呟いた後に、始末屋は目を開けた。
しばらく焦点の合わない目でこちらを見た後に、ハッと我に返る。
「動かないで。」
ナイフを咥えたまま強めの口調で牽制する。
状況を悟ったのか、彼女は苦虫を噛み締めた顔でこちらを睨む。
「言わなくてもわかるわよね。おとなしくしてなさい。どのみちその体じゃ動けないでしょ。」
だが、彼女は腕をわずかに動かした。
ズカンと首元を掠めて荷車に打ち込む。
彼女から小さな悲鳴が漏れた。
「次は無いわ。」
即座にもう1本矢を番える。
見る見るうちに彼女の眼には涙が溜まっていった。
(…泣き落としか。)
その手には乗るか。
と無意識で一瞬身構えてしまった。
ヒュっと何かが放られるおとがした。
私は反射的にそれを弓で叩き落とした。
それはカシャアと音を立てて割れ、中から液体を飛び散らせた。
「!?」
緑色の粘性のある液体が鎧にまとわりつく。
そして煙を上げながら、鎧が、そして弓が溶けてゆく。
「追剥粘精霊!?」
鎧や服、装備のみを溶かして食べる風変わりな魔物だ。
本来砂漠の遺跡地帯に極稀に姿を現すそれが自然発生するはずは無い。
それに気を取られているうちに腹に衝撃が走った。
始末屋に蹴りを入れられて魔物にまみれ、雪にまみれながら地面を転がる。
「ぐ!!」
体を起こしたときには遅かった。
幾人かの黒ローブが先ほどの始末屋を抱えて走り去っていく。
苦し紛れにナイフを投擲したが、それは綺麗に軌跡を描いて手応えの無いまま闇へ消えた。
「くそ…ッ」
毒づきながら地面に拳を叩きつける。
いまだウニウニと鎧の上でうごめく魔物が忌々しい。
追撃しようにも、弓をやられた。
…ここまでか。
月夜の追撃戦は私の敗北で幕を閉じた。
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深夜の王族の寝室。
追撃戦を終えた私はエラに事の報告に出向いた。
「うっひゃっひゃっひゃっひゃっひゃっ!!!」
しかし響くのはアーネストの馬鹿笑いだけである。
「そ、そんで?鎧も自慢の弓も魔物に全部食われて裸で帰ってきたってか!!んぶふぅっ!ふえっへっひゃっひゃっひゃっひゃっひゃっ!!!!」
一瞬だけ笑いをこらえようとしたが、その後はお構いなしに大笑いだ。
こいつ…いつか絶対射殺してやる…。
「仕方ないでしょ。氷の魔術なんて使える魔術師の方が少ないわよ。」
「こ、氷の女王様みたいな眼つきのくせしてっ!ひーッ!駄目だ!腹痛い!!」
追剥粘精霊を始めとした粘精霊系の魔物は魔法に弱い。
特に水魔術の上位系に当たる氷の魔術が有効とされている。
体を凍らしてそのまま砕くのだ。
しかし私はそれが使えない。
よって、成すすべなく鎧と上着を食われてしまった。
この雪景色の街並みを上半身裸で駆けずり回ることとなったのである。
今は暖炉で火にあたり、暖かい毛布に包まれている。
最初に部屋に入った時はカチカチと奥歯が鳴ったものだ。
「アーネスト。」
エラの言葉でアーネストはやっと静かになった。
「…取り逃したのは残念ですが、まずは無事で何よりですわ。」
エラは水色の柔らかげなパジャマに身を包んでいるが相変わらず麻袋を被っている。
寝る時も身に着けているのだから、相当だ。
気でも狂っているのではないかと心配してしまう。
ソファーにゆったりと腰かけている彼女はそれで?と事の続きを催促した。
「…始末屋と思わしき女が持っていた弓よ。」
私は回収したその弓を彼女に手渡した。
その恰好で本当に見えているのか不安だがまじまじと、しげしげと弓を観察している。
「その弓は主にテルス大陸で使われる狩猟用の弓。本来人を射るのに使われるような質の良いものじゃないわ。」
「…それを何故暗殺者が?」
「さぁ?そこまではさっぱり。」
私は肩をすくめて言った。
わかるのはそんな粗末な弓を使っても正確に射抜けるほど腕のいい弓兵だということくらい。
「…ちょっと良いか?」
アーネストは弓をつまみ上げるとスンスンと匂いを嗅ぎ始めた。
「少なくとも、この弓の持主は地下を通って来てやがるな。カビと、水。それと土の匂いが染みついてる。」
以降もフガフガ匂いを探りながら彼は続ける。
「かなり長い期間潜ってるな。あとこの臭いは…、魔族の匂いだな。獣臭さとおっさん臭さが混じってやがる。」
「実行犯は子供ばかりだった。」
「では、主犯格は魔族であると?」
「さぁな、だがガキどもを集めて命令してるのはそうだろうぜ。街に出ることが出来りゃ追跡が出来るかもしれねぇが、こんなデカい街だと難しいだろうな。」
俺にわかるのはそこまでだ。と彼は首を振った。
「…わずかに。ですが確かに進展がありますわね。やはりあなた方は優秀だわ。」
「取り逃したけどな。」
「うるさい。」
それは事実だ。
言い返せないのではない。言い返さない。
「明日からは私兵たちに地下の入口を探らせます。水路や地下牢の隙間も徹底的に調べつくしてやりますわ。」
「…えらく張り切ってるわね。」
「やれることをひとつずつ潰して確実に取りに行く。盤上でも、国盗りでもそれは同じこと。…それに、今こうしている間にも私の血筋の者が害されているのは事実。王位継承の争い相手とはいえ、それに腹が立たぬほど私は薄情じゃなくってよ?子供まで使うような外道。すぐに処刑台に送って差し上げます。」
張り切っている。という言葉は訂正する。
彼女は怒っているのだ。
しずかに、そしてゆっくりと。
言葉の裏に冷たい炎が揺らめいている。
まるで鏡でも見ているかのようだ。
「ひとまず今日はご苦労様でした。アーネスト。あなたは引き続き寝室警護。レイムゥは暖かくしてお休みしてくださいまし。人肌が恋しければ一晩相手になってさしあげましてよ?」
「お休みは貰うけど、お相手は結構だわ。女同士はそんなに好きじゃないのよ。」
彼女の冗談を躱しながら私はもう1つのソファーに体を投げた。
やはり王室の調度品は質が違う。
このソファーだけ見ても宿屋のベットが藁玉同然に思えてしまう。
「新しい鎧は明日手配しますわ。しばらくは自前の装備で我慢してくださいまし。」
「助かるわ。」
そう短く返すとエラは自身のベットへと帰っていった。
アーネストは正面の扉から部屋の外に出ていく。
…あの耳長の少女。
たしかに、ユーリィと口にした。
「…まさかね。」
あまり深く考えないようにして私は眼を瞑った。
いざというときに狙いが鈍ってしまってもいけない。
今の私はエラの猟犬なのだ。
降りかかる厄災であるならば、どんな奴でも食い殺す。
しかし、あの泣き顔がついぞ頭から離れないままだった。
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《ケイト視点》
冒険者パーティ。アッパーブレイクの解散からしばらく経った。
私とレインは順調に旅をし、アジュール台地のスラムへと着いていた。
冒険者や旅人が勝手に居ついて出来上がったこの集落は昼間に降った雪に覆われて人影が少ない。
レインは先に休んでしまったので、彼女たちの手助けは私がしている。
「はい、頼まれてた薬草と、あと食料。それから衣類なんか一式。」
「すまない。」
質素なテントを捲るとそこに居るのは水色のローブを着た軽装鎧の槍遣い。
輝照石の灯りに照らされた彼女はロレスと名乗った。
決してフードを取らない彼女は寡黙であったが、それでも言葉の節々にぶきっちょなやさしさがある人だった。
「…うぅ…。」
そしてもう1人。
綺麗な赤髪の女の子。
ロレスと同じように軽装鎧を体に縛り付けるように身に着けた彼女は熱にうなされていた。
傷だらけの体に、ボロボロの装備。
傍らには赤い鞘に収まった剣と、何やら割れてしまった仮面のようなものがある。
角の生えた魔物を模した仮面のようだが、角も片方折れて下半分ほどが無くなっている。
「…再起の魔術は?」
「すでにかけた。」
ロレスは受け取った薬草を包帯にもみ込みながら話す。
「体内の魔力が枯渇しかけている。後はこいつの運次第だ。」
淡々と、傷の手当てをする彼女。
運次第だ。と口では言っておきながらロレスは必死で少女を介抱していた。
話によれば、彼女たちがここに逃げてきたのはつい先日。
首都ソーディアで騒ぎを起こし、《竜殺し》のセドリックと戦ったのだという。
その戦いぶりはすさまじく、駐留していた衛兵の師団を壊滅に追い込んだほど。
それ故に首都では厳戒態勢が敷かれているとのことだった。
かくいう私とレインもここに滞在している理由はそれだ。
目的地である首都ソーディアを目前にして足止めを食らっている。
では何故、その原因たる彼女たちを匿っているかというと。
「…ユ…リ…ウス…。」
熱にうなされながら赤髪の彼女がその人の名を口にした。
ユリウス。
私たちの命の恩人。
あの勇敢な魔道士の知り合いであるならば、私は放っておくことが出来なかった。
何故そんなに傷だらけになるまで戦うことになったのかは知る由もないが、それでも何か手助けをと思えば自然と体が動いた。
私は少女の傍らに膝をつき、その傷だらけのからだに手を添える。
「─我らの母にして、大いなる大地の女神よ。」
祈りと、そして詠唱の言葉。
暗いテントの中で癒しの光が小さく灯る。
「我らが傷つき倒れし時、汝のその深き慈悲を此処に。再起。」
淡い魔力の光が少女の体を包み、傷をわずかに癒す。
「…あまり意味は無いぞ。」
「そうかもしれません。ですが…。」
私はロレスに視線をやる。
「彼なら同じことをしたかな。と。」
「…ユリウスに、会ったのか。」
彼女はわずかに身じろぎをして口にした。
「はい。少し前まで同じパーティに居ました。最近この辺を騒がせている謎の魔物の討伐依頼で彼に命を救われました。」
「…そうか。」
短くそういうロレスの肩が少しだけ下がったのが見て取れた。
「彼はすごい魔術…いえ、魔道士です。詠唱も無しに魔術を使えるばかりか、見たことない魔術を何個も使いこなしていました。今の私の憧れでもあります。」
そう伝えると彼女はまた「そうか。」と口にした。
その口調は少しだけ嬉しそうに聞こえた。
「…あいつは今どこに?」
ロレスの問いに私は一瞬言葉が詰まった。
「それは…。わかりません。最後に見たのはネムレスの町で、彼の部屋に衛兵がなだれ込んでいく所でした。私たちは、何もできなくて…。」
「…そうか…。」
視線を落とすロレスの手元を見た。
彼女の傍らには地図と動物の骨、小さい魔石など細々したガラクタが散乱している。
あれは確か、人探しの魔術だ。
祖母から聞いたことがある。
とても古い魔術で、詠唱ではなく道具と術式で縁を辿って人を探す占いじみた魔術。
近くに居ればまだしも、町の外ほどの距離が空けば途端に精度がガク落ちする。
まさか、杖を転がしてその先に向かうような探し方で彼を探しているのだろうか…。
「…あの、ユリウスを見つけたらどうするんですか?」
私は恐る恐る尋ねた。
もし、私の勘違いでないのならこの赤髪の少女は噂の《赤角》と呼ばれる人物だ。
ならば、その相方であるロレスは《魔葬》ということになる。
かつて名のある貴族が治めていた大きな街を一晩で滅ぼした大罪人。
もう100年以上前の事件でありながらも、その二つ名は今も恐れられている。
街1つ分の住人を全て魔術で葬ったという伝説。それ故についた名前が《魔葬》
ロレスの見た目は明らかに人族だが、魔族で無いという確証もない。
とてもそんな風には見えないが、もしそんな恐ろしい人物であるならばと考えてしまう。
ユリウスの心配どころか自分の命の心配をしなければならない。
「…故郷へ連れて帰る。」
私の不安を他所に、彼女はポツリと口にした。
「こいつとの約束だ。こいつが私の弟子である限り、私はその約束を違えない。」
「…お弟子さんなんですか?」
「聞き分けの悪い、な。」
彼女はどこか懐かし気にフッと笑った。
「…私は少し休む。お前も恋人の所へ戻れ。」
「わかりました。何かあれば呼んでください。」
「あぁ。」
彼女は座った状態のまま槍を抱えると眼を閉じ、まるで石像のようにピタリと動かなくなった。
気が付けば赤髪の少女も穏やかな寝息を立てている。
どうやら峠は越えたらしい。
私は安堵しながら、呑気に眠るレインが居るテントへと戻っていった。
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《ロレス視点》
浅いまどろみの中。
シエナの寝息を聞きながらあの日を思い出していた。
彼女の修行を取りやめ、人探しの魔術を頼りベルガー大陸へと旅立ったあの日の事。
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それは雨の日だった。
雨が数日間降り続いていたアリアー。
「待ちなさい…ッ!!」
首都ロッズから程離れた国港アルベールへ続く道。
ユリウスを探しに何も言わず出立した私に、シエナは追いついてきた。
どういうわけだか、ユリウスの部屋に飾ってあった仮面を身に着けている。
おろしたての野犬のローブは既にぐっしょりと雨でぬれていた。
ドレスと言っても差し支えの無いヒラヒラの服はいたるところが破れている。
左腕からは血を垂らし、折れているのか力なくだらりと垂れ下がっている。
右手に握られた魔法剣にはべっとりと返り血で赤く染まっていた。
すでに魔力枯渇の兆候が見えるシエナ。
赤い髪の一部が白色に変色し、顔色も青白い。
魔物と戦いながら私を追ってきたのは一目瞭然だ。
「…何だ。」
足を止めて、私は振り返る。
彼女は仮面を取りはらって私を睨みつける。
「どこに、行くつもり…ッ!?」
息も絶え絶えにシエナは私に問いかけてくる。
「ユリウスを探しに行く。」
「私も連れて行きなさい!!」
「駄目だ。」
幾度となく繰り返したやり取りだ。
「何度も言わせるな。お前には貴族の令嬢としての役割が─。」
「関係ないわ!!!」
ズダンと地団駄を彼女は踏みながら吠えた。
「私は手札を切った!もうほかの手札は無い!あんたに頼るしかないのよ!!」
「それが浅はかだというのだ。旅先で野垂れ死ぬのが目に見えてる。」
私はそう言い放った。
確かにシエナは成長した。
剣術だけであれば、ベルガーの魔物相手でも通用かもしれない。
しかし旅はそうはいかない。
常にギリギリの状態で移動をつづけ、生きてるのかどうかもわからない人物を探す。
それは多少腕が立つだけの小娘には荷が重い。
現にここまで来るだけでその手傷だ。
足手まといにしかならない。
しかし彼女は剣をこちらに向けた。
魔法剣"夕刻の星"。
彼女がユリウスから渡された守りの剣。
それが今、私に向けられている。
「…何の真似だ。」
「決まってるわ。力づくで従わせるのよ。」
震える声で彼女は答えた。
「今までそうだった。アイツが来てからちょっと調子が狂っただけよ。殴って、怒鳴って、命令する。シエナ・ゼルジア・ドラゴンロッドはいつだってそうだったんだから…。」
…なんと哀れな眼だ。
力なく、腹をすかせた野犬が、龍に向ける破れかぶれの牙と同じだ。
「…来い。」
私は槍を抜き放った。
「ガアアアアアアアアアアア!!!!」
シエナは吠えた。
雨粒を切り裂きながら、私に斬りかかってくる。
魔力の切れかけた体の重さは想像に易い。
しかし彼女はひたすらに剣を振った。
ガムシャラに、力いっぱいに。
受けることは容易い。
流すことも容易い。
避けることも、返すことも何一つ苦労など無い。
しばらくの攻防の後、シエナは膝を着いた。
息が荒れ、ほとんど意識が無いような彼女はそのまま仰向けに倒れた。
もうほんの少しの闘志も感じぬ虚ろな瞳で厚い雲の空を見上げている。
「…骨くらいは見つけて帰る。おとなしく待っていろ。」
槍を収めて再び私は足を進める。
しかし片足がやたらと重い。
「…。」
シエナが足にしがみついていた。
「離せ。」
「…嫌…。」
スイと足を進めればシエナの手は簡単に振りほどけた。
だが彼女はそのたびにもう片方の足にしがみ付いてくる。
「…おい。」
「アイツは。ユリウスは生きてるわ…。」
ズリズリと体を引きずるようにしてシエナは私の行く手を拒み続けた。
「だから、連れて行って。お願い…。お願いします…。」
「…。」
「そうよ。ユリウスは生きてる。迎えに行ってあげなきゃ。私が、あいつを助けてあげなくちゃ…。」
うわ言のようにシエナは繰り返した。
私はため息を吐いてシエナと目線を合わせた。
肩を掴み、顔を覗き込む。
「…何故そこまでお前がする必要がある。」
「…そんなの、決まってるじゃない。」
虚ろだった彼女の眼に再び紅い煌めきが宿る。
「あいつが好きだからよ!!!!」
シエナの右腕が私の胸倉を掴む。
顔を寄せながら彼女は叫んだ。
「それ以外何もわかんないわ!!!あいつが居ないってだけで胸が苦しくてどうしようもないのよ!!」
そしてボロボロと涙を流す。
「こんな苦しさ抱えて生きていけない…ッ!力不足だろうが関係ない!あんた私の師匠でしょ!?ズベコベ言わずにつれていきなさいよ!!!」
鼓膜が破れるかと思うような大音響だった。
この体のどこにそんな力が残っていたのか。
「…お前が報われることは無い。わかっているのか。」
「…そんなの…覚悟、出来てるん…だから…っ。」
微笑みながら、彼女は言う。
その言葉を最後にシエナは気を失った。
「…。」
力なく私に寄りかかる彼女を見つめた。
私は何を考えている。
このまま置いて行けば良い。
どうせ足手まといだ。
放っておいても衛兵が見つけて無事屋敷に帰れる。
「…。」
ユリウスの顔が脳裏に浮かぶ。
「…諦めが悪いのは、私も同じか。」
ローブを脱ぎ、シエナに被せた。
そしてその体を背負い、私は足を進めた。
---
どれくらいかして、うっすらと目を開ける。
テントの外は既に明るくなり始めていた。
…もう誰かと深く関わるまいと思っていた。
その時が来るまで人知れず空を眺めておくべきだった。
…ユリウスに見つかったのが運の尽きか…。
あの紫の瞳に。
同じ色の瞳を持つ者に出会ってしまったのが、私の災難だ。
寝息を立てるシエナの頬を撫でる。
こいつもよくやる。
あの1人ではどうしようもない小娘が、すでに1人前の旅人だ。
手段、方法に問題こそあれ、確実にユリウスに近づいている。
「…生きて会える。必ずな。」
私は確信していた。
良く身に染みていることだ。
…エバーラウンズに名を連ねる者は、皆しぶといのだ。




