第四十二話 「勇者邂逅」
この世界の歴史において。
世界の存亡にかかわるような大異変が2度あった。
闘龍期における神々の怨敵。紅き邪龍ジア・ラフトの出現。
魔栄期における人類と魔族と魔物の戦争。
どちらも世界の形やあり方が大きく変わる事件であったが、それらはある存在によって収束した。
それこそが《勇者》もしくは《救世主》と呼ばれる神に導かれし人である。
伝説上の存在であるその呼び名は時折、名のある英雄たちに与えられる。
しかしそれはあくまでも比喩だ。
本物の勇者。すなわち神に選ばれた人物ではない。
ところが、今俺の目の前に居る者はその名を持っていた。
《銀の勇者》エルディン・リバーテール。
ギルドの発行する冒険者符形の欄にもしっかりと記載のある彼は、疑いようのない勇者。
…らしい。
らしい、と表現したのはその称号にあまり符合しない彼の容姿に起因する。
彼は俺とさほど変わらない姿の少年だ。
ギリギリ青年だろうか。
では青年と呼称するとしよう。
まだまだ若造感の否めない少し丸いイメージの顔。
優しい。とか。親切。とか。明るくて元気!
といった印象を受けてしまう。
とても世界を救うという壮大な運命を背負った少年には見えない。
まぁそれらも俺にとっては些細なことだ。
問題はただ一つ。
俺にはこちらの方が遥かに重要だ。
彼が日本語を喋ったということだ。
『あれ?通じてるよね?ボクの言葉わかる?』
キェアアア!またの日本語喋ったあああ!
青い瞳が首をかしげながら俺の顔を覗き込んでくる。
冷や汗をかきながら彼に握られた手をこっそりと引っ込めようとしていた。
正直なところ、軽くパニックを起こしている。
気分としてはあれだ。
ちょっと良い所のパーティに出席したとして。
地元の昔の知り合いとそこで偶々であってしまったとして。
その知り合いが過去の黒歴史を知る人物で。
「お前○○で××の△△だっともんな!」
と知った顔で暴露されるような。
…まぁ、前世ではパーティはおろか同窓会にも出席したことが無いのだがそこは置いておこう。
そういうものに似た危機感を感じていた。
『…言葉はわかります。はい。』
まるで迷子の子犬のような眼で見つめられるものだから思わず口を開いてしまった。
とたんに彼はパァッと明るい顔になる。
『良かったぁ通じてたぁ!。もしかしたら外国の人なのかなって思ったよ。ボク英語は苦手でテストでも何度も赤点とっちゃってぇ。って何言ってるんだろう。いやー会えて嬉しいよ!炭酸水つくっちゃう人なんて絶対元の世界の人だって思ったからもう居てもたってもいられなくてね?大陸中探しまわってたんだよ?もう、たっくさん話したいことがあってね!』
畳みかける様に彼は口にする。
その間にもグッ、グッとそれとなく手を引っ込めようと何度も力を入れる。
…がこのエルディン、中々に力が強い。
と。
『ん?ケガしてるの?』
彼はズバッと無遠慮に俺の裾を捲った。
右腕にはすっかり汚れてしまった巻きっぱなしの包帯があった。
『…ひどい。化膿もしてる。手当てした方が良いね。知り合いの家に腕のいい薬師が居るからちょっと来てくれる?』
『いや、これぐらいは自分で─』
『良いから良いから。』
そう言って彼は俺の腕を引いて酒場を出ていく。
「あぁ待って!イーレ!」
イーレに声をかけようと振り向いたがカウンターに彼女の席は無く。
替わりに酒場の扉を彼女が開けていた。
『───。』
『──、─────。』
相変わらずよくわからない言語で彼らは会話する。
俺はただただ引きずれるように酒場を後にした。
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腕を引かれたまま彼に招かれたここはディッテの村の村長の家。
木で作られた家であるが、この辺りでは珍しく高床式。
即ち靴を脱いで上がる家なのだ。
村長のディッテお婆ちゃんは御年260歳を超える魔族だ。
三眼の魔族だが、額の眼以外はもう見えないらしく皺と一体化していた。
敷物の上に座って眠ってしまったイーレを撫でる彼女には、右足が無かった。
膝より下ほどでスパッと切られたそれは侵略戦争時代の迫害の跡だ。
傍らには年季の入った短い杖が置かれ、お婆ちゃんのお世話はお孫さんのディムさんが見ている。
ディムさんもまた三眼の魔族で、次期村長を担う男性だ。御年97歳。
しかし見た目はデニスとほとんど変わらない。
魔族は寿命が長いと聞いたが、見た目がこうも若いと年齢を感じない。
人族の儚さよ。一夜の夢の如くだ。
『ひどい火傷だ、膿みかけてる。少し染みるぞ。』
『ダ、ダイジョーブ。ダイジョ、グオオオ…。』
ディムさんが腕の傷を治療してくれる。
彼がエルディンの言う腕のいい薬師のようだった。
そこの壺にあるのは薬湯というのだったか。
いくつもの薬草を付け込んだ魔法水をしみこませた布で表面を撫でる。
めちゃくちゃ沁みたが、痛みも腫れもスッと引いた。
ちなみにここでも基本は魔族語。
ディムさんは多少人族語を理解できるようだが、普通に会話するのは難しい。
…ちょっと居心地が悪い。
『いやぁ、お風呂ありがとうございます。』
『いいのよぉ。エルちゃん。また来てくれてお婆ちゃん嬉しいわぁ。』
そんななか彼、エルディンはまるで実家に遊びに来た孫のような振る舞いを見せる。
庭に併設された大釜に勝手に水を張り勝手に火を焚き勝手に風呂に入った。
ちなみに水を用意したのも火を焚いたのも俺だ。
良いように使ってくれるぜ、まったく…。
『エルちゃんのお友達も入っておいで。あったまるよ。』
『傷は濡らさないようにな。』
「あ、はい。」
促されて席を立つ横でエルディンはソーダを喉を鳴らしながら飲み干す。
麻のシャツに麻のズボン。
首にタオルをかけた彼は全く持って無防備だ。
鎧も剣もその辺に投げてある。
「底は熱いから気を付けてね。」
「あ、はい…。」
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「アヅヅヅ!!!!」
エルディンの忠告を忘れたわけでは無いが、しっかり釜の底の熱さで悲鳴を上げた。
湯けむりの上がるベルガーの冬の夜。
一応、人目避けの柵はあるのでここは露天風呂だ。
といってもキッチンの作りとさほど変わらない。
外に釜土があるか、家の中に釜土があるかの違いだ。
「…。」
息を吐いてから釜の縁に両腕を預けて夜空を見上げる。
冬の夜空は厚い雲の隙間から星をのぞかせた。
前髪から雫が垂れてピチョンと音を鳴らす。
やっと、一息つけた。
エレノアを仲間の元まで送り届けて。
衛兵に追われて。
アッパーブレイクの皆と頑張って。
ダレンに売られて…。
旅をすることになってもうすぐ1年。
まだ家までは遠い。
エレノアはちゃんとお姫様に戻れただろうか。
レイムゥは無事だろうか。
レオンとケイトは首都へ向かっている頃か。
「…。」
あのエルディンの事、どうしたものか。
仮に、彼が本当に俺と同じ異世界。
つまりは元の世界の住人であったとして、何故俺に接触してきたのだろうか。
この世界に異世界人は1人で十分だ!と俺を消しに来たのだろうか。
それとも、元の世界に戻るのを協力してくれ的な流れだろうか。
「…だったら、嫌だなぁ…。」
顔半分までお湯に沈めて、俺は目を閉じた。
勝手に戻ってくれるのは構わないが、一緒に帰ろうは嫌だな…。
なんだろう。
なんだろう。
なんだろう。
考えるほどに、エルディンという人物の存在はひどく異物の様な感じがした。
異物であるのは俺も同じかもしれないが、1人しか座れない椅子に2人で座るような。
そういう居場所を取り合うような居心地の悪さが生まれてしまった。
…いっそ、逃げてしまおうか…。
後ろ向きの逃げ腰の自分が、そろりと胸に入り込む。
あの時燃やし尽くした弱虫の自分はどうやら不死身らしい。
「…しゃーねぇなぁ…。」
そんな弱虫も抱えこんで俺を呟く。
仕方ない。こんな自分も俺なのだ。
心にしゃーねーにゃーと鳴く猫を飼う。
ネィダ師匠が教えてくれた自分を奮い立たせる呪文。
ひとまず今はそれで立ち直ることにした。
本当の意味で一息を付けるのは、イングリットの村に戻ってベットに入った時だ。
芯まで体が温まるまで、俺は少しだけ長風呂をした。
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用意してもらっていた麻のシャツと麻のズボンを身に着けた。
さらにその上からローブを羽織って居間に戻る。
「お風呂頂きました。ありがとうございます。」
『んん?どうしたね?』
相変わらず言葉が通じないのは不便だ。
しかし騎士礼節で頭を下げれば、ディッテお婆ちゃんは「いいのいいの。」と言ってくれた。
所作で伝えるのは大事なことだ。うん。
既に居間には寝床が用意され、イーレはそこで小さくいびきを立てている。
猫+子供。
良く寝る者コンボだ。
どうか夜泣きはしないでほしい。
「お、こっちこっち。」
エルディンは玄関の近くで剣を手入れしていた。
土間に片足をおろし、もう片足は膝を立てた状態だ。
本当に田舎に帰ってきた孫スタイル…。
『あ、日本語の方がいい?どっちでもいいよ?』
『…じゃあ、それで。』
彼のすぐ隣に座り込む。
エルディンは特に気にした様子もなく、警戒した様子もない。
完全に自然体だ。
『…へへへ。』
しかし突然彼は頬を緩めた。
『なんだよ。』
『いや、こうやって日本語で話せるのがうれしくて、つい…。』
彼は剣を鞘に納めながら改めてこちらに向き直った。
『じゃあ、ユリウス。いろいろ聞きたいことがあるんだけど。まずは君の神様の名前を教えてほしい。』
『…え?』
俺の神様…?
なんだそれ。
俺は無宗教だ。
『ごめん。何の事かわからない。』
『え?』
彼は一瞬表情固めてそう言った。
『いや、こっちの世界に来るときに会ったでしょ?神託を刻まれて、異能も授かったはず。』
『…なにそれ?』
『えぇ!!??』
彼はパクパクと、口を動かした後に口元を抑えて何やら考え込んだ。
しかしこっちとしてはどれだけ思い返してもそんな記憶は無い。
わからん。
この青年は何が聞きたいんだ。
『…元の世界で死んですぐに、誰かに会わなかった?』
『いや?誰にも。』
『空から声が降って来なかった?』
『いや全然。』
『金色の文字列は!?異能の祝福は!?やたらと神々しい人影は!?』
『なんのことやらさっぱり。』
『…えぇぇぇ…。』
ヨロヨロと彼は地面に倒れ込んだ。
なんなのだ。
ん?今こそ言うべきなのか。
俺、何かやっちゃいましたかね?
『…なんかわからんけど、そっちから説明してくれた方が多分早いぞ。』
『そ、そうみたいだね…。予想外の展開だったからちょっと驚いたけど…。』
彼は体を起こすと気を取り直すように一度深呼吸をした。
『ボクの父は原初の神にして全能神オルディン。彼の神の息子の名と器を借り受けてこの世界に転生した。』
原初の神。全能神オルディン。
この世界に最初に降り立った神で人類と精霊の生みの親の名前だ。
信仰している者も多く、いざとなった時に頼りにされるのもこの神様だ。
『ちなみにリバーテールっていうのは生前の苗字のモジりね。』
などと言いながらエルディンは続ける。
『魂に父上…。オルディンからの神託を刻まれたボクはこの時代の勇者として生を受けた。近い未来に来る周期災害の回避がボクの使命なんだ。そのためにいくつか異能、つまりはスキルも授けてもらった。他にもこの世界の知識や、忘れられた遺産なんかもモロモロ教えてもらった。すべてはこの世界の存続のために…。』
彼は眼を瞑ってグッとこぶしを握り締めた。
彼の言う使命とやらがそこにあるかのように強く、そして確かに。
『…と、言う感じなんだけど。』
照れ笑いしながら彼は言う。
なんだ、練習でもしたのか。
まるでオフ会か何かの自己紹介じゃないか。
オフ会に参加したことなどないが。
『結構練習したんだ。ボク噛まずに喋れてた?』
『練習したのかよ…。』
『そりゃするよ。どうせならかっこよく伝えたいじゃん?』
じゃん。
じゃないじゃんよ。
へー!そうなんだ!
お父さんは神様なんだー!すごーい!
世界を救う使命?特殊なスキル?
全てはこの世界の存続のため?
俺にはそういうの一切無かったんですけど!!??
神様出てこいオラァ!!!
『じゃ、次はユリウスの番ね?』
はいどうぞ!と手で促される。
いや、語ることなど…。
と思ったが、エルディンの期待に輝くキラキラお目目を見るとそうも言っていられなくなった。
ため息をついて俺は口を開いた。
『えー…。名はユリウス。父はデニス。母はサーシャ。平民の出で、特に使命とかは…。あ、将来の夢は立派な魔道士になることです。得意なことは魔法を使うことと料理をすることです。よろしくっす。』
脚色や見栄など一切抜きにした自己紹介。
まるで新入社員歓迎会の時のようだ。
そしてその時は先輩社員が一言だけポツンと口にするのだ。
『え、それだけ?』
そうその言葉をな…。
『え、いやもっと他に、あるでしょ?だってさ。異世界転生だよ?漫画読んだことある?』
『残念ながら俺にはこれが全てですぅ。スキルだとか神様とかには縁がありませんー。俺だっていろいろ欲しかったよ。』
最後のは本音だ。
敵を圧倒するチートスキルやら、転生特典やら貰えるのなら欲しかったさ。
だが、デニスとサーシャに五体満足の健康体で産んでもらったのだ。
これ以上の贅沢は親不孝だとも思えてしまう。
俺はユリウス・エバーラウンズ。
いつだって両親を敬う男だ。そういう男になったのだ。
『…でも、そっか。魔法が使えるんだ。ユリウスはこの世界の人間なんだね。いいなぁ。』
彼はポツリと言った。
『…使えないのか?』
『使えないよ。だってこの器。体は神様のだもん。』
彼は口をとがらせながら足をペンと投げ出す。
裸足のままプラプラさせながら手を後ろについて体を反らせた。
『神様は今世界の理の外側に居るんだ。だから内側の人に与えられた魔術や魔法は使えない。最初はボクも練習したら出来るようになると思ったんだけどね。全然ダメだった。そもそも魔力が無いんだ。おかげで輝照石も使えないから旅では苦労したよ。』
そういう彼であったが、特に悲観している様子は無かった。
『…あ、でも他の事は一通りできるよ?剣術もお裁縫も得意だし。あとスリーポイントシュートも得意だ。バスケ部のエースだったんだから。』
シュッとボールを投げるそぶりのままに彼はパタンと背中から大の字に倒れた。
『…ユリウスは、なんで死んだの?』
彼は天井を見たままそう言う。
『…風邪を拗らせて、そのまま死んだ。そっちは?』
『ボールを追いかけてたらトラックに轢かれて死んじゃった。ベタだよねぇ。』
エルディンはまたえへへと笑う。
口調とは裏腹にどこか寂し気に聞こえる。
『全国大会直前でさ。遅くまで練習してたんだ。シュートを決めたら好きな子に告白しようと思ってた。でもそう思うほどシュートが入らなくなって。ゴールから外れたボールを拾いに行ったら居眠りのトラックが突っ込んできてそのまま…ね。』
『…無念だったな。』
その言葉が口をついた。
彼はどうやら、前世ではまだ学生だったのだろう。
『うん。すごく無念だ。今もそう思うよ。ユリウスは?元の世界にそういうの無いの?』
『…。』
『…そっか。強いなぁ。ユリウスは。ボクなんか全然だ。』
強いわけではない。
ただ、無かっただけだ。
家族の絆も、友人も、恋人も。
しかしそれはエルディンの同情を買うようで。
口にするのは気が引けた。
『ねぇユリウス。もし、君が良かったら、力を貸してくれないかな。』
体を胡坐をかきながらゴロンと体を起こす。
『ボクの使命にはたくさんの仲間が必要なんだ。今集めている最中なんだけど全然足りない。君にも手伝ってほしい。』
『勇者の仲間だろ?俺みたいな半端者じゃ務まらないって。』
『君が良いんだよユリウス・エバーラウンズ。君はすでに奇跡を起こしてる。ボクにとっては希望そのものなんだ。』
エルディンは前のめりになりながらそう語る。
言葉の真意はいまいちつかめない。
『ボクと一緒に旅をしてほしい。…どうかな?ユリウス。』
『…エルディンには悪いけど。俺は家に帰りたいだけなんだ。』
俺は背中を丸めた。
羽織っているローブの端を掴んで言葉を紡ぐ。
『俺さ。家族を待たせてるんだ。いろいろあって離れ離れになってしまったけどちゃんと帰るって約束したんだ。前世じゃ大切にできなかったし、こんなに温かいものだって知らなかった。』
シエナからもらったローブを指で小さく撫でた。
『修行でお世話になった人もいる。一緒に剣術を習った人もいる。俺はそういう人たちを大切にしてあげたい。世界をどうこうなんて考え。俺には無いんだ。』
そう。
そもそも、自分の身を自分で守るのが精いっぱいな俺だ。
世界の命運を握る勇者の仲間になど、荷が勝ちすぎている。
『だからごめん、勇者の仲間には─』
『じゃあボクが仲間になるのは良いよね?』
…今なんて?
『───!!』
突然女性の声が聞こえてそちらを振り返る。
イーレとは別の声。
先ほどまで転がっていた翡翠色の魔法剣がひとりでにカタカタと揺れていた。
何だ!?お化けか!?ポルターガイストか!?
「うるさいなぁ。いま大事なところなんだから邪魔しないでよシルビア!」
エルディンはそう言って首にかけていたタオルをその剣に放った。
『…あの剣。なんか喋ってなかったか?』
『え?あぁ。うん気にしないで?いつもの事だから。』
いつもの事なのか…。
勇者っていうのはよくわからん。
『話を戻すね。君の旅にボクもついていくことにするよ。順番が逆になるだけだからそんなに影響はない。今の街道の状態や衛兵の動きも大体はわかる。その上ボクは竜くらいならちょちょいとやっつけられるくらいには強い。悪い話じゃないと思うよ?』
『いや、そう言われても。アリアーの片田舎に帰るだけだぞ?』
『…イングリットの村だね。知ってるよ。そこにも行ってみたかったんだ。』
『…詳しいな?』
『ちょっと調べさせてもらったからね。君が正当防衛の末の指名手配犯になってしまっていることも知ってる。ボクの仲間には優秀な諜報係りが居るからね。』
彼は親指を自分に向けてニヒヒと笑った。
『ボクは君に安全で確実な旅を提供する。その代わりに君は将来僕が困ったときに少しだけ手を貸してほしい。Win-Winの関係で行こうよ。魔道士ユリウス。』
彼はこちらに握手を求めて右手を差し出した。
『…俺を騙そうとしてる?』
俺はエルディンの手をすぐには取らなかった。
誰とは言わないが少し前に仲間に売られたばかりなのだ。
『信じたくないならそれでもいいよ。ボクは君に情報だけ渡してテルス大陸に向かう。…ただ、君の助けになりたいのは紛れもなく本心だ。困ってる人は見捨てられない。それが同郷の人ならなおさらだ。』
そう言ってエルディンは握手に差し出した右手を握り人差し指を俺に向けた。
『信じるか信じないかは、君次第です。』
彼は片目を閉じながら、キュートなウィンクをかましながらどこかで聞いたセリフを口にした。
『…それ、決め台詞?』
『そう!1つや2つは持ってた方が格好いいからね!ユリウスも持ってるでしょ?』
『まぁ、否定はしないかな。』
思わず笑ってしまう。
どうにも、彼には悪意の気配を感じられなかった。
ただただ同じ故郷を持つ者だからだろうか。
いや、たぶんそれは彼だからだ。
銀の勇者だからでも、神に導かれた人だからでもない。
彼が、エルディン・リバーテールだからだ。
「…旅の護衛を頼みたい。勇者の名にふさわしい働きを期待してる。エルディン。」
「エルで良いよユリウス。君とは友人でいたいからね。」
こちらが右手を差し出せば、彼はガッチリとそれを返した。
彼の手は、その華奢な見た目からは想像がつかない程に皮が厚かった。
きっと幾度も剣を振り、戦ってきた証だ。
「会って二秒で仲良しだ。」
「それってちょっと違わないか?」
こうして俺は同郷の異世界人。
《銀の勇者》エルディン・リバーテールと手を組むことになった。
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寝床についた頃にエルディンは今後の話を口にし始めた。
イーレは何やらエルディンの剣。シルビアと話し込んでいるようだった。
やはり言葉はさっぱり聞き取れなかったが、エルディン曰く、ただの世間話なのだという。
「イーディルン様もボク達に…、というよりユリウスについて行く気でいるよ。好かれてるね君は。」
エルディンがそう言うと彼女はテチテチと駆け寄ってきて、「イーレ!」と声を上げた。
「あー、そうですね。間違えました。イーレ様でしたね。」
彼が謝るとイーレは満足げに頷いたあとにシルビアとの世間話に戻った。
…というか、イーディルンという名前なのか。
大層なお名前だ事で。
「…様付けなの?」
「彼女は獣人族の巫女だからね。本来ならお目にかかることも難しい高貴なお方だよ。」
「へー…。あんなチンチクリンなのに…。」
「人は見た目に依らない。君もそうでしょ。」
ふむ。
そう言われればそうか。
「さて、今後のアリアーへの道なんだけど。実はいまとんでもなく面倒なことが起きてる。」
「面倒なこと?」
枕を腕で抱えて横になっている俺と仰向けの彼。
毛布に包まっている2人は話を続ける。
「ベルガーとアリアーを繋ぐ国港。アルベールとベールアルに厳戒態勢が敷かれているんだ。」
「え!?なんで!?」
「理由は2つある。1つは"紺碧龍"の出現。これによって大陸間の安全な航路は無くなった。彼は名のある龍の中でも神出鬼没で特に狂暴だ。荒れ狂う嵐そのものである以上遠ざけようがない。過ぎ去るのを待つしかない。」
「…どのくらいかかる?」
「おそらくは半年以上。だけどそれを過ぎても国港は多分使えない。とくに今の君ではね。」
「…指名手配の件か。」
「そう。厳戒態勢の国港で指名手配犯だとわかれば速攻で牢獄送りだ。でも理由は別。今、大陸南部では2人組の冒険者が暴れてる。言葉が通じないだとか。見ただけで殺されるなんて言われてる。《魔葬》と呼ばれる大罪人がそれに含まれてるのも問題なんだけど…。」
彼は一度そこで言葉を切った。
言うか言わないかを悩んでいるようだった。
「…その冒険者たちは、ただ"ユリウス"とだけ口にするらしい。」
「…俺!?」
思わず体を起こした。
俺はそんな大物に狙われているのか…。
「特に《魔葬》の相方。仮面の冒険者は行く先々で騒ぎを起こしてる。返り血にまみれたその仮面から《赤角》と呼ぶ声も上がり始めた。それなりに探りを入れてるけど正体がつかめない。《魔葬》ですらあれだけ手強いのだから、多分会わない方が良いと思うんだ。」
「《魔葬》に会ったことあるのか。」
俺の問いにエルディンはとても苦し気な顔で静かに頷いた。
「…とても強い人だった。仲間も何人もやられてしまったよ。大都市をひとつ消滅させただけの事はある。」
「そんなに…。」
「まぁ、次は勝つけどね。でも今は戦ってる場合じゃない。だから大きく迂回してアリアーに行こうと思う。」
彼は枕元の荷物をゴソゴソとやった後に地図を引っ張り出した。
折り目がついて破れかけたそれは複数枚重なっており、その中から大陸全体の写ったそれをこちらに示した。
彼は道順を指でなぞりながら話を進める。
俺もその行く順を目で追った。
「今いるのがベルガーの北部。ここから南東に山脈をよけながら流れていくと大きな砂漠地帯がある。そしてその先にザビー皇国があって。その先の岬には国港ベルディースがある。そこから幾つか島を渡ればディティス列島帯の最南東の島に国港ディアーリ。すなわちアリアー大陸へ続く港がある。」
それは恐ろしいほど長い遠回り。
星をぐるりと回る大航路だった。
「…どのくらいかかる?」
「移動だけで1年と半分。補充や休息も考えれば2年は見てほしい。」
厳しいことを口にする…。
ここからアリアーに真っすぐ向かえば、南下に3か月、渡航に1か月。そこから陸路でもう1か月。
余裕を見たとしても約半年で故郷に着けるはずだった。
「でも確実にアリアーに着くルートだ。古い遺跡や岩窟族の残した坑道を使えば追っ手の眼を掻い潜れる。魔物はボクが倒すし、資金もギルドから提供を受けることが出来る。」
「《魔葬》達をうまく避けて紺碧龍を倒してアリアーに進むことは?」
俺の問いにエルディンは首を横に振った。
「今のボクでは無理だ。彼らを躱すだけならともかく。仮に龍を倒すのなら《剣豪》アレキサンドルス。もしくは《宵ノ剣》シスター・ユナスみたいな超人3人分の力添えが居る。それでもやっと5分5分。紺碧龍は神話にある邪龍ジア・ラフトの直系だ。並大抵の戦力じゃ歯が立たない。」
「…まぁ、あれはなぁ…。」
エレノアと一緒に見た紺碧龍を思い出す。
海の底から現れたアレを人間がどうこうできるビジョンが浮かばない。
…しかし、3人そろえば可能性があるのだというのだからやはり二つ名もちは異常だ。
「…わかった。迂回ルートを行こう。どう動けばいい?」
俺は腹をくくった。
ここまで来たらどんな手段を使ってでも家に帰る。
「まずは旅の支度を整えないといけない。ここから首都ベルティス方面に進むとミナの町がある。大きい町でテルス大陸からの民芸品なんかも流れてくる商業街だ。」
山脈の麓当たりの分かれ道を指差しながら彼は言う。
「そこからは2手に分かれる。君とイーレ様はひと足先に砂漠の入口にある赤き都シルバを目指してほしい。」
「…エルは?」
「ボクはミナの町からテルス大陸へ向かう。どうしても会っておかないといけない人が居てね。終わり次第合流するからそこで待っててほしんだ。」
しかしエルディンが説明するその道行はあまりにも差がある。
距離だけ見れば赤き都シルバには2か月ほど。
しかし彼の指さしたのはテルス大陸の中心部。
雪と氷に閉ざされた大陸だ。
とてもじゃないが1年やそこらで往来できるとは思えなかった。
「…無理じゃね?」
「それが間に合うんだなぁ。そう、ボクならね。」
彼は得意げに笑った。
「まぁ期待しててよ。春になるまでにはひょっこり君の前に現れて見せるとも。」
「本当かよ…。」
「勇者を信じなさい。信じなさい信じなさい。」
…それは信じたらダメな奴では?
「じゃあそう言う感じで。明日ご飯を食べたらすぐに出たいからもう寝ようか。」
彼はパタンと地図を閉じて再び毛布に包まる。
「…あ、電気消して?」
「自分で消せよ。」
「わかってるくせにぃ。」
なにやら楽しそうに彼は言う。
まるで次の日程を楽しむ修学旅行生のよう。
俺はため息をついて言葉を口にする。
「汝、帳を下ろせ。」
フッと輝照石から明かりが消えればエルディンから歓声が上がる。
「ほんとに魔法が使えるんだね!」
「おやすみエル。明日もっとすごい魔法みせてやるから。」
興奮気味の彼をおいて瞼を閉じた。
数日ぶりの屋根のある寝床。
俺の体はすでに睡眠準備万端だ。
すでに半分寝息な呼吸をついて枕に頭を落とす。
「…やっぱ恋バナしない?」
「寝ろ。」
俺は勇者の仲間になった。




