第四十話 「炎と代償」
静かな針葉樹の森を3人分の足音が進んでいく。
昨晩の内に降った雪は森の地面をうっすらと覆い、その上の樹々にはこんもりと積もっていた。
「…不気味じゃ。静かすぎる。」
「えぇ…。」
小鳥のさえずりも聞こえない。
森の動物たちはなりを潜め、静寂がその場を支配していた。
冬だから当然でしょ。
とも思うが、この世界ではそうはいかない。
魔物は冬眠しない。
もっと言えば食料が少ない冬は魔物が積極的に人を襲いに来る。
しかし、それすらない。
まるで一晩ですべての生き物が消えてしまったのではないかという位に静かだ。
鳴き声も、足跡1つ、獣たちの痕跡を発見するに至らない。
何より言葉では言い表せない重圧感が森の奥から漂ってくるのだ。
「…今回は当たりかもね。」
レイムゥはそう言って荷物から作ったばかりの麻痺毒を取り出した。
矢筒に収められていた矢をそれに浸していく。
「ユリウス。いつ何が起こるかわからないわ。心構えくらいは済ませておいて。」
「了解。」
「ダレン。信号筒の準備をしといて。不意打ちで出くわしたらゆっくり打ち上げてる暇もないわ。」
「とっくに準備しておるよ。こんなおっかない依頼なら受けなけりゃ良かったわぃ…。」
ダレンは身震いしながら答えた。
魔族や耳長族は人族に比べ、魔力を感じ取る感覚が鋭いらしい。
場合によっては魔力の流れを視認することも出来るのだという。
ネィダが俺の魔力特性を見抜いたのも納得だ。
サッと臨戦態勢を整えながら俺たちはさらに森を分けいった。
盾を構えたダレンを先頭に、左右に俺とレイムゥが展開する布陣。
耳を澄ませ、目を凝らし、足を進めていく。
つばを飲み込む音すらも鮮明に聞こえる森の中で、先頭のダレンが立ち止まった。
何事かと、思わず右手に魔力を通す。
「…野営の跡じゃ。」
その声に前を凝視する。
雪に埋もれてしまっているが、テントと毛布、そして薪の痕跡があった。
積もった雪の合間から見えるそれは決して古くない。
つい先日まで誰かが居たようなそういう使用感だ。
…果たして、こんな山間で野営道具を放棄するだろうか…。
レイムゥがしびれを切らせて大股でそちらに向かう。
止める間もなく彼女は毛布を手に取ってめくりあげた。
地面には、夥しい量の血がついていた。
「…誰かが、何かに襲われたようね。間抜けな奴も居たものだわ。」
「間抜けなのはそうじゃろうが、こいつらそれなりの手練れじゃぞ。」
こいつら、とダレンが揶揄した先を見る。
そこにはぐちゃぐちゃに変形した鎧の残骸があった。
持ち主の姿は無く、代わりにべっとりと血が付いたそれには青色のマントがまとわりついていた。
王冠と剣を象った金色の刺繍。キングソード家の衛兵のようだ。
「おそらく親衛隊クラスの上級騎士じゃろう。魔物狩りでここまで来たのか…。」
「いいえ、こいつらは人狩りでしょうね。魔物用の装備が無いし、ご丁寧に旗まであるわ。どこかの指名手配犯でも追ってきたんじゃないかしら?」
とレイムゥは俺に視線を送る。
…いや、こっち見ないでよお姉様。
俺は無罪ですって。
「なんにせよ。この辺の魔物で衛兵が後れを取るような奴はそうそう居ないわ。」
「じゃとしたら、やっぱり今回は─。」
─ぎゃあああああああああああああああ!!!!!
突如、ダレンの言葉を遮って静かな森に悲鳴が響き渡る。
断末魔ともとれる女性の叫び声には全員聞き覚えがあった。
「グリエラの声です!」
「信号筒は!?」
「まだ見えん!」
すぐ様に俺たちは声の方へ走った。
ダレンは体が重いこともあって遅い。
レイムゥが先を行くが、俺の脚では徐々に離される。
星雲の憧憬を起動しいつでも飛べる体制にしておきながら追いすがって、そのまま開けた場所に出た。
大きな崖が目前に広がり、危うく勢い余って落ちそうになるのをレイムゥの尻にぶつかって止まる形だった。
「何あれ…。」
彼女が呆然とそれを見ていた。
崖の下には一頭の魔物が、居た。
大きな赤黒い毛並みの獅子の背中があった。
今まで戦ってきたどの魔物よりも大きなそれは異様な継ぎはぎの魔物であった。
後ろ姿に見えるそれの頭部は2つある。獅子の頭と角のある獣の頭。
上半身は間違いなく獅子のそれだが下半身は河猪のように蹄が見える。
尾に相当する部分からは長い蛇が3匹、鎌首をもたげている。
背中には左右で違ういびつな翼をもつ魔物。
キマイラと言う言葉がすぐに浮かんだ。
そして、それが向いている先を見て固まった
彼女が、グリエラがその魔物に貪られている。
まだ意識のある彼女は足掻きながら叫び声をあげている。
「があああああああ!!くそがああああああ!!!!」
血を噴き出しながら折れてしまった剣を幾度も魔物に突き立てている。
しかし、前足による踏みつけでグェと潰されて彼女は息絶えた。
ダランと投げ出されたグリエラの足を尻尾の蛇が食いちぎり、そのまま飲み込んでしまう。
「グリエラ!」
彼女の最期に声を上げたのは俺たちでは無かった。
声の方へ視線を走らせると、レインとケイトが居た。
レインは負傷しているのがすぐに分かった。
血だらけの右腕がダラリと垂れ下がっている。
そしてそれを庇う様にケイトがキマイラに杖を向けている。
怯え切った二人は足腰が立っておらず、どちらも崖に追い詰められ逃げ場がない。
魔物がグリエラを胃に収め切れば、次は間違いなく彼らを襲うだろう。
「…あれは駄目じゃ。助からん。」
いつの間にか追いついたダレンが静かに言った。
「依頼の目的は魔物の捜索と情報収集じゃ。戦う必要はなかろうて。」
「レインたちを見捨てるんですか!!」
俺はダレンに掴みかかった。
胸倉など掴めはしないが、彼のベルトあたりを強く引っ張る形だ。
「…冒険者は勇者じゃない。人助けよりも優先することがあるじゃろう。金と、そして自分の命だ。所詮は他人。お前さんも命は惜しいじゃろ。」
「…。」
俺は強く歯を食いしばるしかできなかった。
今仮に飛び出したとして、アレを倒せるか?
…無理だ。
例え全力全開で雷轟の射手を当てたとしても、あれを倒せる保証はない。
ではあの二人を何とか助ける手段はないだろうか。
…それも、無理だ。
星雲の憧憬では到底大人2人抱えて崖を越えることはできない。
どちらか1人なら助けられるかもしれないが、それでも可能性は低い。
「…ユリウス。」
レイムゥはそっと口を開いた。
「ダレンに着いていきなさい。村に戻って依頼の報告を任せます。」
「…レイムゥはどうするんです?」
彼女は拳を握っていた。
崖の下では今度はお前らだと魔物がレインたちに迫っている。
「…言ったでしょ。ユリウス。」
彼女は振り向き、こちらを見る。
その眼には、涙があった。
「私たちは愚かな種族なのよ。」
芯のある、強い意思の籠った声でレイムゥは言った。
─うわあああああ!!!レイムゥ!!!
崖下でレインがどうしようもない悲鳴を上げている。
魔物が咆哮するその場所に、レイムゥは身を投げた。
「付き合ってられんわい。」
ダレンはやれやれとため息をついて踵を返した。
「行くぞユリウス。レイムゥの意志を無駄にするでないわ。」
---
《レイムゥ視点》
崖を駆け下りながら矢を番え、即座に放つ。
何度も何度も獲物を仕留めてきた私の腕は狙いを外さない。
下に降りきるまでに毒矢を10本近く魔物に打ち込んだ。
確実に刺さって毒も体を廻っているはずなのに、魔物はまっすぐにレインへ向かっていた。
(毒の周りが遅い。あれだけ大きければ仕方ないか。)
そう思っていると、尾の蛇がこちらを向いていることに気が付いた。
顎を開き、こちらを威嚇する蛇の周りに黒い炎を纏った石が浮遊し始める。
魔法を使う魔物。
Aランクの魔物の中でも特に厄介な類のソレが、こちらを狙った。
レインに駆け寄りながら魔術を避ける。
地面に叩きつけられた燃える岩は、周囲の地面を噴き飛ばす。
飛礫で額を切り、流れる血で左目を覆われながらも私は足を止めない。
レイン。
彼の事を思えば、私はどこまでも強くなれた。
出会った頃の彼は、まだユリウスよりも幼い子供だった。
木剣を振り回しながら、勇者になるのだと野を駆けまわっていた彼を思い出す。
こちらに向いた魔物の獅子の顔に矢を射る。
3本同時に放たれた矢の1本がその目玉を捉えた。
今まで全く意に介していなかった魔物が、初めて怯んだ。
レイン。
彼が冒険者になった頃を思い出す。
─俺もレイムゥみたいなカッコいい冒険者になる!
ガムシャラに依頼をこなしては傷を作って帰ってきていたっけ。
「レイン!ケイト!」
彼らに駆け寄る。
しかし状況は良くなかった。
彼らは足を負傷していた。
しかし、だからと言ってこのままここでうずくまっていては奴に喰われるだけだ。
「立って!!逃げるのよ!!」
「レイムゥ!後ろ!!」
ケイトの金切り声で振り向くが、間に合わなかった、
魔物の前腕が振り下ろされ、鋭い爪がバッサリと肩を抉る。
「レイムゥ!!」
レインの叫び声が聞こえる。
レイン。
初めての夜のことを思い出した。
独りぼっちだった私に彼はずっとついてきて、優しく抱いてくれたっけ。
あの時の気恥ずかしそうな彼の顔が忘れられない。
失いたくない。
「大丈夫、レイン。大丈夫よ。」
痛みに堪えて、地面に散らばった矢を拾い上げる。
最期に、もう一矢報いる。
しかし、番えた先の弓の弦は切れていた。
あぁ、駄目だった。
でも、不思議と私は満たされている。
身勝手な女だ。
彼と最期を共にできるなら、お邪魔虫がいても悪くないと思えてしまう。
矢を番えたままに、私は弓を引きしぼる。
弦の無い弓では矢など飛ばない。
分かり切っていた。
だが、私は弓を構える。
彼の前で、レインの前だけは私はカッコいい冒険者であり続けるのだ。
息を止め、矢を放つ。
弦の無い弓から離れた矢はコツンと地面に転がった。
そして、私の目前では獅子と獣の口からそれぞれに炎が見えた。
もう終わり。
素敵な夢だった。
そう思ってだらりと腕を垂らしたときに、
彼が、立ちはだかった。
---
《ユリウス視点》
我ながらどうかしている。
何故俺は、どうして俺はこのバカでかい魔物とレイムゥ達の間に割って入ってしまったのか。
本来星雲の憧憬は突撃の為に作られたものじゃない。
雷轟の射手も化け物相手に戦えるような魔法じゃない。
手段なんて無いのに、体が動いてしまっている。
勝ち目の無い戦いに要らぬ首を突っ込んでしまっている。
そのくせ手も足も頭も細胞全てから後悔のレッドシグナルが鳴り響いている。
目の前には火を吐こうと体をもたげている魔物が居る。
後ろには手負いの恋愛バカが3人。
俺みたいな非リア充からすれば彼らが燃えてしまえばざまぁ!と言えるような存在だ。
そのはずなのに、今俺はこうして。
彼らを庇う格好をみせてしまった。
頭は後悔していても、魂が叫ぶのだ。
見捨てるなと。
必ず助けろと。
お前ならやれるのだと。
どうしようもないお人よしの俺が、半端な力を持ってしまった自分自身が。
崖から体を突き落としてしまった。
「ケイト!!水盾です!はやく!!!」
彼女が慌てて詠唱を開始する。
それを背中で聞きながらありったけの魔力を右手に集中させる。
今にも魔物の口から炎が放たれるといったところで背後でケイトの術式が展開された。
最低限の防御は整った。
次の瞬間には岩を溶かすほどの灼熱が魔物の口から放たれた。
俺はそれを一身に魔力で受け止める。
例え、魔獣の炎でも龍の吐く火炎でも、魔力であるならば防いで見せる。
うねる灼熱の炎は一気に周辺を焼き尽くし、猛烈な熱気をばらまく。
─きゃああああああああ!!!
後ろでケイトの悲鳴が聞こえる。
悲鳴を上げたいのはこっちだ!
いつまでも続く灼熱の責め苦。
炎を魔力で制御してなんとか保っていた円状の安全地帯が徐々に狭まる。
「─うぐ…ッ!」
炎を受け止めている右腕が煙を上げ始める。
人体が焼ける嫌な臭いと耐え難い熱が脳で警告を鳴らす。
防いだはいい。
だがこれはキツイなんてもんじゃない。
それに防ぎ切ったとしても反撃の余地がない。
皆手負いである以上こいつは俺が倒さねばならない。
だがすでに魔力は枯渇寸前だ。
すでに逃げることも攻撃することもできない。
「チクショウ…!」
小さく毒づく。
体が重い、意識が遠のく。
熱にうだった頭が、ぼんやりとし始める。
眩暈がして、視界の中心が黒い。
まだだ。まだ、まだ!!
体に喝を入れる。
魔力切れがどうした。
灼熱がどうした。
ここで死んでどうする!
いままで、あ、死んだわ。
って意識を手放してばかりだった俺がここで持ちこたえなくてどうする!!
─ユリウス…。
うねる炎の中で細くレイムゥの声が聞こえた。
まだ彼女たちも生きている。
まだあきらめるには早い。
頭を回せ。
考えろ。
目的、手段、手札だ!
まだなにか、まだ何か手札があるはずだ!!
─もしまたお前が死にかけたとき、俺の名前を呼べ。
炎が語り掛ける。
薄れゆく意識、回らない思考の中で声が聞こえる。
夢で見たはずの光景。
所詮夢だ。
今ここで何にも役に立ちやしない。
─名を魂に刻むがいい。
炎の魔法を灼熱の吐息が完全に上回った。
安全地帯が急激に萎む。
「…もしだましてたら承知しないぞ、あの緊縛ドM野郎…!」
─ユリウス!!!!
シエナの、いつか聞いたシエナの悲痛な叫びが聞こえた気がした。
…俺だって死ぬのはごめんだ。
「…星を焼く大炎魔霊!!!!!」
最期の力で思い切り叫ぶ。
途端に、炎の魔法が勢いを盛り返す。
左胸にある傷跡から魔力で出来た紅蓮の炎が吹きあがる。
赤く煌めく魔力の炎が、荒れ狂う周囲の灼熱を一瞬で制圧した。
体の内を焼くような熱さと、強烈な魔力の流れが体を襲う。
吹き荒れる炎の嵐が辺りを渦巻いている。
すでに枯渇したはずの魔力が燃え上がり、焼けただれた右腕からも紅蓮が漏れ出す。
「ぬあああああああ!!!」
ただ力任せに右腕を振れば、辺り一帯の炎は消し飛んだ。
そしてその瀑布の向こうに魔物を捉える。
すでにこちらにとびかかろうとしている魔物の牙が見えた。
それに対して、そのままの流れで左腕を突き出した。
今できる最大出力の攻撃魔法を構える。
「吹っ飛べ!!!!!!!」
雷轟の射手。
対物破壊用の攻撃魔法。
燃え上がる弾頭は緋色の軌跡を描いてまっすぐに飛んだ。
雷が如き爆音を轟かせたその弾丸が2つある首の間に吸い込まれる。
そして、爆ぜた。
先ほどまで放っていた熱量をそのままそっくり打ち込んだような爆発で魔物の半身は粉々に吹き飛んだ。
青黒い血飛沫と、煙をまき散らしながら魔物は沈黙した。
それだけではない、魔物の後ろにあった樹々もまた消し飛んでいた。
丸く切り取ったように、綺麗に焼き切れていたのだ。
中級魔術ほどの威力しかなかったはずのそれは想定をはるかに超える威力となっていた。
「─ハッ、ハァッ…ハァ…。」
過呼吸になりかけながら息を吸う。
酸素が、酸素が足りない。
どれだけ呼吸しても息が苦しい。
荒れた息のまま背後にいた彼らに目を向ける。
意識を失い、ところどころ火傷を負っている。
展開された水の防御壁は杖と共に燃え尽きていた。
しかし、みな気を失っているだけだ。
ちゃんと呼吸している。
生きている。
「ウグッ!?」
ホッとしたのもつかの間だった。
胸に刺すような痛みが走る。
すでに魔力の供給は止めているはずなのに、胸に灯った炎が消えていない。
右腕もだ。燃え続けている。
まずい。
燃えすぎている。
魔力枯渇の限界はとうに過ぎているのだ。
ドシャリとその場で倒れ伏す。
─ハハハハハ!ハハハハハハハ!!
遠のく意識の中で、あの燃える緊縛ドMマンの笑い声が聞こえた気がした。
燃え尽きる右腕の炎と同じように、意識は煙に沈んだ。
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「…。」
…。
久しぶりに出てきたと思ったら随分機嫌が悪そうだな。
もう1人の俺。
相変わらず真っ暗空間だし、芸が無いよ。
「なんてことをしてくれたんだ。今までの僕の努力が完全に水の泡だ。」
努力ぅ?
人が必死こいて修行して得た魔術を掠め取るのが努力かね。
「アレを抑え込むのに必要なことだったんだ。ここまで育つのにどれだけの時間がかかったと思う。」
知ったことじゃないね。
俺は俺のなすべきことをした。
由緒あるエバーラウンズ家の末裔として胸張っていられる行いをした。
違うかよ。
確かに無茶した。反省もたくさんあるが結果オーライで助かった。
何も問題無いじゃないか。
「そもそも彼らを見捨てていればそんな危険無かったんだ。僕の体を危険にさらして無駄なことをしてくれる。」
あぁそうかい。
ま、あの緊縛ドMが居なかったら死んでたのはお互い様だろ。
これからはもう少し愛のある縛りをしてやるこったな!
「…本当に君は何もわかってないんだね、異世界の君。同じ魂を持つ者同士だ。分かり合えると思ってた。」
コミュニケーションってのは口に出さないと伝わらないんですー!
甘えてないで人と会話する努力しやがれ。
「…そうだね、じゃあ眠りにつく前に1つ。忠告をしよう。必ず家に帰れ。必ずだ。」
はいはい。言われなくても帰りますとも。
「…家族と、イリスフィアを頼む。彼女が僕たちの希望だ。」
…あん??
それはどういう…。
まるでブチンと回線を切るようにして、その夢は終わった。
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深く息を吸う。
そしては吐き出す。
眼を開ける。
ガタガタと揺れる馬車の中で目を覚ましたのはこれで2回目か。
1回目は最初の気絶の時だ。
体は一切動かない。
ただただ鉛のように重く、燃え尽きた薪のように軋んだ。
眼にかかる前髪は真っ白に色素が抜けきっている。
「…気が付いたのね。」
レイムゥの声だけが聞こえる。
何となく視界の下の方に居るのはわかるのだが、首すらも動かない。
すると彼女は席を移動して俺の視界に入るところに座りなおしてくれた。
頭に包帯を巻き、血まみれでズタズタの服の下にも包帯が巻かれている。
「…ケイトが再起の魔術が使えて助かったわ。まぁあなたと同じように魔力切れを起こしてそこで伸びてるから、しばらくは使い物にならないでしょうけどね。」
うっすらと彼女は安堵の笑みを浮かべた。
「大したものね。あの状況を覆して。しかも化け物まで倒してしまうなんて。いまだに信じられないわ。」
「…修行の賜物です。杖があればもっと余裕でしたよ…。」
かすれ声で彼女に返す。
喉も唇もカサカサだ。
「言うじゃない。魔道士だっけ?その世界では普通なのかしら。おかしな人だわ。ユリウスは。」
クスクスと彼女は笑う。
しかし、すぐにスッといつもの冷たい顔に戻った。
「でも、素直に褒められない。私の命令を無視して死にに来るなんて。どういう神経してるのかしら。理由を聞かせなさいな。」
冷たい目線。
彼女のひんやりとしたそれは熱を持った体には少々キツイ。
俺はしばらく考えた。
何故だろう。
まぁ衝動的だったのは事実だ。
しかし頭を冷やして考えれば、何となく思い当たる節があった。
たぶん、それはククゥのことが頭に引っかかったからだろう。
何処かで頑張っている彼女。
ククゥと同じ種族のレイムゥ。
なぜかダブってしまった。
彼女を見捨てるのは、ククゥを見捨てるのと同じような気持ちになってしまったのだ。
「…俺はそういう愚かな種族ですので。」
流石にそのまま答えるのもはばかられたのでそう答える。
彼女はほのかに顔を赤らめた。
「あ、あれは、忘れなさい。私も気が動転していたのよ。」
「…わかってますよ。お姉様。」
俺は目を細めた。
なんとも、眩しい。
恋する乙女の顔は見ていてこちらが笑顔になる。
「…あの後どうなったんですか?」
「レインもケイトも、ひどい怪我だけど生きてるわ。ダレンが馬車でみんなを運んでくれてる。もう片方の馬車は投棄することになってしまったけど、仕方ないわね。」
「…グリエラは…。」
「…亡骸は燃やしたわ。彼女の剣だけは、なんとか回収できた。」
グリエラの断末魔を思い返す。
良く知った人間が亡くなるのは、やはり辛い。
「…あなたのせいじゃないわ。冒険者ですもの。魔物に食い殺される覚悟は冒険者符形を作った日に済ませているはずよ。」
「…。」
それでも、魔物に食い殺されるのは、怖い。
俺も経験がある身だ。
この左胸の傷は、それをいつでも思い返させる。
きっとグリエラも、最後まで怖かったことだろう…。
「それと、パーティは解散することになったわ。レインの意向よ。」
「…それはまた急ですね。」
「彼、ケイトと結婚するそうよ。決心の早いことよね。」
「えぇぇ…。」
それはレイムゥが報われない。
命がけで飛び込んだ彼女の覚悟を踏みにじる行為だ。
「ケイトが命がけで炎から守ってくれたんだー。ですって。呆れて何も言えなかったわ。」
アウトだ。完全にアウト。
もうこのレインという男は本当に駄目だ。
女の敵だ。天誅だ。
動けるようになったら必ず殴る。
というか、俺の存在も忘れられている。
もう一回燃やしてやる…。
「…依頼は一応達成。証拠に毛皮を少し頂いてきたけど、あんなめちゃくちゃな体の作りじゃギルドは証拠不足を理由に報酬を出さないかもね。グリエラも死んで、パーティで無事なのはダレンだけ。当面は動けないわ。」
「…はい。」
「でも、あなたのおかげで生きていられる。また介抱してあげるからおとなしくして居ることね。」
「…今度もお金とられますか…?」
「あぁー…。少し手加減しといてあげるわ。わかったら寝なさい。村に着いたら起こしてあげる。」
「…はい…、よろしく…お願いします…。」
もう眠気が限界だった。
色々取りこぼしたこともあったが、ひとまずは生還を喜ぶとしよう。
俺は再び眠りに落ちた。
---
そこから数日、俺はほとんど宿のベットの上で過ごした。
今回の魔力切れは特にひどく、丸3日は体を動かせなかった。
また、腕の火傷もひどいものだった。
ケイトが再起の魔術をかけてくれたが、炭になってしまった部分が直らない。
痛みもなく、動かせはするがそのたびにガサリと炭が落ちるのは困りものだ。
手首から肘ぐらいにかけての爛れが収まらず包帯でグルグルだ。
レインの方は比較的にケロッとしていた。
右腕を吊りながら開口一番に「お前は命の恩人だ!」と握手を求められたが、レイムゥが突っぱねた。
そして握手代わりに彼女が思いっきり殴り飛ばしてくれた。
「これでチャラにしてあげる。けどケイトを泣かせたら今度は矢の雨を降らせてやるわ!」
とのことだった。
お姉様は寛大だ。
ケイトはレインに連れ添って毎日見舞いに来てくれた。
回復魔術をかけるついでなのだろうが、それでも話し相手はありがたい。
大概は「私のせいだよね…。」と落ち込むのだが、まぁまぁとフォローしておくことにした。
ケイトは悪くない。悪いのはレインだ。
ダレンは1度だけ見舞いの品と薬を仕入れてきてくれた。
火傷によく利く薬草や、代謝を高める栄養剤。
あと、腕の炭を落とす紙やすりなんかも。まぁこっちは余計だったが。
「依頼の報酬も全部パー。骨折り損のくたびれもうけだぜ。全く…。」
と最後に言いながら部屋を出ていったのが守銭奴の彼らしい。
レイムゥはあまり部屋に寄りつかなかった。
だが決まった時間にご飯を持ってきてくれるし、着替えの用意や洗濯も助けてくれた。
不思議とベットから立ち上がろうとしたタイミングで部屋に入ってきたりもする。
それは逆に、いつでも手助けに来れる距離に居るということでもあった。
…流石にトイレの介助は遠慮したけども。
そんなある日の事。
朝早くにレインとケイトが挨拶に来た。
彼らは当初の計画通り、首都ソーディアの方面に南下を開始するとのことだった。
「お前には本当に世話になったな。なんとお礼を言っていいか…。」
「俺には要りません。レイムゥが飛び込まなければ俺も逃げてましたよ。」
「あぁ、そのレイムゥの事なんだけどさ…。」
彼は少しだけ間を開けた後にキッと顔を上げる。
「俺、ケイトとレイムゥ。両方と結婚しようと思うんだ。」
「…はい?」
俺は素っ頓狂な声を上げてしまった。
まてまて、どういう考えだそれは。
ケイトの顔を見る。
ケイトも真ん丸の眼をしていた。
どうやら彼女も初耳らしい。
「男として、一度抱いた女を手放すような真似はしたくない。責任をもって両方の面倒を見て行こうと思う!俺はユリウスみたいな、大事な人を守れるような人間になりたいんだ!」
「…ちなみにケイトと相談しての事ですよね。」
「いや、今初めて口にした。ケイト。わかってくれるよな。」
「え、えぇ…そんな…。」
はぁん、なるほどなるほど。
なるほどねぇ。
スゥー…。
それは立派な考えですね!俺も応援しますよ!
「失せろ糞ヤリ〇ン野郎!!!!!」
「は、はいぃぃ!!!!」
魔力全開ですごんで言い放った。
レインとケイトは青ざめてすぐさま部屋から逃げ出していった。
否、先にレインが逃げて、それをケイトが追っかける形だ。
あの夫婦、果たしてうまく行くのだろうか…。
レイムゥの矢の雨が降るのもそう遠くないかもしれない、
「まったく…。」
ボスンとベットに体を倒す。
一夫多妻を否定するつもりはない。
幸せの形はそれぞれだ。
ハーレム計画を秘かに目論む俺は決してそれを否定しない。
しかし、それは互いが認めあって始めて達成されるものだ。
彼の場合、ケイトとレイムゥ。その両方を満たしていない。
独りよがりのハーレムは解釈不一致だ。
…しかし、ユリウスの口から出すには下品すぎる言葉だった。
今後気を付けねば…。
─他の旅人がどんな人物かを見極め、誰とでも慣れ親しむべきではないこと。
父デニスの教えを思い出す。
なるほど、こういう事もその言葉に含まれるのか。
彼も若い頃はモテたというからデニスもなにやら苦労があったとみえる…。
そんなことを思っていると部屋のドアがノックされる。
今日は朝から来客が多い。
「はいはい、開いてますよー。」
少し投げやりに返事をすると「失礼する。」と男の声がして扉が開いた。
ガチャリと金属の鎧が音を当てて部屋に入ってくる。
完全武装の鎧の騎士だ。しかも3人。
それらはどれも、青色のマントを付けていた。
キングソード家の衛兵だ。それも上級騎士。
思わず思考が止まる。
何故、衛兵がここに?
「ユリウス!!!」
他の衛兵に取り押さえられるような形でレイムゥが部屋に倒れ込んでくる。
「違うのユリウス!!私じゃないわ!!私は誰にも話してなんかない!!!」
彼女は必死で抵抗し、弁解するが布を噛まされて口をふさがれてしまう。
「指名手配犯。ユリウス・ヴォイジャーだな。」
上級騎士の男が確認で俺の名を呼ぶ。
すでに正体は割れてしまっているようだ。
「…なぜここが…。」
「通報があったのだ。その男にはすでに謝礼も渡した。おとなしく来てもらおう。」
ダレン…ッ!!!
すぐに察しがついた。
信じたくはなかったが、依頼報酬の補填の為にあの男は俺を売ったのだ。
「クッ…。」
周囲に目をやる。
ローブも帽子も手の届くところにある。
しかし逃げ道がない。
出口は正面の扉しかない。
万事休すか…。
「ぬああ!!」
レイムゥが渾身の力で衛兵を跳ねのけた。
そのまま上級騎士の1人に蹴りを食らわせ、抑え込んで一瞬の隙を作る。
「逃げて!!!」
俺はその言葉と同時に装備をひったくる様にして抱え、靴を投げてガラスを割り窓から飛び出した。
即座に星雲の憧憬を起動して着地する。
病み上がりの今の魔力ではこれが精いっぱいだった。
「クソ!!!チクショウ!!!!」
雪を巻き込みながら靴を履いて、必死で逃げる。
油断した。
信頼しきってしまった。
俺は仲間に、仲間だと思っていた奴に裏切られてしまった。
─追え!逃がすな!!
後ろから衛兵が追い立てる声が聞こえる。
俺は森に逃げ込んだ。
捕まってたまるか。
家族の元に帰るんだ。
なんとしてもアリアーに!
家に帰るんだ!!
雪が降る山岳地帯を出鱈目に走った。
魔物が襲ってきた。
盗賊も賞金稼ぎも襲ってきた。
訳が分からなくなるほど走って、戦って、走った。
襲ってくる人間の生き死になど構っていられない程必死だった。
動かなくなったそいつらから財布と衣服を奪い、ただただ冬の山を彷徨い続けた。
「チクショウ…!チクショウ…!」
何もかもがうまく行かない。
幾度も喉の奥に苦いものがこみ上げ、涙が溢れてくる。
…俺は孤独になった。
ただ家に帰りたいだけの1人旅は、困難を極めた。




