第三話「魔法の使い方」
また冬が来て、俺は3歳になった。
今年は大雪らしく、庭にはどっさりと雪が積もっていた。
玄関から村の通りまでデニスがスコップを使って雪かきをしてくれている。
彼はサーシャのお手製の防寒具と、野犬から取れた毛皮のローブを着込んでいた。
俺はその隣で彼が切り開いた道の側面を木の板で押し固める作業をしていた。
「家の中に居てもいいんだよ?」
「父さまが頑張ってるのに僕が休むのは気が引けます。」
「そ、そうかぁ?疲れたら休んでいいからね」
「はい!」
魔法が使えなくてもこの体は動く。
サボっていられない。
俺は律儀な男なのだ。
デニスによると、雪は魔法での制御が難しいらしい。
なんでも魔法とは自然の力を借りる行為なのだそうだ。
自然の力とは大きく分けて火、水、風、土の4つである。
これらは自然の化身たる大魔霊と呼ばれる存在を古き魔術師たちが倒して得たものなのだとか。
そして雪はその四つの自然の力の複数が合わさった状態のもので、並みの人間では火で溶かすのが限度なのだとか。
「今年は寒いから、火で溶かすと次の日に凍ってて危ないからね。」
彼はそう言って汗をかきながら雪かきを続けた。
なるほど、安全第一。大事だ。
一方、サーシャは家の中で縫物をしていた。
彼女の手の中では白い毛皮のローブが完成を迎えようとしていた。
野犬の中でも特に寒さに強い個体があの白い毛皮を纏うのだという。
その毛並みは肌触りが良く、雪が付着しても身震い一つでさらりと落としてしまう。
さらに保温性が高く軽い。時期や地域によっては竜の鱗よりも高値になるらしい。
「出来たぁ!出来たよー、ユーリ!」
そんなローブが完成したようで、彼女は嬉しそうな顔で駆け寄ってきてそのローブを俺に渡した。
「……僕に?」
驚いた。俺はてっきり、デニスの新しいローブなのかと思っていた。
「これでどこに遊びに行ってもへっちゃらよ。」
「せっかくだから遊んでおいで。」
両親の温かい言葉を聞きながら。
俺は早速ローブに頭を突っ込んだ。
しっかりとなめした内側は温かく、防水性も高そうだ。
少しだけ丈が長いが、きっと成長を見越しての事なのだろう。
「ありがとうございます母さま!大切にします!」
「喜んでくれて私も嬉しいわ、夜なべしたかいがあったわね」
「さっそく遊んできてもいいですか?」
「えぇ、行ってらっしゃい。日が沈む前には帰ってくるのよ。」
「わかりました!父さま、森に行ってきますので日が沈んでも帰ってこなかったら迎えに来てくださいね」
「あぁ、わかったよ。でもあまり心配させないでな。」
「はい!では行ってきます!」
行先、帰る時間、帰ってこなかったときのことを伝えた俺は魔力の濃いとされる森へ向かった。
兼ねてからあそこで魔法の練習……じゃなかった。
魔力を感じ取る訓練をしているのだ。
ここ数日は雪がひどくて出られなかったが、このローブがあれば少なくとも寒さで動けなくなることは無い。
家からでた先の村の通りは森までまっすぐ一本道で、馬車も通るからか雪は少なかった。
道すがらに何人かの村人とすれ違い、挨拶を交わす。
村長の家のメイドをしているシェラおばさんは買い物帰り。
はす向かいの農家の息子のケニーはスコップを持って仲間たちと雪かき。
きこりのお家の窓からは勉強中の双子のジルとレイニーが手を振ってくれている。
のどかな村のご近所さんたちだった。
生前は近所づきあいなどなかったから、最初は抵抗があった。
話してみればななんてことはない。皆仕事に実直な良い人たちだった。
何もなく雪だらけだが、人はあたたかい。
本当に良い村だ。
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森に着いた。
周りは真っ白に雪で覆われていて、そこからまっすぐに伸びた木が等間隔に植えられている。
ここは養殖林でもあった。
家を建てる時に使う木材や、薪なんかはここから決まった量だけ切り出されていく。
春になれば苗木を植えて、また森を増やしていくのだ。
その森に分け入るとひと際大きな切り株があった。
雪に埋もれたそれは大人三人が両手をつないで輪を作っても囲いきれない程の大きさがあった。
切り倒される前はさぞ立派な木だったのだろう。
そんな切り株の上の雪を払い落とし、俺はその上に胡坐をかいて座り込んだ。
集中だ、集中。
目を閉じ手を組む、座禅だ。
魔力とは目に見えないもの。
しかし、この世に確かに存在するものだ。
自然の中で瞑想(迷走)しているうちに少しだけわかったことがある。
この森では木々の間や木漏れ日の中に空間のわずかな揺らぎのようなものが見える時がある。
もやーん、としたそれは魔力の流れなのだとデニスが話していた。
此処よりもっともっと魔力の濃い場所では魔力は結晶になることもあるのだという。
ということは、その流れを肌で感じ取れるようになれば、俺も魔法が使えるようになるはず。
いや、使えるかどうかよりも自然の魔力と自身の魔力のつながりを感じ取れるはずだ。
そこがなんとかなれば……
ぬぬぬと体に力を込める。
グルグルーのバーンのシュッ。だ。
使役するのは風の魔法。
周りの雪を吹き飛ばすイメージで……
「だぁぁあ!!!」
力を開放すべく、目を見開き勢いよく両手を広げた。
目の前には変わらぬ景色と静かな森が広がっている
木の枝からバサリと雪が落ちた。
おお?成功か?
……あ、いや、違うか……。
ハァと深くため息をついた時だった。
横から割とすごい勢いでパコォと雪玉が頭にぶち当たった。
驚いてそのまま切り株から落ちて雪に埋もれた。
「いっ、てぇ……。」
頭をさすりながら顔を上げて雪玉が飛んできた方角をにらむ。
そこには防寒具を着て、服を限りなく地味にして、顔をクソガキにしてすこしサイズダウンさせたようなジャイ〇ン、〇び太、ス〇夫が居た。
「おい!その木はうちの爺ちゃんの木だぞ!勝手に座んな!」
ジャイ〇ンが指をさしながら言う。もう片方の手には雪玉を持っていた。
確かあれは村長の所の孫のオルコとかいう子供だ。
小さいころから悪ガキで今年で5歳になるんだったか。
ということは〇び太のほうはドグ、ス〇夫のほうはニックか。
どちらも村長の息子兄弟の子供でオルコの取り巻きだ。
冷静に観察していたところでもう一発の雪玉が飛んできた。
当たるコースではなかったので無視したが、人に物を平気で投げるなんてどういう教育してるんだ。
それでいてヘラヘラと薄ら笑いを浮かべている。あれは完全に人を見下した笑みだ。
新卒の頃に入社した工場で嫌というほど見た。
思い出すと気分が悪くなるし、さすがに頭に来る。
まぁまぁ、冷静になれ、クールになるんだユリウス。
あっちは精神年齢=肉体の新米
こっちは精神年齢三十四の人生の大先輩だ。
それに無断で使ったのは確かだ、ここは素直に謝ろう。
「村長さんの持ち物だったんですね。知らなかったとはいえ無断で使ってごめんなさい。」
ぺこりと頭を下げた。
そう、それで良い。
きっと向こうも「お、なんだ、意外にいいやつじゃん」って感じになってくれるさ。
ほら顔を上げればそこには友情を深めるために握手を求める子供たちの姿が……。
ペシャア
頭上からバケツをひっくり返したような水を降ってきた。
母からもらったローブも、温かい上着もズボンもブーツもびしょぬれになっていた。
呆然としながらも目を上げるとオルコが手をこちらにかざしていた。
両隣の二人はヤッターとかスゲーとか歓声を上げている。
状況はすぐに理解できた。彼は水の魔法を使ったのだ。
パタパタと水滴が落ちる前髪をかき上げて彼らを睨みつける。
「何をするんです。」
怒気を含んだいつもより数段低い声で彼らに問うた。
先の精神年齢がどうのこうのの話は忘れてほしい。
俺は怒っている。仕方ない。だって3歳だもの。
いや年齢の話じゃない、彼らは今朝母がやっと完成させたローブを損ねたのだ。
「お前、あの兵長の所の息子だろう。」
下卑た笑みを浮かべながらオルコは言う。
「だから何です。」
「魔法も使えないような役立たずが長男なんてお父上もさぞお悩みでしょうねぇ。」
父が村長にでも相談したのだろうか。
いや、それは良い。魔法が使えないのは事実だ。
わざわざそういう風にこちらを煽ってくるのだ、なんと性格の悪いガキだろうか。
「そうですね。ですが、今の事は父とは関係ないです。水を掛けたことを謝ってもらいたい。」
努めて冷静に言い放った。両隣の二人は少しだけたじろいでいた。
相手は村長の孫だ。迂闊に手を出して両親に何かあったらたまったもんじゃない。
しかしオルコは続けた。続けてしまった。
「役立たずの父親も役立たずなんだろうな!給料泥棒め!」
ブチンと頭の中で何かが切れる音がした。
「父を、僕の父を侮辱したな……!」
噛み殺していた怒りが言葉になる。
奥歯がギリリと鳴り、眼が吊り上がった。
きっと覚えたての喧嘩言葉なのだろう。
かまってほしいだけなのかもしれない。
そうやって大人の精神が考えた言い訳のようなことが一瞬で燃え尽きる。
あぁどうでもいい。
ぶっ飛ばす。
ズンズンと雪をかき分けオルコに向かう。
さすがにしまったと思ったのかオルコたちは次々に雪玉を投げた。
当たりそうな玉だけ手では叩き落としながら彼らの肉薄する。
「歯ぁ、食いしばれ……!」
あっと今にオルコに詰め寄った俺は思い切り拳を振りぬいた。
怒気を纏った拳はオルコの顔面に。
突き刺さらなかった。
ただ固い手応えと、拳が砕けるような痛みがあった。
オルコと俺の間に石の柱が出来ていた。
土の魔法で練り上げられた固い大きな石が俺の拳を止めていた。
「魔法はこうやって使うんだよ。」
オルコはニマニマと笑いながら言った。
その直後に体に衝撃が走る。
何が起こったか理解できないまま俺は雪の中を転がった。
鳩尾に激しい痛みが走り、胃の中身が口から噴き出す。
腹を抑えながら顔を上げると先ほどの石柱が形を変え、横に伸びて俺を突き飛ばしていた。
三人は仲良くゲラゲラと高笑いをしていた。
「本当に魔法が使えないんだな、こんな簡単な魔法ぐらいでぶっ飛んでやんの。」
何とか体を起こして立ち上がる。
3歳の体にこの痛みは大ダメージだ。
骨は折れてないのは確かだが、頭がくらくらする。
「クソガキども……。」
痛みに悶絶しながら毒づき、顔を上げると今度は額にガツンと鋭い痛みが走った。
何かが飛んできてぶつかったのだ。
パタパタっと足元の雪に赤い染みが落ちた。
額が切れて血が流れ出ている。
ドロリとした感触が顔を伝った。
オルコは石柱の次は石のつぶてをこちらに飛ばしてきたのだ。
まるでゴミを見るようなめでこちらを見ている。
「お、おいオルコ……。」
「流石にやりすぎなんじゃ……。」
ドグとニックは血を見たからか、それとも豹変したオルコにビビったのか戦意喪失気味だ。
「お前、生意気なんだよ……。」
オルコは絞り出すように言った。
「俺は村長の孫だぞ!爺ちゃんと父ちゃんが死んだらこの村は俺のものだ!」
もう一発、石のつぶてが飛んでくる。
すぐに近くの木に身を隠して投石をやり過ごした。
その後もガツガツと石が飛んできては木に当たる。
木の皮が裂けて、木片が飛び散る。
「お前みたいな生意気なやつ俺の村にはいらない!」
ガツンと一際大きな石が木にぶち当たる。
「村から出ていけ!」
出ていけ!出ていけ!と叫びながらオルコは魔法を乱射する。
俺は近くに落ちていた木の枝を拾った。
程よく長く、程よく太い。
……人を殴るにはちょうどいいだろう。
枝をギュッと握りしめる。
オルコは言い方がアレだが権力に酔っている。村長の孫としてチヤホヤされてきたのだろう。
あと魔法だ。これでけ強力な力を持っていれば冗長してしまうのも頷ける。
だからこそ誰かが教えてやらなければならない。
時にはそういう理不尽な権力に対して、異常なほど反発する者がいることを。
大事に思っている物を傷つけられたらどんな人間も牙を剥くことを。
刺し違えてでも一発殴る。
そうしなければ俺の気が収まらない。
「ガアアアアアアアアアアア!!!!!」
魔法の切れ間にタイミングを合わせて俺は叫びながらオルコに突撃した。
木の枝を振りかぶり、とびかかり、一気に振り下ろす。
バキンという、乾いた音が森に響き渡った。
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「う……。」
雪の中で目が覚めた。
体に雪が積もり、半分埋もれている。
手足が冷え切っていたが、それでも野犬のローブが俺を守っていてくれた。
しかし、肩のあたりが大きく破けてしまっている。どこかで引っ掛けたか。
どうなったんだっけ……。
オレンジ色に染まる空を見上げながら考え、少ししてから痛む体を起こした。
辺りを見渡すともう暗くなり始めていた。
近くには真っ二つに折れた木の枝と土の魔法で出来た石柱が二本。
そして森の外へ向かっていく三人分の足跡とそれに沿って点々と落ちた赤黒い染みがあった。
どうやらしっかり一発殴れたらしい。
へへへ、してやったぜ。
そうだ、たしかあの後
オルコの頭に一発良いのが入った後だ。
そのカウンターで石柱攻撃を一発を腹に食らって、宙を飛んだんだったか。
それで地面に叩きつけられたと同時に気絶したんだ。
「いっ……たたたたた……。」
立ち上がるだけで体中が痛んだ。
口の中も切れているのか頬を撫でるだけでもズキリと痛みが走る。
……あぁ、帰らなくては。
もうすぐ日が暮れてしまう。
片足を引きずりながら俺は家へ歩き出した。
ローブも、服もぐしゃぐしゃで、体は傷だらけ。
帰ると約束した時間も過ぎてしまった。
「……父さまと母さま、怒るかな……。」
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家に着くころにはすっかり日が暮れてしまっていた。
右足はどうやら筋を違えてしまったらしい。
いつもならすぐの道のりが今日はとても長く感じた。
「ユーリ!」
家の玄関ではまさに今から捜索に出ようとしていたデニスがランプを持っていて、
俺の姿を見るなり駆け寄ってきた。
その声に扉の奥からサーシャも出てきて同じく駆け寄ってくる。
二人は俺の姿をみてギョッとした。
当然だろう。
遊びに行った子供が帰ってきたらずぶ濡れの傷だらけなのだ。
「どうしたんだ、そのケガ。何があったんだ?」
「ユリウス!大丈夫なの!?」
父も母もオロオロと質問攻めにしてくる。
それは俺が思っていた反応とはちょっと違っていた。
帰ってくるのが遅い!とか。
せっかくローブを縫ってあげたのに!とか。
そんな感じを想像していた。
よかった。これなら冷静に話せそうだ。
頭ごなしに怒られるのは傷つくからね。
「父ひゃま、母ひゃま。」
口が切れていて最初の言葉は上手に言えなかった。
何があったのかを伝えなければならない。
オルコがいじめてきたんだ。
あいつはひでぇやつで、魔法でボコボコにされたんだよ。
あ、でもきっちり一発殴ったから安心してね!
聞いてくれる?
ほんとに嫌な奴でさぁ。
言いたいことは湯水のように湧いた。
だが、そのあとの言葉は別の言葉が喉の奥から溢れるように続いた。
「父さま、約束の時間、までに、帰れなくてごめんなさい。」
ヒッ、ヒッと肺が勝手に空気を吸い上げるものだから上手にしゃべれない。
「母さま、ローブ、た、大切に出来な、ぐって……ごめ、ごめんなさい。」
自然とその言葉が出たのだ。
ボロボロと涙があふれて視界をゆがませる。
いじめられたこと、ケガをさせられたことそれらはどうでもよかった。
ただただ自分が無力で、弱くて、口先だけじゃどうしようもなくて。
情けない現実を俺はごめんなさいと謝るしかなかった。
「いいのよ、いいのよユリウス、そのくらいならいくらでも直せるわ。」
サーシャは目に涙を浮かべながら俺の事を強く抱きしめてくれた。
ずぶ濡れの体をだ、冷たいだろうに。
俺はただただ謝った。
ごめんなさい、ごめんなさいと涙を流しながら。
「寒いだろう。家に入ろう、ケガも治療しないとな。」
デニスはそっと自分のローブを俺に掛けてくれた。
そして頭を撫でてくれる。
相変わらずゴツゴツのガサガサの手が、今はとてもやさしかった。
サーシャに抱えられて俺は家へ入った。
両親は詳しいことは後で良いと気遣ってくれた。
父は再起の魔術を唱えて傷を癒し、
母はスープを温めなおし、ローブを直してくれた。
その日の晩御飯は、塩味が強めだった。
とんでもなく悔しい思いをした。
俺は強くならねばならない。
あむ、あむと詰め込むように夕食を頬張る。
早く大きくなって、魔法無しでも戦える強い戦士になるのだ。
自分の身ぐらい自分で守れるような男になるのだ。
大切な物を守れるようになるのだ。
と。
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夜、俺は熱にうなされた。
野犬のローブがあったといえ、雪原でびしょぬれになったのだ。
そりゃ熱も出るわな。
そんな朦朧とした意識の中で夢を見た。
すごく途切れ途切れの夢だ。
小さな赤ん坊の泣き声が響く夢。
真っ暗の中で渦巻く炎がゴウゴウと音を立てている夢。
吹き荒れる嵐が帆船を飲み込む夢。
真っ白の服を着た少女とその傍らに立つドラゴンの夢
他にもいろんな夢をみたと思うが、あまり覚えていない。
気づけば朝になっていた。
外は快晴だった。
用語解説
野犬 ハウンド この世界に広く分布している犬型の魔物。地域によって特性が異なる。
野犬のローブ 野犬の皮で出来たローブ。防寒具の定番装備。乾燥すると毛が抜けるので注意。