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第三十二話 「紺碧」

 気が付けば、パンツ一丁でベットに括りつけられていた。

 柔らかな大きなベットにポワポワした雰囲気の部屋。


 なにごと?

 どこここ?


 そんな疑問が浮かぶ。


「ユリウスっ!」

「ユーリっ!」


 ボスンとベットに飛び込みながら2人の少女が俺の名を呼ぶ。


 長い赤髪のツンとした眼つきの少女シエナ。

 耳長族のゆるふわ愛されヘアの少女ククゥ。


 どちらも下着姿の2人が、ゆっくりと俺の体を這いあがってくる。


 シエナは黒のレースの下着。メリハリのある彼女のボディラインを際立たせる。エロい。

 ククゥは白のベビードール。あえて体のラインを隠した姿が非常にそそる。エロい。


 2人が俺の顔を覗き込む。

 どちらも頬を染めて上気ついた顔をしていた。

 瞳にはハートマークが浮かんでいるようにも見える。


 なんだただの理想郷か。

 俺のハーレムライフがついに始まってしまっただけだったわ。


 両サイドから頬に手を添えられ、荒い息の少女たちが耳元で囁く。


「「お別れを言いに来たの。」」


 え。


 そう思った時には暗がりにポツンと立たされていた。


 そして遠くでパシャンとスポットライトが2組のカップルを照らす。

 テオとククゥ。

 そしてアレックスとシエナ。


「ごめんねユーリ。でもやっぱり強い人じゃないと。」

「あんたよりもお金持ちじゃないと話になんないわ。」


 そう言ってククゥはテオの腕にしがみつき、シエナはアレックスにキスをせがんでいた。


 ま、まって!!そんな展開ってあるか!?


「申し訳ない、ユリウス。そういうことだから。」

「ハハハハハ。お似合いだぜユリウス!そこで指をくわえて見てろ!」


 テオはまぁ仕方ない。俺も認めるイケメンだ。でもククゥは返せ!

 そんでアレックス!!てめぇだけは許さねぇ!!シエナ!騙されるな!


 駆け寄ろうとしても距離が全く縮まらない。

 それどころか、彼らは足すら動かしていないのに遠ざかっていく。


 やめろそんな淫らな口づけを!!

 なんてものを見せつけるんだ!寝取られ展開は望んでないぞ!!

 ひどいことをしやがる!!


「本当にひどいよなぁ。」


 今度は足元で声がした。

 ガシリと足を掴まれる。


「お前が助けてくれないから死んじまったじゃねぇか…。」


 ネィダがそこに居た。

 地面をはいつくばって、どろどろに腐乱しながら俺の脚にしがみついている。


「お前のせいで死んだ。お前のせいだ。ひどい弟子だ。見殺しにしやがって…。」


 顔半分が腐り落ちた状態のネィダが、恨みのこもった表情で俺を睨む。


 ちがう、ちがうんです師匠!だってあれは!!


「そうだよユリウス、君はひどい奴だ。」


 今度は俺の胸元で声がする。

 心臓辺り、胸の傷跡からドロリとヘドロのような物が湧き出てくる。


 ユリウスの声で、泥の赤子が俺に語り掛ける。


「僕の体で好き勝手しないでよ。返して。僕の体返してよ。」


 体の身動きがとれぬまま、泥の赤子が徐々に大きな野犬の首に姿を変える。


「じゃあ、返してね。」


 グアと牙の並んだ顎が迫る。


 ま、待って!

 やめろ!!

 誰か!!


 うわああああああああああ!!!!


 ---


「あ!!!!????」


 ガツンと頭に衝撃を受けて意識が戻った。

 飛び起きたつもりだったが、天井は目の前にあるようだ。


「…ゆ、夢…!?」


 ベタな安堵をし、荒い息を整えた。

 心臓が激しく脈打ち、口はカラカラに乾いている。

 ぶつけてしまった額をさすりたかったが、動かしただけで手が壁にぶつかる。

 棺桶にでも入れられているような狭い空間だ。

 おまけに手足が縛られている。


 何があったんだかと、ひとまず考えながら暗い中で気配を探った。


 確か、そう。イングリットの村に向かおうとしていたんだ。

 そして馬車に乗って、中に山賊が居て。


 …そうだ、封印薬を嗅がされたんだ。


 封印薬は体の時間を止める魔法薬。

 最長で1か月ほど効力があり、嗅がされたものは悪夢を見るのだという。


 テオの講義が役に立った。

 本物のテオはあんなことはしない。

 賢く頼れる俺の兄弟子だ。

 イケメンなこと以外、夢の中のテオは何も当てはまらない。


 しかし最悪の悪夢を見た。

 マジで夢でよかった…。


 …夢だよね?


 なんて思っていたらぐらりと地面が揺れた。

 大きく左右に決まった間隔で揺れている。


 眼が慣れてきたので空間の詳細も徐々にわかってきた。

 幸い棺桶ではない。作りの粗い木箱だ。

 木の継ぎ目から外の光がわずかに入っている。


 天井を手で押したらわずかにぐらついた。

 ガチャガチャと音を立てているそれは施錠された蓋だった。


 閉じ込められている。

 薬で眠らされている間に箱詰めされてしまったか。

 まさに箱入り息子。

 しかし、このユリウス。

 こんな雑なつくりの箱に収まっているような器ではない。

 入れるならせめてヒノキで作った上等な箱くらい用意してもらいたいものだ。


 と、再び地面が揺れた。

 大きく傾いたようで木箱が滑りガツンと何かにぶつかる。


 この揺れかた…。

 もしかして船にのせられているのか!?


 手足を縛っていた縄を魔法で焼き切る。

 いとも簡単に自由になった体で今度は木箱の解体にかかる。

 体をよじって横を向けば、蓋についている蝶番が見えた。


 蹴破ることも考えたが、近くに俺を攫った山賊が…、もとい海賊が居ないとも限らない。

 炎を圧縮し、指先に集中させて溶断する。


 こちらも容易く外れ、ゆっくりと蓋を開く。


 木箱の外は雑然としたそこそこ広い物置になっていた。

 樽、木箱、よくわからない彫像、金目の物にロープに木材。


 置いてあるものはそう言った物たちだった。

 周りに人影も明かりもない。

 丸い小窓からうっすらと光が差し込んでいるくらいだ。


 今度は自分の体をチェックする。

 どこにも異常はないが、持ち物が何もない。

 服こそ来ているが、ローブも杖も帽子もカバンも商人符形も冒険者符形も盗賊のナイフもない。

 当然財布もない。輝照石もだ。

 大事なものが丸っと身ぐるみを剥がされていた。


 やられた…。


 どこか別の場所にあれば良いが。

 誰かが持っていても良い。

 せめてローブと杖は取り戻したい。

 叶うなら全部だ。


 再び部屋がグラリと大きく揺れる。

 ズズズと木箱ごと地面を滑った先で壁にぶつかる。


 と、そこで見たことのある皮袋を見つけた。

 俺がコガクゥの村を出発した時に買ったものだった。


 すぐに拾い上げて中身を見る。

 しかし異臭を放つそれを俺は手から落とした。


 中身が腐っている。

 干し肉も乾パンも見事に色とりどりのカビを生やしていた。

 それなりの日数が経っていることがわかる。

 時の流れは残酷だ。


 使えるのは塩と麻布くらいか。

 少ない手持ちが無駄になったことは悲しいが、無いよりマシだ。


 一先ず使えるものだけ回収した。

 麻布2枚を腕に巻きつけながら再び周りを見る。


 近くの小窓から見える景色は大海原だ。

 やはりここは船の中。すこし荒れ気味の海は波が高い。

 乗り物酔いに強い体質でよかった。


 反対側の小窓からは陸地が見える。

 この船は沖合で停泊中のようだ。

 どこの陸地かは見当がつかないが、明かりが見えるから街は近いようだ。


 他に使える物は無いかなと、ようやっと木箱から体を起こす。

 長い間眠っていた体はバキバキと音を立てた。


 と、立ち上がってようやく気が付いた。

 奥の壁に大きな布がかけられている。


 何やら床が濡れているようで、穴でも開いているのだろうか。

 もしかしたら外に出られるかもしれない。

 そう思って近寄り、布を勢いよく取り去った。


 そして言葉を失う。


 そこにあったのは、いや、居たのは女神だった。

 そう表現せざるを得ない。


 顔は麻袋をかぶせられていて見えなかったが、逆に首より下は素っ裸だ。

 両手を上げた形で壁に繋がれた女性の裸体はまるで透き通る絹のような美しい肌をしている。

 目を奪われるのは黄金律をそのまま女体にしたような完璧なプロポーション。

 芸術作品と言っても過言でないそれが一糸まとわぬ形で投げ出されている。

 そういう現代アートだと言われれば信じてしまう。

 美肌、美乳、美脚。

 全てが美しいその全人類の憧れのような肉体が、乱雑な手錠と鎖でつながれていたのだ。


 思わずゴクリと生唾を飲んでしまった。


「…そんなに見られると照れますわね…。」


 麻袋の女神は起きていた。

 声まで美しい音色で話し掛けてくる。

 どうやら布越しにこちらを見ていた様子。


「ご、ごごめんなさい!」


 サッと後ろを向くが、すみません。バッチリ全部、秘所まで見てしまいました。


「初心なのね。」


 女神はウフフと小さく笑いを漏らした。


「あなた、あいつらの仲間には見えませんわ。もしかして攫われ仲間かしら?」

「よ、よくわかりませんが、多分そうだと思います。」


 裸を見られたことを全く意に介していないようで、余裕すら見せる彼女。

 俺も頭が冷えてきた辺りで徐々に異臭が鼻につき始めた。

 ひどく鼻を突きさすような匂い。

 アンモニア臭と、もう1つ。

 具体的に言えば、男性の体液の臭いだ。


「…不躾だけれども、体を拭いてくれませんこと?鼻が曲がりそうなの。」


 余裕気な彼女の声にいら立ちが混ざった。


「…大丈夫、なんですか?」

「えぇ、あいつらに私を慰み者にする勇気は無かったみたい。でもオカズにされてしまいまして…。」


 お願いできまして?と彼女は言った。

 なんと流暢なお嬢様言葉か。


 …よろしいんですか!!??

 俺としては大喜びでさせていただきます!!

 そりゃあもう体の隅々を舐めるように拭かせていただきますとも!!

 実際に舐めてもよろしいんでしたらええ喜んで!!!

 うおおおお!女体だああああ!!!


 と内心は思いながらも、俺は努めて冷静を装った。

 表に出してしまっては彼女を辱めた海賊たちと変わらない。


「あの、失礼いたします。」


 俺は彼女からはぎ取ってしまった布で彼女の体を隠した。

 そして腕に巻いた麻布を外し、水魔法で湿らせる。


 なるべく見ないように。

 しかし全神経を指先に集中して彼女の体を拭く。

 むっつりここに極まれりだ。


「…紳士ですのね。」

「最低限の配慮です。不慣れなので綺麗になるかわかりませんが。」


 一生懸命、とは建前に夢中になって彼女の肌を拭う。

 彼女の肌はまさに女神のそれだと思った。神様に触ったことは無いが。

 余りにも神々しすぎて息子がいきを忘れている。


 …こうなったら顔も見てみたい。

 そう思って麻袋に手を伸ばした。


「待って。」


 彼女はそれを止めた。


「顔はこのままで。こっちの方がいろいろ都合がよろしいの。」

「そ、そうですか…。」

「そんなガッカリした顔をしないで?」


 やはり袋越しでもこちらが見えているらしい。

 まぁ、そういうならばそのままでいいか。

 目線を気にしなくていいのもありがたい。


 彼女の体を拭き終わり、最後に手錠の解体にかかる。

 思えば順番が逆だ。


「鍵を持ってますの?」

「いいえ。ですが魔法で作ります。」


 鍵穴に土魔法で砂を流し込み型を取っていく。

 海の上だからか、それとも陸が遠いからか。

 土魔法の制御に手間取る。

 周辺環境に左右されるあたりに魔法は自然の力を借りているのだと思い知らされる。


「…あなた名前は?」

「ユリウスと言います。魔道士です。」

「魔術師とは違うのかしら?」

「似たようなものです。」


 もはや通じないことには慣れた。

 説明も面倒くさい。ネィダもそういう感じで魔術師と呼ばれていたのだろう。


 カチンと鍵が音を立てた。

 手錠をゆっくりと外す。


 自由になった手を彼女は撫でた。

 手首には長く拘束されていたようで擦り切れた後がついている。


「ありがとう、とても窮屈でうんざりでしたの。」


 グリングリンと腕を回す彼女。

 そのたびに胸がプルンと波打つ。

 眼に悪い。股間に悪い。


「その、せめて隠して下さい。僕も男ですので…。」

「ウフフ。これは失礼。」


 どうやらわざとやっていたようだ。

 被せておいた布をバスタオルのように巻いて彼女は立ち上がる。


「助けてくれてありがとうユリウス。でも、わけあって顔も名前も明かせませんの。好きに呼んでくださる?」


 好きに呼べと言われても…。


 例えば袋を被った人物の名前であれば、俺はミルドレットと名前を思いつく。

 しかしそれでミル姉さんと呼んでしまえば、別の人になるのでパスだ。


「では、エラと。」

「エラ…。理由をうかがっても?」


 そう聞いてくる彼女の手首を治療する。

 皮膚が擦れている程度なら、俺の回復魔法でも十分に効果がある。


 いつかこの魔法にも名前を付けないとな。


「おとぎ話に出てくる女性の名前を取りました。あなたのように美しい女性ですが、わけあって虐げられてしまっている方の名です。」

「あら、意外と皮肉屋なのかしら。おとぎ話のエラさんはどんな最期をたどるの?」

「一国の王子様に見初められて王妃になります。彼女を虐げた人々はみな何かしらの不幸に会い、その後彼女は幸せに暮らします。」

「素敵。なんだか私も気に入ってしまったわ。今から私はエラ。よろしくね。」


 そう言って彼女、エラは治療された手首を見る。


「見事な物ね、詠唱も無しにこんなに綺麗に治してしまうなんて。」

「お褒めに預かり光栄です。」


 そりゃ俺だって慎重に治す。

 自分の体ではないのだ。

 シエナの時だって相当気を使った。

 ロレスとの修業はここでも役に立つ。


「ところでエラさん。ここがどこかわかりますか?」

「いえ、さっぱり。船の中だということくらいかしら。国港以外の港町から出航したことだけはわかるけども、港を出てすでに20日以上が経っています。あの陸地がどこの国かもわかりませんわ。」

「そうでしたか…。」


 弱った。

 故郷に帰るつもりがとんでもないことになってしまった。


 状況的にもかなり悪い。

 装備無し。

 お金無し。

 地図無し。

 食料無し。

 おまけに味方も居ない。

 外は海賊だらけ。


 だが最悪ではない。

 怪我もなく、体も元気だ。

 若干空腹ではあるが、まだまだ動ける。

 生きているのならば、まだ道はある。

 何とか逃げ出す算段を立てよう。

 こんなにきれいな女性を素っ裸で放置するような連中だ。

 悪即斬。

 出会い頭に雷轟の射手(トリガー)をぶち込んでも構わないだろう。


「…あら。」


 エラがそういうと、上の階からゴトゴトと革靴の足音が降りてくる。


「ユリウス、隠れて。」


 彼女は布を外し、その辺に投げると手錠を付けて元あったように壁に寄りかかる。


 俺は近くの樽の陰に隠れた。

 その直後に乱暴に扉があく音がした。


 1人分の足音が大股で近づいてくる。


「よう。元気か?」


 背の高い海賊が一人、エラに声をかける。

 いかにも悪党風の薄汚れた男は髭も髪の毛も潮風でチリチリに巻いてしまっている。

 遠巻きに見ているぶんにも碌なケアを行っていないのが分かった。

 そして若干のろれつの悪さとここまで臭う酒臭さ。

 間違いなく酔っ払いだ。


 そんな男がエラを見て下卑た笑いを浮かべている。

 じろじろと、上から下までを舐めるように見るのだ。


「…。」


 エラの表情はわからないが、きっと睨みつけているのだろう。

 腕が上にあげられているため胸元は隠せていないが、足はしっかりと閉じてガードしている。


「こんな上玉にぶち込めないなんて生殺しだぁなぁ。お前もそろそろ人肌が恋しくなってきたんじゃないか?えぇ?」

「…。」

「親方も親方だ。こんなご馳走をぶら下げておいて手を出すななんてなぁ。せめて目の保養くらいはさせてもらわないと収まらないぜ。」


 そう言って男はズボンを脱ぎだす。

 そして息子を大きく育て始める。


 ─でっか!!??


 いや、感心することではないのだが。同じ男としては評価せざるを得ない。

 間違いなくビッグマグナムだ。


 エラも顔を伏せている。

 体は強張り、震えている。

 目前であんなことされたらそりゃそうなるだろう。

 抵抗も出来ない状態での異性からの歪んだ好意は恐怖以外の何物でもない。


 男は上機嫌でエラをオカズに息子を慰めている。

 えへ、へへへ、といやらしい笑みを浮かべ、荒い息で手を動かしていた。


 しかし、次に見たもので尊敬の念が殺意に変わる。

 彼の上着の裾から出ているソレが目についた

 暖かそうな白色の毛皮に赤色のワンポイント。

 見間違うはずがない。

 男が腹に巻いているのは俺のローブだった。


 殺ス!


 静かに、確実に、素早く意識を刈り取る手段はすでに用意してあった。

 シエナのように的確な拳を打ち込む自身は無いが、俺には前世での知識と師匠直伝の風魔法がある。


 右手を男に向ける

 風魔法による空気の成分操作。

 操作するのは酸素濃度。

 極限まで酸素を濃縮した気体を彼の口元で生成すれば、彼は気づかずにそれを吸い込んだ。


「─ッ!」


 ギャルンと白目を向き、彼は膝から崩れ落ちて地面に伏した。

 急性酸素中毒による昏睡。前世での知識は眉唾でもバカにならない。

 ばっちり決まった。


 下半身丸出しの男から服をひん剥く。

 後で誰かモザイク処理しといてください。


「返してもらう。」


 一番最初に取り戻したのはローブだ。

 悲しいかな、型崩れしてしまってる上に臭う。

 安全地帯まで逃げたら速攻洗濯だ。


「死んだの?」

「死んでは無いと思います。まぁ、どちらでもいいですが。」

「それもそうですわね。」


 意識は無いが呼吸はある。

 ほっとけばそのうち目が覚めるだろう。


 エラは再び手錠を外して男から上着とズボンを引きはがした。

 これがまた臭いが、彼女は勢いをつけて袖を通した。


「…いっそ海に飛び込んでしまいたい…。」

「心中察します…。」


 しかし素っ裸で逃げるわけにもいかないというのは彼女も理解してるようだ。

 裾を結んで調節し、荒紐をベルト代わりにズボンを縛る。

 靴は…。無理。臭すぎる。吐きそう。


「…袋は外さないんですね。」

「あら。こう見えて意外と快適でしてよ?」


 あなたもどう?と言いだしかねないが、時間がない。

 扉が半開きだ。

 気付かれれば仲間がなだれ込んでくるだろう。


「小舟を奪って逃げましょう。乗り込むときに使ったものがあるはずですわ。」

「わかりました。」


 男を壁の手錠につなぎ、財布を失敬してから倉庫から出る。


 甲板には数名の水夫がたむろしていた。

 樽の上でカードを広げて賭博にいそしんでいる。

 どいつもこいつも薄汚い恰好をしていた。


「段ボールがあれば…。」


 当然無いし、現実ではそんなに効果的ではないのは知っている。

 しかし潜入潜伏のお供と言えば段ボールだ。

 異論は認める。


「お前ら時間だ!錨を上げろ!!」


 船首の方から怒鳴り声が聞こえた。


「…時間がありませんわね。」


 エラの声に焦りが混じる。

 このまま船が陸から離れれば脱出は困難だ。

 それに窓から見ていたよりも波が高い。

 小舟では転覆する可能性が高いし、魔物に襲われることだってある。

 海の魔物は陸のそれより大型なのだ。


 海に落ちれば命は無い。


 …飛ぶしかない。


 しかしあの距離を飛びきれるだろうか。

 せめて杖があれば、勝算はあるが…。


「おいアッシュ!魔術師の真似事なんかしてないでドルドを呼んで来い!!」

「えぇ!!嫌だよ!!あの酔っ払いすぐオイラを打つんだ!!」


 水夫の声と、それに口答えする少年の声。

 そちらに目を向ける。

 水夫の方はどうでもいいが、少年の方は三角帽子と翡翠石の杖を身に着けていた。

 間違いなく俺のだ。


「良いから呼んで来い!センターセイルを動かすんだから人手が要るだろ!」

「わかったよ行けばいいんだろ行けば!!」


 アッシュと呼ばれた少年は文句を言いながらこちらに来る。

 気付かれてしまうピンチと装備を取り返すチャンスが同時に来た。


「エラさん。下がって。」


 再びアンブッシュ。

 今度は魔法は使わない。

 あの長距離を飛ぶならば少しでも魔力を節約しなければ。


 その辺に転がっていた木材を手に息をひそめる。


 少年は俺のすぐ前を通った。

 そして倉庫の扉が開いていることに気が付いた。


「んあ?」


 そうアッシュが声を出した瞬間に背後から木材を振り下ろした。

 後頭部に一撃、膝裏に一撃そしてもう一度後頭部に一撃。

 確実に彼の意識を奪う。


 声も上げずに彼が倒れ込むところを支えていったん倉庫へと後退した。

 扉を閉めると中ではエラが待っていた。


「剣術の心得もありますのね。」

「とても強い修行仲間が居ましたので、剣筋を真似ただけです。」


 シエナに感謝だ。

 彼女の猛攻は人間の急所を最短でたどる殺人コンボ。

 稽古を通して俺にも少しだけ身についていた。


 アッシュの体を漁ると俺の荷物の大半が出てきた。

 帽子、杖、商人符形、ナイフ。

 冒険者符形と財布、輝照石、そして赤髪のバイブルが見つからなかったのが残念だ。

 まぁ良しとしよう。

 ついでにアッシュの財布も失敬する。

 小銭しか入っていなかったが、ないよりはいい。


 …追剥家業も向いてるかもしれない。


 まぁ何にせよ、脱出の準備は整った。


「今から後部甲板に上がります。扉を開け放していれば誰かが気づいて騒ぎになるでしょう。時間を稼げます。」

「後部?小舟は船の側面近くにあるのでは?」

「脱出に船は使いません。魔道士の神髄をお見せします。」


 俺は得意げに笑って見せた。

 自分を鼓舞するうえでも、大口は有効な手段だ。

 それにユリウス・エバーラウンズは口に出したことは曲げない男だ。


 騒がしくなる甲板、そろそろ船員が数名居ない事に気が付いた頃か。


「合図したら移動します。静かに速やかについてきてください。」

「…賭けですのね。勝算は?」

「…神のみぞ知る。です。」

「あなたの神様がオルディン様であることを祈りますわ。」


 全能神オルディンか。

 確かに味方についてくれれば心強いだろう。


「…行きます。」


 手早く扉を開け放して甲板へ飛び出した。

 すぐに後部甲板へと上がる階段を見つけてそちらへ駆け出す。


 階段を駆け上がる最中で後ろから声が上がる。


「おい!倉庫が開いてるぞ!!!脱走だ!!」


 気付かれたがむしろ好タイミングだった。

 後部甲板にいた海賊たちが集団で駆け下りてくるのに出くわす。


「てめぇ!」

「遅い!!」


 横から水魔法で彼らをまとめて派手に押し流した。

 悲鳴を上げながら海に落ちて行く海賊を尻目に後部甲板へと到達する。


 マストを除けばここが一番高く、陸地に近い。


「どうしますの!?」

「背中につかまって下さい!」


 彼女は言われたままに俺におぶさる。

 俺より身長の高いエラを運ぶにはこうするのが一番安定する。

 けっして彼女のお尻や胸を背中で感じたいわけでは無いので、どうか邪推しないで頂きたい。


「風向きよし。発進方向よし。気合よし。」


 天候は曇り。風は追い風。

 気候条件、おおむね良好。

 あとは持久力との勝負だ。


 翡翠石の杖に魔力を回す。

 風が渦巻き、炎が灯り、形成された熱輪が甲高い音を上げる。


「ユリウス!行きます!!」


 星雲の憧憬(ネビュラ)起動。

 燃費を最大優先に燃焼推進で上昇、船から遠ざかる。


「と、飛んでる!?あなた飛べますの!?」

「話し掛けないで!気が散ります!」


 陸までは遠い。

 速度もあまり出せない。

 落ちたらおそらく二度と空には上がれない。

 失敗は許されない。


 そんな俺たちの脇を炎がかすめて飛んでいく。

 海賊たちの中には魔術を覚えている者がいるらしい。

 精度は悪いが、複数の炎矢(ファイアアロー)がこちらへ飛んできていた。


 体に当たること自体は熱いし痛いが大きな問題ではない。

 だが星雲の憧憬(ネビュラ)の熱輪への直撃だけは避けなければならない。

 間違いなく制御を失って墜落する。


 徐々に狙いが定まっていくのを覚えて焦りが募る。


 しかし、炎矢(ファイアアロー)の襲撃はピタリとやんだ。

 代わりに後ろで海賊たちの悲鳴と、バリバリと雷のような音が聞こえてくる。


「嘘…。」


 背中でエラが震え始めた。

 何事かと振り返り、戦慄した。


 船が、何かに襲われている。


 海面から上がる複数の触手。

 青とも緑とも見える鱗に包まれたそれがマストにも船体にも絡みついている。

 そして船底から伸びた腕。

 明らかに大きすぎるその腕も鱗で覆われており、鋭い爪が船体に穴をあける。


 それらの本体であろうそれが顔をのぞかせる。


 つるりとした顔面に8つの金色の眼とナイフで切れ込みを入れたようにぱっくりと裂けた口

 鋭く並んだ牙が、いまメインマストを食いちぎる。


「な、なんだ、あれ…。」

「"絶海の覇者""嵐の化身""海を司る五大龍"。…紺碧龍(レヴィ・アタン)…。」


 あれがドラゴン!?

 洋風海坊主と言われた方がしっくりくるそれは、生きた嵐のように船を薙ぐ。


 帆船よりも数段大きな体を持つ紺碧龍(レヴィ・アタン)は易々と船を横倒しにしていく。

 何人もの海賊が海へ飛び込むが、あれは助からない。

 周辺にはさらに小型の魔物が口を開けて待っていた。

 着水した瞬間から、それらの餌食になる。


「…彼の餌場に迷い込んでいたようですわね。正規ルートから外れた航海はああなる危険が常にあるのです。」

「…覚えておきます…。」


 執拗に船を攻撃するそれは、完全に船が沈むまで暴れ続けた。

 ゆっくりとしか移動できない俺たちはその徹底的とも取れるさまを最期まで眺める羽目になった。

 海面が静かになった頃には、木片と樽がわずかに漂うだけとなっていた。

 誰1人、死体1つ、浮かんでなどこない。


 アレに襲われたらひとたまりもない。

 逆に、あんなのを1人で相手にできるアレクは化け物だ。

 この世界で国港なんてものがある理由が分かった。

 海を無作為に渡るのは、あまりにも危険が大きい。


 自分の足元に何かいないかと怯えながら、俺はゆっくりと陸へと飛んだ。


 気が付けばエラは背中で寝息を立てている。

 こんな状況でも眠れる彼女の胆力に驚くべきか、それともやっと安心して眠れる状況になったのだと喜ぶべきか。


 どちらにしても状況はいまだ好転していない。


 これからどうなるのだろう。

 このさきどうすればいいのだろう。

 そんな心配も、まずは無事に陸へ足を着けてからだ。


 日が沈みゆくのを横目に見ながら、孤独と不安を乗せて飛んだ。


 …陸地は、まだはるか先だ。

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