第三十一話 「証と旅立ち」
悲しい別れというのはいつだって雨を連れてやってくる。
俺の前世で3度経験した葬式はいつも雨だった。
父方の祖母の死。母方の祖父と祖母の死。
幸いにも、俺の前世では歳の近い人間は簡単に死ななかった。
車にひかれて太ももの骨を折るようなケガをした同僚もいたが、死にはしなかった。
最初の葬式は何が何だかわからぬまま、長時間の正座に我慢するばかり。
2度目の葬式は喪主側の手伝いとして右往左往するばかり。
3度目は、知らせの電話に気づかずすべてが終わっていた。
それらを合算するなら、今日は4度目の葬式だ。
参列者は本当に少なかった。
俺とシーミィ。
そしてギルドの代表でジーナ。
たったのこれだけだ。
厳密に言うとジーナは参列者ではない。
彼女はネィダの血液サンプルを取りに来たのだ。
疫病予防に急死した人間には必ずギルドが施す処置なのだという。
結局のところ、現段階ではネィダの死は原因不明だった。
彼女は真っ黒の給仕服で来てくれた。
前世で言うところの喪服に相当するものだ。
「…先週も、楽しくお話してたのに…。」
と涙目に彼女は語る。
ネィダは度々酒場を訪れていた。
単純に食事のために出なく、誰かが話す俺の噂を聞くために足蹴く通ったのだという。
それを想えば、俺の胸はますます締め付けられた。
もっと手紙を送っておけばよかった。
もっと前世について聞かせてあげたかった。
今更叶わぬ思いばかりが渦巻いた。
今俺たちは火葬場に居る。
大きな釜土があるような場所ではない。
苔むした岩の壇上に煙突の付いた屋根があるような場所で墓場の近くだった。
そこへコガクゥの村の村長。アドゥ・コガクゥ氏が男数名を連れ立ってネィダを運んでくれた。
棺桶にも入らない彼女の体を突貫で作った担架に乗せてここまで来た。
「…濡れさせてごめんなさいね、ネィダ。」
終始鼻を真っ赤にしてシーミィが連れ添った。
この世界において、死んだ者は火葬される。
炎が魂を浄化し、肉体を清めて魔物になるのを防ぐのだ。
とくにこのコガクゥの村では空気中の魔力が濃い。
そのため魔物化してしまう危険性はほかの村に比べて高かった。
つまり、誰かがネィダを焼かねばならない。
「…お辛いようでしたら、私が。心得はあります。」
ジーナがシーミィに告げる。
彼女も元冒険者。であれば、仲間の死も経験しているのは頷けた。
「あの…。」
俺はその2人に声をかけた。
「…俺が、送ってあげても良いですか?」
叶うのであれば、あの世への送り出しは俺がと思った。
せめて、弟子である俺が師匠にしてあげられる数少ないことだ。
ジーナはシーミィに確認の視線を送る。
シーミィもまた、それに頷いた。
「…辛かったら言ってね。変わるから。」
「ありがとう。ジーナさん。」
「お祈りの言葉は私が言うから。あなたは先生の事だけお願いね。」
そう言い終わって、俺とシーミィは最後にネィダの顔を覗いた。
血の気は薄れてしまっているが、驚くほどにいつもどおりのムスッとした顔がそこにある。
「…寝てるだけならいいのにね。」
「そうですね…。」
いっそ炎の熱で「あっつ!?」と目覚めてくれれば良い。
そう願うほどに、彼女の死は受け入れがたいことだった。
「…始めます。」
俺は両手をネィダに掲げた。
魔力を練り、彼女の寝かされた石の台座ごと炎で包む。
最初はオレンジ色の炎が、徐々に温度を上げ、青に、そして緑にと色を変える。
人の身が焼ける独特の臭いが、火葬場を包み始めた。
「─冥界の神、死と赦しの父。デウスよ、今ここに汝へ祈る。」
ジーナが祈りの言葉を口にする。
炎はそれに呼応するように燃え上がる。
「これより、汝の御胸に我ら小さき子の魂を送りましょう。どうか広き心のままに彼女へ安らかな眠りと安らぎを与えたまえ。」
俺はネィダの旅立つ様を必死で見つめた。
どんなに瞬きしても、視界のぼやけが収まらない。
ポロポロと、涙が溢れてくるのだ。
「名をネィダ。ネィダ・タッカー。彼女の死が、魔に喰われぬよう守りたまえ。残された我らの悲しみを赦したまえ。」
火葬場の煙は雨の中でも白く長く立ち昇った。
天国へと長く続くような細い細い煙。
それは昼を過ぎるまで、絶え間なく昇った。
さようなら。どうか安らかに。
何度も何度も心の中で別れを告げた。
---
「小さくなっちゃたわねぇ。」
骨壺に収められたネィダにシーミィは寂しそうに話し掛けた。
これから数日、骨壺は屋敷で安置される。
そしてその後はコガクゥの墓地へと埋葬されるのだ。
「先にネィダを連れて帰っているわね。ユリウス。」
「はい、シーミィさん…。」
俺は火葬用の台座の前から一歩も動けなかった。
ジーナが傍らにいてくれる。
「…頑張ったわね。」
「…はい…。」
そっと彼女は俺の肩を抱いてくれた。
「仲良しだったものね。いつも酒場で色を言い合ってたのが懐かしい。」
「…その件はお騒がせしました。」
いつだったか、下着当てゲームがジーナにバレたことがあった。
鉄拳を振り落とされる前に2人して逃げたものだ。
「師匠の人生は褒められた人生じゃなかったかもしれません。いろんなところで適当な約束してたし、貴族の屋敷を燃やしたこともあったとかで、一癖も二癖もある人でした。そのくせ口下手で、人見知りで。いつも不機嫌そうな。気難しい人でした。」
バーカバーカと煽ってくる師匠の顔が思い浮かぶ。
もくもくとホットサンドを頬張る顔が浮かぶ。
大口開けて椅子で寝る姿が浮かぶ。
お世辞にも、品の良い師匠では無かった。
「でも、良いことも悪いことも師匠が教えてくれました。師匠が居なければ、きっと俺は魔道士なんてなれなかった…。」
再び視界が滲む。
言葉と一緒に、ポタポタと足元に染みが出来る。
「俺にとっては、とても。とても良い師匠でした…!これからまた研究頑張ろうって、言ったばかりだったのに…っ!」
何で。
という言葉はそれ以上口から出なかった。
嗚咽が喉をふさぎ、息があれて言葉にならない。
「な、何も。何も師匠はッ。悪いことしてないのに…っ!!」
こういう時に神様は残酷だと思う。
不平等で気まぐれで、そして無頓着だ。
連れていくならいっそ極悪人を連れて行けばいいのに。
どうしてこういうことをするのか。
本当に飲み込めない。
せめて反魂の魔術や運命繰りの魔術を残しておいてくれればとも思った。
とことん神様は使えない。
「…命ある以上はいつか死ぬ。それは人族でも魔族でも同じ。」
ジーナが口を開く。
「肉体は清められ、魂は天へ還る。でも受け継がれるものはあるはずよ。それが先生の生きた証になる。」
彼女はしゃがみ、俺と視線を合わせた。
「私は彼女の死がなぜ起こったのかを突き止める。せめて後世につなげて予防できるように。ギルドの威信にかけて必ず解明するわ。」
ジーナはそう言って、俺の両肩を掴む。
「しっかりしなさいユリウス。あなたがメソメソしてたらまた先生にバカって言われるわ。」
「…そうですね。頑張らないと。」
願わくばまたバーカと言ってくれると嬉しいが、そうも言ってられない。
俺は師匠が残したものを受け継いでいかねばならない。
ユリウス・エバーラウンズという彼女の最期の弟子を。
「…俺、魔道士を続けます。いつか、師匠に認めてもらえるような。大魔道になって見せます。」
なんとか涙を拭って俺は言い放った。
大魔道になんて、どうやってなったらいいかわからない。
しかし、目指すことはできる。
目的、手段、手札。
師匠の教えは俺に根付いていた。
師匠を越えるとか大層なことは言わない。
しかし、俺が出来る弔いであるならば、それをするまでの事。
ユリウス・エバーラウンズは、恩義を忘れない。
そういう男なのだ。
---
「随分あるわね。」
「本当ですね。」
シーミィと部屋を見渡して呆気にとられる。
ネィダの屋敷に帰れば、片付けに再び追われた。
遺品整理と言ってしまえば少し悲しいのであくまで片付け。
人間は年を取ると得る物より失うものを大きく感じてしまう悪癖のある生き物だ。
見た目10歳の中身40歳である俺は何かに打ち込んでないとまた泣きだしそうだった。
本、本、本。
この部屋は本であふれている。
高価な魔術書からくだらない下世話な本まで多岐にわたる。
ネィダは収集家でもあった。
曰く、「あたしが買わないと本が腐っちゃうだろ。」とのことだった。
「シーミィさんはあっちを、俺はこっちの本棚を片付けます。」
そういうと、シーミィは少しだけ笑っていた。
「…どうしました?」
「いいえ。急に俺なんて言いだすものだから。あなたも大きくなったのねと思って。」
「師匠が自分らしく生きろと言ってくれたので。その最初の一歩です。」
「そう。相変わらず教え方は一流ね。」
そう言って彼女は指示した方の本棚を片付ける。
別に捨てるわけでは無い。
溢れた本を収納する場所を確保するために、一時的に木箱へ移すのだ。
この研究室はシーミィが引き続き使うので整理しなければならない。
ということで俺はひっそりと一部蔵書の処分を始めた。
"モテる男の必勝法 あの子もこの子もズキュンバキュン"
"女を抱くなら旅に出よ"
"解説!女装男子の全て!"
"メイド大全 ~古今東西従者図鑑~"
"ゴルド著 今こそ赤髪の良さを説こう"
魔術に一切関係ない本だ。
彼女の名誉のために言っておくがネィダの趣味ではない。
投げ売りされていた本も収集したらしい、それでも誤解を招きかねない。
この世界にもそういうニッチな本はあるのだ。
これは俺がそっと闇に葬ろう。
最後の赤髪に関する本は興味深いが、一刻を争う事態だ。
「ところでユリウス?」
呼ばれて肩を跳ねさせながら俺は返事をした。
「あなた、今後はどうするの?」
作業の手を緩めずにシーミィは続けた。
今後。
今後か。
その実、考えていなかった。
まぁ今は考えるほど心の余裕がないともいえる。
気を抜けばネィダの事を考えてしまう。
まずは目の前のことに集中したいとも思えたが、保留にしっぱなしというのは良くない。
「…そうですね、ひとまずは実家に帰ろうかと思います。」
「実家…イングリットの村だったわね?」
「はい。もう丸6年帰ってないので。もしかしたら忘れられてるかも。」
「そんなことないわ。ご家族は今もあなたの事を考えてるかもしれない。」
「そうだと良いですね。」
そうは言ったが俺の家族はそんな薄情な人たちではない。
デニスとサーシャは今頃くしゃみでもしているだろうか。
イリスは…もしかしたら本当に俺を兄だとみてくれないかもしれない。
そこは不安だ。
「まぁ、片付けが終わり次第ですね。」
「帰って来たばかりなのに、ごめんなさいね。」
「シーミィさんが謝ることじゃないですよ。」
「ありがとう。ひとまず床の本だけでも頑張りましょう。それからは私だけでもなんとかなるから。」
「はい。頑張りましょう!」
そう言って先ほどのニッチな本たちを木箱に詰めて運び出した。
後程裏庭でこっそりと燃やした。
ネィダの名誉は保たれたのだった。
"ゴルド著 今こそ赤髪の良さを説こう"だけは手元に置いておいた。
形見分けということで師匠には許してもらおう。
---
その日の夕方。
俺は久しぶりにギルドの酒場を訪れた。
ずっと片付けっぱなしで腹ペコだったのもあるし。
アーネストやアンジーにも会いたかった。
しかし、二人の姿は見当たらない。
いつもの賭博大好き3人組は居る。
いつかの女性を口説いていた剣士は今日もフラれている。
最近ふえた常連なのか、カウンターには身の丈ほど大きな剣を背負った筋肉達磨が大飯を食らっていた。
「いらっしゃい。お疲れ様。」
「どうも。」
ジーナに迎えられながら席に着く。
すっかりカウンター席に座れるようになってしまった。
この村が縮んだのではなく俺の背が伸びたのだ。
少年の成長というのは早い。
ジーナは相変わらず胸元の開いたディアンドルを着こなしていた。
記憶が確かなら彼女は30過ぎ。しかしそれを感じさせないような若々しさと元気がある。
生前の俺の周辺の女性は皆くたびれた印象だった。
…まぁブラック企業なら仕方なしか。
「顔ぶれが変わりましたね。アンジーさんとアーネストさんは?」
「2人揃って行先も告げずに旅に出たわ。薄情な奴らよまったく。」
それには苦笑い。
双方この酒場の常連で、個性の強い客だ。
特にアーネストは《番犬》なんてあだ名がつくぐらいの有名人だった。
「それで?今日は何にする?」
「あまり手持ちがないので、安くお腹が膨れる物を。あと手紙を出させてください。」
「はいはい。ちょっと待ってね。」
そう言って彼女はいったんカウンターの中でしゃがみ込むとレターセットを出した。
「ん?」
思わず声を上げた。
彼女の左手に指輪が光っている。
「ジーナさん。結婚してたんです?」
「え?えぇ…。ばれちゃった?」
顔を赤らめながら彼女は恥ずかしそうに左手の指輪を撫でた。
それもそうか。
3年あればゴールインだってする。
早ければ子供も生まれていたかもしれない。
別れがあれば出会いもあるということか。
何はともあれ、めでたいことだ。
「おめでとうございます!お相手はどんな人です?」
「ありがとう。旦那は素敵な人よ。今は冒険者してるけど近いうちに定職に就くって張り切ってるわ。」
「おおー。具体的にはどんな素敵な方?」
「背が高くて、力が強くて、特に腕の筋肉がすごいの。抱き締められた時なんてもう苦しさと嬉しさで頭がどうにかなっちゃいそう!」
何やら特殊な喜び方をしている気がしないが、彼女が幸せならOKです。
隣の方で咳の音がした。
筋肉達磨が激しくむせている。
ジトっとした目付きでジーナに視線を送る彼。
ジーナはウィンクで返した。
途端に男の顔が赤くなる。
「…あの人?」
「そうなの!口数は多くないけど、とてもラブリーなんだから。」
くねくねと惚気るジーナ。
うーん。
お幸せに。
「それじゃ料理はちょっと待っててね。」
「はーい。」
軽い会話をして手紙に戻る。
こういう時に彼女の明るい性格は本当に助かる。
さて、料理を待つ間に手紙をしたためることにした。
まずは家族へ送らねば。
シエナにも送りたいが、それはいったん後回しにしよう。
ドラマチックな再開の約束をしたのに3日も経たないうちに書いていてはちょっと良くない。
何事も間隔というのは大事な要素だ。
─
父さま、母さま、イリスへ。
お久しぶりです。
しばらく手紙を出せなくてごめんなさい。
首都ロッズでの研修を終え、今はコガクゥの村に居ます。
─
「…文字が詰まるな…。」
書きたいこと、伝えたいことはたくさんあったはずなのに、なかなか文字にならない。
コツコツと羽ペンで机を突きながら手紙の続きを考える。
ネィダの事は、書きたくなかった。
今それを書いてしまったら泣きそうだ。
…うん、ひとまず頭から外そう。
目頭が熱くなっていかん。
ロッズの事は家に着いてから話すとして。
まぁ、まずは端的に今後の予定を伝えておこう。
─
色々あってひとまずはイングリットの村に帰ろうと思います。
先に手紙を出してからギルドの乗合馬車を待つので、多分手紙が着いてから数日中には家に着けると思います。
家を出て6年、俺もそれなりに背が伸びました。
少しでも成長したなと思ってもらえれば幸いです。
急いで帰るので、待っていてください。
再会を楽しみにしています。
ユリウス。
─
「…こんなとこか。」
「はいお待ちどうー!たっぷりリコミルクと鱗鶏のグリル。よく焼きね!」
ガチャンと音を立てて料理が運ばれてきた。
思わず俺はジーナを見た。
鱗鶏のグリルはこの店では高い料理の部類だ。
そのうえ飲み物まで。
師匠によく食べさせてもらった組み合わせとは言え、今の俺には少し痛い出費となる。
このままでは馬車に乗れない。
「あの、ジーナさん。」
「うん?ソーダの方が良かった?」
「いえ、その。安い奴をと…。」
そう言った時にジーナは小さくカウンター席の筋肉達磨を指さした。
彼はこちらに向いており、親指を立てた。
「食え。」
短く男は言うと、豪快に追加で頼んだ肉に食らいついた。
そしてガブガブとソーダを飲み干して派手にげっぷをする。
「奢ってくれるって。彼、あなたのファンなのよ。」
ジーナがひそひそと教えてくれる。
「あんななりでも彼は演目が大好きでね。あなたの話を聞くためにここに通ってたくらいなんだから。特にあなたが貴族のお嬢様を身を挺して守ったお話とか何度も何度も─。」
「ジーナ…。」
彼は恥ずかしそうに会話を遮った。
筋肉達磨の表情こそ変えなかったが、赤くなりやすいようですぐに分かった。
「何よカルロス。あなたの憧れの人が居るんだからお話くらいしたら?」
「…いや。それは。やめとく。」
「恥ずかしがり屋なんだから…。でもそこも好きよ。カルロス。」
カルロス可愛いよカルロス。といった会話が繰り広げられた。
実際に耳にすると聞いてるこっちが恥ずかしくなる。
砂糖でも吐き出してしまいそうなピンク色の空間だ。
もしかしてこっちの世界では女性の方が積極的なのか?
サーシャもデニスに対してそんな感じだ。
リュミドラもドミトルには割とグイグイな感じだったが…あれは尻に敷いてるだけか。
「ありがたくいただきます。カルロスさん。」
「あぁ。食え。大きくなれ。」
コツンとジョッキとボトルを打ち付け合って食事をする。
「彼、子供好きなの。楽しみよね。」
ジーナは何がとは言わなかったが、それ10歳の子供にしていい会話ですかね?
一先ずはわからないふりをしておいた。
「それじゃジーナさん、手紙をお願いします。」
「はいはい。預かりました。」
「あと、ギルドの乗合馬車って出てます?イングリットの村に行きたいんですけど。」
「えーっと、ちょっと待ってね。」
彼女はそう言ってカウンターの下から分厚い台帳をだした。
カウンターの内側はいったいどうなってるんだろう。まるで四次元だ。
「…コガクゥからはしばらくでないわ。早くても5日後ね。もし急ぐのならディーヌ孤児院からの直行便が明日の夕方辺りに森の南側を通るからそれに乗せてもらえると思う。」
「明日の夕方ですね。わかりました。」
「実家に帰るのね。」
「えぇ、ひとまず。少し考える時間も欲しいですし。」
「…そうね。久しぶりの帰省ですもの!思いっきり甘えちゃいなさい!」
彼女は明るく言った。
きっと彼女なりにネィダの事を話すまいと気遣ってのことだ。
ギルドの看板娘は気遣いも出来る。
繁盛する理由が良くわかる。
「それじゃ、ごゆっくりね。」
彼女はそう言って給仕に戻った。
視界の隅では自分と同じくらいの少年たちが依頼掲示板を前にどの依頼を受けるかを話し合っていた。
…冒険者になるのも、悪くないか。
そんな事を思いながら。料理を口に運ぶ。
美味しいはずなのに、こんなにも味気がない。
慣れているはずの1人でする食事は、何やら寂しさがこみ上げた。
---
さらに翌朝。
再びネィダの屋敷。
出発までに淡々と時間が進む中で淡々と片付けを進めた。
研究室の机の上では骨壺が静かにたたずんでいる。
昼前にはテオが居たころの整然とした研究室に戻り、ネィダの机には花瓶に生けられた花が添えられた。
白くほのかに光るその花は死後の世界にも咲くとされ、魂を天に導く道しるべなのだという。
「やっと終わりましたね。」
「そうね。これでひと段落。本当に手間のかかる同居人だったこと。」
シーミィもそう言えるくらいには立ち直ったようだ。
もしくは、そういう風に振舞おうとしている。
「まだ時間あるかしら?ご飯食べていく?。」
「お気遣いだけで。少し余裕を持たせて出ます。」
ここから村の南側に歩くとなるとそれなりに時間がかかる。
早めに行動した方が良い。
あまり時間通りに行くともう行き過ぎてました。なんてこともある。
俺はローブと三角帽子を身にまとった。
「シーミィさん。これを。」
そして翡翠石の杖を彼女に差し出す。
「師匠にお金を貸してもらって買ったものです。お役に立ててください。」
返すことが出来なくなってしまったが、せめてシーミィに渡しておくべきだろう。
しかしシーミィはそれを俺にそっと返した。
「ネィダがあなたに与えたものをどうして手放すの?それはもうあなたの杖なのだから。大事に使ってあげなさい。」
「ですが、お世話になってばかりで何も…。」
「じゃあ、あなたに弟子が出来たときに同じことをしてあげなさい。そうやって教えは受け継がれるのよ。ね?」
そう言って彼女はネィダの方を見る。
真ん丸の骨壺に何かがあるわけでは無いが、そういうことなのだろう。
「…わかりました。大事にします。」
俺はシーミィにお辞儀をした後に、ネィダの机の前に立った。
「師匠。今までお世話になりました。」
騎士礼節の簡易礼で、頭を下げる。
「良いってことよ。」と聞こえた気がしてしまう。
我ながら都合のいい空耳だ。
「…では、行ってきます。」
「えぇ。またいらっしゃい。ユリウス。気を付けてね。」
そうしてネィダとシーミィに別れを告げた。
さて、無理やりにでも頭を切り替えていこう。
いつまでも感傷に浸っていられない。
そこからはしばらく物資の調達を行うこととなった。
馬車の運賃から逆算して予算は銅貨20枚ほど。
ここからイングリットの村までは馬車で7日かかる。
食料も調達しておかないといけない。
と言ってもカバンも買わなくてはいけなくなった。
デニスの耐水バッグは良い値段で売れてしまったのでもう無い。
身軽であれば何でもよいというわけでは無いのだ。
というわけで今回のお買い物はこちら。
紐付きの皮袋。銅貨5枚。
乾パン20個。銅貨8枚。
干し肉2房。銅貨3枚
塩。銅貨2枚。
麻布。銅貨2枚。
これにて銅貨20枚。
値切り交渉もあって一通りが揃った。
それらを入れれば皮袋は一杯になった。
本当に最小限の荷物だが、故郷までは何とか持つだろう。
食料は足りなければ魔物を狩って食べればいい、野犬の肉なら食べなれてしまっている。
「よいしょ…。」
皮袋を担ぐ。
さながら修行中のボクサーのような出で立ち。
しかし予算も無いし、魔道士っぽいカバンというのすぐに思いつかなかった。
まぁちゃんと口が絞れれば何でもよい。
行きますか。
さらばコガクゥの村。
ちゃんとお墓参りには来るからね。
もし叶うなら次の亡者の列挙でネィダに会えないだろうか。
ロレスのいう古い知り合いとはもしかしたら故人だったのかもしれない。
そう思いながら森を歩く。
苔むした街道の石畳に足跡を残しながら故郷へと進む。
森の出口までは一本道なので杖を剣の様に腰に下げて片手間に本を読む。
ネィダの研究室から持ち出した赤髪に関する本。
著者の名前はゴルド・シルバーマン。
金だか銀だかわからん名前の人物が書いた赤髪に対する情熱の詰まった本だった。
─余が思うに、赤き髪を持つものは男でも女でも美しい。
という一文から始まる本。
最初にめくったページの時点で彼の並々ならぬ執着が見て取れた。
なんでも彼はベルガー大陸にある屋敷の主人で、従者は全員赤髪。
すでに4人の妻を持ち、当然ながら彼女らも赤髪なのだという。
以降も、日に揺れる赤髪の美しさは赤き宝玉と見紛う。とか。
その気高き色彩はどの種族の者であっても皆平等に尊いものだ。とか。
ドラゴンロッド家での日々を思い返せば彼の言い分は頷ける節が多々ある。
ゴルド氏とはいい酒が飲めそうだ。
─特に夕日のような、燃え上がる炎のような紅蓮の髪を持った女神を余は待ち続けている。
瞳まで赤であるならば、それはまさに余と結ばれる運命にある者だ。
もしこの本を読んでいる者に心当たりがあるのであれば連れて参れ。
妻に迎えた暁には、思うがままの褒美をとらせよう!
と、まさかの5人目の妻を欲する文章まで記載されている始末。
これはシエナなどは絶対に紹介してはいけない手合いだ。
…まぁ、当の本人がゴルド氏に斬りかからんとも限らないが…。
この世界で一夫多妻はそんなに珍しいことではない。
むしろドミトルのような貴族が妻を1人だけ持つという方が珍しい。
四大貴族という身の上でありながら、彼はあんなで一途なのだ。
しかし、一夫多妻。俗にいうハーレムか。
夜の営みとかどうしているのだろうか。
当番制なのか?
それはそれでそそるものがある。
それとも全員まとめてかかってこいといった感じだろうか。
憧れが無いわけでもないが、ちょっと乗り気になれない。
まぁ、そういう相手を見つけるのが先だし、もっと言えばユリウスはまだ10歳。
まだ見えぬ未来の話だ。
分厚い本を読み進め、キンジロウ・ニノミヤスタイルで歩くこと数時間。
予定通り、日が傾く前には森の出口へとついた。
流石に肩と首がバキバキだが、有意義な読書だった。
やはりゴルド氏とは気が合いそうだ。
もし出会えたならガッチリと握手してサインを頂こう。
…まぁ、ちょっとエグめの夜の営みが記載されていたのは眼を瞑る。
「まだ馬車は来て…あれ?」
まだ夕方というには少々早い時間だというのに、ギルドの馬車がすでに街道脇に停めてあった。
少し破けた幌に大きくギルドの紋章が掲げられた馬車。
二頭の馬は長旅なのか毛並みが少々荒い。
ディーヌ孤児院からは小さな村を経由して10日ほど。
当然と言えば当然か。
予定よりも早くついたのだろうか。
もしかしたら長距離ドライバー的に、何時間ごとに休憩を取る義務があるのかもしれない。
まぁ何にせよ、確実に乗れるのはありがたい。
ギルドはあくまで冒険者の為の組織であって一般人にはあまり親切でない場合もある。
そういうのを回避するためにギルドの設備を利用するにあたっては冒険者符形が必須だ。
自分の冒険者符形をポケットから出しながら馬車の幌をめくる。
「すいませーん。イングリットの村まで乗せてほしいんですけどー。」
中に足をかけたときに固まった。
アレックスが雇っていたような山賊風の男が数名。
そしてその中心には麻袋をかぶせられた女性が今まさに服をひん剥かれているところだった。
「な、何ーっ!!??」
ギルドの馬車じゃない!?
ていうか人さらい!?
お巡りさん!じゃなかった衛兵さんこっちです!?
とにかく言葉が胸で大渋滞。そんな声を発した時だ。
一番手前に居た山賊に襟首を掴まれて馬車に引き込まれて取り押さえられてしまう。
「誰だてめぇ!どこのもんだ!!」
「どうする!?見られたぞ!?」
向こうも向こうで混乱が生じている。
今ならば逃げれるか。
そう思ったが、口元を布で塞がれた。
ベチャリと湿った布には嗅いだ覚えのある匂いがしみ込んでいた。
甘ったるい、キャラメルのような匂い。
─しまった!!
気付いた時には視界がぼやけて、どうにもならない眠気が襲い掛かってきた。
テオの薬学の講義で嗅いでしまった薬剤を思い出す。
封印…薬…。
「予定が狂った!馬車を出せ!港へ急ぐ!」
体の自由が利かなくなるのを感じながらごとりと床に頭を落とし、俺は意識を失った。




