第三十話 「前触れもなく」
夜になるころに乗合馬車はコガクゥの村に着いた。
久しぶりの村は出ていった時と何一つ変わらぬ景色を見せた。
すっかり日が暮れたにもかかわらず、輝照石の灯篭に照らされて村全体がほんのりと明るい。
苔むした大樹も、空中を行きかう橋も懐かしい。
しかしなんだか狭く感じる。
あんなに広かった村が今は縮んだように思えてしまう。
不思議な感覚だ。
「はい、到着。ごぉ苦労さーん。」
「ありがとうございました。」
巻き角の御者の声と共に馬車は終点に着いた。
ひょいと馬車から飛び降りていそいそと財布を出す。
「あー。良いって良いって。」
馬車の上から降ってくる声に顔を上げる。
「今日のお夕飯にでもしなよ。無事に帰ってこれたお祝いってことで。」
そう言って彼は支払いを受け取らなかった。
それはそれでありがたいが、良いのだろうか。
「あのローブのお姉ちゃんが先に払ってるから受け取ったらダメなのよねぇ。」
「ローブの…。ロレスさんが?」
フッ。と振り向きざまにサムズアップをする彼女が浮かんだ。
当然本物はそんな事をしないが、なんと頼りになる人だろうか…。
「それじゃあ、気を付けてねぇ。」
「はい!御者さんもお気をつけて!」
馬車を見送ってから振り返る。
コガクゥの村。
実に3年ぶりだ。
すぐ近くにあるのはクアトゥ商会が店舗を構えていた建物だが、今は別の屋台が入っている。
「さぁ!首都ロッズで大流行りのソーダだよ!シュワシュワさわやかな新感覚の飲み物さ!!」
人だかりが出来ている屋台でそんな声がする。
見た感じはオープンテラス式の居酒屋と言った感じか。
ギルドの酒場とは違った賑やかさのお店では、ほぼすべての卓でドラゴンロッド印のソーダが飲まれていた。
そうか、売れているのか。
ちょっと安心だ。
当面はこのソーダがゼルジア家の収入を支えることとなっている。
シエナの夕飯になってくれるなら少しでも多く売れてほしい。
…イングリットの村でも流行らせておこう。
そんな光景を見ながら、ひとまずはネィダの屋敷を目指した。
「たしか…あった!」
意外と覚えてるものだと感心しながら入り組んだ木の根元に広がる道を抜けて屋敷までついた。
相変わらず不思議なシャボン玉が立派な大樹にしがみついている。
「ユリウス・エバーラウンズです!ただいま戻りました!」
屋敷のノッカーを鳴らしながら声を張る。
灯りは点いているから無人ということは無いだろう。
しかし、扉は開かないし返事もない。
疑問に思っていると上の研究室で明かりが揺れた。
誰かが中に居るのは間違いない。
仕方ない。あの手で行くか。
忍び込みます。
足早に裏庭に回る。
ネィダに弟子入りするときに使った経路は今もあの時のままだ。
星雲の憧憬を使ってしまえばあれだけ苦労したよじ登りも一息で終わった。
そのまま研究室の扉に手をかけるが、鍵がかかっている。
「とーぞくの。」
以下略。
サッサとピッキングツールで開錠して中へ進む。
そして中をみて「えぇ。」と困惑の声を上げた。
雑然としている。
本も、魔法陣の書かれた紙束も、ソーダの空き瓶も。
至る所に散らばっていて、もはや足の踏み場もない。
荒らされているというよりは片付けてない。
いったい何があったんだ…。
「師匠ー。ユリウスですー。戻りましたー。」
居るはずのネィダの姿が見当たらないので声をかけてみるが返事はない。
─キィ。
扉が小さく音を立てた。
後ろか!?
いつかのドッキリを思い出して身構えたが彼女の姿は無かった。
いったいどこに…。
「下なんだよなぁ。」
突然聞こえたネィダ声に驚き、足を掴まれてさらに悲鳴を上げる。
雪崩た本の山から腕だけが出て俺の脚を掴んでいる。
「相変わらず騒がしい奴。ちっとも変ってねぇな。」
むくりと本の山が起き上がる。
ぼさっぼさで繊維まで傷んだようなの茶髪。
むくれ切った顔にいつも不機嫌そうな表情。
オークと見紛う体型。
我が師匠、ネィダである。
「お、驚かさないでください…。」
彼女も相変わらずだ。
「冗談はさておき。良く帰った、バカ弟子。色々聞かなきゃだけど腹減ったわ。飯行こうぜ飯。」
散らかった部屋をそのままにして彼女は出ていった。
俺も後に続く。
---
向かったのは先ほど通りがかったオープンテラス風の居酒屋だった。
既に丸机に付き、ソーダと食事を人数分頼んでいた。
ソーダが2本。他の料理は目新しい。
アリアー北部にあるアッシア山地のポタ芋という品種の蒸かし芋。
王都でよく食べられるロニスタという名前の具材たっぷりスープ。
鎧皮の大蜥蜴の干し肉を火で炙った串物。
どれもアリアー大陸北部でよく見る料理なのだという。
「ギルドの酒場じゃないんですね。」
「いっつも同じところで飲み食いしても面白くねぇだろ。」
居酒屋の名前は"風来亭"。行商人兼料理人が構えた移動レストランらしい。
「半年ほど前に出来た店だけど悪くないよ。ソーダもあるし。」
「ソーダは結構話題ですね。首都以外でも流行ってますし。」
まぁ、作ったのは俺だけど。
とは言わなかった。
これはあくまでリュミドラ主体で作られている商品だ。
俺の作ったものを無糖炭酸とするならドラゴンロッド印のはトニックウォーターだ。
改良されたそれは香料でほんのりと香りと味が追加されている。
おかげで子供も大人もゴクゴク飲める人気の精製飲料水となっていた。
顧客の幅を広げることを最優先にした辺りさすがの手腕だ。
「使用料は取ってんのか?」
しかし彼女はさらっと言った。
「何がです?」
「とぼけんなって。こんなの作るのおめぇくらいだろ。貴族に入れ知恵して小遣い稼ぎとかやるじゃん。」
彼女は運ばれてきたソーダに口をつける。
そういえば最初の炭酸水を口にしたのはネィダだったな。
しかし見抜かれたが、事実ではない。
「…取ってないです。」
「…は?」
「使用料。取ってないです。」
「は!!??」
ガタンと身を乗り出すネィダ。
俺も口惜しさで肩を縮めた。
「おま…、バカだろまじで。これがどれだけ市場に出回ってるかわかってんの?」
「…こんなに売れるなんて思ってなくて…。」
そういうと彼女は頭を抱えた。
「いや、マジでバカだわ…。」
「おっしゃる通りで…。」
ソーダは泡酒に比べても少し高い。
泡酒はジョッキ一杯が銅貨3枚
対してソーダは銅貨5枚。
個別にボトル詰めしなければならないのでコストがかかるのが現状の難点だが、それも時間の問題だ。
たしか、街の細工師と専属契約をしてボトルを生産させる算段を付けたのだとか。
上手くいけば泡酒と同じ価格で勝負できる。
…そうなるのであれば、1ケースにつき銅貨1枚でも取っておけばすごいことになっていただろう。
燃えてしまった森の弁償代もあっという間に返せてしまえそうだ。
今頃はネィダに立て替えてもらった金貨11枚もさらっと払えている。
本当に惜しいことをした。
「…まぁ、徳を積んだということで…。」
「徳じゃ腹は膨れないっつぅの。」
魔道じゃなくて金稼ぎを教えるべきだったか。と彼女は呟く。
「悪ぃな。なんか、もっとがめつい生き方とかそっち方面を先に教えとけばよかった。まさかそこまでバカ正直な人間とは思ってなかったから。」
なんだそれは。
この無垢な少年を見てそれは無いだろう。
どう見ても人畜無害の善良なアリアー国民だぞ。
「僕ってどんな風に見られてますかね。」
「どんな外れ札でもためらいなく引く頭おかしい奴。」
「…なんですかそれ…。」
「お前の出した手紙とここまで流れてくる噂。首都で起こったことは何となく知ってるよ。大暴れだったっポイじゃん。」
彼女はモグリと蒸かし芋を頬張る。
俺も同じく芋を食べる。
ねっちりとした食感の蒸かし芋。
水分を程よく飛ばした里芋のようで、蒸かすより煮物の方が合いそうだ。
「"英雄の孫は魔術の達人"、"魔物を操る狂気の従者"、"忠犬ユリウス"、"お嬢様のお気に入り"、"ドラゴンロッドの許嫁"、"赤剣と白魔"。などなど。酒場の噂はそんな感じ。みんなお前の噂話をつまみに飲んでるよ。」
「どれもかなり脚色されてますね。」
ククゥの時もそうだったが、おおかたアーネスト辺りがほらを吹いたのだろう。
噂とはそうやって大きくなっていく。
「噂は噂だ。真に受けちゃいない。けれどお前を見ればあながち間違いじゃないってことくらいわかるよ。」
串焼きに手を伸ばしながら彼女は続ける。
「一人前とはいかない。けど半人前よりは良くなった。良い顔になったな。お前。」
バカにするでなく、彼女が褒めている。
俺は目を丸くした。
「…あんだよ。」
串焼きに噛り付き、結局噛み切れずに大口開けて頬張り彼女は言う。
「てっきり笑われるかと。」
「なんだ、笑ってほしかったならそう言えよ。」
「いや、そういうわけじゃないんですが…。」
「あたしだって褒める時は褒める。まぁ超珍しいけどな。ありがたく受け取っとけ。」
そう言ってネィダはソーダを飲み干して給仕にお代わりを頼んだ。
「弟子が無事に帰ってきた。しかも新しいローブとやり切った表情で。これ以上に成果を語るものがあるか?とりあえずお祝いだ。好きなもん頼んどけ。」
「…ありがとうございます。師匠。」
見抜かれた。
というよりは彼女は最初っからわかっていたのだ。
こちらがあれこれ語るよりもずっと早く知っていた。
それは常に気をかけてくれていなければできた事ではない。
そう思えば、ネィダの「良い顔になった。」は嬉しかった。
「…で、お嬢様とはもうヤッたのか。」
誉め言葉に油断してソーダに口を付けたところにこれである。
盛大に噴出した。
「なんでそうなるんです!?」
「いや。だって貴族と踊ったんだろ?それってもう婚約みたいなもんじゃん。」
なんだそれは。
そこまで大きな話じゃない。
なんなら別れ際の手の甲にチュウのほうがまだそれっぽい。
「ただのダンスです!シエナにそういうことはしてません!」
「へぇー。シエナって言うんだ。ドラゴンロッド家のお嬢様は。」
ニマリと彼女は笑った。
ネィダも色恋大好き族だったか…。
というか、この世界の貞操概念はどうなってるんだ。
けしからん!とは思うが、もっとやれ!とも思う。
男心は理性と本能のあいだで揺れ動くものだ。
「耳長ちゃんの時もそうだったけど、おまえ結構モテるよな。中身おっさんなのに。」
「中身がおっさんは余計─」
今なんて言った?
思わず表情が固まる。
…転生者だということをネィダは知っている?
そう思えば心臓がバクバクと音を立てた。
別にバレて何か問題があるわけじゃない。
強いて言うなら少年風に振舞っていたのが黒歴史になるだけの事。
しかし、動揺はしてしまう。
まるで何か、とんでもない秘密に触れられてしまうような。
そういう焦りが胸で渦巻く。
「─ですよぅ。ま、まぁ?ちょーっとだけ顔が良いかなぁくらいは自覚ありますがね!はは、ははは…。」
どうにかこうにか会話を繋げて引きつった笑いを必死で繕って誤魔化す。
「ふーん。」
その様子をネィダは普段とさほど変わらぬ表情で見ていた。
「ま、お前みたいな優男のが人受け良いわな。アレキサンドルスみたいなヒゲ筋肉になるなよ。」
「そ、そうですねぇ。気を付けますぅ。」
「…ほんじゃ、魔道の修行について聞かせてもらおうかな。」
上手く話が流れてくれた。
首の皮1枚の気分だ
その後は閉店時間まで修行の事を話した。
自分が作った魔法の事。
土魔法で剣を作ることが出来るようになったこと。
回復魔術の真似事が出来るようになったこと。
飛翔魔法に星雲の憧憬と名前が付いたこと。
そのあたりからネィダは酒を飲み始めた。
そして首都ロッズの人々の事。
衛兵や街の住人とのやり取り。
そしてシエナのこと。
知られているとはいえ、自分から話すのとではまた違うものだ。
「白!」
「白!」
「「イェーイ!」」
最後の方は懐かしき下着当てゲームで盛り上がった。
あぁ、帰ってきたんだなと実感する。
これからまた、魔道の修行を修める日々が始まる。
そう思いながらその日ネィダを屋敷に送り届けた後、村の一番安い宿で一泊した。
明日は朝食作ってから研究室の片づけと…。
安宿の湿ったベットに転がって考え事をし始めたころにはすでに眠りについてしまった。
---
次の日。
朝からネィダの屋敷で台所を借りて朝食を作った。
今日はドラゴンロッド家の朝食を一部再現した朝食だ。
酸味のあるソースをかけた蒸した鱗鶏の肉
朝市で仕入れた新鮮な葉野菜のサラダ。
白パン、は無いので黒パン。
本当は麦粥も作りたかったが、鶏ガラが出来ていないので夕飯にするとしよう。
他にも果実やらスープやらを用意したかったが、さすがに食材がない。
それでも、首都ロッズで学んだ貴族の味付けだ。
それなりに自信がある。
案の定ネィダはもくもくとそれを口に運んでウンウンと頷いていた。
「…やっぱお前料理人のが向いてるって。」
「魔道を修めたらそれも考えておきます。」
そう返事しながら俺はキョロキョロと周りを見渡す。
「あら、帰ってたのね。おかえりなさい。」
「シーミィさん、おはようございます。」
薬師のシーミィも顔を出した。
彼女も3年前とさほど変わらずだ。
目前の食事におぉと声を漏らして席に座る。
しかし、やはり1人足りない。
テオが、兄弟子のテオドールの姿が無いのだ。
「あの、テオは?」
「あいつなら卒業したよ。」
ネィダがサラダをかき込みながら言った。
そういうことはもっと早く聞きたかったんですがね。
「ちょうど1年前だったわね。キングソード家から手紙が来てテオを王家の魔術師として迎えたいって。立派になったものよね。」
「剣術も魔術ももう王宮で通じるくらいには腕が立ってたしな。当然っちゃ当然よ。」
「16歳で王宮仕え。育ての親としては鼻が高いわ。」
「卒業試験の大魔術も1発合格だし。いうこと無し。天才ってこえぇわ…。」
そんな会話を聞きながら席に着く。
そうか。
兄弟子はすでに自分の道を歩き始めたのか。
しかもキングソード家からの推薦で王都に魔術師として迎えられている。
強く、優しく、そしてかっこいい兄弟子は気づけば何歩も先を行っていた。
大きく差を開けられたなぁと思う。
まぁ、差が縮まったことなどほとんどなかったが。
「…しょげるなよ?」
ネィダに声をかけられる。
「あいつは魔術。つまりは神話の再現の道。答えがある。だが魔道は自分で道を作ることだ。迷うことも遅れることも大いにある。そしてどれも正解でなく間違いでもない。向かう先が違うんだからお前はお前の歩み方で歩めばいい。」
珍しく師匠らしい言葉を言うネィダ。
「はい!師匠!」
「第一、お前が逆立ちしたってテオには追いつけない。アイツは本物だ。もしかしたら髭ちゃんを越える魔術師になるかもって本気で考えるもん。」
「…はい…。師匠…。」
せっかく慰められたのに上げて落とされた。
髭ちゃんが何者かは知らないが、ネィダにここまで言わせるならやはりテオはすごい。
視界の隅でシーミィも自慢げだ。
「…まぁ、落ち込むなって。」
「…はい…。」
モソモソと黒パンをかじりながら返事をした。
白パンばかり食べていたのもあって、改めて黒パンの固さを思い知る。
…やはりスープを作っておけばよかった。
---
部屋の片づけを始めれば時間はあっという間に過ぎた。
散らかっていたのはテオが居なくなってしまい気が緩んだという話だった。
おかげで随分と多くの本を棚に返すことにもなったし、ゴミも出た。
まだ半分ほどだが、ソファーのまわりはひとまず片付いたのでおやつを持って上がる。
今日のおやつは火酒で香り付けしたカステラ風焼き菓子にネィダリクエストのリミルソーダだ。
強炭酸カスタムなのでこれは俺にしかできない。
今度はこれで特許を取るか…。
などと考えながら研究室へ入ると、ネィダは難し気な顔でソファーに座っていた。
「どうされました?」
おやつを机に並べながら俺は訪ねた。
「いや、ちょっとな。」
そう言って再び押し黙る。
リミルソーダを受け取り、無言のまま口にする。
何かあったのだろうか。
片づけをしている間は何も変わったことは無かったが…。
「あのさ。」
言いづらそうにネィダは口を開く。
「お前を破門するって言ったら。どうする?」
「へ?」
あんまりにも突然な言いだしであった。
「ど、どういうことですか?何か悪いことしてしまいましたか…?」
無自覚に迷惑をかけている事だって十全にあり得た。
しかし心当たりは何一つない。
昨日のことも思い返しても、彼女がそういう理由はわからなかった。
「いや、お前さ。昨日言ってたけど、空飛べるじゃん。」
「星雲の憧憬の事ですよね。」
「それさ。冷静に考えてみれば秘術なんだわ。」
「ロス…?」
何処かで聞いたことがあるような、ないような…。
と思っていると彼女は続けた。
「秘術はこの世に存在するはずのない魔術。概念としてはあれども誰も成し得ない神々の奇跡だ。知られているのは5つ。"反魂の魔術"。"刻戻しの魔術"。"世界跳躍の魔術"。"運命繰りの魔術"。"星渡りの魔術"。どれもこれも伝説はあっても、誰かがそれを成したなんて話はない。果てしなく遠い魔道の到達点がそう呼ばれてる。」
そしてリミルソーダに口をつける。
「…あたしが知る限り、自在に空を駆けまわる術を作れた奴は今までいなかった。お前の星雲の憧憬は間違いなく"星渡りの魔術"の卵だ。」
なんと。
俺の作った魔法が、神様の奇跡に通づるものだったとは…!
俺すごい!やったぜ!!
…とは、ならなかった。
確かに街を見下ろすくらいには空は飛べる。
しかしそれ以上は無理だ。
首都ロッズを横断しようとすれば高度の維持だけでも魔力切れになる。
大陸間移動はおろか村と村の間だって完走できない。
ましてや、星渡りなど夢のまた夢だ。
シエナはいつか星雲に届くと言ってくれたが、その遠さは制作者である俺自身が一番よく知っていた。
「…だからって、なぜ破門を…。」
「まぁ、わかりやすく言えば。嫉妬よな。」
モシャリとカステラを口に頬張る。
「あたしの研究は"世界跳躍の魔術"だったんだわ。親父も魔道士で、ずっと異世界の存在があると研究し続けた。誰にも理解されず、嘘つき呼ばわりされながら死んだ。別に無念がどうこうってわけじゃないけど。親父をバカにしてたやつらを見返せたら面白いなと思ったらそうせざるにはいられなかった。」
いつもと同じ顔のネィダだが、どこか寂しそうに語る。
「でも、行き詰った。どうあがいても世界の外側を確証付けることの出来る理論が浮かばない。もうちょっとで世界という概念の境目を見ることが出来そうってとこまで来たものの。そこから先は駄目なんだわ。そんな時に弟子が先に秘術に片足かけてたら、どうにもならなくてなぁ…。」
ネィダは俺を見る。
「…お前は何にも悪くねぇよ。ただちょっと。前に進めなくなって。言ってみただけだ。」
いつになく、彼女は肩を落として言った。
重そうに膨れた体が、今はやたらと小さく見える。
「…異世界はありますよ。」
俺はそんなネィダを見かねて口を開いた。
うつむいた彼女が小さく体を揺らす。
「僕が知ってるその世界は、人族しか居なくて、魔法が無くて。魔物も居ない。鉄と石でできた高い建物が森の木々のように立ち並ぶ狭くて窮屈な世界です。」
何を言いだすのかと顔を上げたネィダに俺は続けた。
まぁ、生前の世界を語るくらいなら良いか。
別に誰かに口止めされているわけじゃないし。
「魔術の代わりに科学というからくり仕掛けが行き渡っています。剣の代わりにペンを。ローブの代わりにスーツを着て、冒険の代わりに労働に従事する。未開の土地はほとんど無く、目に映る景色はすでに切り売りされた誰かの所有物ばかり。僕にとっては、生きづらい世界でした。とても。」
「…お前、やっぱり生まれ変わりか。」
「そうです。僕の世界では転生者と呼ばれます。まぁ、架空の物語での呼び名ですけど。」
やっぱり、と彼女は言った。
昨日の中身がおっさん発言は意図とされたものだった。
「それじゃあ何か?この甘いパンもソーダも異世界の食い物だってことか?」
「僕があっちで食べた事のある物をこっちで再現した物です。」
彼女は暫しソーダのグラスを揺らして、またひと口飲む。
「…どうりで、美味いわけだ。」
そして「ああああ。」とため息まじりで声を吐き、背もたれに寄りかかる。
「マジかぁ。そりゃあ美味いよなぁ…。異世界ってすげぇな。やられたわぁ」
「…信じてくれるんですか?」
「そりゃこんだけ出そろってりゃ半分は信じるだろ。」
半分、と言ったのが少しホッとした。
鵜呑みにされてしまうよりは、少し疑ってくれていた方が話がしやすい。
信頼とは疑いが晴れたときに築かれるものだ。
「もう半分はどうしたら信じてくれますか?」
「それは、これからあたしが立証すんのよ。」
グイと体を起こして彼女は俺の皿にあったカステラを丸呑みしてしまう。
しばらく咀嚼してからごくりと飲み込み、残っていたソーダも飲み干した。
「異世界はある。だが魔力は無い。だったら魔力で観測できるはずがない。他の方法を考えるさ。」
彼女の瞳には熱意という炎が宿っているように見えた。
「研究再開ですね。僕も手伝いますよ。」
「いやまずは部屋の片づけ再開だろ。ていうかお前、前世でもその喋り方なの?」
「え、いやぁ…これは…。」
思わず答えに詰まった。
それを見逃さず彼女は続けた。
「何年生きたか知らないけど、人族ならいい歳したおっさんだろ。普通にしゃべれば?」
「普通って何だろう…。」
「僕とか、何々ですかぁ?みたいなやつ。息苦しくないのかそれ?」
「まぁ…そうっすね?」
いまいちしっくりこない。
ユリウスとしての10年は中々払拭できるものじゃない。
「お前らしく在れよ。無理に良い子ちゃんしなくてもお前を好む奴は好むし、嫌うやつは嫌う。」
「…努力します。」
「秘術に王手かけてるんだから楽勝だろ。」
「それとこれとは話が別です。」
立ち上がりながら言い合う。
ネィダも本調子になってくれたようだ。
はやく部屋の片づけに戻らねば。
まだ散らかってる個所に目を向ける。
「まぁ、お前なら出来るよ。大…丈夫…。」
ネィダの声が先細りし始めた。
何かあったのかと振り向くと。顔面蒼白のネィダがヨロりと体を揺らした。
「…師匠?」
「…やば…。」
彼女の体が、ぐらりと膝から崩れる。
「師匠!!!!」
駆け寄ってネィダの体を支える。
しかし、ユリウスでは到底支え切れる重量では無かった。
渾身の力を入れて何とかネィダをソファに不時着させる。
力なく投げ出された体は見た目より数倍は重かった。
「師匠!?どうしたんですか師匠!!」
彼女は苦し気に胸を抑えていた。
眼を閉じ額に汗を浮かばせながら、口から泡を吹いている。
病気か!?
心臓発作か!?
医者、医者。
シーミィなら!?
「シーミィさん!!!師匠が!!!!」
大慌てでシーミィを呼ぶ。
大声を張り上げれば、彼女が階段を駆け上がってくる足音が聞こえてきた。
しかしその間にもネィダは急速に力を失っていく。
息が荒く、長くなり、白目をむき始めた。
回復魔法!!
俺の魔法が内臓に届くかはわからない。
しかし、今使わなければどちらにしてもネィダは助からない。
一か八かだ。
魔力を走らせ。震える手で回復魔法を右手に集中させる。
緑色の淡い光があふれ始め、それをネィダに押し当てる。
その直前だ。
ネィダの白目がぎょろりと元に戻る。
そして体を無理やり起こして手で突き飛ばすと同時に風魔法で俺を吹き飛ばした。
部屋の端まで飛ばされて俺は体を本棚にぶち当てる。
回復魔法はネィダに届かぬまま、俺は床を転がった。
「…な、なにを…!」
痛みに耐えながら顔を上げる。
ネィダは俺を突き飛ばした勢いでソファから落ちていた。
うつ伏せで、こちらに手を伸ばした状態で床に伏したネィダはこちらに目を向けている。
少しだけ。あの苦し気な表情の中で、彼女は安堵の笑みを浮かべた。
そしてそれを最期に、彼女はガクンと項垂れて、そのまま動かなくなった。
「ユリウス?いったい何が…ネィダ!!??」
部屋に入ってきたシーミィはすぐにネィダに駆け寄った。
ネィダ!ネィダ!
シーミィが呼びかける声がやたらと遠くに聞こえる。
脈を測ったり、意識を確認するシーミィは必死でネィダを助けようと動いた。
俺は、立ち上げれず何もできなかった。
怪我をしたわけでも、ましてや突き飛ばされてへそを曲げたわけでは無い。
ただ、頭が追い付かなかった。
あの苦しそうな師匠の顔が、目に焼き付いて離れなかった。
そしてその日、彼女は二度と目覚めなかった。
元王宮魔術師。
ふてくされた顔の可愛げのない魔道士。
俺に道を示してくれた偉大な師匠、ネィダ・タッカーは。
その生涯に幕を閉じた。
春の、何でもない暖かな日の出来事だった。
人物紹介
追想
ネィダ・タッカー 魔族 年齢不詳 元王宮魔術師
ユリウスの師匠であり、現代に残る数少ない魔道士の1人。
アレキサンドルスに命を救われた過去を持ち、その後も幾度か修羅場をくぐる。
いつもふてくされたような表情を浮かべる人物であったが、その実人見知りの口下手。
近年ではギルドの酒場に通うようになり、愛弟子の噂を聞いては上機嫌で帰宅していた。
ソーダを愛飲しており、ケースごと買って帰るほどの愛好家であった。
別の世界へとの往来を実現させ、その景色を目にすることが彼女の生涯をかけた研究であったとされる。魔法歴990年没。




