第二十九話 「想うほどに」
季節が過ぎて、ユリウス・エバーラウンズ10歳の春。
レッド平原は野花が咲き乱れ、暖かい風と日差しが包む。
『咲いたー♪咲いたー♪名前が全くわからん花ーがー♪』
童謡チューリップ風に日本語で歌いながら平原をスキップする少年が一人。
どうも俺です!
「なんかわからないけど、随分上機嫌よね。あんた…。」
「当然ですとも!」
隣を行くシエナが呆れ気味で言う。
俺の上機嫌はアレックスにボコられた日の午後から始まっていた。
そう、誕生日を祝ってもらったのである。
俺も忘れていたが、その日は俺の10歳の誕生日。
屋敷から出てけー!されていたのはサプライズパーティであったからだった。
さらにそれを仕切ったのはシエナであったのだ。
シェリーやベンジャミン、屋敷に関わる者全員が祝ってくれた。
数々の豪勢な料理にお菓子。
所狭しと机の上に並べられて、皆でそれらを囲む。
「それは私も手伝ったのよ!あと、あれとこれも!」
自慢げに料理のお手伝いをしたことを伝えるシエナが愛らしいこと愛らしいこと…。
思わず抱きしめて頭を撫でたらドミトルに烈火のごとく怒られた。
まぁ、本人は嫌がらなかったのでヨシ!である。
当日の夕方にリュミドラも帰宅し、俺とシエナを同時に彼女は抱きしめてくれた。
その日は遅くまで食堂の暖炉は灯されたままであった。
1人でロウソクに火を灯して祝っていた前世はもはや遠い過去の記憶に思える。
本当ならデニスやサーシャ、イリスにも会いたかったがそこは伏せておくことにした。
そして今着ているのがその日にシエナから手渡された新しいローブだ。
希少な野生動物である雪色穴鼠の毛皮をふんだんに使った白色のローブ。
要所要所に補強が入り、軽く丈夫なうえに撥水性が高く柔らかい。
野犬のローブほどではないが、保温性にも優れ内ポケットも多い。
しかし最も優れているのは、デザインだ。
このローブはシエナが直接デザインしたものらしく、肩口のエポーレットや裾などに赤色の差し色が使われている。
白を基調にし、ところどころに灰色。そしてワンポイントに鮮やかな赤の3色が使われたローブ。
彼女が作ったというだけで百点満点だ。
なお、実際の制作者はシェリーであるが、細かいことは良しとしよう。
とにもかくにもそんな素敵なプレゼントを身に着けて上機嫌にならない男が居ますか?
少なくとも俺は違う。
「いやぁ、このローブとてもいいですね!」
「何回も聞いたわよ。」
「何回でも伝えますとも!シエナだと思って大切にしますね!」
浮かれすぎて気持ち悪いセリフを吐いているが、許してやってほしい。
俺はこういうことにあまり慣れていないのだ。
「…ローブじゃなくて私を大事にしなさいよ…。」
「え?何ですか?」
「なんでもない!!」
わかってて聞き返す。
小声で言ったシエナであったが、バッチリ聞き届けましたとも。
俺は鈍感系主人公でも難聴系主人公でもない。
超ピーキーなカリカリチューンド敏感系主人公なのだ!
…いや、自分で思っててもようわからん…。
とりあえず顔をそむけるシエナをニマニマと見させてもらった。
この可愛い照れ顔も、もうすぐ見納めかと考えると寂しい。
「…どこまで行くんだ。」
後ろから声をかけられる。
忘れていたわけでは無いが、平原を歩くのは全部で3名。
ユリウス、シエナ、ロレスだ。
今日のロレスは俺たち2人の護衛で来てくれていた。
「あの小高い丘にしましょう。そこなら風の流れが良く見えますので。」
別段ピクニックに来たわけでは無い。
確かに陽気だし、サンドイッチでも用意してくればよかったと思いましたが今日は別件だ。
今日はシエナの卒業試験だ。
本当ならばもう少し前に行うべきことだ。
なにせ彼女はすでに初級魔術を問題なく使えるばかりか、新しい魔術を生み出すところまで片足を突っ込んでいる。
もはや魔道のそれだ。
ならば、もう俺の教えてあげられることはもう1つしか無い。
後任のロレス先生もいますし、問題はない。
「…ねぇ。」
「なんです?」
全ては形からと思い、シエナに三角帽子をかぶせる。
「もう少し温かくなってからでも、いいんじゃない…?卒業。」
「…いいえ。駄目です。」
伏目がちなシエナに翡翠石の杖を手渡す。
「…なんでよ。」
「僕がシエナに甘えて、シエナが僕に甘えてしまうからです。」
彼女は押し黙った。
互いに思い当たる節はあるものだ。
そう、彼女の傍らは俺にとってとても居心地が良い場所となってしまった。
シエナも事あるたびにユリウスと名を呼んでくれる。
もしかしたら本当に街の人たちの言う通り、結婚なんてことにもなるかもしれない。
しかしそれは、俺が幼い彼女を縛り付けているに過ぎない。
もしかしたら彼女は貴族令嬢として大成するかもしれない。
もしかしたらリュミドラと同じく貿易の才があるかもしれない。
もしかしたらアレキサンドルスのように二つ名のある英雄になるかもしれない。
いろんな未来があるはずの彼女に、俺は足かせをはめたくなかった。
「お誕生会の夕日、覚えてますか?」
「忘れるわけないじゃない。」
「僕はシエナにもっといろんな景色を見てほしいんです。場所じゃなくて、立場や価値観みたいなものですけどね。」
悪者になると決めて彼女の指導に当たったが、邪魔者になってしまっては本末転倒だ。
きちっと終わるところまで終わらせるのが俺にできる最後の指導だ。
彼女はうつむいたまま、ギュッと杖を握る。
「僕はシエナの成長を見届けるのが仕事です。その仕事も出来る範囲まで。これ以上は僕は足手まといです。」
「そんなこと─」
「そう言ってくれるのは嬉しいですが、僕が教えることの出来る魔術はあと1つだけです。どんなことにも区切りというものが必要です。それが今なんですよ。シエナ。」
俺は彼女にその魔術の詠唱が書かれた紙を差し出した。
ネィダに教わった風の中級魔術。剣翼の突風。
そして俺が打つことの出来た最も強い魔術だ。
魔法の扱いが多少できたとしても、使える魔術は中級止まり。
王宮魔術師など、夢のまた夢だ。
しかしシエナならば。
ロレスの指導でいつか大魔術も使えるようになるかもしれない。
彼女の才能は努力そのものだ。
「どうか見せてください、シエナ。」
そっと彼女の手を取り、メモ紙を握らせる。
「ダンスの時のように、この3年必死で取り組んできた貴女の実力を。」
「…わかったわよ。」
少し乱暴に紙を受け取りと彼女は丘の上でしばらく動きを止めた。
詠唱を読み込んでいるのだ。
その様子を丘の中腹ほどに立つロレスの隣で見守る。
「良いのか?」
ロレスが言う。
「手を抜くかもしれん。」
「シエナはそんなことはしませんよ。」
俺は断言した。
「…泣くぞ。あいつ。」
「それは…そうかもしれませんね。」
今も何やら袖で目元を拭っている。
もともと強がり屋なだけの寂しがりな女の子だ。
卒業ということは、俺が屋敷から出ていくこと。
それを思えば、胸が痛んだ。
春のうららかな風が、シエナのいる丘を撫でていく。
揺れる三角帽子と、赤い髪が今はとても遠い。
そんな風向きが変わり始めた。
シエナの持つ杖の先端が輝き、周りに風鳴りが聞こえ始める。
卒業試験が、始まった。
「我、気高き翼の姫君に乞い願う!」
彼女の通りのいい聞きなれた声が風に呼びかける。
ただ流れるだけだった風が渦を巻き、徐々に研ぎ澄まされていく。
「道行きにその白き翼の影を落とせ!御胸の果ての果てよりその叫びを我に届けよ!」
咲いていた野花の花弁が風に連れ去られる。
大きくなる渦の中でそれらは雪のように鮮やかに舞う。
シエナは杖を掲げて、それを振る。
まるで大気に鞭を振るように、空をかき混ぜるように。
「祈りは風が運び汝の翼へ、汝の翼は我が剣となれ!」
大きな渦は春風を嵐へと変えた。
風鳴りは龍の息吹のごとく太く響いている。
今か今かと飛び立とうとする嵐に呼応するように杖はまばゆく光を放つ。
「…剣翼の突風!!!」
腹の底から絞り出すようなシエナの声が、号令となった。
衝撃音を伴いながら風鳴りは空を裂いた。
斜め上方向に打ち出された嵐は花吹雪を巻き上げながら遠ざかっていく。
…完璧だった。詠唱も、魔力の構築も。全て。
丘の上から降りてくる彼女に歩み寄る。
「おめでとうございます。シエナ。素晴らしい魔術でした。」
「当り前じゃない。誰が教えてくれたと思ってるわけ?」
三角帽子を深くかぶったまま、翡翠石の杖を俺に返しながら彼女は言う。
えぇ、俺ですとも。
だからこそ彼女の成長が嬉しかった。
「シエナが頑張ったからです。僕はほんのちょっと手伝っただけですから。」
「…本当にこれで終わりなのよね…。」
シエナは服の裾を握りしめながら呟いた。
帽子の鍔で表情までは見えない。
「はい、今までよく頑張りました。もう今の僕からは教えてあげられることはありません。指導係としてこれほど嬉しいことはないです。」
「…そう。清々したわ。」
憎まれ口をたたくシエナ。
見えなくても、どんな顔をしているかは分かる。
「…しばらく帽子借りてるから。」
「えぇ、僕の帽子でよければ、いつまでも。」
「うん…。」
そう言って歩き始めたシエナ。
彼女がすすり泣く声を見送る。
ロレスに目配せをすると、彼女はシエナの数歩後についてくれた。
俺はさらにそのあとだ。
屋敷までの道のりで、シエナが口を開くことは無かった。
衛兵や街の住人がギョッとした顔で見つめてきたものの、何やら察したようで話し掛けてくることは無かった。
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「そうか。中級魔法を。これで魔術師家系であるドラゴンロッド家の面目は保たれたわけだな。」
ドミトルに報告する。
彼は書斎で仕事中だった。
この時期は農作物の収穫量や備蓄量からその年の街全体のノルマを決める重要な時期だ。
丸眼鏡をかけた彼は一度もこちらに目を向けずに会話をする。
俺は報告をつづけた。
「シエナの才能は彼女のひたむきな努力そのものです。彼女が望むことを望むようにやらせてあげれば今後も伸びることでしょう。」
「それでロレスを雇ったと。まぁ痛い出費ではあったが、先行投資ということにしておいてやろう。」
ロレスの報酬は月に金貨が3枚。
本当は5枚のつもりであったが、ドミトルは首を縦に振らなかった。
剣術の稽古で金貨1枚、魔術の指導で金貨1枚、護衛役として金貨1枚は譲れないと交渉してやっとOKを貰った。
「シエナの指導方針は引き続き指導係に一任するとする。貴族として恥ずかしくない淑女に育てる様にロレスにはきつく言い聞かせておけ。」
「…承知いたしました。」
方針であれば彼女に任せておけば問題ない。
実はロレスは貴族礼節も完璧だった。
最初にドミトルに顔を合わせたときは驚いたものだ。
今までの不愛想な態度からは想像ができない程に流麗な動作で簡易礼をし、挨拶の句を述べたのだ。
ベンジャミンも小さく拍手をするほどに。
いったいどこで身に着けたのやら。
「…それで?」
そう言ってやっとドミトルは顔を上げた。
「シエナはどうしている?いつもなら庭で魔術をお披露目しているころだろう。」
「いえ、それが…。」
シエナは屋敷に帰ってすぐに「疲れたから休むわ。」と部屋に籠ってしまった。
帽子はポイと投げて返してくれた。
その時も、彼女は顔を隠すようにしていたのが思い返される。
言い淀んでいるとドミトルは「まぁ良い。」と言葉をつづけた。
「大方、お前との別れが気に入らんのだろうな。兄の時もそうだった。」
「…そういえばシエナの兄上たちはいまどうしてるんです?」
「長男はすでに結婚した。8つ年上の下級貴族の女とだ。次男は知らん。やつは筆不精である故な。」
「な、なるほど…。」
「…お前がエバーラウンズでなければな。」
何やら残念そうに彼は言う。
「教会の神父様から伺いました。因縁があるんでしたね。」
「そうだ。ドラゴンロッド家とエバーラウンズ家は代々主従関係にあるのだ。四大貴族として従者の血筋を家系に入れるのはその家の品位に関わる。お前の名を家系に連ねることは出来ん。妙な期待を持つなよ。」
彼はそう言って眼鏡をはずした。
そんな期待はしてませんよ。
とは言えなかった。
しかし、彼女が望んでくれるなら。とは思う。
なので黙っておくことにした。
「…今後はどうするのだ?」
「ひとまずは師匠の下へ帰ります。まだ修行中の身ですので。明日の夜明けには出発します。」
「そうか、帰るのだな。…寂しくなるな。」
「はい?」
「いや!こっちの話だ!」
ゲフンゲフンとせき込んでごまかすドミトル。
しかし俺は聞き逃さない。
ユリウス・エバーラウンズは聞き逃さないのだ。
「と、とにかく。この3年の功績をたたえて、お前に褒美をやろう。何が欲しい?」
意外な言葉だった。
「よろしいのですか?」
「構わん。シエナに笑顔を取り戻したまでか、礼節と魔術を身に着けさせた。指導係としては十分すぎる働きであった。他の者ではこうはいかんかったであろう。」
なんだかんだで彼は俺のことを認めてくれていた。
だからこそ、家系に加えるがどうこうの話を口にしたのだろう。
「なんでも、とは言えん。だが申してみよ。望む形になるべく添った褒美を用意する。」
褒美、褒美…。
思いつくものが無いわけでは無い。
例えば俺が4歳のころに燃やしてしまったイングリットの村の森の弁償代とか。
例えば最高級品とされる紫色の魔石とか。
しかし今欲しいものは全く別だった。
「その、お金を貸していただけますか?」
「…いかほどだ?」
「銀貨10枚ほど…。」
ドミトルはきょとんとした顔になる。
「たったそれだけか?子供の小遣いほどの金で何をする?」
いや、銀貨10枚は子供の小遣いじゃないだろう。
小さな農家の人たちの月収とほぼ変わらない額なのだが…。
まぁ、いいか。
「シエナに卒業祝いを送ってあげたいのです。」
そう、何かしてあげたかった。
しかし今の俺には何も用意してあげられない。
杖をあげてもいい。
帽子をあげてもいい。
ローブ…は駄目。あれは俺のだ。
しかし、どんな形でもいい。
何かシエナの為に用意したものを送ってあげたかった。
「またシエナか。口を開けば娘の名前ばかり。父親がいかに不安か考えたことがあるか?」
「…心中は察します…。」
同い年くらいの男の子が1つ屋根の下で寝泊まり。
なおかつほぼ毎日付きっきりだ。
同じ立場なら俺も不安になっただろう。
「…ほれ。」
弧を描いて皮の袋が放られた。
手のひらに収まるほどの大きさのそれ受け取ってみればずっしりと重い。
中を見れば金貨が入っている。
「私のへそくりだ。好きに使え。帰りの馬車代もそこから出しておけ。」
彼は頬杖をついて不機嫌そうにそっぽを向いている。
シエナそっくりだ。
本当にツンデレ親子なんだから…。
「感謝いたします!さっそく買い物に行ってまいります!お義父さま!」
「な!!!貴様!!返せ!!!」
「行ってまいります!!」
顔を真っ赤にしながら立ち上がったドミトルを尻目に小走りで元気に部屋を後にした。
まぁお義父さまと呼ぶのはこれで最後だ。
俺は急いで街へ繰り出す。
超特急で支度せなばならない。
贈り物はすでにイメージが固まっていた。
ロレスの槍を見て学んだのだ。
これだけ予算もあるのだ。
シエナへの贈り物は魔法剣で決まりだ。
---
亡者の列挙の日に武器屋に紹介された鍛冶屋に剣の依頼をした。
店の名前は"英雄製作所"創業500年を誇る老舗中の老舗だ。
当然店に置いてある剣はどれも高かった。
普通のロングソードの値段が他の店の5倍はする。
しかしどれも質が良く、数々の冒険者たちが携えている実績もある。
なにより、俺の祖父アレキサンドルスの剣もここで打たれたのだという。
ここ以上に相応しい店はこの世にないかもしれない。
それにしても驚いたのが、ここの6代目親方もエバーラウンズ物語のファンだったということ。
教会の神父様と知り合いで、時折肖像画も見せてもらっていたらしい。
「エバーラウンズさんとこの頼みならタダでもやるぜ!!」
と気前よく受けてくれた。
当然材料費は払ったし、魔石もこちらで用意した。
ダイヤカットの深紅の魔石。
シエナの瞳の色に合わせた魔石で炎との相性がいい。
彼女のためにあるような魔石だ。
…まぁ、魔力を通す金属、俗にいう魔力鉱石というのだが。
それが思いのほか高くついたが、この店の剣である事を思えば格安だ。
ロレスの槍はいったいどれだけの値段がするのだろうか…。
ドミトルのへそくりを全部使いきって作られたその剣は日が沈むころには出来上がってしまった。
英雄アレキサンドルスの孫がドラゴンロッド家のお嬢様に贈る剣。
そう聞いただけで自分の仕事そっちのけで職人たちが手伝いに殺到したそうだ。
本当に愛されているなと思う。
「この店で最高の出来だ。王様に出しても恥ずかしくないぜ。」
と太鼓判まで押してもらった。
鍔より少し先に深紅の魔石を頂く直剣。
白銀色の刀身にドラゴンロッド家のイメージカラーである赤色と金の刺繍が入ったの鞘。
シエナお気に入りの模擬剣そっくりに重量バランスと握り心地を調整されている。
魔族の剣に倣って布で隠れる柄の部分に小さく"いつも傍に"と魔族の言葉で刻印してもらった。
魔法剣夕刻の星。
あの日みた夕日の名を冠する彼女専用の剣だ。
シエナに送ったらどんな顔をするだろうか。
そう思いながら浮足立ちつつ大事に抱えて屋敷に帰った。
---
…しかし、出発の時間になっても彼女は顔を出さなかった。
「申し訳ありません。ユリウス様。」
夜明け前の屋敷の廊下でベンジャミンが小声で話す。
「体調がすぐれないと申しておいでですが、きっとユリウス様との別れが辛いのです。」
俺も何度か呼びかけてノックした。
初めて来たときの独房のような扉ではない。
普通の部屋より少しだけ大きな開閉のしやすい扉がついているはずなのに、シエナは出てこなかった。
「…シエナ。」
聞こえるかはわからないが、それでも呼びかける。
「改めて、卒業おめでとうございます。細やかですが、贈り物を此処に置いておきますね。」
扉の脇に出来たばかりの魔法剣を立てかけた。
「ドミトル様が手伝ってくれました。街の職人もみんなで作ってくれた最高の剣です。名前を夕刻の星と言います。どうか大切にしてください。」
返事はない。
ただただ静かな廊下が寂しいばかりだ。
「…できれば、直接渡したかった。」
そう呟いて、俺は部屋を後にする。
ベンジャミンは止めず、ただ「どうかお気をつけて。」と見送ってくれた。
まだ真っ暗な玄関ではロレス見送ってくれる。
ただ一言。「また来い。」というだけだ。
「ありがとうございます。ロレスさん。どうかシエナをお願いします。」
「それはあいつ次第だ。」
その返事が彼女らしい。
「…家族によろしくな。」
「えぇ、すごい剣術の師匠に出会えたと伝えておきます。」
…まぁ、剣術の腕はさほど上達しなかったが…。
「それでは。」
「あぁ。」
短くやり取りして、ドラゴンロッド家を後にした。
これから乗合馬車の停留場に向かう。
始発に乗れば今日の夜にはコガクゥの街につくだろう。
もうすこし時間があるから、すこしだけゆっくり歩こう。
…あんまり待合で泣きべそかいているのも、恥ずかしいしね。
---
《シェリー視点》
「…遅かったぁ…。」
完全に寝坊した。
ベンジャミンから聞いた話だと、ユリウスはさっき出たばかり。
今から走れば間に合うかなと思ったところで立ち止まる。
「…?執事長。あの剣は?」
「ユリウス様からシエナ様へのお祝いの剣です。」
「何故それがあんなところに…。」
シエナが受け取るところを想像すれば、彼女が飛びあがって喜ぶ姿が目に浮かぶ。
何なら添い寝もするでしょう。
「シエナ様は、ユリウス様の見送りをされませんでしたので…。」
「…は?」
相手は執事長だ。
そんな口の利き方をしてはいけないけどもつい出てしまった。
「な、なんですかそれ。お別れしてないんですか!?」
「…。」
ベンジャミンは目を伏せた。
それは彼なりの肯定でもある。
「…執事長。」
「なんでしょう。」
「私、今日はご飯抜きでいいので、ちょっと怒りますね。」
シェリーはそう言って腕まくりをする。
「シエナ様!!!起きてるんでしょう!!」
夜明け前の屋敷でもお構いなしにシェリーは扉を何度もたたく。
「シェリー!」
「明日のご飯もいりません!続けます!」
ベンジャミンの言葉をそうやって押しとどめてシェリーは怒った。
「いじけたい気持ちはわかります!!私もエルの時そうだったのでよくわかります!」
ディーヌ孤児院でのエルとの別れを思い出した。
彼が冒険者として旅立った日、私は彼の見送りに出なかった。
「とても後悔します!!旅をする以上どんなに近くても二度と会えないことだってあるんですよ!?」
「うるさい!!」
扉の向こうからやっと返事が聞こえた。
やはり起きている。
私はさらに扉を強く叩いた。
「良いから黙って出てきなさいよ!!シエナ様がユリウス様にお礼ひとつ言わないでどうすんの!!」
次第に敬語がままならなくなる。
でも止めない。
止めてやらない。
「そうやっていじけてたらユリウス様に会う前に逆戻りじゃない!!ユリウス様がどれだけ貴女のためにしてきたか一番知ってるのはシエナ様でしょう!!それなのになんでそんなでいられるの!!」
扉に蹴りまで入る。
いっそ扉をぶち破れるくらい私に力があればと思った。
「本当に辛いんだからね!!ありがとうもさようならも言えなかった自分を抱えて過ごすのって!好きなら好きなだけ胸が苦しくなるの!!」
一緒に歩んでくれなかったエルを恨んだこともあった。
でもそれは、彼にやるべきことがあったから。
それを理解してもなお、彼にさよならを言えなかった。
ただただ、彼の脚を引っ張りたいだけの自分が取り残されてしまった。
しかしシエナは、返事をしない。
怒りがしぼんで、悲しみに変わっていく。
「…お願いです。シエナ様。せめてユリウス様にひと言で良いんです。」
扉に縋りつくようにして訴えかける。
「私みたいなイジケ虫にならないで下さい。本当に、本当にいつまでも忘れられなくなるんですよぉ…。」
涙がこみあげてくる。
もう何の涙なのかわかりやしないけども。
ガチャリと鍵が開く音がした。
扉から慌てて身を離すと、シエナが顔を出した。
眼がひどく充血していて、頬にはどれだけ泣いたのかわからないほどに涙の筋が残っている。
「…さよならなんて。言えないわ。何度でも会いたいもの。」
彼女は小さく呟いた。
「でもシェリーの言葉も、正しいわ。」
「シエナ様…。」
シエナはいつかのように私の胸をぺシリと叩いた。
「馬を用意して。今すぐに。」
「…お任せを!」
「それからベンジャミン。」
彼女はそう言って彼に向き直る。
「…貸してほしいものがあるんだけど。」
ベンジャミンは少しだけ間をおくと、あぁ。と声を出す。
そして身に着けていたそれを外した。
---
《ユリウス視点》
「坊っちゃん久しぶりだねえ。」
「御者さんもお元気そうで。」
乗合馬車に乗っていたのは首都ロッズに来るときに世話になった巻き角の御者さんであった。
「今日も貸し切りだよ。ついてるねぇ。」
「覚えてたんですねぇ。」
思わず口調が移る。
出発する時間になっても客は俺一人、遠慮なく荷物を広げさせてもらう。
といっても、杖くらいのものだ。
来た時の大荷物と比べれば随分と身軽になった。
身軽になったぶん実りも多い日々だった。
「…もういいのかい?」
名残惜しそうに街を見る俺に御者が声をかける。
「えぇ。お願いします。」
その声と共に馬車は動き出した。
見慣れた街並みは夜明けの静寂に包まれ、人はほとんどいない。
時折仕事上がりの衛兵にすれ違うくらいだ。
来た時と同じように城塞の下を潜り抜けた。
花が咲く平原にビュウと風が吹き、ローブを揺らしていく。
寂しさにローブの襟の当たりを引き寄せた。
「ごぉ苦労さーん。」
御者が衛兵たちに声をかける。
衛兵の顔を見やれば、彼らは誕生会事件の時にドミトルの護衛をしていた2人だった。
「ユリウス君!お達者で!」
「風邪ひくなよー!」
「お世話になりました!お元気で!」
互いに手を振って別れる。
平原に出るころには、彼らの姿は暗がりに溶けて見えなくなった。
「…良い街ですね。」
「首都だからねぇ。領主がしっかりしてればああなるってもんさ。」
「そうですねぇ。」
ドミトルにもリュミドラにも昨日の内に挨拶しておいた。
もう首都に心残りは無い。
…無いとも。
さらば首都ロッズ。
思えばとても有意義な日々であった。
そう思いひと眠りしようと、帽子を深くかぶった時だ。
─ユリウス!
シエナの声。
俺が聞き逃すはずがない。
すぐに振り返ると城門から追いかけてくる馬影があった。
赤色の髪の少女と、水色のローブが目に入ってくる。
シエナとロレスだ。
「御者さん!止めてください!」
馬車は街道の脇に停車した。
時間がかかると見たのか、御者はパイプに火をつけ始めた。
追ってきた馬をロレスも同じように街道脇に留まらせた。
夕刻の星を持ったパジャマ姿のシエナが馬から飛び降りる。
起きてすぐに追ってきてくれていた。
「シエ─」
嬉しくて駆け寄ろうとしたところにぺシャリと何かを投げつけられた。
顔面に当たったそれは軽い音を立てて地面に落ちる。
…白い手袋だった。
「ユリウス・エバーラウンズ!!」
何度も聞いた彼女の声が俺を呼ぶ。
「私はシエナ・ゼルジア・ドラゴンロッド!格式ある貴族の風習に倣って貴殿に決闘を申し込む!」
夕刻の星を抜き放ちながら彼女は宣言した。
煌めく刀身が、こちらに向かう。
「私と勝負しなさい!全力で!!」
いつものツンとした眼つきで彼女はこちらに剣を向ける。
「受けろユリウス。」
ロレスは腕を組みながら言った。
怪我しても彼女が居るなら大丈夫だ。
「…全力ですね。」
「二言は無いわ!」
御者をちらりと見る。
彼は手をひらひらと振った。
「わかりました。」
そう言って俺は三角帽子と杖を装備する。
マジカルユリウスの全力をお見せしようではないか。
「我が名はユリウス・エバーラウンズ!その決闘お受けする!!」
ローブを翻して俺は宣言した。
それを見るや、シエナはブンと剣を一振りした。
「…良い剣ね。」
小さくそう言ったのが聞こえた。
これ以上ない誉め言葉だ。
朝焼け近い空の下。街道の脇に立つ。
春風は頬をなで、だだっ広い草原が波打つ。
「死ななければ私が治す。存分にやれ。」
ロレスがレフリーを務めた。
シエナはいつもの正面構え。
俺は杖と模擬剣の二刀流。
こうして彼女と対峙するのは何度目か。
でも…。
これで最後だ。
「はじめ!」
ロレスの声でシエナが踏み込む。
相変わらず目で追うのがやっとの踏み込みだ。
土魔法で何本も石柱を打ち上げて彼女の進路を妨害する。
それでも彼女の脚は止まらない。
身を捻り。時には飛びあがってこちらへの距離を詰める。
─懐に入られるわけにはいかない。
星雲の憧憬で加速して距離を取る。
しかしそれでも差が広がらない。
それどころか、俺の魔法がレジストされている。
夕刻の星に埋め込まれた魔石が輝き、風向きが不規則に変わる。
安定した速度が出ないままに彼女の射程内まで追い込まれる。
一歩飛び込むと同時にシエナが放つ横薙ぎ。
それを石柱ジャンプでかわす。
俺は空中で模擬剣を振りかぶる。
だが、その先でシエナの眼がこちらを捉えていた。
彼女の左手に赤色の光が集まっている。
ヤバい。
直感で炸裂推進を起動して逃げる。
「そこ!!」
距離を取った先で彼女がその左手を振る。
赤光は炎になり、形を槍に変える。
彼女が開発中の投げる炎の槍だった。
着地を狙った一撃を俺は受け流す。
魔術であれば、魔力であれば負けない。
模擬剣で弾き、杖先で雷轟の射手の発射態勢に入る。
直撃させるつもりで撃った。
炸裂音を響かせて弾頭がシエナを捉えた。
「甘い!」
高速で飛ぶ弾頭を、彼女は真っ二つに切り裂いた。
シエナの後ろで平原に二か所で土煙が上がる。
嘘だろ!?
苦し紛れに爆炎で目くらまし。
しかし、悪手だった。
「やああああああ!!!!」
彼女は一切怯まずにその炎を突っ切って来た。
大上段に振りかぶられた壊撃を伴うシエナ必殺の一撃が脳天を狙う。
シエナの剣は振り下ろされた。
俺はその一撃をアレクの剣術で受け流し、カウンターで杖をシエナの喉へ突き付ける。
打ち込まれた壊撃は地面に完璧に受け流され、地面を穿った。
ビタリとお互いの動きが止まる。
「…引き分けね。」
シエナが言う。
「…いいえシエナ。」
背後でボトリと落ちる音がした。
模擬剣は中ほどから真っ二つに切断されていた。
「貴女の勝ちです。」
壊撃ではなく、彼女の剣筋の鋭さが勝ったのだ。
杖をおろし、俺は負けを認めた。
「当然よ。世界最高の剣を使ってるんだもの。」
彼女は剣を一振りすると慣れた手つきで鞘へとしまった。
「強くなりましたね。また勝てませんでした。」
「殺気が足りないのよ。岩を飛ばす魔法。あれ手を抜いたでしょ。」
そりゃそうだ。
流石に威力は加減する。
まぁ、真っ二つにされるとは思わなかったが…。
「いやいや、シエナの実力ですよ。」
「…まぁ、そういうことにしておいてあげる。」
腕を組みながらシエナは言う。
…本当に強くなった。
初めて会った日に中庭までのダッシュで息を切らせていた彼女の姿はもう無い。
「じゃあ、決闘に勝ったから言うこと聞いてもらうわね。」
「え。」
何も約束してないんですが…。
まさか、屋敷に戻れなんていうんじゃないでしょうね??
なんて思っていると、彼女は剣を左手に持ち替えて右手をこちらに向けた。
手の甲を上にして腰ほどの高さで俺に差し出している。
「ん。」
ほのかに顔を赤らめながら彼女は何かを待っている。
何だろうかと考えたところ、あ!と声を上げた。
「これは失礼いたしました。」
騎士礼節の最敬礼で彼女に跪き、彼女の手を取る。
そして親指の付け根辺りに向けて軽く唇で触れる。
前世でも一度は憧れる騎士の忠誠の証。
この世界でもそういう礼節があったのか。
貴族礼節だろうか。アレクに教わった騎士礼節にはこういうのは無かったが…。
「…恥ずかしいですね。」
そう言って照れ笑いしながら彼女の顔を見上げると耳まで真っ赤にしたシエナがそこにいた。
煙が上がるんじゃないかってくらいに真っ赤だ。
「こ、今回はこれで許してあげる!!」
サッと手を引っ込めて彼女は言う。
キスされた手の甲をしばらく見つめたあとにブンブンと頭を振った。
何やらわからないが、彼女が満足げににやけているから何でもいいか。
「…それでは、シエナ。」
「え、えぇ。行くのね。」
我に返ったように彼女は言う。
「お別れです。縁があればまた会いましょう。」
俺は握手を求めて右手を出す。
「そうね、さよならは言わないわ。また会いましょう。ユリウス。」
シエナも右手を出す。
がっちりと握手を交わす。
「捕まえた!」
「ひゃぁっ!?」
その手を俺は思いっきり引っ張ってシエナを抱き寄せた。
赤い髪の毛ごと手を回して思いきり抱き締める。
「ちょ、ちょっと。ユリウス…。」
「…どうか、健やかに。お元気で。」
突然の出来事にシエナは対応できなかった
これ幸いと首筋の匂いを堪能する。
「嗅ぐな!!!!」
「おっと!」
ブンとシエナが振った右手をしゃがんで避けて馬車へ走る。
記念に拳を貰っても良いが、最悪気絶してしまうので遠慮しておいた。
彼女の罵倒を聞きながら馬車に飛び乗れば、御者が馬に鞭をふるう。
これで本当にお別れだ。
「ユリウス!」
もう一度聞こえたシエナの声。
「色々とありがとう!!剣、大切にするわ!!!」
街から遠ざかっていく馬車に彼女の声が届く。
「シエナ!!ロレスさん!!お世話になりました!!」
日が昇る平原にたたずむ彼女たちが見えなくなるまで手を振った。
長くもあっという間だった実地研修が幕を閉じる。
コガクゥまでの道のりはまだまだあるのでいったんは仮眠を取ろう。
シエナに貰ったローブに顔を埋めて眼を瞑る。
思えば、本当にいろんなことがあった。
帰ったらネィダに何から話そうか。
出発の時の名残惜しさは残るものの。
寂しさは少し和らいだ。
夕刻の星に彫ってもらった文字を思い出す。
もし、いつか彼女がどこかの誰かの奥さんになる時。
せめてあの剣が俺の代わりに彼女を守ってくれますように。
そんなことを思いながら、俺は眠りについた。
馬車は一路、コガクゥの村へと進む。
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第三章 完
第四章へ続く
用語解説
ロッズのローブ
シエナがユリウスに贈ったローブ。
材料からデザイン、製作者までシエナが選定したこだわりの逸品。
使用されている毛皮は王族の装飾品にも使われる。
ユリウスの旅を想った末のシエナのアイデアが各所に散りばめられている。
夕刻の星 ヴェスパーライト
ユリウスがシエナに贈った魔法剣。
首都ロッズの職人たちの熱意が籠った王族献上品に匹敵する傑作。
杖としての役割もあり、炎と相性がとても良い。店に並んでいれば莫大な金額が付く。
シエナの為にとユリウスの想いが形を成した守りの剣。




