第二十五話 「傍らにある者」
目が覚めると、何度も寝起きした屋敷の俺の部屋にいた。
ベットにあおむけで寝かされている。
体の感覚はあるが、動かすと左胸から背中にかけてがひどく痛んだ。
右手で傷の確認をと思ったが、何重にも包帯が巻かれている。
良くもまぁ生きてたものだ。
というか、気絶する展開多くない?
「目が覚めましたかな。ユリウス様。」
声に目線を送るとベンジャミンが居た。
いつもの執事服の上着だけ外してベスト姿の彼が覗き込んでくる。
「…腕、ちゃんとついてますか?」
「えぇ。傷は完全には塞げませんでしたが、骨も内臓もしっかりと治しましたよ。」
ホッとした。
今後とも優秀な治療術師は今後1人は傍にいてほしいものだ。
まぁ完全に食いちぎられなかったのが幸いだ。
咄嗟に土魔法で野犬を拘束していなければ肩ごと食いちぎられて即死だったろうな。
「…ところでどのくらい寝てました?」
「一晩ほどです。シエナ様は先にドミトル様達と会場へ向かわれました。」
そういうと彼はあたたかいミルクを差し入れてくれた。
右手で受け取って、一口すする。
適温に保たれたミルクには紅茶が混ざっており、程よい香りで心安らいだ。
「そのシエナは無事でしたか?」
「あれだけの戦闘ながら、傷ひとつありませんでしたよ。リュミドラ様はカンカンに怒ってましたが。」
ハハハと笑いながら彼は続ける。
「ドミトル様が、ユリウス様に感謝されておりました。愛娘の命を救ってくれた恩人だと。エバーラウンズにいくつ貸しを作ればいいんだと焦っておいでです。いやはや。」
彼はそういうとクローゼットから衣装を取り出した。
白色を基調に赤をあしらったいかにもドラゴンロッド家なデザインの貴族用の礼節着だ。
金のボタンやら刺繍やらがふんだんにあしらわれた豪華なつくりの絹の様な照りのある生地。
サイズが小さい男性用の物である。
「…今日のパーティのために、我々からユリウス様に用意した服です。もしよろしければ。」
「僕にですか?」
そんなサービスが待ってるとは夢にも思わなかった。
「傷の事は承知の上ですが。シエナ様のダンスを見ていただきたく思います。シエナ様はあの後、夜通しでダンスの練習をされました。それはもう、鬼気迫る表情で一心不乱でございました。」
それも意外だ。
個人的な欲を言えば、目覚めたらシエナが真っ先に飛びついてきて傷をドンドン。
いたたたた!
みたいなほのぼの展開を思い描いていたのだが。
「ユリウス様に報いるためには、今自分がやるべきことから逃げずにいることだけだとご自身を奮い立たせていましたよ。何度も転んだりしましたが、今朝には1曲通しで踊れるぐらいにはなられました。」
そうか、自分がやるべきこと、ね。
彼女も成長した。
当初の目的である彼女の自立も達成しつつあるということか。
俺の指導ももうすぐ終わりになりそうだ。
自然と口元に笑みが零れる。
嬉しいような寂しいような、そんな気持ちだ。
手のかかる年上の妹が自分で立ち上がり前を向いて歩き始めた。
指導係として鼻が高い。
「ユリウス様がいらしてから、シエナ様は変わられた。ドミトル様もです。いつもは知らんぷりだった宿舎に怒鳴りこみに行かれました。もっと広い範囲を見れる人員配置にせよ。と苦手なキース様に食って掛かったそうです。」
「キースさんのこと苦手だったんですね。ドミトル様は。」
「えぇ。どこかアレキサンドルス様と同じ雰囲気のある方ですので。意識してらっしゃるのでしょう。」
「それなのにシエナの為に怒鳴るとは。なんだか父親っぽくて。微笑ましいです。」
「何をおっしゃいましょうか。ドミトル様はあなた様のことを思って屋敷を飛び出していったのです。リュミドラ様の制止も振り切って、馬車にも乗らずに行かれたのですよ?」
俺の為!?
あのドミトルが!?
にわかに信じられない。
顎に手を当てながら話の続きに耳を傾ける。
「あの小さな少年が魔物を相手に怯むことなく娘を命がけで守ったのにどうして領主の私が衛兵長に怯えて居られようか。一言物申さねばドラゴンロッドの名が泣くわ!と大変勇ましい様子でございました。」
思い出しながら彼はわずかに涙ぐんだようで、目頭を押さえた。
「ゼルジア家は間違いなく。ユリウス様の影響を受けています。良い影響だけとは断言できませんが、数年間時の止まったような家族が再び動き出したように思えます。このベンジャミン。ドラゴンウッドの名を持つものとして改めてユリウス様に心からのお礼を申し上げます。」
貴族礼節を以て、彼は深く頭を下げた。
参ったなと、俺は頭を掻いた。
そこまでしたつもりはなかったのだが…。
「ネィダ様の約束を利用した身ではありますが、私に出来ることがあれば何でもお申し付け下さい。お力になりたく思います。」
「では。さっそくですがお言葉に甘えまして。」
「何なりと!」
俺は少しだけ勿体ぶって、彼に頼みごとをした。
「…着替えを手伝っていただけますか?」
「おぉ…喜んでお手伝いいたしますとも!」
体を動かすのは傷に響くだろうが、それでもあのシエナが頑張っているのだ。
死の間際にまで見たいと願ったのだから見に行かないわけにはいかない。
俺はベットから立ち上がり。用意された貴族の服に袖を通した。
…素肌の上からスーツの背広を着るようで、ちょっと着心地が悪いな…。
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馬車で教会まで揺られること数十分。
流石貴族用の馬車。乗り心地は乗合馬車の比ではない。
快適そのものだ。
内装も凝った作りをしており、座敷は何の魔物の皮かは不明だがピンク色の動物の皮製だ。
至る所に金の装飾やレリーフがちりばめられておりまるでシンデレラの乗る馬車のよう。
男なのに12時の魔法にでもかかってしまっただろうか。
髪形もバシッと決めた状態だ。
服装もあって身なりだけは完全に貴族。
ご丁寧にエングレービングの入った礼節用の短剣まで持たせてくれた。
まぁ刃がついていないのでお飾りだが、あると無いとでは雰囲気が違う。
とはいえ、左手はいまは使い物にならない。
礼節着の前のボタンを開けた状態で腕を吊る以外固定方が無かったので気崩しは大目に見てほしい。
「ユリウス様、1つだけご忠告を。」
御者席の覗き窓からベンジャミンが声をかける。
「今日は各地から貴族をはじめとした来賓が来られています。目立たない方がよろしいです。」
「それは、何か理由が?」
「エバーラウンズの名は有名です。善くも、そして悪くも。あなたにその気が無くても不快に思う方もおられます。ゼルジア家との繋がりを考えれば、妙なことを勘ぐるものが居ないとも限りません。」
「…なるほど。」
こういうおめでたい場でも権力争いとは…。
まぁ、おめでたい場だからこそいいように取り入ろうとする連中も多いわけか。
「会場にいらっしゃる間はドミトル様のお傍にいてくださいませ。衛兵が数名控えておりますので何かあればその者たちの後ろにお隠れ下さい。」
「わかりました。ご忠告感謝いたします。」
会話が終わるあたりで馬車が止まった。
ベンジャミンがささっと扉を開けて手を貸してくれる。
「1人でできますよ。」
「これくらいはさせてくださいませ。怪我人であることをお忘れなく。」
わかっていますとも。
まだまだ傷がズキズキと痛むのだ。
忘れたくても忘れられない。
地面に足をつけると、すでに会場の一部だったようで赤い絨毯が敷かれていた。
おぉ憧れのレッドカーペット。
セレブはいつもこんな感じでパーティ会場に入っていたのか。
そりゃ病みつきになるわけですわ。
「私は馬車を預けてきますので、後程。」
彼は馬車を動かして行ってしまう。
何度か訪れた教会はお祭りムード一色だ。
広場の中央をまっすぐに絨毯が突っ切り、そのまま奥の特設ステージに繋がる階段へと延びている。
周りにはかき集められた形も高さも違う机にクロスがかけられて立席パーティとなっている。
料理もバラバラだ。
主に肉料理と酒が目につくが、小ぎれいな物から焼いただけです!みたいなものまで沢山ある。
教会の周りにも街の住人が集まっていた。
流石に中に入っているのは一部の親交のある人々だったが。
しかし教会の広場の外でも各々が料理を持ち寄って宴を開いている。
賑やかなことだ。
上を見れば色とりどりの飾りがついた紐が渡され、中には輝照石が入った四角い提灯も吊るされている。
壇上にはよくわからない楽器を携えた楽団員が練習を始め、チューニング中。
弦楽器が主だが、アコーディオンのような物も、手でたたく太鼓もあるようだ。
(そういうの見ると田舎じゃなくて異世界だよなぁ…。)
改めてそう思いながらドミトルの姿を探す。
彼はステージの右前当たりの席で夫婦揃って談笑をしていた。
おそらく相手は例の成金ランドルフ。
周りにいる者たちの服装を見ればそこが来賓席であることはわかった。
(行きづらいなぁ。)
先ほど受けた目立つなという忠告を思い出す。
オッス!オラ、ユリウス・エバーラウンズってんだ!ヨロシクな!
とか言ったらどうなるんだろう。
こういう時にアレクの影響力は面倒だ。
「誰かと思えば!ユリウスじゃないか!」
わざとらしく。大声でこちらに歩み寄る少年が居た。
アレックスだ。
彼も貴族風の衣装に身を包み髪を固めている。
まぁいつも通りと言えばいつも通りだ。
「お嬢様の誕生日におめかしか?気合入ってるじゃないか!えぇ?」
バシンと勢いづけて彼は俺の左肩を掴む。
友好的なスキンシップだぜ。痛くて泣きそうだ。
「馬子にも衣装とはよく言ったものだ!似合ってるよユリウス!ははははは!」
「…それはどうもご丁寧に…。」
もうこんな段階からアレックスはバチバチの戦闘モードだ。
聞けばシエナの登場はもう少し後。
今頃、寝不足シェリーが着付けをしている頃だ。
「しかし、野犬程度に後れを取って負傷とは。名誉なことだな!シエナの盾となったことは褒めてやるが。キース衛兵長が来なければ死んでいたそうじゃないか。運の良い奴だな本当に!」
何がそんなに憎いのか彼は俺の肩を掴んだまま体を揺さぶる。
どこでどんな風にその噂を聞いたか知らないし知る気もない。
見ての通り怪我人なのだ、まぁあえてそうしてるんだろう。
目立ちたくないので抵抗はしないが、いい加減頭に来てしまう。
…落ち着けユリウス。心頭滅却、ヒッヒッフーだ。
「そうですね。キース様にはなんとお礼を伝えればいいかわかりません。おかげでシエナ…様も無事でした。本当に運が良かったですよ。」
謙遜に謙遜を重ねて謙遜。
痛みで脂汗が顔に浮かび始める。
はやく離せよナリキンマン…。
「まぁ、その大事なシエナも今夜俺が頂くとするよ。あんな貧相な体だが、まぁ顔は悪くない。せいぜい楽しませてもらうさ。ユリウス?」
そのあたりでアレックスはやっと手を離した。
傷が少し開いてしまったかもしれない。
「じゃあ。お誕生会楽しんでいってくれ。」
彼はそういうと人混みに消えていった。
深くため息をついて会場の端の椅子に座る。
包帯をさすりながら「ひどい目にあった。」と小さくぼやく。
しかしまぁ、人の家の娘をよくそこまで下卑た目で見れるものだ。
親の顔が見てみたいぜ。いや見たことあるわ。見たくもないぜ。
そして今ならはっきり言える。
シエナは俺が育てた。
それをあんな風にコケにされるのは、本当に堪える。
堪忍袋の緒が伸び切ってしまうよ。まったく…。
「…はぁぁ…。」
先ほどの俺と同じようにため息をついて椅子に座る人物がいた。
ドミトルだ。
えらく疲れた顔をしている。
「お疲れ様です。ドミトル様。」
「うむ。…怪我の具合は?」
「動く分には問題ないかと。ダンスを踊れないのが残念です。」
「ふん。シエナと踊るなんぞ千年早いわ。」
「ではあと千年生きましょう。」
「…アレキサンドルスのようなことを言う…。」
俺はあと千年生きるぞ。
あれはアレク流のジョークだったわけだ。
「…シエナの命を救ってくれたことは、礼を言う。」
ドミトルは小さく言ったあとに続ける。
「しかしなユリウス。やりすぎだ。お前は何でもやりすぎだ。普段の稽古も、衛兵との演習も。今回の事だってそうだ。お前はどうしてそこまでする。一歩間違えればお前は死んでいたんだぞ?」
会場内の事なので、彼は声を抑えていたが普段より語気が強い。
「いつ私が命を懸けろと言った?…いや、首を切れと言ったことはあったか。だがそれでもやりすぎだ。シエナが私の大切な娘であることを理解しているという事はわかっている。しかしなユリウス。」
彼はそこでいったん言葉を区切った。
そして大の大人が、眼を涙で潤ませながらまるで懇願するような声で語る。
「…お前も誰かの大切な息子なのだ。親兄弟が居るだろう。アレキサンドルスという祖父もいる。私はあまり立派な父親ではないが、それでも娘の事を私なりに第一に考えているつもりなのだ。お前ほどの者を家族に持った気持ちを考えてみろ。私なら手元に置いておく。絶対に置いておくぞ。」
私にはついぞ出来なかったが。と食いしばった歯の間から漏らす。
「…だから、もう命を張るな。ユリウスほどの力量があればもっと上手にできるだろう。シエナの指導に必要というなら縄でも手錠でも…いやそれはいかん。とにかく何か手段があるだろう。だから頼む。これ以上命を張るな。お前の家族に申し訳が立たんのだ。」
頼む。
彼はもう一度そう言って座ったままに頭を下げた。
1人の父親としての、彼なりの俺への抗議。
出会ったころからは考え付かないほど父親らしさがにじみ出た言葉。
それを思えば、ベンジャミンの言う通りドミトルもまた成長したのだろう。
「…そうですね、僕も死ぬのは嫌です。努力します。」
ドミトルは安心したように息を吐いて顔を上げた。
「あと、僕のためにキース様に意見して下さってありがとうございます。ドミトル様。」
「な!!??」
俺がニコリと笑うと、彼は思いのほか動揺した。
「べ、別に貴様のためなどでは無い!ゼルジア家の当主として、今回の事件への指導を行ったまでの事だ!!」
ワタワタと言い訳するドミトル。
マジか。
そのセリフ、まさかドミトルの口から聞くことになろうとは…。
なんかガッカリ…。
「そ、そろそろシエナの着替えが終わるころか!壇上挨拶があるでの私は失礼する。」
思い出したかのようにドミトルはスクッと立ち上がった。
こんな露骨なツンデレおじさんが居たものだろうか。
そういう意味合いではシエナは間違いなくドミトルの子供だ。
「あぁ、それと。」
くるりと振り返りながら彼は言う。
「ベンジャミンから聞いていると思うが、今日は目立つな。衛兵をつけておいてやるからおとなしくしていろ。」
「わかりました。お義父さまっ!」
「誰が貴様の父か!!娘はやらん!!冗談も大概にせよ!!」
顔を耳まで真っ赤にしながら彼は大股でズンズンと人混みをかき分けていった。
なんとも御しやすい…。
「…いやぁ、あれは脈ありでしょう。」
後ろから声がする。
「ユリウス君も物好きだなぁ。僕ならシェリーを口説くよ。」
緩い会話を繰り広げる衛兵2人。
「…いや、そんなんじゃないんですよ?」
「今更否定してもなぁ。というか、シエナ様は毎日べったりじゃん。」
「俺たちいつ婚約発表するのか賭けてるんだ。期待してるぜユリウス!」
あー。なんかこういう人たちコガクゥの村のギルドにも居たわ。
一定数どこにでもいるのね。
「っと、噂をすれば影。シエナ様だ。」
会場のざわつきと共に皆の視線が壇上へと向けられる。
そこらかしこからおぉ。とか綺麗…。とか控えめの歓声が上がる。
俺も壇上へ目をやる。
思わず目を疑った。美少女だ。
完璧な貴族令嬢の美少女が壇上で父親に手を引かれて立っている。
伏目がちなその表情に普段の狂暴性は微塵もない。
綺麗にまとめられた艶やかな緋色の長髪を頭の上でお団子にした髪形。
香油でも塗ったのか、トリートメントしたみたいに光を返している。
輝照石の光で輝く簪はおそらくリュミドラからの借りものだろう。
普段のトレーニングウェアや少女趣味のヒラヒラ服からは想像もつかない程に大人びたドレス。
白色を基調にした赤色の差し色はいつも通りだが深緑のロングスカートがそれらを引き締めている。
胸元は青色のスカーフに彼女の瞳と同じ色の石がはめ込まれたブローチが彩った。
足元はシューズではなくヒール。おかげでいつもよりもスタイルが良く見える。
顔は少しだけ化粧をしたのだろう。口元には紅が施されている。
そもそもの顔が良かっただが、印象ががらりと変わる。
赤色のアイシャドウが彼女の鋭い眼つきに色香を加えた。
誰もが息をのみ、その姿を目に焼き付けた。
彼女こそが、ドラゴンロッド家の令嬢。
シエナ・ゼルジア・ドラゴンロッドだ。
「「「すんげぇ…。」」」
まったく同タイミングで衛兵たちと同じ言葉を口にする。
いや参った。
シェリーはよくやったよ。
完璧です。本当に。
「本日は、我が娘シエナの10歳の誕生日に盛大な催しを頂き心より感謝する!」
ドミトルが声高に挨拶をする。
美しく着飾った娘を紹介できて自慢げだ。
「これより本日のメインイベントを始めたく思うが、その前に娘より感謝の言葉を皆に伝えたい!」
彼がそういうとシエナは一歩前にでた。
スカートの端を指でつまみ上げ、左右に広げながら足を交差させて一礼をする。
ずっと練習していた貴族礼節の簡易礼。
一度も綺麗にできなかったそれを彼女はお手本通りにこなして見せた。
「お集りの皆さま、そしてご来賓の方々。本日は私の誕生日の為に遠方よりお越しいただき感謝いたします。どうぞ心より、お楽しみください。」
静かに、しかし会場に響く通りのいい声で彼女は短く告げる。
皆一様に気圧されてしまい拍手ひとつ起きない。
それほどまでに彼女は圧倒的であった。
…ギャップが。
普段を知る者なら卒倒だ。
「あれ、本当にシエナ様か?」
「ばか!不遜だぞ!」
いや気持ちはわかる。
同じ気持ちだ。
「それでは、しきたりに則り。ダンスのお披露目を行う!誰ぞこの娘と─。」
「私めが!!」
待ってましたと言わんばかりに前に躍り出た人影が居た。
アレックスだ。
彼はすぐさまに壇上に上がり、まずはドミトルに簡易礼で挨拶をした。
「父、ランドルフの息子。アレックスです。本日はご息女様のお誕生日おめでとうございます。」
まくしたてるように彼は言う。
ドミトルは満足げな表情で腕を組み頷くと、彼をシエナの方へと促した。
「良いのかユリウス!お嬢様取られちまうぞ!」
「シエナが決めることです!黙っててください!」
俺は衛兵に一喝して黙らせた。
拳に力が入る。
何故俺は固唾をのんでこの場面を見守っているんだ。
ただのダンスだぞ。健全なスポーツじゃないか。
あれか、アレックスにしてやられたのが悔しいのか。
…ええいわからん!
モヤモヤする!
…モヤモヤする!!
「シエナお嬢様。一目見たときからあなたの美しさに心奪われた!今だけで構いません!私と踊って下さい!」
アレックスは声高に宣言し、シエナに手を差し伸べた。
会場から黄色い声援が飛ぶ。
たしかこういうのは男性が誘い、女性がその手を取れば流れで音楽が始まるのだったか。
すでに楽団が楽器を構えてスタンバっている。
「始まりましたな。」
ベンジャミンも間に合ったようで俺の隣に来た。
彼も含めて、その場にいる誰しもがシエナに目線を送る。
…しかし、誰からとも言わずに再びざわざわと声がし始める。
主役登場の時とは違う、困惑の声だ。
シエナがピクリとも動かないのだ。
それどころが、アレックスに見向きもしていない。
流石にそれに気づいたのか、ドミトルが小声でシエナの名を呼んでいる。
「お、お嬢様?どうか手をお取りください。たくさん練習、されたのでしょう?」
無視されて怒り心頭な声色でアレックスはシエナを誘う。
少しして、やっとシエナが口を開いた。
「…失礼。」
そう言ってアレックスを見ぬままに壇上で前へ出る。
呆気にとられたアレックスは大口を開けたまま彼女を目で追った。
壇上最前線の真正面。
シエナはキョロキョロと周りを見渡した。
誰かを探しているように。
そして大きく息を吸い込む。
「あぁ、これはいけません…。」
ベンジャミンが頭を抱えた。
次の瞬間だ。
「─ユリウス・エバーラウンズ!!!」
腹から響く、街中に轟くような大声で彼女が叫ぶ。咆哮と言っていい。
来賓の数名は耳をふさぎ、何人かは腰を抜かしたり飲み物を噴き出している。
「居るんでしょう!さっさと壇上に上がりなさい!!はやく!!」
目立つな。
そう言われた忠告もはや無意味となった。
「こんな奴、ハナから眼中にないわ!!練習の成果を見せつけてやるんだから!!」
うわぁ、言っちゃったよ。
これ、もし俺がここに居なかったらどうなってんの?
ドラゴンロッド家史上前代未聞の大惨事だよこれ!
「シエナ!今は俺が君を誘っているんだぞ!」
アレックスは乱暴に彼女の手を掴むが、あっさりと振りほどかれてしまう。
いっさい無視と言った風にフンとそっぽを向いてしまった。
徐々にアレックスの表情に余裕がなくなっていく。
「…お呼びだよユリウス君。」
「お嬢様の御指名なら断れないよなぁ。」
壇上の空気を察して衛兵二人が背中を押す。
「…ことを治めますので、ご協力ください。ユリウス様。」
ベンジャミンもあきらめたように言う。
「…シエナらしいなぁ。もう…。」
「ユリウス!!!!」
再び俺の名が呼ばれる。
シエナが俺を呼んでくれている。
その事実だけで、胸のモヤモヤはきれいさっぱり消えた。
「…居るんでしょう?居るのよね!?」
徐々に不安げな表情を見せるシエナ。
声も尻すぼみだ。
「ベンジャミンさん。裏から壇上へ。進行はお任せします。」
「承知しました。」
ベンジャミンが身を低くして裏へ回る。
「…ユリウス!!!」
「ここに!!!!」
最後に目をギュッとつむって叫ぶシエナの声に、俺は人混みから答えた。
うつむいた彼女の顔がハッと上げられる。
周りの者たちは声に驚き、振り返る。
一番近くにいたギルドの女将ヴェードゥがしたり顔で一歩下がると、それが周りに伝番する。
人で埋まっていた会場に一筋の道が出来た。
誰あの子?
エバーラウンズ?
どこの貴族かしら…。
俺を知らない人々の探るような声。
待ってたよ坊っちゃん!
…遅いぞ。
かましてやれ!ユリウス!
俺を知る人々の鼓舞する声。
それらを聞きながら、俺は道を進んだ。
ただまっすぐにシエナを見据えて。
「ユリウス・エバーラウンズ。ここに参上いたしました!!」
階段を前に声高に名乗る。
待ってました!などと囃す声も聞こえるが、それは締まらないから勘弁してほしい。
「エバーラウンズ?エバーラウンズだと…?」
アレックスがずかずかと階段を下りてくる。
「たかが従者の分際で英雄の姓を語るなどと、随分身の程知らずじゃないか…。」
「僕は従者でもなければ、身の程知らずでもありません。見る目が無いのも大概にしてもらいたい。」
「言ってくれるなぁ!野犬一匹ろくに討伐できない雑魚の分際で!」
おーおー。良く吠える。まるでその野犬みたいだ
こっちも色々いびられてうんざりしてたんだ。
少々遊んでやるか?
いやいや、乱暴は良くない乱暴は。
ね。
「知っての方も多いと存じますが!」
壇上から声が張り上げられ、皆がそちらを向く。
ベンジャミンだ。
最初からそこにいたと言わんばかりの整った姿勢で司会役を引き継いでいる。
…ドミトルはもうだめだ。パニックの末に消沈している。
「こちらのユリウス様がシエナ様を魔物の脅威からお救いになられたのです。たった1人で野犬の群れの中に飛び込みその判断力と卓越した魔法を持ってシエナ様に傷ひとつ負わせることなく守り抜いたのです!」
会場にいた衛兵たちがそうだそうだと野次を飛ばす。
「そしてその胸の傷は黒衣の野犬の牙からシエナ様を庇った時の物。決してアレックス様の言うような人物ではございません。訂正を。」
「出鱈目を言うな執事!そんなわけがない!こいつが!ユリウスがそんな大層なこと出来るわけあるものか!」
来るとこまで来てしまったアレックスはもう後に引けない。
今すぐにでもこちらに殴りかかってきそうな剣幕で俺を睨みつける。
「なぁ、認めちまえよ。」
俺の胸倉を掴みながら言う。
「全部嘘でしたって認めちまえ。シエナの気を引きたくてついたしょーのない嘘でしたって泣きながら謝れよ!」
「嫌です。」
はっきりとした拒絶にアレックスは拳を俺の顔面に見舞った。
ガキンと固い音を立てて彼の拳が砕ける。
彼と俺の間には一本の石柱が出現していた。
オルコ直伝の零距離石柱防御だ。
どうだ痛ぇだろう。
今回は特別に角材仕様だ。
「てめぇよくも!!」
「止めろアレックス!!」
追撃を阻んだのは他でもない彼の父親ランドルフだった。
「しかし父上!」
「いい加減にしろ!家の名に泥を塗るつもりか!!」
「…周りをよく見たらどうです?」
俺が続けて低く言う。
彼の周りにはすでに衛兵が取り囲んでいた。
中央にはキース衛兵長が腕を組んで立っている。
「これ以上、ドラゴンロッド家の恩人に危害を加えるならばそれ相応の対処をするが。どうするかね?アレックス殿。」
その言葉に彼は俺の襟首から手を放し数歩下がった。
真っ青な顔で、口をパクパクさせながら。
「アレックス!」
壇上からシエナが彼に声を投げる。
「ユリウスの勝ちよ。」
あんたの負け。
と言わなかったのは彼女の良心だろうか。
しかしその言葉が止めとなった。
アレックスはその後ランドルフの手を振り払い、半べそをかきながら足早に会場を出ていった。
彼の父は壇上のシエナに向けて頭を下げると息子を追った。
緊迫した会場に安堵の空気が戻る。
頃合いを見計らってベンジャミンが再び進行に移った。
「シエナ様はユリウス様の勇敢さに敬意を払い、自らの努力の成果の発表相手として彼をお選びになられたのです。しきたりに沿わぬ形ではありますが特別枠として温かく見守っていただければ─。」
「ちょっとベンジャミン!私はまだ何にも!」
「おお!シエナお嬢様!このユリウスには身に余る光栄であります!!!!」
シエナの言葉を遮るように演技して必死で丸く治まるように事を運ぶ。
まぁろくに踊れる体でもなければそもそもダンスなんてやったことすらない。
しかし呼ばれた以上は、答えた以上はなさねばならない。
階段を上がり、そしてシエナの隣に立つ。
「…本当に居ないんじゃないかと思ったわ。」
シエナは小さく言う。
顔を見やればうっすら涙が溜まっている。
彼女は気丈であったが、心配してくれても居たのだ。
それでも俺が来ると信じてあんな暴挙に出た。
勇気があるんだか、臆病なんだか。
「…せっかくのお化粧が泣いたら台無しになりますよ?」
同じく小声で話し掛けると、彼女は泣いてないわよ!と鼻をすすった。
なんとも彼女らしい。
そして俺は立った姿勢のまま右手を彼女に差し出す。
「僕はダンスが踊れませんし、見ての通り左手も使えません。シエナだけが頼りですよ。」
シエナはその手をわずかな時間だけ見つめた後に、自らの左手をそっと重ねた。
「上等よ。リードだったら任せなさい!」
向かい合って一礼の後に音楽が始まる。
誰しもがそれを見守り、舞台袖からはドミトルがぼんやりと見つめた。
シエナが俺の腰に手を回す、男女位置が逆になったスタイルで踊る。
極論を言えば、ただただ音楽に合わせて揺れているだけのような単純なダンスだ。
どちらかが踏みこめばそれに合わせて相手が一歩引く。
剣術の稽古で覚えたその動きで不思議と音楽に合わせて動けた。
「踊れるじゃない。」
「シエナのリードセンスですよ。」
クルリと回される。
俺が。
…あれ?
「やってみれば意外とできるようになるのね。」
「そ、その通りですとも。」
背中を支えられて海老反りになりながら体を預ける。
俺が。
…え、逆じゃね?
「…あの、シエナ?」
「何よ。」
彼女は疑問に思っていないのか?
なんか会場からは笑いが聞こえ始めているし…。
「聞いてみるんですが、シェリーはどちらの役でした?」
「そんなの決まってるじゃない。」
再び彼女に体を倒される。
彼女の整った顔が近づく。
緊張で高揚した頬と荒い息が俺の首筋をかすめる。
「シェリーは女役で練習に付き合ってくれたわ。この通り完璧よ。」
シェリーのてへぺろ顔が目に浮かんだ。
あぁ…。
そんな…。
シェリー、お前ってやつは…。
遠心力で回りながら手を伸ばした後に再びもとに戻り、後ろから抱きしめられるような形で体を揺らす。
俺が。
シエナに、抱かれている。
「なんという…。」
ベンジャミンもその場でガクンと膝を折った。
ここにきてシェリーは致命的なうっかりミスをしていたことが判明した。
シエナに一晩かけて配役を逆に教えていたのだ。
着付けを褒めた言葉を返してほしい。
一通りダンスが終わり最後のポーズも含めてビシッと決まったものの、会場は拍手と笑いに包まれた。
成功と言えば成功。なのだろうか。
前代未聞のお誕生会ダンス逆指名事件は、そういう余興だったということで何とか丸く治まった。
まぁ、なんでもいいか。
シエナがあんなにも満足そうな顔で笑うのだ。
苦手を自分から克服した彼女の事を思えば、腕の痛みもどこかへ飛んでってしまう。
立派になったね、シエナ。
---
「やっぱりタルコスのとこの肉は美味しいわ!」
せっかくおめかしした化粧を串焼きの肉汁でベトベトにしながら彼女は笑う。
気づけば彼女の周りには貴族ではなく、街の人々が詰めかけていた。
そこに身分の隔ても種族の隔てもなく、ただ彼女を好いてくれる人々が集まった。
この街のあり方そのもののような彼女は、再び俺の名を呼ぶ。
「はやく!全部食べちゃうわよ!」
俺は住人達に迎え入れられ、シエナの隣にぐいぐいと押し込まれた。
横目で見る彼女と眼が合う。
ん。と差し出される頬をハンカチで拭うと彼女は再び肉に食らいつく。
多くの人に愛される型破りなお嬢様。
今隣にいるのは俺が良く知るシエナだった。
「あ。」
俺は小さく声を上げる。
しまった肝心なことを言い忘れていた。
「何よ。」
シエナがこちらに向き直る。
「いえ、その。あまり大したことは言えないのですが…。」
照れ隠しに頭を掻いた後に俺はシエナに目を合わせる。
「10歳の誕生日、おめでとうございます。シエナ。」
「…えぇ!ありがとう!ユリウス!」
お誕生会は日が傾くまで盛り上がりに盛り上がった。
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…普段ならまぁ、この辺でと思ったとこなのだが。
せっかくなので、もう少し。
「…疲れた…。」
疲労で胸いっぱい、食べ過ぎで腹いっぱい。
そんなぼんやりした頭で俺は街の頂上、教会に隣接する砦の見張り台に来ている。
弓兵が弓を射るための壁の切れ込みから外の景色を眺め風に吹かれていた。
砦が出来てから2000年間、ほとんど変わらないであろうだだっ広い平原を夕日が赤く染める。
静かで、独りの、少しだけ寂しさを感じる時間が流れている。
しばらく会場には戻りたくない。
というのも、ダンス前の口上からアレクの孫だと知れてしまい彼に取り入りたい下級貴族に囲まれてしまったのだ。
やれ娘とぜひ会ってほしいだとか。
やれアレクに会わせてほしいだとか。
挙句に30に片足突っ込んだ女性から結婚してほしいとまで言われた。
まぁ何かと理由をつけてやんわりと断っておいたが。
いかに社交的なユリウスでも、さすがに疲れるというもの。
そもそも主役はシエナなのだ。
彼女をお祝いする気が無くなったのであればどうかお引き取り願いたい。
そんなわけでキースにどこか静かな場所は無いかと聞いたところここに案内された。
本来は衛兵の見張り台なので関係者以外立ち入り禁止なのだそうだ。
教会から騒ぐ人々の声が聞こえてくる。
娯楽の乏しいこの世界では宴会は万人が好む。
しかし、好むものすべてが仲が良いわけでは無い。
今日のアレックスのようなこともある。
最初にシエナの反応も考えるに、今後はエバーラウンズと名乗らない方が良いかもしれない。
無用な騒ぎは収拾も面倒だ。
一息つきながら壁に背中を合わせて座り込む。
ついでに髪形も元に戻す。
どうにも整髪料で固めていると身構えすぎるようで良くない。
その際に傷がズキリと痛んだ。
イテテテ。と呟く。
…さて、今後の事を考えるならばもう1つ考えねばならない。
シエナとの別れだ。
既に俺が彼女へ指導できることはほとんどない。
魔術は当初の目標を達成した。
剣術はこの街の衛兵長と互角に渡り合える。
礼節は苦手意識を克服して自分で学べるようになった。
算数はすでに普通の買い物程度は問題なくできる。
そしてシエナ自身もまた、自分で考え、行動し、意見できるようになった。
もう彼女は立派な貴族令嬢だ。
アレックスみたいな性悪に騙されることもないだろう。
…そう思えば、寂しさは募った。
まぁ、死別するわけでは無い。
その気になればイングリットの村からでも行ける距離にあるのだ。
手紙でやり取りしてもいいし、何なら魔道をきちんと修めてから使用人として雇ってもらえばいい。
きっとシエナなら首を縦に振ってくれるだろう。
シエナの子供たちに魔術を教える家庭教師なども良いかもしれない。
…なんだか、泣きそうだ。
「見つけた!!」
顔を上げれば、階段から顔を出す人物がいた。
シエナだ。
おろした髪が風に揺れてきらきらと光っている。
「どうしてここに?」
「あんたが急に居なくなるからでしょ!!」
腰に手を当てて彼女はぴしゃりと叱った。
わざわざ探しに来てくれたのだろうか。
そう思っていると、彼女は俺の隣にストンと腰を下ろした。
同じように壁に背中を当て、膝を抱える。
「…勝手に居なくなんないでよ。」
彼女は口をとがらせて、小さく言った。
難聴系主人公なら聞き逃すのだろうが、俺はバッチリ聞きましたとも。
「…すみません。シエナ。」
「…傷は大丈夫なの?」
「大丈夫。…にはもう少しかかりますね。」
とりあえずそう答えることにした。
魔術で骨と内蔵は直してもらったものの、傷自体は塞がっていない。
ベンジャミンの治療でも、あとどのくらいかかるかは不明だ。
すると隣ですすり泣きが聞こえ始める。
ギョッとして横を見ると彼女がポロポロと泣き始めていた。
「シエナ!?泣かないでくださいよ。これは僕の─。」
「どこがユリウスのせいなのよ!!全部私が悪いんじゃない!!」
彼女は泣きながらキッとこちらを睨む。
「なんで言ってくれないの!?私が悪いって!私のせいで死にかけたって!!どうして怒鳴っても殴っても来ないの!おかしいじゃないの!!」
喚きながら胸倉を掴む。
「なんでそんな平気でいられるわけ!?私ずっと不安だった!!あんたが本当に死ぬんじゃないかって!私の前から居なくなるんじゃないかってどうしようもなかったのに!!!」
彼女は胸倉を掴んだまま、俺の体を引き寄せる。
大泣きの顔を隠すように額を俺の鎖骨辺りに当てる。
泣き崩れるシエナ。
気丈にふるまっていた彼女の心は、限界を迎えた。
「心配かけてすみません。シエナ。」
「謝るのは私だって言ってんのよバカぁ!」
服を掴んだままに彼女はドンと拳を胸で小突いた。
「…でしたら。シエナの言うこと全部ここで聞きますから。シエナが泣いているのを見るのは僕も辛いですから。ね?」
右手をシエナの肩にそえる。
ビクリと体を震わせた後に、彼女は俺の手に自らの手をかさねて強く握った。
「…言いたかったこと、ちゃんと言ってください。シエナ。」
「うぅ…─ッ。」
喉まで出かかった言葉がつっかえて出ない。
そんなふうに聞こえる唸り声。
「何を言われても。僕は居なくなったりしませんよ。」
「…ごめんなさい…。」
ポツリと彼女は、震える吐息を吐き出しながらつぶやいた。
「ごめんなさい!ごめんなさいユリウス!!ごめんなさい!!ずっと言いたかったのに一度も謝れなくてごめんなさい!!私、私ぃ!!」
堰を切ったように言葉はあふれだした。
そこから先は、ただの泣きじゃくる子供だった。
嗚咽と、謝罪が何度も何度も繰り返される。
しばらく、俺は彼女に胸を貸した。
ここ数日の張りつめていた彼女の気持ちが、大粒の涙となって服に染みを作った。
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「…一通り泣いたら、すっきりするものね!!」
泣き腫らした目を真っ赤に染めながら彼女は壁の上に仁王立ちしていた。
沈みかけた夕日がうっすらと赤く光っている。
切り替えの早さは踏み込みの速さに比例するのか。
すっかりと立ち直ってしまった。
しっとりしたシエナも良いと思うが、やはりこっちのシエナが良い。
「危ないですよ。シエナ。」
「そうね!」
ぴょんと壁の内側に飛び降りる。
やけに素直だ。
「…本当はね、ここの景色をあんたに見せたかったの。夕日で黄金色に光る平原がとてもきれいなんだから!」
照れながら彼女は言う。
夕日色の髪を風が撫でていく。
「もう沈んでしまったのが残念…。」
「…もう一度見ますか?夕日。」
そう口走ってしまった。
彼女もきょとんとした顔でこちらを見る。
「僕なら、出来ますよ?」
自信はある。
別に夕日を引き上げるわけでは無いのだ。
しかし、これが出来るのは間違いなく俺一人。
「…へえ、やって見せて?魔道士様?」
シエナは意地悪そうにこちらに言う。
なるほど、やって見せましょう。
「では失礼して。」
右手を彼女の細い腰に回す。
「ちょ、ちょっとユリウス…!」
顔を真っ赤にしながら彼女は目を伏せる。
「しっかりつかまって下さいね。」
「へ?何?え??嘘!?」
飛翔魔法を燃焼推進のみで起動する。
シエナを抱えた状態で少しだけ浮き上がると彼女は両手を俺の首に回した。
「う、ううう、浮いてる!?」
完全に地面から離れてしまった両足を彼女はプラプラと動かす。
「いきますよ!」
「ちょ、ちょっ待っ…。」
炸裂推進で一気に高度を上げる。
彼女の悲鳴が夕焼け空に溶けていく。
しばらく上昇した後に、滞空に移る。
ロッズの街並みははるか下だ。
高度のみの熱輪配置であれば意外と高く飛べるものだ。
「どうぞご覧ください。」
シエナにそう促す。
ギュッと瞑られた目を開ける。
そして彼女は言葉を飲んだ。
「─僕からの誕生日プレゼントです。」
広大な大陸を見渡す一望。
黄金色の大地と緋色に染まる空。
雲と同じ目線から見る景色は、遠く水平線と地平線が交じり合う先。
訪れる夜の色と過ぎゆく暁の色がどこまでも広がる。
そこから伸びた水平線の先は大陸に囲まれた大海原。
輝く海に落ちるまばらな陰はディティス列島帯の最南端の島。
大陸北西部にある建物はディーヌ孤児院だろう。
沈む夕日をうけて伸びた影が長く大地を這っている。
渡り鳥の群れを上から見下ろし、木や山が小さく映る。
360度に展開された空の大パノラマが空も星も海も街も内包して美しく輝いていた。
刻一刻と空の色は変わり、東の空から星たちが顔を出す。
「すごい…。」
俺にしがみついたまま彼女は言う。
「こんな景色、生まれて初めて見た。外の世界ってこんなにも広くて綺麗なのね!」
「僕もこうやって見るのは初めてです。気に入ってもらえましたか?」
「もちろんよ!最高の誕生日だわ!ありがとうユリウス!!」
よかった。
泣かせてばかりでは、男児としての沽券に関わる。
俺はユリウス・エバーラウンズ。
優しく頼れる魔道士なのだ。
「ところでこれ、魔術なの?」
浮いている足先を見つめるシエナ。
その先には滞空の為に熱を放つ熱輪が赤く光っている。
「魔法です。いくつもの魔法を組み合わせた魔術の卵のようなものです。」
「魔術なのね!?なら私も使える!?」
「どうでしょうか。まだ名前の無い、魔術ですらない未完成品ですから。」
「じゃあ、私が名前考えてあげる!良いわよね!?」
そういうと彼女はキョロキョロとそこから見える景色を見回す。
そしてあった!と真上を指さした。
「この魔法はきっとあそこにも届くわ!!」
夕日から続く満天の星空。
現代文明とはかけ離れたこの世界だからこそ見える。鮮やかな星々とその雲。
「星雲。ですか。」
「そう!この魔法の名前は"星雲の憧憬"!いつか星も超える大魔術になるわ!」
「…いいですね。とてもいいです!」
「ほんと!!??」
語呂も良いし、なによりシエナがくれた名前だ。
断る理由がなかった。
「私、明日からこの魔法を習うわ!」
「それは急すぎますよ。それにまだ初級魔術も…。」
「なんでよ!良いじゃないケチ!!」
そう言われた辺りだ。
ガクンと、体が揺れる。
シエナがひゃあと悲鳴を上げ、足も使ってしがみ付いてくる。
「…ユリウス?」
「すみません。魔力が切れかけてるみたいです。」
「冗談でしょ!!??」
「…下へ参りまーす。」
「ちょっと!ユリウス!!ユーリーウース!!!嫌!!待って!!心の準備が!!」
いやあああああああああ
ユリウス!!
ユリウス!!!!
いやああああああああああああああああ
ユリウスゥウウウウ!!!!!
シエナの絶叫がロッズの上空で響き渡る
その後地上に降りるまでに合計で28回。
ユリウスと叫び、地上に降りた後はしばらく腰を抜かしていた。
ユリウス・エバーラウンズ 8歳の夏。
未完成ながらもその魔法は星雲の憧憬と名付けられた。
赤い髪の少女が瞳に映した、星々を越える夢が籠められた飛翔魔法である。
人物紹介
更新
シエナ・ゼルジア・ドラゴンロッド 10歳
ドラゴンロッド家の令嬢。
幼い頃から剣術の才があったことで知られ、新しい指導役が来てからはその才能を遺憾無く発揮するようになる。
ほぼ毎日街を見回るなど領主としての役割に従事しており、住人や衛兵からの人気はとても高い。
好きな食べ物は麦粥と串焼き。
好きな人物は母リュミドラ。ユリウス・エバーラウンズ。




