第二十四話 「シエナの慢心」
シエナの誕生日が明日に迫ったこの日。
彼女は荒れに荒れていた。
「お嬢様、そこでこう…。あぁ違います!タターンタンタンですよ!」
「わかんないわよ!!」
シェリーを練習相手にペアダンスを踊るシエナ。
しかし動きは全くそろわない。
細かな足運びと相手に合わせるという意識の持ち方にイラ立つシエナ。
怒ってるのがわかってしまい積極的にリードできないシェリー。
この一週間の集中練習はまるで成果無しだ。
手拍子を打つベンジャミンは苦い顔をしている。
今踊っている振り付けはこの世界であれば一般的なものだ。
元の世界で言うならフォークダンスか?
ちょっと違う気もするが、子供が普通に踊れるくらいの難易度だと伝わればいい。
とにかくそんなに難しいものではない。
「足だけじゃなく手にも気を使って下さい。そこはもっと優雅に伸び伸びと!」
「やってるでしょ!?」
怒鳴らない殴らないの誓いが半壊状態だ。
彼女はリズム感が無いわけでは無い。
ただダンスの相手に動きを合わせるのが苦手なのだ。
細かい振り付けも苦手で、とにかく相性が悪い。
シェリーのクルクルと舞うような軽快な動きと比べればかなりぎこちない。
肩肘を張りすぎともいえる。
「はいそこでターンして。最後にポーズ!」
締めくくりのポーズですら、シェリーとだいぶ違っていた。
指先まで綺麗に伸びたシェリーと背筋まで丸まったままのシエナ。
…どうしたものか。
「どうしたものでしょうか…。」
ベンジャミンも困り顔だ。
「そんなにダンスって大切なのですか?」
「貴族の嗜みです。とくに今回はシエナ様のお誕生会。キングソード家の来賓も招いてのパーティですので…。」
なるほど。
ドラゴンロッド家の令嬢として恥ずかしくない舞を見せろと。
しかしそれは言ってしまえば無理難題だ。
彼女はそういう繊細なことにはお世辞にも向いていない。
先ほどからシェリーが必死で手取り足取り姿勢の修正を入れている。
当の本人は苦虫をかみつぶした顔をして必死で自分を抑えていた。
今にも喚き散らしそうだ。
「剣を使った舞などはないのですか?」
「遺跡地帯の耳長族にそういったものがあるとは聞いておりますが、貴族の場にふさわしいものではありませんので。」
となると演舞の変更も無意味か。
まぁ、壇上でベリーダンスやらせるわけにもいかんな。うん。
「ですからお嬢様!真面目にやって下さい!」
「最初から真面目にやってるじゃない!!」
次第に2人の会話がヒートアップしてきている。
これは嫌な予感…。
「いいえ!練習に身が入っておられません!貴族の令嬢であるならばこの程度の事─。」
「うるさい!!!!!」
シエナがシェリーの放漫な胸に平手を打ち込んだ。
柔らかな肉の丘が激しく波打ち、鞭で叩いたようなバチィという鋭い音が響く。
誓いは完全に破られてしまった。
「胸が!!??私の胸ががあああああ!!!」
悶絶しながらいつかの俺のように転げまわるシェリー。
なんとも哀れ…。
そんなメイドに目もくれずにシエナは部屋の扉を蹴破って出て行ってしまった。
「ユリウス様!?私の胸はちゃんとついてます!?取れてませんか!!??」
涙を流しながら自身の胸をさするシェリー。
目視確認も考えたが、まぁそんな場合じゃないわな。
「…ベンジャミンさん。シェリーをお願いします。」
「承知しました。シエナ様の方をお願いします。」
彼女の治療を開始するベンジャミン。
俺は俺でシエナを追った。
さて、どこに居るやら。
---
「…どこにも居ないじゃんよ…。」
中庭でため息をつきながらつぶやく。
屋敷中、馬小屋、暖炉の中。
小一時間ほど探し終わったがシエナの姿が見当たらない。
メイドや従者、庭師にも声をかけて探索しているがどこにも居ない。
ここまで発見に時間がかかるのは珍しい。
外に出たのだろうか。
そのパターンも数回あった。
大概は教会でエバーラウンズの絵を眺めていたが。
時折衛兵の宿舎で稽古をしていた。
今日は木剣が無くなっていたので後者だろうか。
「…ユリウス。」
考えている最中に聞こえたぶっきらぼうな低い声で振り替える。
荷車をひいた肉屋のタルコスだ。
明日のパーティに使う分の肉を追加納入に来たようだ。
「タルコスさん、お世話になります。」
「お嬢様が出ていったが、何かあったか?」
「えぇ、まぁ…シエナはどちらに?」
「北門の方に走っていくのが見えた。」
おっと思わぬ目撃情報。
「ありがとうございます!」
そういって駆けだそうとしたとき、タルコスに腕を掴まれて止められた。
「…どうされました?」
「剣と鎧を持っていけ。剣は2本だ。」
「なんでそんな重装備を…。」
「少し前から魔物が近くまで来るようになった。黒色の野犬もいるって話だ。」
黒色の…。
黒衣の野犬か
「お嬢様が街の外に出てなければ良い。だが、用心に越したことは無い。」
「…ご忠告、感謝します。」
俺は踵を返して食堂に屋敷に戻りかけてある剣に手にとった。
デニスが使っているのと同じくらいのロングソード。
すぐに使える剣はこれくらいしか思いつかなった。
…が。
「重!?」
とてもじゃないが振り回せる重さではなかった。
ガシャンと床に落としてしまう。
一度くらいなら使えるだろうが、そもそもここから北門に向かうだけで重労働となる。
実剣はこれほどに重かったのか。
それなりに鍛えたつもりだったが、やはり8歳の体には文字通り荷が重い。
「ユリウス様?何を?」
ベンジャミンが顔を出す。
俺は事と次第を簡潔に伝えた。
「もしものことがあります。ベンジャミンさんは衛兵に連絡を。」
「ユリウス様はどうなさるおつもりです?」
自分の部屋に駆け上がりながらベンジャミンと打ち合わせる。
もはや頭に浮かぶまともな刃物はサーシャからもらった盗賊のナイフだけだった。
すぐに手に取って腰にかける。
その上からローブを羽織り、杖を手にする。
帽子は後回しだ。
「僕は空から探します。この街で飛べるのは僕だけですから。」
窓を開けてそこから外へと飛び出す。
同時に飛翔魔法を起動。
辺りの窓がガタガタと音を立てたが、あまり気にしてられない。
「入れ違いになるかもしれません。シェリーを館に置いといてください!」
「承知しました。お気をつけて!」
炸裂音を響かせながら加速していったんは高度を上げる。
最近飛んでなかったから、すこし精度が悪い。
自分の怠惰を呪った。
頼むから最悪の事態にならないでほしい。
黒衣の野犬はイングリットの村でこそ当たり前に居た魔物だ。
しかしこの界隈ではレアモンスターで。討伐ランクはB。
小茶野犬はDなので格上の魔物となる。
しかし、依頼内容は場合によってはAになることがある。
なぜならば黒衣の野犬はずる賢く、群れを成して獲物を狩るのだ。
それも、的確に体が小さいものや弱ったものを狙って。
そして群れに居る黒衣の野犬が1体だけとは限らない。
大きい群れならば小茶野犬含めて20で済まないこともある。
とにかく厄介な相手だ。
鍛錬を積んだ剣士とて、簡単に勝てる相手ではない。
木剣装備の10歳の女の子などでは餌になりに行くようなものだ。
よりによって一番遠い北門に行かれたのも不運だ。
高度よりも速度を優先の熱輪配置に切り替えて飛ぶ。
「街の外に出てませんように…!」
祈るような気持ちで赤髪の少女を探した。
---
《シエナ視点》
シエナはむくれツラで門の前にいた。
「ですからね、シエナちゃん。街の外は魔物がいるかもしれないから出せないんだって。」
「危険が危ないんだよ。わかってくれよお嬢様。」
衛兵が2人がかりで説得を試みる。
彼らは先日の稽古でシエナの剣の腕を目の当たりにしたばかりだ。
シエナへの信用が無いわけでは無いが、危険なのは変わらない。
ましてや領主の娘だ。もし何かあったら自分たちの首が危ない。
「気分転換に散歩するだけよ!」
「だからその散歩が危ないんだって…。」
「壁の近くに魔物が出るなんて今までなかったじゃない!」
「そりゃそうですけどぉ…。」
話の通じない衛兵だ。
いっそ木剣で黙らせてしまおうか。
と考えがよぎる。
しかしシェリーにひどいことをしてしまった手前、すこし気が引けた。
その上この2人以外にも衛兵はまだまだいる。
強行突破は無理だ。
仕方ないから条件を少しだけ譲歩することにした。
「じゃあ、壁門ギリギリまででいいわ。外の景色が見れればいいの。」
「…まぁ、外に出ないなら。」
「決まりね。道を開けて。はやく!」
衛兵を押しのけるようにして壁門のすぐそばまで足を進める。
このまま駆けだしてしまおうかと思ったが、衛兵はきっちりと後をついてくる。
ため息をついておとなしくギリギリで止まる。
「もう満足した?」
「まだよ!」
「なるべく早めにね。本当に危ないんだから。」
口うるさい衛兵にうんざり。
レッド平原の景色を眺めながら風にでも当たれば頭が冷えるかと思ったのに。
(…皆私のためにやってくれてるのよね…。)
それでも少しだけ冷静になった頭で考え直す。
わかっていた。
シェリーもベンジャミンもユリウスも。
皆が私の事を思って言ってくれている。
貴族の娘である以上、大なり小なり礼節というのは着いて回るし。
パーティでの作法やダンスもいつかは身に付けなくてはならない。
けれども今の私には剣術や魔術の方が大切だった。
ユリウスが教えてくれることはどれもキラキラして見える。
必死であいつに追いつきたくて努力した。
(そうよ、私だって頑張ったんだから。)
努力した。
しかし埋まらない差というものもある。
ユリウスとの剣術の稽古をしてもう何度も勝ってるけど、それはあいつが魔法を使ってないから。
先日の稽古でそれを痛感した。
新米衛兵のテッドとはいえ、大人相手にユリウスは一歩も動くことなく勝ったのだ。
もしその相手が私だったらユリウスに勝てた…?
たぶん無理。きっと同じように身動き取れずにやられていただろう。
(…悔しいなぁ…。)
涙が出そうになるのを堪える。
この悔しさを抱えてシェリーと踊ったりなど出来なかった。
もっと強くなりたい。
もっとユリウスに近づきたい。
そう思えば思うほど、胸が締め付けられるようで苦しくてイライラした。
何も手に着かないし考え事だってできない。
今日だって本当はキースに稽古をつけてもらうつもりだったのに。
こんなところまで来てしまった。
ようやく頭が冷えてきたところで、シェリーに謝らなきゃという考えが浮かんだ。
そろそろ帰ろうかしら…
そんな時だ。
「おい!あれ!!」
近くにいた衛兵の内の一人が声を上げる。
壁門の向こうで悲鳴に似た声がし、出かけていった人々が何人も引き返してきた。
馬車を大きな黒い獣と茶色い小さな獣が群れで襲っている。
「魔物か!」
「来やがったな!!行くぞ!!」
衛兵たちが剣を抜き放ち、臨戦態勢を取る。
「お嬢様はここから動かないでね!絶対だよ!」
1人の衛兵がシエナにそう言い残しながら戦線へとかけていく。
魔物の群れは馬を引き倒すとすぐには手を付けず、衛兵たちの方へと注意を向けた。
少しずつ壁から後退している。
「魔物…本当に出るんだ…。」
シエナは震える声でつぶやいた。
足がすくみ、木剣を握る手が強張る。
─キャン!
突如聞こえた魔物の声に体を震わせた。
視線をそちらに向けると小柄な小茶野犬がすぐ近くまで迫っていた。
1匹だけ、はぐれだろうか。
まだ成長途中なのか、明らかにほかの魔物より小さい体で牙を剥いている。
「…なによあんた。私を食べようっての?」
グルルルと威嚇する魔物の姿を見て滑稽に思えた。
こんなに弱そうな魔物は初めて見た。
私でも倒せそうだ。
…私でも?
よからぬ考えが浮かぶ。
そうよ。
倒しちゃえばいいじゃない。
武器もある。
衛兵もいる。
魔物を倒したという実績も得れる。
先ほどまで震え声を放っていた口元に引きつった笑みが宿る。
「相手になってやろうじゃない!」
木剣を一振りして構えると、今度は小茶野犬が身震いして逃げていく。
なんと情けない魔物だろう。
私にはそう思えた。
勝てる。間違いなく勝てる。
「待ちなさい!!」
野犬を追って駆けだした。
体が小さいだけあってか、足は速いが全力で走れば追いつけなくもない。
(すばしっこいわね。でも!)
しばらく走ったところで石を拾って野犬に投げつける。
見事に頭部を捉えて野犬は体を跳ねさせて地面を転がる。
「捕まえた!」
息を整えながら獲物に近寄る。
頭から血を流した野犬は耳をペタリと伏せて身を縮めている。
「あんたが悪いのよ。弱いくせに楯突くから。」
木剣を握り直し、とどめの一撃を振りかぶる。
勝った。
これでユリウスに近づける。
ユリウスに認めてもらえる。
そう思った。
─ウォオオオオオォォン
野犬の遠吠えが響く。
そんなに遠くない。
いや、近すぎる。
「後ろ!?」
振り返ると同時に追っていた魔物よりも2回りも大きな体の小茶野犬が飛びかかってくる。
咄嗟に木剣を盾にして牙を受け止める。
野犬の力は想像よりもはるかに強く、そのまま押し倒される。
その牙は木剣に深々と突き刺さっていた。
「─ッ!このぉ!!」
渾身の力で胴体を蹴り飛ばす。
なんとか引きはがせたが、木剣を持っていかれた。
ぶつけた背中の痛みに耐えながらすぐに体を起こす。
「嘘…。」
既に周りは野犬に囲まれていた。
2匹や3匹ではない。目に入るだけでも10は居る。
その上に馬車を襲っていた黒い大きな野犬も居た。
黒衣の野犬。
最近この辺に出るようになった大型の野犬。
この群れの長だろう。
その長に先ほどの小さい個体が擦りよっていく。
黒衣の野犬はその野犬の頭を長く先の割れた舌で舐めた。
まるで労う様に。
─はめられた!?
すぐに理解した。
こいつらの狙いは衛兵や通行人ではなかった。
門の近くにいた私に狙いをつけた。
おそらく理由は私が思ったのと同じだ。
弱そう。勝てる。獲物。
まんまとおびき寄せられてしまった自分の浅はかさに怒りがこみ上げ、奥歯がギリリと鳴る。
「衛兵!!衛兵!!!」
声を張り上げるも、遠すぎる。
彼らはまだ向こうで野犬と戦っている。
助けを呼べる距離ではない。
無意識であとずさりをし、城壁に背中を預ける。
当然ながら登れるような突起も無ければそんな半端な高さでもない。
目の前では野犬が舌なめずりをしながら包囲の輪を狭めている。
先ほど馬を襲った黒衣の野犬の口からは、血液とよだれがボタボタと落ちている。
目の前に迫った死。
激痛と後悔をともなう無残な死に、私は腰が抜けそうになる。
「嫌、嫌よそんなの…。」
気づかぬ間に涙が溢れていた。
怖い。怖い。
包囲をしている小茶野犬の1匹が、待ちきれずに前へ踏み出した。
体をしならせて、次の瞬間には跳躍した。
「助けて!ユリウス!!!!」
悲鳴を上げ、思わずその場にしゃがみ込み顔を覆った。
ドッという衝突音と共に体に飛沫がかかる。
そして耳に届く雷が落ちるような炸裂音。
死んだ。
そう思った。
─シエナ!
耳鳴りでよく聞こえない中でも、彼が呼ぶ声だけははっきりと聞こえた。
怯えたままに目を開けると、私の手は血だらけだった。
しかしどこにも怪我をしていない。
そしてその向こうに彼がいる。
白い毛皮のローブが風になびき、翡翠色の杖を掲げた少年。
ユリウスが、魔物の群れに立ちはだかっていた。
---
《ユリウス視点》
「見つけた!」
魔力消費を度外視して高高度から索敵に切り替えたのが功を奏した。
寸前のところでシエナを発見。
最悪なことに野犬の群れに囲まれ、今にも食い殺されそうになっていた。
すぐに観測魔法で望遠レンズを作って狙撃態勢を取り。雷轟の射手を放つ。
爆炎と炸裂音を放ちながら、高速で飛ぶ石の弾頭は易々と野犬の体を砕いた。
我ながら良く当てたものだ。
直前のタイミングで本当に良かった。
飛び降りる様にしてシエナと野犬に間に割って入る。
「シエナ!無事ですか!?」
決して野犬の群れから目を離さずにシエナに声をかける。
「お、遅いわよ!!!」
「元気そうでよかった!」
涙声の一喝に安心したところで目の前の問題を直視する。
魔物との戦闘。
前世でもユリウスでも初めてのことだ。
しかも相手は群れ。
向こうからすればご馳走が1つ自分から降ってきたも同然だ。
小茶野犬が8に黒衣の野犬が1。
群れとしては中くらいだが、脅威だ。
なにより魔力が心もとない。
飛翔魔法はただでさえ燃費が悪いのにそれを使いすぎた。
急いで作戦を立てねば。
雷轟の射手であれば残り3発。
他の魔法であれば大きい物なら4。小さければ6といったところか。
とても全滅には持っていけない。
そもそも全弾必中でも足りない。
では籠城ならどうだろう。
だめだ、地面が柔らかすぎる。
圧縮には時間がかかるから避難シェルターは間に合わない。
城壁の中身は素材が複雑に混ざりすぎてて操るのは難しい。
逃走は?
上の城壁はとてもじゃないが越えられない。
上昇のみに魔力を回しても二人分の重量。
その気になれば野犬はひとっ飛びで追いつくだろう。
ならば横は?
ちらりと北門に目を向ける。
一番現実的だ。
衛兵に声が届く距離まで逃げきれれば、勝機はある。
これで行く。
この間わずか2秒だ。多分。
「シエナ立ってください。逃げますよ。」
「む、無理よ!さっきから足が動かなくて…。」
腰が抜けてしまったか。
仕方ない。
「…手を握って下さい。魔法を使います。」
空いた左手を後ろに回す。
彼女は素直に手を握り返した。
手汗でぬれた彼女の手は怯えきり、カタカタと震えていた。
「しっかり握って。」
ギュッと痛いほど握られる。
それでいい。
クンと引っ張れば、彼女の体は簡単に立ち上がった。
「…足が動く。」
「ね、言った通りでしょう?」
正直何にも魔法を使ってないし、そんな魔法があるのかも知らない。
しかしそれで恐怖心が薄れて体の制御が戻った。効果は十分だ。
手を握りしめたまま、杖に魔力を込める。
「1、2の、3で北門へ走ります。いいですね。」
「わ、わかったわ。」
すでに野犬はかなりの距離を詰めている。
チャンスは一回切りだ。
「1…。」
野犬が一歩、今度は外さないと踏み出す。
「2の…。」
シエナを背中で押してわずかに北門へと足を進める。
ジャリリと砂が鳴った瞬間に、野犬は一斉に飛び掛かってきた。
「3!!!」
今できうる限りの最大火力で炎の壁を放つ。
瀑布に飲まれた野犬はのたうち回り、毛皮から煙が上がる。
「走れ!!!」
言うか言わないかの時には2人走り出していた。
炎を突き破って野犬が飛び掛かり、城壁にぶち当たる。
シエナを先に行かせ、走りながら後ろに向かって杖を振る。
今度は土魔法で地面を思い切り柔らかくする。
液状化現象を利用した泥沼は数匹の野犬を飲み込んだ。
「助けて!!はやく!!!」
シエナが声の限り叫ぶ。
すでに何人かの衛兵が気づき始めた。
しかしその大声が災いした。
奴に居場所を教えてしまった。
視界の隅で、黒い大きな影が飛翔する。
─黒衣の野犬!
それを視認した時には飛翔魔法の炸裂推進を起動していた。
影を追い越し、先を逃げていたシエナにぶち当たる。
黒衣の野犬の牙は、毛皮のローブなど紙きれのごとく貫き深々と俺の肩に喰らいついた。
「あああああああ!!!!!」
「ユリウス!!!」
肉を裂き骨を砕く激痛に悲鳴が上がる。
シエナの金切り声が響く。
噛まれた場所が焼けるような痛み共に血を噴き出す。
だが体は踏みとどまってくれた。
大型犬どころか虎や熊と同等の体格のそれを土魔法で絡めとって動きを止める。
「この馬鹿野郎がああああ!!」
尚も喰いついてくる野犬の目玉目掛けて、抜き放った盗賊のナイフを突き立てる。
苦しそうな唸り声をあげながらも、顎の力は一切緩まない。
だったらこれならどうだ。
ナイフで切り裂いた皮膚に右手をねじ込んで、中で炎魔法を放つ。
出来る限り大きく、出来る限り熱く。
これが最後の抵抗だ。
喚き散らしながらひたすらにこいつの死を願った。
早く死ね、早く死んでくれ。
じゃないと俺が死んでしまう。
一瞬、顎の力が緩んだ。
その瞬間に肉を引きちぎりながら脱出する。
顎の下に転がるようにして何とか這うように距離を取る。
しかし黒衣の野犬はまだ生きていた。
土魔法を振りほどき、追撃にかかる。
ここまでか。
牙が目前に迫った。
遠くでシエナの絶叫が聞こえる。
まぁ、こういう人生もありだ。
我ながら十分戦った。
俺が食われれば時間が稼げるだろう。
きっと家族は悲しむだろう。
ネィダやテオも、あいつは良い奴だったと言ってくれるはず。
ククゥには約束を守れなかったと謝りたい。
それでもシエナが助かるなら、とりあえず悔いはない。
あぁでも、シエナの誕生パーティ。
ダンス、見たかったな。
スローモーション撮影のようにゆっくり迫る牙を眺めながら、そんなことを思った。
─よくぞ守られた!ユリウス殿!
一閃の煌めきが視界を横切った。
突如として野犬の口から血が噴き出し、青黒い血液を頭から浴びる。
牙は俺に届かずに地面へ首ごと転がった。
たった一撃で首を刎ねられたのだった。
そこにいたのはモヒカン頭の大男。
キース衛兵長であった。
黒衣の野犬はそのまま体を痙攣させたのち、二度と動かなくなった。
「生きておられるな!」
今度ははっきりと彼の声が聞こえた。
ベンジャミンに連絡をお願いしていたのが吉と出た。
今望める最高戦力が目の前に立っていた。
戦線は一瞬で統率力を取り戻した。
散り散りになっていた衛兵たちが的確な指示のもとに一匹また一匹と野犬を倒していく。
その光景を眺めた後に自分の傷を見た。
…あー。こりゃ駄目だ。
骨までグチャミソにかみ砕かれてハンバーグみたいになってる。
血もこんだけ出れば、無理だよなぁ…。
しっかり味わえよって言ってた主人公兄貴はすごかった。
まぁ彼の腕は鋼の腕だったわけだが。
意識がぼんやりし始めた。死期が近い。
「ユリウス!!ユリウス!!」
シエナが駆けよってそのまましがみついてくる。
だが、もう体力も魔力も限界を迎えていた。
彼女の体を支えきれず、ともに地面に伏す。
あぁ、シエナ…。
君が無事で本当に良かったよ。
青空をバックに大粒の涙を零す彼女の頬に伸ばした手は届かぬまま、俺の意識はそこで閉じた。
---
『…あー、あー。聞こえてる?』
真っ暗空間に浮かぶ炎の顔に話し掛けられている。
不思議なことに今度は言葉がわかる。
『認識妨害が薄いな。お前相当ヤバいっぽいな。ウケるわー。』
鎖でぐるぐるのくせして随分軽口をたたくなぁ。こいつ。
『こっちのお前は有無を言わさずなのに、お前は普通だな。意外だわ。』
あっちとかこっちとか紛らわしい。
そもそもお前は誰なんだ。
人の夢の中で勝手に緊縛プレイなんかしやがって。
『俺の名はバーン・グラッド!わけあってここで身動き取れなくなってる可哀そうな奴だ。』
自己紹介どうも。
それで何の用ですかね。
俺はいま生死の境をさまよってる多忙の身で無駄話なんかしてらんないんだけど。
『まぁ待てって。このままじゃお前。間違いなく死ぬぜ?』
…マジ?
『マジも大マジ!魂がこっち側に片足突っ込んでるから俺と会話なんかできるわけよ。』
いや、それはまずい。
じゃあ会話終了。
はやく戻してくれ。
『このままじゃあ無理だな。俺にもお前にも利益ってものが無い。』
…悪魔と取引しろって言いたいのか?
『悪魔なんて人聞き悪ぃなぁ。俺は割と良い奴なんだぜ?』
…はぁ。で?何がお望みよ。
『え。聞いてくれんの?』
はやく言えよ。こっちはこの後デレ期に入ったシエナとワンチャンが控えてんだ。
『浅ましいぃ…。やっぱ人間って糞だわぁ。やっぱこの話は無しで』
いやいやいや。冗談だって。
お互い利益があるんだろ?
win-winの関係築いていこうぜ!な!
『…まぁいいわ。他の人とか望めねぇし。ことは単純だ。もしまたお前が死にかけたとき。俺の名を呼べ』
…それだけ?
『物足りないか?でもしっかり覚えとけよ』
ぐらりと意識が、炎の顔が滲む。
『我が名を。星を焼く大炎魔霊の名を魂に刻むがいい。』
その言葉を最後に再び意識が眠りへと落ちた。




