第二十三話 「シエナの自信」
季節が巡り初夏の頃。
まだ夜も明けきらぬ街はひんやりと冷たい空気を残している。
夜明け前のロッズの町並みは人々と共にまだ微睡みの中だ。
そんな街の領主の屋敷。
街の中腹ほどに建てられた赤い屋根の大きなお家の中庭で彼女が伸びをする。
動きやすい鍛練着に身を包んだ赤髪の少女。
ひんやりしっとりとした朝の空気を胸いっぱいに吸い込んで、そのしなやかな四肢をこれでもかと伸ばす。
そしてプハァと息を吐きだし、手や足の筋をほぐしていく。
この屋敷のお嬢様、シエナである。
もうすぐ10歳を数える彼女は最近特に剣術を意識していて体作りに取り組んでいた。
細いばかりで不健康そうだった体は今はうっすらと筋肉が浮き出るほどに鍛えられ、戦士としての鎧をまといつつある。
適切な運動と行き届いた栄養管理のたまものだ。
すでに3年ほど軟禁されていた頃の華奢さは薄れていた。
そんな彼女は今日も日課の走り込みに行く。
本来なら貴族令嬢の彼女はそんなことをする必要は無い。
いつかは嫁に貰われ、跡取りを残す。
何もしなくても従者に囲まれて何不自由無い暮らしを享受し、幸せに暮らせるのだ。
しかし、シエナはそれを無視した。
そんな未来の話、いまは興味すら沸かない。
閉じられて狭かった世界を広げてくれた人が居る。
今の私を認めてくれる存在が居る。
どんなに我儘を言っても傍に居てくれる。
もっとあいつに応えたい。
もっと。もっと。
その想いがシエナを突き動かしていた。
「行くわよ!ユリウス!」
快活な彼女の声が屋敷に響き、彼女は走り出す。
今だ寝ぼけ眼の指導係を引き連れて二人分の足音がロッズの街並みを駆けていった。
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《ユリウス視点》
おはようございます。
ユリウス・エバーラウンズです。
早いもので今年の冬には9歳になります。
今では執事服の丈が丁度良くなり、やっと様になってきました。
体調も良く、若い体は素敵だなと思う次第です。
しかし眠けというのは中々あらがえない物で、走りながらも帰ったら二度寝だなと意気込んでおります。
「遅い!置いてくわよ!」
目前を走るシエナが足を速めていく。
彼女も随分と活発になってものだ。
最近では自分から鍛錬のメニューを考え、実践していく。
生粋のトレーニーなのかもしれないね。
「おはよう!タルコス!」
「…おはようございます。お嬢様。」
まだ人の疎な通りで彼女は肉屋のタルコスに声をかける。
道すがらに彼女が寄るのはここだけではない。
彼女が度々足を運ぶお気に入りのお店がランニングコースに組み込まれている。
もし1人で走らなくてはならないときに何かあってはならない。
そういうときの処置で俺が発案した。
所謂子供110番だ。
「…今日もお元気そうで。」
口調はぶっきらぼうなタルコス。
強面で、さらにマスクを常にしているため表情は読みづらい。
しかし目じりが若干下がっているのを見ると笑ってるように見えなくもない。
まぁ近所の子供たちは彼の事を鬼かナマハゲかというような扱いで、人にらみですくみ上り逃げていく。
…わからんでもない。
「えぇ!いつも美味しいお肉食べてるもの!今日は何かいいもの入ってる?」
実はドラゴンロッドの厨房に届けられる肉は彼の店の物であった。
適切に処理された彼の店の肉は臭みが出づらく、長持ちだと評判である。
「いつもと同じだ。だがこれは珍しい。」
彼は木箱を開ける。
その中には藁が敷き詰められていて、魔法で作られた氷が下に入っている。
珍品とやらはそれらの上に埋もれるようにしてあった。
エメラルドグリーンの照りのある鱗で覆われた肉塊。
青黒い血液の跡からそれは魔物の肉であるとすぐに分かった。
「ドラゴン!?」
彼女は飛びつくように木箱の中を覗き込む。
「アルベールの方から流れてきた品です。肉がついている物は珍しいので領主様にと。」
ドラゴンの鱗や皮なんてものは時折コガクゥでも見た。
もちろんどれも高価な代物であったが、肉までついているのは初めて見た。
これは確かに珍しいものだ。
ドラゴンはこの大陸にはおらず、居ても大蜥蜴の部類だ。
翼があり、炎を吐くものがドラゴンと分類される。
そういう魔物は○○竜か○○龍と呼ばれ、上位の魔物として扱われる。
倒すどころか、遭遇すればほぼ死ぬみたいな危険な魔物だ。
もっとも、そういう危険な魔物は人が住むに適さない過酷で魔力の濃い場所に生息する。
縄張りとしてはギルドが監視しているので狙って出向くぐらいでなければそうそうお目にかかれない。
知ってか知らずかシエナはその肉塊を指で突いたり撫でたりと興味津々である。
「美味しそうね!今日の夕飯が楽しみになったわ!」
え。
そうなの?
「鮮度は保証いたします。臭み消しと一緒に後で屋敷に届けますので。」
あー。食べちゃうのか…。
どんな味なのか気にならんでもないか。
しかしその青黒い血液はどうにも美味しそうに繋がらないんだよなぁ…。
「ありがとうタルコス。じゃあまたね!」
「お気をつけて。」
彼女は手を振って走り出す。
タルコスも小さく手を振り返した。
「…いつもお騒がせしてすみません。」
「いや、賑やかなのは良いことだ。俺も子供は嫌いじゃない。」
あとに小さく頭を下げてから、俺はシエナの後を追った。
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「お嬢様!今日も早いんですねぇ。」
「おはよう!ヴェードゥ!」
今度はギルドの酒場の女将ヴェードゥに声をかける。
今は店を開いていないが、彼女は玄関を開け切ってモップ掛けを行っていた。
ヴェードゥは耳長族だ。
少しほうれい線の出始めた顔は人間であれば40を過ぎたくらいだろうか。
しかし長耳族は長生きだ。
話によれば彼女はすでに100歳手前。
それでもまだまだ若い方に入るそうだ。
「来週のお誕生日、楽しみですねぇ。私はお嬢様の晴れ舞台が待ち遠しくて今からウキウキだよ。」
「そ、そうね!街をあげてのことですもの。私も楽しみだわ。おほほほほ…。」
「うちの息子も壇上に上がるんだ。良かったら踊ってやっとくれよ。」
「それは…。考えておいてあげる!期待してていいわ!」
「本当かい?たっくさん料理こしらえて行くからね!」
「えぇ!」
タルコスと違いマシンガントークの彼女。
ちなみにいつもなら同じくらいの早さで捲し立てるような会話の銃撃戦が繰り広げられる。
今日はシエナが若干押されぎみだ。
というのも。
来週のシエナの誕生日は教会で大きく催される。
街人も旅人も参加を許され、街の外からは貴族も来賓として招かれる。
そんな大きなお祭り事の華たる彼女には、ある試練が待ち受けていた。
ダンスを含めた礼儀作法である。
剣術、魔術、算数、礼節。
今彼女が習っている科目のうち、後者2つはかなり苦手としていた。
算数はリュミドラの影響もあってか比較的前向きだが、礼節は全然だ。
ことある度に逃げ出し、ベンジャミンとシェリーが屋敷中を探し回る。
屋敷のどこかで膝を抱えている彼女を俺が探しだし、何とか戻してもう一周といった具合だ。
曰く「いちいち細かすぎて嫌になる。」とのこと。
「お嬢様のドレス姿が目に浮かぶよ。頑張ってね。お嬢様。」
「…努力はするわ。じゃあまたね!」
すこし強引に会話を切り上げて彼女は鍛練に戻っていく。
「…ユリウス坊っちゃん。あの娘をしっかり見ておくんなよ。」
「はい。女将さん。」
「坊っちゃんが来てから久しぶりにあの娘を見たけどあんなに可愛くなって…。もう手ぐらい繋いだのかい?」
いや、俺を婚約者か何かと勘違いしてらっしゃる?
「僕とシエナはそんなんじゃ無いですよ。」
「そうなのかい!?あたしゃてっきり…。」
「ユーリーウースー!!はやく!!」
シエナの声で会話が遮られる。
「すみません。」
「いやいや、こっちこそごめんね。早く行ってあげな。」
「はい。それでは。」
一礼したあとにシエナのあとを追う。
「…ありゃ将来が楽しみだねぇ…。」
色恋沙汰が大好物のヴェードゥはニマニマしながら仕事に戻った。
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「おお、これはこれはシエナお嬢様。ご機嫌よう。」
「…ご、ご機嫌。ランドルス。」
日が昇った噴水近くで声をかけてきたのはランドルス。
ロッズの街の不動産を仕切っている中年の男性だ。
茶髪を整髪料で塗りかためて後ろに撫で付けた貴族風の男性。
実業家ではあるが本物の貴族ではない。
いわゆる成金だ。
ドラゴンロッド家とも懇意にしている間柄ではあるが、シエナはあまり得意としていない。
「おはようございます。シエナお嬢様。」
「…おはよう。アレックス。」
「今日も貴女は花のようだ。綺麗ですよ。お嬢様。」
今度はシエナが少々ぶっきらぼうな挨拶をする。
ランドルスの脇にいるシエナより年上の少年。
彼女がその得意としない原因の1つ。
父親と同じように茶髪を固めた少年だ。
先ほどのような歯の浮くようなセリフをさらっと口にする、乙女ゲーに出てきそうな感じだ。
顔も良く、身なりも良く、周囲からの評判も良く、街の女の子からも人気が高い。
まぁ、シエナが貴族の娘だからそれに取り入ろうとしている。
という魂胆が透けて見える程度には明け透けだ。
ランドルスの意向であることは想像に易い。
ちなみに俺はお付きの従者扱いなので視界にすら入っていない。
身分というのは正直だ。
「あ、ありがとうアレックス…。」
当然、彼女も一歩引いた態度だ。
しかしランドルスはそれを脈ありだと見ているようである。
…実際にどうなのか?それはシエナに聞かないとわかんないな…。
「ほらアレックス。言うことがあるんだろう?」
「はい、シエナお嬢様。誕生日のダンスはどうか私めと1番に踊っていただきたい。」
噴水のある広場、人目もそこそこにある場所で彼はあえて貴族礼節の最敬礼で誘った。
右手を胸に当て、左手を腰に添え、そして片膝をついた姿勢。
辺りの人もそれに気付きざわめく。
そこの街娘の集団はヒソヒソと良いなぁとか言いながら顔を赤らめてことを見守っている。
まぁ、公衆の面前でボンボンの息子が貴族令嬢を口説いていればそうなるか。
「…お嬢様。お返事いただいてもよろしいですかな?」
ランドルスは困惑しているシエナをやんわりと急かす。
助け船を出そうと思えば出せる。
しかしランドルスはドミトルとも仲が良い。
それにいつかは彼女も直面する問題だ。
四大貴族に娘として同じくらいの年齢の異性に言い寄られる。
今後ともそういう機会は増えるだろう。
「考えておくわ。先を急ぐの。失礼しても良いかしら?」
彼女は悩んだ末にそう口にした。
蹴りを入れずに穏便に済ませたあたり、かなり成長したと言える。
「その言葉を頂けただけでも十分です。お時間いただきありがとうございます。」
ランドルスが恭しく頭を下げる。
アレックスも立ち上がり、なにやらニヒルに笑う。
「それではシエナお嬢様。また後日。」
「…えぇ。」
短く、しかし不機嫌そうにシエナは返事をしてから走り出す。
その姿を見送る親子。
「脈ありだぞ。アレックス。必ずものにしなさい。」
「わかってますよ父上。顔は好みです。任せてください。」
顔"は"を強調して言うアレックス。
そういうとこだぞアレックス。
横目にそう思いながら俺も走り出そうとした時だ。
俺は何かに足を取られてスッ転んでしまった。
「おっと失敬。」
そういって足をかけてきた張本人が俺に手を差しのべる。
アレックスだ。
「ケガはないか?シエナの従者なのにドン臭いな。」
「大丈夫です。お手を煩わせることはありません。」
俺はさっと1人で立とうとすると彼は乱暴に腕を引っ張って立ち上がらせた。
そして自然と距離を詰めて耳元で囁く。
「未来の旦那様に媚びでも売ったらどうなんだ?ユリウス。」
下卑た笑顔で彼は言う。
「…それはお嬢様が決めることですので。」
「強がるなよ。そんな年で働いてるんだ、どうせろくな血筋じゃないんだろ。」
その様子をランドルスもなにやら愉快そうな面持ちで見ている。
個人の感想ではありますが、この親子、超ムカつく。
「シエナを大事に守ってくれよ。綺麗な顔に傷でも着いたら可哀想だ。」
体を離しながら彼は言う。
親切な若人といった面持ちに切り替えて爽やかな口調で。
誰かに聞かれたら印象を悪くするような言葉は隠しつつ、相手を威嚇する。
なんとも、貴族風を装った趣味の悪い嫌がらせだ。
「それでは、失礼します。」
とくに頭など下げずに俺は踵を返した。
後ろではケッと吐き捨てる声が聞こえたが、気にしない。
俺は寛大な男だ。もうオルコの時のように直情したりはしない。
…だけどいつかは絶対泣きべそかかせてやる。
「…何かあったの?」
少し行ったところでシエナは待っていてくれていた。
「何もありませんよ。ちょっと転んだだけです。」
「…そう。殴る口実が出来たと思ったのに。」
残念そうなシエナ。
まぁ、気持ちはわからんでもない。
しかし彼らは隠れて悪いことを考えるタイプの小悪党だ。
理由の無い暴力で襲う系お嬢様のシエナには少々相性が悪い。
「ダメですよシエナ。暴力だけで解決できないこともあるって教えたでしょう?」
「わかってるわよ!…ちょっと心配しただけ。」
…心配してくれたの?俺を?
嬉しいこと言ってくれるじゃないの。
俺ぁ嬉しくて涙がでちゃうよ。
「ほら!行くわよ!」
彼女はさっさと行ってしまう。
その横顔が少し赤かったように見えたが、気のせいということにしておこう。
俺は余計なチャチャを入れない男でもある。
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その後は気を取り直したように街人に挨拶をしてまわるシエナ。
通りで立ち話をする奥様方。
店先で反物を織っている4つ腕の魔族の女性とその夫の人族の男性。
パン屋の主人とちびっこ達。
宿舎から修練に向かう衛兵の集団。
今はその衛兵達と一緒に歩いていた。
今日は彼らの剣術稽古に立ち会える日だ。
午前中の予定でもある。
「良いんですかぃシエナちゃん。汗臭いし埃っぽいし良いとこ無いぜ?」
「そうそう。どうせ魔物相手の剣術だし。王宮剣術みたいな華やかさとは無縁だよ?」
「それで良いのよ。街を守る剣に必要なのは強さだけでしょ?私はそれが見たいの。」
彼女は嬉しそうに衛兵達と言葉を交わす。
シエナは衛兵に対しても敬語を使うなと注文をつけた。
衛兵達もすんなりとそれに従った。
そもそも衛兵は冒険者上がりだったり、腕に覚えがあるだけの人々が多い。
礼節までは行き届いていないため敬語を使うと会話がちぐはぐなのだ。
「それに王宮剣術はそろそろ見飽きたしね。」
意地悪そうな顔でこちらを見るシエナ。
実は彼女は剣術だけなら俺をとっくに凌いでいた。
今や打ち込み稽古の的ぐらいにしか役に立てない。
これだから才能ってやつは羨ましい。
この世界の剣術は大きく分けて2つ。
対魔剣術と対人剣術だ。
名前の通り魔物を相手にするか、人を相手にするかという違いがある。
アレクが使う力強い一撃必殺の大振りは主に対魔剣術。
テオが使う相手を意識した鋭い剣は主に対人剣術。
はっきりとした垣根がある訳ではないがそう分類されるらしい。
その中に多くの流派が存在するが、どれも眉唾物だ。
1つの流派を完全に極めた人は滅多に居らず、居ても辺境に隠って修行に明け暮れている場合が多い。
なので大概はいろんな流派の良いところを修行する本人が見よう見まねで覚えるのだ。
そうするうちに○○流というのは剣士の数だけ増えたという。
「今日は私も参加するわ!いいでしょうユリウス?」
「シエナは最初からそのつもりだったでしょう?」
「当然!」
もうやる気満々で彼女は言う。
「礼節もそれくらいやる気になってくれませんかね?」
「そ、それとこれとは話が別よ!これは衛兵達の士気を高めるためでもあるんだから!」
なにやらもっともらしいことを口にする。
しかしそういう一面もあるのは事実だ。
現に回りの衛兵達も「頑張らないとな。」とか「こりゃ怠けられないなぁ」とか口々に言っている。
彼らはドラゴンロッド家のファンでシエナはその家の令嬢。
衛兵から見ればアイドルも同然なのだ。
そうこうしてるうちに修練場に着いた。
木で出来たやぐらと雛壇に中央には柔らかい砂を敷いた演習場がある。
辺りでは先に着いた衛兵達が鎧を身につけて木剣を腰に提げていた。
「ガオオオオオオ!!グオオオオオ!!!」
演習場ではすでに稽古が始まっている。
砂ぼこりを巻き上げて大人4人ほどがそれぞれに下半身、上半身と首、右手左手をそれぞれに担当し大きな野犬を模した稽古相手を務める。
神楽や演舞に出てくる龍のような感じだ。
大きな鉤爪や頭をそれぞれが抱えて1つの魔物を演じる。
しかし出し物では無い。命をかけた戦いなのだ。
こういうところで本気になれない者は実戦で死ぬ。
彼らはそれを理解して仲間のために本気で魔物になりきるのだ。
迫力が段違いである。
「シエナ様。今日も見回りありがとうございます。」
「キース衛兵長。お勤めご苦労様!」
キース衛兵長はドミトルと同じくらいの年齢の男性だ。
短く左右を刈り上げたモヒカン頭の彼は頬に大きな傷が入っている。
他の衛兵よりも数段ゴツい鎧を来ていてアレクと同じくらいの背格好。
使っている剣も両手持ち前提のバスターソードで、年期の入った装備は彼が歴戦であることを語る。
「どう?今日の稽古は?」
「上々です。シエナ様のおかげもあって、最近では若い連中の士気も高い。感謝いたします。」
「礼には及ばないわ!」
威厳溢れるといった彼にもシエナは物怖じせずに話す。
その視線の先には大きな木剣を持った新入りらしき若者が稽古をつけられていた。
おそらく、アレクに憧れたであろう彼の立ち回りは非常に直線的だ。
雄叫びをあげて真正面から魔物役に踊りかかり返り討ちにあっている。
「…駄目ね。」
「…駄目ですな…。」
2人の評価は辛口だ。
いや、シエナはちょっと違うか。
私にやらせろとウズウズしている様子だ。
「ユリウス!」
シエナは短くそういって手をこちらに伸ばした。
俺は土魔法で模擬剣を作って彼女に渡す。
シエナが言うにはすでに木剣は軽すぎるらしい。
しかし普通に作ると重いと文句を言うのだ。
なのでこれはシエナ専用の中空模擬剣。
軽さと強度を両立した試行錯誤の末の逸品だ。
刃をつければその辺の剣と同じ程度の切れ味を持たせることも出きるが、まぁそれは今回は良いだろう。
「キース衛兵長。私もやるわ。代わらせて。」
キースはため息を着いて若者を下がらせた。
シエナが演習場に立つと衛兵達の視線が一斉にそちらへ向けられた。
俺も見守るべく最前席へ急ぐ。
「お嬢様が相手でも容赦しませんよ。」
「上等よ。」
魔物役の声に短くシエナは返すといつかと同じように腰を落とした。
「始め!!」
キースの号令と共にシエナは踏み込む。
最初の頃よりもさらに磨きのかかった彼女の足さばきは一気に彼我の距離を詰める。
「早!?」
魔物役の1人、右手役が小さく悲鳴を上げたのが聞こえた。
シエナはそれを聞き逃さず、そちらへと剣を振り上げる。
すぐさまに左手役が横から爪を薙ぐがすでに彼女の姿は無い。
フェイントだ。
シエナは空中に飛び上がり体を捻って魔物役の左脇腹を狙う。
素早く剣を振り2発。
金属で出来た魔物の胴体が激しく音を立てる。
「ガアアアアア!!」
魔物役は本当に4人でしているのか疑わしいほどに息のあった動きでシエナから距離を離し再び両手で襲いかかる。
それにシエナはまったく怯まず、体ごと砂上を滑り魔物の顎下に入り込んだ。
「やああああ!!!」
そのままに真上に飛び上がり喉仏の位置に剣を薙ぐ。
バキリと木材を叩き折り、魔物の首は宙を舞ったあとに地面を転がった。
自分の目前を剣が掠めたことに目をまん丸にした頭役の衛兵が露になった。
「勝負あり!」
キースの掛け声と共に周りから歓声と拍手が巻き起こる。
それに応えるように手を振りながら彼女は戻ってきた。
良い汗をかいたと言わんばかりのやりとげた顔で。
後ろでは叩き折られた魔物の首を衛兵達がいそいそと修理している。
まさに圧勝であった。
「さすがですねシエナ。」
剣を受け取り、代わりにハンカチを渡しながら彼女に声をかける。
「当然よ!」
彼女も満更でも無さそうに口元を緩めていた。
そんな彼女にキースも拍手を送っていた。
「やられました。これでは衛兵の教育し直しですな。」
「私相手に油断するようじゃそうでしょうね。でも悪くなかったわ。」
これは手厳しいとキースは苦笑いをする。
「まぁユリウスの方が手強いけど。」
おーっとお嬢様。
余計なことをおっしゃる。
「ほほう。」
キースの目が光る。
完全にロックオンされた。
「ユリウスの魔法はすごいわよ!なんでも出来るんだから!」
「何でも。」
繰り返すキース。
そんな東○フレンドリー○ークじゃないんだから。
「ユリウス殿。よろしいですかな?」
「それは、もしかして魔物役になれと?」
「話が早くて良いですな。是非お願いしたく…。」
キースの他に、辺りの衛兵達も興味津々だ。
これは逃げられない。
「…午後からシエナの指導もありますので、1人だけなら。」
「感謝いたします。テッド!」
さきほどコテンパンにされていた若者が呼び出される。
「上級モンスターを想定した稽古だ。気を引き締めてかかりなさい。」
「はい!!」
彼もやる気だ。
「ユリウス!勝ちなさいよね!」
シエナもやる気。
ていうか魔物に勝たせてどうすんのさ。
まぁ、やりますか。
土魔法でお面を作る。
あくまでも魔物役であるならば形だけでも取り繕う。
「なによそれ。」
「鬼の面です。故郷では敵といったらこれです。」
「イングリットの村はそうなの?」
「いいえ。僕の心の故郷では。です。」
理解は求めないので適当に口にした。
出来上がった般若風の土仮面を着けて演習場にあがる。
「テッド!抜かんなよ!」
「やられんなよー。」
「なぁ、どっちに賭ける?」
「そらテッドが勝つだろ」
「ユリウス頑張れ!!!!」
盛り上がりを見せる演習場でもシエナの声ははっきりと届く。
ちょっと顔がにやつく。仮面を着けてて良かった。
「すまんな、少年。剣士として全力を以て相手させてもらう。怪我をさせないようにするが、悪く思うなよ。」
テッドはそういって木剣をこちらに向ける。
なんか、良くないなと思う。
彼はきっと演習であるとしか思っていないようだ。
「…それは相手が子供の姿をした魔物でも同じ事を言うんですか?」
「何…?」
彼が眉をつり上げる。
「油断大敵ですよ。」
俺はその場にしゃがみこんで地面に敷かれた砂に手を着いた。
「始め!!」
キースの号令を合図に彼が走り込む。
早さだけ見ればシエナと同等かそれ以上。
しかし彼の足は途中で止まった。
「何!?」
テッドが身動き取れなくなった足に目をやる。
そこには砂で出来た無数の手が絡み付いていた。
俺の拘束用の土魔法だ。
当然無詠唱。
まぁ普通の魔法だから当然ちゃ当然だ。
「砂塵腕霊!?遺跡地帯の魔物がなんだってこんなところに!?」
なんと、そんな魔物もいるのか。
それはそれで勉強になるが。
今は勝負の真っ最中なので追撃に移る。
「よそ見してて良いんですか?」
俺はテッドに声をかける。
足をからめとった砂の腕は模擬剣と同等の硬度に変化させた。
もうあれから逃れるのは無理だろう。
シエナ達のように壊撃が使えるなら話は別だが。
「魔物相手に油断は命とりだと思いますよ。」
自身の周辺に同じように砂の腕を出現させる。
手首の代わりに鋭い槍を生やしたそれが意思をもつようにうねる。
テッドの顔から血の気が引く。
「待…ッ!」
容赦なくテッドに向けて槍を襲わせる。
鋭利な穂先は彼の急所を狙い、悲鳴が演習場に響く。
「そこまで!!」
キースの声で槍はビタリと動きを止めた。
テッドの喉元直前で停止したそれらはみるみるうちにただの砂に戻り、足も自由になる。
彼はその場にへたり込んだ。
気づけば演習場も静まり帰っている。
俺は無言のまま演習場から降りる。
周りの衛兵達はそそくさと道を開けた。
シエナは腕を組んでそこに居る。
「やりすぎよ!」
そして一喝。
「…す、すみません…。」
仮面を外しながら俺は彼女の謝った。
「いやぁ。素晴らしい手腕でしたなユリウス殿。」
キースも苦笑いしながら声をかけてくれる。
若干距離を感じるのは気のせいではないだろう。
「良い従者を持ちましたな。シエナ様。」
「従者じゃないわ。ただの指導係よ!」
左様でございますか。とキースは続ける。
後ろでは腰が抜けてしまったテッドが運び出されていた。
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衛兵達は良いお灸になったようで、あれからさらに気合いが入った実戦さながらの稽古を続けた。
その帰り道でシエナはなにやら考え込みながら前を歩いている。
「ねぇ。」
振り返らぬまま口を開く。
「さっきのあれって、本気だった?」
「…少しだけ。ですが。」
魔法で出来る程度のことだ。
それなりに力は使ったが、本気かと言われるとそうではない。
テッドが油断していたから最初の拘束にかかったのだ。
それに俺には飛翔魔法と雷轟の射手もある。
もう少し本気を出せるかも知れないが、それでは殺し合いになりかねない。
「…そう。」
短く返事をすると彼女はその後とくに喋らずに屋敷へ真っ直ぐ帰った。
そして昼食もそこそこにベンジャミンと共に礼節の講義を開始する。
やけに大人しいシエナに違和感を感じながらも、その日はそのまま幕を閉じた。




