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第十八話 「お嬢様」

 首都ロッズ到着から一晩あけた。


 久しぶりのベットは大人3人が横になってもまだ広いほど巨大で、雲のようなフカフカの寝心地であった。


 ソファーで寝泊まりしていた体にはあまりにも優しすぎ、転がってから一瞬で眠りについてしまった。

 おかげで朝の目覚めは快調である。


「朝食はお口に合いましたか?」

「えぇとても!あんなに上等な食事を頂けるなんて夢のようでした!師匠も来れば食べれましたのに。」

「ははは、ネィダ様のお口には合わないかも知れませんね。あの方は濃い味付けがお好きですから。」


 朝日が照らす廊下をベンジャミンと行く。

 帽子と杖とローブは部屋においてきた。


 朝から恐ろしいクオリティの食事が目の前に広がったものだ。


 色鮮やかなサラダ、鱗鶏(リザッキー)のゆで卵。

 ふっくらとした白パン、干し肉の香味焼き、それからシチューのようなスープ。

 瑞々しい果実、紅茶にミルク。ブリオッシュのような甘味のあるパン。

 他にもまだあったが、さすがに食べきれなかった。


 どれもこれも繊細な味付けでありながら、風味豊かで新鮮さを感じさせる逸品だった。

 客人として迎えられているので彼らが毎朝こんなに贅沢な料理を食べている訳ではないと思うが。

 貴族と平民の食事の差をひしひしと感じる。


 貴族の礼儀ではお皿に少しだけ料理を残すらしいが、それは俺の流儀に反するので手をつけたものは全て平らげた。


 米一粒に7神。パン1つに豊穣の神ありだ。


 みみっちいとは思いつつ、包めるものはフキンに包ませてもらった。

 俺は貰えるものは遠慮なく貰っていく男だ。

 まぁ、あくまでモラルの許す範囲でだが。


「ところで、シエナというのは─」


 しゃべりかけたところでベンジャミンが大きく咳払いをした。

 思わず口を止める。


「…失礼を、ユリウス様。しかし、礼節は弁えるべきですぞ。誰がどこで聞き耳を立てているともわかりませんので。」


 なるほど。

 スッとまわりに目線を走らせる。

 通路の脇にはメイドが1人。

 窓の向こうには庭師と思わしきオーバーオール姿の男が1人。

 そこの部屋には先ほど若い執事が1人入っていった。


 皆こちらに気を向けている。


「ドラゴンロッド家は歴史ある家柄ですので、従者の中には信仰すらしている者もおります。1つ忠告として聞いていただければと存じます。」


 壁にミザリー、障子にメアリーと言うことか。

 これは気が抜けなさそうだ。


「では、シエナお嬢様。とお呼びすれば良いですかね?」

「それでしたらよろしいかと。ユリウス様は聡明なお方だ。」


 にっこりと笑顔を向けるベンジャミン。

 これもドラゴンロッド流の教育か。


「シエナお嬢様はゼルジア家の3番目のご息女様でいらっしゃいます。2人の兄上を持ち、一時は共に剣術の稽古をされていたものです。」

「剣術ですか。」

「類いまれなる才能をお持ちでありました。ですが…。」


 ベンジャミンは少しだけ言葉に詰まった。


「…過ぎた才能は、反感や嫉妬を呼ぶものです。お心当たりありませんか?」

「…無いとは言えないですね。」


 生前の記憶をたどれば思い当たる節はいくらでもある。


 学生の頃、部活で後輩の方が優秀であったり。

 社会人になれば後期入社の社員に成績を抜かされたり。


 俺の方が嫉妬する側だった。

 兄弟に嫉妬したことは無かったが、それでも何をするかは思いつく。


 様々な手段で嫌がらせをしたのだろう。


「兄君方はすでに王都へ居を移し、騎士としての任についておいでです。ですが、シエナ様は…。」


 再びベンジャミンは言葉に詰まった。

 いや、違うか。

 目的地に着いたのだ。


 食堂を母屋と表現するならここは離れだ。

 長い通路の先に扉がある。


 しかし異様なのは、その鍵の数だ。

 中央に大きな閂が一本備えられており、いくつも施錠されている。

 いずれも()()からだ。

 両手の指でもまだ余るほどにある鍵をベンジャミンは1つずつ外していく。

 ベンジャミンの手にある鍵束もまた、重そうだ。


 猛獣でも居るのだろうか。

 もしかしたら人族ではないのかもしれない。

 この館の住人は種族が様々だ。

 ありえない話では無いだろう。


「なぜこんなに厳重なんです?」

「旦那様の方針でございます。旦那様はシエナ様を溺愛しておりますので。このように大切に保護しておられるのです。」

「保護、ですか…。」

「…。」


 ベンジャミンの言葉はそこから止まった。

 きっと同じことを思っている。

 これは保護ではない。監禁だ。


 最後に1番大きな閂の手を掛けたところで彼は思い出したように口を開いた。


「シエナ様は繊細なお方です。くれぐれも粗相の無いように。」


 俺が深く頷くと、ゆっくりと閂を外す。

 まるで敵アジトに乗り込む特殊部隊のような心持ちだ。


 コンコンと扉を叩く。

 返事は無い。不気味な沈黙が続く。


 ベンジャミンに目で合図を送る。

 彼はドアノブに手を掛けた。


 シエナの部屋の扉は重い音を立てながらゆっくりと開いた。

 木製ではあるが、その厚さは恐らく独房のそれだ。


 部屋の中に窓はなく、輝照石の照明のみが薄暗く部屋を照らしていた。


 青空を模した壁紙と天井。

 うず高く積み上がったぬいぐるみとクッション。

 天蓋のついたベッドと、枕元に積まれた本。

 血のように真っ赤な絨毯。

 少女の部屋、というよりは大人が描く理想の子供部屋にも見える。


 しかしシエナの姿は見えない。

 ベットだろうか。

 シーツには膨らみがある。


 ネィダの時の件があるのでとりあえず背後を確認。

 よし、物陰無し。


「失礼します。ユリウス・エバーラウンズ。入ります。」


 まずは挨拶せねばとベットへ向かう。

 寝ているかもしれないが、起きて貰おう。

 ククゥお気に入りのなでなで攻撃も視野に入れながらそっとシーツをはぐる。


「え?」


 声が漏れてしまった。

 シエナお嬢様はなんと大きなテディベアだったのだ。


 ─罠!?


 それとほぼ同時に背後のぬいぐるみの山が弾け飛ぶ。

 気づくのが遅れながら振り替える。


 そこには炎があった。

 詩的に表現するならそんな書き出しだ。


 夕焼けをそのまま切り出したような赤髪。

 ルビーのような深紅の瞳。

 目付きと同じようにキリッと勇ましい眉はつり上がり、赤い眼がこちらを射抜く。


 スローモーションで見えた彼女はまさに燃盛る炎のような美少女であった。

 木剣を振りかざした彼女はぬいぐるみの山をぶち破って不意打ちを仕掛けて来たのだ。


 ガツンと木剣が俺のコメカミを捉える。

 鋭い痛みと衝撃で俺の半身は仰け反り吹き飛ぶ。


 声を出すまもなく木剣は膝に撃ち付けられた。

 膝が崩れてしまう。

 そして間髪入れずに胸めがけて正面蹴りが刺さる。


 息が止まるほどに蹴りあげられてベットの側面に体ごと突っ込む。


「───ッ…!」


 ひたすら痛みに耐えながら呼吸を最優先で復帰する。


「弱い!」


 咳き込みながら涙を流す俺に彼女はそう吐き捨てる。

 なんなら頭から血だって流れてるはずだ。


 顔を上げれば、やっと彼女の全貌が明らかになった。


 腰まで伸びたうねりのある赤髪。

 俺よりも拳2つは高い背格好に、明らかに似合っていないフリルたっぷりのメルヘンな子供服。


 彼女こそがシエナだ。

 あの鍵の量は正しかった。

 なんなら手枷と足枷も着けるべきだ。


「よりにもよってアレク様の孫を騙るなんて!不届きにも程があるわ!よくエバーラウンズと名乗ったものね!」


 まさに怒号といった声がキンキンと耳によく刺さる。


「ユリウス様、お気を確かに。」


 ベンジャミンが駆け寄ってくる。

 彼の手を借りながら体起こす。

 すると今度はベンジャミンに木剣が向けられる。


「なに助けてんのあんた。」

「シエナ様。どうか剣をお下げください!この方はお父上の客人です!」

「関係ないわ。ここでボコボコにしてやるんだから。二度とあの方の姓を名乗れなくしてやる…。」

「なりません!」

「私に楯突く気!!??」


 彼女の足踏みと大声が部屋を揺らす。


「ベンジャミンさん…。」


 俺は彼から体を離して立ち上がる。

 打たれた右膝を庇いながら背筋を伸ばした。

 そして右手を広げ左手を胸に当て、出来る限り体を傾ける。

 騎士礼だ。こんなときだからこそ、礼節を持って接するのだ。


 …エバーラウンズの家の人間としての矜持だ。


「お初にお目に、かかります。シエナ様。ユリウス・エバーラウンズと─」


 言葉を遮り、木剣が鳩尾に容赦なく打ち込まれる。

 ズムと木剣は深く腹に埋まり、体は再びへの字に曲がる。

 それでも手を上げないし、魔法は使わない。


「ユリウス様!」


 何をバカなことをとベンジャミンが責めるように声をあげる。


「あんた死にたいのね。」


 赤い瞳が氷のような冷たさでこちらを見下す。


「…何度でも殴れば良いです。でも事実は1つだって変わらない。」


 鳩尾の手を添えながらシエナを睨み付ける。


「僕はアレキサンドルスの孫にしてデニスの息子!ユリウス・エバーラウンズです!以後お見知りおきを!!」


 あえて彼女が気にしていたアレクの名を出した。

 眼が大きく見開かれ、瞳孔が縮んだ。

 そして明確な殺意を持ってシエナは再び木剣を振り上げる。


 しかし先に動いたのはベンジャミンだった。

 彼は素早く俺を抱き抱えると、その老いた外観からは想像できないスピードで部屋をでた。


 そして足を使って器用に閂をかける。


 間を置かずに扉がガンガンと音を立てる。

 今にも破られそうな扉にベンジャミンは1つずつ鍵を掛けていく。


「殺してやる!殺してやるわ!偽物!弱虫!卑怯者!!」


 扉の向こうからはヒステリックなシエナの罵声が聞こえてくる。


「…粗相の無いようにと…。」


 鍵を掛け終わり、あれほど言ったのにという口調で彼はこちらに向き直った。

 俺はすでに立っていられなくなり、廊下に座り込んでいる。


「…自己紹介は、粗相でしたかね…?」


 文字通り虫の息で彼に尋ねた。

 鳩尾はズキズキと痛むし、コメカミから出た血が頬を伝って顎へと滴る。

 一応、手で押さえた。絨毯に染みでも着いたら面倒だ。


「…いいえ、粗相はありませんでしたね。手当ていたしましょう。」


 彼に再び支えられ、食堂へと向かった。


 …なるほど、あれは問題児だ…。

 指導役を欲する理由はよくわかる。


 ちょっと、お父上殿とゆっくりお話したいところだ。


 ---


 幸いにもベンジャミンは再起(リブート)の魔術が使えた。

 おかげですぐに体中の痛みも引き、傷も塞がった。


 あえて損害報告をするならば、

 左側頭部裂傷、腹部挫傷、右膝部靭帯損傷。

 全治2か月といったところか。

 大ケガだ。


 子供の力とは言え、木剣でしこたま殴られればケガをする。

 そんな常識的なことですら彼女には欠落していた。

 あれでは本当に猛獣と変わらない。


「シエナ様は孤独な方なのです。ネィダ様であれば何か妙案があるのではないかと…。」


 言い訳のように彼は言う。

 仮にネィダであればどうしただろうか。

 …魔法でぶっ飛ばしてる未来が見えてしまった。


「…お嬢様は誰にでもあんな感じですか…?」


 治療を終えた体の具合を確かめながらベンジャミンに問うた。

 彼はすこしでも気分が落ち着くようにと紅茶を入れてくれている。


「…多少の差はあるものの、似たり寄ったりです。お心を開くのはご両親のドミトル様とリュドミラ様だけ。」

「その両親はどうしてあのような扱いを?」


 俺としては殴られたことよりも自らの娘を幽閉するような親に腹を立てている。

 理由はまだわからないが、胸の奥にある古いわだかまりが疼いている。


「先ほども申しました通り、ドミトル様の意向でございます。ドラゴンロッドの家系は代々、火の魔術に長けた家系。数多の名高い魔術師を世に送り出した名家です。ドミトル様も最初は魔術の素養を求めておいででした。…ですが。」

「シエナお嬢様にあったのは魔術ではなく剣術の素養であったと。」

「…左様です。兄君方は残念ながらどちらの素養も持ち合わせておりませんでした。しかし男児であったことが幸いし、王都の本家へと迎え入れられました。ですがシエナ様は女児。貴族においてそれは後継ぎになり得ぬ者であることを示します。」


 古く凝り固まった考え方だ。

 しかし、この世界ではそれがまかり通っている。

 シエナもいつかは嫁にでて他所の家に貰われるということ。

 …ということは。


「…シエナお嬢様は政治的な手札にしかならないと?」


 ベンジャミンは黙してそれを認めた。


 政略結婚という言葉がすぐに浮かんだ。

 ようは貴族同士のつながりを強めたり、有力者とのコネクトを持つために自分の子供を政治的に利用するのだ。

 望まぬ相手と望まぬ結婚をさせ、望まぬまま子を設ける。


 …嫌な文化だ。


「しかしながら、ドミトル様はシエナ様を愛しておいでです。」

「娘を監禁するのが愛というんですか!?」

「監禁とは人聞きの悪い。」


 第三者の声にそちらを振り向く。

 食堂にドミトルが入ってきていた。

 風呂上りなのかバスローブを体に巻き、葉巻を手に持っていた。

 ベンジャミンは小さく頭を下げると彼の後ろに回った。

 今ここで彼の発言権は無くなったということだ。


「従者を与え、望む本や望む人形を与えた。そして身を守るために部屋を与えた。屋敷内であれば時間を決めて自由にさせている。愛以外の何物でもないではないか。」


 ベンジャミンの引いた椅子に腰かけ、さも当たり前のごとくドミトルはそれを愛だと言う。


「平民の貴様には到底想像もつかぬことだとは思うが、貴族というのは日々が戦いだ。過酷で卑劣な権力争いというな。ゼルジア家を含め、ドラゴンロッドの家系は大きく4つの血筋に分かれている。我らは2番目だ。長年争い続けて勝ち得た2番目だ。しかしその順位とて絶対ではない。下の兄弟たちが力をつけて反乱など起こせば簡単にひっくり返る。家族の安泰を守るために策を凝らすのは当主としての当然の務めであろう?」


 家族の安泰の部分を強調しながらドミトルは語る。


「シエナお嬢様の気持ちはどうなるんです。」

「親の金と権力で育った子供が親のために身を捧げるのは当たり前のことだ。お前とてドラゴンロッドの家に家系の恩を返すために来たのだろう?エバーラウンズの家の者よ。」

「本人が志したことと、押し付けられたことでは意味合いが違います。どうかお考え直しを。」

「どの口が何と言ったか、一度だけは聞き逃してやるぞ。ユリウス・エバーラウンズ。アレキサンドルスから仕事を奪いたくはあるまい?」


 …思い出した。

 この胸のわだかまり。

 生前の弟と妹の事を思っている。

 あの子たちは、母親の傀儡だった。

 俺の死後どうなったのかは想像もつかないが、彼らは常に親の言葉で動き、親と共にあった。

 意思の無い人形のような血縁者とシエナのあり方がどこかでダブった。


 それが分かったとたんにこの男への怒りが湧いてくる。


 しかし冷静にならなければならない。

 このまま続ければ負けるのは俺ではない。

 エバーラウンズの血筋が潰されるのだ。

 アレクは良い。彼は英雄だ。引く手数多なのは分かり切っている。


 しかしデニスとサーシャは違う。

 職を奪われ、土地を追われれば今の慎ましい生活すら手放すことになる。

 まだ幼いイリスの事もある。

 これから寒くなる。

 兄としてイングリットの村での暮らしを守らなければならない。


「大変失礼いたしました。ケガをして少々動揺していたようです。ご容赦を。」


 俺は深く頭を下げた。

 ドミトルはフンと鼻を鳴らしている。

 俺のメンツなどどうでもいい。

 守るべきものがわかっている以上、敗北すら苦ではない。

 手段と目的、そして今ある手札だ。


「…ドミトル様は、シエナお嬢様に何を望まれますか?」

「多くは望まぬ。そうさな。我が娘ながら顔立ちは良い。せめてニコリと笑えるようになればどこぞの金持ちでも引っ掛けれるだろう。」


 そう言って手先でいじっていた葉巻にようやく火をつけた。

 甘ったるい香りのする煙を大きく吸い込んで、吐き出しながら言葉を続ける。


「ネィダの代わりにわざわざ来たのだ。せめて指導役としての役目を果たせ。もっとも、誰もシエナを手懐けることなど出来やしなかったがな。」

「エバーラウンズの者としての恩義とネィダの弟子としての一宿一飯の恩義。必ずや報いましょう。」


 そう、俺はユリウス・エバーラウンズ。

 恩義を忘れぬ義理堅い男だ。


「手段は任せていただいてもよろしいですか?」

「手荒な真似などしてくれるなよ。血一滴でも流そうものなら貴様の斬首にて償ってもらう。」

「心得ております。では、シエナお嬢様が僕を指導役に望まれたときは─。」

「構わん、すべてお前に一任する。まぁ娘が望めばの話だがな。」

「どうかお忘れなきよう。」


 恭しく騎士礼をもってドミトルに頭を下げる。


 すべてお前に一任する。

 言質を取った。


 不安げな顔でこちらを見るベンジャミンに視線を送りウィンクを投げる。


「それでは支度を致します。このユリウスの活躍にどうかご期待ください。」

「どうなることやら。ベンジャミン。手伝ってやれ。私は出かける。夕暮れに教会へ迎えを寄越せ。」

「…かしこまりました。」


 2人揃って部屋を出る。


「…肝が冷えましたぞ。」

「ご心配おかけしてすみません。」


 小声でやり取りしながら、廊下を進む。


「策がおありで?シエナ様はあのような方です。せめてリュドミラ様がいらっしゃれば…。」

「シエナお嬢様の母君ですね?今どちらに?」

「ふた月ほど前からキングソード家との会合に出向いておられます。冬になるまでには帰ってこられるはずですが…。」

「母君とは仲がいいんですか?」

「それはもう、シエナ様の心のよりどころと言っても過言ではありません。」

「なるほど…。確認ですが、ベンジャミンさんはシエナお嬢様の味方と考えていいんですね?」

「私はドラゴンロッドの従者です…。ですが、1人の大人としてシエナ様を放っておくことができなかったのです。」

「それだけ聞ければ十分です。あなたは優しい人だ。」

「どうかドミトル様にはご内密に…。」


(─と、なればだ。)


 すこし立ち止まり俺は考えを整理することにした。

 目的と手段の再設定と手札の確認だ。


 俺の目的はネィダの弟子としてシエナの指導を行うこと。

 違うな、指導は手段だ。

 目的とはもっと先の事だ。

 ではどうする?

 ドミトルの言うことをなんでも聞くような傀儡にするのが目的か?

 それでは本末転倒だ。


 であれば、目的はシエナの自立だ。

 ドラゴンロッドのお嬢様としての自覚と振る舞いを身に着けて。

 親の意思によらず、自らの人生を歩む意思を持たせる。

 それで彼女が親の言いなりを望むならそれも良しだ。


 そこでやっと手段だ。

 何をすればシエナが自立するだろう。

 手っ取り早いのは洗脳してしまうことだろうが、それではドミトルと変わらない。

 …まぁそれは思いついている。

 彼女に必要なのは、敵だ。

 倒すべき敵が必要だ。

 親の言うことを聞くだけではどうにもならないような強大な悪。

 それには心当たりがあるから大丈夫だ。


 そして手札を確認する。

 今回はおそらく魔法や剣術でなく、人が重要になる。

 オープンしている手札は2枚そして伏せてある手札は2枚。

 彼女の事を想い、ネィダに助けを求めた執事ベンジャミン。

 そしてシエナが心のよりどころにしている母リュドミラ。

 この2人はシエナの味方をしてくれるだろう。

 俺が役目を終えた後もシエナを守ってくれる人物を近くにおかねばならない。


「…それから…。」


 再び足を進めながらつぶやく。


「アレキサンドルス。」


 祖父の名前。

 アレキサンドルス・エバーラウンズ。

 この人物が伏せてある手札の1つだ。


 シエナの部屋のベットの上に合った本。

 見たことあるそれの表題は"英雄アレキサンドルスの冒険"

 俺も読んだことのある。祖父を題材にした冒険譚だ。


 決してアレクの自伝などでは無いのだが、彼ならやりかねないと思える大活劇が記されている。

 例えば若きアレクは剣の修行中にであった泉の女神と恋に落ち、その強靭な体と引き換えにその恋人を失ったとか。

 例えばたった1人で七大竜、その末席を押しとどめ首都を救ったとか。


 そういう派手なお話をシエナが信仰していると仮定すれば。

 エバーラウンズの名前を名乗る俺に襲い掛かったのも納得がいく。

 俺とアレクは目や髪の色ならともかく、体格や性格は全く似ていない。

 偽物、と言われる方がむしろしっくりくる。

 シエナはきっと物語のアレクに陶酔しているのだ。

 利用しない手は無い。


 はたと立ち止まり、ベンジャミンに声をかける。


「ベンジャミンさん。用意していただきたいものがあります。」

「…なんなりとお申し付けください。ユリウス様。」

「では、それを貸してください。」


 俺は彼の手を覆っているそれを指さした。


 ---


「…本当によろしいのですか?」

「大丈夫です。やっちゃってください。」


 ベンジャミンにお願いして再びシエナの部屋の鍵を開ける。


 重い音を立てながら開いた扉を前に息をのむ。

 部屋は目を覆いたくなる有様だ。


 ぬいぐるみもクッションもズタズタに引き裂かれ、ベットの天幕は引きずり降ろされている。

 分厚い扉の裏には何度も木剣を叩きつけた後が刻まれひどくささくれていた。

 相当暴れまわったようだった。


 土魔法を使って模擬剣を作る。

 木剣と比べれば少々重いが、手持ちがない。

 背に腹だ。


「…ユリウス様。1つ忠告を。」


 部屋に入る直前にベンジャミンが口を開く。


「シエナ様の剣は決して()()()()()()()()()。お忘れなきよう。」

「心得ました。」


 一歩、部屋に踏み込む。

 途端に殺気が背筋を凍らせる。

 つい先ほど受けた猛襲を思い出し、冷や汗が流れる。

 文字通り猛獣の巣に足を踏み入れた気分だ。


「…いい度胸じゃない、殺されに来るなんて。」


 シエナはゆらりとベットの陰から姿を現した。すでに木剣を手にしている。

 髪の毛はボサボサに荒れ、服はフリルが破れていた。

 泣きわめいたのか、眼は充血している。


「シエナ・ゼルジア・ドラゴンロッド!!」


 彼女に聞こえるように大声で呼び捨てる。


「誰に向かってそんな口─っ!?」


 そして顔面に向かってベンジャミンの用意したそれを投げつけた。

 ペチンとほほに当たって地面に落ちたが、なんてことはない。


 だが、彼女が貴族であるならその意味を理解できるはず。


 力なく呆然とした顔でシエナはそれを見つめた。

 ベンジャミンが身に着けていた白い手袋を。


「我が名はユリウス・エバーラウンズ!格式ある貴族の風習に倣って貴女に決闘を申し込む!」


 名乗りを上げ、俺は彼女に模擬剣を向けた。


 手袋を見ていた目線が今度は俺に向けられる。

 怒りと困惑の混じった眼であったが、殺気ばかりは増す一方だ。

 負けじととどめの一言を放る。


「僕と勝負しろ!このアバズレめ!!」


 …しまった、最後のは余計だった。


「こッ…。」


 首を絞められたニワトリのような声をシエナは漏らした。

 紅い髪の毛が逆立ち、木剣を握りしめた手がわなわなと震えている。

 怒りが目に見えるかのようだ。


「あぁ、神よ…。」


 後ろでベンジャミンの祈る声が聞こえた。


「殺してやるわこの×〇△◇ッ!!!!!!!!!!」


 もう何を言っているのかわからないほどの金切り声でシエナは絶叫した。

 わめき散らしながら走ってくる彼女から俺は一目散に逃げた。


「ガアアアアアアアアア!!!!!!!」


 彼女の獣のような咆哮が屋敷中に轟く。

 大丈夫。

 彼女は絶対。

 地の果てまでユリウス・エバーラウンズを追ってくる。


 伏せていた最後の手札には俺自身の名前が書いてある。

 彼女にとっての悪。

 憧れのアレクの名を語る偽物。

 そんな俺から屈辱的な挑発を受ければ、彼女は嫌でも乗ってくるはず。

 そう踏んでいた。

 結果は予想以上に予想通りだった。


 少しでも足を止めればわめき声の主は一瞬で俺をとっ捕まえて息の根を止めに来るだろう。

 勢いを一切緩めずに中庭を目指した。


 問題はここからだ。

 俺は彼女にとって強大な悪にならなければならない。

 倒すことも逃げることもできない立ち向かうべき悪に。


 できるだろうか?

 しかしやらねばならない。


 君が笑ってくれるなら、俺は悪にでもなる。だ。

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