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閑話 「ユリウスの手紙、イリスの夢」

ユリウスが首都ロッズへ旅立って少しした頃のお話。

 《サーシャ視点》


「ママー。朝だよ。起きてー!」

「んんん…。」


 まだ日の明けきらぬ時間にイリスフィアに起こされる。

 もう少し眠っていたいが、今日ばかりは起きなければならない。

 デニスが夜の見回りから帰ってくるのだ。

 最近は魔物の数も増え、いままで見たことないような強い魔物も出るようになった。

 見回りの回数を増やして対応するのが現状できる対策だ。

 せめて温かい食事で出迎えてあげたいと思うのは夫を愛する妻心というものだ。


「おはよう、イリス。」

「おはようママ!」


 無邪気に笑うイリス。

 この子もデニスと同じように左の後ろ髪がピョコンと跳ねた寝ぐせをよくつける。

 もう3歳を過ぎた愛娘は今日も愛らしい。

 肩ほどまで伸びた髪を最近は私の真似をして右側から束ねて前へ回すのが彼女の流行りだ。


「今日はねママ。ユーリ兄ぃから手紙が届く夢を見たの!ルドーさんが届けてくれるんだよ!」

「まぁ、それは楽しみね。待ち遠しいわ。」

「うん!」


 この子の言う"夢で見た"は不思議とよく当たる。

 明日は大雨が降るだとか。デニスが大きな野犬に襲われるとか。

 今まで何度かこれから起こることを的中させてきた。

 もちろん外れることもあるが、今日みたいに事細かに覚えている夢は当たることが特に多い。


「イリス、お外で待ってていい?」

「そうね。でも先にパパのご飯作らないとね。」


 さすがにまだ外は真っ暗だ。

 日がな1日待たせるわけにもいかない。


「イリスはもう少し寝ててね。明るくなったら起こしに来るわ。」

「はぁい。」


 すぐに布団に潜り込むイリス。

 聞き分けの良い娘に育ってくれて本当に感謝している。

 私みたいなお転婆娘にならなければ良いと願ってはいたがユーリの時みたく少し拍子抜けでもあった。


 でも、近所の奥方が羨むほどの自慢の子供たちをもっと誇るべきよね。うん。


 そう思いながら台所へ向かった。


 ---


 朝日が昇るころに夫、デニスは家へ帰ってきた。

 今日もヘトヘトに疲れ果てて、今にも倒れそうだ。


「ただいま、サーシャ。」


 大量の魔物の返り血が今日の仕事の過酷さを物語っている。

 彼は鎧の血を手早くぬぐうと、食卓の椅子に座りこんだ。


「おかえりなさい、あなた。」


 ひとまずは水の入ったコップを彼に手渡す。

 デニスは一息でそれを飲み干してしまう。

 そして長く深い息を吐いた。


「…ケニーがやられた。間に合わなかった。」


 短く彼は告げた。

 はす向かいの農家の息子、ケニーはつい先日までデニスの下で剣術の稽古をしていた。

 いつかはアレキサンドルスのようになるのだと汗を流していた彼の顔が思い浮かぶ。


「…これで3人だ。」


 コップを持ったデニスの手が震えている。


「あなたのせいじゃないわ。」


 彼の隣に座りながら私ははっきりと言った。

 震える彼の手にそっと自分の手を添える。


「誰だって、そういう危険を背負っているわ。あなたが気に病むことじゃない。」

「…そうじゃないんだサーシャ。私は、私は怖いんだ。」


 彼は珍しく私によりかかった。

 肩にあたまを置き、左手を私の腰にまわしている。


「いつか、サーシャやイリスが襲われたときに私がその場に居なかったら。手の届かないところで君たちを失ったらと考えると。恐ろしくてたまらないんだよ。サーシャ。」

「デニス…。」

「ユリウスだって心配だ。7歳になるって言ってもまだ子供だ。コガクゥの村は首都に近いとはいえ、ここからじゃすぐに助けに行ってあげられない。あの子は賢いが、強くはない。魔術が使えても生き残れる確証はないんだ…。」


 最近の彼は時々こうなる。

 冒険者時代も思慮深いデニスに助けられたことはたくさんあったが、彼はこうなると脆い。


 だから、私はあえて明るくふるまうことにしている。

 同じ不安を抱えても、同じ視点に立つだけが寄り添う形とは思わないからだ。


「もう、相変わらず心配性ね。」


 ギュッと彼を抱きしめる。


「大丈夫よ。私だって元冒険者だもの。戦うまでは無理かもしれないけど、イリスを連れて逃げることぐらいできるわ。」


 彼はただ黙っているので、私は続けた。


「ユリウスだってそうよ。あの子は賢いし、世渡りだって上手いわ。きっと沢山の友人に囲まれて、私たちを驚かせるくらい強くなってるわよ。ね?」


 彼の返事が無い。


「…デニス?」


 顔を覗き込むと、彼は寝息を立てていた。

 安心しきって緩み切った寝顔がそこにある。


「…そうよ、大丈夫なんだから。」


 眠った彼の頭に頬を当てる。


 たとえ魔物が溢れても、村が滅びても、なんとかなるわ。

 生きてさえいれば何とかなるのよ。


 私とあなたが出会ったときみたいに。


 そう思いながら私は彼の鎧を少しずつ外した。

 このままでは寝室へ連れ居ていくことなど到底できないし、安眠に鎧は必要ない。


「お休み、デニス。」


 彼の頬にキスをして、私はもうしばらくだけこのままでいることにした。


 …鍛錬、再開しないとね…。


 ---


 その日の昼。

 ユーリが使っていた木剣で素振りをしている頃だ。

 デニスの仕事仲間のルドーさんが家に尋ねてきた。


「ありゃ、サーシャさんが鍛錬って珍しいですね。太ったんです?」


 ガラガラのかすれ声で彼は言う。


「あらやだ手が。」

「おわわわわわ!」


 ブゥンと木剣を彼目掛けて放る。

 当てるつもりは当然ないが、乙女に向かってあまりにも不躾である。


「ごめんなさいルドーさん。お怪我ありません?」

「え、えぇ。大丈夫大丈夫。」


 小さく「怖ぇー」と聞こえた気もしたが、聞かなかったことにして差し上げますわ。


「デニスでしたら、まだ寝ています。起こしてきましょうか?」

「あぁ、いや、それには及ばないです。手紙が来てたんで届けに来たんすよ。」

「どなたから?」

「ユリウスから。」


 彼は懐から封筒を一通取り出してこちらへ手渡した。

 またイリスの夢が的中した。


「じゃあ、確かに届けましたんで。これで失礼します。ユリウスによろしく伝えてください。」

「ありがとう、ルドーさん。今度お茶でも飲みに来てくださいな。」

「それはどうも。では、また。」


 短く言って彼はさっさと帰ってしまった。

 そういう簡潔な彼の姿勢は嫌いではなかった。


 まぁそれはさておき。

 私は浮足立って家に駆けこんだ。


「あなたー。あなたー!ユーリから手紙が届きましたよー!」


 二階に向かって声を張ると、しばらくしてからドタドタと2人分の足音が下りてきた。

 口の端によだれの跡があるところを見ると、本当にたったいま起きてきたようだ。


「ユーリから手紙!?」

「ユーリ兄ぃから手紙!!」


 イリスは真似っこが最近お気に入りだ。

 今日はデニスの真似っこのようだ。


 デニスに手紙を渡すと慎重に封を切る。

 彼は今まで届いた手紙をすべて保管していた。


 最初こそ今か今かと私が首を長くしていたが、今ではデニスの方が手紙に夢中だ。


 ─


 父さま、母さま、イリスへ。


 落ち葉の候、いかがお過ごしでしょうか。

 コガクゥの村は落葉集めが最盛期を迎え、皆あわただしくしています。


 ユリウスは元気に過ごし、最近では空を飛ぶ魔法を覚えました。

 いつか修行を終え、家に帰るときは煙突から入ってみようと思います。


 ─


「おお、空を飛ぶ魔法か。」

「そんな魔法聞いたことないわねぇ…。」


 1文読むたびにデニスは声を上げる。

 息子の手紙を読む彼の顔は、英雄譚を聞く少年の顔に近しい。


 ─


 さて、僕は首都ロッズへ修行の一環として実地研修へ赴くこととなりました。

 なんでも、ドラゴンロッド家のお嬢さんの指導役を任せられることとなるそうです。

 名前も顔も知らないのですが、頑張りたいとおもいます。


 修行も順調そのもの、とはいかないものの。

 なんとか自分だけの強みを見つけ出せつつあると思います。


 剣術も、兄弟子のテオにあと少しで届くというところまで来ているのですがその一歩は遠いです。

 いつか父さまやお爺様に剣術の稽古をつけていただけることを楽しみにしています。


 父さま。

 どうかお仕事を頑張りすぎないでください。

 無茶ばかりすると逆に心配事が増えるものです。

 落ち着いて、いつも通りに。


 母さま。

 たまには父さまに思いっきり甘えてください。

 父さまに遠慮して出来る妻で居ようとしてそうです。

 母さまの愛嬌こそが父さまの活力になるはずです。


 イリス。

 もう3歳になっていますね。

 お顔を合わせていないから、もしかしたら僕の事がわからないかもしれませんね。

 会うときまでには素敵な兄になっているよう頑張りますので。

 どうか嫌いにならないでください。


 もうすぐ出発します。

 もし手紙を出すときは、ドラゴンロッド卿のお屋敷へと送ってください。


 それでは、これから寒くなります。

 風邪などひかないよう、どうかお元気で。


 息子のユリウスより。


 ─


「あの子、頑張ってるわね。」

「…あぁ。」


 そう言葉を交わしながら、イリスを見た。

 ユリウスの手紙の、特にイリスに向けた部分を読み上げる。


「─ですって、会えるのが楽しみね。」

「ユーリ兄ぃはイリスのお顔知らないの?」

「そうね、今のお顔は知らないかもね。あなたが赤ちゃんの頃に魔術の勉強に行ったから。」

「そうなんだ…。でもねママ。イリスはユーリ兄ぃのお顔わかるよ。」


 彼女の言葉に違和感を覚えた。

 デニスも、イリスの方に視線を送る。

 覚えている?いや、生まれてひと月と経っていない頃の記憶があるものだろうか。


「ユーリ兄ぃはね、背が高くて、パパと同じ紫色のおめめで、長い髪の毛を後ろで結んでお馬さんの尻尾みたいにしてるの。紅い髪の女の人と白い髪のどっちかわかんない人と一緒に村に帰ってくるんだよ?」


 彼女は嬉々と続ける。


「何度も夢に見たから覚えてるの!ユーリ兄ぃはとっても強い魔法使いでね!白いローブと灰色の帽子と大きな紫色の石がついてる綺麗な杖でイリスたちを助けに来てくれるんだよ!」


 私とデニスは娘の言葉に顔を向き合わせた。

 何を言っているのと、問いただしそうになるのをぐっとこらえる。


「そ、そうなのね。でも助けてくれるってなにから?」

「わかんないの。でも、とっても怖い何かなの…。」


 イリスの表情が暗くなる。


「イリス、何か変なこと、言った?」


 私たちの雰囲気を察するように、彼女は不安げな声で言った。


「いいえ、素敵なお話をしてくれたわ。ありがとうねイリス。」


 不安をかき消すように頭を撫でる。


「サーシャ。」


 デニスは短く声をかけた。

 その真意は、私でもすぐに読み取れた。


 ─近い将来、何かが起こる。


 親としての勘か、冒険者としての勘か。

 私たちはイリスフィアの言葉からそういう結論に至った。


「村長に預けている物を取ってくるよ。いいかな。」

「…えぇ、おねがいします。」


 もう不要だから。でも何かあった時のために。と村長に預けているものがあった。

 彼はそれを取りに出かける。


 イリスの言葉は、よく当たる。

 ここまで鮮明に覚えている事ならば、きっと起こる。


 もしかしたら起きないかもしれないが、備えていることはできる。


「ママ、お顔怖いよ…。」

「あら、ごめんなさいね。ちょっと考え事しちゃった。」


 明るい声と笑顔を繕って娘を抱き上げる。


「お夕飯何にしようか、とーっても悩むわ。」

「イリスは赤パンが良い!」


 なんでもない会話をなんでもなく行う。

 明日も、明後日も、その次も。


 なんでもない日々が長く続くように、私は心の中で祈った。

人物紹介


イリスフィア・エバーラウンズ 3歳 人族

デニスとサーシャの娘。好きな食べ物は赤パン。

使える魔法は火、水、土の3種類。学力も魔力も一般レベル。

予知夢をよく見る体質で、最近は頻度と精度が上昇傾向にある。

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