第十三話 「充実の日々」
時というのは、充実していると驚くほど早くすぎる。
独り暮らしを始めて、ネィダの弟子になってはや3ヶ月。
本当に一瞬で過ぎた。
弟子としての日々は最初こそネィダの身の回りのお世話と掃除洗濯炊事。
すべてやっていくものだと思っていたが、ネィダは人に任せたがらなかった。
「飯はまぁ時々頼むわ。あとは適当で。」
と、言うのである。
それはどうやらテオが原因のようだった。
テオは完璧だ。
何から何まで完璧にこなす。
完璧すぎてネィダの居心地が悪いらしい。
掃除をすれば埃も残さず、洗濯すればシワ1つ無い。
強いて言うなら食事の味付けセンスが独特というくらいだ。
あれはちょっと、言葉にするには難しい。
「お前を弟子にした理由は8割が飯。」
とまで言われた。
自堕落で気分屋のネィダと完璧主義のテオ。
正反対の彼らがいままでやってこれたのは、シーミィの活躍による部分が大きい。
シーミィはテオの育ての親なのだそうだ。
そんな彼女がなかを取り持ち、時にはネィダを、時にはテオを上手く諭すのだとか。
実に上手く噛み合っている。
勉強の方は順調だ。
読んだ本の数もかなり増えた。
生前はラノベとマンガくらいしか読まなかった。
参考書も買って満足、捲って放置だったが、この世界の読み物は本当にすらすら頭にはいる。
興味というには何事にも重要なエッセンスだ。
中でも面白いのがこの世界の歴史だ。
記録として残っている分だと、この世界が出来たのは1万年前のこと。
最初に龍があり、巫女があり、世界は白い原盤であった。
の一文から創成期の物語は始まる。
この世界は3つの並行世界が向かい合った世界。
通称、三列並行対面時空というものなのだとか。
これらの世界の中心にいた龍と巫女が今俺がいる世界に大地と空を生んだ。
やがてそこから最も古く最も偉大な神が生まれた。
原初の神オルディン。もしくはオルディーヌ。
男神とも女神とも伝えられるその神は世界を愛し、人と精霊を産み出し、育てた。
彼に呼応するように神は次々に地上に降り立ち、オルディンの子である人と精霊を愛した。
それから時が流れて、人と精霊は交わり様々な種族、人類が生まれることとなる。
人族、獣人族、幻人族、天人族、龍人族。
これらが歴史において人類と呼ばれる存在であった。
人が生まれれば争いも差別も生まれる。
長い歴史の中でも度々人類間での戦争があった。
特にその被害を受けたの幻人族と龍人族だ。
彼らは土地を追われ、滅亡した。
耳長族は幻人族の末裔で外見と一部の術を受け継ぎ、龍人族はその鱗や尻尾といった特徴だけが名残として現在に至る。
また、天人族は人類間の戦いに嫌気がさして大魔術を行使し大陸ごとこの世界から転移をしたのだという。
それが創成期から神代5000年ほどまでの話。
そしてこの世界に大きな事件が起こったのが神代6000年。闘龍期のこと。
神々の怨敵。紅き邪龍、ジア・ラフトの出現である。
一説には龍人族の生き残りが世界に仇なすために放った外世界の魔物であるとか、冥界の門の鍵であるとか。様々な説があるが、その龍が行ったことは共通していた。
ジア・ラフトは全てを喰らうのだ。
神を喰らい、国を喰らい、命を喰らい、そのあとには炎しか残らなかったという。
神々は邪龍を憎み、失った命に哀しんだ。
そしてついに人類の中からある存在を生み出す。
「勇者」もしくは「救世主」である。
神の導かれた勇者は神の子供としての生を受け、数々の試練を越え力を得ていく。
ついには邪龍を討ち果たす力をその身に宿し、世界に平和をもたらした。
その功績はいまなお、紅邪龍千年伝説というおとぎ話として語り継がれている。
そして勇者は歴史に再び姿を表す。
神代8000年。魔族という存在が世界に現れたときだ。この時代のことを魔栄期と呼んだ。
そこからはネィダが語った歴史に繋がってくる。
世界には魂の許容量というものが存在した。
それを越えて溢れた魂は輪廻の輪から外れ、魔物となる。
生きた人を憎み、妬み、襲うのだ。
魔栄期の訳1000年間。
この世界が最も戦いに傾いた時代であった。
人類と魔族と魔物の三つ巴の戦いである。
戦いの度に魂が世界から溢れ、魔物は数と強さを増した。
2度目の勇者が行ったことは調停役であった。
神、精霊、人類、魔族。
4つの文明を相手取り、時に話合い時に戦い、世界から魂が溢れないように世界中を駆け巡ったのである。
交渉は難航し、もはや何れかが滅ばねばならぬというとき。ついに精霊達が動いた。
自ら魂を手放し、存在を魔力へと変換することで愛する世界を救ったのである。
精霊の行動によって人類は窮地を脱した。
勇者は世界を去る間際に、残された精霊達を守ると誓いを立てた。
人類は勇者からその約束と魔術を受け継いだ。
しかし、その約束は果たされなかった。
魔術を得た人類は繁栄を極め、更なる力を欲した。
生き残った精霊を隷属に堕としめ、支配したのである。
神代9000年。
もしくは魔法歴元年。
人類の暴虐に耐えかねた精霊達の王、大魔霊がついに反旗を翻した。
人類と精霊の全面戦争である。
大陸間での戦争となったこの戦いは人霊大戦と呼ばれる短い戦争であった。
人と精霊の戦いは熾烈を極め、その戦いで生まれた地名や地形が現在にも残っている。
例えば東のベルガー大陸と南のアリアー大陸はこの時に人類側の剣士が放った剣撃によって2つに別れたとされている。
現に地図には大陸を定規で引いたように一直線に隔てる海峡が存在した。
人霊大戦は期間にして10年。
勝ったのは人類の方であった。
精霊達は人類の産み出した魔術とその数に圧倒された。
この戦いで名を上げた英雄の家名が4つ残されている。
北方、テルス大陸の覇者 ウルグスカーフ家
東方、ベルガー大陸の盟主 キングソード家
西方、ディティス列島帯の王 レオスグローヴ家
南方、アリアー大陸の守護者 ドラゴンロッド家
これらの家の者達は四大貴族として代を重ね、現代でも各国での政事に多大な影響力を持つ。
その四大貴族を筆頭に、人類は精霊達と応戦。
大陸の隅々まで精霊を蹂躙し、精霊は滅亡した。
古い魔術師たちは討ち取られた大魔霊の骸から新たな力を見いだした。魔法である。
しかし、魔法を使うにはその時点での人類の魔力量では不十分であった。
そこで神々は、魔族を世界の新たな住人として認めることを条件に人類が魔法を使うに耐えうる祝福を与え世界から去った。
現在も世界の外側から人々を見守っているのだという。
この時に世界に居た種族。
人族、獣人族、耳長族、魔族。
これらが現在の人類と呼ばれる存在となった。
そしてその神々の祝福を受けた日こそが「原初の日」である。
以降、暦を魔法歴と改めた人類は国同士での戦争を起こしながら発展を続け、現在の魔法歴984年に至る。
というのがこの世界の歴史だ。
この文献、「新訳 神々の軌跡 ~古代、神代、近代を読み解く~」は四冊綴りとなっていて読むのは本当に楽しかった。
出てきた単語を調べ、地図を漁りながら夜通し読みふけった。
食事の時も片手に本を読み、風呂も入らずに居た結果。
ククゥに「ユーリ、臭い。」と距離を置かれたくらいである。いやはや、申し訳ない。
魔法の方もかなり上達した。
火、風、水、土の四大属性を全て習得した。
「思ったより早いじゃん。」とはネィダの言葉である。
また、習得の他にもいくつか気づいたことがあった。
まず属性についてだが、先述の4つは厳密には正しくない。
それぞれが微妙に重なりあって干渉するのだ。
例えば火は熱量一般を操ることが出来る。
つまり冷やすことも出来るのだ。
これを水と組み合わせて冷やせば氷を作ることが出来る。
逆に水を暖めれば雲を作ることが出来る。
雪の制御が難しいとデニスがいうのはこういうことだったのだ。
まだ他にも組み合わせを試したいが、複数の属性を制御するのは簡単ではない。
消費する魔力がはね上がるのだ。
なんど魔力切れになって倒れたことか…。
まぁ倒れることも勉強になった。
魔力枯渇は段階があることに気づけたのだ。
魔力が少なくなると体の疲労感が出てくる。
更に使うと意識が遠のき立っていられなくなる。
それでも魔法を使うと体が物理的に変化してくる
ここら辺が魔力枯渇になる。
髪の色素が薄れ、手足など末端から生命力が消費されてカサついて来るのだ。
最終的には意識不明の心肺停止となる。
イングリットの村で起こったのは一気に最終段階まで魔力を使いきってしまったらしい。
どれだけ大きな炎矢を撃ったのだろう…。
なんにせよ、これらがわかったので必要以上に魔力枯渇を警戒する必要は無くなった。
他にもある。
魔法の発動はこちらから事細かに条件付けが出来ることがわかった。
つけれる条件は魔法によって少し差があるが、基本は同じだ。
位置、数、形状、強度、速度だ。
俺の場合は位置の条件に制限があるがそこは割愛。
全ての設定を数値1にした場合、自分の正面にある魔力の境目から魔法が出現するだけだ。
そこに速度の条件付けをしてやることで始めて魔法が飛ぶのだ。
最初にこれに気付いたときは大騒ぎだった。
何せ研究室で魔法を使っているときに偶然起こったのだ。
しかもよりにもよって炎を使っているとき。
そのせいでシーミィの観葉植物を炭にしてしまい、キツく、それはもうキツく叱られた。
ネィダは腹を抱えて笑っていたが…。
…話を戻そう。
これらの制御を詠唱で行うとそれは魔術となる。
詠唱に使われている言語が魔力を帯び、外部的に魔法を制御するのだ。
自動制御システムといっても良いだろう。
魔術詠唱さえ知っていれば誰でも再現が出来る。
最初こそ「まぁ便利!」と思ったが、使ってみればそうでもない。
いちいち詠唱するために時間がかかる。
そのうえ決められた設定を変えられないので、融通が効きずらい。
魔力をたくさん込めれば術も大きくなるが、当然魔力の燃費も悪くなる。
自分で制御できた方が詠唱も要らず、練り上げた魔術の幅も広くなる。
これを出来るようになるのが一般的な魔術師の弟子の目標となるらしい。
テオが使う魔術はそういう魔術だった。
彼はすでに魔術書を上級まで丸暗記していた。
詠唱無しで魔術を連射する彼はさながら未来からきた殺戮マシーンのようだった。
「これぐらいできるようになれば魔法騎士団長くらいにはなれるでしょうね。」
とのことだった。
逆にいうと彼はすでにその域に居るのだ。
話が変わるがテオの本名はテオドールと言うらしい。
元々捨て子だった彼は家名を持たず、いつかはネィダの家名であるタッカーと名乗るのが夢なのだとか。
で、なぜ俺が彼から総攻撃を受けたのかというと。
これも修行の一環だからである。
魔物対策の中に対魔術戦闘が含まれている。
これはランクの高い魔物中に魔術を使う魔物がいるからだ。
コガクゥの村に来るときに粘精霊を見たと思う。
あれなどがその最たる例だ。
粘精霊は魔法に弱いが、決して耐性が無いわけではない。
地方によっては土地の魔力を取り込みその属性に変化する者がいるらしい。
取り込んだ属性と同じ魔術をつかって冒険者を襲うのだ。
名前に精霊とあるのはそのためである。
他にもたくさんの種類の魔物が人類の使う魔術とよく似た攻撃をしてくるのだとか。
その対策に対抗魔術がある。
魔術で効力を消すか、更に大きい魔術をぶつけるのである。
前者は自分よりも大きな魔術に効果を発揮する。
上級魔術ともなると制御が難しいので、要素の変化に弱い。
竜巻を作ってる横で風向きをガンガン変えて邪魔するようなイメージだ。
後者は逆に自分より小さな魔術に効果がある。
要はもっと強い火力で殴るのだ。
こちらは単純でわかりやすかった。
テオを相手取って練習を行ったのだが、まぁ強いこと強いこと。
正面から同じ魔術をぶつけ合ってもテオの魔術の方が硬いのだ。
これは魔法の強度部分の条件付けによるもので、彼のほうがその錬度が高い。
それだけ腕が良いのだ。
腕が良いのは魔術だけじゃない。
彼は剣士としても数十枚上手だった。
彼は7歳から10歳までを実地研修としてベルガー大陸の首都、水の都ベルティスで過ごした。
四大貴族の1つキングソード家が居る都で、水の女神ベルティアの名前を冠した水路が巡る美しい大都市だ。
そこの王国騎士長に直々に剣の稽古をつけてもらったらしい。
帰ってくる頃には同じ騎士団員相手に遅れを取ることは無かったのだという。
何度も手合わせしているが、彼の剣は見切れない。
右手に剣を持ち、左手は背中に回し、ほぼ真横に構える彼のスタイルは攻防一体であった。
こちらが踏み込めば下がって剣を流し、こちらが下がれば素早く踏み込み突いてくる。
常に汗1つかかずに一定の距離を保ち、カウンターを狙う。
そういう剣技だった。
スタイルは違えど戦い方はデニスに似ている。
そういう意味合いではどこか懐かしい稽古だった。
…まぁ、剣の方は上達は見受けられないが…。
それは追々なんとかしよう。
幸いにも俺には父と祖父、優秀な指導役がいる。
剣の道は鍛錬あるのみだ。
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朝日のなかを走っていく。
季節は夏に差し掛かり、暖かい空気が辺りを包む。
街道沿いの市場はすでに活気が出ていて、陽気な商人達が今日のオススメを声高に語る。
「そこ行く坊っちゃん!首都で流行の服が入ったよ!」
「ありがとうおじさん!またあとでね!」
流行の服がどんなものかは気になる。
生前と違いユリウスはイケメンだ。
将来どんな顔になるかはまだわからないが、それでもデニスに似て顔立ちは良い。
お洒落にも気を使っていきたいが、如何せん手持ちに余裕がない。
ちょっと高い服など買えば、明日からご飯は乾パンのみだ。
夏服がほしいにはほしいが…。
まぁそれはお財布次第だ。
今日はネィダが休みと宣言したのでバイトだ。
嬉しいことにクアトゥ商会は飛び込みOKなのだ。
時間が開いたら即シフトを入れている。
おかげで今のところ家賃の滞納は無しだ。
まぁ、アレクが最後の意地で月額銀貨3枚を2枚に値切ってなければこの生活は成り立っていない。
こんどきちっとお礼をせねば。
「おはようござます、クアトゥさん。」
「おはようユリウス。今日も頼むな。」
籠を持ち上げるクアトゥに挨拶をする。
彼は緑色のパオのような服を着ていた。
ドレッドヘアとその服の出で立ちは異国情緒があふれでている。
彼の仕事着であるそれは、ククゥの給仕服と同じ布から作っていた。
安く大量に仕入れたはいいが、なかなか売れず困っていた布をククゥのお母さんが給仕服に仕立てたのが最初だ。
いまではクアトゥ商会の店頭ユニフォームである。
耳長族の柔らかな色合いの金髪とマッチしていて、俺の中ではこの組み合わこそがエルフの色となっている。
ちなみに俺もクアトゥが着ている服のサイズ違いを着ている。
店で働くときは必ずこれだ。
「今日も接客と会計で良かったですか?」
「あぁ、新しい品が入ってるから後で見といてな。」
わかりました。と返事をしてから作業にかかる。
俺の持ち場は店頭の雑貨コーナーだ。
クアトゥのキャラバンはこの村に店を構えた一方で、物資調達メンバーは村から首都にかけてをグルグルと回り、仕入れを続けていた。
おかげで目新しい品々には事欠かない。
今日は干した果実と斑点もようと鱗のある動物の皮、それに骨と牙が入荷していた。
「だめだ、さっぱりわからん…。」
一目でわかるものなどは1つも無い。
動物であれば外観でわかるかと思ったが、無理だ。
この世界では図解の載った本は超高級品だ。
絵本や図鑑などは1枚1枚を画家が描くのだ。
とても庶民では手が出せない。
よって、たとえ名前を知っていても外観が一致するとは限らない。
だが心配いらない。
俺には頼りになる先輩がいる。
今日はまだ姿を見ていないが…。
「おーい!ククゥ!店を開けるから降りてきなさい!ククゥ!」
その頼りになる先輩をクアトゥが呼んでいる。
クアトゥ達が寝泊まりしているのはこの店舗だ。
2階建ての通りに面したこの家は、店舗兼倉庫兼住宅だ。
他の家と違い大樹の根元に位置していないのが特徴で、木の板と岩を組み合わせて作られている。
一階部分は手前が店舗で奥が倉庫。
幾つもの色が使われたタープの下に木箱が並び、その上に製品が並べられている。
「ククゥ!ククゥ!!」
居住区である2階に居るであろうククゥにクアトゥは呼び掛ける。
段々と声を大きくしているものの、降りてくる気配がない。
「降りてきませんね。」
クアトゥの横に並びながら言う。
「仕方ないなぁ。悪いがユリウス。起こしてきてくれないか?」
「寝込みを襲うかもしれませんよ?」
「…その時はどうなるか、わかってるんだろうな?」
冗談のつもりだが、血走ったクアトゥの目は本気だった。
「冗談ですって!」
ちゃんと弁解しておいてから俺は家の2階へ向かった。
木造2階建ての家屋は少々作りが荒い。
2階の床の隙間から1階の様子が伺えるのだ。
格安物件とはいえ野宿と比べれば屋根も壁もベットもある。
キャラバンの彼らにとっては十分すぎるのだという。
そんな一室で彼女はシーツにくるまって寝息を立てていた。
窓から射し込む暖かな光を受けてククゥの髪は白金色に輝いている。
「ククゥ。起きて下さい。ククゥ。」
扉が開けっ放しの部屋に入る前に声をかける。
彼女も女性だ。
その辺はキチッとレディとして扱うべきだ。
騎士礼節に基づき、俺は紳士であることを常にしている。
しかしククゥは目覚めない。
仕方ない。
実力行使あるのみだ。
と言っても、暴力などはもってのほかだが。
部屋に入り、ククゥに背を向けるようにしてベットに腰かけた。
少し固めのベットがギィと音をならす。
そこでやっと「んぅ。」と小さく声を出したが、やはり起きない。
あどけない寝顔を数分見させてもらう。
クアトゥもそうだが、ククゥは顔が良い。
耳長族には良くある顔だと本人達はいうが、本当だとしたらその種族全体が美男美女と言うことになる。
それはそれで素敵なことだが。
「起きて下さいククゥ。クアトゥさんも呼んでますよ。」
「んー…。」
丸めていた体をさらに丸める。
ちょうど俺が座っている場所に沿う形の寝相だ。
彼女の体温で太もも辺りが温かい。
最終手段だ。
俺は彼女の頭に手をのせてそっと撫でた。
緩いウェーブのかかった髪の毛が指に軽く絡んだあとにしゅるんとほどけていく。
「ククゥ。」
三度彼女の名前を呼び掛ける。
ようやくククゥはゆっくりと目をあけ、その寝ぼけ眼でこちらを認識した。
「…あー。ユーリだぁ…。」
のんびりとゆったりとした声で彼女は言う。
「おはようございます。ククゥ。」
「うん。おはよー。ユーリぃ。」
撫で撫で攻撃を続けるが、彼女はそれを避けようとしない。
日向で寝転ぶ猫のようである。
心地よさげに目を細める。
ずっと撫でていたいが、そうもいかない。
「起きて下さい。もうお店が開く時間ですよ。」
「はぁい…。…はい?」
突然彼女はガバッっと体を起こした。
「た、大変!!」
やっと事態を理解して大慌てでパジャマを脱ぎ捨てるククゥ。
そして大慌てで部屋から出ていく俺。
ククゥはもしかしたら着替えを見ていても怒らないかもしれないが、クアトゥのほうはどうかわからない。
命は惜しい。
「きゃあ!」
パジャマが足に引っ掛かってベットから落ちるククゥ。
「ユーリぃ!パパに上手に言っといてぇ!」
半べそ声でバタバタと給仕服に袖を通す彼女に「ハイハイ。」と返事して、俺はクアトゥのところへ戻った。
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昼食後、店には多くの客が入れ替わり立ち替わり訪れる。
「モンモの実と紋様穴蛇の皮を2つずつくれ。
「エイシャーセー。お会計銅貨8枚になりまーす。」
「あいよ。」
「はい、ちょうどですね。アザザシターァ!」
コンビニバイトさながらにスピード重視で仕事をこなす。
クアトゥ商会の品揃えは多くはないが、魔物素材が安くまとまって手に入る。
冒険者はもちろん、武器屋や防具屋も足を運ぶ。
「おぅい!この牙と骨は何のやつだ?」
前掛けをした2人組の男性が声をかける。
「牙は黒衣の野犬の牙。骨は水蜥蜴の骨です。」
「おお!そんなのもあるのか。…どうする?」
「なぁ坊主、ここの籠全部買うから安くしてくれ。」
「少々お待ち下さい。会長ー!」
さすがに値切り交渉は俺じゃ決められない。
クアトゥを呼ぶ。
クアトゥは奥の装備品コーナーを仕切っている。
魔道具も含まれるそれは高価な品物ばかりだ。
雑貨が一品銅貨1~10枚に対して最低でも銀貨5枚からの値段帯。
盗まれでもしたら大損だ。よって、常に2人体制だ。
ククゥとクアトゥが常駐している。
「どうした?ユリウス。」
「こちらのお客様が値段の交渉をしたいと。」
「あぁ、わかった。少し代わってくれ。」
「はい。お願いします。」
こういうときは代わりに俺が入る。
人の目があるだけで、犯罪率は下がる。が。
「ねぇ、ユーリ。」
「うん。」
ひそひそと声を交わす。
先ほどまでクアトゥと話していた魔族の冒険者が店内に1人。
青白い肌に目が三つあるスキンヘッドの男性客だ。
薄汚れたローブの下からは肌と同じ色の尻尾が垂れている。
彼はクアトゥと値段交渉をしていた。
火の魔法が付与されたナイフを彼は値切ったが、最初に提示した値段の桁が1つ足りなかった。
その後もなんとか背伸びした彼だったが、クアトゥに悪いが売れないな。と一蹴された。
その後も恨めしそうにナイフを目に店内をウロウロしていたのだ。
周りをキョロキョロ。
なにやら葛藤のある表情で落ち着かない様子である。
欲しい。でも金がない。しかし諦められない。
そんな状況でやることは想像がついた。
案の定、彼は素早く商品を懐へと忍び込ませた。
「万引きだ!!!!!」
俺は出来る限り大きな声を上げた。
途端に男は走り出す。
店先でクアトゥが彼に掴みかかるが、ヒラリと実を翻して脱出。見かけ以上に素早い。
そのまま街道へと走っていく。
人混みに紛れられたら追跡は無理だ。
「逃がすか!」
通りへ飛び出して地面に手を付き、土魔術を使う。
土の初級魔術土壁。
本来防御用の魔術を万引き犯の目前に展開した。
魔力が地面を伝い、巨大な土製の角柱が勢い良くせり上がる
「魔術か!?だが、このくらい!」
土の壁に衝突目前、彼は上へ飛び上がった。
俺としては、予想通りだ。
俺は次の手を放つ。
角柱の上の面から、さらに土魔法で練った石柱を勢い良く伸ばす。
空中では受け身など取れない。
石柱に胴体を打ち上げられた男はグエェとカエルのような声をあげて吹っ飛び、俺の前に転がった。
悶絶する彼をクアトゥが取り押さえる。
憎たらしいとこちらを睨む彼に俺は口を開く。
「魔法はこうやって使うんだよ。」
かつてのオルコの決め台詞であった。
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万引き冒険者は自警団に引き渡された。
幸いにも怪我人は無く。商品も無事に帰って来た。
「魔法の後片付けはちゃんとするように。」との指示だったので、それはささっと済ませておいた。
「すごい!すごいよユーリ!」
ククゥは眼を輝かせながら駆け寄ってきた。
「たまたまですよ。師匠が魔法を教えてくれなかったらあんなこと出来ません。」
一応、謙遜しておく。
土の魔術は魔術教本を読んで覚えた物なので、実質ネィダはなにもしてないが。
それでも俺に魔法を教えたのは彼女だ。
リスペクトを忘れてはいけない。
「でも1人でやっつけちゃうなんてすごいよ!かっこよかった!」
凄い、格好良い。
少ない語録から惜しげもなく褒め言葉が浴びせられる。
尊敬の眼差しがこそばゆい。
当然、悪い気はしない。
「え、エバーラウンズの家の者として当然の行いをしたまでです!」
えっへんと胸を張る。
照れ隠しだ。
顔が少し赤くなる。
誉められるのは好きだが慣れてない。
気を抜くと頬が緩む。
「本当にありがとうな。ユリウス。それだけ強ければ今度の遠征は護衛を頼めるかもな。」
「「本当!?」」
クアトゥの言葉に俺とククゥが同時に声をあげる。
俺としてはそれだけの実力がついたと評価されたことが嬉しかった。
しかしククゥはちょっと違うようだ。
「そうしようよユーリ!もっと一緒に居られるね!」
ククゥの言葉にクアトゥは狼狽した。
いや、まだそういうのは早いぞ!と焦り焦り言葉を紡ぐ。
旅の一生を送るキャラバンの彼女は同世代の知り合いが少ない。
きっとさみしい思いをしたのだろう。
俺としても就職先としては申し分ない。
福利厚生もお給金も上々だ。
「そうですね。その時はその仕事、お受けします。」
俺がニコッと笑うと、ククゥも花のような笑顔で返す。
この笑顔の側で守れるなら、それも素敵かもしれない。
将来への淡い想いを抱きながら仕事へと戻った。
人物紹介
更新
ユリウス・エバーラウンズ 四歳 人族 魔術師の弟子
四大属性の習得を期に魔術師としての頭角を現す。
故郷の森林焼失事件で金策難に陥るも、クアトゥ商会の手助けで難を逃れた。
魔女に言い寄られる姿が酒場で幾度か目撃されている。
更新
ククゥ 十一歳 耳長族 商人。
クアトゥ商会の長女。ベットの寝心地が病み付き。
すでに大人顔負けの交渉術を持ち、買い物上手とコガクゥの村では噂になっている。
また、足蹴く本屋に通っていて品揃えや価格帯を細かく記録している。
好きなタイプは尖った人とユリウス・エバーラウンズ。