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プロローグ

主人公の前世のお話。


 午前5時45分


 携帯のアラーム音で目が覚める。

 あんまり寝られなかった。

 体が重い、頭が痛い、熱っぽい。

 ガタガタと震え、思うように動かない手を枕元の体温計に伸ばした。

 何度か外した後にそれを捕まえて脇に挟む。


 午前5時48分


 体温計を顔の前に持ってくる。


 40.6℃


 ぼんやりとした頭で液晶の数字を見つめる。

 こんなに熱って出るもんなのだなと思いながら諦めたように脱力した。

 ボスンと音を立てて腕が布団に沈み込む。


 午前5時50分


 携帯のアラームが鳴る。


 起きなければ。

 出社しなければ。

 今日休んだら三日連続欠勤だ。

 すでに聞き飽きた上司の小言でも言われると傷つく。


 アラームを止めるべく伸ばした手はコツンと携帯をはじき、ベットから追い出してしまう。

 固い音を立てながら携帯は床に落ちた。

 アラームとバイブレーションの音が安アパートの部屋に響く。


 ハンガーに掛けてある寄れたスーツ。

 空き缶がそのままの机。

 読みかけの漫画。

 それらの映る視界がグニャリと歪んで、遠のく。


 こんな状態で仕事など。

 そう思い、携帯を拾おうとするも手が届かない。

 体は動かず、手だけが彷徨いながらベットの下へと延びる。


 救急車、救急車。

 何番だっけ。

 いや、それより大声を出して助けを。


「──ぇ、か──……」


 声にならない。

 ただただ異様に熱い吐息だけが部屋の静けさに消えていく。


 誰か助けて。


 ジワリと涙が浮かぶ。

 心臓の音が大きくゆっくりと聞こえる。

 息が苦しい。それとすごく寒い。

 間違いない、このままだと死んでしまう。


 助けを呼ばなくては、助けを。


 ……誰に……?


 フッと冷静になったところでだらりと腕が垂れた。

 携帯画面のアラーム停止のボタンに指が触れ、部屋は静けさを取り戻す。


 そこで俺は死んだ。

 孤独死だった。


 ---


≪ある男の走馬灯≫


 古いブラウン管テレビのようなノイズだらけの思い出を見ていた。


 何の変哲もないどこにでもある家庭の長男として生まれた。

 寡黙な父と甘やかしがちな母に育てられ、俺は育った。


 弟が生まれ、妹が生まれ、次第に手をかけられなくなったからなのか。

 成長するにつれて兄の立場を意識するようにと両親は口々に言った。


 お兄ちゃんなのだから弟妹の面倒を見なさい。父の言葉。

 お兄ちゃんなのだから我慢しなさい。母の言葉。


 俺は努めて面倒見の良い我慢強い兄であることにした。

 下の子たちは懐いてくれた。


 学校に通うようになって将来の夢を書く宿題を与えられた。

 周りの子供たちは嬉々としてそこに自分の夢を書いていく。

 野球選手。

 花屋さん。

 アイドル。

 勇者。

 目を輝かせながら彼らは口々に夢を語る。


 俺はその欄を埋めることができなかった。

 なりたいものとは何だろうか。

 わからない。

 きっと父さんと母さんならわかるはずだ。


 俺は両親にそのことを打ち明けた。


 お母さんに聞きなさい。父は言った。

 お父さんに聞きなさい。母は言った。

 下の子たちはまだよくわかっていないようだった。


 俺はその宿題を提出することができなかった。


 進学の時期になった。

 周りの学生たちは期待と不安に胸を高鳴らせていた。

 ○○高校の野球部推薦を貰えた。

 ××女子の試験判定Aだった。

 バイトしながらお金をためて養成所に行く。

 滑り止めでも受かればどこでもいいや。


 俺は何も決めることができなかった。


 金がないから安い学校へ行け。父は言う

 なんでも出来るよう私立の学校に入りなさい。母は言う

 下の子たちは自分のことで精一杯。


 出遅れた俺は、名前さえ書いておけば合格できるとまで言われる大学付属の高校に進学した。

 お金は結局、母方の祖母が工面した。


 俺は勉強ができなかった。

 俺は運動もできなかった。

 頭も顔も良くない俺は同じような感じの友人とつるんだ。


 彼らとエスカレーター式で大学に行った。

 女っ気もなく、講義がない日は朝から晩までゲームをしていた。

 バイト代を使い込みながら漫画を買いあさりもした。

 たまにカラオケに行き、男だらけで飲みをする。

 コンパなんて華は無い。

 負け犬同士の傷の舐め合いだった。


 その頃には両親から何も言われなくなっていた。

 父は家に居つかなくなり、

 母はパソコンの前に一日中座っていた。

 下の子たちは母の眷属となり惰眠を貪っていた。


 家の中は薄暗くゴミだらけで、カーテンを開ける日などなかった。


 このままではいけない。

 気づくのが遅かった。


 俺は家から逃げることを決めた。

 初めての決心だった。


 大学卒業後、俺は苦心の末に就職した。

 県外の製造業で親元を初めて離れて働いた。

 ひどい職場だった。

 歩いていれば歩き方が気に入らないと工具を投げつけられる。

 ミスをしてもしなくても胸倉を掴まれて怒鳴られる。


 俺はそこからも逃げだした。

 頼る人もいないまま飛び出したのだ。


 そして地元に帰り、数少ない友人に頭を下げて再び職に就いた。

 その頃の友人たちとの差は大きかった。

 ある人はすでに子供がいた。

 ある人は会社の重役になっていた。

 ある人は念願のアイドルとなっていた。

 ある人は実家の家業を継いでいた。


 皆一様に何かを得ていたが、俺だけが何も得ていなかった。


 そして月日は流れて今しがた。

 31歳の誕生日の日に風邪を拗らせて死んだ。

 貯金無し、妻子無し、車無しのブラック勤め。

 誰にも看取られず、独りで死んでしまった。


 ---


 ブゥンと音を立てて走馬灯は終わった。


 見返してみれば惨めな生き方をしたと思う。

 まぁ、それでもどこにでもある程度の人生だろう。

 余り卑下しすぎることもない。


 出来ないなりに頑張った人生だったじゃないか。

 未練なんて無い。


 だけどなんというか、胸にぽっかりと穴が開いた人生だった。

 汲めども汲めどもそこから何かが零れ落ちていくような、そもそもそこに何もなかったような。

 そんな人生だ。


 我ながらちょっと虚しくない?と思ってしまう。

 何がとは言わないが。


 いや、もっとこう……

 そう、せめて誰かに傍にいてほしかった。

 最後に誰かに別れを惜しまれながら安らかに息を引き取りたかった。


 未練なんて無いなんて無い。

 もっと素晴らしい人生を送ってみたかった。


 そう思う。


 せめて、せめて来世こそは

 明るい未来を描きたいなぁ……。


 あ、もうダメだ。

 時間切れらしい。

 意識がゆっくりと閉じていく。

 成仏の時間みたいだ。

 あの世ってWi-Fiつかえるだろうか。


 ん?……何か聞こえる……?

 赤ん坊の声……?


 俺の意識はそこで一度閉じた。

主人公 孤独死。

死因は発熱と栄養不足による衰弱死であった。

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