雀と女童
お立ち寄り下さりありがとうございます。
この部分は、短編版と変更はありません。
シリーズ本編と主人公たちの性格が異なっています(あまり異なっていない人もいます)。
前世で苦労して変わってしまったのですが、イメージが崩れてしまいましたら、
誠に申し訳ございません。
「僕の妹がね、――」
――また始まった
直信は母方の親戚で歳も近く、人の好い性格だと思っているけれど、これだけはいただけない。
彼と話すときに妹の話が出なかったことはないのだ。
高直は、もうその先を聞く気を無くしたが、表には出さないだけの分別は身につき始めていた。
元服してもいない7歳の自分にしては上出来だろうと、自画自賛する。
そんな高直の胸中に気づくこともなく、直信は頬を緩ませて、自分の妹の可愛らしさをいつものようにとくとくと語っている。
高直には妹も姉も兄弟すらいない。
見たこともない直信の妹の可愛らしさを語られて、ついていけるはずもなかった。
そもそも、今日はどんな話にもついていける気がしない。
「どうしたの?今日は沈んでいるね」
直信はすぐに高直の様子に気が付き、妹の話を打ち切った。
直信のいいところは、相手が自分の話に興味がないと分かると、あっさり話を終える所だ。そして加えるなら、直信はそういった他人の気配を読み取ることに恐ろしく長けていた。
そのため、直信の妹の話は今までで最短の時間で終わりを迎え、高直は少し恥ずかしさを覚えて俯いてしまった。
表に出していないつもりだったが、それは思い上がりだったようだ。
ばれてしまったのなら、もう仕方のないことだと、高直は素直に告白する。
「ああ。ごめん。母上が飼いならしていた雀を、僕がうっかり逃がしてしまったんだ」
母は高直を責めることなど特にしなかったが、籠から飛び立っていった雀を眺め続けた母の様子は、高直の気持ちを沈ませるには十分だった。
「雀…」
直信がゆっくりと呟く。
「家では猫も飼っているから、もう食べられているかもしれない」
自分で言葉にしながら、高直の胸に鋭い痛みが走った。
自分のしてしまったことへの逃れられない罪悪感に打ちひしがれた。
せめて猫が痛みのないような襲い方をしてほしいと、目に涙をためて考えていると、衣擦れの音がして直信がこちらに近寄ったのを感じた。
「悲しむ前に、少し試してみようか」
直信の優しい声につられて、目を瞬かせて向き直ると、彼はその優しい面立ちに似あうにこりとしたほほ笑みを浮かべて、こちらを見ていた。
◇
半刻ほどたった式部卿の宮邸で――、
桜や梅、橘など様々な木が植えられた庭が、見る者を和ませる空間になっていたが、高直には全くその庭を愛でる余裕はなかった。
高直は心の臓が壊れるのではないかと思うほどに強い自分の鼓動を感じながら、直信と彼が連れてきた「女童」と共に、庭に面した階に腰を下ろした。
直信が屋敷に来たことは初めてではなかったが、「女童」を連れてくるということは初めてのことだし、あり得ないことだった。
実際、誰かに少女のことを訊かれた場合は、「母上付きの新しい女童」と答えることになっている。
御簾から自分付きの女房達の視線を痛いほど感じていたが、何の説明もせず無視を決め込む。
直信が何を試すのか教えてもらっていない高直に、説明などできなかったのだ。
むしろ、僕に説明してほしい――
高直は、扇で顔を隠した「女童」にちらりと視線を向けた。どうみても高直の胸ほどまでしか背丈のない、本当の童だ。何か仕事ができるとは思えない。
いったいどうしてこの「女童」を連れてきたのだろう?
疑問が頭に溢れかえっている高直をそのままにして、直信は優しく「女童」の頭を撫でた。
「僕はだれかこちらに来ないか見ているよ」
直信は階を上り、簀子に腰を掛けた。
残された「女童」はかざしていた扇を閉じて、こちらを向いた。
――!
高直は自分の世界が変わった気がした。
雀も、御簾の内の女房も、直信のことも消し飛んでいた。自分の世界の中にあるものは、目の前の少女だけだった。
にこりと笑いかけてくれたその少女に、高直の目は、高直のすべてが奪われた。
透けるような白い肌、照り輝くような艶やかな髪、紅など必要のない薄桃色の唇、何より目を引いたのは、直信とよく似た優しい雰囲気を湛えた瞳が、直信にはない愛嬌を備えているところだろう。
高直の頭に、一つの言葉が浮かんだ。
可愛い――
直信の気持ちがはっきりと分かった。
こんな可愛らしい小さな妹が自分に微笑んでくれれば、自慢したくなるはずだ。
現に、高直は今自慢したくて仕方がなかった。
先ほどとは違う鼓動を感じながら、高直は彼女の瞳を一秒でも長く自分に向け続けてもらうために、話かけた。
「名前は何というの?」
彼女はちらりと直信に視線をやってから、人差し指を口に当て、首を振った。
「お兄様が名乗ってはいけないとおっしゃったの」
やはり家人ではなく、直信の妹なのだ。確か、直信の「直」の字を名前に入れたから、お揃いなんだと、彼が訳の分からぬ自慢をしていたのを思い出していた。
自分にも「直」の字がある。僕ともお揃いになるじゃないか
高直は自分の名前が突如素晴らしいものに思えた。
「直子」というお揃いになる名前を教えてくれないなら、なんと呼び掛けていいかと声をかけあぐねていると、少女はつと高直の後ろに回った。
彼女の衣が触れるほどの近い距離に、高直の鼓動は一段と跳ねた。
「目を閉じていてね」
小さな手が高直の目を塞いだ。
温かな小さな手の感触が心地よく、高直はその手に頬ずりしたいと思ったとき、高直の頭の上で、雀の鳴き声がし始めた。
――!
その鳴き声は、先ほどの愛らしい少女の声でもあった。
先に少女の声を聞いていなければ、雀の鳴き声としか思わなかったであろう程の、見事な鳴き声の真似だった。
彼女がその小さな可愛い手で自分に目隠しをして、見られることを防いだように、確かに鳴き声をまねて鳥寄せをするなど、決して貴族の姫のすることではない。
けれど、高直には愛らしい少女が愛らしい雀の鳴き声を出すことは、抱きしめてしまいたいほど可愛らしいと感じるものだった。
高直がその愛らしい鳴き声に聞きほれていると、やがて、その愛らしさに応えるように鳴き声が加わった。
雀が、少女の鳴き声に誘われて、やってきたのだ。
それは素晴らしいことであり、そもそもの目的であったことだが、高直は雀に少女の鳴き声を邪魔された気がして、心持ち雀を憎らしく思っていると、小さな指に留まった雀をそっと差し出された。
「この雀?」
正直なところ、高直には雀を見分けることなどできなかった。
それでも、彼女の協力を無駄にしたくはなくて、母上も見分けることはできないことを祈りつつ、彼は頷いた。
その途端、直子は顔を輝かせて喜びを露わにした。その輝きは高直の胸まで照らすようだった。
この笑顔を見られるなら、何度でも雀を逃がしたい――
高直はうっとりと笑顔に見惚れながら、半ば本気でそんな思いを抱いていた。
お読みいただきありがとうございました。