06話
「お母さん、お姉ちゃんと陽月先輩は?」
「朝早くから車で出かけたわよー」
どうやらあの二人、相性がいいらしい。
そのままお姉ちゃんを好きになってくれたりすれば綺月と接する時もう少し楽になるんだけど……。
「錦……おはよ」
「おはようございま――寝癖、凄いですよ」
「うん……いつも朝はこうなんだよね、洗面所借りるね」
「あ、私も行きます」
顔を洗ったり髪を整えているところを後ろから観察。
「錦、汐梨と香海さんは?」
「なんか出かけたらしいですよ」
「そっか、私達はどうする?」
どうすると言われてももう最終日付近のうえにやれることはほとんどやってしまった。
実はずっと陽月先輩はお姉ちゃんといたから綺月は放置されがちになっている。
だからこうして必然的に一緒にいることが多くなった結果、なんか向こうも嫌そうではない気が。
「錦?」
「ち、ちかっ」
「あ、ごめん、ぼうっとしていたから。あ、どうぞ」
「は、はい」
いざ暇だってなるとなにをしていいのか分からなくなるな。
適当に顔を洗ってタオルで水滴を拭いていく。
鏡越しに確認すると綺月はこちらではなく違う方を見ていた。
「部屋でのんびりしましょうか」
「そうだね」
というかこの人達、連休全部いるつもりなんだろうけど許可は得ているのだろうか。
「ね、膝枕してあげる」
「え、どうしたんですか急に」
「なんか無性にしたくなったの、いいでしょ?」
「それじゃあ失礼します」
○○してあげると言われたら基本的に断らない自分、体重を預けさせてもらうと大変心地のいい感触が後頭部に……。
「ね、こっち向いて?」
「はい」
下から見つめると距離が近いことを意識してしまう。
彼女の太ももの感触、見える胸の膨らみや顔、うーん……。
「こうやって見ると胸がありますね」
「そう見なくてもあるよっ」
「ははは」
そうだよな、だって私達は一緒に入ったくらいだしな。
残念ながら長時間語り合うとかはできなかったけど、ちゃんとその服の下のそれを覚えている。
「ただいまー!」
という声が下から聞こえてきて慌てて「起きてっ」と綺月が言ってきた。
なんか浮気をしているみたいだなこんなの、そんなに慌てるならしなければいいのに。
「ただいま! っと、部屋でなにをしていたんだい?」
「時間が経つのは早いですねってことをですかね、ほら、GWはもうすぐ終わりますし」
「なるほどー! うむ、それは私もそう思うよ」
「そういえば陽月先輩、お姉ちゃんと仲良くしているようですね?」
「汐梨でいいよ。うん、香海さんは一緒にいて楽しいからね」
お酒を飲まなければいい人だから実は~とかないだろうか。
だけど綺月の先程の反応を見るに、やはり寂しさを紛らわせるために私を利用しているだけなのかも。
「錦、ちょっと二人きりで話さない?」
「別にいいですよ。山本先輩」
「うん、分かった、下に行ってるね」
綺月がとたとたと部屋から出て汐梨先輩と二人きりになった。
彼女は床にストンと座ると、腕を組んで実に中途半端な表情を浮かべる。
「うーん、綺月がーとか口にしておいてなんだけどさ、香海さん……なんかいいかなって」
「え、そりゃないですよ、山本先輩のことはどうするんですか」
もしそうならって考えていたけど、いざ実際にそうなると困ってしまう。
「だって綺月、錦とばっかりいるじゃん」
「それは汐梨先輩がお姉ちゃんと出かけてしまうからですよ。消去法です、それしかないんですよ」
ここは慣れない場所だ、あまり個人で勝手するわけにもいかない、その点、私といればある程度は自由に行動できるのだからそりゃいようとするだろう。
汐梨先輩がお姉ちゃんといるように、綺月もそうしているだけ。
「本当にそれだけ?」
「……とにかく、本人の前で他の人が気になるとかは言わないであげてくださいね」
「分かったよ」
「はい。すみません、余計なことを言って」
「いや……錦は間違ってないよ」
影響されやすいのか、単純に身近な人の名前を挙げただけなのか。
私は汐梨先輩ではないから本当のところが分からない、だからもどかしい。
「香海さんのところに行ってくるね」
「はい、お姉ちゃんも汐梨先輩のことを気に入っているようですから」
「そうならいいんだけどね……」
これ、恋する人間が浮かべる表情だ、あの時、綺月が浮かべていたものでもある。
「錦」
「え、なんでここに……」
「実はずっと廊下で聞いてた」
おぅ……この人もなんて余計なことをしてくれるんだ。
彼女は私の前に座って実に曖昧な表情を浮かべてこちらを見ていた。
そんなに見られても自分は関係ないのだから勘弁してほしい。
「汐梨、香海さんが気になってるんだね」
「……一応、ちゃんと言っておきましたけどね」
「ふふ、聞いてたよ、錦は優しいんだね」
となると、これが今度は可能性が潰えた人間の顔なのだろうか。
絶望しているようには感じない、それどころか「そうなんだー」くらいにしか見えない。
「錦、やっぱり外に行こ」
「いいですよ、どうせ暇ですし」
案外気に入った場所ができたのかもしれない。
あのクレープを食べた場所とか、あそこはまあ結構遠いけど。
母に出かけてくることをきちんと説明してから外に出て歩いていく。
「私、来て良かった」
「それなら良かったです」
「錦のお母さんもお父さんも香海さんもみんな好き」
「私も好きですよ。幸い、みんな仲良くいられていますから」
ただまあ父は最初の歓迎ムードはどこかへいってしまったのか、休みなのをいいことに男友達とずっと別の場所でお酒を飲んでいるようだけど。
真っ昼間からベロンベロンに酔って帰ってくることもあるために母からよく叱られているところをこの短期間で何度も見た、私的にはせっかくの休みなんだから休んでくれればいいと思っている。
父の相手ばかりもしていられないし。
「そこ、座ろっか」
「分かりました」
あー、だけど綺月と堂々と同じ場所で過ごせるのもあと今日と明日だけか。
それはなんか悲しい、向こうに戻ったらいまみたいにはいかないことだろうから。
「まさかねえ、汐梨の口からあんなこと聞けるなんて思わなかったけど」
「それ、良くない手段ですけどね」
「うっ……あ、あの子ってさ、基本的に誰にでも近づくけど踏み込もうとはしないんだよ、そういう話題になったらスルーすることばかりだった。芝居がかった話し方をするのもそういうこと、だから私の時もそうだったでしょ?」
「そうですね、私には半分半分というところですけど」
「うん、多分だけど錦は話しやすいんじゃないかな、だから苦労することも多いだろうけどね」
そうだよ、板挟みにされる側の気持ちもちゃんと考えてほしい。
だって「香海さんがいいかもしれない」なんて言われて「じゃあ頑張ってください」なんて言えない、どれほどのものかは分からないけど綺月の気持ちも聞いてしまっているからだ。
なのにあの人ときたら、自分中心なのか、そもそも他人なんて関係ないのか、それかもしくは全てが表面上だけのものなのか、分かるのは本人だけだから質が悪いよなって話。
「でもないですよ、『綺月かなあ』なんて言っておきながらお姉ちゃんがーなんて」
「一目惚れとか一緒に過ごしてみたら惹かれていたとかないこともないでしょ?」
「そうですね、それが実際にいまの汐梨先輩なんですから」
自分が体験したことはないものの、近くでそれを見ているわけだ。
けれど、その人を気になっている人がいるとしたら、落ち着かなくて仕方がないだろうな、こっちを向いてくれていると思っていたら他の人が気になるとか言い出すんだから、しかもそれを平気で聞かせてくるんだから大変だろう。
「…………」
「ん? どうしました?」
「名前……呼ぶんだ」
「あ、まあ、本人に許可されましたから」
そういえば綺月、汐梨先輩が私のことを名前で呼んでいても突っかかることがなくなっている。
それどころか本人だって呼んでいるわけだし、そんなことどうでも良くなったのかもしれないけども。
「おかしいですかね?」
「おかしくはないよ。私だって汐梨って呼んでいるし、本人が許可したんだから普通だよね」
「なら継続しますけど」
「でも、錦の口から聞きたくない……」
単純に汐梨先輩のことを諦めきれていなくて名前で呼ばれたくないのか、それとも……私のことが気になっているから「他の子の名前を出さないでよ!」というやつなのかな……。
「二人きりの時は私だけ……」
「そもそも汐梨先輩のこと話し始めたの綺月ですけど」
「これからは変えてほしい」
「うーん、たまに出ちゃうかもしれないですけど、そこは我慢してくださいよ?」
なんだこの複雑な関係、天寧や京菓なんかこんなの絶対になかっただろ。
自然に純粋に近づきたくて近づいて、順調に仲を深めて恋仲に、なのに私達は消去法というか利用されているような、まあそんな感じ。
結局この人がなにをしたいのか分からない。
仮に私のことが気になっているということなら、先程の膝枕だって堂々と見せてやれば良かった。
そうすれば汐梨先輩は逆に燃えるか、お姉ちゃんに流れるかって選択肢を絞れたというのに。
「錦的にはもう終わっているのかもしれないけど、私はまだ『変な遠慮しないでください』って言われたこと、継続中だと思っているから」
「……ま、口にしたのはこちらですからね、しょうがないですね」
「だから手、つなご?」
「じゃあ約束してください、汐梨先輩の前でもするって」
……この中途半端な状態をぶっ壊す。
汐梨先輩の中に残っていたとしても知るか、自分のモヤモヤを晴らすために行動するんだ。
自分を優先して汐梨先輩や綺月が行動しているのなら、それならこちらだってこうしていいはず!
「え……と、というか、もう名前が出てるよっ」
「真面目に言っているんです、私とそうしたいのなら守ってください。それとも、先輩のくせに私にばかり求めるんですか? 後輩は寂しい気を紛らわせるために使用する道具なんですか?」
「……そんなことはないけど」
「汐梨先輩のことが気になるならこんなことをするべきではないです。でも、気にならない、それでもしたいということなら堂々とやりましょう。コソコソするのは嫌です、だって後ろめたいことをしているみたいじゃないですか」
わざわざ外に出てすることじゃない。
どうせやるなら目の前で堂々と、それが一番自分らしいから。
「いまだから言っておきますけど、綺月の願いが叶うかもしれないと分かった時モヤモヤしていました」
「それって汐梨が『綺月かなあ』と言った日のこと? あ、だから冷たかったの?」
「……だってもうこっちなんかどうでもいいくせに『それじゃあね』なんて言うからですよ。どうせ会う気がないくせにって……なのに平気で顔を見せてくるし……豚カツ狙いにくるし……グイグイくるし……とにかく曖昧な状態がむかつくんですっ、だから! ここで選んでください」
手を差し伸べて続きを言う。
「汐梨先輩のことが気になるならこのまま帰ってください、でも、気にならないということなら手を取ってください、消去法ではなく今度こそ自分の意思で選んでください」
ここで汐梨先輩を選んだのなら今度こそ真っすぐに応援する。
でももしここで手を取ってくれたのなら、変なことで引っかからずに綺月といたいと思う。
その先でどうなるのかは分からないけど、彼女が自分の意思でいてくれているのならってちゃんと見るつもりだ。
「……そういうつもりは……」
「どちらか選んでください。汐梨先輩を選ぶ、それかもしくはどちらも選べないということなら、もう来ないでください」
「……どうしてそう極端なの?」
「モヤモヤするのが嫌だからです。そのために私はいま、綺月に求めているんじゃないですか。それともやっぱり私には我慢しろと?」
どっちもなんて選択をすることは許さない、そんな調子では本命の横にいる権利を獲得することはできないんだぞ。
「まだ選べない……」
「なら決められたら教えてください」
「そ、それまでは?」
「別に話しかけるなとは言わないですよ」
「そ、そっか……良かった」
……こちとらなにも良くないけど。
手を繋ぐことを求めてきているのに汐梨先輩の前でできないってどういうことだよ。
こうして二人きりで行動していたら怪しまれるってことが分からないんだろうか。
それにもうすでに本人は私と的なこと考えているというのに、いまいちスッキリしない対応をする。
「ちゃんと守ってくださいね、汐梨先輩を選ぶのなら来ないことを」
「やだ」
はぁ? じゃあなんなら守るんだよこの人は。
結局その後も説得を試みたけど意味なく終わったのは言うまでもない。