05話
「錦……ここら辺を歩きたいんだけど、案内してくれない?」
「……いいですよ、分かりました」
このまま部屋にいても暇だし、たまにはこっちをゆっくりと歩くのもいいだろう。
靴を履いて外に出て待っていると、やって来たのは山本先輩だけだった。
「あれ、陽月先輩はいいんですか?」
「お昼ごはん食べすぎて動きたくないー! だって」
「じゃあ二人で行きましょうか」
「うん」
とはいえ、紹介できるなにかがあるわけでもない。
普通の道、小さな公園、コンビニ、駅、喫茶店、ファミレス、大きな公園――なにも決めずに歩いていても必要最低限のお店などはあるわけだけど、逆にこれだ! というものがないため私にとって新鮮さはなにもなかった。
けれど、初めて訪れたであろう山本先輩にとっては違ったらしく、なんてことはない道でも「わぁ」と声を漏らしていた。
……なんか悪い気はしないからどんどんと歩いてこっちの景色を見せていく。
「そういえば山本先輩の私服、初めて見ました」
「そっか、まあ……普通のだけどね」
「でも、可愛いと思いますよ」
「え゛っ……」
「ま、思っていても自分で言うのは気が引けますよね。大丈夫ですよ、可愛いですし、似合っています」
私服でスカートとか私には似合わないし、見えてる生脚とかちょっとぐっとくる。
「ちょっと休憩しましょうか」
「そ、そうだね、ちょっと足が疲れたし」
ちょうどクレープの移動販売車があったので二人分買ってきた。
「はい」
「ごめん、お金かばんの中……」
「いいですよ、これはお詫びです」
「お詫び……うん、ありがとう」
うーむ、だが甘いのは似合わないとか考えて自分にはツナを買ったの間違いだったかも。
いや、美味しいのは美味しいんだ。
だけどさっきごはんを食べたばかりだし、こういう意味でお腹を満たす必要は正直に言ってない……。
「あっ……錦、食べる?」
「い、いいですよ」
「わ……たしもツナ、ちょっと食べてみたい」
この人って結構食いしん坊さんなのかな? 外食に行った後に豚カツを求めようとして家に来たくらいだし、本当はヤバいくらい食べられるのかもしれない。
「え、じゃあ……あ、あーん」
「あむ…………うん、普通に美味しい」
「あ、付いてますよ、ジッとしていてください」
うんまあ、馬鹿だったよね私が、だってそれを取ろうとするということは山本先輩の唇に触れるってことなんだから。
「と、取れましたよ」
「あ……ありがと」
いやこれ、最低の行為だろ、陽月先輩が気になっている人とこんなこと……。
「ほ、ほらっ、錦も!」
「……私はいいですよ」
「なんでっ? 私がなにかしたっ?」
なにかしたって本当に分かっていないのかな?
「山本先輩」
「なにっ?」
「陽月先輩に集中してください。いいですから、無理して来てくれなくても。あと……この前のは嘘です、あれは私の姉です。ごめんなさい、でもあの時だけは山本先輩といたくなかったんです」
「……なんで?」
「……山本先輩が陽月先輩と食事に行くって聞いていたのに、私はあなたの分までお肉、買っていましたから。だけどお姉ちゃんが来て作ってしまったので……」
上がられてもあげられるものがなかった。
それは揚げ物なのにあげられないとはなんだという話だけども。無限ではないのだから仕方がない話ということで諦めてほしい。
「え……ということは本当はあったってこと?」
「……なぜか多く買っていました。だってあなたは食いしん坊さんですから」
「……いまだから言うけどさ、本当はあの時、行かなかったんだよ?」
「え……?」
「でも、早くに行ったら錦は『なにをやっているんですか!』って絶対に怒るから、お店に行った後だったらこんな時間かなと思って家に行かせてもらったんだけど……」
なんだそれ、最近の傾向から考えるとそもそも約束がなかったことすら有り得そうだけど。
「あのさ……それでも仲良くするのってだめ?」
「いえ……駄目ではないです」
「ならさ、冷たくするの……やめてよ」
「……分かりました」
くそっ、先輩のくせに甘えてきやがって。
なんでそんなにこだわるんだ、私と一緒にいたってなんにもならないのに。
だけど一番悔しいのは、私の心が喜んでしまっているということ。
「錦、二人だけの時でいいから、綺月って……呼んでくれないかな?」
「山本先輩、あの最初の時のあなたはどこにいってしまったんですか?」
「いいでしょ友達なら……遠慮すんなって言ってくれたし」
「……綺月、これでいいんですか?」
しかしいいのかこんなこと。
もし陽月先輩にバレたらボコボコにされるんじゃないのか?
まさか冗談ということもないだろうし、綺月が魔性の女ってのことなのかね?
「敬語もやめてくれたらもっといいけど……」
「それは駄目ですよ。でも、仲良くするのは別に嫌じゃないです」
「二人きりの時でもだめ?」
「……いや、特に目新しさはないですよ? それに先輩後輩って感じのいまの形もいいと思いますけど」
「あ……そっかっ、そうだよね!」
まさかな……あの最初の電話の時馬鹿にしなかったことが影響しているわけではないだろう。
あれであっさりと私のことを気に入ったのならチョロインと呼ばざるを得ない。
「さてと、そろそろ帰りましょう」
「そうだね」
あまり長時間一緒にいて疑われたくない、普段と違って逃げ場が一切ないのでどうしようもないからだ。
「ふふふーん」
「楽しそうですね」
「うんっ、こっちも好きかも!」
「落ち着く場所ですね」
とにかく落ち着くそんな場所。
好きだと言ってもらえるのは自分のでもなんでもないのに嬉しかった。
「ぐふぇ……また食べ過ぎたー……」
「陽月先輩、いい加減学んでくださいよ」
「だってさって……美味しいんだからしょうがないだろー……」
私も手伝ったから美味しいって言ってもらえるのは嬉しいけど、それで毎回動けなくなっているのは正直に言ってちょっとアホだと思う。
「そうだ錦……肩を揉んでおくれ」
「別にいいですけど、山本先輩に頼まなくていいんですか?」
「綺月はいまお手伝いをしているからなあ……」
「分かりました、それでは座ってください」
あ、揉んでみるとなにをしているのか凄くガチガチだった。
正直に言ってごはんを食べては「食べ過ぎた……」と言っているイメージしかないのに……。
「うむ。お、おぅ……き、気持ちいい……」
「へ、変な声を出さないでください」
「あっ……ちょ、わざとやっているだろうっ?」
「いえ、それはそちらが遊んでいるだけです」
「い、いや、本当に声が……んんっ」
無心無心、こんなの絶対に作り声に決まっている。
けれど向こうから香海と綺月が来てしまった。
「綺月……錦はテクニシャ……ン」
「肩を揉んでいただけですからね」
「お姉ちゃんにもしてー、今日いっぱい運転したから疲れちゃった」
「うん、任せて」
こういう時でしか返せない、だから念入りに、けど優しく肩を揉んでいく。
「おぉ……気持ちいいね」
「そう? なら良かった」
「運転は好きだけど、どうしたって疲れるからね」
「それもそうだけど、いつもお仕事お疲れ様」
「えへへ、ありがとー!」
さて、こちらをジッと見つめてきている綺月にもするか、一人だけ仲間はずれというのも酷いだろうし。
「山本先輩、どうぞ」
「うん、お願いしようかな」
……あの綺月に触れている、先程唇に触れたことを思い出してかあと全身が熱くなった。
「本当に上手だね」
「自分では……分からないです」
「錦には私がしてあげるよ。ほら、後ろ向いて?」
「あ、はい、お願いします」
で、彼女は肩を揉みはじめてくれたんだけど、正直に言って力が弱すぎてなんか微妙な気分に。
「どうかな?」
「いいですね、人に揉んでもらうのって。一応手伝ったので、多分疲れていたんだと思います」
しかしここは可愛い後輩、せっかくの厚意を無碍にはできない。
「とりゃあ」
「は?」
「え、だって人に揉んでもらうのいいんでしょ? だから、お胸もみもみ、ふぎゃっ!?」
「ふざけないでください、もういいからお風呂に入ってきたらどうですか?」
この人も本当にいい加減なことしかしないなあ。
少しはお姉ちゃんを見習ってほしい、お酒を飲むと……駄目になるけど。
「あ、そうさせてもらおうかなー。香海さんっ、一緒に入りませんか!」
「いいねーっ、いこういこう!」
あれ、なんでお姉ちゃんとなんだろう。
こうして残された綺月が悲しそうな顔を――いや、全然していないな。
「錦、ちょっと外行こ?」
「いいですよ」
でもどうせなら入浴後の方が涼しくていいんだけど。
まだ五月も始まったばかりで暑いということもないし、ちょうどいい気温が私達を迎えた。
「香海さん、いい人だね」
「はい、自慢のお姉ちゃんです」
「香海さんが運転できなかったら私達は来られてなかったし、本当に感謝しかないよ」
「あれ、止めようとしていたんじゃ?」
「もう……意地悪」
必死に自分は止めたんだよとアピールしてきた人がなにを言う、まあ私だって似たようなことを考えているからこれ以上言うのはやめておくけどさ。
「ね、汐梨達が出たら一緒にお風呂入ろうよ」
「別にいいですよ、早くしてあげないとお母さん達が遅くなってしまいますからね」
先に入れって言っても「お客さんがいるのにそんなことできない!」って入ってくれなかった。
……確かに似た状況なら私でも譲るか。
「あ、そうだね、お母さんもお父さんもいい人達だから落ち着くんだよねここ」
「ありがとうございます。でも、それは直接言ってあげてください」
可愛い女子高生にそんなことを言われたらお父さんなんて無駄にはしゃいじゃうだろうな、お母さんは張り切ってごはんを作ると思う。
そもそも陽月先輩達がいる時点で張り切っていたけれども。
「一番は錦がいるからだよ」
「そりゃいますよ、ここは実家なんですから」
「ふふふ、だね!」
「そうですよ。さて、そろそろ着替えを持って行きましょうか」
「うん!」
洗面所に移動したらちょうど拭いているところだった。
む、なかなかどうしてか扇情的な光景、ごくりとつばを飲んで硬直開始。
「おいおい、そんなに見つめられたら子どもができてしまうよ」
「す、すみません……」
「別にいいけどね。綺月と入るんでしょ? だったらちゃんと洗ってあげてね、私は香海さんの端から端まで全部洗ったから」
全部……それは前もということか? 私がいまから綺月のこんなところやあんなところも洗う……だ、だめだ……精神がやられる!?
「もう入ります!」
「いってらっしゃーい」
まるで自分の家じゃなくなったみたいだ。
適当に洗って湯船にダイブ――これから来るであろう綺月を待っていると、
「お、お邪魔します」
うっ……やっぱ若いだけあって綺麗で白い肌の彼女が現れた。
見られていると緊張するだろうから反対側を向く、がっ、そのせいで音に対して敏感になってしまい、なんてことはないことにも肩を跳ねさせた。
「いいよ、見たって」
「い、いや、その発言なんなんですか……」
「だって錦も裸でしょ?」
そりゃお風呂ですから。
従って正面を向くと彼女がちょうど横に座り込むところだった。
「ふぅ……気持ちいいね」
「そうだね」
けれど時間が経過して落ち着くことに成功。
「本当に洗ったのかなあ?」
「どうだろうねっ、汐梨は嘘つく時もあるから」
「そういえば今日はどこで寝ますか? 私の部屋だと床に直接になってしまいますけど」
「床でいいよ、汐梨は香海さんのお部屋で寝るのかな?」
「それでもいいですけどね」
綺月と寝るとなっても別に拒んだりはしない。
私はあくまでおまけみたいなものなのだから、流されて甘えたりはしない。
ただまあ、逆の場合は拒まず受け入れるというだけだ。
「っくちゅ……うぅ、そろそろ出ようかな」
「そろそろって……まだつかったばかりですけど」
「だって錦は嫌でしょ? 私と入るの」
は? 自分から誘ってきておいてなに言っているんだこの人、それに私は確かに「いいですよ」と答えたんだから不安にならないでほしい。
「嫌ならそもそも追い出しています、豚カツの日だって家にすら入れなかったじゃないですか」
「そっか……じゃあ信じるね」
「はい、そんなの勝手にしてください」
信じるな、なんて言えるわけがないんだから勝手にやってくれれば良かった。
……多分こんなこともうないよな? だからいまのうちにもっと記憶に焼き付けておかないと。
「綺月」
「うん?」
「もっと見たい」
同性とか関係ない、天寧や京菓だってこんなこと日常レベルでやるはず。
いや、まじでこれはちゃんと見ておかなければ後悔する気がする。
「うん――え、ええ!?」
「ま、冗談だけど。先に出ているね」
「ぅん……」
ま、なんてことはできないよなあ。
いつまでも入っているわけにもいかないからさっさと出よう。
ということで彼女を一人残し、お風呂場から出たのだった。