4話 必要なものは時間
「私、ずっとここにいなくてはならないのですか?」
侍女の口から放たれた言葉が妙に引っかかったため、私はそう尋ねた。
すると彼女は、きょとんとした顔になりながら、「ご存じないのですか?」と逆に質問してくる。その口調は、誰もが当たり前に知っていることを知らない人に出会った時のようなものだった。
「アックス王国はキャシィ王女を、我が国のリンツ王子の結婚相手とする。その代わりに、我が国はアックス王国へ資源を差し上げて支援する。そういうお話だと伺いましたけれど」
「そんな——」
私は思わず、言葉を失った。
話してくれたのは、部屋へ案内してくれた四十代くらいの人の良さそうな侍女だ。彼女が嘘をつくとは、とても思えない。ということはつまり、彼女の言うことが真実なのだろう。
「では私は……資源と交換されたということなのですね……」
リンツとの結婚を勝手に決めてきたのは両親。
裏に私に言っていない契約があったとしても、不思議ではない。
けれど——そんなこと、信じたくはない。
だってそれは、両親が私より国の豊かさを取ったということだから。
もちろん、アックス王国が資源に満ちた国でないことは分かっている。けれど、隣国の協力がなければ成り立ってゆかぬほど貧しいということはなかったはずだ。
「ある意味では、そうなってしまうやもしれませんね。けれど、心配なさることはありませんよ。この国は、貴女を温かくお迎えしておりますから」
かなり動揺している私を落ち着かせようとしてか、侍女はそんな風に声をかけてくれる。
その気遣いはとても温かい。
だけど、温かい言葉をかけてもらった程度では、この衝撃は消えない。
——両親に一つのものとして利用されたという衝撃は。
「そんな……どうして……」
手は震え、視界が歪む。
信じられなくて、信じたくなくて。
「……嘘よ」
「キャシィ様?」
「嘘……お願い、冗談だと言って……」
分かってはいたのだ、私は国に必要でないと。第一王女さえいればそれで構わないのだと。そんなことは、昔から分かっていた。
だから覚悟していたはずなのに、今はただ、涙が溢れるだけだった。
ふと、目が覚める。
柔らかな感触の中で目を覚まし、瞼が僅かに開いた時、見慣れない天井が視界に入った。長年見てきた天井とは違う柄の、あっさりした天井だった。
——ここはどこだっけ。
自分がどこにいるのか、何をしていたのか。
私は、それを、すぐに思い出すことはできなかった。
わけもなくぼんやりと見慣れない天井を眺め続けることしばらく。唐突に、聞き慣れない声が耳に入ってくる。
「失礼致しますね」
まろやかな声、丁寧な言葉——そうだ。この声は、侍女の声。
それに気がついた時、私はようやく、今の状況を思い出した。隣国ピシアの王子リンツと結婚式を挙げ、彼の妻という身分になったのだということを。
「あ……!」
すぐに起き上がる。
第二王女でも王女は王女。
失礼のないよう、しっかりと振る舞わなければ。
「あら、起きていらっしゃったのですね」
「は、はい。つい先ほど目が覚めて」
なぜだろう、何か大事なことを忘れてしまっているような気がしてならない。忘れてはならないことが記憶から零れ落ちているような感じが、なんとなく気持ち悪い。
「お体の調子はいかがですか?」
「大丈夫です」
「それなら良かった」
四十代と思われる侍女は、優しげに微笑んでくれた。
「落ち着かれたようで、何よりです。悪いことをお話してしまったかと、少し不安になっていたので」
「え?」
「契約の件ですよ」
そうだった! 思い出した!
両親が私を結婚させたのは、資源を得るためだったという話。
忘れてしまっている気がしていた重要なこととは、きっと、それだったのだろう。
「泣いていらっしゃったので、余計なことをお話してしまい後悔しておりました」
「あ、いえ……こちらこそ、泣いたりしてすみません」
すると侍女は、私がいる方へゆっくり歩み寄り、丁寧に頭を下げた。
「申し訳ありませんでした」
彼女は私の問いに答えてくれただけで、悪いことなど何もしていない。彼女が私へ謝罪する必要なんてないはずだ。
だから私は、はっきりと述べる。
「あの、謝らないで下さい!」
「え……」
「謝るべきはこちらです。感情的になってしまって、すみませんでした」
感情的になるなんて、王女らしくない。
ましてや、泣くなんて。
一応そう思いはするのだけれど、両親への複雑な思いはそう易々と消えてくれそうにはない。こんな精神状態では、まともに暮らすことは難しいだろう。
「では、何か必要なものはございますか?」
「……時間を下さい」
取り敢えず、心を整理しなくてはならない。
今の私に必要なのは、一人で過ごす時間だと思う。
「一人でいる時間を下さい」