38話 満足感
「いいね、それ! アリだよ!」
うっかり丁寧さを欠いてしまい焦る私に、リンツは明るくそんなことを言ってきた。非常に嬉しげな声色なのが、私にはよく分からない。
失礼な言葉遣いをされて喜ぶ人なんているわけない。なのに彼は、失礼な言葉遣いをされたことを喜んでいるかのような表情。
……謎ね。
秘宝の在り処と同じくらい謎だわ。
「そうだ、キャシィさん!」
「はい?」
「これからは、先ほどのように話すようにしてくれないかね?」
え。何それ。どういうことなの。
そんな風に言いたい気分だ。
「先ほどのように、とは?」
「ついさっき、一瞬、友好的な話し方をしてくれただろう? これからはいつもそんな風に話してもらえたらいいな、と思ってね」
なるほど。彼が言いたいのは「丁寧でない話し方にしてほしい」ということか。
彼の言いたいことは、おおよそ分かった。
だがしかし、なぜ丁寧でない方を求めるのかが理解できない。
彼はピシアの王子。その身分もあり厳しい教育を受けているだろうから、礼儀正しさを求めているというのなら分かる。
しかし、彼が求めたのは、逆のことだった。
不思議としか言いようがない。
「はぁ」
「頼めないかな?」
「リンツさんが望まれるのなら、そうしても構いませんけど……少し失礼ではないでしょうか」
ソファに腰掛け寛いでいるリンツは、私の言葉に笑顔で返してくる。
「失礼なんてことはないよ!」
リンツの言葉ははっきりしていた。
「僕が望んでいるのだから、失礼なわけがないとも」
「……そうですか?」
「そうだよ」
どうやら、リンツはリラックスしているようだ。ソファに腰掛けたまま両手を合わせ、その手をぐーんと上へ伸ばす。それから大きなあくびをして、彼は続ける。
「僕と君は夫婦なのだよ? それも、正式な順路をたどっての夫婦。だから、敬語でないから失礼、なんてことはないよ」
「言われてみれば。確かにそうですね」
「分かってくれたかね?」
リンツは少し不安げな顔。
「はい、分かりました」
「それは良かった! 理解してくれてありがとう!」
「いえいえ。丁寧に説明して下さってありがとうございます。では……普通に話すよう心がけるわ」
わざと丁寧語を止めるというのは、さりげなく、かなり勇気がいる行為だ。これまで意識したことはなかったけれど、今、それを強く感じた。
「……こんな感じですかね?」
「そう! そんな感じだよ!」
「分かりました。では……心がけるようにするわ」
慣れない! 慣れない! 全然慣れない!
とにかく違和感しかない。
だが、リンツが望むのだ。彼の希望に応えるのは私の役目でもあろう。
「やっぱり、変な感じで……あ。変な感じがするわ」
「いい!」
「これ、違和感が凄まじいわ」
「いいね!」
「おかしくはない?」
「素晴らしいよ!」
リンツは興奮気味に言った。
何だろう。よく分からないけれど、気に入ってもらえているみたいだ。しかし、何がこんなに気に入ってもらえているのかは、いまいち理解できない。
一人何とも言えない気分になっていると、リンツは急に立ち上がった。
「よし! では早速頼みに行ってくるとしようかね!」
「部屋の件?」
「そう。この部屋を何とか上手く使えないかどうか、というところを、聞いてみるんだ」
私はベッドに座ったまま、軽く頭を下げる。
「お願いしま……じゃなかった。お願いね、リンツさん」
ついうっかりミス。
……すぐに言い直したもの、セーフよね?
「もちろん! では失礼」
リンツはそそくさと歩き出す。彼が扉へ到着するのに、時間はそんなにかからなかった。
「またね!」
片手を軽く掲げつつ、リンツは部屋から出ていった。
「ふぅ……」
私は一人溜め息をつく。
きちんと話すことができたため、満足感がかなりある。




